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戦国時代

2017年2月26日 (日)

暗殺の世界史 正義と虚偽の戦い

LucreziaborgiaCesareborgia暗殺の世界史 正義と虚偽の戦い

大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
権力者による暗殺、正義のための暗殺、報復の暗殺、思想弾圧、暗殺には、様々な形がある。アレクサンドロスのフィリッポス暗殺は聖なる弑逆、敵の謀を討つ迎撃である。
織田信長による信行殺害は、報復、反し討ち、敵の謀を討つ迎撃である。
世界史の舞台における名高い暗殺は、フィリッポス2世、カエサル暗殺、ローマ皇帝カリギュラ暗殺がある。
紀元前336年 - ピリッポス2世暗殺。后と子アレクサンドロス大王による。王によって弟に相続されることを予防した。敵の謀を討つ。
紀元前44年3月15日 - カエサル暗殺。犯行の首謀者はブルートゥスとカッシウス。
41年1月24日 - カリグラ、親衛隊により暗殺。その妻子も同時に殺害される。
59年3月 - 小アグリッピナ、息子のネロにより暗殺。
なぜ、殺し合うのか。
地位とカネと権力を独占する者と自由を追求する者との戦いがある。性格の不一致があり、生きかたの根源的対立がある。

最高の指揮官は、敵の戦略を見抜き、敵の謀を討つ。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する魂の神殿を旅する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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★【敵の謀を討つ】信玄、信長
武田信玄
武田信玄の父、武田信虎は、信玄が賢いのを嫌い、弟の信繁を次期当主にしようと考えた。武田信玄は、暴虐な父、信虎を追放した。武田信玄は、知将である。
暴虐な父は、長男を憎み、弟を溺愛する。長男は、父を討ち、弟を反し討ちする。
古代の王家、戦国武将、藝術家の家 父は、長男を憎み、弟を溺愛する。
織田信長
織田信長は、父の位牌に焼香を投げつけた。家臣団は、弟信行に家督を奪わせようとした。信行は、信長に謀反を起した。信長を、謀殺しようとした。
織田信長は、弟信行を反し討ちにした。★
大久保正雄「戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹」
https://t.co/TtfGTKcUEL
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★【金王朝、独裁の系譜】
金正日は、三男金正恩に、権力を継承させた。金正恩は、長男、金正男を暗殺した。金正恩は、金正男の存在を隠蔽した。
独裁を批判する兄は、独裁者の弟によって、暗殺された。
金正男氏「弟に殺される」。金正男氏が、弟金正恩氏に、暗殺された。
王朝の息子が死去 金正男氏はなぜ殺害されたのか 
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-38977508
文化的な人が、暴虐な独裁者によって、暗殺されるという世の例である。
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暗殺事件の一覧
http://bit.ly/2ly4JeR

