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民藝

2022年5月20日 (金)

特別展「琉球」・・・万国津梁、相思樹の樹々わたりゆく風の音

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』280回

百花繚乱、花の匂い漂う森、紫躑躅咲く道を歩いて博物館に行く。春愁のかぎりを躑躅燃えにけり。琉球、沖縄で、想起するのは、ひゆり学徒隊、相思樹の歌である。
友よいとしの我が友よ、色香ゆかしき白百合の心の花と咲き出でし世に香ぐはしく馨るらむ
幽冥界、生と死の境、黄昏の樹林で、亡き友を思い出すときがある。なぜか、強烈な郷愁を感じる。雪月花の時、最も君を憶う。美しい魂をもつ人に祈りをささげる。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、アテナ神殿に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』
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【江洲慶子『歌集 相思樹の譜』】
相思樹の樹々わたりゆく風の音 亡友の声かと耳澄まし聞く
学半ば逝きにし学友を 偲びつつ詠みつぎゆかむ相思樹の詩
生きよとも哀しめよとも、相思樹の黄花こぼるる 現し身吾に
★上江洲慶子『歌集 相思樹の譜』
【友よいとしの我が友よ】
友よいとしの我が友よ、色香ゆかしき白百合の心の花と咲き出でし世に香ぐはしく馨るらむ 沖縄県立第一高等女学校校歌
【戦争の悲劇、ひめゆり学徒隊】
ひめゆり学徒隊は、15歳から19歳の女学生、看護婦として陸軍病院で働き、摩文仁野で集団自決した。沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の女学生、二百四十名のうち、百三十六名が戦死する悲劇の中で、ひめゆり学徒隊は働き続けた。
闇夜に「ふるさと」の歌
波が打ち寄せる絶壁の上で、輪になって座っていた女性とたちはしくしく泣き出した。深夜だった。「もう一回、太陽の下を大手を振って歩いてから死にたいね」。輪の中の1人がそうつぶやくと、まもなくだれからともなく「ふるさと」の歌が始まった。(『琉球新報』)
「天皇の為に死ぬことは名誉」と教え込まれてきた結果、集団自決や特攻隊などで多くの命が奪われた。天皇制と昭和天皇の戦争責任を思い知らねばならない。「15年戦争Jによる死傷者は、軍人400万人、民間人2.000万人、合計 2.400万人と推定されている。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【琉球国王、尚氏】琉球国王尚氏は、1470年からおよそ400年にわたり琉球を治めた。歴代の国王は中国の明、清朝の冊封を受けて王権を強化し、島々の統治と外交、貿易を推進した。17世紀初め、薩摩島津氏の侵攻により王国は大きな変化を余儀なくされますが、新たな体制と国際関係を築き上げ、やがて安定した統治のもとで琉球の芸術文化が開花する。首里城を彩った王家の宝物、中国皇帝や日本の将軍、大名に贈られた美しい漆器や染織品、そして国際交流により洗練されていった書画は王国の高い美意識と技術を物語る。
【第一尚氏、第二尚氏】
1429年尚巴志が首里に統一政権を建て、尚徳まで代々琉球王として統を伝えた (第1尚氏) 。尚徳の死後,沖縄の北方伊平屋島の農家に生れ、尚氏の一族といわれる尚円が、70年王に擁立された (第2尚氏) 。以来その子孫相継ぎ、漸次琉球列島を統一して民生に力を尽した。 1589年、尚寧が豊臣秀吉に使をつかわし、17世紀以降は年々島津氏に朝貢し、さらに、王の嗣立などの際には江戸幕府に遣使するなどして明治にいたった。明治5 (1872) 年、尚泰は,琉球藩主に列せられ、翌年には東京在勤,侯爵に叙せられた。「ブリタニカ国際大百科事典」
【紅型】沖縄の型染。藍一色で染める藍型(あいがた)に対して赤、黄、緑、紫等の多色の型染をいう。この名称は古くはなく、昭和初期に伊波普猷(いはふゆう)が初めて用いたとされる。紅型の技法は15世紀半ばころには琉球国ですでに行われていたが,琉球の地理的関係から日本の型染、中国・南方の印金(いんきん)の技法など相互の交流によって成立発展したものとみられる。紅型は型紙の大きさによって3種に分けられる。
【おなり神信仰】女性が祭祀を司るという特徴は、姉妹が兄弟を霊的に守護する「おなり神信仰」に通ずるともいわれています。ノロ(神女)は首里王府から任命され、王国の支配を宗教的な側面から支えました。
