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シュールレアリスム

2024年5月 5日 (日)

デ・キリコ、形而上絵画の謎・・・形而上絵画と古典絵画を往還する

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第366回
美術探訪、美への旅、デ・キリコ、形而上絵画の謎            
デ・キリコ「形而上絵画」1910は、ピカソ、サルバドール・ダリ『記憶の固執』1931、ポール・デルヴォー『眠れるヴィーナス』19044に影響を与えた。
20世紀を代表する巨匠の一人、ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)。彼の約70年にわたる画業をたどる回顧展「デ・キリコ展」が、東京都美術館で2024年4月27日〜8月29日、開催されている。
――
彼が1910年頃から描き始めた「形而上絵画」は、幻想的な風景や静物によって非日常的な世界を表現する絵画。サルバドール・ダリや、ピカソ、ルネ・マグリット、ポール・デルヴォー、シュールレアリスムの画家をはじめ、多くの芸術家や国際的な芸術運動に衝撃を与えた。本展では、デ・キリコの画業を「イタリア広場」「形而上的室内」「マヌカン」などのテーマに分けて紹介する。初期から描き続けた自画像や肖像画から、デ・キリコの代名詞ともいえる「形而上絵画」、西洋絵画の伝統に回帰した作品、そして晩年の新展開である「新形而上絵画」まで、世界各地から集まった80点以上の作品が展示される。1910年代の「形而上絵画」は世界中に散らばっている、一挙に見られるのは貴重な機会である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【形而上絵画の謎、2010】2010年、デ・キリコは、フィレンツェに移住。サンタ・クローチェ広場で霊感を受け「ある秋の午後の謎」「神託の謎」「時間の謎」「自画像」4点、絵画を描く。日常空間と古代建築が同時存在。画面の左右で、遠近法の焦点が分裂している。長い影。人間が描かれていないか、微小。彫刻、マネキンなどの特異な静物。画面内の時計が示している時刻と長い影が矛盾する。地平線に汽車が走る、煙はまっすぐ上に向かう。なぜ、遠近法の焦点は分裂するのか、影と時計は矛盾するのか。なぜ地平線に汽車が走るのか。
【デ・キリコ、パリへ】1911年、パリへ移住。1912年「ある秋の午後の謎」3点の絵画をサロン・ドートンヌに出品。列柱の並ぶ古典的な建築、古代ギリシア風の彫刻、煙を吐いて走る機関車などを配した風景画は当時の流行とは全く異質で、理解されなかった。
1913年その数か月後、描き上げた30点の絵画の展覧会を開催。企画した詩人・評論家のギョーム・アポリネールに見出され「形而上絵画」と呼ばれる。親交を結び、ピカソに紹介され交際した。初めて絵の買い手が現れる。
アンドレ・ブルトンは、ジョルジュ・デ・キリコの「形而上絵画」の影響を受け、ジークムント・フロイトの深層意識、無意識領域に目を向ける。「今まで人間が作ってきた制約を離れて、思考の裏側にある無意識の世界を表現しよう。理性による支配を受けず、美学や道徳的先入観を無視して記述される思考」と評価された。アンドレ・ブルトンは、1924年「シュールレアリスム宣言―溶ける魚」を発表。
