2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

バロック

2022年2月27日 (日)

西洋絵画の500年・・・バロック、若者たち、女詐欺師、残酷な美女、欲望に溺れる女

Caravaggio-metropolitan-1957-2022
Georges_de_la_tour-1630-met
Vermeer-1-metropolitan-2022
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』272回

バロック美術は、カラバッジョに始まる。15世紀、ルネサンスの調和的美に対して、17世紀、カラバッジョは、光と闇の対比、写実主義、劇的表現を特色とする絵画を始めた。
【カラバッジョの破滅的生涯】
カラバッジョMichelangelo Merisi da Caravaggio1571-1610)は、北イタリアベルガモ近郊カラバッジョ生まれる。6歳の時父が死に、13歳の時ミラノで画家の修業を開始し、1592-93、20代でローマに出る。作品が人気となり支援者を得る。1596年25歳の時、デル・モンテ枢機卿が『女占師』(1596)を買い上げ、枢機卿の館に住む許可を与えられ、上流階級に紹介され、運命の扉を開く。
カラバッジョの生涯は彼の絵画表現以上に激情的である。誹謗中傷、口論、決闘、相次ぐ無法行為のために1600年から1607年、警察と裁判所の監視下に置かれる。1506年、35歳の時、人を殺害し死刑判決を受ける。絵を描いて逃走資金を作り、ナポリへ逃亡。支援者の援助を受けながら、マルタ島、シチリア島へ逃亡をつづける。恩赦を得るためローマへ戻る途中38歳で病死した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【闇の絵画、バロック画家の死】1610年、カラバッジョ38歳。1660年、ベラスケス61歳。1640年、ルーベンス62歳。1669年、レンブラント63歳。1652年、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール58歳。1675年、フェルメール43歳。
【バロック、いかさま師、リアリズムの探求】
カラバッジョ「いかさま師」1595ルーヴル美術館
ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625年ルーヴル美術館、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』1630メトロポリタン美術館
【バロック、欲望に溺れる女、人殺し女、リアリズムの探求】
フェルメール『恋文』
【カラバッジョ、艶めかしい青年、果物籠をもつ少年】カラバッジョ、艶めかしい青年は、凋落を意味する。朽ち果てる果物。命は儚く短い。この世の命は儚く。この世の美は儚く脆い。
――
1
【カラバッジョ「音楽家たち」1595-6年】3人が楽器を演奏したり歌ったりしている。4人目の天使はブドウの房に手を伸ばしている。中心となるリュート奏者は、カラバッジョの友人であるマリオミンニティ、そして隣の読書をしている人に対面している人が作者カラヴァッジョらしい。少年たちが愛を祝うマドリガル(牧歌的叙情短詩)を練習している、主演奏者のリュート奏者の目は泪に濡れていた。その歌は愛の喜びよりむしろ悲しみを表している。前景にあるヴァイオリンはこの絵画の隠れた5人目の人物を連想させる。
カラバッジョは1595年、枢機卿一家フランシスコ・マリア・デルモンテの要員に加わった。「音楽家たち」は枢機卿への画家の初めての作品だと推定される。
2
【ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625】現代のいかさま師はだれか。医者、弁護士、政治家、僧侶、陽明学者、政治学者、税理士、コンサルタント、営業職、ハウスメーカー、不動産業者。
3
【フェルメール『信仰の寓意』1672】女は、天井から青いリボンで吊り下げられたガラス玉をうっとり見つめる。壁面の画中画は、磔刑図。足元に地球を踏みつけ、床にリンゴ、血を吐くヘビがいる。これは、罪の寓意。この絵画は、何を寓意しているのか。
『絵画の寓意』(『絵画芸術』)とともに、フェルメールが描いた現存する二点の寓意画のうちの一つ。
『イコノロジア』からの寓意
フェルメールが絵画に表現した寓意は、イタリア人美術学者チェーザレ・リーパが著した寓意画集で、1644年にD.P.ペルスがオランダ語に翻訳した『イコノロジア (Iconologia overo Descrittione Dell’imagini Universali cavate dall’Antichità et da altri luoghi)』に多くを負っている。フェルメールはこの『イコノロジア』からさまざまな記述と図像を採用している。例えば女性の衣服の配色、手の仕草、リンゴ、押し潰されたヘビである。リーパはその著書で、美徳の中でも信仰がもっとも重要であると考える。
――
展示作品の一部
カラヴァッジョ「音楽家たち」1597年
こちらは、画面内に高密度で描かれた4人の美少年が印象的な作品。1597年、26歳のカラヴァッジョが、最初のパトロンとなったデル・モンテ枢機卿のために描いた
ニコラ・プッサン「足の不自由な男を癒す聖ペテロと聖ヨハネ」1655
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』1630メトロポリタン美術館
ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625
ヨハネス・フェルメール「信仰の寓意」1672
ベラスケス工房「オリバーレス伯公爵ガスパール・デ・グスマン」(1587-1645年)
――
参考文献
カラバッジョ展・・・光と闇の藝術
https://t.co/2TRjfXSHHK
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」国立西洋美術館・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
http://bit.ly/2Ho8bR0 
エル・グレコ展・・・天上界と地上界の融合、 「昨夜私は永遠を見た」
https://bit.ly/3radRHN
フェルメールと17世紀オランダ絵画・・・ドレスデンの思い出
https://bit.ly/3sPtioB
ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史、国立西洋美術館・・・黄昏の帝国、旅の思い出
https://bit.ly/2C7rE7K
ハプスブルク家、600年にわたる帝国・・・旅する皇帝と憂愁の王妃
https://bit.ly/2Q14xnz
――
メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年・・・美女の歴史、詐欺師女、残酷な美女、欲望に溺れる女
https://bit.ly/3p6BrUA
西洋絵画の500年・・・バロック、若者たち、女詐欺師、残酷な美女、欲望に溺れる女
https://bit.ly/3hrwK3b
――
「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」国立新美術館、2022年2月9日(水)~5月30日(月)

