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ルネサンス

2023年2月10日 (金)

メディチ家の戦い・・・フランソワ1世、塔の城、ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ、ジョルジョーネ

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第314回
旅する哲学者、美への旅。海を超え、砂漠を越えて、美しい人と歩く黄昏の地中海。この世の最も美しいものは何か。
在りし日の己を愛するために思い出は美しくある。遠い過去よりまだ見ぬ人生は夢を実現するためにある。運命の扉を開けるのはあなた。鍵は手のひらの上に。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。本質は目で見えない。人が本当に見ることができるのは心によってだけである。
黄昏の密教寺院、大日如来、愛染明王、密教真言を唱える。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護精霊が天人を救う。美しい魂は、輝く天の仕事を成し遂げる。
運命の美女が現れる。諦めずに鍛えてきたことが、次の舞台へ、運命の扉を開く。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【シャンボール城、フランソワ1世、塔の城】フランス・ルネッサンス建築の最高傑作。ロワール渓谷に犇めく古城のなかで最大、パリ市規模「イントラミュロス・パリ(城壁の中のパリ)」。部屋の数は440、階段は約80、365本の塔を持つ。天井や壁、城の至る所に、フランソワ1世の紋章であるサラマンダーの装飾が刻まれている。サラマンダーは「我は善なる火を燃え上がらせ、悪なる火を消し去る」という格言がある。
【レオナルド】1516年、64歳の時から、1519年に67歳で亡くなるまで、フランスで暮らした。即位して間もないフランソワ1世が、ダ・ヴィンチを「王の最初の画家、建築家、技術者」としてフランスに招いた。パトロン、スフォルツァが亡くなり、イタリアで不遇の日々を送っており、20歳を過ぎたばかりの若きフランス王の招待に応じた。『モナリザ』『聖アンナ』『洗礼者ヨハネ』を携えてフランスを訪れ、フランソワ1世から提供されたロワール川沿いの都市アンポワーズのクルー館で、晩年を過ごした。レオナルドは、2重螺旋階段の設計をした。
【シュノンソー城 Chateau de Chenonceau】16世紀の創設以来、代々の城主が女性「6人の女の城」と呼ばれている。ロワール川の支流シェール川にかかるように建つ城で、3番目の城主カトリーヌ・ド・メディシス(1519~1589年)によって橋の上にギャラリーが造られ、現在の姿となる。夫であるアンリ2世から愛された2番目の城主、ディアヌ・ド・ポワティエ(1499~1566年)とカトリーヌの相克の果て、手に入れた。
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1、メディチ家、プラトン・アカデミー
【メディチ家と法王との戦い】メディチ家はシクストゥス4世と戦い、ミケランジェロはユリウス2世と対決。メディチ家ジュリアーノはパッツィ家の陰謀で暗殺され、ロレンツォは1492年死に、詩人ポリツィアーノは毒殺され、ピコも毒殺、フィチーノは1499年死ぬ
【ボッティチェリ『春』1482】春の花の女神フローラのモデルは、ジュリアーノの恋人、シモネッタ・ヴェスプッチ(1453-1476)。メリクリウスのモデルはジュリアーノ・デ・メディチ(1453-1478)。1478年、25歳で殺害されたジュリアーノの青春の墓標。
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2、ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ
【ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ(1479-1516)】友人はレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、アリオスト。レオナルド「モナ・リザ」を発注。ラファエロに肖像画を描かれ、ミケランジェロに彫刻に刻まれる。ロレンツォの3男、37歳で死す。
フランス王フランソワ1世の母方の叔母フィリベルタとフランス宮廷で結婚。フランス王フランソワ1世はジュリアーノにヌムール公位を授けた。文化人、宮廷人、友人にレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ルドヴィーコ・アリオスト、フランチェスコ・デル・ジョコンド。レオナルド「モナ・リザ」は、ジュリアーノからの依頼とされる。モデルは彼の愛人ではなく、フィレンツェの商人の妻ジョコンド夫人。ラファエロに肖像画を描かれ、ミケランジェロに彫刻に刻まれる。
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3、レオナルドダとヴェネツィア、ジョルジョーネ
·【ジョルジョーネ、相思相愛】ジョルジョーネは楽才をもって多くの友を喜ばそうとせっせとサロンに出入りし、そのうちある女を恋するに至った。相思相愛であったが、1511年、女がペストにかかった。女はそれに気づかずにジョルジョーネと逢瀬を楽しみ、ジョルジョーネはペストに感染、34歳にしてあの世にみまかってしまった。ヴァザーリ『芸術家列伝』
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510
レオナルド・ダ・ヴィンチは1500年、ヴェネツィアに行き、スフマート技法を教えた。1505年、ラファエロはフィレンツェで、レオナルド・ダ・ヴィンチ工房に行き、『レダ』『モナリザ』を見た。
レオナルド・ダ・ヴィンチは音楽もいくらか勉強したが、リラを弾くのを学ぼうと決心するや、この上なく気高く優雅な精神の持ち主らしく、すぐにそれに合わせて即興的に天使のように歌うのであった。ヴァザーリ『芸術家列伝』
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参考文献
レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』・・・レオナルド最後の旅
ロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ・ド・メディシス
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第79回ロワールの古城めぐりP38-42
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー
「ミケランジェロと理想の身体」・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
ロワールの古城めぐり・・・フランソワ1世とルネサンス、シャンボール城、アンボワーズ城、フォンテーヌブロー宮殿、シュノンソー城
ロワールの古城めぐり・・・フランソワ1世とルネサンス
メディチ家の戦い・・・フランソワ1世、塔の城、ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ、ジョルジョーネ
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宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
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2023年2月 4日 (土)

