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名言集

2016年8月11日 (木)

シェイクスピア、 『ハムレット』のディレンマ

OpheliajohneverettmillaisThomas_francis_dicksee_ophelia大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第78回シェイクスピアのディレンマ
シェイクスピア 『ハムレット』のディレンマ

人生は戦いであり、戦場である。人は、いかに正しくても、窮地に陥ることがある。二つの道のどちらを選ぶべきか、人は苦悩する。美徳なき時代、本質直観と論証を構築することによって、悪と戦わねばならない。階級社会と権力の暴力に反抗して。ソクラテスのように
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
ディレンマ(Dilemma両刀論法)、二律背反(Antinomie)、二つの道のどちらを選ぶべきか、人は苦悩する。難問、窮地(Aporia)に陥るとき、解決法を模索する。自己矛盾する主張には、パラドックス(Paradox)がある。有名なパラドックス(Paradox)には、ソクラテスのパラドックスがある。
【ソクラテスのパラドックス】は、ソクラテスの知をめぐるパラドックスである。プラトン『ソクラテスの弁明』『メノン』。
■シェイクスピア『ハムレット』のディレンマ
生きるべきか死ぬべきか。
戦いを避けて、生きようとするなら、臆病者という汚名の恐れがある。
闘って死のうとするなら、命を失う恐れがある。
ハムレットは、生を選ぶこともできず、死を選ぶこともできず、煩悶する。
シェイクスピア『ハムレット』1600
■シェイクスピア『ハムレット』
この前提には、ハムレット王暗殺事件がある。王暗殺に、王妃ガートルードが関与している可能性がある。劇中劇で、耳から毒殺されたことが判明する。
忍耐するべきか、復讐するべきか。ディレンマ(両刀論法)である。
「口先だけで愛すると言うなら、私も口先だけで愛すると言います。
本気で愛するというなら、私も本気で無視するといいます。」イモージェン、シェイクスピア『シンベリン』
ディレンマ(Dilemma両刀論法)は、2つの互いに対立しあう主張が、同時に成り立つ。互いに矛盾することである。一方が成り立てば、他方が成り立たない。
トリレンマ(Trilemma)は、3つの互いに対立しあう主張が、同時に成り立つことである。
シェイクスピア『ハムレット』は、デンマーク王家、王宮エルシノア城で起きる事件である。