2018年10月25日 (木)

ルーベンス展―バロックの誕生・・・宮廷画家、バロックの荘厳華麗

Rubens_2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第160回
金木犀の香る森を歩いて、美術館に行く。ハプスブルグ帝国の都市を旅した青春の日々、ウィーン美術史美術館、プラド美術館、ドレスデン古典絵画館、ルーベンスを見た部屋を思い出す。ルーベンスは、ハプスブルク家の宮廷画家、荘厳華麗な三連祭壇画と神話画の画家。イタリア・ルネサンスに影響を受けたバロック人。
ルーベンスの絵画は、ルノワールのような豊満な裸体を想起するが、2番目の16歳の妻、エレーヌの肉体美である。
――
【ルーベンス、22歳で画家、62歳で死す。1400点の作品】
ルーベンス(1577-1640)、アントウェルペンに生まれる。古典的知識を持つ人文主義者、美術品収集家、七ヶ国語を駆使して、外交官として活躍。ハプスブルク家の宮廷画家。
スペイン王フェリペ4世とイングランド王チャールズ1世から騎士爵位を受ける。対抗宗教改革の主導者の一人。
ルーベンスの父ヤンはオランダ総督オラニエ公ウィレム1世の二度目の妃アンナの法律顧問、愛人となり1570年にジーゲンのアンナの宮廷へと居を移す。アンナの愛人であることが発覚して投獄されたヤン。後に釈放され、1577年にマリアとの間にルーベンスが生まれた。1587年、父、死す。アントウェルペンでカトリックに改宗。
1、ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)  1577-1598
1590年、生活に困窮した母マリアは、13歳のルーベンスをフィリップ・フォン・ラレング伯未亡人のマルグレーテ・ド・リーニュの下へ小姓に出す。アントウェルペンの画家組合、聖ルカ・ギルドへ入会、見習いとして修業する。1598年に修業を終え、画家として出発する。
2、イタリア時代(1600年-1608年)
23歳でイタリアに行き、8年間滞在する。ヴェネツィアに行く。マントバ公の宮廷画家になる。古代彫刻の理想美を絵画化する*。「ラオコーン」「ベルヴェデーレのトルソ」「かがむアプロディーテとエロス」に心酔する。ヴェネツィアで、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェネツィア派の画家に深い影響を受ける。ローマで、カラバッジョの影響を受ける。
1603年、マントバ公の使者として、フェリペ3世への贈物を携えてスペイン訪問。
3、アントウェルペン時代(1609年-1621年)
アントウェルペンに帰り、工房を開く。1611年、三連祭壇画「キリスト降架」「キリスト昇架」(1611-14)アントウェルペン聖母大聖堂を制作。
4、『マリー・ド・メディシスの生涯』制作、外交官として活躍(1621年-1630年)
1621年、フランス王太后マリー・ド・メディシス、パリのリュクサンブール宮殿の装飾に、自身の生涯と前フランス王1610年に死去した夫アンリ4世の生涯とを記念する連作絵画2組の制作をルーベンスに依頼。
24点の絵画からなる『マリー・ド・メディシスの生涯』1625年、ルーヴル美術館蔵。
三連祭壇画『聖母被昇天』(1625-1626)アントウェルペン聖母大聖堂
【外交官、ルーベンス】1628年、イサベラ大公妃の使者として、マドリードに行き、フェリペ4世の宮廷画家となる、ベラスケスにティツィアーノの偉大さを吹き込む。
1629年、フェリペ4世の使者として、ルーベンス、スペインからイギリスに行き、チャールズ1世と和平交渉する。
1630年、スペインとイギリス、和平交渉、成功。
5、晩年(1630年-1640年)16歳のエレーヌと再婚
最初の妻イザベラが死去した4年後、1630年、53歳のたルーベンスは16歳のエレーヌ・フールマンと再婚。エレーヌをモデルとした肉感的な女性像を描く。
痛風を患っていたルーベンス、心不全で1640年5月30日に死去。
『ヴィーナスの饗宴』(1635年頃、ウィーン美術史美術館、『三美神』(1635年頃、プラド美術館)、『パリスの審判』(1639年頃、プラド美術館)
【ルーベンスとベラスケス】
1628年-1629年、宮廷画家。外交官ルーベンス、マドリッド訪問。美術愛好家フェリペ4世により、宮廷内にアトリエを与えられる。ベラスケス、ルーベンスに教えを受ける。ベラスケス、1628年ルーベンスに「ヴェネツィア派ティツィアーノ」の偉大さを教えられる。1629年、1回目のイタリア旅行に行く。1647年、2回目のイタリア旅行(1647-1651年)。
ルーベンス(1577-1640)、アントウェルペンで工房を営み、2階から弟子たちの作業を指揮する。1400点の作品を世に残す。
ルネサンスの巨匠とバロックの巨匠たち
【ティツィアーノ】1528年以降、ティツィアーノ(1488-1576)、40代。ハプスブルグ家、神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷伯爵、となる。黄金拍車の騎士の号を受ける。フェリペ2世の肖像画を描く。