ロワールの古城めぐり・・・フランソワ1世とルネサンス

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第313回
旅する哲学者、美への旅。詩の国、黄昏の国、愛の国、美の国、本質の国、海を超え、砂漠を越えて、愛を語る夕べの宴。美しい人と歩く黄昏の地中海。この世の最も美しいものは何か。
在りし日の己を愛するために思い出は美しくある。遠い過去よりまだ見ぬ人生は夢を実現するためにある。運命の扉を開けるのはあなた。鍵はもう手のひらの上に。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。本質は目で見えない。人が本当に見ることができるのは心によってだけである。
黄昏の密教寺院、大日如来、愛染明王、密教真言を唱える。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護精霊が天人を救う。美しい魂は、輝く天の仕事を成し遂げる。
運命の美女が現れる。諦めずに鍛えてきたことが、次のステージへ、運命の扉を開く。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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フランソワ1世とルネサンス、フランソワ1世とレオナルド、シャンボール城、アンボワーズ城、フォンテーヌブロー宮殿、カトリーヌ・ド・メディシスとシュノンソー城
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1、フランソワ1世とルネサンス、フランソワ1世とレオナルド、シャンボール城
【シャンボール城】ロワール渓谷の森に聳える。フランスルネサンスの最高傑作。狩猟の館、365の塔、440個の部屋に、282基の暖炉、暖炉へと繋がる365本の煙突に83の階段。フランソワ1世は20歳にして1515年即位。1516年レオナルドを招いてアンボワーズ城の館
【シャンボール城】ロワール渓谷の森に聳える。フランスルネサンスの最高傑作。狩猟の館、365の塔、440個の部屋に、282基の暖炉、暖炉へと繋がる365本の煙突に83の階段。フランソワ1世は20歳にして1515年即位。1516年、イタリアからレオナルド・ダ・ヴィンチを招いてアンボワーズ城の近くにあるクロ・リュセ城に、住まわせる。レオナルド設計構想、1519年から20年近くの月日をかけ1536年に完成。二重の螺旋階段は、万能の天才と呼ばれた「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が設計した。二重の螺旋階段は、人と人がすれ違わずに昇降できるデザイン。
太陽王ルイ14世、5歳にして王に即位してから72年間にもわたって国王の座についていたルイ14世。絶対王政を確立し、フランスの絶対王制の象徴であるヴェルサイユ宮殿を建てることを計画した。
【火とかげ(サラマンダー)】フランソワ1世のイニシャル「F」 の文字と、彼の紋章である火とかげ(サラマンダー)、母親のルイース・ドュ・サヴォアの紋章、修道士の縄帯の結び目がデザインになっている。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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2、アンボワーズ城
【アンボワーズ城】シャルル8世には男性の相続人がいなかったため、従兄弟のオルレアン公爵がルイ12世としてヴァロワ朝第8代目王となり、フランソワ・ダングレーム(後のフランソワ1世)はアンボワーズ城で育てられる。1515年、ヴァロワ朝第9代目、王フランソワ1世が即位、ルイ12世の建設した翼棟を改築。
フランソワ1世は、アンボワーズ城の近くにあるクロ・リュセ城に、イタリアからレオナルド・ダ・ヴィンチを招いて住まわせる。
【フランソワ1世】宮廷文化を開花させ、藝術にも明るくレオナルド・ダ・ヴィンチの庇護者。一方で、繰り返しイタリア戦争を起こし野心家。クロ・リュセ城はアンボワーズ城から約400mの距離にあり地下道でつながっている
【アンボワーズ城】フランソワ1世は、レオナルド・ダ・ヴィンチを招き、クルー館に住ませる。1516年にフランソワ1世に招かれ、3年間暮らす。1519年、アンボワーズ城クルーの館(クロ・リュセ)で死去。
1519年、レオナルド、アンボワーズ城に、3枚の絵画、『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者ヨハネ』を残す。
その他、フランスに残された絵画。
レオナルド『レダ』17世紀1694年まで、フォンテーヌブロー宮殿所蔵品目録に存在した記録がある。
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3、フォンテーヌブロー宮殿