【首里城】
首里城は14世紀後半頃に創建され、15世紀初頭には王国支配のための拠点となり、約500年にわたって政治・外交の中心として、さまざまな文物が集積され、独特の文化が花開きました。政治行政の中心であるだけでなく、王国の祭祀儀礼や祈りの場としての聖地でもありました。しかし、長い歴史の中で何度かの焼失と再建を繰りかえしています。
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展示作品の一部
国宝 黄色地鳳凰蝙蝠宝尽青海波立波文様紅型綾袷衣裳
(琉球国王尚家関係資料)第二尚氏時代・18~19世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
国宝 紅色地龍宝珠瑞雲文様紅型綾袷衣裳
(琉球国王尚家関係資料)第二尚氏時代・18~19世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
国宝 金装宝剣拵(号千代金丸)(琉球国王尚家関係資料)
 鞘の全面に薄い金板を巻き、柄頭には竹節状の鐶(かん)を取りつけるなど、一般的な日本刀の拵とは大きく異なる琉球独自の点が目をひく宝剣です。もとは今帰仁城(なきじんじょう)を本拠とした山北(北山)王歴代の一振で、のちに尚家に献上されたと伝わります。刀身:室町時代・16世紀 拵:第二尚氏時代・16~17世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
重要文化財 銅鐘 旧首里城正殿鐘(万国津梁の鐘)
藤原国善作 第一尚氏時代・天順2年(1458) 沖縄県立博物館・美術館蔵
海洋王国・琉球の繫栄を象徴する梵鐘。琉球王国は、船の交易によってアジア各地を結ぶ「万国津梁」(万国の架け橋)であると自らうたった銘文を刻みます。かつて首里城の正殿に懸けられていたと伝わる鐘です。
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参考文献
沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」図録2022
色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊
https://t.co/3d2IBLmUmu
★ひめゆり学徒隊
1. 上江洲慶子『歌集 相思樹の譜』
田中章義「歌鏡」『サンデー毎日』2014.7.6号、P55
2. [81 女学生の集団自決(1)]「太陽見て死にたい」琉球新報2010年3月2日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-158594-storytopic-215.html
特別展「琉球」・・・万国津梁、相思樹の樹々わたりゆく風の音
https://bit.ly/3sO6qXb
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沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」
令和4年(2022)、沖縄県は復帰50年を迎えます。かつて琉球王国として独自の歴史と文化を有した沖縄は、明治以降の近代化や先の戦争という困難を乗り越え、現在もその歴史、文化を未来につなげる努力を続けています。本展は、アジアにおける琉球王国の成立、および独自の文化の形成と継承の意義について、琉球・沖縄ゆかりの文化財と復興の歩みから紐解く総合的な展覧会です。
東京国立博物館は、明治期の沖縄県からの購入品に、その後の寄贈品を加えた日本有数のコレクションを収蔵しています。平成4年(1992)、復帰20年の折には、特別展「海上の道」を開催するなど、これまで琉球の歴史と文化に関する研究や展示普及活動に努めてまいりました。こうした礎のもと、力強く輝き続ける琉球の歴史と文化を過去最大規模で展観します。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2131
平成館 特別展示室 : 2022年5月3日(火) ~ 2022年6月26日(日)
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特別展「琉球」、東京国立博物館、5月3日(火) ~ 6月26日(日)
九州国立博物館[太宰府天満宮横]2022年7月16日(土)~9月4日(日)

2021年12月16日 (木)

