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詩集

2016年9月22日 (木)

李白 旅する詩人 美への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第99回李白
李白 旅する詩人 美への旅

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

桃花流水杳然として去る。別に天地の人間に非ざる有り。
両人対酌して山花開く。
玉階に白露生じ、玲瓏秋月を望む。
この地一たび別れをなし、孤蓬万里にゆく、浮雲遊子の意
孤帆の遠影碧空に尽き、唯見る長江の天際に流るを。
詩の一句、断片を一瞥しただけで、異空間に誘われる。
中国最高の詩人であり、世界最高の詩人。李白。
李白の詩の美の秘密は、どこにあるのか。

【李白の謎】
李白は、世に出る道をふさがれ、10代から20代、蜀の各地を放浪した。放浪、隠遁志向を持ち、旅を続けた。
天宝元年(742年)から1年半、玄宗皇帝の宮廷に仕え、都長安に留まる。しかし、皇帝の宮廷の阿諛追従の世界に倦み、再び、放浪の旅に出る。
人は旅をする。人が旅をするには、理由がある。
諸行無常、盛者必滅、奢れるものは久しからず。空海は、魂の果てを探検する探求者(沙門)である。
李白は、水に映った月を手に取ろうとして、水に墜ちて死んだといわれるが、伝説である。
李白が旅をつづけ、求めていたものは何か。

美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。
美は真であり、真は美である。地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

【李 白】701年(長安元年)- 762年10月22日(宝応元年9月30日)61歳。
中国盛唐の詩人。字は太白。号、青蓮居士。詩が爛熟した帝国唐、唐代のみならず、中国詩歌史上において、杜甫とともに最高の存在とされる。自由奔放で変幻自在な詩風。「詩仙」と称される。
李白を天才絶となす、白居易を人才絶となす、李賀を鬼才絶となす。『南部新書』
鬼才李賀の句、「幽蘭の露、啼ける目のごとし」「恨血千年、土中の碧」、詩の片鱗から李賀を想起する。
詩の王国、中国史上最高の詩人、李白は、生涯旅した隠者である。旅をした理由は何か。

【天からこの世にやって来た詩人】
天から流されてこの世にやって来た仙人と呼ばれ「酒中の仙」とみずから称した。
李白は4人の妻を持った。最初に娶ったのは吊門の末裔と言われる「許夫人」一男一女が生まれている。第二「劉夫人」離婚している。第三が「魯の一婦人」。山東省。第四が「宗夫人」梁園(河南省商丘)の人、財力もあった。
【李白観瀑】
李白は、詩2000篇を書いた。李白の名作は、数限りない。『月下独酌』、「蜀道難」「将進酒」「廬山の瀑布を望む」「横江詞」。【李白観瀑図】は、よく画人の絵に描かれる。
李白は、詩2000篇を書いたが、制作時期がわかるものは少ない。
「李白一斗詩百篇」李白は酒を一斗欽んで、詩を百篇書いた。杜甫『飲中八仙』
【李白と月】
李白は、水に映った月を手に取ろうとして、水に墜ちて死んだといわれるが、伝説である。
李白が旅をつづけ、求めていたものは何か。

★李白詩選
「山中問答」李白
問余何意棲碧山
笑而不答心自閑
桃花流水杳然去
別有天地非人間

山中問答 李白
余に問ふ何の意ありてか碧山に棲むと、笑って答へず心自から閑なり。
桃花流水杳然として去る。別に天地の人間に非ざる有り。

「山中与幽人対酌」李白
両人対酌山花開
一杯一杯復一杯
我酔欲眠卿且去
明朝有意抱琴来
両人対酌して山花開く。
一杯一杯復た一杯。
我酔いて眠らんと欲す桂且らく去れ。
明朝、意有らば琴を抱きて来たれ。

★「玉階怨」李白
玉階生白露、
夜久侵羅襪。
却下水精簾、
玲瓏望秋月。
玉階に白露生じ、 夜久しくして羅襪を侵す。
却下す水精(すいしゃう)の簾、玲瓏秋月を望む。

★「送友人」李白
青山橫北郭
白水遶東城
此地一爲別
孤蓬萬里征
浮雲遊子意
落日故人情
揮手自茲去
蕭蕭班馬鳴
友人を送る
青山(せいざん) 北郭(ほっかく)に横たわり
白水 東城をめぐる
この地一たび別れをなし、孤蓬万里にゆく、浮雲遊子の意
落日故人の情
手をふるひて ここより去れば
肅肅として班馬鳴く

★「黄鶴楼送孟浩然之広陵」李白
故人西辞黄鶴楼
烟花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽
唯見長江天際流
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る 李白
故人西のかた黄鶴楼を辞し、
烟花三月揚州に下る。
孤帆の遠影碧空に尽き、唯見る長江の天際に流るを。
★雪舟『山水長巻』1496
★長安、桂林、麗江古城
★Metaora,Greece
★参考文献
松浦友久『李白詩選』岩波文庫1997
アーサー・ウェイリー、小川環樹・栗山稔訳『李白』岩波新書1972
井波律子『奇才と異才の中国史』岩波新書
井波律子『中国の隠者』文春新書
井波律子『中国文章家列伝』
武部利男『李白』上下巻、岩波書店「中国詩人選集7・8」1958新版1990
武部利男『李白』筑摩書房、世界古典文学全集1972
高島俊男『李白と杜甫』講談社学術文庫1997
大久保正雄2016年9月22日

2016年9月 5日 (月)

色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第94回
色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊

友よいとしの我が友よ、色香ゆかしき白百合の心の花と咲き出でて世に芳しく馨らなむ*
幽冥界、生と死の境、黄昏の樹林で、亡き友を思い出すときがある。なぜか、強烈な郷愁を感じる。雪月花の時、最も君を憶う。美しい魂をもつ人に祈りをささげる。

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』

相思樹の樹々わたりゆく風の音 亡友の声かと耳澄まし聞く
学半ば逝きにし学友を 偲びつつ詠みつぎゆかむ相思樹の詩
生きよとも哀しめよとも、相思樹の黄花こぼるる 現し身吾に
★上江洲慶子『歌集 相思樹の譜』

