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建築

2023年6月21日 (水)

ガウディとサグラダ・ファミリア展・・・ガウディ「降誕の正面」、森を表現した内部空間、石のバイブル

Gaudi-sagrada-2023
Gaudi-sagrada-familia-interior-2023
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第332回

青春の日々、春の夕暮れ、モンセラート修道院を訪れ、モンセラートの奇岩、モンセラートの糸杉、モンセラート美術館を見たのを思い出す。未完の聖堂サクラダ・ファミリアとは何か。奇岩の山、糸杉を思い出す。
【ガウディの創造の源泉】サクラダ・ファミリア、ガウディ「降誕の正面」は、モンセラートの奇岩、糸杉のイメージがあると思う。ガウディの創造の源泉は、生命の象徴、生命のフォルム、大地の浸食、建築のオリエンタリズム、建築家は幾何学者、森の聖堂、がある。と分析されている。
【早春のイベリア半島、バルセロナの思い出】
雪のチューリッヒ空港からイベリア半島の夜景を見下ろす夜間飛行でリスボンへ。リスボンからアンダルシア、アルハンブラ宮殿、トレドを旅して、マドリード空港から地中海を見下ろし、バルセロナへ飛行した。マドリード、ティッセン・ボルネミサ美術館「エル・グレコ展」を見たのを思い出す。
バルセロナ、ランブラス通り、ロエベ本店、ボケリア市場、海の見えるモンジュイックの丘、カタルーニャ広場、サクラダ・ファミリア、カサ・ミラ、カサ・バトリョ、グエル公園、カタルーニャ美術館、モンセラート修道院。
【グエル公園、不思議の国のアリス】1900年から1914年、アントニ・ガウディと出資者のグエル伯爵によって造られた庭園式の分譲住宅地。しかし当時、2人が目指した芸術性の高い斬新なデザインは市民に理解されず、買い手が付かない、その後、公園として市に寄付された。園内は洞窟の建築、神殿のような大階段、色鮮やかなタイルで飾られたトカゲ、蛇のオブジェが出迎え、その先にはグリム童話のお菓子の家がある。まるで夢の世界に迷い込んだ不思議の国のアリス。
【カサ・バトリョ(1904-6)、カサ・ミラ(1906-10)】モンセラート修道院から、夕暮れのバルセロナに帰ってきた。夕暮れの町を歩くと、カサ・バトリョ、カサ・ミラに人が集まっている。カサ・ミラの屋上に登り、屋根を歩くと、夜の闇が降りてきた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【ガウディ、生涯と藝術】
【アントニ・ガウディ(1852-1926)、サグラダ・ファミリア】ガウディが二代目の建築家に就任した1883年から1926年に亡くなるまで40年以上、聖堂の設計と建設に心血を注ぐ。樹木のように枝分かれした柱によって「森」を表現した内部空間、身廊部、「降誕の正面」彫刻。建築造形、キリストの到来と幼・青少年時代を表現する「石のバイブル」として構想し、聖書の物語を表す浮彫と彫像で全面を装飾。
【ガウディの創造の源泉】ガウディの言葉「人間は創造しない。人間は発見し、その発見から出発する」「自然は私の師だ」
ガウディは、路面電車にはねられ73歳で死去。グエル公園、カサ・バトリョ、カサ・ミラ、サクラダ・ファミリア聖堂を残した。
ガウディの没後、スペインの内戦が勅発すると、聖堂の一部は破壊され、図面類は焼失、模型も粉砕されて建設は中断を余儀なくされたが、ガウディによる備蓄基金をもとに、修復工事と模型の復元が行われて工事は再開。
【サクラダ・ファミリア、ガウディ以後】
ガウディ計画を引き継ぐ、「降誕の正面」を飾る外尾悦郎と「受難の正面」を飾るJ.M.スビラクスの彫刻がある。