【フォンテーヌブロー宮殿、フランソワ1世の回廊】イタリア・ルネサンス藝術に魅せられたフランソワ1世が、その想いを込めて創らせた夢の空間。国王の住居棟と聖王ルイの建てた三位一体礼拝堂を結ぶ目的で1528年に建てられた翼館の中にある。藝術家ロッソ・フィオレンティーノ。
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4、カトリーヌ・ド・メディシスとシュノンソー城
【カトリーヌ・ド・メディシス】長男フランソワを筆頭に10人の子供を産む。39歳の時、娘の祝婚の馬上槍試合にて、王アンリ2世、モンゴメリ伯に刺され死す。40歳。ノストラダムスの予言の成就。王の愛人ディアーヌ・ド・ポワティエへ復讐開始。
【カトリーヌ・ド・メディシスの陰謀】ローマ法王クレメンス7世の画策により、14歳にして、フランス王家に嫁いだカトリーヌは、フィレンツェ商人の娘と冷笑された。1559年、娘エリザベートの婚礼の馬上槍試合で夫アンリ2世死亡。25年の結婚生活に終止符。
【シュノンソー城、3人の女の城】ディアーヌ・ド・ポワティエ、カトリーヌ、フランス王アンリ2世(1519〜1559)の寵姫であった2人目の城主ディアーヌ・ド・ポワティエ(1499~1566)と、王の正妻であった3人目の城主カトリーヌ・ド・メディシス(1519~1589)が織りなした愛憎劇。愛妾のディアーヌは、「60歳を過ぎても30代にしか見えなかった」という逸話、「美魔女」。アンリ2世より20歳も年上でありながら、王の寵愛を一身に集めた。正妻カトリーヌが、喉から手が出るほど欲しがっていたシュノンソー城を贈られ、2人目の城主となった。カトリーヌ・ド・メディシスは、その名の通り世界的な大富豪でフィレンツェの名門メディチ家の娘である。カトリーヌは、アンリ2世を一目見た瞬間から恋に落ち、それからずっと熱愛し続けた。1559年に夫が亡くなると立場が逆転する。カトリーヌは、ディアーヌにシュノンソー城とショーモン城を交換させ、自らが3人目の城主。ディアーヌ・ド・ポワティエはアーチ型の石橋を造らせ、カトリーヌ・ド・メディシスが石橋の上にルネッサンス様式の回廊を建設。
【シュノンソー城、6人の奥方の城】「マルクの塔」、シュノンソー城の建設前からあったマルク家の塔を、1人目の女性城主とされるカトリーヌ・プリソネとその夫が、ルネッサンス様式に造り替えた。ディアーヌ・ド・ポワティエ、カトリーヌ。塔側にカトリーヌ・ド・メディシス庭園、その反対側にディアーヌ・ド・ポワティエ庭園、愛憎劇を演じた2人の城主の名を冠した2つのフランス式庭園が、競うように対峙。円形の池と5つの芝生の庭からなるカトリーヌ庭園、造園当時の噴水が再現されたディアーヌ庭園、三角関係の愛憎劇。4人目の城主は、フランス王アンリ3世の妃ルイーズ・ド・ロレーヌ(1553~1601年)だ。アンリ3世は、アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの子。ロレーヌは、1589年に夫が暗殺されると、シュノンソー城に引きこもり、王家の喪服である白い服をまとい続けた。ロレーヌを、人々は「白い王妃」と呼んだ。
そのため、白い喪服の幽霊が出るという噂がある、ロレーヌが死後も夫を忘れられず、城内をさまよっているのかもしれない。ロレーヌ以後は、王族以外の女性が城主の座に就く。5人目の城主ルイーズ・デュパン(1706~1799年)は、フランスの作家ジョルジュ・サンドの祖母。デュパン夫人はフランス革命時に、城の礼拝堂を薪の貯蔵庫として使って宗教性を隠すという機知を働かせ、城を破壊から守った。6人目の城主マルグリット・ペルーズ(1836~1902年)は、産業資産家の出身。
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参考文献
レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』・・・レオナルド最後の旅
ロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ・ド・メディシス
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第79回ロワールの古城めぐりP38-42
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
「ミケランジェロと理想の身体」・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
ロワールの古城めぐり・・・フランソワ1世とルネサンス
https://bit.ly/40wwlBW
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宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長