1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグでフェリペ2世に会う。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
――
【バロック】カラヴァッジオの光と闇、ベラスケスの宮廷画、ルーベンスの華美、レンブラントの闇、ラ・トゥールの蝋燭、フェルメールの静謐な空間。
暗闇の中に差し込む一条の光。蝋燭の光に照らされた顔。16世紀から17世紀、光と闇を描いたバロックの画家たち。徹底した写実主義で劇的な光の効果を描いたカラヴァッジオ、暗闇の中にともる光で宗教画を描いたラ・トゥール、深い闇と静謐な光を描いたレンブラント。カラヴァッジョは17世紀の画家に深い影響を与えた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
――
展示作品の一部
ルーベンス「聖アンデレの殉教」1638-39油彩カンヴァス306cm×216cm マドリード、カルロス・デ・アンベレス財団
ルーベンス「法悦のマグダラのマリア」(1625-28)リール美術館
左からペーテル・パウル・ルーベンス《法悦のマグダラのマリア》(1625-28)、
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニと工房「聖テレサの頭部」(17世紀半ば)
ペーテル・パウル・ルーベンス《マルスとレア・シルウィア》 ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
ペーテル・パウル・ルーベンス《パエトンの墜落》 ワシントン、ナショナル・ギャラリー
ペーテル・パウル・ルーベンス《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》 ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
ペーテル・パウル・ルーベンス《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》 ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
――
参考文献 
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1
カラバッジョ展、国立西洋美術館・・・光と闇の藝術
https://bit.ly/2NJNcyQ
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」国立西洋美術館・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
http://bit.ly/2Ho8bR0
「ティツィアーノとヴェネツィア派展」東京都美術館
https://t.co/jijpFTn66k
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール: 光と闇の世界、国立西洋美術館
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/past/2005_192.html
『ルーベンス展―バロックの誕生』図録2018
――
ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)は、バロックと呼ばれる壮麗華美な美術様式が栄えた17 世紀ヨーロッパを代表する画家です。彼は大工房を構え時代に先駆ける作品を量産し、同時代以降の画家たちに大きな影響を与えました。さらにその能力は画業にとどまらず、ヨーロッパ各地の宮廷に派遣されて外交交渉をも行いました。
本展覧会はこのルーベンスを、イタリアとのかかわりに焦点を当てて紹介します。イタリアは古代美術やルネサンス美術が栄えた地であり、バロック美術の中心もローマでした。フランドルのアントウェルペンで育ったルーベンスは、幼いころから古代文化に親しみ、イタリアに憧れを抱きます。そして1600年から断続的に8年間この地で生活し、そこに残る作品を研究することで、自らの芸術を大きく発展させたのです。本展はルーベンスの作品を、古代彫刻や16世紀のイタリアの芸術家の作品、そしてイタリア・バロックの芸術家たちの作品とともに展示し、ルーベンスがイタリアから何を学んだのかをお見せするとともに、彼とイタリア・バロック美術との関係を明らかにします。近年では最大規模のルーベンス展です。国立西洋美術館
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2018rubens.html
――
★ ルーベンス展―バロックの誕生、国立西洋美術館
2018年10月16日(火)~2019年1月20日(日)