【ガウディ、世界遺産】1984年、ガウディの作品3件が「アントニ・ガウディの作品群」として、ユネスコの世界遺産に登録された。近代建築では初めてとなる快挙。2005年には、さらに4件が追加された。世界遺産に登録されたことで、ガウディの名声はより一層高まり、世界的な知名度を獲得した。
【ガウディ、断食】1894年の四旬節の時期、ガウディは体が弱り寝たきりになるほどの激しい断食を行う。もともと徹底した菜食主義者で粗食だが、仕事上の問題や過重労働による心身両面の疲労から、宗教心が高揚したためではないかと言われる。このときの断食は、バルセロナの新聞で報道された。
【ガウディ、幼少期】ガウディは1852年6月25日にスペイン中部のレウスという町で生まれました。幼い頃は肺感染症やリウマチ関節炎などに苦しめられ、病弱な幼少期を過ごした。「この子は大人になるまで生きられないかもしれない」と医者から言われるほどだったが、なんと彼は兄妹の誰よりも長い人生を送った。
【ガウディ、家業】ガウディの両親は、ともに銅板器具職を営む家系の出身、幼少時から家業の銅板細工に親しんでいた。装飾デザインのセンスや、建築家として空間をイメージする力が育まれていく。実際、彼は作業現場で自ら鉄を叩いて見事な鉄細工を作り上げたこともあった。
【ガウディ、学生時代】建築家になるために、ガウディは1868年にバルセロナに向かう。建築学校では「できの悪い学生だった」と回顧しているが、図書館で資料を読み漁り、有名建築家の下で実務に携わって実践的な技術を身につけていく。彼が建築家の資格を取得したのは、故郷を離れて10年後の1878年。
【ガウディ、パリ万国博覧会1878】ガウディは、バルセロナで有名な「クメーリャ革手袋店」がパリ万国博覧会(1878年)での展示用ショーケースのデザインを任される。メタルフレーム・総ガラス張りでデザインされたモダンなケースを気に入り、ガウディの才能を高く評価したのが、後に生涯のパトロンとなるアウゼビ・グエル。
【ガウディ、生涯のパトロン、グエル】フィンカ・グエルやグエル公園、ガウディは「グエル」と名のつく建築を数多く手掛けた、それらは彼の生涯のパトロンであったアウゼビ・グエルから依頼された仕事である。グエルの支援のもと、約40年にわたり、ガウディは自由で独創的なデザインセンスを存分に発揮した仕事ができた。
【ガウディ、恋】ガウディは生涯独身を貫いたが、仕事が軌道に乗っていた30代には、何人かの女性に恋する。お相手に婚約者がいたり、修道女になってしまったり、ガウディの恋はいずれも苦い結末を迎える。のちにガウディは「自分は結婚に向いていないタイプだった」と当時を振り返る。
【ガウディ、聖職者以上の知識を身につける】若い頃は迷いも多かったガウディだが、サグラダ・ファミリア聖堂の主任建築家に任命されたことが転機になる。キリスト教の専門書を愛読、優れた聖職者と交流を重ね、信仰心を深めていく。晩年のガウディは聖職者以上の知識を身につけ、典礼時などに神父を困らせる。
【ガウディ、交通事故】1926年6月7日、ガウディは仕事帰りに教会へ向かう途中で市電にはねられる。その粗末な身なりから、3台のタクシーに病院搬送を拒否された。3日 後、ガウディは病院で息を引き取る。葬儀では、ガウディを運ぶ馬車の後ろに多くの市民が行列をつくり、街路を埋め尽くした。
【サクラダ・ファミリア、6つの塔】2021年12月、聖堂の中央に位置する6つの塔のうち、頂点に星を頂くマリアの塔が完成、2022年12月、4つの福音書作家の塔のうち、ルカとマルコの塔が完成した。建設作業は現在も進み、残るマタイとヨハネの塔は2023年11月に、聖堂中央の最も高い塔となるイエスの塔は2026年までの完成を予定している。
