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印象派

2024年2月26日 (月)

印象派 モネからアメリカへ モネ、絶望を超えて

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第358回

アルノ河の水辺の樹々に夢をみる、枯れ木に夕日が射すと希望を予感する、荒野にアーモンドの花が咲くと春を感じ、林檎の花が咲くと蘇りを感じ、子供を抱く母親に新生を見る。印象派の画家は陽光に輝く世界を表現した。クロード・モネ(1840-1926) 『印象・日の出』(1872)から印象派は始まる。印象派は、リアリズムの一派である。20世紀、海を超えて、メアリー・カサット、チャイルド・ハッサム、ジョゼフ・グリーンウッド、トマス・コールに影響を及ぼした。トマス・コール『アルノの眺望』に、フィレンツェのみずみずしい樹木と川の調和が描かれている。モネは、絶望をどう超えたのか。
【モネ、絶望を超えて】1879年9月5日カミーユ32歳で死す。この通りモネ39歳。1926年86歳まで生きる。【ジヴェルニー】1883年春、42歳のモネは、フランス北部ノルマンディー地方のセーヌ川流域のジヴェルニーに移り住む。〈積みわら〉の15点の連作を始める。モネは借りていた家と土地を購入。敷地を拡げて「花の庭」と「水の庭」を本格的に整備する。「水の庭」では、睡蓮を栽培し、池に日本風の太鼓橋を架けて藤棚をのせ、アヤメやカキツバタを植える。1890年代後半からは300点の〈睡蓮〉に取り組む。
1899年からロンドンを訪れ、〈チャリング・クロス橋〉や〈ウォータールー橋〉などの連作を数年かけて描く。【1891年にエルネスト・オシュデが死去すると、1892年にモネとアリス・オシュデは正式に結婚した。モネは51歳、アリスは48歳】1908年頃から、視覚障害に悩まされるようになった。筆致は粗く、対象の輪郭は曖昧になり、色と光の抽象的なハーモニーが画面を占める。
【モネとカミーユの出会い】カミーユはモネのお気に入りのモデルだった。初めは家族に内緒で交際していた二人。家柄の違いから家族に交際を反対され、正式に結婚できたのは出会いから約5年後の1870年。モネは結婚後も、愛妻をモデルとした絵を何枚か描いた。1879年9月5日カミーユ32歳で死す。この通りモネ39歳。1926年86歳まで生きる。
モネ『印象・日の出』(1872年)は印象派の名前の由来になる。1874年、仲間たちと、サロンとは独立した展覧会を開催して『印象・日の出』等を出展し、これはのちに第1回印象派展と呼ばれる歴史的な出来事となった。しかし、当時の社会からの評価は惨憺たるものであった。1878年まで、アルジャントゥイユで制作し、第2回・第3回印象派展に参加した(アルジャントゥイユ(1870年代))。1878年、同じくセーヌ川沿いのヴェトゥイユに住み、パトロンだったエルネスト・オシュデとその妻アリス・オシュデの家族との同居生活が始まった。妻カミーユを1879年に亡くし、アリスとの関係が深まっていった。他方、印象派グループは会員間の考え方の違いが鮮明になり、解体に向かった(ヴェトゥイユ(1878年-1881年))。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【世紀末の旅人】リアリズムからアンチリアリズムへ【アンチリアリズム、象徴派、ラファエロ前派、幻想派、フォービスム、形而上絵画、シュルレアリスム】
【20世紀、アンチリアリズムの世紀】19世紀ヨーロッパ文学はリアリズムを追求したが、20世紀はアンチリアリズムの世紀。18世紀小説、ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』に夏目漱石は、深い影響を受けた。これを実験したのが『草枕』(1906)。
【ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』】アンチリアリズムの実験をした夏目漱石『草枕』。(*未完の小説。全9巻1759年の末から1767年)。この18世紀小説に、20世紀文学、アンチリアリズム文学は深い影響を受けた。アンドレ・ジイド、カフカ、ジェイムズ・ジョイズ『フィネガンズ・ヴェイク』、ヴァージニア・ウルフ、マルセル・プルースト。他方、日本の明治文学は、1900年以降、やっとリアリズム文学に辿りつく。花袋『布団』藤村『破戒』。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
ジャン=バティスト=カミーユ・コロー《ヴィル = ダヴレーの牧歌的な場所ー池畔の釣り人》 (1865-70) ウスター美術館蔵
メアリー・カサット《裸の赤ん坊を抱くレーヌ・ルフェーヴル(母と子)》(1902-03) ウスター美術館蔵
トマス・コール 《アルノ川の眺望、フィレンツェ近郊》(1837) ウスター美術館蔵
ウィンスロー・ホーマー《冬の海岸》(1892) ウスター美術館蔵
クロード・モネ《税関吏の小屋・荒れた海》(1882) 日本テレビ放送網株式会社蔵
チャイルド・ハッサム《花摘み、フランス式庭園にて》(1888) ウスター美術館蔵
クロード・モネ《睡蓮》(1908)ウスター美術館蔵
チャイルド・ハッサム《シルフズ・ロック、アップルドア島》(1907)、チャイルド・ハッサム《コロンバス大通り、雨の日》(1885)ウスター美術館蔵
ジョゼフ・H・グリーンウッド《リンゴ園》(1903) ウスター美術館蔵
エドマンド・チャールズ・ターベル《ヴェネツィアン・ブラインド》(1898) ウスター美術館蔵
ポール・シニャック《ゴルフ・ジュアン》(1896) ウスター美術館蔵
デウィット・パーシャル《ハーミット・クリーク・キャニオン》(1910-16)ウスター美術館蔵
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参考文献
モネ 連作の情景・・・人生の光と影
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-220389.html
キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ・・・美の根拠はどこにある
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-8e9885.html
マティス展・・・南仏の光《豪奢、静寂、逸楽》、色彩と線への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-c2781f.html
佐伯祐三 自画像としての風景・・・世紀末の旅人
https://bit.ly/3wx4tQw
印象派 モネからアメリカへ モネ、絶望を超えて
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/02/post-21e84b.html

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印象派 モネからアメリカへ 海を超えて花開いた印象派 ウスター美術館所蔵
第1回印象派展から150周年を迎える2024年、印象派がヨーロッパやアメリカへもたらした衝撃と影響をたどる展覧会を開催します。19世紀後半、大都市パリには国外からも多くの画家が集いました。パリで印象派に触れ、学んだ画家たちは、新しい絵画の表現手法を自国へ持ち帰ります。本展は、西洋美術の伝統を覆した印象派の革新性とその広がり、とりわけアメリカ各地で展開した印象派の諸相に注目します。
アメリカ・ボストン近郊に位置するウスター美術館は、1898年の開館当初から印象派の作品を積極的に収集してきました。このたび、ほとんどが初来日となる同館の印象派コレクションを中心に、日本でもよく知られるモネ、ルノワールなどフランスの印象派にくわえ、ドイツや北欧の作家、国際的に活動したサージェント、さらにはアメリカの印象派を代表するハッサムらの作品が一堂に会します。これまで日本で紹介される機会の少なかった、知られざるアメリカ印象派の魅力に触れていただく貴重な機会となります。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_worcester.html
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印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵
東京都美術館、1月27日~4月7日
福島県の郡山市立美術館(4月20日~6月23日)、東京・八王子市の東京冨士美術館(7月6日~9月29日)、大阪市のあべのハルカス美術館(10月12日~2025年1月5日)

2023年11月 2日 (木)