2018年3月10日 (土)

「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス

20180224大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第140回
ベラスケスの絵を見ると、イベリア半島をめぐり、スペインの大地を旅した日々を思い出す。『アランフェス協奏曲』をきくと、スペインの哀愁が蘇る。アルハンブラ宮殿、トレドのアルカサール、ロンダの断崖。プラド美術館、ベラスケス『ラス・メニーナス』、ヒエロニムス・ボス『快楽の園』。サン・トトメ教会のエル・グレコ『オルガス伯の埋葬』。
――
ベラスケス「王太子バルタサール・カルロスの騎馬像」。フェリペ4世の子、6歳の姿を描いた絵画。馬の前足を上げる凛々しい雄姿。スペイン・ハプスブルグ帝国の王位を継ぐ予定だったが16歳で亡くなった。フェリペ4世の王女マルガリータ・テレサは、14歳で結婚、21歳で死ぬ。権力至上のハプスブルグ帝国は、青い血の血族結婚で滅びる。
ベラスケスは、19世紀半ばエドゥアール・マネに発見されるまで知られざる画家だった。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
――
17世紀、スペイン・ハプスブルク帝国の落日、美術の黄金の世紀
■ディエゴ・ベラスケスDiego Velázquez (1599-1660)
1623年、24歳の若さで国王フェリペ4世の王直属の画家になる。33年間の宮廷画家、官僚生活を内心は嫌悪していた。1652年宮廷配室長になり、王宮の鍵を管理する。官僚の激務で、61歳で死す。心筋梗塞。
1628年—1629年、宮廷画家。外交官ルーベンス、マドリッド訪問。美術愛好家フェリペ4世により、宮廷内にアトリエを与えられる。ベラスケス、ルーベンスに教えを受ける。ベラスケス、1628年ルーベンスに「ヴェネツィア派ティツィアーノ」の偉大さを教えられる。1629年、1回目のイタリア旅行に行く。1647年、2回目のイタリア旅行(1647~1651年)。1651年ベラスケス、イタリア旅行から帰国。5歳の王女マルガリータを描く。最高傑作『ラス・メニーナス』1656『白衣の王女マルガリータ』1656
ベラスケスは、破天荒な天才画家ではなく階級社会に従順な優等生宮廷画家である。だが2度のイタリア旅行で、藝術に目覚め、人間に目覚めた。
■フェリペ4世Felipe IV, 1605 在位1621—65 60歳でマドリードで死ぬ。
2人の王妃、イザベル、マリアナ
王妃マリアナは息子バルタサール・カルロスの婚約者であったが、早世したためその父フェリペ4世の2番目の妻となる。フェリペ4世が溺愛した妹マリア・アンナ王女の子である。伯父と姪の結婚である。
フェリペ4世の子女は、14人がいるが、ハプスブルク家は広大な領土を守るため血族結婚を繰り返し、フェリペ4世の子どもたちは殆ど幼くして夭折する。
バルタサール・カルロス(1629年 - 1646年)、マルガリータ・マリア・テレサ(1651年 - 1673年)、フェリペ・プロスペロ(1657年 - 1661年)。
■王女マルガリータ・テレサ・デスパーニャMargarita Teresa D’Espagna (1651—1673)
王女マルガリータは、14歳で結婚、21歳で死ぬ。ベラスケスの死後13年、1673年、死去。
■ハプスブルク家の蒐集家たち 太陽の沈まぬ帝国、帝国の落日
ティツィアーノを召し抱えたカール5世、スペイン王フェリペ2世は、ヒエロニムス・ボスを愛好した。フェリペ4世は、ベラスケスを宮廷画家、官僚にした。アルブレヒト・デューラーを庇護したマクシミリアン1世、マクシミリアン1世の子、フィリップ美公は、ヒエロニムス・ボスを愛好した。これがスペイン王宮に残る。ブリューゲル1世を愛好したルドルフ2世。
フェリペ2世は、太陽の沈まぬ帝国を築く。スペイン絶対王政の最盛期。1571年、レパントの海戦で勝利、ポルトガル併合。カトリック政策で、オランダ独立を招く。1588年、無敵艦隊がイギリスに敗れる。