――
丹下 敏明「問題はガウディの手が実現したのが全体の10分の1。現在の全貌は果たして誰が作者なのかという事です。当然ですが、自分たちの仕事を正当化したいのは人情でしょうが、今のサグラダ・ファミリアがガウディのものと言えるか?厳しい所があると思います。」
梵 寿綱「内部の森林て的な構造はよく解析したと敬意を表しますが、ガウディ自身が生存中に完成し得ないと覚悟して残した「誕生の門」の元型にこそ、彼がキリストの生誕を象徴として込めた、もっと初源的な意味があることを読み取るべきでしょう。世俗にまみれたキリスト教由来の彫刻を多数取り付けたことで、ガウディの壮大な構想は卑近なものに引き下げられたように思えます。
――
展示作品の一部
アントニ・ガウディ《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:女性の顔の塑像断片》 1898-1900年、サグラダ・ファミリア聖堂 コピーライトFundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família
アントニ・ガウディ《植物スケッチ(サボテン、スイレン、ヤシの木)》 1878年頃、
レウス市博物館
アントニ・ガウディ《クメーリャ革手袋店ショーケース、パリ万国博覧会のためのスケッチ》 1878年、名刺の裏、レウス市博物館
《サグラダ・ファミリア聖堂、全体模型》 2012-23年、制作:サグラダ・ファミリア聖堂模型室、サグラダ・ファミリア聖堂 コピーライトFundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família
《サグラダ・ファミリア聖堂、身廊部模型》 2001-2002年、制作:サグラダ・ファミリア聖堂模型室、西武文理大学 photo:後藤真樹
アントニ・ガウディ《植物スケッチ(サボテン、スイレン、ヤシの木)》 1878年頃、
レウス市博物館
「降誕の正面」を飾る彫像も自ら手掛けるなど建築・彫刻・工芸を融合する総合芸術志向にも光を当て、100 点を超える図面、模型、写真、資料に最新の映像をまじえながらガウディ建築の豊かな世界を展示。
サグラダ・ファミリア聖堂受難の正面、鐘塔頂華 コピーライトFundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família
――
参考文献
塔の中の王女たち 『アルハンブラ物語』
https://t.co/tLAjHOtwau
大久保正雄『地中海紀行』第10回 P35
トレド、時が歩みを止めた町
https://t.co/1HyT6px0yn
哀愁の大地スペイン 西方の真珠コルドバ
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-45d0.html
大久保正雄「地中海紀行」第5回 P16
アンダルシアの光と影 コルドバ 列柱の森メスキータ
https://t.co/DZe7sDXFiy
「ガウディとサグラダ・ファミリア」図録、2023
ガウディとサグラダ・ファミリア展・・・ガウディ「降誕の正面」、森を表現した内部空間、石のバイブル
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-f98c8f.html
――
東京国立近代美術館
https://www.momat.go.jp/exhibitions/552
https://gaudi2023-24.jp/highlights/
――
ガウディとサグラダ・ファミリア展
東京国立近代美術館、6月13日から9月10日