■エウリピデス『オレステス』のディレンマ
『ハムレット』は、ハムレット王暗殺をめぐり、ハムレットが、新しい王と王妃に復讐を遂げる復讐劇である。これは、古代ギリシア悲劇の同工異曲である。
『オレステス』は、アガメムノン王暗殺をめぐり、オレステスが、王妃クリュタイムネストラと愛人アイギストスに復讐を遂げる復讐劇である。
オレステスは、姉エレクトラと一緒に、王妃クリュタイムネストラを殺害し、その後、煩悶する。
『オレステイア』三部作は、ミュケナイ王家の悲劇、トロイア戦争後、紀元前1200年の復讐劇である。
【タンタロスの呪い、ペロプスの呪い】オレステスの5世代前の事件がある。
■手塚治虫『ガラスの地球を救え』ブラック・ジャックのディレンマ
ブラック・ジャックはどんな患者でも治してしまいますから、患者は寿命が延びます。先端医療機関は、どんどん患者を救って生命を延ばします。結果的に、世の中は死ぬ人間が少なくなり、高齢化社会に傾いて行くのではないか。ブラック・ジャックは、一人患者を治すごとに、いつも悩みに苦しむのです。
人間はただ命が助かって寿命が延びただけでは「生きている」とは言えません。老人にも「生きがい」がなければ生きる気力が湧いてこない。老人に対する社会の目はかなり冷たいものがある。若さでこの世を謳歌することや、仕事に没頭することですっかり忘れている。
★ディレンマ1
高層ビル建設のために、一本のケヤキの木が伐り倒されることになる。ある老人が建設を食い止めようとするが果たせず、切り倒される最後の日、欅といっしょに酒盛りした後、その枝で首つり自殺を図る。ブラック・ジャックは、手術して助けるが、問題を抱える。老人は生きのびたが、老人にはもはや生きがいがない。
★ディレンマ2
ある老人は、腕のいい大工で、ブラック・ジャックの手術室と病室を増築することに執念を燃やす。だが中途で病に倒れる。彼は白血病で、広島で原爆にやられていた。ブラック・ジャックはその老人を前にしながら、原爆という巨大な敵をねじ伏せることができなかった。ブラック・ジャックは、医療とは何か、人間の幸福とは何か、問いを繰り返す。
「いのちはあるが、生きがいがない」「生きがいはあるが、いのちがない」ここに、ディレンマがある。
窮極のディレンマ、「生命と生きる価値」のディレンマである、と私は考える。
■加藤尚武「生命倫理学と環境倫理学の対立」ディレンマ
生命倫理学(Bioethics)と生命倫理学(Bioethics)は、ディレンマの関係にある。
ディレンマ(Dilemma)は、2つの互いに対立しあう主張が、同時に成り立つ。互いに矛盾する。一方が成り立てば、他方が成り立たない。
生命倫理学(Bioethics)は、自己決定をよりどころに展開される。環境倫理学(EmbiolonmentalEthics)は、人類の生存可能が重要な原理である。生命倫理学は個人の自己決定が原理であり、環境倫理学は全体の生存可能が原理である。
環境倫理学の基本テーゼ
1、自然物も最適の生存への権利をもつ。2、未来世代の生存権と幸福に責任をもつ。世代間倫理。3、決定の基本単位は、生態系そのもの。地球全体主義。
生命倫理学の基本テーゼ
1、生命倫理学の基本概念である生命の質は、痛いか、痛くないかという現在の感覚が価値判断の原点。2、生命倫理学は、生存権を人格に限定する。3、生命倫理学と環境倫理学の対立は、個人と全体の対立である。
★参考文献 加藤尚武『環境倫理学のすすめ』「生命倫理学と環境倫理学の対立」1991
生命倫理学(Bioethics)は、「医療や生命科学に関する倫理的・社会的・哲学的・法的問題やそれに関する問題をめぐり研究する学問」と定義されている。アメリカでの、医療における患者の人権問題が発端とされている。
加藤尚武(1937~)によると、バイオエシックスは、「自分のものは自分で決めていい」という個人主義を徹底し、相対主義の価値観に立脚して人間と人間の関係について考える学問であるとする。このため、生命倫理学と環境倫理学は本質的に対立するという。
加藤尚武は、生命倫理学と環境倫理学(EmbiolonmentalEthics)の関係をつぎのように説明する。個人主義を徹底する生命倫理学に対して環境倫理学では、地球での人間の生存を可能な状態にすることをもっとも大切な原理とし、個人の生存より生態系の存続を優先する傾向を持つとする。例えば、環境倫理学者は、人口増加を防ぐためは中絶を強制することもやむをえないと判断する。一方、生命倫理学者は、個人の自己決定権を侵害することは絶対に許されないとして、これを否定することになる。
■『ファウスト』のディレンマ
老学者ファウスト博士は、あらゆる学問を学んだが、人生の楽しみを手に入れていない。
ファウストは、悪魔と契約して魂を売りわたすかわりに、地上の快楽を手に入れる。
手塚治虫『ネオ・ファウスト』『百物語』は、ファウストのディレンマを尖鋭化してイメージ化する。若く才能がある貧しい青年と老いた金持ちのディレンマ。
「いのちはあるが、生きがいがない」「生きがいはあるが、いのちがない」ここに、ディレンマがある。窮極のディレンマ、「生命と生きる価値」のディレンマである。
この窮極には、ソクラテスの思想がある。「人はただ生きるだけではなく、よく生きること、美しく生きることが、大切である」。
■世界観の対立
倫理学の歴史は、世界観の対立の歴史である。
プラトン、アリストテレスの価値論倫理学、目的論倫理学とカントの規範倫理学、義務論倫理学との戦いである(cf.黒田亘『行為と規範』)。
だが、近代において、倫理学は堕落した。価値論倫理学は、功利主義倫理学に堕落し、規範倫理学、義務論倫理学は、階級主義倫理学に堕落した。現代は、美徳なき時代、悲劇なき時代、『いかさま師』の時代である。美徳なき時代、いかに理想と価値を再構築するか。
大久保正雄
―――――
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
https://t.co/gW05rsb44i
ソクラテスは、論理の達人に止まらず、夢と瞑想とダイモーン(守護霊)の声を聴く人。
大久保正雄『地中海紀行』第44回ソクラテスの祈り
哲学者の魂 ソクラテスの死
https://t.co/K1EiSrdg79
大久保正雄『地中海紀行』第43回哲学者の魂 ソクラテスの死1