帝国の落日、フェリペ4世は、スペイン・ハプスブルク家を滅亡に導くが、美術蒐集家として名を残す。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
展示作品の一部
ディエゴ・ベラスケス「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」1635年頃、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「狩猟服姿のフェリペ4世」1632-34年、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「メニッポス」(1638頃)
ディエゴ・ベラスケス「バリェーカスの少年」1635-45年、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「マルス」1638年頃、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「フアン・マルティネス・モンタニェースの肖像」1635頃、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「東方三博士の礼拝」1619年頃、プラド美術館蔵
ティツィアーノ「音楽にくつろぐヴィーナス」1550頃、プラド美術館蔵
ペーテル・パウル・ルーベンス「聖アンナのいる聖家族」1630頃、プラド美術館蔵
ヤン・ブリューゲル(父)、ヘンドリク・ファン・バーレン、ヘラルト・セーヘルスら「視覚と嗅覚」1620年頃、プラド美術館蔵
ルーベンス&ヨルダーンス「アンドロメダを救うペルセウス」1639-41年プラド美術館蔵
ルーベンスの絶筆とされ、死後、弟子ヨルダーンスが完成させたことになっている。
――
参考文献
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
ハプスブルク帝国、ヴェラスケス、黄昏の光芒
http://bit.ly/2zGK4N2
スペイン・ハプスブルグ家、太陽の沈まぬ帝国、黄金の世紀
http://bit.ly/2oulcAv
マクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝1493年—1519年)
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-09fb.html
ハプスブルク家の蒐集家たち「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界展」
http://bit.ly/2DiTQnd
大高保次郎「宮廷画家ベラスケスの挑戦と革命 ボデゴンと肖像から物語絵へ」『プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光』図録
――
マドリードにあるプラド美術館は、スペイン王室の収集品を核に1819年に開設された、世界屈指の美の殿堂です。本展は、同美術館の誇りであり、西洋美術史上最大の画家のひとりであるディエゴ・ベラスケス(1599-1660年)の作品7点を軸に、17世紀絵画の傑作など61点を含む70点をご紹介します。
17世紀のスペインは、ベラスケスをはじめリベーラ、スルバランやムリーリョなどの大画家を輩出しました。彼らの芸術をはぐくんだ重要な一因に、歴代スペイン国王がみな絵画を愛好し収集したことが挙げられます。国王フェリペ4世の庇護を受け、王室コレクションのティツィアーノやルーベンスの傑作群から触発を受けて大成した宮廷画家ベラスケスは、スペインにおいて絵画芸術が到達し得た究極の栄光を具現した存在でした。本展はそのフェリペ4世の宮廷を中心に、17世紀スペインの国際的なアートシーンを再現し、幅広いプラド美術館のコレクションの魅力をたっぷりとご覧いただきます。
http://www.nmwa.go.jp
――
★日本スペイン外交関係樹立150周年記念
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」国立西洋美術館、2018年2月24日-5月27日
兵庫県立美術館、2018年6月13日(水)~10月14日(日)