2022年1月30日 (日)

白井晟一・・・孤立の城、荒野の礼拝堂、ロマン主義建築家の反逆

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Shiraiseiichi-2021
Shiraiseiichi-2010
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』268回

私は、学生時代、白井晟一の建築《親和銀行本店》、白井晟一著『無窓』に出会い、その意味について考えてきた。
私は世界の建築を旅した。偉大な建築家とは、フェイディアス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、アントニ・ガウディ、等である。偉大な建築家は、成果主義、競争主義の社会に反抗する古典主義、ロマン主義である。
白井晟一の建築は、モダニズムに対立するロマン主義建築である。経済至上効率優先の近代主義に対立するロマン主義である。成果主義、競争主義の現代社会に反抗するロマン主義。中世の礼拝堂のドーム、ノアの箱舟のような建築である。天への意志、孤独、理性の苦悩、理想と現実との戦い、絶望の荒野、崇高な者への尊敬、崇高な美、精神の孤立、哲学者の洞窟、荒野の礼拝堂、氷の海、断崖に建つ寺院、を表現していると私は思う。
ロマン主義藝術家とは、ウィリアム・ブレイク、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ギュスターヴ・モロー、アンチリアリズムの藝術家である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【魅力的な建築家】魅力的な建築の建築家はだれか。フェイディアス、アントニ・ガウディ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、黒川紀章、白井晟一、丹下健三、村野藤吾、吉田五十八、堀口捨巳、谷口吉郎、
安藤忠雄、隈研吾、菊竹清訓、ザヒ・ハディド、梵寿綱。
――
建築家・白井晟一(1905~83)。京都で生まれ、独創的なスタイルの建築から「哲学の建築家」と評された1905年に京都に生まれた白井は、正規の建築教育を受けていないとされており、独学の建築家とも称されてきた。しかし、学んでいた京都高等工芸学校の図案科では近代建築のパイオニアである本野精吾が教鞭をとっており、その前任者も建築家・武田五一であった。
欧州留学時代の白井と、作家・林芙美子がパリで出会ったのは有名なエピソード。貴公子のような若き白井に恋する林、かたや社会主義思想に夢中で、ソビエト旅行を企てていた白井。「白井君」が登場する林の『パリ日記』。
《親和銀行本店》
長崎の《親和銀行本店》(現・十八親和銀行佐世保営業部)。商店街に建つ、ふたつの巨大な量塊、まるで隕石かノアの箱舟のようである。何気ない日常風景の中に、全く別の時間的・空間的な位相が差し込まれている。事実に圧倒される。
《親和銀行東京支店》
「親和銀行東京支店」、銀座の三原橋にあった建築は、ボリュームのある基壇と上部にまっすぐ伸びていく上部で構成されており、「ノアビル」などにも共通する意匠がみられる。銀行の店舗ながらも、内部は礼拝堂のような雰囲気で、都心の一角にありながらも内部は非常に静かだったと伝えられる。
秋田県湯沢市「稲住温泉」は、武者小路実篤も通った由緒ある旅館。白井晟一設計の「離れ」《嵐亭》《漣亭》《杉亭》は白井氏の設計を残しながら快適な滞在ができるようにリノベーションされている。3部屋どれもが個性的。
《滴々居》
伝説的な自邸《滴々居》(1951~67)の前の白井晟一、裸電球がぶら下がり、表札は荒壁に直書き。トイレはなく、途中まで屋根が未完で雨が滴り落ちるので「滴々」居―このミニマルの極みの生活から数々の壮大な建築案は生まれた。
《虚白庵》
晩年の白井は前の自邸《滴々居》とはうって変わり、重厚な《虚白庵》で昼夜逆転の生活を送った。内部は壮麗な闇の空間で、手探りで進む来訪者が思わずつまずくと、奥の書斎机の灯に浮かぶ白井晟一は、神秘的にふふっと笑う、勝負アリだった、という証言を聞いた。
《原爆堂計画から松濤美術館》
50年代の「原爆堂計画」から80年代の松濤美術館と芹沢銈介美術館まで、白井晟一は30年以上にわたり多くの美術館を計画しました。その中でも、1975年に構想された「大村道場計画」の美しさ。白井晟一が、自身のために設計した私設の展示施設である。
――
白井晟一、作品の一部
白井の代表的建築である港区麻布台にある「ノアビル」。
未完の建築「原爆堂」1954年頃に、丸木位里・俊夫妻による《原爆の図》を展示するために計画。主室が水上に浮かび、地下を経由してギャラリーやホールにつながる独特の構造
70年代より白井は大規模建築を手がけるようになった。
白井を代表する建築
「親和銀行東京支店」東京・銀座の三原橋
「親和銀行本店」(現・十八親和銀行佐世保営業部)佐世保
「渋谷区立松濤美術館」1981
――
■参考文献
「白井晟一 入門」渋谷区立松濤美術館 開館40周年記念「白井晟一 入門」
第1部 白井晟一クロニクル 会期:2021年10月23日~12月12日
第2部 Back to 1981 建物公開 会期:2022年1月4日~1月30日
「白井晟一 精神と空間」青幻社
大久保正雄「地中海紀行、旅する哲学者 美への旅」
アクロポリスの光と影 パルテノン神殿
https://t.co/nmDmRi4sGN
パルテノン神殿 彫刻家フェイディアス アクロポリスのコレー
アクロポリスのコレー 時を超えて蘇る少女
https://t.co/H9JyoTOReE
梵寿綱、生命の賛歌 輝き溢れる芸術建築
https://bit.ly/3A5Ko46
『隈研吾 はじまりの物語』青幻社2021
隈研吾展・・・迷宮建築への旅、雲の上のホテル
https://bit.ly/35STPGx
白井晟一・・・孤立の城、荒野の礼拝堂、ロマン主義建築家の反逆
https://bit.ly/3rZzIAY
――
「天使か悪魔か 建築家 白井晟一」NHK
初回放送日: 2022年1月23日
孤高の建築家・白井晟一。独学で建築を身につけ、世界を席巻した丹下健三らのモダニズム建築を批判。都会にうがたれた黒い杭のようなビル、太古のモニュメントにも似た銀行社屋など、常識を覆すような作品ばかりを作った。権威主義を批判し哲人、詩人とも称された一方、自らが権威にもなっていった白井。その実像は、天使か、悪魔か。白井に憧れを抱く映画監督・紀里谷和明が迫る。
――