★Thomas Francis Dicksee, Ophelia,1864
★Shakespeare, Hamlet, Elsinore Castle,Cronborg Castle
★Goethe, Faust
★参考文献
加藤尚武『環境倫理学のすすめ』1991
加藤尚武「生命倫理学と環境倫理学の対立」
山内得立『ロゴスとレンマ』岩波書店
黒田亘『行為と規範』勁草書房1991
マーティン・コーエン『倫理問題101問』ちくま学芸文庫
マーティン・コーエン『哲学問題101問』ちくま学芸文庫
Cf.山下正男『論理的に考えること』岩波書店P34
小田島雄志『小田島雄志のシェイクスピア遊学』白水Uブックス1982
監修 福田恆存『シェイクスピア・ハンドブック』三省堂1987
池内紀訳ゲーテ『ファウスト』第一部、第一部、集英社文庫2004
手塚富雄訳ゲーテ『ファウスト』第一部、第一部、中公文庫
河合祥一郎訳『ハムレット』角川文庫
環境倫理用語集 http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=3486
大久保正雄2016年8月10日

2016年8月 5日 (金)

シェイクスピア 世界劇場 美への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第72回シェイクスピア世界劇場
シェイクスピア 世界劇場 美への旅

黄昏の森を散歩する。黄昏の森の迷宮図書館で瞑想する。箪笥の中の香水壜から思い出が、魂の翼を拡げて羽ばたく。ボードレール『香水壜』のように、
人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である。シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
シェイクスピア(1564—1616)は、16世紀ルネサンス、価値の崩壊と下剋上の時代、美しく生きる人間を創造した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■シェイクスピア 世界劇場 人生は舞台
人が生きるあらゆる場面で、シェイクスピアの言葉が蘇ってくる。世界は劇場であり、人生は舞台である。
人間、衣裳をはぎ取れば、哀れな裸の二本足の動物に過ぎない。『リア王』
どんなに荒狂う嵐の日にも時間はたつのだ。『マクベス』
人は、ほほえみ、ほほえみ、しかも悪党たりうる。『ハムレット』
目はおのれを見ることができぬ、何か他のものに映してはじめて見える。『ジュリアス・シーザー』
権威の座にある人は、他のものと同じように過ちを犯しても、罪のうわべを繕う力をお持ちだから。シェイクスピア『尺には尺を』
嫉妬深い人は、理由があるから嫉妬するのではなく、嫉妬深いから嫉妬する。『オセロ』
人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時をおいて他にない。『トロイラスとクレシダ』
シェイクスピアの言葉は、人間と世界をみる鏡である。
ソクラテスは、美しく生きることを哲学の根本とした。シェイクスピア(1564—1616)は、16世紀、ルネサンスの下剋上の時代、美しく生きる人間を創造した。