★【ルネサンス】16世紀の暗殺
1536年8月10日 - フランス王フランソワ1世の長男の王太子フランソワ毒殺。黒幕は不明。次男アンリの妃カトリーヌ・ド・メディシスに嫌疑がかけられるが、結局、犯人は出ず、アンリが王位継承者に選ばれる。
1537年1月5日 - 初代フィレンツェ公アレッサンドロ・デ・メディチ暗殺。犯人は弟脈のロレンザッチョことロレンツィーノ・デ・メディチ。これによってコジモ・デ・メディチ以来続く兄脈は断絶し、フィレンツェの支配権は弟脈のコジモ・デ・メディチ(コジモ1世)に移った。
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★軍人皇帝時代のローマ帝国の暗殺
192年12月31日 - ローマ皇帝コンモドゥス暗殺。
193年3月28日 - ペルティナクス帝、近衛兵により暗殺。先帝コンモドゥスの将軍。
217年4月6日 - ローマ皇帝カラカラ、パルティア遠征中に親衛隊長官により暗殺。
222年3月11日 - マルクス・アウレリウス・アントニウス帝(通称エラガバルスあるいはヘリオガバルス)、近衛兵によって暗殺。
235年3月18日 ? - ローマ皇帝アレクサンデル・セウェルス暗殺。
238年 - ローマ皇帝マクシミヌス・トラクス、息子、側近たちと共に親衛隊によって暗殺。
251年9月 - ローマ帝国の軍人皇帝アエミリアヌス、自軍内で暗殺。
253年8月 - ローマ皇帝トレボニアヌス自軍内で暗殺。
268年 - ローマ皇帝ガリエヌス、クラウディウス・ゴティクス、アウレリアヌスに暗殺される。
275年 - ローマ皇帝アウレリアヌス、秘書のエロスにより毒殺。
282年 - ローマ皇帝プロブス、自軍の兵士により暗殺。
284年11月 - ローマ共同統治帝ヌメリアヌス、ペルシア戦役からの帰還中謀殺。
285年7月 - ローマ皇帝カリヌス、クーデターにより殺害。
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★【ボルジア家】の暗殺史
ボルジア家は、毒薬によって貴族、枢機卿を暗殺し、カネと地位を奪った。
黒幕はボルジア家と言われるが、いずれも確かな証拠はない。
1495年2月25日 - オスマン帝国の帝位請求者ジェム・スルタン毒殺。ジェムはバヤズィト2世の弟で、兄と帝位を争って敗れ、イタリアに亡命していたが、ローマ教皇アレクサンデル6世の元で庇護を受ける。フランス軍に引き渡され、ナポリへ移動中、不審な死を遂げた。毒殺と言われる。
1495年 - ヴェネツィアでミケロッティ枢機卿暗殺。
1497年6月14日 - アレクサンデル6世の次男ホアン・ボルジア暗殺。黒幕はホアンの実兄チェーザレ・ボルジアと噂された。
1500年7月15日 - ナポリ王子アルフォンソ(チェーザレの妹ルクレツィア・ボルジアの夫)が襲われ、一命は取り留めたが、数日後に謎の衛兵によって殺害される。
1500年 - チェーザレ・ボルジアの従兄ボルジャ枢機卿、変死。
1502年12月 - チェーザレ・ボルジアによるオルシーニ家とヴィテッリ家の抹殺。和解を装いオルシーニ家とヴィテッリ家の4人を謀殺。
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暗殺事件の一覧
http://bit.ly/2ly4JeR
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大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/FmdQyofuL9
★戦国時代
大久保正雄「戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹」
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織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
http://bit.ly/2kJdW0C
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
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才能を見つける能力に卓越した織田信長 伯楽は常にはあらず
https://t.co/HNvwfmygMQ
若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
http://bit.ly/2lB5DIn
戦国武将、織田信長 骨肉の抗争
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★ルクレツィア・ボルジア Lucrezia Borgia(1480~1519)
★チェーザレ・ボルジア Cesare Borgia(1475~1507)
★Assassination of Julius Caesar
Death of Julius Caesar
★La Mort de César (ca. 1859–1867) by Jean-Léon Gérôme

2017年2月15日 (水)