2021年6月28日 (月)

隈研吾展・・・迷宮建築への旅、雲の上のホテル

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第246回

文明は興廃する。都市は滅亡し、建築は廃墟となり、詩人の言葉は残り、哲学者の観念の塔が残る。
私は14歳の時、パルテノン神殿の知性の美に出会った。アルハンブラ宮殿、クレタ島のクノッソス宮殿、ヴェネツィア、サンマルコ寺院、ハギアソフィア寺院へと旅した。パルテノン神殿の建築家フェイディアスは、何を志向するのか。建築家皇帝ハドリアヌスのパンテオンは何を志向するのか。アルハンブラ宮殿は、地上の楽園を目指すのか。クフ王のピラミッドは、王墓なのか。
超高層建築への疑いから迷宮的建築を志向した建築家は何を考えているのか。
パルテノン神殿には、ギリシア人の知性と誇りがある。
【魂のことば 孔雀のプライド】孔雀は、人前でその美しい尾羽根を隠す。これは、孔雀の矜持と呼ばれる。孔雀のような動物でもそうなのだから、わたしたちは人間として、一層の慎みと矜持を持つべきである。『善悪の彼岸』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
隈研吾のキャリアの転回点となった梼原町、雲の上のホテル1994年、雲の上のレストラン、雲の上の図書館2018年。
建築は、モニュメント的建築と洞窟的建築とに分類される。「超高層のモニュメント的建築に対する懐疑から「孔」としての建築への関心が芽生え始める。」隈研吾。バーナード・チュミ「ピラミッド的迷宮」。マンフレッド・タフーリ「球と迷宮」の二項対立として建築史を観る。秩序を指向する建築的方法論が「球」を生み、無秩序や偶然を指向する方法論が「迷宮」を生むとタフーリは整理した。
隈研吾展「新しい公共性をつくるためのネコの5原則」孔、粒子、やわらかい、斜め、時間。
1990年代のバブル崩壊で仕事がなかった隈研吾は、知り合いから声をかけられ、古い木造の芝居小屋を保存する運動にかかわる。高知県の山間部にある森林の町、梼原(ゆすはら)だった。以降、隈は地方の仕事を多く手がけるようになり、木を用いた作品が増えていく。そして梼原町で1994年竣工の「雲の上のホテル」をはじめに、町役場や図書館など6件の建築を設計した。『隈研吾 はじまりの物語』青幻社2021
隈研吾「ネコに学び、ハコを出よう」。建築家は、猫の行動に何を学ぶのか。
――
作品の一部
高輪ゲートウェイ駅、2020年
雲の上のホテル、梼原町、1994年
雲の上のレストラン、梼原町、1994年
雲の上の図書館、2018年
隈研吾が高知県梼原町で設計した建築「雲の上の図書館 / YURURIゆすはら」2018年 コピーライトKawasumi・Kobayashi Kenji Photograph Office
瀧本幹也「梼原のインスタレーションのためのプラン」2020年 コピーライトMikiya Takimoto
――
シェイクスピア「ロミオとジュリエット」「猫王どの、九つあるというおぬしの命がたった一つだけ所望したいが」(Mer.Good King of Cats, nothing but one of your nine lives)
【エジプト九柱神(エネアド)】アトゥム(天地創造の神)、シュウ(大気の神)、テフネト(湿気の神)、ゲブ(大地の神)、ヌト(天空の神)、オシリス(生産の神)、イシス(豊穣の神)、セト(砂漠と異邦の神)、ネフティス(夜の神)
1930年に著された「猫と魔術と神話事典」(柏書房)では、「紀元前450年頃にエジプトを旅したヘロドトスは、当時のエジプトにおいてオシリスとイシスの娘がバステトであるとみなす通念があった」としています。「バステト」とは猫の姿をした女神で、エジプトにおける猫崇拝の中心的存在でした。ここで九柱神とバステトとの間に接点が生まれます。バステトと九柱神、すなわち数字の「9」との間に接点が生まれたということは、神の化身としてとらえられていた猫と「9」との間にも接点が生まれたということでもあります。以後数千年に渡って受け継がれる、猫と「9」との切っても切れない縁は、このような流れで生まれたのだと推測されます。
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参考文献
『隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則』公式カタログ
宮脇檀「建築家の眼・好奇心への旅」、世界文化社、1991
宮脇檀「最後の昼餐」、新潮社、1997
大久保正雄「地中海紀行、旅する哲学者 美への旅」
アクロポリスの光と影 パルテノン神殿
https://t.co/nmDmRi4sGN
パルテノン神殿 彫刻家フェイディアス アクロポリスのコレー
アクロポリスのコレー 時を超えて蘇る少女
https://t.co/H9JyoTOReE
梵寿綱、生命の賛歌 輝き溢れる芸術建築
https://bit.ly/3A5Ko46
『隈研吾 はじまりの物語』青幻社2021
隈研吾展・・・迷宮建築への旅、雲の上のホテル
https://bit.ly/35STPGx
――
隈研吾展、東京国立近代美術館、6月18日(金)~9月26日(日)
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/kumakengo/?twclid=11408878817754566661