■シェイクスピアと地中海
シェイクスピア(Shakespiare,1564—1616)は、一度も地中海に行ったことがない。が、地中海世界を舞台にした作品が圧倒的に多い。例えば、『オセロ』は、ヴェネツィアとキプロス島が舞台。『ハムレット』『リア王』『マクベス』『リチャード3世』など、少数の例外を除いて、地中海世界が舞台である。『ジュリアス・シーザー』『アントニーとクラオパトラ』『コリオレイナス』は、科白にいたるまで『プルタルコス英雄伝』に酷似している。『タイタス・アンドロニカス』は古代ローマを舞台にしたエリザベス朝悲惨劇である。シェイクスピアは、饒舌、言葉の洪水の魔力。複雑なプロット構成が巧み。ロマンティック劇はエウリピデスに通じる。
ギリシア悲劇の古典主義にないものは、愛を探求するロマン主義と、自由奔放である。(小田島雄志『シャイクスピアの人間学』)
『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』、イタリアを舞台とする作品が多い。シェイクスピアは、夢を劇作によって世界の形にした。夢に生きる人生は、夢を生涯追求する。
シェイクスピアとラフェロ前派(Pre-Raphaelite)
ロマン派の画家、ラフェロ前派(Pre-Raphaelite)は、シェイクスピアの世界を視覚化した。ロマン主義は、愛の主題と自由奔放が、古典主義の調和と均整の美を破る。ジョン・エヴァレット・ミレイ、ロセッティ、ウィリアム・モリスの世界は、シェイクスピアの愛の世界と通じている。

■シェイクスピアは、現象と真実(Appearance and Reality)を凝視した。プラトンの「現象と本質」「生成と存在」「虚偽と真実」の存在論と同根である。ここに、ルネサンスの萌芽がある。
■「現象と真実」Appearance and Reality
時として、見かけは本質をあらわさない。
世界は飾りによって騙される。
So may the outward shows be least themselves:
The world is still deceived with ornament.
『ヴェニスの商人』The Merchant of Venice (Bassanio at III, ii)
人は微笑みながら、惡人でありうる。
One may smile, and smile, and be a villain.
『ハムレット』Hamlet,1.4.108

「影と本質」Shadow and Substance
シェイクスピア『ソネット』53)
あなたの本質は何でしょう、あなたは何から作られているのでしょうか?
百万もの影があなたにかしづいているのはなぜでしょう?
人間はそれぞれ影をひとつだけ持っていますが、
あなたはひとりの人間なのにあらゆる影を創り出せる。
美少年アドニスの姿絵がありますが、
あれは君を描こうとして失敗したものにすぎません。
また、美の技法をつくしてヘレンの顔を描こうとしても、
結局はギリシア服のあなたを描くことになるでしょう。
うるわしの春、実りの秋にしても、
所詮あなたの美しさのものまねであり、
かぎりない豊かさをちらりと示したにすぎないでしょう。
美しいかたちがあれば必ずそこにあなたがいます。
 外見の美はすべてあなたの美しさのおすそ分け、
 でも、変わらぬ心、内面の真実はあなただけのもの。
What is your substance*1, whereof are you made,
That millions of strange shadows*2 on you tend?
The Sonnets 53 (シェイクスピア『ソネット』53)