戦国武将、織田信長 骨肉の抗争

Nambanbyoubu_kanounaizen_lisbon_2Nobunaga_2戦国武将、織田信長 骨肉の抗争
王家、武将、藝術家、骨肉の争い、殺し合い、相続をめぐる争い
戦国時代。陰謀、裏切り、だまし討ち、下剋上、何でもありの乱世。
理念を追求する人は、天のために戦う。
美しい魂は、生死をのり超えて、美しい理念を探求する。美の化身となる。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する不滅の魂の神殿に旅する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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■織田信長 織田信秀の葬儀、弟信行の暗殺 23歳天才の出発
織田信長(1534、5月12日—1582、6月2日)は、尾張国の古渡城主・織田信秀(永正5年1508年—天文20年3月3日1551年4月8日)の嫡男である。
織田信長は、嫡男であったが、家臣団は、弟の信行を次期当主にしようとした。弟の信行は、信長を騙して相続しようとした。このため、信長は、家臣に命じて弟の信行を謀殺した。
■織田信長、大うつけ
織田信長は、「大うつけ」で有名だった。既成の価値観にとらわれず、形式主義と階級を嫌った。伝統習慣、常識、階級、既成概念に囚われない。常識はずれの人であった。既成の価値観にとらわれず、革新性に溢れていた。
奇妙な服装、異様な振る舞い。これが、既存体制、アンシャンレジームの破壊、「天下布武」へと向かう。
■織田信秀の葬儀
織田信秀は、43歳で亡くなる。
天文20年(1551年)、「父信秀の葬儀の際、兄信長は仏前で抹香を投げつけるという不行跡を示した。」対して、勘十郎信勝(=信行)は「折目高なる肩衣・袴めし候て、あるべきごとくの御沙汰なり」(『信長公記』)。正装をして礼儀正しく振舞っており、対照的であった。
*織田信行(1536—1557)、信勝から、達成、信成、信行。名を変える。
1557年弘治2年11月2日、信長が病気との報を受け、柴田勝家に「信長殿を騙して譲り状を書かせてしまえば信友殿もいない今、織田家はあなたのものです」と諭された。
清洲城へ信長の見舞いに行ったが、織田信長は河尻秀隆ら(あるいは池田恒興)に殺害を命じて、清洲城北櫓天主の次の間で、織田信行(織田信勝)は暗殺された。(享年22歳) *「織田信長を謀殺しようとして返り討ちにあい、織田信長の目の前で自刃した」説もある。
■父を殺害
戦国時代、斉藤義龍、大友宗麟、伊達政宗は、父を殺害し、家督を相続している。
■父を幽閉
伊達晴宗は、対立した父植宗を幽閉した。1542年、天文の乱である。
■兄弟の権力争い
織田信長、伊達政宗、今川義元、毛利元就、最上義光は、兄弟の権力争いが発生し、兄弟を殺害に追い込む。
■桓武天皇、弟、早良親王を冤罪で追放
奈良時代末期、桓武天皇は、早良親王を権力の座を狙っていると邪推し追放。殺された早良親王。早良親王は、無実の罪に憤慨して憤死した。延暦4年(785年)、造長岡宮使、藤原種継暗殺事件に連座して廃され、乙訓寺に幽閉された。無実を訴えるため絶食、淡路国に配流された。
死後、平城京に祟った。桓武はその祟りを怖れ、早良親王を「崇道天皇」と追称、都を安京に移した。
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■人質にされた徳川家康
徳川家康は、織田家の人質であった。後の徳川家康、松平竹千代は岡崎城主・松平広忠の長男として生まれるが、松平家は弱小な一地方豪族だった。臣従していた今川家に人質として送られることになったが、道中で略奪され、今川家と争っていた織田家の人質となる、織田家の人質時代に信長と交流があった。
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★参考文献
大久保正雄「戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹」
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
http://bit.ly/2kJdW0C
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
https://t.co/CT3F3RZN2H
才能を見つける能力に卓越した織田信長 伯楽は常にはあらず
https://t.co/HNvwfmygMQ
若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
http://bit.ly/2lB5DIn
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/FmdQyofuL9
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★狩野内膳「南蛮屏風」「南蛮人渡来図」(1570~1616)
★織田信長
★狩野永徳「洛中洛外図」1565
★カラヴァッジオ「ホロフェルネスの首を斬るユディト」1599
★ベラスケス「ブレダの開城」1635
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
2017年2月15日

2016年7月30日 (土)

戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹

Kano_eitoku_1565_4Nobunaga大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第66回 織田信長と藝術
戦国時代年代記 織田信長と芸術

陰謀うずまく戦国時代。謀略、諜報、情報操作、暗殺、毒殺、包囲網、政略結婚、人質、奇襲作戦、裏切り。
うつけ者を装った織田信長、明晰透徹、冷徹な合理主義者とイタリア人によばれた。
織田信長は、旧制度と対決、創造と革新の生涯を生きる。藝術と城を作り出し、時間に散った。
ルネサンスは、15世紀、イタリアの戦国時代である。陰謀うずまくルネサンス。謀略、諜報、情報操作、暗殺、毒殺、包囲網、政略結婚、人質、奇襲作戦、裏技。殺戮にあけ暮れる法王、貴族、銀行家、傭兵隊長。
フィレンツェは、包囲網を敷かれ、孤立しつつあった。包囲網を解いたのが、ロレンツォ・メディチ。フィレンツェ包囲の原因は、ルネサンスの創造と革新である。
人生は冒険である。美しい魂に、美しい天使が舞い降りる。見守る美しい天使。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