2022年3月 1日 (火)

パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の環・・・復讐劇の起源

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』272回

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
【理念を追求する精神】理念を探求する人は、邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチは、ミケランジェロに彫刻され。ラファエロに肖像画を描かれ、レオナルドに婦人像を注文した。

【ヴィーナスの誕生】「アフロディーテ(ヴィーナス)は海の抱から生まれ、帆立貝の貝殻に乗って、西風ゼフユロスとクロリスの優しい風を受けてキュプロス島のパフオスに上陸した。」へシオドス『神統譜』。このヴィーナス像は、古代ギリシアの画家アベレスが描いた伝説的名画、海からあがり濡れた髪をしぼるヴィーナスの絵をもとに発想している。ゼフュロスとクロリスは、ロレンツオ・デ・メデイチの最も高価な収集品≪タッツア・ファルネーゼ≫(1471年に購入した半貴石製の大皿)に彫られた飛翔する2人の人物から材を得ている。
【春(プリマヴェーラ)】ポッティチェリは、ヴィーナスが、神的な美を観想するべく女神の王国に私たちを招くさまを描いている。ヴィーナスの侍女である三美神、アグライア、エウプロシュネ、タレイアーが輪舞し、彼女の上方では目隠しされたキューピッドが矢を放つ。左側に、メルタリウスが魔法の杖(カドゥケウス)によって雲を散らし、右側でクロリスがゼフユロスから逃れようとする。ゼフユロスがクロリスを抱擁すると、天上の星にあたる地上の花が彼女の口から溢れでて、クロリスはそのかたわらに立つ女神フローラへと変身する。彼らの背後にオレンジの木立ち、花々がまき散らされた草むら、風に舞う透けた衣。ポッティチェリは描いた。
【『春』1478『ヴィーナスの誕生』1485】2つの作品は、ロレンツオ・デイ・ビュルフランチェスコ・デ・メデイチの別荘ヴィラ・カステッロを飾るために描かれた。フィレンツェの人文主義者たちはこれらの絵に多くの二重の象徴表現を見いだした。たとえばヴィーナスは異教的な愛と人文主義者が理想とする精神的な愛を表した。同じ意味あいで、三美神は純潔、美、愛の擬人像でもあった。
【プラトン・アカデミー思想家の死】ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)は1492年死に、プラトン・アカデミーの思想家たちは、1498年までに次々と死ぬ。
【ルネサンスの死 1499】1492年、ロレンツォ・デ・メディチ43歳。1478年4月26日、ジュリアーノ・デ・メディチ25歳。アンジェロ・ポリツィアーノ39歳。ミランドラ31歳。フィチーノ62歳。1510年、ボッティチェリ65歳。1564年、ミケランジェロ88歳。
【16世紀ルネサンス、ヴェネツィア、マニエリスム、北方ルネサンス】レオナルド『レダ』1505ラファエロ『レダ』『モナリザ』1505、ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1535ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510、アンジェロ・ブロンズィーノ『ヴィーナス、クピド、サテュルス』1553、ルーカス・クラナハ「パリスの審判」1528
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【ルーカス・クラナハ「パリスの審判」1528】
「勝利と成功か、権力と富か、愛欲か」、どれを選ぶか。3つのうち一つ。
アテナは「戦場での勝利と名声」を、ヘラは「権力と富」を、ヴィーナスは「人間の中で最も美しい女」をそれぞれパリスに約束する。パリスが今一番欲しいのは「美しい女」。ヴィーナスに黄金の林檎を渡す。パリスは、美しい女、ヘレネを選び、トロイは滅亡する。神の罠に掛かって、トロイ滅亡。
