パリ・オペラ座−響き合う芸術の殿堂・・・シャガール「夢の花束 」
エドガー・ドガ「バレエの授業」1873-76、オルセー美術館
アレクサンドル・カバネル「クレオパトラ」1883
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第206回
12年前「ヴィルヘルム・ハンマースホイ、静かなる詩情」(2008)には数度、国立西洋美術館に行った。その時、フェルメールとの対比でみた。今回、19世紀デンマーク絵画の黄金時代の作品、スケーイン派、と比較してハマスホイ絵画をみると、スティーブン・キングの世界のようである。『呪われた町』。友人の詩人が、ハマスホイを愛好している。
憂いを帯びた世界。背を向けて佇む、若い女。後期バロック様式の100年前の古い部屋、静かに降り積もる時間。晴朗な夏空を描いた風景画も、霧がかかったように、陰影を帯びる。
ハマスホイは、100年前の古い家に住み、100年前の家具を集め、古書を1000冊蒐集し、初版本蒐集家で、古い時に刻まれて、51歳まで絵を描きつづけた。1891年、友人の画家、ピーダ・イルステズの妹イーダと結婚。イーダは以降、ハマスホイの室内画のモデルになり、妻イーダの後姿を描きつづけ、その後、誰もいない部屋を描いた。
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時の止まった部屋 誰もいないときこそ、それは美しい
ハマスホイの絵には、夏も冬もない。それは憂いを帯びた、遥か昔の遠い、遠い、彼方にある、こことは別の世界のものである。1906年「独立展」レビューより
「私はかねてより、古い部屋には、たとえそこに誰もいなかったとしても、独特の美しさがあると思っています。あるいは、まさに誰もいないときこそ、それは美しいのかもしれません」ハマスホイ1907
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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デンマーク絵画の黄金時代
19世紀デンマーク絵画、1800~64年、「デンマーク絵画の黄金時代」の風景画は、画家たちが郊外で自然の観察を通し、デンマークの風景を描写する。
スケーイン派、デンマークの外光派
1870年代の画家たちは、デンマーク北端の漁師町・スケーインを発見し、多くの画家がスケーインを訪れ、「スケーイン派」と呼ばれる画家のグループが誕生した。ピーザ・スィヴェリーン・クロイア《スケーイン南海岸の夏の夕べ-アナ・アンガとマリーイ・クロイア》1893
北欧の内向する世界「ヒュゲ(hygge:くつろいだ、心地よい雰囲気)」家族、友人と閉じ籠る人々。ヴィゴ・ヨハンスン《きよしこの夜》1891年
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静寂の絵画、ヴィルヘルム・ハマスホイ(Vilhelm Hammershøi)1864年5月15日–1916年2月13日
1891年、友人の画家、ピーダ・イルステズの妹イーダと結婚。1898年、ハマスホイはコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地に移住。その後、室内を題材に、《室内——開いた扉、ストランゲーゼ30番地》(1905)や《室内——陽光習作、ストランゲーゼ30番地》(1906)を描く。1909年の秋、ハマスホイはブレズゲーゼ25番地に移住し、《ピアノを弾く妻イーダのいる室内》(1910)や《カード・テーブルと鉢植えのある室内、ブレズゲーゼ25番地》(1910-11)などの代表作を発表する。51歳で死す。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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展示作品の一部
ヴィルヘルム・ハマスホイ《室内》1898年スウェーデン国立美術館蔵 (C)Nationalmuseum, Stockholm / Photo: Nationalmuseum
ヴィルヘルム・ハマスホイ《室内―開いた扉、ストランゲーゼ30番地》1905年 デーヴィズ・コレクション蔵 (C)The David Collection, Copenhagen
ヴィルヘルム・ハマスホイ《背を向けた若い女性のいる室内》1903-04年 ラナス美術館蔵 (C) Photo: Randers Kunstmuseum
ヴィルヘルム・ハマスホイ《画家と妻の肖像、パリ》1892
ヴィルヘルム・ハマスホイ《農場の家屋、レスネス》1900、《ライラの風景》1905
コスタンティーン・ハンスン《果物籠を持つ少女》1827
ピーザ・スィヴェリーン・クロイア《スケーイン南海岸の夏の夕べ-アナ・アンガとマリーイ・クロイア》1893年 ヒアシュプロング・コレクション蔵 (C) The Hirschsprung Collection
ヴィゴ・ヨハンスン《きよしこの夜》1891年ヒアシュプロング・コレクション蔵 (C) The Hirschsprung Collection
ピーダ・イルステズ《ピアノに向かう少女》 1897年 アロス・オーフース美術館蔵 ARoS Arhus Kunstmuseum / (C) Photo: Ole Hein Pedersen