【戦国武将、死亡率80%】
戦国武将、死亡率80%。凡庸な者が生き残る。才能ある者は旗印となり死亡。
戦国時代、優秀な者は旗印となり死亡。桓武天皇は、優秀な皇族を陰謀、左遷で潰し、殺戮。弟早良親王は、自害。怨霊となり、御霊神社となる。御霊は六柱。
大学院博士課程、死亡率95%、愚昧な者が生き残る時代。優秀な者はつぶされる。
織田信長。織田一族、殺さなければ殺される。十二人兄弟のうち生き残ったのは二人。死亡率83%。【織田有楽斎】1547-1621。【戦国武将】激しい殺し合い。死亡率80%。凡庸ゆえ生き残った者たち。【競争社会】凡庸な者が出世する国、非凡なものは嫉妬され殺される。博士課程、死亡率95%。

★明晰透徹な織田信長
【織田信長】非凡をみぬく器量。13歳の少年の非凡を見ぬき厚遇。才能を発掘、生かす天才。深謀遠慮。
【織田信長、非凡をみぬく器量】才能を発掘、生かす天才。現代階級社会は、凡庸が出世する時代。

【織田信長】明晰透徹、俊敏奔放、英邁果断、勇猛強忍、剛毅果断『イエズス会日本通信』
【明晰透徹】明晰透徹、アイディアの奔流が溢れる。部下、戦々兢々。
【切腹より撤退】藤吉郎釜ヶ崎の退き口。元亀元年(1570)4月20日
見栄と外聞を捨てて生き残りを図る。信長、正親町天皇の綸旨による勅命講和。

★【信長包囲網】戦国時代末期より安土桃山時代にかけて発生した反織田信長連合。
信長包囲網、第一次-第三次包囲網。
1570元亀元年(1570年)4月、浅井氏、三好三人衆、荒木氏、一向衆の叛旗。
1571元亀2年(1571年)織田信長と足利義昭の対立。織田信長と足利義昭の対立。武田信玄の死と包囲網瓦解
1576天正4年、毛利氏、上杉氏の本格介入と松永久秀の謀叛。
【信長包囲網第1次】元亀元年、生涯最大の窮地、志賀の陣、正親町天皇の綸旨による勅命講和。
【信長包囲網第2次】天正元年足利義昭との戦い。天皇による勅命講和。
【信長包囲網第3次】天正8年石山本願寺との戦い。天皇による勅命講和。

★織田信長、藝術と創造と革新
【織田信長】1534-1582
【狩野永徳】1543-1590
★1574【織田信長】狩野永徳『洛中洛外図屏風』(1565)
将軍足利義輝が日本最高の絵師、狩野永徳に描かせ、永禄8年(1565)に完成。義輝没後に織田信長が入手して、上杉謙信へ贈った。1574年
★1579【安土城の謎】天正七1579年竣工、織田信長、安土城天主、七層建て五階六階の塔。仏教、儒教、道教の世界観の絵画。

1567【天下布武】沢彦宗恩が、伝授。臨済宗妙心寺派の僧が、教示。
「天下布武」、公家と寺家、天皇官僚制と旧制度を破壊することを目指した。

★織田信長が、恐れた武将は、二人だけである。
【武田信玄】1521-1573 【上杉謙信】1530-1578
1553-64【戦国史上最大の戦い】武田信玄、上杉謙信。川中島の戦い、5回、12年余りに及ぶ。
1560【桶狭間の戦い】織田信長、3千の兵で、5万の今川義元を破る。
1571【比叡山】元亀二1571年、比叡山延暦寺、根本中堂、焼き討ちは無かった。小和田哲男
1580【南蛮寺】天正八1580年、織田信長、安土城下、南蛮寺建設許可。【ルイス・フロイス】永禄十二1569年、織田信長、ルイス・フロイスに京都居住、キリスト教布教を許可。
【楽市楽座】織田信長。楽市楽座、公家、寺院を追いつめる。
【堺を支配】直轄地。足利義昭に要求。堺、大津、草津に代官設置。