■世界劇場
All the world's a stage, And all the men and women merely players.
この世はひとつの舞台であり、人は男も女もみな役者なのだ。『お気に召すまま』(As You Like It)
I hold the world but as a world, Gratiano, A stage where every man must play a part.
グラシアーノ、僕はこの世をひとつの世界だって思っているよ、つまり、誰もが役をこなさなけりゃならない舞台だってね。『ヴェニスの商人』(The Merchant of Venice)
How many ages hence, Shall this our lofty scene be acted over.
どのように時代は過ぎても、我らの行なったこの崇高な場面は繰り返し演じられることであろう。『ジュリアス・シーザー』(Julius Caesar)
■世界は舞台
消えろ消えろ、束の間のともし火
人生は歩く影、貧しい役者だ。
束の間の舞台の上で威張りくさって歩いてみるが、
出場が終われば耳を傾ける者もない『マクベス』
To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,
Creeps in this petty pace from day to day,
To the last syllable of recorded time;
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow; a poor player,
That struts and frets his hour upon the stage,
And then is heard no more: it is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing.
*Macbeth ,5.5.23
全世界は舞台、
男も女も役者にすぎない。
退場と登場がある。
人は自分の時代に多くの役を演じる。
人生には7つの時代がある。『お気に召すまま』
All the world's a stage,
And all the men and women merely players:
They have their exits and their entrances;
And one man in his time plays many parts,
His acts being seven ages. At first the infant, As You Like It 2.7
Mewling and puking in the nurse's arms.
And then the whining school-boy, with his satchel
And shining morning face, creeping like snail
Unwillingly to school. And then the lover,
Sighing like furnace, with a woeful ballad
Made to his mistress' eyebrow. Then a soldier,
Full of strange oaths and bearded like the pard,
Jealous in honour, sudden and quick in quarrel,
Seeking the bubble reputation
Even in the cannon's mouth. And then the justice,
In fair round belly with good capon lined,
With eyes severe and beard of formal cut,
Full of wise saws and modern instances;
And so he plays his part. The sixth age shifts
Into the lean and slipper'd pantaloon,
With spectacles on nose and pouch on side,
His youthful hose, well saved, a world too wide
For his shrunk shank; and his big manly voice,
Turning again toward childish treble, pipes
And whistles in his sound. Last scene of all,
That ends this strange eventful history,
Is second childishness and mere oblivion,
Sans teeth, sans eyes, sans taste, sans everything.
*As You Like It 2.7.138-65.

★John Everett Millais, Ophelia
★John Everett Millais, Sisters

★参考文献
小田島雄志『小田島雄志のシェイクスピア遊学』白水Uブックス1982
小田島雄志『シェイクスピア全集』白水Uブックス
小田島雄志『シェイクスピアの人間学』2007
監修 福田恆存『シェイクスピア・ハンドブック』三省堂1987
岩崎宗治『ロミオとジュリエット』大修館書店1988
フランセス・イエイツ『シェイクスピア最後の夢』晶文社
(Frances A. Yates1899-1981) 新プラトン主義、ルネサンス研究。
河合祥一郎『シェイクスピアは誘う-名せりふに学ぶ人生の知恵-』小学館2004
河合祥一郎『ハムレット』角川文庫
河合祥一郎『ロミオとジュリエット』角川文庫
高橋康也『シェイクスピア・ハンドブック』新書館
高田康成〔他〕編『シェイクスピアへの架け橋』東京大学出版会
高橋康也、大場建治編『研究社シェイクスピア辞典』研究社
大久保正雄2016年8月4日

2016年8月 4日 (木)

ニーチェの旅 永劫回帰 美への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第71回ニーチェの旅
ニーチェの旅 永劫回帰 美への旅

黄昏の丘を歩く。森の中の迷宮図書館で考える 。『香水壜』のような図書館。『夕暮れの諧調』を暗唱する。
自己との対話、内なる声、天からの声。天から届き、心のいちばん奥深くに湧き上がって来る声に耳を傾けることが最も貴い使命である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■ニーチェの旅 イタリア、南仏、ニース
ニーチェ(1844—1900)は、1879年、10年間勤務したバーゼル大学を35歳で辞職。
1879年から1889年まで、病気療養のため旅をした。
ニーチェは、病気療養のためによい土地を求めて、1889年までさまざまな都市を旅しながら生活した。夏はスイスのサンモリッツ近郊の村シルス・マリア、冬はイタリアのジェノヴァ、トリノ、フランスのニースなどの都市で過ごした。
1881年、病気療養に訪れたスイスのシルス・マリアにてシルヴァプラナ湖畔を散策中に巨大な尖った三角岩のほとりで、襲来した「永劫回帰」の思想。
『ツァラトゥストラかく語りき』(Also sprach Zarathustra, 1885)は、旅の中で書かれた。
ニーチェの哲学書はほとんど、10年間の旅の中で書かれた。