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★参考文献
ヴィルヘルム・ハンマースホイ、静かなる詩情・・・陽光、あるいは陽光に舞う塵
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「ハマスホイとデンマーク絵画展」図録、東京都美術館2020
「ヴィルヘルム・ハンマースホイ、静かなる詩情」図録、国立西洋美術館2008
佐藤直樹、監修「ヴィルヘルム・ハマスホイ 沈黙の絵画」平凡社2020
萬屋健司「ヴィルヘルム・ハマスホイ 静寂の詩人」2020
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ハマスホイとデンマーク絵画展、東京都美術館、1月21日(火) ~3月26月(木)
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山口県立美術館、4月7日~6月7日
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第161回
金木犀の香る森を歩いて、美術館に行く。薄羽蜉蝣の飛ぶ丘、銀杏並木を歩き、グリーグ『ペールギュント』ソルベーグの歌が胸に浮かぶ。放浪の旅から帰国後、ムンクが愛したオースゴールストラントの海、月光の輝く海と女たち。
「私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた」ムンク
30歳の時の作品、エドヴァルド・ムンク『叫び』。怖れおののいて耳を塞いでいる姿。血のように赤く染まったフィヨルドの夕暮れ、赤い空、暗い背景、遠近法の構図。「自然を貫く果てしない叫び」。この主人公が叫びを発しているのではない。『叫び』、4枚の絵画がある。(1893テンペラ、クレヨン、1893クレヨン、1895パステル、1910テンペラ)
*大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
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【エドヴァルド・ムンク、波瀾の生涯、愛と絶望と放浪の果て帰国、2万8千点、80歳で死す】30歳の作品『叫び』(1893)で世界に名をとどろかせたムンク。26歳から46歳まで、外国を放浪。1892年29歳の時「ムンク事件」、批評家の攻撃でベルリンの個展が1週間で打ち切り。1902年39歳の時、結婚を迫る恋人トゥラ・ラーセンを拒否、破局、銃爆発事件で指を負傷。1909年46歳の時、クリスチャニアに帰国。1927年、64歳、ベルリンとオスロで回顧展。1940年77歳。全作品、2万8千点の作品をオスロ市に遺贈。1944年、80歳で死去。
【波瀾の生涯】エドヴァルド・ムンク(1863-1944)。1863年、5歳の時、母死す、1877年、姉ソフィエ、結核で死す。17歳、画学校、入学。1889年、26歳、パリ留学。父、脳卒中で死去。46歳で帰国、『地獄の自画像』(1909)。
エーケリーの屋敷ヘ移り住んだ後、多数の召使兼モデル志願の若い女たちがムンクの家を訪れた。
『すすり泣く裸婦』(1913-14)に描かれた女、女召使兼モデル、16歳のインゲボルク・カウリン、ムンク50歳と恋に陥る。インゲボルグに惹かれ合うが彼女には婚約者がいた。
「文学、音楽、藝術は生血によって制作される。藝術は生きた人間の血なのだ。作品は、魂と意志をもつ結晶であり、子供である」エドヴァルド・ムンク
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
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エドヴァルド・ムンク『叫び』「私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」ムンク『日記』
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展示作品の一部
エドヴァルド・ムンク《叫び》テンペラ・油彩画(1910年?)オスロ市立ムンク美術館
ムンク「絶望」1892-94 キャンバスに油彩 92×67cm ティール・ギャラリー蔵
ムンク《マドンナ》1895年 リトグラフ
ムンク《病める子Ⅰ》1896年 リトグラフ 43.2×57.1cm
ムンク《自画像》1882年 油彩、紙(厚紙
ムンク《夏の夜、人魚》1893年、オスロ市立ムンク美術館蔵
ムンク《星月夜》1922-24年 オスロ市立ムンク美術館蔵
ムンク『地獄の自画像』(1909)
ムンク『すすり泣く裸婦』(1913-14)
ムンク『緑色の服を着たインゲボルク』(1912)
ムンク『森の吸血鬼』(1916-18)
ムンク《生命のダンス》(1925)
ムンク《自画像、時計とベッドの間》(1940-43)
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参考文献
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
クロード・モネ『日傘の女』・・・カミーユの愛と死
https://bit.ly/2ncZAIR
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