「勝利と成功か、権力と富か、愛欲か」あなたなら、どれを選ぶか。3つのうち一つ。これには、正解がある。アテナは、知恵と勝利の女神。
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トロイ戦争
【パリスの審判】神々の饗宴でアプロディーテを選択するトロイ王子パリス。スパルタ王妃美女ヘレネを奪ってトロイに連れ帰りトロイ戦争勃発【ガイアの嘆願】【神々の結婚】【神々の饗宴、争いの女神エリスが黄金の林檎を投げ入れる】【女神の争い】【美女姉妹ヘレネとクリュタイムネストラ、ゼウスがレダと交わって2組の双子】『叙事詩の円環』8部作は失われ、断片のみが残る。
【神々の饗宴、ペレウスとテティスの結婚】海神の一族であるテティスは自由に姿を変えることができたが、ペレウスは逃れようとした彼女をつかまえて離さなかった。2人の結婚式にはほとんどの神々が出席したが、争いの女神エリスだけが招かれなかった。これを恨んだエリスは、黄金のリンゴを祝宴の満座の中に投じ、これが原因となってのちにトロイ戦争が起こる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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トロイ戦争とギリシア悲劇
【復讐悲劇の起源】オレステイア三部作アイスキュロス(前458)『アガメムノン』『供養する女たち』『慈みの女神たち』、エウリピデス『オレステス』【ルネサンス復讐悲劇の起源】ストア派の哲学者セネカ『テュエステス』【ルネサンス復讐悲劇】シェイクスピア『ハムレット』1599年~1602年
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参考文献【叙事詩の円環】
運命の美人姉妹、クリュタイムネストラ、ヘレネー
トロイア戦争の始まり 失われた『叙事詩の円環』
https://t.co/JjeYXXOypq
https://en.wikipedia.org/wiki/Epic_Cycle
大久保正雄『地中海紀行』第61回トロイア戦争 パリスの審判P29
岡道男『ホメロスにおける伝統の継承と創造』
岡道男『ホメロスと叙事詩の環』1976 京都大学文学部紀要1976.16.55-338,
安村 典子『ゼウスの覇権 反逆のギリシア神話』京都大学学術出版会
城江良知「ガイアの嘆願と『イリアス』」西洋古典学研究
『キュプリア』によれば,ガイアは、増えすぎた人間の重みに耐えかね,. しかも人間には神 を畏敬する心がまったくなかったため, ゼウスにこの重荷.を軽減してくれるようにと願い出た. ゼウスは同情してまずテーバイ戦争を起こし多数の人間を滅ぼした。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/68585/1/KJ00004263559.pdf
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参考文献【ギリシア悲劇】
愛と復讐 アイスキュロス『オレステイア』三部作
*ヴォロマンドラのクーロスKouros of Volomandra
https://t.co/httDdX6Bvr
大久保正雄『地中海紀行』第47回ギリシア、愛と復讐の大地1P22
旅する詩人、エウリピデス ギリシア悲劇の極致
https://t.co/BIXeFsq7GS
大久保正雄『地中海紀行』第48回ギリシア、愛と復讐の大地2P27
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参考文献【哲学、ルネサンス】
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、失われた美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」
https://t.co/yxlgRpwirV
パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の環・・・復讐劇の起源
https://bit.ly/3C2fXNP