モネ 連作の情景・・・人生の光と影

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第347回
モネが生涯探求したものは何か。
【モネの謎】モネの師はだれか。モネは1875年以後、人物画を描かなくなったのは何故か。モネは1900年以後、抽象的風景画を描くようになったのは何故か。モネが生涯探求したものは何か。
【連作】モネには連作シリーズがある。モネが探求したものは何か。〈積みわら〉〈ポプラ並木〉〈ルーアン大聖堂〉〈セーヌ川の朝〉〈チャリング・クロス橋〉や〈ウォータールー橋〉〈睡蓮〉
【モネ、生涯と作品】カミーユ32歳で死ぬ。
1840年パリで生まれたモネは、5歳から18歳までフランス北西部のル・アーヴルで過ごす。17歳で風景画家ウジェーヌ・ブーダンと出会ったことが人生の転機となる。画家を志したモネは18歳でパリへ向かう。1865年、画家にとって唯一の登竜門であったサロンで、2点の海景画で初入選。1866年、後に妻となるカミーユをモデルにした《カミーユ(緑衣の女性)》と風景画が入選する。
【1866年、恋人カミーユ・ドンシューを描く。『カミーユ、緑衣の女』1866,サロンに出展、絶賛される。1867年、カミーユ、未婚のままモネとの間に長男を出産、1870年にようやく結婚。】
1870年7月、普仏戦争が勃発すると、モネは妻子とロンドンへと避難。翌年に休戦すると、オランダ滞在を経てパリに戻る。
【モネは、『印象、日の出』1872を描く】
1874年、モネと仲間たちはサロン落選の経験から新たなグループ展を構想、1874年春、パリで第1回印象派展を開催。
モネは、1870年代から80年代、セーヌ川流域を拠点に各地を訪れた。「アトリエ舟」で自在に移動し、戸外で制作した。ノルマンディー地方の海岸を旅した。
【クロード・モネ『日傘を差す女、 カミーユとジャン・モネ』1875年。
1875年7月、カミーユは当時不治の病だった結核にかかり、
1879年、カミーユ(1847-79旧姓カミーユ・ドンシュー)は32歳の若さで死ぬ。モネ、39歳。以後、人物画を描くことはまれになった。モネはその後1892年にアリスと再婚。】
【1879年、ヴェトゥイユでカミーユ・モネは32歳の若さで夭折。1914年、モネとカミーユの子ジャンは46歳の若さで亡くなる。モネの血を引く正式な子孫は、カミーユとの間にできた長男ジャンと次男ミシェルの二人】
1883年春、42歳のモネは、フランス北部ノルマンディー地方のセーヌ川流域のジヴェルニーに移り住む。〈積みわら〉の15点の連作を始める。モネは借りていた家と土地を購入。敷地を拡げて「花の庭」と「水の庭」を本格的に整備する。「水の庭」では、睡蓮を栽培し、池に日本風の太鼓橋を架けて藤棚をのせ、アヤメやカキツバタを植える。1890年代後半からは300点の〈睡蓮〉に取り組む。
1899年からロンドンを訪れ、〈チャリング・クロス橋〉や〈ウォータールー橋〉などの連作を数年かけて描く。
【1891年にエルネスト・オシュデが死去すると、1892年にモネとアリス・オシュデは正式に結婚した。モネは51歳、アリスは48歳。】
1908年頃から、視覚障害に悩まされるようになった。筆致は粗く、対象の輪郭は曖昧になり、色と光の抽象的なハーモニーが画面を占める。1926年モネ86歳で死す。
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【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質である】【先生を選ぶ】師が優れているか否かが最も重要な要素である【学びの違い】学校、大学では先生を選べない【先生が持っている地図の大きさ】【先生が持つ基礎認知力、先生が持っている体系】空海は、大学寮明経科に入学したが退学、山林修行の旅に出る『聾瞽指帰』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
《睡蓮の池》1918年頃 油彩、カンヴァス 131.0×197.0cm ハッソ・プラットナー・コレクション © Hasso Plattner Collection
《昼食》1868-69年 油彩、カンヴァス 231.5×151.5cm シュテーデル美術館 © Städel Museum, Frankfurt am Main
《ルーヴル河岸》1867年頃 油彩、カンヴァス 65.1×92.6cm デン・ハーグ美術館 © Kunstmuseum Den Haag – bequest Mr. and Mrs. G.L.F. Philips-van der Willigen, 1942
《ヴェトゥイユの教会》1880年 油彩、カンヴァス 50.5×61.0cm サウサンプトン市立美術館 © Southampton City Art Gallery
《モネのアトリエ舟》1874年 油彩、カンヴァス 50.2×65.5 cm クレラー=ミュラー美術館 © Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands, photo by Rik Klein Gotink
《ヴェンティミーリアの眺め》1884年 油彩、カンヴァス 65.1×91.7cm ケルヴィングローヴ美術館・博物館 © CSG CIC Glasgow Museums Collection. Presented by the Trustees of the Hamilton Bequest, 1943
《ラ・マンヌポルト(エトルタ)》1883年 油彩、カンヴァス 65.4×81.3cm メトロポリタン美術館 Image copyright ©The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY. Bequest of William Church Osborn, 1951 (51.30.5)
《エトルタのラ・マンヌポルト》1886年 油彩、カンヴァス 81.3×65.4cm メトロポリタン美術館 Image copyright © The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY. Bequest of Lillie P. Bliss, 1931 (31.67.11)
《積みわら、雪の効果》1891年 油彩、カンヴァス 65.0×92.0cm スコットランド・ナショナル・ギャラリー ©National Galleries of Scotland. Bequest of Sir Alexander Maitland 1965
また、1899年からはロンドンを訪れ、〈チャリング・クロス橋〉や〈ウォータールー橋〉などの連作を数年かけて描いた。
《ウォータールー橋、曇り》1900年 油彩、カンヴァス65.0×100.0cm ヒュー・レイン・ギャラリー Collection & image © Hugh Lane Gallery, Dublin
《ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ》1904年 油彩、カンヴァス 65.7×101.6cm ワシントン・ナショナル・ギャラリー © National Gallery of Art, Washington, Collection of Mr. and Mrs. Paul Mellon. 1983.1.27
《ウォータールー橋、ロンドン、日没》1904年 油彩、カンヴァス 65.5×92.7cm ワシントン・ナショナル・ギャラリー © National Gallery of Art, Washington, Collection of Mr. and Mrs. Paul Mellon. 1983.1.28
《睡蓮》1897-98年頃 油彩、カンヴァス 66.0×104.1cm ロサンゼルス・カウンティ美術館 Los Angeles County Museum of Art, Mrs. Fred Hathaway Bixby Bequest, M.62.8.13 photo © Museum Associates/LACMA
《睡蓮の池》1918年頃 油彩、カンヴァス 131.0×197.0cm ハッソ・プラットナー・コレクション © Hasso Plattner Collection
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参考文献
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 印象派編
http://bit.ly/2vfh8dP
モネと運命の女、カミーユ
モネは、『印象、日の出』1872を描き、印象派impressionismeの祖と曲解される。
1879年、ヴェトゥイユでカミーユ・モネは32歳の若さで夭折。妻カミーユの死後、富裕な人生を歩む。ジョルジュ・スーラを呪い殺した後、スーラの技法を用いて、画家として成功した。富裕になり贅沢な生活を送った。晩年、若死にしたスーラの呪縛で悩まされたが、富裕な後半生を生きた。グランド・ジャット島の日曜日の午後 (1884-86)(シカゴ美術館)アニエールの水浴 (1883-84)(ロンドン、ナショナルギャラリー)
ハーヨ・デュヒティング『ジョルジュ・スーラ-1859—1891 点に要約された絵画- 』タッシェン・ジャパン2000
パスカル・ボナフー『ゴッホ―燃え上がる色彩』知の再発見双書
「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」・・・藝術家と運命の戦い
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/cat22457171/index.html
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-2d7c.html
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html
モネ 連作の情景・・・人生の光と影
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-220389.html
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展覧会概要
印象派を代表する画家のひとり、クロード・モネ(1840-1926)は、自然の光と色彩に対する並外れた感覚を持ち、柔らかい色使いとあたたかい光の表現を得意とし、自然の息遣いが感じられる作品を数多く残しました。同じ場所やテーマに注目し、異なる天候、異なる時間、異なる季節を通して一瞬の表情や風の動き、時の移り変わりをカンヴァスに写し取った「連作」は、巨匠モネの画業から切り離して語ることはできません。移ろいゆく景色と、その全ての表情を描き留めようとしたモネの時と光に対する探究心が感じられる「連作」は、モネの画家としての芸術的精神を色濃く映し出していると言えるのかもしれません。
1874年に第1回印象派展が開催されてから150年の節目を迎えることを記念し、東京と大阪を会場に国内外のモネの代表作60点以上※が一堂に会す本展では、モネの代名詞として日本でも広く親しまれている〈積みわら〉〈睡蓮〉などをモティーフとした「連作」に焦点を当てながら、時間や光とのたゆまぬ対話を続けた画家の生涯を辿ります。また、サロン(官展)を離れ、印象派の旗手として活動を始めるきっかけとなった、日本初公開となる人物画の大作《昼食》を中心に、「印象派以前」の作品もご紹介し、モネの革新的 な表現手法の一つである「連作」に至る過程を追います。展示作品のすべてがモネ作品となる、壮大なモネ芸術の世界をご堪能ください。
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Claude Monet(クロード・モネ)(1840-1926)
印象派を代表する画家。1840年11月14日、パリ9区に生まれる。家族の転居に伴い5歳頃からル・アーヴルで暮らす。18歳の頃、風景画家ウジェーヌ・ブーダンの助言により戸外で風景画を描き始め、パリに出て絵を学ぶようになる。1862年には画塾でルノワールら仲間と出会う。1865年、サロンに初入選し、尊敬するマネに「水のラファエロ」と呼ばれる。その後はサロン落選が続き、経済的に困窮する。普仏戦争を機に妻子を連れてイギリスとオランダに滞在。1874年、第1回印象派展を仲間とともに開催。国内外を旅して各地で風景画を精力的に描く。1883年よりセーヌ川流域のジヴェルニーに定住。1880年代後半から自宅付近の〈積みわら〉を「連作」として描き始め、この頃から旅先での制作も「連作」の兆しを見せる。1891年、デュラン=リュエル画廊で〈積みわら〉の 連作15点を公開。この個展が評判を呼び、フランスを代表する画家として国内外で名声を築く。1899年ロンドンに行く。連作はその後〈ポプラ並木〉〈ルーアン大聖堂〉〈セーヌ川の朝〉、ロンドンやヴェネツィアの風景、〈睡蓮〉などのテーマに及ぶ。晩年の制作は〈睡蓮〉が大半となり、眼を患いながら最晩年まで描き続けた。1926年12月5日、ジヴェルニーの自宅で86歳にて死去。ライフワークだった〈睡蓮〉の大型装飾壁画はフランス国家に遺贈される。後半生の作品はカンディンスキーや抽象表現主義の画家たちに影響を与え、モネの再評価につながった。「モネはひとつの眼にすぎない。しかし何という眼なのだろう!」というセザンヌの言葉が有名。
プレスリリースより
https://www.artpr.jp/prs/monet2023
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モネ 連作の情景、上野の森美術館
2023年10月20日(金)~2024年1月28日(日)

2023年3月25日 (土)