【神秘と憂鬱】「通りの神秘と憂鬱」「イタリア広場」(1914年)を描く。1915年、第一次世界大戦。「ダダ」の創始者であるトリスタン・ツァラやイタリア未来派のカイロ・カッラと知り合う。ツァラは翌年ジュネーヴに逃れ、ダダの活動を始めた。一方、デ・キリコは戦争がはじまると弟とともにイタリア軍に従軍しフェラーラに駐屯した。ストレスで神経衰弱となり、入院した。『出発の苦悩』(1917)、列車、そして高い塔、デ・キリコが頻繁に人間、特に彼の父親への象徴的な参照として利用したモチーフ。2005年父の死後、デ・キリコはアテネを去った。ギリシア、彼が育ち、旅行を始めた場所、これは最終的に彼を彼に齎した。両親のネイティブイタリア、そこで彼は広いルネサンス広場とアーケードのある建物に魅了された。
【古典への回帰、シュールレアリストたちと決別】ブルトンは、古典に回帰したキリコを非難した。デ・キリコは、自分のスタイルを貫き、1926年にブルトンをはじめとするシュールレアリストたちと決別。その後、ネオバロック絵画を経て1960年以降は形而上絵画へと回帰。若い頃の作品を自己模倣する。
【幸せな形而上画家】1924年、ライサ・グリエヴィッチ・クロルと結婚。1944年、66歳、ローマへ移住。ローマ、スペイン広場付近に移住。ここで妻であるイザベラ・ファーと晩年の30年を過ごす。1978年、90歳の誕生日を祝う。11月20日心臓発作のため没した。
【形而上絵画、哲学的な世界】デ・キリコは、1907年、ミュンヘンに移住、ミュンヘンの美術アカデミーに入学した。ニーチェ、ショーペンハウエルの哲学に影響を受け、永劫回帰の思想に傾倒。2010年サンタ・クローチェ広場で霊感を受け至高体験に啓示を受けた世界である。「イタリア広場」シリーズはデ・キリコの原体験が源泉であり、柱廊のある建築、長い影、歪んだ遠近法、地平を走る汽車、影のような人物によって、ノスタルジア、不安、空虚、憂愁、謎の空間を生み出す。「肖像画・肖像」は、デ・キリコがその初期から取り組んできた、過去の巨匠たちの作品との対話のテーマである。
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展示作品の一部
予言者 1914-15 ニューヨーク近代美術館蔵(James Thrall Soby Bequest) © Digital image, The Museum of Modern Art, New York / Scala, Firenze © Giorgio de Chirico, by SIAE 2023
赤い塔のあるイタリア広場 1934 トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館蔵(L.F.コレクションより長期貸与) © Archivio Fotografico e Mediateca Mart © Giorgio de Chirico, by SIAE 2023
風景の中で赤い布を敷いて水浴する女 1945 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2023
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開館情報 デ・キリコ展、東京都美術館
2024年4月27日(土)〜8月29日(木)、9:30 〜 17:30 金曜日は20:00まで開館
休館日 月曜日 5月7日、7月9日~16日は休室  4月29日、5月6日、7月8日、8月12日は開室 土曜・日曜・祝日及び8月20日以降は日時指定予約制
入場料 一般 2200円、大学生・専門学校生 1300円、65歳以上 1500円、高校生以下・障がい者手帳提示と付き添い1名 無料
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著者 大久保正雄 プラトン哲学、美学、密教の比較宗教学、宗教図像学。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。上智大学大学院、北海道大学大学院博士後期課程修了。