【織田信長をめぐる美女】
【生駒吉乃】織田信長、最愛の女、生駒吉乃は超美人。情報収集に優れる豪商の娘。【美人薄命】織田信長、最愛の女、生駒吉乃は奇妙丸を産み、三九歳で死ぬ。
【絶世の美女、織田信長、妹お市】美貌と悲劇的な生涯。絶世の美女と謳われながら、二十一歳までどこにも嫁がずにいた。
浅井長政 の元にお市が嫁ぎ、婚姻関係となった浅井家と織田家は同盟を結ぶ。六角家を浅井家と共同で攻撃して、滅亡させる。浅井長政は、義を重んじて 「朝倉家」 に付くことを決意。「金ヶ崎」で 朝倉家 と対陣中だった織田軍を攻撃する準備を進める。
信長の妹「お市」は、「陣中見舞い」 と称して袋の両端を紐で結んだ小豆を信長に送った。 信長はこれを見て、「織田軍が前も後ろも塞がれている」ことを悟り、浅井家が寝返った事を察した。
長 は浅井家攻撃の準備を進め、そして再び近江に出陣、浅井軍は朝倉家に救援を求め、浅井・朝倉連合軍 として 織田家 と対峙する。
この戦いは「姉川の合戦」と言われ、織田信長 の生涯の中でも1つのポイントになった戦い。「姉川の合戦」で、兵力に勝る織田軍は合計 13 段の陣を構えた。多重の陣で浅井家の突撃を抑える作戦。
【髑髏盃】織田信長。天正二年一月一日、織田信長が義景、浅井久政長政父子のどくろの杯で酒宴を楽しむ。三つの首。親衛隊馬廻衆に酒宴。しかし、信長は酒を飲まなかった。

【織田信長 茶会】千利休は51歳の1573年、1575年(53歳)に、織田信長主催の京都の茶会に参加。茶会は宴会。利休は、信長と48歳、1570年、出会う。
羽柴秀吉、柴田勝家、池田恒興、丹羽長秀などの織田家臣、茶の湯に励む。
1582年6月1日【織田信長 最期の茶会】天正十年、本能寺にて信長が茶会。
利休60歳。信長48歳。1582年6月1日、本能寺にて信長が自慢のコレクションを一同に披露する盛大な茶会が催される。この夜、信長は明智光秀の謀反により、多数の名茶道具と共に炎に散った。
【本能寺の変】天正十年、6月1日夜。明智光秀、謀反の原因。怨恨説、野心説、黒幕説。
怨恨あり得ない。小和田哲男、谷口克広『集中講義』P.166

【当世一の美女、信長の妹】お市、弘治三年(一五五七)から信長と一緒に清洲城で暮らす。二十一歳まで嫁がず。
【悲劇の美人三姉妹】信長の姪、浅井三姉妹、武将浅井長政と正室市との間に生まれた3人の娘、茶々、初、江。各々、豊臣秀吉・京極高次・徳川秀忠の妻(正室・側室)となった。織田信長の姪という血筋に生まれ、悲劇の美人三姉妹。

【織田信長の趣味】
「夢幻のごとくなり、一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」桶狭間の合戦出陣の際に舞う。幸若舞「敦盛」の一節「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり、一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」、螺ふけ、具足をよこせ。
桶狭間の合戦、今川義元の率いる二万五千の軍に対し、四千名の手勢で急襲、出陣の際に舞った。
1574【蘭奢待】東大寺蘭奢待を切らせる。
1575【茶会】天正三年、茶会に利休を招く。
1576【安土城】天正四年、築城開始、狩野永徳を安土城天主閣障壁画に起用。
天正七年、天主閣完成。7階5層。天正十年、炎上。
―――
★狩野永徳「洛中洛外図屏風」1565年
★織田信長
★【織田信長】参考文献
小和田哲男『集中講義 織田信長』新潮社
小和田哲男『戦国合戦事典』PHP 文庫
小和田哲男『名城と合戦の日本史』新潮社
小和田哲男監修『芸術・美術・建築からわかる日本史』
小和田哲男「洛中洛外図 日付から読み取れた信長の恐るべき外交術」2002
小和田哲男『日本国宝物語』ベスト新書
泉秀樹『戦国なるほど人物事典』PHP文庫2003
泉秀樹『織田信長と戦国武将天下取りの極意』講談社+α文庫 2007
泉秀樹『戦国武将伝 織田信長』PHP2004
谷口克弘『織田信長合戦全録』中公新書
『図解 戦国史』成美堂出版
堺屋太一他『信長 天下一統の前に悪などなし』プレジデント社2007
黒田日出男『謎解き洛中洛外図』岩波新書1996
黒田日出男「狩野永徳《上杉本洛中洛外図屏風》金雲に輝く名画の謎を読む」
http://artscape.jp/study/art-achive/1207045_1982.html
大久保正雄2016年7月30日

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