憧憬の地 ブルターニュ・・・最果ての地と画家たち

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第319回
最果ての地フィニステールと画家たち
最果ての地、ブルターニュ
フランスの北西端、大西洋に突き出た半島ブルターニュ地方は、モン・サン・ミシェル、カンカル、サン・マロ、レンヌ、ブレスト、カンペール、ナント、深緑の海、険しい断崖の海岸線、平原と深い森、内奥部にロクマリアケールの巨石遺跡がある。フランソワ1世の時代、1532年、フランス王国とブルターニュ公国は統一、アンヌ女公の娘クロード王女を王妃とするフランソワ1世は、ブルターニュに、塩税の免除などいくつかの特権を授けた。15世紀から18世紀、ブルターニュは経済的な黄金時代を迎えた。ブルターニュ公国が法的に廃止されたのはフランス革命中の1789年である。
世紀末の旅人たち
クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926)
クロード・モネは、1886年、ブルターニュのベリール島に降り立った。《嵐のベリール》1886年は、46歳の作品である。妻カミーユを79年に亡くした後、どのような想いでブルターニュに旅立ったのか。
モネは『印象 -日の出(Impression, soleil levant)』1872年。1874年、第1回、印象派展に展示。クロード・モネ『日傘を差す女、 カミーユとジャン・モネ』1875年。1875年7月、カミーユは当時不治の病だった結核にかかり、1879年、32歳の若さで死ぬ。*カミーユ(1847-79旧姓カミーユ・ドンシュー)。
ポール・ゴーガン(Paul Gauguin, 1848-1903)
ゴーガンは、1886年、フェリクス・シュベ・デュバルの勧めで初めてブルターニュ地方を訪れ、ポン・タヴェンに滞在する。1888年1月、ゴーガンはポン・タヴェンを再訪し、秋にゴッホの待つアルルに発つまでここに滞在する。1888年10月、「黄色い家」でのゴッホとゴーガンの共同生活が始まる。1888年12月「耳切り事件」、ゴーガンは2か月でアルルを去る。アルルのゴッホとの共同生活の後、1889年から1890年まで、ブルターニュに制作の地を移す。
1891年4月、ゴーガンは文明社会を逃れるため、パリを離れ、タヒチに向かう。ゴーギャンは、首都パペーテからマタイエアに移り住む。マタイエアで出会う人々と暮らし、鮮烈な色彩で幻想あふれる作品を数多く生みだした。1893年8月、パリに帰国する。1895年9月、再びタヒチに戻る。1901年9月、ヒヴァ・オワ島に移り住み、最晩年の時を過ごす。ポリネシアの黄金の色調に魅了された。ヒヴァ・オワ島にて54歳で死す。
20世紀の旅人
藤田嗣治(1886-1968)
藤田嗣治は、1913年、渡仏、パリのモンパルナスに住む。エコール・ド・パリの画家たちと交友する。シャガール、モディリアーニ、ジュール・パスキン、パブロ・ピカソ、オシップ・ザッキン、モイーズ・キスリング。第一次大戦1914-18。戦時下のパリで、絵が売れず、食事にも困り、寒さのあまりに描いた絵を燃やして暖をとる。
【乳白色の肌の裸婦 藝術家の運命】1917年3月、カフェで出会ったフランス人モデルのフェルナンド・バレエ(Fernande Barrey)と2度目の結婚。初めて絵が売れる。7フラン。シェロン画廊で最初の個展。絵も高値で売れるようになる。1918年、第1次大戦終戦。面相筆による線描を生かした技法による、透きとおる画風を、このとき確立。サロン・ドートンヌの審査員にも推挙される。急速に藤田の名声は高まる。1917年7月、妻フェルナンデスと共に、ブルターニュに滞在する。
岡鹿之助(1889-1973)
岡鹿之助は、1924年、渡仏、渡仏後、藤田嗣治の指導を受ける。1926年6月から3か月、トレガステルに滞在する。同地で描いた《信号台》 1926年、等4点が、1926年サロン・ドートンヌで入選。ブルターニュでの制作は、それまで学んだアカデミックな作風を変え、新しい作風の契機となる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
ウィリアム・ターナー《ナント》 1829年 水彩/紙 ブルターニュ大公城、ナント歴史博物館
ポール・シニャック《ポルトリュー、グールヴロGourvelo, Portrieux》1888年、ひろしま美術館、
クロード・モネ 《嵐のベリール》 1886年 油彩/カンヴァス オルセー美術館(パリ)
クロード・モネ《ポール=ドモワの洞窟》1886 年 油彩/カンヴァス、茨城県近代美術館
ポール・ゴーガン、《海辺に立つブルターニュの少女たち》、1889年 油彩/カンヴァス
国立西洋美術館 松方コレクション
ポール・ゴーガン 《ブルターニュの農婦たち》 1894年 油彩/カンヴァス オルセー美術館(パリ)
アルフォンス・ミュシャ 《岸壁のエリカの花》 1902年 カラー・リトグラフ OGATAコレクション
シャルル・コッテ《悲嘆、海の犠牲者》、1908-09年 油彩/カンヴァス、国立西洋美術館 松方コレクション
シャルル・コッテ《行列》、1913年 油彩/カルトン、国立西洋美術館 松方コレクション
モーリス・ドニ 《花飾りの船》 1921年 油彩/カンヴァス 愛知県美術館
ポール・セリュジエ 《ブルターニュのアンヌ女公への礼賛》 1922年 油彩/カンヴァス ヤマザキマザック美術館 [3月18日(土)〜5月7日(日)展示]
黒田清輝《ブレハの少女》、1891 年 油彩/カンヴァス、石橋財団アーティゾン美術館
藤田嗣治《十字架の見える風景》 1920年、岐阜県美術館
岡鹿之助《信号台》 1926年、目黒区美術館
岡鹿之助《ブルターニュ》 1926年、茨城県近代美術館
岡鹿之助《信号台》 1926年、茨城県近代美術館
山本鼎 《ブルトンヌ》 1920年 多色木版 東京国立近代美術館[3月18日(土)〜5月7日(日)展示]
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参考文献
『憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷』図録2023
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」・・・光の画家たちの光と影
「没後50年 藤田嗣治展」・・・乳白色の肌、苦難の道を歩いた画家
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント・・・糸杉と星の道、種をまく人
憧憬の地 ブルターニュ・・・最果ての地と画家たち
フランスの最北西端、大西洋に突き出た半島を核とするブルターニュ地方は、芸術家と縁の深い土地です。ケルト人を祖にもち、16世紀前半まで独立国であったこの最果ての地フィニステールは、隣国のイギリスとフランスに翻弄されながらも独自の歴史と文化を紡ぎ、フランスの一部となったのちも固有の言語「ブルトン(ブレイス)語」を守りつづけました。またこの地には断崖の連なる海岸線や岩で覆われた荒野、深い森などの豊かな自然とともに、古代の巨石遺構や中近世の宗教遺物が各地に残されています。人々の篤い信仰心や地域色に富む素朴な生活様式も長らく保たれてきました。このように特徴的な自然と歴史文化を擁するフランスの内なる「異郷」は、19世紀以降、新たな画題を求める画家たちを惹きつけてやみませんでした。
本展では、とりわけ多くの画家や版画家たちがブルターニュを目指した19世紀後半から20世紀はじめに着目し、この地の自然や史跡、風俗、歴史などをモティーフとした作品を展覧することで、それぞれの作家がこの「異郷」に何を求め、見出したのかを探ります。また、明治後期から大正期にかけて渡仏し、この地に足を延ばした日本の画家たちの作品と足跡にも光をあてる、これまでにない試みとなります。
国内およそ30か所の所蔵先と海外2館から集められた約160点の作品にくわえ、関連資料もあわせて展示されるこの機会に、皆さんも画家のまなざしを借りてブルターニュの各地をめぐり、芸術を育むその奥深い風土を体感していただければ幸いです。
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憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷、国立西洋美術館、3月18日(土)〜6月11日(日)

2022年6月 8日 (水)

自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』281回

紫陽花咲く、丘を歩いて、美術館に行く。国立西洋美術館、2年間の休館を経て再開した。初夏の匂いが森に満ちている。
【藝術家と運命の戦い】印象派の画家は、光り輝く絵画を描いた。しかし、壮絶な人生を生きた。藝術家と運命の戦い。光陰の中から、運命の女神があらわれ、藝術家を救う。
ロマン主義の画家、フリードリヒは、家族の死、貧困、病気に苦悩した。フリードリヒは、見える世界の彼方に、見えない理想を探求した。月光、夕日、海、浜辺、雪景色、教会の墓地、荒野、森の急流、渓谷、古代の神殿、樫の森の修道院、雪の中の墓地、夕闇の門、その彼方にあるものは何か。
【リアリズムの世紀、アンチリアリズムの世紀】
19世紀はリアリズムの世紀であり、20世紀はアンチリアリズムの世紀である。アンチリアリズムの潮流は、ロマン主義、象徴派として展開する。ラファエル前派はロマン主義の潮流である。「自然と人のダイアローグ」は、19世紀から始まる、風景画の歴史を辿る。第Ⅱ章「彼方」への旅は、アンチリアリズムの淵源、展開を思い出すことができる。
19世紀、古典主義への反抗からロマン主義が生まれ、風景画への志向から写実主義と印象派が生まれ、印象派への反抗から象徴派が生まれる。
【彼方への旅】
彼方への旅は、この世の果て、幻想の世界への旅、古代への旅、心の闇への旅、幻の美女への旅、である。フリードリヒは、アンチリアリズムの世紀の源泉の一つである。
フリードリヒは、象徴的な風景を描いた。月光、夕日、海、浜辺、雪景色、教会の墓地、荒野、森の急流、渓谷、古代の神殿、樫の森の修道院、雪の中の墓地、夕闇の門、その風景は宗教的象徴を秘めている。神秘への入り口である。彼方にあるものは、美と崇高である。
【花吹雪】家の庭に、母が植えた木の花が咲き、風に吹かれて、花吹雪となって、庭に舞う。母の愛犬、トイプードル、高校時代から大学院まで、私を守ってくれたのを思い出す。「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」。私は何を残すことができるのか。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ、夕日の前に立つ女性、1818年
カール・フリードリヒ・シンケル、ビヘルスビルダー近郊の風景、1814年
ヨハン・クリスチャン・クラウゼン・ダール、ピルニッツ城の眺め、1823年
カール・グスタフ・カールス、高き山々、1824年
ギュスターヴ・ドレ、松の樹々、1850年
ギュスターヴ・クールベ、波、1870年
テオドール・シャセリオー、アクタイオンに驚くディアナ、1840年
アルノルト・ベックリン、海辺の城、城の中の殺人、1859年
ギュスターヴ・モロー、聖なる象、1882年
オディロン・ルドン、聖アントワーヌの誘惑、1888年
ポール・ゴーガン、『ノアノア』マナオ・トゥパパウ、死霊が見ている、1893-94年
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展示作品の一部
ウジェーヌ・ブーダン《トルーヴィルの浜》1867年 油彩・カンヴァス 国立西洋美術館
 ウジェーヌ・ブーダンは、ノルマンディーの港町で生まれ、ルアーブルで海辺の風景を描いた。印象派の先駆と呼ばれる。若きクロード・モネ、クールベ、らに影響を与えた。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ《夕日の前に立つ女性》1818年頃 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
ヨハン・クリスティアン・クラウゼン・ダール《ピルニッツ城の眺め》1823年 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館
コピーライト Museum Folkwang, Essen
ポール・セザンヌ《ベルヴュの館と鳩小屋》1890-1892年頃 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
フィンセント・ファン・ゴッホ《刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン゠ポール病院裏の麦畑)》1889年 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
ポール・ゴーガン《扇を持つ娘》1902年、油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
フェルディナント・ホドラー《モンタナ湖から眺めたヴァイスホルン》1915年 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
クロード・モネ《舟遊び》1870、国立西洋美術館
ゲルハルト・リヒター《雲》1970年 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Gerhard Richter 2022 (13012022) コピーライト Museum Folkwang, Essen
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参考文献
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」パナソニック汐留美術館・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
「1894 Visions ルドン、ロートレック展」・・・世紀末の印象派と象徴派、ロマン主義の苦悶
https://bit.ly/3pw5x2g
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント、東京都美術館
https://bit.ly/2W3o6RF
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb
「テート美術館所蔵 コンスタブル展」三菱一号館美術館
https://bit.ly/37TI8ke
自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅
https://bit.ly/3mv4SOc
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Ⅰ章 空を流れる時間
Ⅱ章 「彼方」への旅
Ⅲ章 光の建築
Ⅳ章 天と地のあいだ、循環する時間
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フォルクヴァング美術館と国立西洋美術館は、同時代を生きたカール・エルンスト・オストハウス(1874-1921)と松方幸次郎(1866-1950)の個人コレクションをもとにそれぞれ設立された美術館です。
本展では開館から現在にいたるまでの両館のコレクションから、印象派とポスト印象派を軸にドイツ・ロマン主義から20世紀絵画までの100点を超える絵画や素描、版画、写真を通じ、近代における自然に対する感性と芸術表現の展開を展観します。産業や社会、科学など多くの分野で急速な近代化が進んだ19世紀から20世紀にかけて、芸術家たちも新たな知識とまなざしをもって自然と向き合い、この豊かな霊感源から多彩な作品を生み出していきます。
足元の草花から広大な宇宙まで、そして人間自身を内包する「自然」の無限の広がりから、2つの美術館のコレクションという枠で切り出したさまざまな風景の響き合いをお楽しみください。自然と人の関係が問い直されている今日、見る側それぞれの心のなかで作品との対話を通じて自然をめぐる新たな風景を生み出していただければ幸いです。
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/upcoming.html
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「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」、国立西洋美術館、6月4日(土)~9月11日(日)
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ『朝日の中の婦人』1818-1820、