■友よいとしの我が友よ
友よいとしの我が友よ 色香ゆかしき白百合の心の花と咲き出でて世に芳しく馨らなむ
★沖縄県立第一高等女学校校歌
■戦争の悲劇【ひめゆり学徒隊】
ひめゆり学徒隊は、15歳から19歳の女学生、看護婦として陸軍病院で働き、摩文仁野で集団自決した。
沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の女学生、二百四十名のうち、百三十六名が戦死する悲劇の中で、ひめゆり学徒隊は働き続けた。
闇夜に「ふるさと」の歌
波が打ち寄せる絶壁の上で、輪になって座っていた女性とたちはしくしく泣き出した。深夜だった。「もう一回、太陽の下を大手を振って歩いてから死にたいね」。輪の中の1人がそうつぶやくと、まもなくだれからともなく「ふるさと」の歌が始まった。(『琉球新報』)
★Leonardo, Isleworth Mona Lisa,1503
★藤野一友『抽象的な籠』1964
★参考文献
1. 上江洲慶子『歌集 相思樹の譜』
田中章義「歌鏡」『サンデー毎日』2014.7.6号、P55
2. [81 女学生の集団自決(1)]「太陽見て死にたい」琉球新報2010年3月2日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-158594-storytopic-215.html
3.映画『あゝひめゆりの塔』吉永小百合 1968、日活
4.ひめゆり学徒隊平和記念資料館
5.「ふるさと」文部省唱歌
一 夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷
二 雨に風につけても
思いいずる故郷
三 志を果たして いつの日にか帰らん
山は青き故郷 水は清き故郷
6.聖母(マドンナ)たちのララバイ
さあ 眠りなさい 疲れきった身体を投げ出して 青いその瞼を 唇でそっとふさぎましょう。ああ できるのなら生まれ変わり あなたの母になって 私のこの命さえ 投げ出してあなたを守りたいのです。この街は戦場だから 男はみんな傷を負った戦士 どうぞ心の痛みを拭って 小さな子供の昔にかえって 熱い胸に甘えて。
大久保正雄2016年9月4日

2016年9月 1日 (木)

新古今歌人、悲恋の花、式子内親王、西行、美への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第92回新古今歌人
新古今歌人、悲恋の花、式子内親王、西行、美への旅

美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

★■【逢ひて逢はぬ恋】『新古今和歌集』の悲恋の歌
【逢ひて逢はぬ恋】、逢はぬ恋、見ぬ恋、忍ぶ恋。有限な人間のかなわぬ恋の歌。自由奔放な人の心と人間社会の葛藤の果てに生まれる歌。悲恋の歌の背後には、新古今歌人の悲恋がある。人の運命との戦いが、悲恋である。
玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする 新古今 恋一 1034

定家と式子内親王 秘められた恋
■式子内親王、忍ぶ恋 玉の緒よ絶えなば絶えね
式子内親王
生年不詳*久安五~建仁一(1149~1201)
後白河天皇の第三皇女。加茂神社の斎院、のち出家。
玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする 新古今 恋一 1034
式子内親王は斎院(賀茂神社に奉仕する未婚の皇女)であり、藤原定家とは身分が遥かに違い、かつ生涯独身でなければならない身であった。
題詠通り「忍恋」であったことは想像に難くない。★

■新古今歌人、西行(佐藤義清)の謎 
鳥羽院の北面武士であったが、鳥羽院の女に手をだし、23歳で出家。「高貴な上臈女房と逢瀬をもった」『源平盛衰記』。女は、待賢門院璋子、璋子は、鳥羽上皇の中宮にして白河法皇の愛妾。美福門院説あり。鳥羽院の中宮璋子(待賢門院)は、西行となる北面武士佐藤義清に想いを寄せられ、鳥羽院と三角関係になる。身分違いの恋に苦悩する文武両道に秀で容姿端麗な義清(西行)は誠実な教養人、父白河法皇に複雑な感情を抱える鳥羽院。
新古今歌人、西行は、
願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ『山家集』(続古今1527)
歌に詠んだ通り、1190年3月31日、陰暦2月16日、釈尊涅槃の日に入寂。73歳。
西行(佐藤義清)(1118~1190)。

■悲劇の新古今歌人、藤原良経 38歳で急死
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしき独りかも寝む  『新古今集』秋・518
秋篠月淸集、藤原良経、後京極摂政前太政大臣(百人一首91番)
藤原良経(よしつね)。関白藤原兼実(かねざね)の子。摂政・太政大臣になったが38歳で急死。早熟の天才で、10代の頃の歌が千載集に7首。新古今和歌集の仮名序を書き、号を秋篠月清という。『秋篠月淸集』がある。御祖父が百人一首76番に登場する法性寺忠通、叔父が92番の慈円法師。
★『六百番歌合』恋五十題
塚本邦雄は、『六百番歌合』恋五十題について、詳細な書を書いている。
塚本邦雄『戀 六百番歌合-《戀》の詞花対位法』文藝春秋
【『六百番歌合』より換骨奪胎された歌題一覧】
「初戀」「忍戀」「聞戀」「見戀」「尋戀」
「祈戀」「契戀」「待戀」「遇戀」「別戀」
「顯戀」「稀戀」「絶戀」「恨戀」「舊戀」
「曉戀」「朝戀」「晝戀」「夕戀」「夜戀」
「老戀」「幼戀」「遠戀」「近戀」「旅戀」(以上25歌題、上巻所収)
「寄月戀」「寄雲戀」「寄風戀」「寄雨戀」「寄煙戀」
「寄山戀」「寄海戀」「寄河戀」「寄關戀」「寄橋戀」
「寄草戀」「寄木戀」「寄鳥戀」「寄獸戀」「寄蟲戀」
「寄笛戀」「寄琴戀」「寄繪戀」「寄衣戀」「寄席戀」
「寄遊女戀」「寄傀儡戀」「寄海人戀」「寄樵夫戀」「寄商人戀」(以上25歌題、下巻所収)
★俵屋宗達、本阿弥光悦「新古今、鹿下絵和歌巻」
★下村寒山『小倉山』1909
藤原忠平が詠んだ『小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの 御幸待たなむ』一首をモチーフにした六曲一双の屏風絵。
★参考文献
久保田淳『新古今歌人の研究』1973
久保田淳『藤原定家全歌集』河出書房新社1986
久保田淳『新古今和歌集全評釈』講談社1976-77
久保田淳『藤原定家』集英社1984
久保田淳 訳注『新古今和歌集』上下、角川ソフィア文庫
塚本邦雄『新古今新考―斷崖の美學』花曜社1981
塚本邦雄『戀 六百番歌合-《戀》の詞花対位法』
塚本邦雄『定家百首 良夜爛漫』
★山口博『王朝貴族物語』第2章、講談社現代新書1994
大久保正雄2016年9月1日