■シルヴァプラナ湖、永劫回帰の思想
ニーチェ(1844—1900)は、1881年、病気療養に訪れたスイスのシルス・マリア。シルヴァプラナ湖畔を散策中に巨大な尖った三角岩のほとりで、「永劫回帰」の思想が、突然襲来した。
永劫回帰ewig wiederkehrenの思想は、『ツァラトゥストラ、かく語りき』においてはじめて提唱された。
「時間は無限であり、物質は有限である」「無限の時間の中で有限の物質を組み合わせたものが世界である」、過去に在ったことは、未来に存在する。永劫に回帰する世界。

■ニーチェ『プラトン対話篇研究序説』
ニーチェ『ギリシア人の悲劇時代における哲学』
著述家プラトンとは本来の教師プラトンの〈影〉であり、アカデモスの庭園における講義への〈想起〉に過ぎないということである。
フリードリヒ・ニーチェ『プラトン対話篇研究序説』
プラトンが言っているのは、一人知者にとってのみ、著作は想起の手段としてその意義を持つということだ。故に彼によれば、完璧な著作は口頭での教授形式を模倣すべきで、それはこうすることによって、知者がどのようにして知者となったか、を想起することを目的としている。
フリードリヒ・ニーチェ『プラトン対話篇研究序説』
不滅を目指すヘラクレイトスの旅路は、他のいかなる旅路よりも苦難と障害に満ちたものだ。それにもかかわらず、この旅路の終点に達することを他ならぬこの哲学者以上に確信し得る者はいない。『ギリシア人の悲劇時代における哲学』