2021年12月 4日 (土)

イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜・・・水辺の風景、光あふれる田園、陽光の効果

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』261回

【水のある風景画の系譜】印象派に先駆ける人々、バルビゾン派のカミーユ・コロー「川沿いの町、ヴィル・ダヴレー」、レアリスム宣言したギュスターヴ・クールベ「海景色」、フランソワ・ドーヴィニー、海景画家ウジェーヌ・ブーダンは、印象派へとへと展開する先駆である。パリ近郊セーヌ川沿岸での生活風景、波の荒いノルマンディーの海岸の断崖、水面の反映、繊細な表情、鋭い観察眼で叙情的に描いた。
カミーユ・ピサロの描く、光あふれる田園、陽光の効果、日没は、黄金色の幸福な世界が垣間見える。ピサロはカリブ海セント・トーマス島に生まれ1903年パリにて73歳で死す。印象派はリアリズムの世界である。
印象派が追求するのは、見える世界である。印象派に対抗したのは、象徴派、幻想派、超現実主義、ギュスターヴ・モロー、オディロン・ルドンである。
第1回印象派展、1874年モネらによって開催された。第8回1886年まで、全回、参加したのはカミーユ・ピサロだけである。ドガは気難しく友人は少なかった。
モネ43歳、ジベルニーに庭を作り、隠棲。睡蓮、等、描き続ける。モネ「睡蓮:水の風景連作、48点」(1903年から1908年)。晩年のモネは、印象派を超えて、アンチリアリズムの世紀へ迷い込んだ。1907年、相対性理論、1913年プルースト「失われた時を求めて」。
画家は悲惨な人生と引き換えに傑作を生みだす。「この世界という広大な劇場は、我々が演じている場面よりもっと悲惨な見世物を見せてくれる」。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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【藝術家と運命との戦い】画家は、普通の幸せを手に入れるのは幻想である。天才たちでも不可能である。画家は悲惨な人生と引き換えに傑作を生みだす。富豪画家は、ルノワールのみであり、アリーヌと結婚後、世界的成功を収めた。リュウーマチの苦痛に苦しみ、薔薇色の女たちを描き、亡き妻の思い出に生きる。78歳で死す。クロード・モネは、1875年7月、カミーユは不治の病結核にかかり、32歳の若さで死ぬ、モネ39歳。カミーユの死後、人物は描かなかった。ジヴェルニーの庭に籠り、晩年の風景画を描く。「睡蓮」連作は生前、評価されず。ジヴェルニーにて86歳で死す。
ゴッホ、ゴーギャンは、破滅型。ゴッホは37歳で拳銃自殺。ゴーギャンは株式仲買人を辞めて画家になりブルターニュに行きアルルでゴッホと破綻、タヒチからブルターニュに帰り再びタヒチに行き54歳で死す。ジョルジュ・スーラは、早熟な天才、点描画法を生み出したが夭折、32歳で死す。秘密主義で死因も不明。マネ、セザンヌ、親が銀行家で金持ち、だが不幸だった。セザンヌは、妻オルタンスを従順なモデルとして肖像画に描き、67歳でプロヴァンスに死す。
「不幸せなのは我々だけではないようだ。この世界という広大な劇場は、我々が演じている場面よりもっと悲惨な見世物を見せてくれる」『お気に召すまま』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【ゴッホとゴーギャン、破局の物語】ゴーギャン「ひまわりを見ると、君を想い出す」タヒチにて。ゴッホ「君のために、椅子を買った」。1887年出会う。1888年アルルでぶつかり合い すれ違う、ゴッホはなぜ「ひまわり」を描いたのか。耳切事件、なぜ耳を切ったのか。ゴッホはハーグ派、バルビゾン派を経て印象派へ。「宗教は廃れ、神は残る」。1990年自殺。ゴーギャンは株式仲買人を辞めバルビゾン派からピサロの影響で印象派へ。ゴーギャンはテオの資金目当てでアルルへ行く、2ヶ月でゴッホと破局。ゴッホの弟テオは、ゴッホの死後、半年で死ぬ。作品は、テオの妻に託される。ヘレーネ・クレラーミュラーはテオの遺族から購入した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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参考文献
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント・・・糸杉と星の道、種をまく人
https://bit.ly/2W3o6RF
ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス ・・・印象派からエコール・ド・パリ
https://bit.ly/3B9SF7l
イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜・・・水辺の風景、光あふれる田園、陽光の効果
https://bit.ly/3lBauGS
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展示作品の一部
カミーユ・コロー「川沿いの町、ヴィル・ダヴレー」1856
ギュスターヴ・クールベ「海景色」1869
ウジェーヌ・ブーダン《港に近づくフリゲート艦》1894年
クロード・モネ《睡蓮の池》1907年
カミーユ・ピサロ《エラニーの日没》1890年
カミーユ・ピサロ《朝、陽光の効果、エラニー》1899年
レッサー・ユリィ《冬のベルリン》、《雨のポツダム広場》1920年代半ば
レッサー・ユリィ《風景》 1900年頃 油彩/カンヴァス 101.5 × 71.0 cm
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レッサー・ユリィ《夜のポツダム広場》
1920年代半ば、油彩/カンヴァス、79.6 x 100.0 cm、イスラエル博物館蔵 
Photo コピーライト The Israel Museum, Jerusalem by Avshalom Avital
レッサー・ユリィは旧プロセインのポーゼン(現ポーランドのポズナン)近郊の小さな村に生まれた。早くに父を失い、母と二人の兄弟と一緒にベルリンに出てきたのが11歳の時だった。1879年からデュッセルドルフのアカデミーで絵を学び、1887年にベルリンに戻るまでにブリュッセル、パリ、シュトゥットガルトなどの都市で研鑽を積んだ。パリではボナに師事した。美術史上はドイツ印象派として位置づけられているが、作風は時代によって変遷し、多様だ。
当時のドイツ画壇の巨匠、マックス・リーバーマン(1847~1935)の作品の光の効果は、実はユリィが描いたなどと発言したことで疎遠になり、評価の機会を逸したという。生活に困窮し、気難しい性格で「人間嫌い」と評され、私生活も恵まれなかったという。1922年、60歳になって開催した大規模な展覧会でようやくその名声は揺るぎないもになり、油彩のほか、パステル作品も人気を集めた。
1926年に発表された同作は数年後、ベルリンのユダヤ人団体の美術品コレクションに収蔵された。このコレクションをもとに1933年、ベルリンにユダヤ博物館が設立されるが、同年に成立したナチス・ドイツによる弾圧で、同博物館は1938年に閉鎖の憂き目に遭い、《夜のポツダム広場》も他の作品とともに没収された。そして終戦後の1945年、あのゲッベルスが総裁を務めた旧帝国文化院の地下室で再発見。やがてベルリンのユダヤ人返還継承組織を通じて、エルサレムの美術館に送られた。最終的に1965年に開館したイスラエル博物館に収蔵。@art_ex_japanより
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イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜ーモネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン
三菱一号館美術館、2021年10月15日(金)~2022年1月16日(日)
https://mimt.jp/
あべのハルカス美術館、2022年1月28日(金)~ 4月3日(日)

2021年10月 4日 (月)

ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス ・・・印象派からエコール・ド・パリ

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』254回

【藝術家と運命との戦い】画家は、普通の幸せを手に入れるのは幻想である。天才たちでも不可能。画家は悲惨な人生と引き換えに傑作を生みだす。富豪画家は、ルノワールのみであり、アリーヌと結婚後、世界的成功を収めた。リュウーマチの苦痛に苦しみ、薔薇色の女たちを描き、亡き妻の思い出に生きる。78歳で死す。クロード・モネは、1875年7月、カミーユは不治の病結核にかかり、32歳の若さで死ぬ。カミーユの死後、女は描かなかった。ジヴェルニーの庭に籠り、晩年の風景画を描く。「睡蓮」連作は生前、評価されず。ジヴェルニーにて86歳で死す。
マネ、セザンヌ、親が銀行家で金持ち、だが不幸だった。ゴッホ、ゴーギャンは、破滅型。ジョルジュ・スーラは、早熟な天才、点描画法を生み出したが夭折。秘密主義で死因も不明。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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19世紀 ロマン主義、印象派からエコール・ド・パリへ
【ロマン主義】19世紀、ヨーロッパ美術は、ロマン主義、詩人ウィリアム・ブレイク、ジョセフ・ターナーから始まる。ターナーはクロード・ロランの影響を受けた風景画で一世を風靡した。風景画は、コンスタブル、ギュスターヴ・クールベの写実主義へと展開した。ロマン主義は、反古典主義である、ラファエロ前派、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ラファエロ前派兄弟団を生み出した。ターナーの曖昧模糊とした風景画は、印象派モネに影響を及ぼす。
【印象派】第1回印象派展、1874年4月15日、パリ、オペラ座にほど近いカピュシーヌ大通り35番地で開催。モネ「印象、日の出」1873、ルノワール、カミーユ・ピサロ、印象派はパリの都市の憂鬱を癒す田園の風景を描いた。1886年パリにやってきたゴッホは1888年、アルルに旅立つ。1890年37歳で死ぬまで、「種まく人」、「糸杉」、「カラスの群れ飛ぶ麦畑」、最後の作品群を描く。
【象徴派】印象派のリアリズムに背を向け、ギュスターヴ・モローは象徴派の藝術を構築する(「出現」(L'Apparition)1876頃)。象徴派のルドンは、49歳で色彩画に到達する(「キュクロープス」1914)。
【シュルレアリスム】パリのピエール画廊において1925年に開催された「第1回シュルレアリスム」展。マックス・エルンスト、ハンス・アルプ、マン・レイ、ジョルジュ・デ・キリコ、アンドレ・マッソン、ジョアン・ミロ、パウル・クレー、パブロ・ピカソ、アンドレ・ブルトンによる「シュルレアリスム宣言」(1924)に端を発し、30年代まで続いた芸術運動である。
【エコール・ド・パリ】1928年、パリの画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」。パリの異邦人、エコール・ド・パリの画家たちは、藝術思潮ではなく、シャガール、キスリング、モンパルナス(詩人の山)につくられた共同アトリエ「ラ・リューシュ(蜂の巣)」に集った画家たちである。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
【ファムファタール、運命の女】ギュスターヴ・モロー、クリムト、ロセッティ、ラファエロ前派、アルフォンス・ミュシャ、象徴派、幻想の藝術家たち。印象派の時代に反旗を翻した、ロマン主義、象徴派、幻想派の画家たちは運命の女を探求した。
オディロン・ルドンは、20世紀のシュルレアリスムを予言する象徴派である。《神秘的な対話》(1896)は、薔薇色の雲が飛ぶ蒼穹の古代神殿で美女が対話する。魂は果てしなく蒼穹を飛翔する。眼は奇妙な気球のように無限に向かう。ルドンは、ジョルジョ・デ・キリコ、サルヴァドール・ダリ、ポール・デルヴォー、超現実主義の先駆者である。
【アンチリアリズム】19世紀はリアリズムの世紀であり、20世紀はアンチリアリズムの世紀である。(奥泉光『漱石の孤独』)。夏目漱石は1900年、留学。『失われた時を求めて』『フィネガンズヴェイク』の誕生を目撃。『トリストラム・シャンディ』を研究した。リアリズムとアンチリアリズムのその境界に、印象派と幻想派、象徴派の藝術家が活躍した。ロマン主義の苦悶の時代である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【ロマン主義】私は私の敵に腹を立てた 私は黙っていた 私の怒りはつのった そして私は それに恐怖の水をかけ 夜も昼も 私の涙をそそいだそして私は それを微笑の陽にあて 口あたりのよい欺瞞の肥料で育てた。ウィリアム・ブレイク「毒のある木」『経験の歌』
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展示作品の一部
ピエール・オーギュスト・ルノワール《レースの帽子の少女》、1891年、油彩/カンヴァス
アンリ・マティス 《室内:二人の音楽家》 1923年油彩/カンヴァス
ラウル・デュフィ 《パリ》1937年 油彩/カンヴァス
クロード・モネ 《散歩》 1875年 油彩/カンヴァス
クロード・モネ 《サン=ラザール駅の線路》 1877年 油彩/カンヴァス
クロード・モネ《睡蓮》、1907年、油彩/カンヴァス
フィンセント・ファン・ゴッホ《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋 》、1888年、油彩/カンヴァス
ポール・セザンヌ《プロヴァンスの風景》、1879-1882年、油彩/カンヴァス
キスリング《睡蓮》、1929年、
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★参考文献
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント・・・糸杉と星の道、種をまく人
https://bit.ly/2W3o6RF
ルノワール『イレーヌ』・・・非情な運命が襲いかかる、波瀾に立ち向かう
https://bit.ly/2ZlgdIp
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
オディロン・ルドン 夢の起源・・・「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」
https://bit.ly/3DlvCr9
藝術と運命との戦い・・・ジョルジュ・スーラ
https://bit.ly/3EyiuQL
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女・・・デ・キリコ、ダリ、ポール・デルヴォー
https://bit.ly/2vikIlL
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
https://bit.ly/3BmmdyZ
ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス ・・・印象派からエコール・ド・パリ
https://bit.ly/3B9SF7l
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フランス絵画の巨匠28名が一堂集結!
「甘美なるフランス(ラ・ドゥース・フランス)」とは、美しく、穏やかで、稔り豊かなフランスとその文化を賛美するため、古くから親しまれてきた表現です。19世紀後半に出現した印象派の画家たちは、日常生活や余暇の愉しみなど、あるがままのフランスを画題とし、新たな「甘美なるフランス」の世界を描き出しました。その後20世紀のピカソら外国出身の画家についても、作品から伝わってくるのは、彼らの祖国と共にパリのエスプリであり、パリで展開していた芸術活動のまれにみる豊かさです。
本展は「女性像」「パリ」「旅」の3つをキーワードに、ポーラ美術館(箱根・仙石原)のコレクションから印象派~エコール・ド・パリまでの時代にフランスで活躍した、人気画家の絵画74点を厳選して展示。
本展では、ポーラ美術館のコレクションより印象派からエコール・ド・パリの時代にフランスで活躍した人気画家の絵画74点を厳選し、当時のパリジェンヌたちが愛用したアール・ヌーヴォーとアール・デコの化粧道具12件と併せてご紹介します。Bunkamuraザ・ミュージアムでは2006年に開催し大好評を博した『渋谷で出会う ポーラ美術館の印象派コレクション』展より15年ぶり、2回目の開催となります。
時代や様式を超えて受け継がれる「甘美なるフランス」の美意識をぜひご堪能ください。
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/21_pola
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「ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス」Bnnkamuraザ・ミュージアム
11月15日(月)~11月23日(火・祝)

2021年9月22日 (水)

ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント・・・糸杉と星の道、種をまく人

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第253回

金木犀の香り漂い、銀杏の実が降り積もる森、トイプードルを散歩させる婦人が彷徨する森、初秋の森を歩いて、美術館に行く。
【ヘレーネは何故ゴッホの絵画を収集したのか】ヘレーネ・クレラー=ミュラーは、ゴッホの藝術に、精神性、魂の叫びを見出し、共感した。神学校に入り牧師になろうとしたが挫折したゴッホ、ヘレーネはキリスト教に馴染めず、ゴッホの魂の真実に響きあい共鳴、ゴッホ作品、油彩画90点、素描・版画180点、計270点を収集した。ゴッホ作品最大の州主家である。
【破天荒な無頼放浪派】ゴッホは、破天荒な無頼放浪派であり、官僚事務官のベラスケス、職人型フェルメールとは雲泥の差がある。
【不幸な人生】
ゴッホは、人間関係を構築できない、孤立を極めた。家族と社会との軋轢に苦悩した。
フィンセント・ヴァン・ゴッホは、1853年3月30日、フロート・ズンデルト村に生まれた。祖父と父は牧師。男3人、女3人の6人兄弟の事実上の長男。1869年(16歳)美術商グーピル商会に就職するが解雇。1876年(23歳)新聞広告で知った英国の小学校教師の職を得て、仏語、独語を教える。ロンドン近郊の貧民街の様子に衝撃を受ける。1878年(25歳)ブリュッセルの伝道師養成学校に入る。79年、半年間の期限付き、伝道師になるが解任。1885年(32歳)3月、父が脳卒中で急死。父子は最後まで理解し合えず。
27歳、画家になる決意をするが作品は売れず、弟テオだけが彼を援助した。売れた絵は生涯1枚だけ。ゴッホは、ゴーガンに剃刀をもって襲いかかる。アルルにて耳切り事件、オーベール・シュル・オワーズにて拳銃自殺、2日後37歳で死す。油絵約850点を残す。4か月後、弟テオ、死す。宮澤賢治がゴッホ『糸杉』を愛好した『春と修羅』。ゴッホは、人間関係を構築できず苦悩した。
【画家生活10年】ゴッホは、10年間で、2000枚のデッサン、850枚の絵画を描いた。ゴッホが描かなかった絵画がある、それは何故か。
【ゴッホの謎】何故、ゴッホは、画廊勤務、伝道師を辞めたのか。何故、ゴッホは、ゴーガンに剃刀をもって襲いかかり、アルルにて耳切り事件、拳銃自殺したのか。
【藝術家、思想家と運命との戦い】思想と藝術を生みだすのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、魔術である。敵との闘争における武器である。思想家は人生の戦いにどう挑み、逆襲するのか。美のイデアのための戦いである。思想と藝術は悩める人の魂を癒す音楽である。醜悪な敵との正義の戦い。思想は悲しみと苦しみから生まれる。
【レオナルドが描いて、ゴッホが描かなかったテーマ】ゴッホが描かなかったテーマは何か。レオナルド、ボッティチェリ、ラファエロ、ティツィアーノ、ジョルジョーネ、ミケランジェロ、ブロンズィーノ、巨匠はヴィーナスを描いた。ルノワールは、こればかり描いた。
【印象派画家たち、絶望的人生】印象派の画家は、ほとんどゴッホのように絶望的人生を生きた。画家として成功した富豪画家がいる。
【魂の叫び】美しい心は美しい言葉となる。心は言葉になり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は性格となり、性格は運命となる。運命に歯向かい、逆境と戦う、美麗な王妃は、残虐王に幽閉され、美を探求する王子は、残虐な王に虐待される。
【運命との戦い、美の女神】藝術家、思想家は、運命と戦う。邪知暴虐と戦い、この世の闇の彼方に美を求める。虚無の神殿にて、美の女神へ供物を捧げる。美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい夕暮れ。美しい魂に、美の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【ゴッホの人と藝術】
ゴッホ、画家活動10年、27歳から37歳、1880年から1890年まで。
【ゴッホ、ハーグ派、灰色派】ハーグ時代、ハーグ派、灰色派、第二のレンブラント、ヨゼフ・イスラエルス「貧しい人々の暮らし」、バルビゾン派、ミレイ「種をまく人」(1850)を尊敬、影響を受ける。ゴッホの師、アントン・マウフェ「雪の中の羊飼いと羊の群れ」。ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」1885。
【パリ】1886年、パリに行く。パリ以後、「自画像」を40枚描く。「パリの屋根」1886。印象派の父、カミーユ・ピサロに会う。浮世絵の国日本に憧れアルルへ旅立つ。
【ゴッホ、アルルへ】1888(35歳)、ゴッホ、35歳でアルルに移住する。10月、「黄色い家」でのゴーガンとの共同生活が始まる。1888年12月、(35歳)「耳切り事件」、ゴーガンは2か月でアルルを去る。ゴッホ「麦畑」アルル1888。「種をまく人」(1888)3枚(クレラー・ミュラー、ファン・ゴッホ美術館、「日没を背に種をまく人」ビュールレ・コレクション)。「ひまわり」(1888)7枚。描く。「ローヌ川の星月夜」1888。「アルルの跳ね橋」1988。
【ゴッホ、サン・レミ時代】独自の境地に到達する、ゴッホ「糸杉」サン・レミ1889年6月(メトロポリタン美術館)。ゴッホ「薔薇」サン・レミ。
【オーベール時代】ゴッホ最後の2か月。ゴッホ「カラスの群れ飛ぶ麦畑」オーベール・シュル・オワーズ1890。ゴッホ「星月夜」オーベール・シュル・オワーズ。
【ゴッホ、最後の境地】ゴッホ「糸杉」サン・レミ1889。ゴッホ「薔薇」サン・レミ。オーベール・シュル・オワーズ時代、ゴッホ最後の2か月。ゴッホ「カラスの群れ飛ぶ麦畑」オーベール・シュル・オワーズ1890。「糸杉と星のある道」1890、ゴッホ「星月夜」オーベール・シュル・オワーズ。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
「種をまく人」(1888)クレラー・ミュラー美術館
「糸杉と星のある道」≪夜のプロヴァンスの田舎道≫オーベール・シュル・オワーズ1890年5月12-15日頃、クレラー・ミュラー美術館
「黄色い家」(1888)ファン・ゴッホ美術館
「ジャガイモを食べる人々」版画1885クレラー・ミュラー美術館
「悲しむ老人」『永遠の門にて』1890クレラー・ミュラー美術館
ジョルジュ・スーラ「ポール・アン・ベッソンの日曜日」1888クレラー・ミュラー美術館
ルドン「キュクロープス」1914。クレラー・ミュラー美術館。象徴派、花と目の画家。謎の人生。謎のドムシー伯爵と交流。ルドンは、なぜ50歳で色彩画を描き始めたのか。
――
参考文献
ゴッホ、上野の森美術館・・・ハーグ派、灰色派から印象派、糸杉への道
https://bit.ly/3hySZ7S
「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」東京都美術館
http://bit.ly/2zluV3g
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb
印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで・・・枯葉舞う秋の夕暮れ
https://bit.ly/2Mwg63Z
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84
「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」国立新美術館2010
https://bit.ly/3Cf9rCk
「ゴッホ展 孤高の画家の原風景」東京国立近代美術館2005年3月23日~5月22日
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント・・・糸杉と星の道、種をまく人
https://bit.ly/2W3o6RF
――
六道輪廻と観音菩薩「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」東京国立博物館・・・純粋な美しい魂
https://bit.ly/2C0ZL2f
――
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
https://bit.ly/2uUs3pu
藝術と運命との戦い・・・ジョルジュ・スーラ
https://bit.ly/3EyiuQL
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女・・・デ・キリコ、ダリ、ポール・デルヴォー
https://bit.ly/2vikIlL
――
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の芸術に魅了され、その世界最大の個人収集家となったヘレーネ・クレラー=ミュラー(1869-1939)。ヘレーネは、画家がまだ評価の途上にあった1908年からおよそ20年で、鉄鉱業と海運業で財をなした夫アントンとともに90点を超える油彩画と約180点の素描・版画を収集しました。ファン・ゴッホの芸術に深い精神性を見出したヘレーネは、その感動を多くの人々と分かち合うべく、生涯にわたり美術館の設立に情熱を注ぎました。
本展では、クレラー=ミュラー美術館からファン・ゴッホの絵画28点と素描・版画20点を展示します。また、ミレー、ルノワール、スーラ、ルドン、モンドリアンらの絵画20点もあわせて展示し、ファン・ゴッホ作品を軸に近代絵画の展開をたどる、ヘレーネの類まれなコレクションをご紹介します。
さらに、ファン・ゴッホ美術館から《黄色い家(通り)》を含む4点を展示し、20世紀初頭からファン・ゴッホの人気と評価が飛躍的に高まっていく背景にも注目します。
1. ヘレーネのファン・ゴッホ・コレクション
ヘレーネのコレクションから、糸杉の傑作《夜のプロヴァンスの田舎道》や《種まく人》をはじめ、選りすぐりのファン・ゴッホの絵画・素描・版画、計48点をご紹介します。
2. ファン・ゴッホの画業を辿る
ヘレーネは早くから美術館の設立を考えたため、質の高い作品を選び、初期から晩年までの画業が辿れるよう体系的に収集しました。本展でも画業の初期の素描から最晩年の絵画までをお楽しみいただけます。
3. 《黄色い家(通り)》
ヘレーネのコレクションに加え、ファン・ゴッホの没後、弟テオ、妻ヨー、そしてその息子フィンセント・ウィレムへと引き継がれたファン・ゴッホ家のコレクションから、《黄色い家(通り)》を含む4点の絵画も特別に出品されます。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2021_vangogh.html
――
ゴッホ展――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント
東京都美術館、2021年9/18~12/12
福岡市美術館、2021年12月23日(木)から2022年2月13日(日)まで
名古屋市美術館、2022年2月23日(水)から4月10日(日)まで

2019年10月29日 (火)