2016年8月31日 (水)

新古今歌人、妖艶の美学、藤原定家、美への旅

Sakurako_2013033101大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第91回
新古今歌人、妖艶の美学、藤原定家、美への旅

美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■『新古今和歌集』は、戦乱の時代、唯美主義的、夢幻的詩歌を探求した。
新古今歌人は、藤原俊成によって育成された。俊成は『千載和歌集』(1188)を編纂し『六百番歌合』(1193)『千五百番歌合』(1201)の判者をつとめ、次代の歌人を育成した。定家の父である。俊成は、美副門院の加賀を娶り、子の定家、孫の俊成女らに教育をほどこし、新古今歌人を育成する。藤原俊成は、余情幽玄の歌風を構築した。新古今歌人には、悲恋の人が多い。『新古今和歌集』の美学のゆえか、悲劇、悲恋、不遇を超えて、運命と戦う詩人が多い。
藤原定家は、権力者との確執から不遇の貴族であった。逆境を超えて、雌伏の歳月を耐え、『新古今和歌集』選者となり、至高の妖艶の詩歌を探求した。唯美主義的、夢幻的詩歌の極致を探求した。
運命と戦う歌人は、不遇、悲劇、悲恋に苦悩しながら、余情妖艶の極致を追求した。
苦悩する新古今歌人には、俊成女、式子内親王、西行。悲劇の天才歌人、良経、らがいる。
【建久七年の政変】
藤原定家、妖艶の極致を示す御室五十首の歌は、建久七年の政変の無慚の世、九条家の沈淪の不遇の中で詠まれた。
御室五十首、建久九年
春の夜の夢のうき橋と絶えして峰にわかるる横雲のそら(新古今38)

■【逢ひて逢はぬ恋】『新古今和歌集』の悲恋の歌
【逢ひて逢はぬ恋】、逢はぬ恋、見ぬ恋、忍ぶ恋。有限な人間のかなわぬ恋の歌。自由奔放な人の心と人間社会の葛藤の果てに生まれる歌。悲恋の歌の背後には、新古今歌人の悲恋がある。人の運命との戦いが、悲恋である。
玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする 新古今 恋一 1034
■式子内親王、忍ぶ恋 玉の緒よ絶えなば絶えね
式子内親王
生年不詳*久安五~建仁一(1149~1201)
後白河天皇の第三皇女。加茂神社の斎院、のち出家。
玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする 新古今 恋一 1034
式子内親王は斎院(賀茂神社に奉仕する未婚の皇女)であり、藤原定家とは身分が遥かに違い、かつ生涯独身でなければならない身であった。
題詠通り「忍恋」であったことは想像に難くない。

■藤原定家
春の夜のゆめのうき橋とだえして峰にわかるる横雲のそら(新古38)
梅の花にほひをうつす袖のうへに軒もる月のかげぞあらそふ(新古44)
くりかへし春のいとゆふいく世へておなじみどりの空にみゆらん
花の香のかすめる月にあくがれて夢もさだかに見えぬ頃かな 藤原定家
うつり香の身にしむばかり契るとて扇の風の行へたづねば 藤原定家
さゆりばのしられぬ恋もあるものを身よりあまりてゆく蛍かな
かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ 新古今和歌集(新古1390)
白妙の露の袖れに露おちて身にしむ色の秋風ぞ吹く 新古今 恋 一三三六
玉響(たまゆら)の露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風(新古今788)
かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ 新古今和歌集1390

■新古今歌人を育てた巨匠 藤原俊成
またや見む 交野のみ野の桜狩り 花の雪散る春のあけぼの 藤原俊成 新古今和歌集
皇太后宮大夫俊成 新古今 春下114
風なきに雪のように、舞うごとく散る花を眺め、漂う陽光に包まれて、ひさかたの光のどけき 爛熟した春 また見ることができるだろうか
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 『千載和歌集』二五一、百人一首。
1204、『新古今和歌集』完成を見ずに、亡くなる。63歳。
★文治四年(1188)『千載和歌集』(1188)
★建久四年(1193)『六百番歌合』(1193)
★建仁元年(1201)『千五百番歌合』(1201)

■『六百番歌合』「恋五十番」
新古今和歌集、妖艶美。恋は、悲恋の美。不遇戀、忍戀、遇不遇戀に極まる。『六百番歌合』「戀五十番」、詳細に体系化された悲恋の美。
25題は恋の進行状態による設題、25題は「寄物恋」。題詠は細分化体系化した。
■『六百番歌合』『千五百番歌合』
『六百番歌合』建久四年1193 藤原良経主催でなされた歌合。判者藤原俊成の判詞「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」などで知られ、後の千五百番歌合とならび歌合の最高峰。
御子左家一派の新指導権は、六条藤家一派と対決する。歌題は春15・夏10・秋15・冬10・恋50の百題。恋部は前半25題が恋の進行状態による設題、後半25題が「寄物恋」型の組題となる。34首が『新古今和歌集』に入撰している。
『千五百番歌合』20巻。建仁1 (1201) 年後鳥羽上皇が詠進させた百首歌を歌合形式にした。歌合としての成立は同3年春頃。 千五百番、三千首から成り,歌合史上空前絶後。
後鳥羽上皇ほか三十人が各人百首ずつ計三千首を詠じ、上皇・藤原俊成・藤原良経・慈円・藤原定家など十人が判者となる。新古今時代最大の歌合で、新古今集に九十首が撰入。