https://bit.ly/2vikIlL
「ムンク展 共鳴する魂の叫び」図録2018
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「ムンク展」(国立西洋美術館 2007年10月6日(土)—2008年1月6日(日)
「ムンク展 画家とモデルたち Edward Munch and his Models」(伊勢丹美術館1992)
「ムンク展 愛と死 The Frieze of Life」(出光美術館1993)
「ムンク展 EDWARD MUNCH」(世田谷美術館1997)
「ムンク展 生の不安―愛と死」(東京国立近代美術館1981)
「冬の国―ムンクとノルウェー絵画」(国立西洋美術館1993)
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世界で最もよく知られる名画の一つ《叫び》を描いた西洋近代絵画の巨匠、エドヴァルド・ムンク(1863-1944)。画家の故郷、ノルウェーの首都にあるオスロ市立ムンク美術館が誇る世界最大のコレクションを中心に、約60点の油彩画に版画などを加えた約100点により構成される大回顧展です。
複数描かれた《叫び》のうち、ムンク美術館が所蔵するテンペラ・油彩画の《叫び》は今回が待望の初来日となります。愛や絶望、嫉妬、孤独など人間の内面が強烈なまでに表現された代表作の数々から、ノルウェーの自然を描いた美しい風景画、明るい色に彩られた晩年の作品に至るまで、約60年にわたるムンクの画業を振り返ります。
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「ムンク展 共鳴する魂の叫び」東京都美術館、10月27日-2019年1月20日
https://www.tobikan.jp/
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第153回
灼熱の夏の午後、森陰の道を歩いて美術館に行く。面相筆の細密画、乳白色の肌の画家の旅を想う。
旅する画家、藤田嗣治。藤田嗣治は、1913年27歳でパリに旅立つ。1920年代、モンパルナスで活躍する。1930年代、中南米・アジア・日本へ旅する。1949年、日本を去る。絶望の離日。63歳でニューヨークへ旅立つ。1950年パリに帰還。藤田、ヴィリエ・ル・バクルに住む。【藤田嗣治 最後の旅】帰る国を失った画家。最後の作品、ランスの『平和の聖母礼拝堂』1966-67。「それは後世に残るもの。私が生きたことの思い出として残したいと願う永遠の作品なのです。私の仕事のすべてを天にささげます。それが私の喜びなのです」
【藤田嗣治 NYの旅】藤田嗣治『カフェ』 1949 は、ニューヨークにて「パリのカフェにて便箋を置いたまま物思いにふける。パリを想う藤田自身の姿」。『美しいスペイン女』1949、NYにてレオナルド『モナリザ』を想起する画家。パリに想いを馳せる。藤田嗣治の運命の時は、4つの時があった。1918年、1923年、1949年、1966年。
『二人の少女』1918、『五人の裸婦』1923、『自画像』1929、『争闘 猫』1940、藤田嗣治『カフェにて』( 1949 )。**
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命の戦い 運命の女』
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【藤田嗣治 乳白色の肌の裸婦、苦難の道を歩いた画家】
【藤田嗣治 乳白色の肌の裸婦、32歳にして様式確立。黄金時代1918-1929 81歳で死す】
藤田嗣治(1886-1968)。1905年に19歳で東京美術学校西洋画科に入学する。が、黒田清輝らの勢力に合わなかった。
【藤田嗣治 乳白色の肌の裸婦、藝術家の運命】
1913年(大正2年)に渡仏、パリのモンパルナスに住む。エコール・ド・パリの画家たちと交友する。シャガール、モディリアーニ、ジュール・パスキン、パブロ・ピカソ、オシップ・ザッキン、モイーズ・キスリング。第一次大戦1914-18。戦時下のパリで、絵が売れず、食事にも困り、寒さのあまりに描いた絵を燃やして暖をとる。
【藤田嗣治 乳白色の肌の裸婦 藝術家の運命】
1917年3月、カフェで出会ったフランス人モデルのフェルナンド・バレエ(Fernande Barrey)と2度目の結婚。初めて絵が売れる。7フラン。シェロン画廊で最初の個展。絵も高値で売れるようになる。1918年、第1次大戦、終戦。面相筆による線描を生かした技法による、透きとおる画風を、このとき確立。サロン・ドートンヌの審査員にも推挙される。急速に藤田の名声は高まる。
【藤田嗣治 中南米、日本への旅 苦難の道を歩いた画家】
1933年、南アメリカの旅から日本に帰国、1935年に25歳年下の君代(1911-2009)と出会い、一目惚れ。翌年5度目の結婚。終生連れ添う。『争闘 猫』1940。日本において陸軍美術協会理事長に就任。『アッツ島玉砕』(1943)などを描く。戦後、戦争責任を追及され藤田一人だけを追放。63歳で1949年日本を去る。絶望の離日。祖国で正当な評価を得られない失意の日々。「絵描きは絵だけを描いて下さい。仲間げんかをしないでください。日本画壇は早く世界的水準になって下さい」藤田
【藤田嗣治 日本を去りNYに行く、苦難の道を歩いた画家】