ゴッホ、上野の森・・・ハーグ派、灰色派から印象派、糸杉への道

Gogh2019
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第196回
嵐の予兆の午後、森を歩いて美術館に行く。嵐の前の静かな森。その後、台風19号が吹き荒れ、日曜日は快晴となり、荒れた森を歩いて正倉院展に行く。
ゴッホは、破天荒な無頼放浪派であり、官僚型事務官のベラスケスとは天と地の差がある。
ゴッホは、孤立の道を極めた。ゴッホは、人間関係を構築できない。父と死別、仕事を辞める。画家になる決意をするが作品は売れず、弟テオだけが彼を援助した。ゴッホは、ゴーガンに剃刀をもって襲いかかる。アルルにて耳切り事件、オーベール・シュル・オワーズにて拳銃自殺、37歳で死す。油絵約850点を残す。4か月後、弟テオ、死す。宮澤賢治がゴッホ『糸杉』を愛好したのは、奇しき因縁か。修羅を救う守護精霊は、十一面観音である。修羅の道を歩く苦難の藝術家に、守護精霊、十一面観音が舞い降りる。
十一面観音は、怒りと争いの修羅道を救う。不空羂索観音は、四苦八苦の人道を救う。如意輪観音菩は、神通力をもつ天人を救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
【ゴッホ、画家活動10年、27歳から37歳】
【ゴッホ、ハーグ派、灰色派】ハーグ時代、ハーグ派、灰色派、第二のレンブラント、ヨゼフ・イスラエルス「貧しい人々の暮らし」、バルビゾン派、ミレイ「種をまく人」を尊敬、影響を受ける。ゴッホの師、アントン・マウフェ「雪の中の羊飼いと羊の群れ」。ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」1885。1886年、パリに行く。パリ以後、「自画像」を40枚描く。「パリの屋根」1886。印象派の父、カミーユ・ピサロ。
【ゴッホ、アルルへ】1888(35歳)、ゴッホ、35歳でアルルに移住する。10月、「黄色い家」でのゴーガンとの共同生活が始まる。1888年12月、(35歳)「耳切り事件」、ゴーガンは2か月でアルルを去る。ゴッホ「麦畑」アルル1888。
【ゴッホ、サン・レミ時代】独自の境地に到達する、ゴッホ「糸杉」サン・レミ1889。ゴッホ「薔薇」サン・レミ。【オーベール時代】ゴッホ最後の2か月。ゴッホ「カラスの群れ飛ぶ麦畑」オーベール・シュル・オワーズ1890。ゴッホ「星月夜」オーベール・シュル・オワーズ。27歳から37歳、1880年から1890年まで。
【ゴッホ、最後の境地】ゴッホ「糸杉」サン・レミ1889。ゴッホ「薔薇」サン・レミ。オーベールシュル・オワーズ時代、ゴッホ最後の2か月。ゴッホ「カラスの群れ飛ぶ麦畑」オーベール・シュル・オワーズ1890。ゴッホ「星月夜」オーベール・シュル・オワーズ。27歳から37歳、1880年から1890年まで。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい思想家と藝術家の運命を、守護精霊、観世音菩薩が救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命の戦い 藝術家と運命の女』
――
展示作品の一部
ヨゼフ・イスラエルス「貧しい人々の暮らし」1903、ハーグ美術館
ヨゼフ・イスラエルス「縫い物をする若い女」1880、ハーグ美術館
アントン・マウフェ「雪の中の羊飼いと羊の群れ」1887、ハーグ美術館館
ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」1885、ハーグ美術館
カミーユ・ピサロ「ライ麦畑 グラット・コックの丘、ポントワーズ」1877静岡県立美術館
クロード・モネ「クールブヴォワのセーヌ河岸」1878年モナコ王宮 コレクション
ゴッホ「麦畑」アルル1888、P. & N. デ・ブール財団
ゴッホ「糸杉」サン・レミ1889、メトロポリタン美術館
ゴッホ「薔薇」サン・レミ1890、ワシントン・ナショナルギャラリー
――
参考文献
「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」東京都美術館
http://bit.ly/2zluV3g
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb
印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで・・・枯葉舞う秋の夕暮れ
https://bit.ly/2Mwg63Z
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84
「没後120年  ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」国立新美術館2010年10月1日〜12月20日
「ゴッホ展   孤高の画家の原風景」東京国立近代美術館2005年3月23日~5月22日
六道輪廻と観音菩薩「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」東京国立博物館・・・純粋な美しい魂
https://bit.ly/2C0ZL2f
――
監修、ハーグ美術館館長、ベンノ・テンペル
鮮やかな色彩と勢いのある筆づかいで今も世界中から愛されているフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。37年の生涯のうち画家として活動したのはたった10年に過ぎず、代表作のほとんどは晩年のわずか数年間で描かれたものでした。
 27歳の頃に画家を志した当初は、オランダで「ハーグ派」と交流しながら、暗い色彩で農村風景や静物などを描いていたファン・ゴッホ。目にした風景や事物をデッサンし、それを元に抒情的な光景を描いたハーグ派との邂逅によって、画家としての基礎を身につけました。その後、弟テオの勧めで移り住んだパリで「印象派」と出会い、鮮やかな色づかいが生む効果に驚き、独自の作風を確立していきます。
 世界各国からファン・ゴッホの作品約40点が集結する本展では、《糸杉》など晩年の代表作に加え、貴重な初期作品も来日。さらに、「ハーグ派」のマウフェやラッパルト、「印象派」のモネ、ルノワール、ピサロなど、彼に大きな影響を与えた画家による作品約20点も展示。画家としての原点を示す初期の画業から始まり、ポスト印象派を代表する画家になるまでの劇的な成長過程を辿ります。
ゴッホは、いかにしてゴッホになったのか。ハーグ派と印象派…“ふたつの出会い”によって導かれたファン・ゴッホの、短くも濃密な画業を堪能できます。
オランダで交流した「ハーグ派」、フランスで目にした「印象派」という“ふたつの出会い”に焦点を当て、ゴッホ独自の画風がどのようにして生まれたのかを明らかにします。
第1章、ハーグ派に導かれて
第2章、印象派に学ぶ
プレスリリースより
https://www.sankei.jp/pressreleases/2019/04/137940
――
★「ゴッホ展」上野の森美術館(10月11日~2020年1月13日)
上野の森美術館(2019年10月11日~20年1月13日)
兵庫県立美術館(2020年1月25日~3月29日)大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第146回
嵐の予兆の午後、森を歩いて美術館に行く。嵐の前の静かな森。その後、台風19号が吹き荒れ、日曜日は快晴となり、荒れた森を歩いて正倉院展に行く。
ゴッホは、破天荒な無頼放浪派であり、官僚型事務官のベラスケスとは雲泥の差がある。
ゴッホは、孤立の道を極めた。ゴッホは、人間関係を構築できない。父と死別、仕事を辞める。画家になる決意をするが作品は売れず、弟テオだけが彼を援助した。ゴッホは、ゴーガンに剃刀をもって襲いかかる。アルルにて耳切り事件、オーベール・シュル・オワーズにて拳銃自殺、37歳で死す。油絵850点を残す。4か月後、弟テオ、死す。宮澤賢治がゴッホ『糸杉』を愛好したのは、奇しき因縁か。修羅を救う守護精霊は、十一面観音である。修羅の道を歩く苦難の藝術家に、守護精霊、十一面観音が舞い降りる。
十一面観音は、怒りと争いの修羅道を救う。不空羂索観音は、四苦八苦の人道を救う。如意輪観音菩は、神通力をもつ天人を救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
【ゴッホ、画家活動10年、27歳から37歳】
【ゴッホ、ハーグ派、灰色派】ハーグ時代、ハーグ派、灰色派、第二のレンブラント、ヨゼフ・イスラエルス「貧しい人々の暮らし」、バルビゾン派、ミレイ「種をまく人」を尊敬、影響を受ける。ゴッホの師、アントン・マウフェ「雪の中の羊飼いと羊の群れ」。ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」1885。1886年、パリに行く。パリ以後、「自画像」を40枚描く。「パリの屋根」1886。印象派の父、カミーユ・ピサロ。
【ゴッホ、アルルへ】1888(35歳)、ゴッホ、35歳でアルルに移住する。10月、「黄色い家」でのゴーガンとの共同生活が始まる。1888年12月、(35歳)「耳切り事件」、ゴーガンは2か月でアルルを去る。ゴッホ「麦畑」アルル1888。
【ゴッホ、サン・レミ時代】独自の境地に到達する、ゴッホ「糸杉」サン・レミ1889。ゴッホ「薔薇」サン・レミ。【オーベール時代】ゴッホ最後の2か月。ゴッホ「カラスの群れ飛ぶ麦畑」オーベール・シュル・オワーズ1890。ゴッホ「星月夜」オーベール・シュル・オワーズ。27歳から37歳、1880年から1890年まで。
【ゴッホ、最後の境地】ゴッホ「糸杉」サン・レミ1889。ゴッホ「薔薇」サン・レミ。オーベールシュル・オワーズ時代、ゴッホ最後の2か月。ゴッホ「カラスの群れ飛ぶ麦畑」オーベール・シュル・オワーズ1890。ゴッホ「星月夜」オーベール・シュル・オワーズ。27歳から37歳、1880年から1890年まで。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい思想家と藝術家の運命を、守護精霊、観世音菩薩が救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命の戦い 藝術家と運命の女』
――
展示作品の一部
ヨゼフ・イスラエルス「貧しい人々の暮らし」1903、ハーグ美術館
ヨゼフ・イスラエルス「縫い物をする若い女」1880、ハーグ美術館
アントン・マウフェ「雪の中の羊飼いと羊の群れ」1887、ハーグ美術館館
ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」1885、ハーグ美術館
カミーユ・ピサロ「ライ麦畑 グラット・コックの丘、ポントワーズ」1877静岡県立美術館
クロード・モネ「クールブヴォワのセーヌ河岸」1878年モナコ王宮 コレクション
ゴッホ「麦畑」アルル1888、P. & N. デ・ブール財団
ゴッホ「糸杉」サン・レミ1889、メトロポリタン美術館
ゴッホ「薔薇」サン・レミ1890、ワシントン・ナショナルギャラリー
――
参考文献
「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」東京都美術館
http://bit.ly/2zluV3g
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb
印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで・・・枯葉舞う秋の夕暮れ
https://bit.ly/2Mwg63Z
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84
「没後120年  ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」国立新美術館2010年10月1日〜12月20日
「ゴッホ展   孤高の画家の原風景」東京国立近代美術館2005年3月23日~5月22日
六道輪廻と観音菩薩「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」東京国立博物館・・・純粋な美しい魂
https://bit.ly/2C0ZL2f
――
監修、ハーグ美術館館長、ベンノ・テンペル
鮮やかな色彩と勢いのある筆づかいで今も世界中から愛されているフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。37年の生涯のうち画家として活動したのはたった10年に過ぎず、代表作のほとんどは晩年のわずか数年間で描かれたものでした。
 27歳の頃に画家を志した当初は、オランダで「ハーグ派」と交流しながら、暗い色彩で農村風景や静物などを描いていたファン・ゴッホ。目にした風景や事物をデッサンし、それを元に抒情的な光景を描いたハーグ派との邂逅によって、画家としての基礎を身につけました。その後、弟テオの勧めで移り住んだパリで「印象派」と出会い、鮮やかな色づかいが生む効果に驚き、独自の作風を確立していきます。
 世界各国からファン・ゴッホの作品約40点が集結する本展では、《糸杉》など晩年の代表作に加え、貴重な初期作品も来日。さらに、「ハーグ派」のマウフェやラッパルト、「印象派」のモネ、ルノワール、ピサロなど、彼に大きな影響を与えた画家による作品約20点も展示。画家としての原点を示す初期の画業から始まり、ポスト印象派を代表する画家になるまでの劇的な成長過程を辿ります。
ゴッホは、いかにしてゴッホになったのか。ハーグ派と印象派…“ふたつの出会い”によって導かれたファン・ゴッホの、短くも濃密な画業を堪能できます。
オランダで交流した「ハーグ派」、フランスで目にした「印象派」という“ふたつの出会い”に焦点を当て、ゴッホ独自の画風がどのようにして生まれたのかを明らかにします。
第1章、ハーグ派に導かれて
第2章、印象派に学ぶ
プレスリリースより
https://www.sankei.jp/pressreleases/2019/04/137940
――
★「ゴッホ展」上野の森美術館(10月11日~2020年1月13日)
上野の森美術館(2019年10月11日~20年1月13日)
兵庫県立美術館(2020年1月25日~3月29日)

2019年9月14日 (土)