■新古今歌人 藤原俊成女の謎
実父藤原盛頼が、1177年(安元3年)発生した、鹿ケ谷の陰謀の首謀者の一人藤原成親の弟として責任を問われ失脚、母方の祖父である藤原俊成に引き取られ娘として養育された。堀川大納言源通具の妻。新妻に迎えるに及んで、行き場のなくなった俊成女は、後鳥羽院歌壇に生きる場を見出す。『新古今和歌集』以降の勅撰集、定数歌、歌合等に多数の作品を残している。逆境の中で、美を探求した歌人
風かよふねざめの袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢(新古今112)千五百番歌合
梅の花あかぬ色香もむかしにておなじかたみの春の夜の月(新古今47)千五百番歌合
恨みずやうき世を花のいとひつつ誘ふ風あらばと思ひけるをば(新古今40)
月影もうつろふ花にかはる色の夕べを春もみよしの山(俊成卿女集補遺)
ながむれば我が身ひとつのあらぬ世に昔に似たる春の夜の月(続後撰146)
橘のにほふあたりのうたたねは夢もむかしの袖の香ぞする(新古今245)
*五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする 詠み人しらず「古今集」
■『百人一首』
耽美的夢幻的詩人、藤原定家(1162-1241)、『百人一首』は、嵯峨野小倉山荘で作られた。
藤原定家の日記『明月記』の文暦2年5月27日(1235年6月14日)の条に「古来の人の歌各一首」を書き送った記述がある。これが『百人秀歌』である。晩年の定家74歳。
定家の子、為家の岳父、宇都宮頼綱の嵯峨野の山荘の襖に貼る色紙として、百首えらばれた。『百人一首』には、新古今歌人、定家に近い人々の歌が鏤めれれている。
小倉山荘は、猿丸太夫の歌の雰囲気である。
奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき 猿丸大夫
■【定家の悩み】
定家は、官途不遇の悩みを懐き、悩んだ。背景には、四位以上の貴族1千人の競争社会がある。
■王朝官僚ピラミッド ピラミッド・クライマーの官僚たち
奈良平安時代は、すべての産業は国家事業である。あるのは国家の行政職だけで、総定員1万3千人、正規雇用といえる職員は、1千人。正一位にいたる三十階級に位置づけられる。
五位以上でなければ貴族ではない。「五位は物の数でもない」紫式部日記。
★山口博『王朝貴族物語』第2章、講談社現代新書1994
★東寺

★参考文献
次ページ参照
大久保正雄2016年8月31日

2016年8月13日 (土)

宮澤賢治 光輝く天の仕事 美への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第80回宮澤賢治 光輝く天の仕事P1—7

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。
美しい天使が舞い下りる。美しい天使が、あなたを救う。
瞬間のなかに永遠がある。微小な世界に、宇宙がある。因陀羅の網をひろげ三昧する。一即一切、一切即一*。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

宮澤賢治の世界は、生死の境の物語である。幽明界の境、他界への憧憬、食物連鎖の競走界からの逸脱、他界からの訪問者、天の童子のこの世への降臨、この世に生きる悲傷がある。宮澤賢治は、この世で人のために尽くし、人を救おうとしたが、この世に生きることに苦しんだ。人の苦しみ、心の痛みを体感する人である。知恵に至る旅の途中の幻想の城、法へ至る化城(『法華経』化城喩品)なのか。
天界からこの世に降りてきた魂。天の童子。
生きとし生けるものの悲しみを聞き苦しみを取り除く観世音菩薩なのだろう。

宮澤賢治の世界は、宇宙意志の芽生えといわれるが、如来の世界と一体化したのか。
この世は、法界体性智の現れなのか。
宇宙意志の現れというには、この世はあまりに残酷である。
生命界、人間界、いきものは競争と殺戮に満ちて、生きていくことは苦しい。
「かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。」『よだかの星』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■宮澤賢治、年代記
1896—1908 幼年期、賢治12歳
1909—1914 盛岡中学時代、賢治18歳
1915—1920 盛岡高等農林学校時代、賢治24歳
★1917年、同人雑誌『アザリア』第1号、発刊。同人12人。21歳。
1921—1925 家出上京、農林学校教師時代、賢治29歳
★1924年、『春と修羅』自費出版、イーハトブ童話『注文の多い料理店』刊。28歳。
 ★『銀河鉄道の夜』初稿、書く。
 ★1925「告別」春と修羅、第2集
1926—1928 羅須地人協会時代、賢治30—32歳
1902—1932 闘病、東北砕石工場技師時代。喀血。賢治36歳で死去。