1949年日本を去る。63歳、ニューヨークに行く。『カフェ』『美しいスペイン女』。まだ入国を許されないパリを想う。
1950年、フランス入国許可が下り、ニューヨークからパリに行く。
1955年にフランス国籍を取得、1957年フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章、受章。1959年73歳で、カトリックに改宗。レオナール・フジタと名付けられる。
【藤田嗣治 苦難の道を歩いた画家、最後の旅】
1965年、79歳でランスの礼拝堂の建設に着手。マルヌ県ランスにあるマム*の敷地内に『平和の聖母礼拝堂』「フジタ礼拝堂」1966の設計、内装デザイン。80歳で90日間、漆喰に描く、フレスコ画。完成2か月後、倒れる。「私の仕事のすべてを天にささげます」1968年1月29日にスイス、チューリヒにて死す。81歳。
【フレスコ画】漆喰が乾かぬ間に、インスピレーションのまま描くスピード。命を懸けて描いたフレスコ画。受胎告知に始まる『キリストの受難』キリストの生誕、洗礼、十字架への道、磔、キリスト降架、から復活まで。祭壇画の祈る人々の手に仏像の祈りの手を描く。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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藤田嗣治、代表作
藤田嗣治『私の部屋、目ざまし時計のある生物』1921、『ジュイ布のある裸婦』1922、『五人の裸婦』1923、『舞踏会の前』1925、『自画像』1929、『争闘 猫』1940、『私の夢』1947、『カフェにて』( 1949 )、『美しいスペイン女』( 1949 ) 豊田市美術館蔵
藤田嗣治『花の洗礼』(1959)、『礼拝』(1962-63 )パリ市立近代美術館蔵、『タピスリーの裸婦』1923年 京都国立近代美術館蔵
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*「(藤田は)面倒見が良く人懐っこい。‟孤高の画家“ではありませんでした」高階秀爾
*「ノートルダム・ド・ラ・ペ(平和の聖母)礼拝堂」
*シャンパン・メーカー、マムの社長ルネ・ラルー(René Lalou)。
レオナール=フジタと最後の妻君代はここに埋葬されている。
**林洋子「藤田の4つの年、1918、1923、1940、1949」2018.7.30
「美の巨人たち、レオナール・フジタ『平和の聖母礼拝堂』」2008.12.27
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参考文献
「生誕120年 藤田嗣治展-パリを魅了した異邦人-」東京国立近代美術館、2006年3.28-5.21
「没後40年レオナール・フジタ展」、上野の森美術館・・・魂の昇華
https://bit.ly/2LqLRbw
『没後50年 藤田嗣治展』図録、2018
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大久保正雄『藝術家と運命の戦い、運命の女』
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-2d7c.html
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html
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★「没後50年 藤田嗣治展」東京都美術館、7月31日-10月8日
京都国立近代美術館、10月19日-12月16日
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第146回
アレクサンドロス大王は、20歳で復讐を果たして人生の旅に旅立つ。ペルシア帝国を滅ぼし、バビロンにて33歳で死す。ナポレオンは、51歳で絶海の孤島セント・ヘレナで死す。王妃マリー・アントワネット、コンコルド広場にて処刑、37歳。波瀾の人生の果てに、若くして死す。人生の戦いに勝利した偉大な王、何を手に入れたのか。価値ある生とは何か。人生の冒険に破れた詩人。人生の戦いに破れた哲人、理念を追求する。輝く天の仕事をなし遂げる人。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
――
【偉大なる大王の死】アレクサンドロス3世、33歳。ダレイオス1世66歳。ダレイオス3世60歳。ラムセス2世92歳、子供100人を残す。ハトシャプスト女王49歳。アクエンアテン王29歳。ツタンカーメン18歳。美しき宗教改革者ネフェルティティ63歳。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
【フランス革命の死】マリー・アントワネット37歳。ルイ16世38歳。ロベスピエール36歳。ダヴィッド77歳。ナポレオン51歳。1804年、ナポレオン法典制定、帝位につく。ナポレオン1世となる。
【ルネサンスの死】1492年、ロレンツォ・デ・メディチ43歳。1478年4月26日、ジュリアーノ・デ・メディチ25歳。アンジェロ・ポリツィアーノ39歳。ミランドラ31歳。フィチーノ62歳。ボッティチェリ65歳。ミケランジェロ88歳。シクストゥス4世70歳。1499年プラトンアカデミーの思想家、死す。1600年、ジョルダーノ・ブルーノ52歳。