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参考文献
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女・・・デ・キリコ、ダリ、ポール・デルヴォー
クロード・モネ『日傘の女』・・・藝術家と運命の女、カミーユの愛と死
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 印象派、ジョルジュ・スーラ
ミラクル エッシャー展、奇想版画家の謎を解く8つの鍵・・・迷宮の旅人
「ヌード NUDE-英国テート・コレクションより」横浜美術館・・・愛と美の象徴、思想表現の自由の戦い
デ・キリコ、形而上絵画の謎・・・形而上絵画と古典絵画を往還する
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-bf7c56.html
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【ジョルジョ・デ・キリコの生涯と藝術1888-1978】
【ジョルジョ・デ・キリコ1888-1900】デ・キリコは、1888年イタリア人の両親の子、ギリシア、テッサロニキの都市ヴォロスで生まれ、家族とともに様々な街を転々とした。父エヴァリスト・デ・キリコは、イスタンブール生まれギリシアを起源に持つ富裕層イタリア人。鉄道建設を担当する鉄道技師として多くの事業を実現。母ジェンマは、ギリシアとトルコの混血のイタリア人、イズミールで生まれた。1900年、アテネの理工科学校に通う。この頃最初の静物画を描く。
【デ・キリコ、1905-1913】1905年、父死去。1906年、家族とともに、ギリシアを離れミュンヘンに移住する。1907年、ミュンヘンの美術アカデミーに入学。この頃、ニーチェやショーペンハウエルの思想に影響を受ける。1909年、ミラノに移住。1910年、フィレンツェに移住。弟はパリへ移住、1910年、最初の形而上絵画を手がける。1911年、パリへ移住。1912年、3点の絵画をサロン・ドートンヌに出品。1913年、パリのアンデパンダン展、サロン・ドートンヌに出品。詩人で評論家のギョーム・アポリネールに注目され、「形而上絵画」と呼ばれる。後に親交をむすぶ。初めて絵の買い手が現れる。2024年シュールレアリスム宣言。2026年シュールレアリストと決別。
【ジョルジョ・デ・キリコ「ある秋の午後の謎」1910】1905年、父死去。1910年フィレンツェ移住。サンタ・クローチェ広場で霊感を受けて描いた「ある秋の午後の謎」を1912年のサロン・ドートンヌに出品、賞賛を受け、1913その数か月後、描き上げた30点の絵画の展覧会を開催。企画した詩人・批評家のギョーム・ド・アポリネールによって「形而上絵画」と呼ばれ、デ・キリコの名声は高まる。
【ジョルジョ・デ・キリコ、形而上絵画の謎2010】2010年、フィレンツェに移住。サンタ・クローチェ広場で霊感を受けて「秋の午後の謎」「神託の謎」「時間の謎」「自画像」4点絵画を描く。日常空間と古代建築。画面の左右で、遠近法の焦点が分裂している。長い影。人間が描かれていないか、微小である。彫刻、または、マネキンなどの特異な静物。画面内の時計が示している時刻と長い影が矛盾する。地平線に汽車が走る、煙はまっすぐ上に向かう。
【形而上絵画と古典絵画の間を往還するデ・キリコ】
【デ・キリコ、結婚、ローマ、スペイン広場】1924年、ライサ・グリエヴィッチ・クロルと結婚。1947年、60歳の時にスペイン広場の家にアトリエを構え、ここで妻であるイザベラ・ファーと晩年の30年を過ごす。デ・キリコはその後、古典的な作風に転じたが、晩年には幻想的な作風に回帰した。
スケジュールP27
反乱史P204