■宮澤賢治のことば
★『春と修羅』(mental sketch modified)
れいろうの天の海には、聖玻璃の風が行き交ひ
★『よだかの星』
自分のからだがいま燐の火のような美しい光になって、しずかに燃えている。
「かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。」
★『注文の多い料理店』序 
きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をたべることができます。
あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。
『春と修羅・序』わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
★『雁の童子』無上菩提
★『雁の童子』可愛らしい天の子供、天の眷属、天の童子、沙車大寺
流沙の南の、楊で囲まれた小さな泉で、私は、いった麦 粉を水にといて、昼の食事をして居りました。
そのとき次々に雁が地面に落ちて来て燃えました。
私共は天の眷属でございます。罪があってたゞいままで雁の形を 受けて居りました。只今報ひを果しました。私共は天に帰ります。
沙車の町はづれの砂の中から、古い沙車大寺の あとが掘り出されたとのことでございました。一つの壁がまだその まゝで見附けられ、そこには三人の天童子が描かれ、ことにその一 人はまるで生きたやうだとみんなが評判しましたさうです。
(勿論だ。この人の大きな旅では、自分だけひとり遠い光の空へ飛び去ることはいけないのだ。)
そしてお二人は町の広場を通り抜けて、だんだん郊外に来られま した。沙がずうっとひろがって居りました。その砂が一ところ深く 掘られて、沢山の人がその中に立ってございました。お二人も下り て行かれたのです。そこに古い一つの壁がありました。色はあせて はゐましたが、三人の天の童子たちがかいてございました。須利耶 さまは思わずどきっとなりました。
『業の花びら』ああ誰か来てわたくしに云へ 億の巨匠が並んで生まれ しかも互いに相犯さない 明るい世界は必ず来ると
★『学者アラムハルドの見た着物』
人はまことを求める。真理を求める。ほんとうの道を求めるのだ。人が道を求めないでいられないことはちょうど鳥の飛ばないでいられないとおんなじだ。おまえたちはよくおぼえなければいけない。人は善を愛し道を求めないでいられない。それが人の性質だ。これをおまえたちは堅くおぼえてあとでも決して忘れてはいけない。おまえたちはみなこれから人生という非常なけわしいみちをあるかなければならない。たとえばそれは葱嶺の氷や辛度の流れや流沙の火やでいっぱいなようなものだ。そのどこを通るときも決して今の二つを忘れてはいけない。それはおまえたちをまもる。それはいつもおまえたちを教える。決して忘れてはいけない。
★『インドラの網』于閻大寺の壁画のなかの子供、天の子供
(とうとうまぎれ込んだ、人の世界のツェラ高原の空間から天の空間へふっとまぎれこんだのだ。)私は胸を躍らせながら斯う思いました。
ふと私は私の前に三人の天の子供らを見ました。それはみな霜を織ったような羅をつけすきとおる沓をはき私の前の水際に立ってしきりに東の空をのぞみ太陽の昇るのを待っているようでした。その東の空はもう白く燃えていました。私は天の子供らのひだのつけようからそのガンダーラ系統なのを知りました。又そのたしかにコウタン大寺の廃趾から発掘された壁画の中の三人なことを知りました。私はしずかにそっちへ進み愕かさないようにごく声低く挨拶しました。
『銀河鉄道の夜』
けれどもほんとうのさいわいとは、
「けれども誰だってほんたうにいいことをしたらいちばん幸せなんだね。」(「銀河鉄道の夜」より、カムパネルラの言葉)
★『告別』『春と修羅』第2集 かゞやく天の仕事もするだらう
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
*『書簡』
「宇宙意志があってあらゆる生物をほんたうの幸福に齎したいと考えているものか」「あらゆる迷誤をはなれてあらゆる生物を究竟の幸福にいたらしめようとしている」(書簡『校本宮澤賢治全集』第十三巻453—454)

■星空の旅人、星空の案内人
地平線、地平線 灰色はがねの天末で 銀河のはじが、茫乎とけむる
■「星月夜の糸杉」
賢治は『白樺』にて「星月夜の糸杉」をみたらしい。The drawing Cypresses in Starry Night
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Starry_Night
■世界観の展開
『法華経』から、因陀羅の網、一即一切、一切即一(『華厳経』)へ。
■『春と修羅』
告別、宮澤賢治、春と修羅、第2集
三八四  告別
一九二五、一〇、二五、

おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管くゎんとをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
「宮沢賢治全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年2月26日第1刷発行

春と修羅(mental sketch modified)宮澤賢治

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
 れいろうの天の海には
  聖玻璃の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN 春のいちれつ
    くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげろふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥)
  日輪青くかげろへば
    修羅は樹林に交響し
     陥りくらむ天の椀から
      黒い木の群落が延び
       その枝はかなしくしげり
      すべて二重の風景を
     喪神[そうしん]の森の梢から
    ひらめいてとびたつからす
    (気層いよいよすみわたり
     ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截[き]る
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる)

あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
★★
★Gogh, Starry night, 1889, Metropolitan Museum
★ゴッホ『星月夜』1889年ニューヨーク・メトロポリタン美術館
★参考文献
天澤退二郎、入澤康夫編『校本宮澤賢治全集』筑摩書房
佐藤泰正編『宮澤賢治必携』『別冊国文学 No.6』学燈社1980
『国文学 解釈と教材の研究 特集 宮沢賢治を読むための研究事典』学燈社1989年
『国文学 解釈と教材の研究 臨時増刊号 宮沢賢治の全童話を読む』学燈社2003年
天澤退二郎編『宮澤賢治万華鏡』新潮文庫
天澤退二郎編『銀河鉄道の夜』新潮文庫
天澤退二郎『《宮澤賢治》論』筑摩書房1976
天澤退二郎『宮沢賢治の彼方へ』思潮社1968ちくま学芸文庫
山内修『宮澤賢治 年表作家読本』河出書房新社P101
「星月夜の糸杉」The drawing Cypresses in Starry Night
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Starry_Night
原子朗『新宮沢賢治語彙辞典』東京書籍1999
大久保正雄 2016年8月12日

2016年8月10日 (水)

ロマン派詩人 地中海の旅 美への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第77回ロマン派詩人と地中海
ロマン派詩人 地中海の旅 美への旅

美は真であり、真は美である。汝、生涯に知るべきことはそれがすべてである。
はちみつ色の夕暮れ。黄昏の丘、黄昏の森、迷宮図書館、知の神殿。瞬間のなかに永遠がある。微小な世界に、宇宙がある。一即一切、一切即一(『華厳経』)。
藝術家、思想家たちは、地中海へ旅をした。燦めきの海、エーゲ海の旅は、美しい思想を湧き起こす。美しい思いは美しい人を引き寄せる。作者は、作品である。最高の藝術作品は美しい人生である。エフェソスのアルテミス神殿に佇むと、古代の哲学がよみがえる。ヘラクレイトスの思想、宇宙の回帰的時間。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

紀元前6世紀、ピュタゴラスは、サモス島からイタリアのクロトンへ旅した。紀元前4世紀、プラトンは、イタリアへ旅した。
ローマ皇帝ハドリアヌスは、ギリシアに魅せられ、地中海を旅した。15世紀、ルネサンス人は、ギリシアとローマ帝国の藝術に憧れた。愛の女神ヴィーナスの国。

■ロマン派の詩の花
一粒の砂に世界を見る。一輪の野の花に天国を見る。掌に無限を掴み、一時のうちに永遠を感じる。ウィリアム・ブレイク『無垢の予兆』William Blake,Auguries of Innocence
To see a world in a grain of sand. And a heaven in a wild flower, Hold infinity in the palm of your hand. And eternity in an hour.
彼女は、美に包まれて歩く。雲影もない国、星ひかる、夜空のように、漆黒の煌めくもの、善きものはことごとく、彼女の姿と瞳のなかにある。
バイロン『彼女は、美に包まれて歩く』George Gordon Byron,She walks in beauty.
美は真であり、真は美である。汝が生涯に知るべきことはそれがすべてである。
キーツ『ギリシャの古壺のオード』John Keats, Ode on a Grecian Urn
Beauty is truth, truth beauty, That all ye know in life, all ye need to know.
低く暮らし、高く思う。ウィリアム・ワーズワース。
Plain living and high thinking, William Wordsworth, London 1802
孫崎享 若い世代へ“低く暮らし、高く思う”ワーズワース。若い人の目標はより高い地位、物質的に豊かな生活。https://t.co/skJZT7SehW