柳宗悦没後60年「民藝の100年」・・・「白樺」と「アーツ・アンド・クラフツ」

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』262回

松本民芸家具、北海道民芸家具、仙台家具、シェーカー家具の椅子を数十年使っている。家の南の部屋に東寺観智院「五大虚空蔵菩薩の護符」がある。木仙作「神の除魔木でこ」が守る書庫の片隅に、鎌田幸二 作 油滴天目茶碗、バカラのアルクール・ワイングラス、江戸切子、京都たち吉の志野焼茶碗がある。ウィリアム・モリス「アーツ・アンド・クラフツ」、『地上の楽園』『世界のはての泉』を思い出す。
「民藝」とは「民衆的工芸」の略語である。柳宗悦、濱田庄司、河井寬次郎、バーナード・リーチ、芹沢銈介、富本憲吉らは、無名の職人による暮らしに息づく道具類を「民藝」と名付け、そこに美を見出した。
■「白樺」、東と西が出会う場所
宗教哲学者、柳宗悦(1889-1961)は、詩人ウィリアム・ブレイク研究に情熱を注ぎ、1904年研究書を出版した。
1910年、柳宗悦は「白樺」に参加する。「宗教家としてのロダン」を発表。「白樺」同人たちが、我孫子に移住した背景には、アーツ・アンド・クラフツがある。1919年、富本憲吉が柳宗悦邸内のバーナード・リーチ陶房を訪ねてやってきた。「白樺」の核となる出版と展覧会活動、ミュージアム構想が触媒となり、人的ネットワークが数珠つなぎに形成される。図録「民藝の100年」P24。
民藝の樹 民藝の三つの柱 ミュージアム、生産と流通、出版。
■「アーツ&クラフツ」ウィリアム・モリス
デザイナーで思想家、詩人ウィリアム・モリス(1834-96)は、ラファエル前派のD.G.ロセッティやエドワード・バーン=ジョーンズらが参加したモリス・マーシャル・フォークナー商会(のちにモリス商会)を中心に、装飾芸術をめぐって活発な活動をロンドンで繰り広げた。1887年には運動の名称ともなったアーツ&クラフツ展協会が創設された。ザイン運動「アーツ&クラフツ」は、産業化・工業化が進む時代を背景に、失われた手仕事の良さを見直し、自然や伝統に美を再発見する。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
図録「民藝の100年」2021
「生活と芸術 アーツ&クラフツ展」ウイリアム・モリスから民芸まで・・・いちご泥棒、Morris,Strawberry Thief
https://bit.ly/3DVSAEN
「ザ・フィンランドデザイン 自然が宿るライフスタイル」2021
「生活と芸術 アーツ&クラフツ展」ウイリアム・モリスから民芸まで、東京都美術館2009
「民藝の100年」・・・「白樺」とアーツ・アンド・クラフツ
https://bit.ly/3q0QG0R
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「民藝を柳の思想の結晶と見るのではなく、近代の実践的な活動として3つの手法でとらえなおす」と、担当の花井久穂学芸員は説明する。
3つの手法とは、民藝をモダンな文脈の中で生まれたものとして「近代100年」という歴史の中で位置づける、ローカルなネットワークと共に展開した社会運動としてとらえること、そして「出版」「美術館」「流通」と3つのメディアを駆使した「編集」の手法に注目することである。
民藝運動の3つの柱「ミュージアム/出版/生産-流通(ショップ)」を図示したデザイン。雑誌『月刊民藝』創刊号の最初のページに掲載された。メディアを駆使して布教する民藝同人たちの手法は、今でも学べることがある。
新しい美の概念を表す言葉「民藝」が作られてから約100年。単なる言葉やモノだけでは100年続く概念にはなり得ません。そこには巧なメディア戦略と地方の人・モノ・情報をつないだローカルなネットワークがあった。
「国家、近代、美術館」と対立する「地方、前近代、民藝」を提唱する柳宗悦没後60年、の展示である。
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/mingei100/
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柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」東京国立近代美術館、2021年10月26日(火)~2022年2月13日(日)