2016年8月 9日 (火)

バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち

Caravaggio_1599大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第76回バロック 光と闇の巨匠たち
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち

黄昏の丘に上り、黄昏の森を歩く。森の中の迷宮図書館で考える。『香水壜』のような図書館。『夕暮れの諧調』を暗唱する。
春爛漫のイタリアを旅した日々。サンジミニャーノの塔。美しき残像を思い出す。糸杉の立つ丘を上って行く。フィエーゾレ、トスカーナのヴィラ。灼熱のローマ、寺院の闇にひそむ、カラヴァッジョの光と闇。
いかさま、殺人、自己陶酔、朽ち果てる果実。カラヴァッジョは、現実を刻銘に描いた。
美しい娼婦たち。カラヴァッジョは、3人の娼婦たちを聖母として描いた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

ローマのバルベリーニ宮殿(Palazzo Barberini)で見た、カラヴァッジョ「ホロフェルネスの首を切るユディト」(1598) を思い出す。降ってくる闇。光と闇の強烈な対比。闇の中に光る蝋燭。エロティックで暴力的なバロック趣味の様式。悪と善、肉体と魂。対立の極致に現れる人間の美醜。
聖なるものが、俗なるものによって、弑逆される。一般役人によって殺害される聖者。★カラヴァッジョ『洗礼者ヨハネの斬首』(1608)。
日常に潜む殺意と狂気。「精神を凌駕するものは、習慣だけだ」(三島由紀夫)。
高貴な習慣をもつ者だけが、真実をみつめる。日常にひそむ狂気に気づかぬ人々。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■バロックの巨匠たち
光と闇の6人の巨匠=カラヴァッジョ、ルーベンス、ヴェラスケス、レンブラント、ラ・トゥール、フェルメール
ベラスケス、ルーベンスの闇、ラ・トゥールの蝋燭、フェルメールの空間。
敵将の首を切る美女、恍惚の聖者、自己の美貌に溺れる美青年、いかさま師、朽ち果てる果実、犯罪者として処刑される聖者と首を切る役人。
「カラヴァッジョは西洋美術史上、最大の改革を行った天才」(宮下規久朗)。聖書の物語を日常の現実のドラマとして表現。殺人事件で指名手配された「呪われた画家」。
暗闇の中に差し込む一条の光。蝋燭の光に照らされた顔。16世紀から17世紀、光と闇を描いたバロックの画家たち。徹底した写実主義で劇的な光の効果を描いたカラヴァッジオ、暗闇の中にともる光で宗教画を描いたラ・トゥール、深い闇と静謐な光を描いたレンブラント。
カラヴァッジョは、「デッサンが現存しない」「ポートレイトになぜか左利きの人物が多い」という謎がある。カラヴァッジョは「直接投影法」のトレース技法で描いていたという説がある。画家は壁にレンズをはめ込んだ暗室、暗室内に写し出されたモデルの像を、左右反転したまま描いたのか。

【バロック 中心の喪失】
円に代わり楕円が構成の中心に据えられ、全体の均衡が軸を中心とした構成と色彩効果。*ハインリヒ・ヴェルフリン
バロックは、1580年以降、反ルネサンス、対抗宗教改革の運動として展開する。

【カラヴァッジョのモデルたち、3人の娼婦たち】
聖女を表現する娼婦たち。男殺しのフィリデ、『ホロフェルネスの首を斬るユディト』1598、ナヴォー広場の諍い女レナ、『蛇の聖母』1606、赤毛のアンナ、『エジプト逃避』1598