■ロマン派詩人と地中海、異界への旅
ウィリアム・ブレイク(William Blake,1757-1827)。ロマン派の嚆矢。幻視力によって、人間の魂の姿を描く詩人。自由を抑圧する制度に反抗し、魂の解放を歌う。『無垢の歌』(The Songs of Innocence, 1789年)、『無垢と経験の歌』(The Songs of Innocence and of Experience, 1794年)、『天国と地獄の結婚』(The Marriage of Heaven and Hell, 1790年から1793年頃)
ロマン主義の詩人バイロン(George Gordon Byron,1788-1824)は、イタリア、ギリシアに憧れ、『チャイルド・ハロルドの遍歴』(Childe Harold's Pilgrimage, 1812)を書き、1823年ギリシア独立戦争へ身を投じる。ギリシアで、36歳で亡くなる。
詩人シェリー(Percy Bysshe Shelley,1792-1822)は、ギリシアに憬れ、1818年、詩人シェリーはメアリーを連れてイタリアに赴き、フィレンツェ、ピサ、ナポリ、ローマ各地を転々としながらプラトンの『饗宴』を翻訳し、『縛を解かれたプロメテウス』(Prometheus Unbound)を執筆した。難破して、地中海で死んだ。享年30歳。
詩人ジョン・キーツ(John Keats, 1795-1821)。1821年25歳の若さで死ぬ。ローマのスペイン広場の近くに住み、そこで結核で死ぬ。友人シェリーは挽歌「アドネイス」を書いてキーツの死を悼む。バイロンは、キーツとは余り深い交友はなかったが、その才能を高く評価していた。1819年、『秋に寄せて』(To Autumn)、『ギリシャの古壺のオード』(Ode on a Grecian Urn)代表作オードが次々と発表された。
ドイツ古典主義詩人アウグスト・フォン・プラーテン(August Graf von Platen-Hallermunde1796-1835)は、バイエルン出身。イタリアを永住の地と定め、シチリアのシラクサで死んだ。詩集『ベネチアのソネット』(1825)『トリスタンとイゾルデ』(1825)を残した。ロマン主義的詩である。
プラーテン『トリスタン』(生田春月訳)「美はしきもの見し人は、はや死の手にぞわたされつ、世のいそしみにかなはねば、されど死を見てふるふべし、美はしきもの見し人は。
愛の痛みは果てもなし、この世におもひをかなへんと、望むはひとり痴者ぞかし、美の矢にあたりしその人に、愛の痛みは果てもなし。
げに泉のごとも涸れはてん、ひと息ごとに毒を吸ひ、ひと花ごとに死を嗅がむ、美はしきもの見し人は、げに泉のごとも涸れはてん」。

■ロマン主義
ロマン派は、真の愛の探求、自由奔放の追求、階級社会に対する抵抗、理想主義の探求が根源にある。シェイクスピア(William Shakespeare,1564-1616)は、愛の探求、自由奔放の追求を、『ロミオとジュリエット』他で、表現した。(Cf.小田島雄志『シェイクスピアの人間学』)
イギリスのロマン主義詩人は、ウィリアム・ブレイク(William Blake,1757-1827)の詩を萌芽とする。ウィリアム・ワーズワース、バイロン、シェリー、キーツによって展開される。
ウィリアム・ワーズワース(Sir William Wordsworth, 1770- 1850)、イギリスのロマン派詩人。湖水地方をこよなく愛し、純真であると共に情熱を秘めた自然讃美詩を書いた。だが晩年、体制化した。ナポレオン戦争後、ジョージ・ゴードン・バイロン、パーシー・ビッシュ・シェリー、ジョン・キーツらは先鋭化しイギリスを去ってスイス・イタリアに移り、理想主義を掲げた。
■藝術家たちの地中海への旅
地中海は、藝術家、思想家たちを魅了してきた。
燦めきの海、エーゲ海の旅は、美しい思想を思い出す。美しい思いは美しい人を引き寄せる。最高の藝術作品は美しい人生である。エフェソスの幻のアルテミス神殿に佇むと、ヘラクレイトスの思想を思い出す。
地中海は、知恵と愛、幸福、美の国である。愛の女神ヴィーナスの国である。
哲学者たち、藝術家たちは何を求めて旅したのか。藝術家たちが地中海を旅したのは何故か。
17世紀、画家クロード・ロラン(Ciaude Lorrain,1600-1682)はイタリアで生涯を終えた。18世紀、ギャヴィン・ハミルトン(1723-98)は、イタリアと古代彫刻に魅せられイタリアで生涯を終えた。フランス革命の画家たち、ダヴィッド、アングル、フランソワ・ジェラールは、イタリアに魅せられ旅した。
ゲーテは、1786年イタリアに旅立ち、『イタリア紀行』(Italienische Reise,1816-1817)を書いた。スタンダールは、イタリアに憧れ、1799年、陸軍少尉としてイタリア遠征し、『イタリア紀行 ローマ、ナポリ、フィレンツェ』("Rome, Naples et Florence",1817)を書いた。スタンダールは、軍人となっても馬に乗る事も剣を振るう事も出来ず女遊びと観劇に現をぬかした。『恋愛論』("De l'amour", 1822)を書き、第一の結晶作用、情熱恋愛、恋愛至上主義、「己の全存在を賭けての愛」を主張した。
リルケ(Rilke,1875-1926)は、アドリア海に臨む孤城、ドゥイノの館に滞在し、イタリア、エジプト、スペインを旅し『ドゥイノの悲歌』(1923)『オルフォイスへのソネット』(1923)を書いた。
ニーチェ(Nietzsche,1844-1900)は、1879年から1889年まで様々な都市を旅し、哲学者として生活した。夏はスイス、サンモリッツ近郊ジルス・マリア、冬はイタリアのジェノヴァ、ラパッロ、トリノ、フランスのニースで過ごした。『ツァラトゥストラかく語りき』(Also sprach Zarathustra, 1883-91)、『善悪の彼岸』(Jenseits von Gut und Böse, 1886)、哲学書はこの10年間に書かれた。
ギャヴィン・ハミルトン(Gavin Hamilton, 1723-98) 。新古典主義の画家。1740年代グラスゴー大学とローマで学ぶ、1756年ローマにもどり、イタリアで生涯を終えた。イタリアに魅せられ、40年イタリアに暮らし、古代彫刻「アルテミス」「パリス」などローマ彫刻を発掘した。ギャヴィン・ハミルトンは、1785年、レオナルド「岩窟の聖母」the National Gallery, London, of Leonardo da Vinci's Virgin of the Rocksを購入し、ロンドンへ送った。
「トロイアの王子パリスに、スパルタのヘレネを引き合わせる愛の女神ヴィーナス」の絵を2度、描いている。「トロイアの王子パリスに、スパルタのヘレネを引き合わせる愛の女神ヴィーナス」パリスの審判、トロイア戦争の原因の有名な場面である。
"Venus giving Paris Helen as his wife" ,by Hamilton (1782-1784), held by the Palazzo Braschi, Rome
"Vénus présentant Hélène à Pâris", 1777-80, Musée du Louvre
―――――
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅
https://t.co/hjc7vHF74b
地中海 四千年のものがたり・・・藝術家たちの地中海への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-883e.html
★Aegean Sea,
★George Gordon Byron,