■ニーチェの言葉 『ツァラトゥストラ』
いっさいの書かれたもののうち、わたしはただ、血をもって書かれたもののみを愛する。
血をもって書け。そうすれば君は知るであろう、血が精神であることを。『ツァラトゥストラ』
獅子の精神は言う「われは欲す」と。「汝なすべし」が、その精神の行く手をさえぎっている。金色にきらめく有鱗動物であって、その一枚一枚の鱗に、「汝なすべし」が金色に輝いている。『ツァラトゥストラ』
新しい創造を目ざして自由をわがものにすること。これは獅子の力でなければできない。自由をわがものとし、義務に対してさえ聖なる「否」をいうこと。『ツァラトゥストラ』
孤独の極みの砂漠のなかで、第二の変化が起こる。そのとき精神は獅子となる。精神は由由をわがものとしようとし、自分自身が選んだ砂漠の主になろうとする。『ツァラトゥストラ』
■三様の変化 駱駝、獅子、小児 『ツァラトゥストラ』より
 わたしは君たちに精神の三様の変化について語ろう。すなわち、どのようにして精神が駱駝となり、駱駝が獅子となり、獅子が小児となるかについて述べよう。
 畏敬を宿している、強力で、重荷に堪える精神は、数多くの重いものに遭遇する。そしてこの強靭な精神は、重いもの、最も重いものを要求する。
 何が重くて、担うのに骨が折れるか、それをこの重荷に堪える精神はたずねる。そして駱駝のようにひざまずいて、十分に重荷を積まれることを望む。
 最も重いものは何か、英雄たちよ、と、この重荷に堪える精神はたずねる。わたしはそれを自分の身に担って、わたしの強さを喜びたいのだ。
 最も重いのは、こういうことではないか。おのれの驕慢に痛みを与えるために、自分を低くすることではないか?自分の知恵をあざけるために、自分の愚かさを外にあらわすことではないか?
 もしくは、こういうことか。自分の志すことが成就して勝利を祝うときに、そのことから離れることか。誘う者を誘うために、高い山に登ることか。
 もしくは、こういうことか。乏しい認識の草の実によって露命をつないで、真理のためにおのが魂の飢えを忍ぶことか。
 もしくは、こういうことか。病んでいるのに君は、君を慰めにくる者を家に帰らせ、君の望むことをけっして聞くことのない聾者と交わりを結ぶということか。
 もしくは、こういうことか。真実の水であるならば、どんなにきたない水であっても、そのなかに下り立ち、冷ややかな蛙をも熱気のあるがまをも追いはらおうとしないことか。
 もしくは、こういうことか。われらを軽蔑する者を愛し、妖怪がわれらを恐れさせようとするときに、それに手をさしのべることか。
 すべてこれらの最も重いことを、重荷に堪える精神は、重荷を負って砂漠へ急ぐ駱駝のように、おのれの身に担う。そうしてかれはかれの砂漠へ急ぐ。
 しかし、孤独の極みの砂漠のなかで、第二の変化が起こる。そのとき精神は獅子となる。精神は由由をわがものとしようとし、自分自身が選んだ砂漠の主になろうとする。
 その砂漠でかれはかれを最後に支配した者を呼び出す。かれはその最後の支配者、かれの神の敵となろうとする。勝利を得ようと、かれはこの巨大な龍と角逐する。
 精神がもはや主と認めず神と呼ぼうとしない巨大な龍とは、何であろうか。「汝なすべし」それがその巨大な龍の名である。しかし獅子の精神は言う、「われは欲す」と。
 「汝なすべし」が、その精神の行く手をさえぎっている。金色にきらめく有鱗動物であって、その一枚一枚の鱗に、「汝なすべし」が金色に輝いている。
 千年にわたったもろもろの価値が、それらの鱗に輝いている。それゆえ、あらゆる龍のうちの最も強力なこの龍は言う。「諸事物のあらゆる価値 - それはわたしの身に輝いている」と。
「いっさいの価値はすでに創られた。そして創られたこのいっさいの価値 - それはわたしである。まことに、もはや『われ欲す』は、あってはならない」そう龍は言う。
 わたしの兄弟たちよ。何のために精神の獅子が必要になるのか。なぜ重荷を担う、諦念と畏敬の念にみちた駱駝では不十分なのか。
 新しい諸価値を創造すること - それはまだ獅子にもできない。しかし新しい創造を目ざして自由をわがものにすること - これは獅子の力でなければできないのだ。
 自由をわがものとし、義務に対してさえ聖なる「否」をいうこと、わたしの兄弟たちよ、そのためには、獅子が必要なのだ。
 新しい諸価値を立てる権利をみずからのために獲得すること - これは重荷に堪える敬虔な精神にとつては、身の毛もよだつ行為である。まことに、それはかれにとっては強奪であり、強奪を常とする猛獣の行なうことである。
 精神はかつて、「汝なすべし」を、自分の奉ずる最も神聖なものとして愛していた。いまかれはこの最も神聖なもののなかにも、迷妄と恣意を見いださざるをえない。そして自分が愛していたものからの自由を強奪しなければならない。この強奪のために獅子を必要とするのだ。
 しかし思え、わたしの兄弟たちよ。獅子さえ行なうことができなかったのに、小児の身で行なうことができるものがある。それは何であろう。なぜ強奪する獅子が、さらに小児にならなければならないのだろう。
 小児は無垢である、忘却である。新しい開始。挑戦、おのれの力で回る車輪、始源の運動、「然り」という聖なる発語である。
 そうだ、わたしの兄弟たちよ。創造という遊戯のためには、「然り」という聖なる発語が必要である。そのとき精神はおのれの意欲を意欲する。世界を離れて、おのれの世界を獲得する。
 精神の三様の変化をわたしは君たちに述べた。どのようこして精神が駱駝になり、駱駝が獅子になり、獅子が小児になったかを述べた。 -
ツァラトウストラはこう語った。そのときかれは「まだら牛」と呼ばれる都市に滞在していた。
★Nice, French Riviera, hotel negresco nice
★Monaco
★Cote d’Azur
★Nietzsche, Also sprach Zaratustra, 1885
★参考文献
手塚富雄訳『ツァラトゥストラ』『世界の名著』中央公論社
西尾幹二訳『悲劇の誕生』『世界の名著』中央公論社
岡村民夫『旅するニーチェ リゾートの哲学』白水社
大久保正雄2016年8月3日