2020年11月16日 (月)

「1894 Visions ルドン、ロートレック展」・・・世紀末の印象派と幻想派、ロマン主義の苦悶

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』229回

19世紀はリアリズムの世紀であり、20世紀はアンチリアリズムの世紀である。(奥泉光『漱石の孤独』)。その境界に、印象派と幻想派、象徴派の藝術家が活躍した。ロマン主義の苦悶の時代である。
【ファムファタール、運命の女】ギュスターヴ・モロー、クリムト、ロセッティ、ラファエロ前派、アルフォンス・ミュシャ、幻想の藝術家たち。印象派の時代に反旗を翻した、ロマン主義、象徴派、幻想派の画家たちは運命の女を探求した。
オディロン・ルドンは、20世紀のシュールレアリスムを予言する幻想派である。《神秘的な対話》(1896)は、蒼穹の古代神殿で美女と対話する。魂は果てしなく蒼穹を飛翔する。眼は奇妙な気球のように無限に向かう。ルドンは、ジョルジョ・デ・キリコ、サルヴァドール・ダリ、ポール・デルヴォー、超現実主義の先駆者である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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主な展示作品
三菱一号館美術館はロートレック作品約260点を所蔵しており、岐阜県美術館はルドン作品約250点からなる世界有数のルドン・コレクションを所蔵している。
【「NOIR—ルドンの黒」】ルドンが木炭を使って制作した作品群。1840年にフランスの南西部の町ボルドーで生まれたルドンは、79年にリトグラフの作品集『夢のなかで』を刊行、版画家としてデビュー。動物と植物、夢と現実、意識と無意識が交錯する奇怪な形態、木炭画作品は、ルドンの独自の幻想世界を構築した。
【画家、版画家 トゥールーズ・ロートレック】後期印象派の画家とされる。パリの逸楽と憂鬱。トゥールーズ・ロートレック《アリスティド・ブリュアン》1895
【ゴーギャン「ノア ノア」(1893-94)。木版画シリーズ】「楽園」を求めてタヒチに滞在していたゴーギャンは、1893年にパリに一度戻り、タヒチの作品を披露した。しかし、人々の反応は期待を裏切った。ゴーギャンは、再びタヒチに旅立つ。作品をより良く理解してもらうため、ゴーギャンは木版画集『ノア ノア』を刊行。
ポール・ゴーギャン《『ノアノア』ナヴェナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)》《『ノアノア』ナヴェナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)》(1893-94)
【山本芳翠】1878年パリ万博のためにパリを訪れた山本芳翠は、博覧会終了後、ルドンが学んだ国立美術学校教授ジャン=レオン・ジェロームに師事。約10年間に滞在していた。その時期に制作した作品のほとんどは航海中に失われた。
山本芳翠《裸婦》(1880)重要美術品、現存する数少ない作例。
山本芳翠《浦島》1895
【ルドンの色彩画】「近代—彼方の白光」では、ルドンの色彩作品。20世紀の幕開け目前に、ルドンは黒の世界から色彩の世界へと完全に移行。当時、ルドン最大の支援者であり収蔵家のロベール・ド・ドムシー男爵は、1900年に城館の大食堂全体の装飾をルドンに委ねた。16点におよぶ巨大な壁画は、15点が1978年に取り外され、最終的にオルセー美術館に所蔵。
ルドン《グラン・ブーケ(大きな花束)》(1901)は2010年に当初の設置場所から外され、後に三菱一号館美術館に収蔵された。高さ2.5メートルにおよぶ色鮮やかに際立つ作品は、ルドンの装飾絵画のなかで最も突出した規模を誇る。
ルドンがパステルを用いて制作した作品ルドン《神秘的な対話》(1896頃)、ルドン《翼のある横向きの胸像(スフィンクス)》(1898-1900頃)、ルドン《オフィーリア》(1901-02頃)、
そして亡くなったルドンの追悼作品。ポール・セリュジエ《消えゆく仏陀—オディロン・ルドンに捧ぐ》(1916)1916年にポール・セリュジエが哀悼の意を示して制作した
人間の精神と夢を表現したルドンと人間の本質を突いたロートレックの世界を、同時代の画家たちの作品とともに展示する。
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三菱一号館美術館の開館10周年の最後を飾る本展覧会は、丸の内初のオフィスビルとして三菱一号館が竣工した年、「1894年」を軸に、同館のコレクションの中核をなす画家である、ルドンとトゥールーズ=ロートレックの時代に焦点を当てる。
1894年はルドンが色彩の作品を初めて発表した年であり、ロートレック、ルドン、ゴーガンが参加した『レスタンプ・オリジナル』の刊行年(1893-95)とも重なる。一方、同時代の日本では、フランスへ留学し、ルドンと同じ師のもとで学んだ山本芳翠が、代表作《浦島》を制作した時代でもあった。日本の洋画家と欧州の美術史の関係にも着目する。
本展は岐阜県美術館との共同企画であり、同館が誇る世界有数のルドン・コレクションから貴重な木炭とパステル画、ゴーガンの多色刷りの木版画を中心とした作品群、山本芳翠をはじめとする明治洋画の旗手たちの作品を出品。国内外あわせて140点を超える作品で構成する。
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参考文献
マリオ・プラーツ『ロマンティック・アゴニー』Mario Ptaz:RomanticAgony(ロマン主義の苦悶)。
オディロン・ルドン 夢の起源・・・「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」
https://bit.ly/3lCXLAQ
奥泉光『漱石の孤独』