2016年12月15日 (木)

梵寿綱、生命の賛歌 輝き溢れる芸術建築

Von_jour_cauxVon_jour_caux_mind_waa_1Von_jour_caux_198401梵寿綱、異端の建築家。生命の輝き溢れる芸術建築
梵寿綱氏の建築は、地中海の生命の輝き溢れる建築の香りがする。ジャン・ロレンツォ・ボロミーニの建築の迷宮を歩いた時を思い出す。
梵寿綱師に、教えられた。高度な普遍的な学問を修めても価値がない。創造的学問、創造的研究を自ら創造するべきだ。個性的な独創的な学問ならば、その人の処に求めにくる。
梵寿綱師は、「グランドジャット島の日曜日の午後」*の絵の前を毎日通って、秘密の通路から研究所に通った。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
【芸術建築】梵 寿綱(Von Jour Caux、本名:田中 俊郎1934年1月27日 - )、日本の建築家、芸術家、思想家。
東京都浅草出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、シカゴ美術館附属美術大学で学ぶ。
1974年6月より梵寿綱を名乗り「梵寿綱と仲間たち」を結成。以来、近代工業製品化している建築技術、様式に疑問を投げかける。「日本のガウディ」の異名を持つ。
梵寿綱建築、ドラード早稲田、マインド和亜、MUNDI ANIMUS精霊の館
―――――
日本のガウディ、梵寿綱の建築 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2139080974526375301
Mundi Animus 精霊の館
http://1955nonnon.jugem.jp/?eid=15
梵寿鋼「ぼくは日本のガウディではない」TH No.53,トーキングヘッズ叢書より。https://www.facebook.com/photo.php?fbid=250324378433891&set=a.171599139639749.40503.100003689911265&type=3&theater
*大久保正雄『地中海紀行』第104回