2022年2月23日 (水)

メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年・・・美女の歴史、詐欺師女、残酷な美女、欲望に溺れる女

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』271回

ルネサンス、マニエリスム、バロック、ロココ様式、新古典主義、絵画藝術における美女の歴史を辿ると、美女の意味を考えることができ、人間の理想の探求の歴史を見ることができる。ヴィーナスを藝術家は描いてきたが、美の意味は、変化してきた。ギリシア人の美と、ローマ人、ゲルマン人、スペイン人、ルネサンス人、オランダ人の美は異なる。『パリスの審判』に秘められた思想は、軽薄な現代人には理解できない。バロックの画家は美の理想を探求したのではない。リアリズムを探求したのである。象徴派の藝術家、反リアリズムの藝術家は、ギリシア人の理想を反芻した。現代人は美の意味を考えていない。1870年代のリアリズムを超える藝術は何か。
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ルネッサンス、マニエリスム、ロココ様式
【パリスの審判】神々の饗宴でアプロディーテを選択するトロイ王子パリス。スパルタ王妃美女ヘレネを奪ってトロイに連れ帰りトロイ戦争勃発【ガイアの嘆願】【神々の結婚】【神々の饗宴、争いの女神エリスが黄金の林檎を投げ入れる】【女神の争い】【美女姉妹ヘレネとクリュタイムネストラ、ゼウスがレダと交わって2組の双子】『叙事詩の円環』8部作は失われ、断片のみが残る。
【神々の饗宴、ペレウスとテティスの結婚】海神の一族であるテティスは自由に姿を変えることができたが、ペレウスは逃れようとした彼女をつかまえて離さなかった。2人の結婚式にはほとんどの神々が出席したが、争いの女神エリスだけが招かれなかった。これを恨んだエリスは、黄金のリンゴを祝宴の満座の中に投じ、これが原因となってのちにトロイ戦争が起こる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【ルネッサンス、ヴィーナスの系譜、ティツィアーノ、クラナハ】
1
【ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「ヴィーナスとアドニス」1550】ティツィアーノは、「ヴィーナスとアドニス」を30点以上、世界中に残る。注文が多い人気作品、最初の注文はフェリペ2世である。狩りに行くアドニスを追うヴィーナス、出典は、オヴィディウス『変身物語』10巻。
1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグでフェリペ2世に会う。ティツィアーノ、アウグスブルグで、クラーナハに会う。ルーカス・クラーナハ(父1472~1553年)作『ティツィアーノの肖像』。1576ティツィアーノ、ペストに感染、88歳で死ぬ。
2
【ルーカス・クラナハ「パリスの審判」1528】
「勝利と成功か、権力と富か、愛欲か」、どれを選ぶか。3つのうち一つ。
アテナは「戦場での勝利と名声」を、ヘラは「権力と富」を、ヴィーナスは「人間の中で最も美しい女」をそれぞれパリスに約束する。パリスが今一番欲しいのは「美しい女」。ヴィーナスに黄金の林檎を渡す。パリスは、美しい女、ヘレネを選び、トロイは滅亡する。神の罠に掛かって、トロイ滅亡。
「勝利と成功か、権力と富か、愛欲か」あなたなら、どれを選ぶか。3つのうち一つ。これには、正解がある。アテナは、知恵と勝利の女神。
3
マニエリスム
エル・グレコ「羊飼いの礼拝」1612-1614、プラド美術館所蔵
生まれたばかりの赤ん坊(キリスト)が描かれ、その身体から放たれた光が周囲を照らしている。キリストの周りには赤ん坊の奇跡の誕生を祝い敬意を表するために集まった羊飼いたちが描かれている。上空には同じくキリストの誕生を祝う天使たちが舞っている。
ニコラ・プッサン「足の不自由な男を癒す聖ペテロと聖ヨハネ」1655