「1894 Visions ルドン、ロートレック展」・・・世紀末の印象派と幻想派、ロマン主義の苦悶

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「ルドン、ロートレック 1894Vision展」、三菱一号館美術館、10月24日~1月17日

2018年6月11日 (月)

ミラクル エッシャー展・・・迷宮の旅人

Escher2018Escher_belvedere_1958大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第147回
緑陰の森を歩いて美術館に行く。不思議な迷宮、エッシャー「上昇と下降」1960、「滝」1961、「ベルヴェデーレ、物見の塔」1958。奇想版画家、エッシャーは、なぜ、建築不可能な建築、無限を閉じ込めた有限を描きつづけたのか。迷宮の旅人の謎。
イタリアの迷宮都市、アマルフィ海岸の迷宮、アルハンブラ宮殿。運命の女に出会う。
1922年—1937年、24歳から39歳まで、イタリア、スペインを旅する。1922年、アルハンブラ宮殿に出会う。1923年、イタリアでイエッタに出会う。
1922年-24年、イタリアを旅する。1923年、25歳のとき、イエッタ・ウミカーと出会う。運命の女。イタリアの旅、スペインの旅で、建築不可能な構造物、無限を有限のなかに閉じ込めた建築、無限模様に魅せられる。
版画家は、世界で最も美しい海岸、アマルフィ、アルハンブラ、迷宮都市に魅せられ、バッハの無限旋律に耽溺し、現実と非現実の狭間を彷徨い、迷宮の謎に挑みつづけた。
「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまた汝を覗き込んでいる。」『善悪の彼岸』146節。
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【エッシャー 迷宮の旅 アルハンブラ】1922年、スペインの旅でアルハンブラ宮殿に出会う。1924年、旅行先のイタリアで出会ったイエッタ・ウミカーと結婚。1926年、長男ジョージが生まれローマに移り住む。1930年、風景画の最高傑作『カストロバルバ』制作。1935年長男がイタリア少年国粋党の制服着用を義務づけられファシズムを嫌いスイスに移住。だが、スイスの雪景色に倦怠する。南の海に憬れ、自らスペイン南部にいたる船旅を計画。旅行中スペイン、グラナダのアルハンブラ宮殿で、ムーア人のアラベスク模様を見て感銘を受ける。1937年、39歳アルハンブラ宮殿の再訪、以後、作風は一変する。繰り返し模様の作品に挑戦しはじめる。エッシャー(Maurits Cornelis Escher 1898-1972)は、73歳まで、迷宮に挑みつづける。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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展示作品の一部
エッシャー「アマルフィ海岸」1934、「サンジミニャーノ」1922、「地下聖堂での行列」1927、「カストロヴァルヴァ アブルッツィ地方」1930、「水没した聖堂」1929、「バベルの塔」1928、「昼と夜」1938
エッシャー「上昇と下降」1960、「滝」1961、「相対性」1953、「メタモルフォーゼⅡ」1939、「ベルヴェデーレ、物見の塔」1958
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参考文献
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
https://bit.ly/2vikIlL
クロード・モネ『日傘の女』・・・藝術家と運命の女、カミーユの愛と死
https://bit.ly/2JcRwVI
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 印象派、ジョルジュ・スーラ
http://bit.ly/2vfh8dP
http://bit.ly/2zgVKGe
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8つのキーワードを通して説く、奇想版画家の「謎」。「科学」「聖書」「風景」「人物」「広告」「技法」「反射」「錯視」の8つの観点からエッシャーの作品に迫ります。
20世紀のオランダ、ヨーロッパ芸術のなかで、エッシャーは極めて独特な位置に立つ芸術家。20世紀を代表する奇想の版画家、マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher 1898-1972)。“視覚の魔術師”と呼ばれる。独特の構図と唯一無二の技法を使った「だまし絵(トロンプ・ルイユ)」の作品で有名だ。コンピュータの存在しない時代に発想した、緻密で数学的なアートワークは人々を驚かせた。広報資料より
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★ミラクル エッシャー展
生誕120年 イスラエル博物館所蔵 ミラクル エッシャー展
上野の森美術館、2018 年6 月6 日(水) - 7 月29 日(日)
あべのハルカス美術館、11月16日(金)~2019年1月14日(月・祝)