2016年8月 1日 (月)

『星の王子さま』サンテグジュペリ 心の目で見る

SaintexupryPetit_prince大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第68回サンテグジュペリの言葉
『星の王子さま』サンテグジュペリ 人が本当に見ることができるのは心によってだけである

真夏の群青の空。星の王子さまが降る夜。
人が本当に見ることができるのは心によってだけである。
美しい魂に、美しい女神が、舞い降りる。
本質をみる人。旅する哲学者は、魂の美へ旅する。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■サンテグジュペリの旅
サンテグジュペリは、26歳の時、トゥールーズ・カサブランカ・ダカール路線に郵便機操縦士として飛行する。砂漠の飛行所長となる。43歳の時、『星の王子さま』英語版仏語版、出版される。アルジェに赴き、偵察飛行機部隊に復帰。1944年7月31日、コルシカ島から、フランス上空への偵察に出撃。地中海で、消息を絶つ。
『星の王子さま』の星めぐりの回想の中で、六つの星を訪れる。王様(10章)、自惚れ屋(11章)、飲酒家(12章)、実業家(13章)、点燈夫(14章)、地理学者(15章) (サンテグジュペリ『星の王子さま』) 。
この六つの星の支配者たちは、サンテグジュペリが飛行機から見た、地上の人間たちの姿だろうか。命令する人、自惚れる人、酩酊する人、金を数える人、日常業務の人、探検家を利用する人。人と競争し、抜け目なく出し抜く競争社会。
人と競争し、抜け目なく出し抜く競争社会。階級を上る階級社会。世の中には、競争社会の競争が苦手な人がいる。こういう人にとって、この世は生きにくい。
目に見えない価値、心によってだけ見ることができるもの。サンテグジュペリは、心の眼でみることを暗示した。孤立無援の戦いだったのか。薔薇は、コンスエロなのか。バオバブの木は何か。狐は賢者なのか。『星の王子さま』は、サンテグジュペリの遺書のようである。『星の王子さま』は、多くの謎を秘めている。

■サンテグジュペリの言葉
私は、ある学校で、最後の授業に、言葉を教えた。荒野に知恵の種子となって、芽が出ているだろうか。
人が本当に見ることができるのは心によってだけである。大切なものは、目で見えない。『星の王子さま』
大地は、人間について多くを語る。サンテグジュペリ『人間の大地』
砂漠を美しくするのは、砂漠がどこかに井戸を隠しているからだ。『星の王子さま』
家、星、砂漠、これらを美しくするのは見えないものである。『星の王子さま』
愛とは、互いに見つめ合うことではなく、二人が同じ方向を見つめることである。
サン・テグジュペリ『人間の大地』
★Saint-Exupéry, Le petit Prince, 1943
★参考文献
山崎庸一郎『星の王子さまへの旅』求龍堂
山崎庸一郎『サンテグジュペリの言葉』弥生書房
ナタリー・デ・ヴァリエール『星の王子さまの誕生』知の再発見双書
稲垣直樹『サンテグジュペリ 人と思想』清水書院
『サンテグジュペリ著作集』11巻、別巻1、みすず書房1984—1989
サンテグジュペリ内藤濯訳『星の王子さま』
サンテグジュペリ池澤夏樹訳『星の王子さま』
大久保正雄「プラトンと詩と哲学 ―詩的直観と哲学的直観―」2009
大久保正雄2016年7月31日

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