4
ロココ様式【支配階級の自己満足】王と貴族の自己満足、老人の自己満足、支配階級の税金の浪費。税金泥棒、真実隠蔽する知識人、統計偽装を隠蔽する報道発表
【フランソワ・ブーシェ「ヴィーナスの化粧」1751】ロココ様式、ルイ14世の時代、何故、空虚な様式なのか。
【フランソワ・ブーシェ「ヴィーナスの化粧」1751】ロココ様式、ルイ14世の時代、空虚な様式なのは、何故か。『ポンパドゥール夫人』(1756年)。ルイ16世(在位:1774年~1792年)が即位すると、装飾性を抑えたルイ16世様式が広まり、ロココ様式の流行は終わる。
ロココ期最後のフランスの画家ジャン・オノレ・フラゴナール(Jean Honoré Fragonard1732年~1806年)、ブーシェの影響を受け、典型的なロココ様式の絵画を描いた。代表作『ぶらんこ』 (1767年)。フラゴナール『閂』(Le Verrou)1778ルーヴル美術館部屋の中で若い男が嫌がっている若い女を抱き寄せ、扉の閂(扉を開閉する棒状の道具)をかける
――
5
バロック、闇の美術、詐欺師女、残酷な美女、欲望に溺れる女
【闇の絵画、バロック画家の死】1610年、カラヴァッジョ38歳。1660年、ベラスケス61歳。1640年、ルーベンス62歳。1669年、レンブラント63歳。1652年、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール58歳。1675年、フェルメール43歳。
【バロック、いかさま師、リアリズムの探求】
カラヴァッジョ「いかさま師」1595ルーヴル美術館
ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625年ルーヴル美術館、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』1630メトロポリタン美術館
【バロック、欲望に溺れる女、人殺し女、リアリズムの探求】
カラバッジョ『ホロフェルネスの首を切るユディト』1599、フェルメール『恋文』
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【カラヴァッジョ「音楽家たち」1595-6年】3人が楽器を演奏したり歌ったりしている。4人目の天使はブドウの房に手を伸ばしている。中心となるリュート奏者は、カラヴァッジョの友人であるマリオミンニティ、そして隣の読書をしている人に対面している人が作者カラヴァッジョらしい。少年たちが愛を祝うマドリガル(牧歌的叙情短詩)を練習している、主演奏者のリュート奏者の目は泪に濡れていた。その歌は愛の喜びよりむしろ悲しみを表している。前景にあるヴァイオリンはこの絵画の隠れた5人目の人物を連想させる。
カラヴァッジョは1595年、枢機卿一家フランシスコ・マリア・デルモンテの要員に加わった。「音楽家たち」は枢機卿への画家の初めての作品だと推定される。
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【ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』1630メトロポリタン美術館、ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625ルート】現代のいかさま師はだれか。医者、弁護士、政治家、僧侶、陽明学者、政治学者、税理士、コンサルタント、営業職、ハウスメーカー、不動産業者。
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【フェルメール『信仰の寓意』1672】女は、天井から青いリボンで吊り下げられたガラス玉をうっとり見つめる。壁面の画中画は、磔刑図。足元に地球を踏みつけ、床にリンゴ、血を吐くヘビがいる。これは、罪の寓意。この絵画は、何を寓意しているのか。
『絵画の寓意』(『絵画芸術』)とともに、フェルメールが描いた現存する二点の寓意画のうちの一つ。
『イコノロジア』からの寓意
フェルメールが絵画に表現した寓意は、イタリア人美術学者チェーザレ・リーパが著した寓意画集で、1644年にD.P.ペルスがオランダ語に翻訳した『イコノロジア (Iconologia overo Descrittione Dell’imagini Universali cavate dall’Antichità et da altri luoghi)』に多くを負っている。フェルメールはこの『イコノロジア』からさまざまな記述と図像を採用している。例えば女性の衣服の配色、手の仕草、リンゴ、押し潰されたヘビである。リーパはその著書で、美徳の中でも信仰がもっとも重要であると考える。