2017年8月29日 (火)

藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女・・・ピカソと7人の女

Picassoguernica_1937大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女・・・ピカソと7人の女
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第125回
パブロ・ピカソは7人の恋人と出会う。
ピカソは、8歳で才能をあらわし、91歳で死ぬまで、厖大な絵を描いた。愛した女、苦悩した女。肉体の女、心の女、美貌の女、執念の女。愛と死の果てに、七人の恋人の記憶が残った。1907年『アヴィニヨンの娘たち』が始まりである。
藝術家は、運命と出会い、運命と戦う。運命の女が、彼を救うことがある。運命と戦い、女神に救われ、不朽の作品を残す。1万3千500点の絵を描いた。
ピカソが最も恐れた画家はだれか。ジョルジョ・デ・キリコ。デ・キリコは、26歳の時、1枚の絵『街の神秘と憂愁』1914が、形而上絵画Metaphysical Paintingとして評価され、出発した。
―――
夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊があなたを救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
―――
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。
藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。*大久保正雄『藝術と運命との戦い』
大久保正雄『藝術家と運命の愛』
―――
パブロ・ピカソ、7人の恋人
ピカソ(Pablo Piccaso, 1881-1973)は、7人の女性に出会い、作品の世界に、女性を描いた。
パブロ・ピカソ(Pablo Piccaso, 1881-1973)は、スペインに生まれ、8歳の時、天才的な素描を描く。りんごの素描を描かせた画家であった父親は自分で絵を描くことをやめてしまった。14歳の時「初聖体拝領」(1896)を描いた。
20世紀初頭からパリに住み、90年の生涯を革新と実験をつづける。青の時代、薔薇色の時代をへて、1907年『アヴィニヨンの娘たち』でキュビスムを始める。
『ゲルニカ』1937は、ドイツ空軍のコンドル軍団によってゲルニカが受けた都市無差別爆撃(ゲルニカ爆撃)を主題としている。20世紀を象徴する絵画、反戦と抵抗のシンボルとなる。
「ピカソにとって女性と会話は筆のようなもの、つまりなくてはならないし、本質的であり、致命的なものであった。」最初の恋人だったオリビエビーズマイヤーピカソは、後にこう回想した。
ピカソ24歳の「パイプを持つ少年」1905は、史上最高額の1億400万ドル(当時の為替で約118億円)で売却された。ばら色の時代(1904~1907年)の作品。
ピカソは、91年の生涯で油絵13500点を描いた。
ピカソの遺産の評価額は、日本円にして約7500億円にのぼった。
―――
最初の恋人、フェルナンドゥ・オリヴィエ Fernande Olivier
第二の恋人、エヴァ・グエルEva Gouel
第三恋人、オルガ・コクルロバOlga Kokhlova
第四恋人、マリーテレーズ・ヴァルターMarie Therese Walter
第5恋人、ドラ・マールDora Maar
第六恋人、フランソワーズジロットFrançoiseGilot
第七、1953年、72歳で出会ったジャクリーヌ・ロックJacqueline Roque
―――
作品
パブロ・ピカソ「初聖体拝領」1896
パブロ・ピカソ「自画像」「グルメ」1901  Picasso, Le Gourmet 1901
パブロ・ピカソ「パイプを持つ少年」1905  Picasso's 'Boy with a Pipe'  Garçon à la pipe
『アヴィニヨンの娘たち』1907年
パブロ・ピカソ「鏡の前の少女」1932、「泣く女」1937
「闘牛・闘牛士の死」1933
「ゲルニカ」Guernica,1937
「ジャクリーヌ」1961
―――
参考文献
マリ・ロール・ベルナダック『ピカソ―天才とその世紀』知の再発見双書
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/.../08/post-62f4.html
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 ジョルジュ・スーラ
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/.../08/post-00ec.html
パブロ・ピカソが愛した7人の女性、作品に与え続けた大きな影響
https://matome.naver.jp/odai/2146640490474122401
ピカソが最も恐れた画家「ジョルジョ・デ・キリコ」の不思議な絵
https://matome.naver.jp/odai/2138324132769724701
★Picasso. Boy with a Pipe.1905
★Picasso. Guernica,1937.Museo Reina Sophia