★参考文献
寿岳文章ウィリアム・ブレイク『無心の歌、有心の歌』角川文庫1999
阿部知二『バイロン詩集』新潮文庫1951
上田和夫『シェリー詩集』新潮文庫
『ワーズワース詩集』岩波文庫
小田島雄志『小田島雄志のシェイクスピア遊学』白水Uブックス1982
小田島雄志『シェイクスピア全集』白水Uブックス
小田島雄志『シェイクスピアの人間学』2007
大久保正雄2016年8月10日

2016年8月 3日 (水)

新古今歌人、乱世に咲く花 美への旅 

Kouetsu_02jpg_2Kouetsu_03大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第70回 新古今歌人
新古今歌人、美への旅 乱世に咲く花

『新古今和歌集』 乱世に咲く花
新古今和歌集の時代は、源平の争乱、壇ノ浦の戦い(1185)平家滅亡から、源実朝の死による源氏滅亡(1219)、承久の変(1221)まで、価値観が崩壊する時代、乱世である。
新古今和歌集の美的理念は、象徴による観念の形象化、観念と感覚的形象の照応、余情美、妖艶、絵画的空間性、幻想、寂寥、有心、幽玄。
藤原俊成は幽玄美の世界を作り『千載和歌集』(1188)を選進、新古今歌人を養成した。
藤原定家は、幽玄美の世界から、さらに奥を究め、妖艶美を追求した。
藤原定家は、世上乱逆追討に背を向け、官途不遇の嘆きを超え、名歌を生みだす。
定家は、『新古今和歌集』(1205)選者となる。『新古今和歌集』竟宴には欠席した。
俊成が育てた新古今歌人は、幻想的で、余情漂う妖艶な美の世界を構築した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■琳派の絵巻 『鹿下絵新古今和歌巻』
17世紀、琳派の創始者、本阿弥光悦、俵屋宗達による『鹿下絵新古今和歌巻』があり、現在は断簡として残っている。書:本阿弥光悦筆 画:俵屋宗達筆。
華麗なる絵巻に、28首の和歌が散らし書きされている。鹿の主題のみが、展開される美しい世界である。
本阿弥光悦、俵屋宗達『鶴図下絵三十六歌和歌巻』『三十六歌仙絵巻』とともに、傑作絵巻である。

■悲恋の花
藤原定家と式子内親王の間には悲恋があったと想像される。西行と後白河法皇の愛妾、待賢門院璋子は禁断の愛あがったと記録される。
式子内親王の歌「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする」(新古今1034)
私の命よ絶えるなら絶えてしまえ。このまま生きながらえれば、心に秘めた恋が表に現れてしまいそうだから。
生涯独身で過ごした式子内親王。忍ぶ愛の相手は、藤原定家であるかもしれない。
北面武士の佐藤義清は、23歳のとき、宮廷を辞め、出家した。
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ(続古今1527)
この歌には、秘められた恋の記憶が籠められているのか。

■新古今歌人 秀歌
藤原定家
大空は梅の匂いに霞みつつ曇りも果てぬ春の夜の月 新古今和歌集春上40
春の夜のゆめのうき橋とだえして峰にわかるる横雲のそら(新古今38)
梅の花にほひをうつす袖のうへに軒もる月のかげぞあらそふ(新古今44)春上
くりかへし春のいとゆふいく世へておなじみどりの空にみゆらん
花の香のかすめる月にあくがれて夢もさだかに見えぬ頃かな 藤原定家
うつり香の身にしむばかり契るとて扇の風の行へたづねば 藤原定家
さゆりばのしられぬ恋もあるものを身よりあまりてゆく蛍かな
かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ(新古今1390)
白妙の露の袖れに露おちて身にしむ色の秋風ぞ吹く 新古今 恋 一三三六
玉響(たまゆら)の露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風(新古今788)哀傷歌。
 *一一九三年7月二日亡母を偲び詠歌。二月十三日定家母没。
駒とめて 袖うちはらふ陰もなし 佐野のわたりの雪の夕暮れ (新古今671)

藤原俊成女
風かよふねざめの袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢(新古今112)千五百番歌合
梅の花あかぬ色香もむかしにておなじかたみの春の夜の月(新古今47)千五百番歌合
恨みずやうき世を花のいとひつつ誘ふ風あらばと思ひけるをば(新古今40)
月影もうつろふ花にかはる色の夕べを春もみよしの山(俊成卿女集補遺)
ながむれば我が身ひとつのあらぬ世に昔に似たる春の夜の月(続後撰146)
橘のにほふあたりのうたたねは夢もむかしの袖の香ぞする(新古今245)
 本歌*五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする 詠み人しらず 古今和歌集