【復讐する精神】アレクサンドロスは、父王フィリッポス2世を側近貴族によって暗殺、復讐を果たして人生の旅に旅立つ。紀元前336年、アレクサンドロス20歳。織田信長は、織田信行の二度目の謀反に復讐を果たし、人生の冒険に旅立つ。弘治三(1557)年、信長24歳。
【ナポレオン】余の栄誉は40回の戦勝ではなく、永久に残るのは余の民法典である。
ナポレオン、身長168。27歳でイタリア遠征軍司令官に抜擢され、第1次対仏大同盟を崩壊させ、イギリスとインドの通商を絶つため、エジプト遠征。1800年第2次対仏大同盟を解体、終身統領となる。1804年、ナポレオン法典制定、帝位につく。ナポレオン1世となる。1810年、オーストリア皇帝の長女マリー・ルイーズと結婚。1812年、ロシア遠征挫折。1813年、諸国民戦争に敗れ、エルバ島に流刑。1815年、エルバ島を脱出し、帝位につく。ワーテルローの戦いで破れ、絶海の孤島セント・ヘレナ島に流される。51歳で死す。
【第六天魔王 織田信長】信長は武田信玄に対する返書にて「第六天の魔王信長」と署名した。天正元(1573)年4月20日フロイス『日本史』。信長40歳。「三界(無色界、色界、欲界)」のうち、欲界の最上天が「第六天(他化自在天)」であり、その欲界を支配しているのが「第六天魔王」である。
*「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。」Utilitarianism.1861
“It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.” Utilitarianism.1861
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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展示作品の一部
「アレクサンドロス大王の肖像」、通称《アザラのヘルメス柱》2世紀前半、リュシッポスによる原作(前330年頃)に基づきイタリアで制作イタリア、ティヴォリ出土 大理石(ペンテリコン産)
ディエゴ・ベラスケス「スペイン王妃マリアナ・デ・アウストリア」1652
アントワーヌ=ジャン・グロ「アルコレ橋のボナパルト(1796年11月17日)」1796年
クロード・ラメ「戴冠式の正装のナポレオン1世」1813年
アンヌ=ルイ・ジロデ・ド・ルシー=トリオゾンの工房「戴冠式の正装のナポレオン1世の肖像」1827年
ヴェロネーゼ(本名パオロ・カリアーリ)「女性の肖像」、通称「美しきナーニ」1560年
セーヴル磁器製作所(ルイ=シモン・ボワゾに基づく)「フランス王妃マリー=アントワネットの胸像」1782年 ビスキュイ(素焼きの硬質磁器)
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル「フランス王子、オルレアン公フェルディナン=フィリップ・ド・ブルボン=オルレアンの肖像」1842年
サンドロ・ボッティチェリと工房「赤い縁なし帽をかぶった若い男性の肖像」1480-1490年頃 ロレンツォ・イル・マニフィコの従兄弟であった、ロレンツォ・トルナブオーニ(1465-1497)とする説がある。
ジャック=ルイ・ダヴィッドと工房「マラーの死」1794年頃 油彩/カンヴァス
「青冠をかぶったアメンホテップ3世」在位前1391-1353
子はアメンホテプ4世アクエンアテン王。老王アメンホテプ3世は、若く美しいネフェルティティを迎えるが自身は病に苦しみ、ほとんど政治は正妃のティイに任せ、彼女は、父との不仲で中央から遠ざけられていた、12歳の息子のアメンホテプ4世を呼び寄せ、ネフェルティティと結婚させる。
「神官としてのアウグストゥス帝」
「トガをまとったティベリウス帝」
「胴鎧をまとったカラカラ帝」
フランシスコ・デ・ゴヤ「ルイス・マリア・デ・シストゥエ・イ・マルティネス」1791
ジュゼッペ・アルチンボルド「春」1573年 油彩/カンヴァス
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参考文献
大久保正雄『地中海紀行』53回アレクサンドロス大王1
フィリッポスは、アレクサンドロスの妹の結婚式で、暗殺された。
マケドニア王国 フィリッポス2世の死 卓越した戦略家
https://t.co/xcCI2H0le5
大久保正雄『地中海紀行』54回アレクサンドロス大王2
アレクサンドロス帝国の遺産はどこに残されたのか
王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
https://t.co/GqhV2l84wK
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第73回
ハプスブルク家 マリーアントワネット 革命に散る
https://t.co/LsGpsWXdsT
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★「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」
国立新美術館、5月30日-9月3日
大阪市立美術館、9月22日(土)- 2019年1月14日(月・祝)
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