2016年11月30日 (水)

ダリ『記憶の固執』・・・スペインの荒涼とした大地

SalvadordallapersistenciadelamemoriSalvador_dali_disintegration_of_per大久保正雄「地中海紀行」第103回
ダリ『記憶の固執』・・・スペインの荒涼とした大地

秋の午後、森を歩いて美術館に行く。ダリの絵をみると、スペインの荒涼とした大地を思い出す。寂寥の大地に広がる夢と幻想。
私が、スペイン、ポルトガル、イベリア半島を旅したのは、遠い時の彼方のようである。
チューリッヒから夜間飛行でイベリア半島上空を、リスボンに飛行し、オビドス、シントラ、ロカ岬、メリダ、ポルトガルをめぐって、国境の町バダホスからスペインに入り、ミハス、コスタ・デル・ソル、コルドバ、グラナダ、アンダルシア地方を旅して、トレド、マドリッドから、バルセロナに飛行した。飛行機の下にみえる、スペインの荒涼たる大地と地中海。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿が聳える。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
ダリ『記憶の固執』1931、『記憶の固執の崩壊』1954、『降りてくる夜の影』1931『謎めいた要素のある風景』1934。
『記憶の固執』、ダリのアトリエからみえるポルト・リガトの海と岩と柔らかい時計がある。ある日の午後、溶けた時計が見えた。「私は二つの柔らかい時計を見た。そのうちひとつはオリーヴの木の枝に嘆かわしい姿でぶらさがっていた。」ダリ『わが秘められた生涯』1942
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幻想派は、現実と夢の狭間で生きる。現実の苦しみに耐えられず、夢の世界に逃れ、夢の世界に目覚める。
ダリの20年前に、デ・キリコは、幻想と神秘と郷愁の絵画を創出した。デ・キリコは、初期に代表作を描く。その後の人生は自己模倣と古典の研究である。デ・キリコはイザベッラを愛し、ダリはガラを愛した。
【形而上絵画派】Métaphysique
ジョルジュ・デ・キリコGiorgio de Chirico,1888-1978
イタリアの街の神秘を描いた。デ・キリコは、1910年始め、フィレンツェへ行く。そこでシリーズ"Metaphysical Town Square"を制作。サンタ・クローチェ教会で霊感を受けて描き上げた作品「秋の午後の謎 」「神託の謎」「時間の謎」がある。
1911年にパリに行く。モンマルトルでピカソやアポリネールに出会い、1912年にサロン・ドートンヌ、1913年にパリのアンデパンダン展に出展。詩人・美術評論家のギョーム・ド・アポリネールに「形而上絵画Peinture métaphysique」と評価される。世界に登場する。
デ・キリコは、1枚の絵『街の神秘と憂愁』1914が、形而上絵画Metaphysical Paintingとして評価され、90年の生涯を、夢と絵画の現実の狭間で生きる。
後のシュールレアリスムsurréalismeに影響を与える。目に見える形をそのまま描くのではなく、物事の本質的を表現する。現実を超えた幻想、夢と現実の狭間の本質を追求する。デ・キリコは、形而上絵画だけでなく古典的な作品も描いている。
美しさの誉れ高い2度目の妻イザベッラの肖像画も沢山残している。
形而上絵画。建築物の影が伸びる人気の無い広場。謎めいた憂愁が漂い、神秘的で詩的な雰囲気。目に見える日常の裏側に潜む神秘と謎。
Giorgio de Chirico,Museum,Roma、スペイン広場に、デ・キリコのアトリエが残されている。
Giorgio de Chirico,1888-1978
『街の神秘と憂愁』Mystery and Melancholy ,1914
『イタリア広場』Giorgio de Chirico,Piazza d'Italia ,1913
『Veneziaサンジョルジョマッジョーレ島』1955
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【シュールレアリスムの画家たち】Surrealisme
サルヴァドール・ダリSalvador Dali
27歳の時、『記憶の固執』1931を描き、生涯の最高傑作となる。