コートールド美術館展、魅惑の印象派・・・「フォリー=ベルジェールのバー」、鏡の中の世界

Courtauld201909
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』191回
大風が吹き荒れ嵐が去った朝、銀杏の実が落下して散り敷いた広場、森を歩いて美術館に行く。
【藝術家と運命との戦い】マネは「草上の昼食」「オランピア」で革新を起し、世間の無理解と批判に苦しみ、1880年から病苦と戦い、最後の作品を描き、51歳で死す。1890年から死後の名声が始まる。
思想は悲しみと苦しみから生まれる。思想と藝術を生みだすのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、魔術である。敵との闘争における武器である。思想家は人生の戦いにどう挑み、逆襲するのか。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
エドゥアール・ マネは、周密精到な写実主義画家だが、1853年、【ヴェネツィア、フィレンツェへ旅】し、ヴェネツィア派やスペインの巨匠の作品を研究した。「草上の昼食」(1862–1863)「オランピア」(1865)によって、伝統的な絵画の約束事を破る、絵画界にスキャンダルを巻き起こした。ティツィアーノ『田園の合奏』1511『ウルビーノのヴィーナス』1538を研究、摸写した成果であった。モデルの女性は、ヴィクトリーヌ・ムーランである。
マネは『オランピア』への批判に意気消沈、ブリュッセルにいたボードレールに宛て手紙を書いた。8月から【スペインへ旅】をした。プラド美術館に行きベラスケスを研究した。
印象派グループ展への参加を拒絶したが、モネとの交流は続いた。1880年から病苦と戦い、「フォリー=ベルジェールのバー」1882を描き、翌年、左足を切断したが、死亡した。
【「フォリー=ベルジェールのバー」1882】エドゥアール・ マネ(1832-1883)、50歳、最晩年の作品。この作品を完成した翌年にマネは死去した。
フォリー・ベルジェールは、1869年にオープンしたミュージックホール。マネは、ドガと同様、富裕層の出身で父は法務官僚であった。
バーメイドは娼婦でもあった。ギ・ド・モーパッサン(1850-1893)『ベラ・ミ』は、バーメイドのことを「酒と愛の売人」と表現した。マネの売春婦の比喩である。「草上の昼食」(1862–1863)「オランピア」(1865)でも見られる画家活動初期からの一貫した表現。フォリー・ベルジェール劇場は、売春婦を買う場所でも有名だった。ドガ「エトワール」(1876-77)の踊り子も娼婦の暗喩である。
【鏡の中の世界】鏡の前に、バーメイドの女性が立ち、取り仕切っているように見える。左右にシャンパンやビール。後ろには鏡があり、シャンデリアの下で客が飲食している店内の鏡像がひろがる。
画面のほとんどすべては鏡像の中である。観客席のなかに、マネの恋人、メリー・ローランが描かれている。
鏡の前に、孤立する暗鬱な表情のバーメイド。モデルは、シュゾンというウェイトレス。彼女をモデルにアトリエで描かれた。鏡の前に、紳士とバーメイド、二人は対話していない。鑑賞者はバーメイドの正面ではなく、右側に立っており、バーメイドと対面している。
【「ラス・メニーナス」1656】マネは画家ディエゴ・ベラスケスを尊敬しており、ベラスケスの「ラス・メニーナス(女官たち)」1656年作を基盤にした作品と解釈される。【『ラス・メニーナス』1656】フェリペ4世のマドリード宮殿の画室。5歳のマルガリータ王女。彼女を取り囲む、お付きの女官、侍女、目付役、2人の小人と1匹の犬。背後に、大きなカンバスに向かうベラスケス。ベラスケスの視線は、絵画の空間を超えて、絵の鑑賞者自身の立ち位置の方向に向けられる。背景には鏡がかかり、王と王妃の上半身が映っている。王と王妃は、鑑賞者と同じ位置にいる。画中の人は、鑑賞者に向かって注意を向け、幾人かが互いに交流している。
【藝術家と運命との戦い】藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。
【思想家と運命との戦い】思想と藝術を生みだすのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、魔術である。敵との闘争における武器である。思想家は人生の戦いにどう挑み、逆襲するのか。思想家の戦いは美のための戦いである。思想と藝術は悩める人の魂を癒す音楽である。醜悪な敵との戦い。思想は悲しみと苦しみから生まれる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
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展示作品の一部
エドゥアール・ マネ「フォリー=ベルジェールのバー」(1882)
エドゥアール・ マネ 「草上の昼食」(1863年頃)
ピエール=オーギュスト・ルノワール「桟敷席」1874年
ポール・セザンヌ「カード遊びをする人々」1892-96年頃
ポール・ゴーガン「ネヴァーモア」1897年。エドガー・ポー『大烏』に想を得た、第2次タヒチ滞在期の作品。
ポール・ゴーガン「テ・レリオワ」1897年。
ジョルジュ・スーラ「クールプヴォワの橋」1887。点描技法を用いた史上最初の作品。
ドガ「舞台上の二人の踊り子」1874年
ドガ「足の裏側をみる踊り子」ブロンズ
ゴッホ「花咲く桃の木々」1889
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参考文献
三浦篤「≪≪フォリー=ベルジェールのバー」をめぐる考察」『コートールド美術館展、魅惑の印象派展』図録
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
エドガー・ドガ『エトワール』、一瞬の中にある永遠の美・・・孤独な藝術家
https://bit.ly/2QZZS3s
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
http://bit.ly/2Ho8bR0 
【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。敵との闘争における武器なのだ。いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。パブロ・ピカソ
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84
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ロンドンにあるコートールド美術館のコレクションから、印象派・ポスト印象派の作品を紹介します。実業家サミュエル・コートールドが収集したコレクションを核に1932年に設立された同館は、美術史や保存修復において世界有数の研究機関であるコートールド美術研究所の展示施設です。本展覧会では、その研究機関としての側面にも注目し、画家の語った言葉や同時代の状況、制作の背景、科学調査により明らかになった制作の過程なども紹介し、作品を読み解いていきます。
 日本の風景のようだと語られたファン・ゴッホによるアルルの風景《花咲く桃の木々》、19世紀後半の近代都市パリの風俗を映すルノワールの《桟敷席》やマネの《フォリー=ベルジェールのバー》、科学調査が作品の秘密を解き明かしたゴーガンの《ネヴァーモア》やモディリアーニの《裸婦》などをはじめ、選りすぐりの絵画・彫刻約60点を展示します。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_courtauld.html
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★コートールド美術館展、魅惑の印象派、東京都美術館、9月10日(火)~12月15日(日)
愛知県美術館、2020年1月3日(金)~3月15日(日)
神戸市美術館、2020年3月28日(土)~6月21日(日)

2018年4月24日 (火)

「プーシキン美術館展 旅するフランス風景画」・・・藝術家と運命との戦い

Pushkin2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第144回
春爛漫、花盛り、紫の躑躅咲く。新緑の森を歩いて、美術館に行く。印象派の絵画は、光の絵画であり、輝く光があふれる。その陰には運命との戦いがある。
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術家と運命との戦い』
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クロード・モネ、藝術家と運命との戦い
クロード・モネ(Claude Monet, 1840—1926)。若き日、貧困にあえぐ。愛する女の死と悲しみから藝術が生まれる。貧乏な画家のモネはカミーユと恋に落ち、子供が生まれる。モデルを雇うお金がないモネが描く人物画は、カミーユがモデルを務めている。
1879年、モネの妻カミーユ32歳で死す。のちに、支援者オシュデの令嬢18歳のシュザンヌ・オシュデを描く。
1859、19歳でパリに行き、カミーユ・ピサロに出会う。
1866年、恋人カミーユ・ドンシューを描く。『カミーユ、緑衣の女』1866、サロンに出展、絶賛される。1867年、カミーユ、未婚のままモネとの間に長男を出産、1870年にようやく結婚した。
1867、モネ『海辺のテラス、サンタドレス』。
1871年、アルジャントゥイユに移る。
モネ『印象 -日の出(Impression, soleil levant)』1872年。1874年、第1回、印象派展に出展。クロード・モネ『日傘を差す女、 カミーユとジャン・モネ』1875年。
1878年、同じくセーヌ川沿いのヴェトゥイユに住み、パトロンであるエルネスト・オシュデとその妻アリス・オシュデの家族と同居生活。
1875年7月、カミーユは当時不治の病だった結核にかかり、1879年、カミーユ(1847—79旧姓カミーユ・ドンシュー)は32歳の若さで死ぬ。モネ39歳。以後、人物画を描くことはまれになった。
1883年アリス・オシュデとモネ、両家の子供たちはジヴェルニーに転居する。モネ、43歳。モネはその後1892年にアリス・オシュデと再婚。
1886年、第8回印象派展開催(最後)モネ不参加。
1893年ジヴェルニーの邸に隣接する土地を購入。1893年頃から北斎に惚れ込み、日本庭園を作る、リュ川から水を引き日本風の太鼓橋を配置、睡蓮を浮かべた「水の庭」を制作。99年から死ぬまで続くモネの代表作「睡蓮」連作に取り組む。
1911年アリスが亡くなり、息子のジャンも14年に先立つ。
1926年ジヴェルニーで死去。享年86歳。
1927年オランジュリー美術館に「睡蓮」大連作展示。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
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【クロード・モネ「草上の昼食」1866年】
クロード・モネが26歳の頃、1866年に描いた「草上の昼食」。パリ近郊のフォンテーヌブローでピクニックを楽しむ若者たち。モネが敬愛したエドゥアール・マネ「草上の昼食」(1862年頃オルセー美術館所蔵)に触発されて描いた。モデルの女性は、当時モネと出会ったばかりの恋人、後に妻となるカミーユ。紳士はモネの友人で画家だったフレデリック・バジール。カミーユは32歳で死ぬ。
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展示作品の一部
クロード・ロラン「エウロペの掠奪」1655年
ユベール・ロベール「水に囲まれた神殿」1780年
クロード・モネ「草上の昼食」1866年
クロード・モネ「白い睡蓮」1899年
ルノワール「ムーラン・ドラ・ギャレットの木陰」1876年
ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山、レ・ローヴからの眺め」1905年
アンリ・ルソー「馬を襲うジャガー」1910年
ポール・ゴーギャン「マタモエ、孔雀のいる風景」1892年
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大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
クロード・モネ『日傘の女』・・・カミーユの愛と死
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-2d7c.html
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html
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珠玉のフランス絵画コレクションで知られるモスクワのプーシキン美術館から、17世紀から20世紀の風景画65点が来日します。神話の物語や古代への憧憬、あるいは身近な自然や大都市パリの喧騒、果ては想像の世界に至るまで、描かれた時代と場所を軸にフランス近代風景画の流れをご紹介します。様々な情景を舞台にした風景画は、その土地のにおいや太陽の煌めき、風にそよぐ木々や街のさざめきをも感じさせてくれます。
なかでも、初来日となるモネの《草上の昼食》では、同時代の人物たちとみずみずしい自然の風景が見事に調和しています。印象派の誕生前夜、26歳となる若きモネの魅力溢れる作品です。ほかにもロラン、ブーシェ、コロー、ルノワール、セザンヌ、ゴーガン、ルソーらの作品が集います。新緑の上野で、巨匠たちが愛した光と色彩が躍る美しい風景を巡る「旅」をどうぞお楽しみください。
http://www.tobikan.jp/exhibition/2018_pushkin.html
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★「プーシキン美術館展 旅するフランス風景画」東京都美術館、4月14日-7月8日
「プーシキン美術館展 旅するフランス風景画」国立国際美術館2018年7月21日(土)~10月14日(日)