式子内親王
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする」(新古今 恋一1034)
私の命よ絶えるなら絶えてしまえ。このまま生きながらえれば、心に秘めた恋が表に現れてしまいそうだから。

藤原俊成
またや見む交野の御野の桜がり花の雪ちる春の曙(新古今114)
石ばしる水の白玉数見えて清滝川にすめる月影(千載284)

■新古今歌人年代記
『千載和歌集』『新古今和歌集』の時代は、後白河上皇、後鳥羽上皇の時代である。
■【後白河上皇】院政1158—1179
平氏と対抗。平氏滅亡を目指す。1185年、壇ノ浦の戦い、平家滅亡。
★1183、第七の勅撰和歌集『千載和歌集』撰進、1188年、完成。
後白河上皇は、源平の合戦の裏表で暗躍し、★源頼朝に「日本一の大天狗」と言わせた。権謀術数に長けた人。若い世代の武士勢力である源義朝や平清盛を味方につけ、崇徳上皇のクーデター(保元の乱)を粉砕。源頼朝に平氏を打倒させる。
■【後鳥羽上皇】院政1198—1221
★1201和歌所を設置。
★1205『新古今和歌集』竟宴。第八の勅撰和歌集。以後も切り継ぎ。「隠岐本」。
九条兼実らの親幕派と対抗。幕府討伐を目指す。1221年、承久の乱、挙兵して敗北。隠岐に配流される。

■藤原俊成1141—1204
★寿永二年(1183)、後白河院の下命により七番目の勅撰和歌集『千載和歌集』の撰進に着手し、息子定家の助力も得て、文治四年(1188)に完成。
★建久四年(1193)、『六百番歌合』判者。
文治八年(1192)、式子内親王の下命に応じ、歌論書『古来風躰抄』を献ずる。この頃歌壇は後鳥羽院の仙洞に中心を移すが、俊成は後鳥羽院からも厚遇される。
★建仁元年(1201)には『千五百番歌合』判者。
1204、『新古今和歌集』完成を見ずに、亡くなる。63歳。

■藤原定家1162—1241
応保二年(1162)、藤原俊成(顕広)四十九歳の時の子として生れる。母は藤原親忠女(美福門院加賀)。同母兄に成家、姉に八条院三条(俊成卿女の生母)。
★元年(1181)、二十歳の時、「初学百首」を詠む。★1182年父に命じられて「堀河題百首」を詠み、両親は息子の歌才を確信して感涙。
★建仁元年(1201)、新古今和歌集の撰者に任命され、翌年には念願の左近衛権中将の官職を得た。
★1205 二月二十六日『新古今和歌集』竟宴。藤原定家、竟宴に出席せず。批判した。
承久二年(1220)、二月十三日内裏歌会に提出した歌*が後鳥羽院の逆鱗に触れ、勅勘を被って、公の出座・出詠を禁じられる。*「道のべの野原の柳したもえぬあはれ嘆きのけぶりくらべや」定家
★承久三年(1221)五月、承久の乱が勃発。後鳥羽院は隠岐に流され、定家は西園寺家・九条家の後援のもと、社会的・経済的な安定を得る。

■俊成卿女
生没年不詳:1171年(承安元年)頃 - 1251年(建長3年)
俊成の孫、養女。

■式子内親王
生年不詳*久安五~建仁一(1149~1201)
後白河天皇の第3皇女。加茂神社の斎院、のち出家。
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする」(新古今1034)
私の命よ絶えるなら絶えてしまえ。このまま生きながらえれば、心に秘めた恋が表に現れてしまいそうだから。

■美福門院加賀(藤原親忠女)
生年未詳~建久四(1193)
藤原定家の母、藤原俊成の妻。
為経(寂超)の妻となり、康治元年(1142)、隆信を生む。為経が康治二年(1143)に出家した後、俊成と再婚し、久寿二年(1155)に成家を、応保二年(1162)に定家を生んだ。晩年出家。
たのめおかむたださばかりを契りにて憂き世の中を夢になしてよ(新古今1233)

■西行 元永元~建久元(1118~1190) 俗名:佐藤義清 法号:円位
『新古今和歌集』には最多の94首が入選している。
待賢門院璋子(1101~1145没44才)への叶わぬ恋(悲恋)がある。璋子は、皇后ながら自由奔放な恋愛をしていた。璋子は、鳥羽上皇の中宮にして白河法皇の愛妾。その身分の差は天と地ほど禁断の恋。璋子を恋慕い続けて数年がたち、北面武士の佐藤義清は23歳のとき出家した。
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ(続古今1527)

■寂蓮 生年未詳~建仁二(1202) 藤原定長 通称:少輔入道
おじ俊成の猶子となる。定家は従弟。建仁元年(1201)には和歌所寄人となり、新古今集の撰者に任命される。新古今完成前に没する。
さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮(新古今361)
今はとてたのむの雁もうちわびぬ朧月夜の明けぼのの空(新古今58)
参考文献
千人百首 藤原俊成
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/syunzei2.html
千人百首 藤原定家
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/teika.html
★本阿弥光悦、俵屋宗達『新古今和歌巻』17世紀
★本阿弥光悦、俵屋宗達『鶴図下絵三十六歌和歌巻』17世紀
★本阿弥光悦、俵屋宗達『三十六歌仙絵巻』17世紀
★参考文献
久保田淳『新古今歌人の研究』1973
久保田淳『藤原定家全歌集』河出書房新社1986
久保田淳『新古今和歌集全評釈』講談社1976-77
久保田淳『藤原定家』集英社1984
塚本邦雄『定家百首 良夜爛漫』河出書房新社1973
塚本邦雄『新古今新考 断崖の美学』花耀社1981
塚本邦雄『藤原俊成 藤原良経』筑摩書房1975
藤平春男『歌論の研究』ぺりかん社1988
久松潜一『中世歌論集』岩波文庫1932
鈴木日出男『原色小倉百人一首』文英堂2003
大久保正雄『断崖の美学 新古今和歌集の美学』1997
大久保正雄『新古今和歌集の美学 闇の中に漂う香り』1997
大久保正雄2016年8月2日

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