バロックの巨匠たち
カラヴァッジョ
Michelangelo Merisi da Caravaggio (1571-1610)
『エマオの晩餐』1606
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
George de La Tour, Le Tricheur (1632-35)
『悔悛するマグダラのマリア』1644
ルーベンス
Peter Paul Lubens  (1577—1640 )
『三美神』1630
ヴェラスケス
Verasquez  (1599—1660 ) 61歳没
『ラス・メニーナス』1656
レンブラント
Rembrandt  (1606—69 )
『夜警』1642
フェルメール
Veemer (1632—75 )43歳没
『牛乳を注ぐ女』1658
■カラバッジョ派
アルテミジア・ジェンティレスキ Artemisia Gentileschi(1593-1652)

■バロックが描きだす世界 現実を見つめる
【光と闇】降ってくる闇
★カラヴァッジョ『エマオの晩餐』1606
★カラヴァッジョ『洗礼者ヨハネの斬首』(1608)
★ラ・トゥール『悔悛するマグダラのマリア』1644
★ヴェラスケス『ラス・メニーナス』1656
闇のなかに光る蝋燭。闇のなかの処刑。微光のなかでくり広げられる王族と宮廷人。それを見る画家。それを見る王と王妃。

【美しき未亡人、敵将の首を斬る】
★カラヴァッジョ「ホロフェルネスの首を斬るユディト」1599
★アルテミジア・ジェンティレスキ「ユディトとホロフェルネス」1613カボディモンテ国立美術館
★クラナッハ「ホロフェルネスの首を持つユディト」1530年
―――――
アッシリア王ネブカドネザルは、反勢力民族を攻撃するため、司令官ホロフェルネスを派遣した。ホロフェルネスの軍勢は、ユダヤ人の町ベツリアを包囲した。町の水源を断たれ、指導者オジアは降伏を決意するが、ユディトは人民を励まし、神への信頼を訴える。しかし、ホロフェルネス軍と戦闘を起しても、勝算なく、ユディトは一計を企てる。
ユディト自身がホロフェルネスの陣地に赴く。
四日目にホロフェルネスは酒宴で泥酔し、天幕内にユディトはホロフェルネスと二人だけで残された。ユディトは眠っていたホロフェルネスの短剣を取り、彼の首を切り落とした。ユディトは侍女と共に首を携えてベツリアの町へ逃げ戻る。★『ユディト書』

【いかさま師の眼つき】
いかさま師の日常業務。これが、人間の現実である。
★「いかさま師」1632-35,Louvre
George de La Tour, Le Tricheur(1632-35) ,Louvre
古典主義の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール屈指の傑作『いかさま師(クラブのAを持った)』。ラ・トゥールの作品は静謐で精神性の高い夜中を思わせる宗教画が多い。風俗画も描いた。卓越した眼でいかさまを行なおうとする男の劇的な瞬間を捉えた作品。イタリア・バロックの画家カラヴァッジョが最初に描いたとされる主題『いかさま師』。17世紀の道徳論で三大誘惑「遊興」「酒」「淫蕩」を戒める意味をもつ。
いかさま師を描いたのは、ヒエロニムス・ボッシュが最初である。
★カラヴァッジョ「いかさま師」1595,Louvre
★ヒエロニムス・ボッシュ『いかさま師』愚者の治療 Bosch, Le Tricheur ,Prado,1490
カラバッジョ展、国立西洋美術館・・・闇と光の藝術
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-6502.html
―――――
★Caravaggio, Judith,1599

★参考文献
東京都美術館『カラヴァッジョ 光と影の巨匠 バロック絵画の先駆者たち』2001
国立西洋美術館『カラヴァッジョ展』2016
カラヴァッジョ、聖なる人殺し画家の生涯『芸術新潮』2001.10
藤沢道郎『物語イタリアの歴史2皇帝ハドリアヌスから画家カラヴァッジョまで』中公新書
宮下 規久朗『カラヴァッジョ巡礼』 (とんぼの本) 2010
宮下 規久朗『カラヴァッジョ-聖性とヴィジョン-』名古屋大学出版会
宮下 規久朗『西洋絵画の巨匠 11 カラヴァッジョ』2004
宮下 規久朗『カラヴァッジョへの旅-天才画家の光と闇-』角川選書
岡田温司編『カラヴァッジョ鑑』
タブッキ『夢のなかの夢』岩波文庫
デズモンド・スアード『カラヴァッジョ灼熱の生涯』石鍋真澄訳
『プラド美術館』Scala,みすず書房
大久保正雄 2016年8月9日