ダリは1904年5月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲーラスで生まれる。1922年、マドリードのサンフェルナンド美術学校に入学、詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカ、映画監督ルイス・ブニュエルと知り合う。1927年、パリに赴き、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトンら、シュルレアリスムの中心人物たちと面識を得る。1929年夏、ポール・エリュアールが妻とともにカダケスのダリのアトリエを訪ねた。ダリの妻となるガラ・エリュアールとの出会いである。ダリとガラは強く惹かれ合い1934年に結婚。1982年にガラが死去。「自分の人生の舵を失った」。ジローナのプボル城に引き籠もった。1983年5月を最後に絵画制作を止める。
『記憶の固執』La persistencia de la memoria,1931
『記憶の固執の崩壊』Disintegration of persistence of memory,1954
シュルレアリスムSurrealismeのはじまりは、アンドレ・ブルトン『溶ける魚』「シュルレアリスム宣言」1924年である。シュルレアリスムに属する主たる画家は、マックス・エルンスト、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、イヴ・タンギー、ポール・デルヴォー、エドガー・エンデ 。ダリは、ルイス・ブニュエルのシュルレアリスムの映画で、実際に見た夢をモチーフにした『アンダルシアの犬』(1928年)がある。
Surrealisme, Metaphysica
Giorgio De Chirico,
Giorgio De Chirico, Piazza di Italiana,1913
Giorgio De Chirico, Mystery and Meranchory of street,1914
Salvador Dali, 1904—1989
Salvador Dali, Persistance of Memory,1931
Salvador Dali, Disintegration of persistence of memory,1954
Salvador Dali, Melting Watch,1954
Paul Delvaux,1897-1994
Paul Delvaux,Great Sirens,1947
Rene Magritte,1898-1967
Odilon Redon, 1840年4月20日 - 1916年7月6日ポスト印象派、 象徴主義
新印象派に、幻想の画家がいる。夭折した画家たち。
【夭折した画家たち 印象派】Inpressioniste
ゴッホは、神学校に行くことを止め画家になる。生前に売れた絵は1枚だけである。親族に忌み嫌われ、呪いの言葉が耳に聞こえ、耳を切った。それでも、家族の呪詛が耳にみち、自殺した。Vincent Van Gogh.1853-1891。37歳で死す。
ジョルジュ・スーラは、天才的な才能をあらわしたが、世に認められず。25歳で傑作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』1884を描く。モネに嫉妬され、呪殺された。Georges Seurat, 1859-1891、31歳で死す。呪われた画家たち
モネは、『印象、日の出』1872を描き、印象派の祖と誤解され、富裕な人生を歩む。ジョルジュ・スーラを呪い殺した後、スーラの技法を用いて、画家として成功した。富裕になり贅沢な生活を送った。晩年、若死にしたスーラの呪いで悩まされ、陰惨な人間性になった。
Claude Monet, 1840- 1926、86歳で死ぬ。
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ダリ展、国立新美術館、2016年9月14日(水)~12月12日(月)
http://www.nact.jp/
生誕100周年記念、ダリ展、上野の森美術館、2006年9月23日~1月4日
http://www.ueno-mori.org/
デ・キリコ展1920—1950、東京都庭園美術館、1993年7月16日~8月15日