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8
新古典主義
【ジャン・レオン・ジェローム《ピュグマリオンとガラテア》1890】
ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme, 1824年5月11日 - 1904年1月10日)【ピュグマリオーンとガラテア】キプロス王ピュグマリオーンは、現実の女性に失望していた。あるとき自ら理想の女性ガラテアを彫刻した。その像を見ているうちにガラテアが服を着ていないことを恥ずかしいと思い始め、服を彫り入れる。そのうち彼は自らの彫刻に恋をするようになる。さらに彼は食事を用意したり話しかけたりするようになり、それが人間になることを願った。その彫像から離れないようになり、次第に衰弱していく姿を見かねたアプロディーテがその願いを容れて彫像に生命を与え、ピュグマリオーンはそれを妻に迎えた。
9
マリー・ドニーズ・ヴィレール 《マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ(1868年没)》 1801年
女流画家による貴婦人の肖像。かつて、新古典主義のジャック・ルイ・ダヴィッドの作品と考えられてきた。
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★展示作品の一部
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「ヴィーナスとアドニス」1550
ルーカス・クラナハ「パリスの審判」1528
カラヴァッジョ「音楽家たち」1597年
こちらは、画面内に高密度で描かれた4人の美少年が印象的な作品。1597年、26歳のカラヴァッジョが、最初のパトロンとなったデル・モンテ枢機卿のために描いた
ニコラ・プッサン「足の不自由な男を癒す聖ペテロと聖ヨハネ」1655
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』1630メトロポリタン美術館
ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625
ヨハネス・フェルメール「信仰の寓意」1672
ベラスケス工房「オリバーレス伯公爵ガスパール・デ・グスマン」(1587-1645年)
フランソワ・ブーシェ「ヴィーナスの化粧」1751
マリー・ドニーズ・ヴィレール 《マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ(1868年没)》 1801年. 油彩/カンヴァス 161.3×128.6cm 1801
ジャン・レオン・ジェローム《ピュグマリオンとガラテア》1890
――
参考文献
「ティツィアーノとヴェネツィア派展」
https://t.co/jijpFTn66k
クラーナハ展、500年後の誘惑・・・透明なヴェールの女、女の策略
https://bit.ly/3JlqRl5
カラバッジョ展・・・光と闇の藝術
https://t.co/2TRjfXSHHK
エル・グレコ展・・・天上界と地上界の融合、 「昨夜私は永遠を見た」
https://bit.ly/3radRHN
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち・・・黄金の残照に輝く迷宮都市
https://t.co/TKpdoEcdvW
フェルメールと17世紀オランダ絵画・・・ドレスデンの思い出
https://bit.ly/3sPtioB
メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年・・・美女の歴史、欲望に溺れる女、詐欺師
https://bit.ly/3p6BrUA
――
参考文献
運命の美人姉妹、クリュタイムネストラ、ヘレネー
トロイア戦争の始まり 失われた『叙事詩の円環』
https://t.co/JjeYXXOypq
https://en.wikipedia.org/wiki/Epic_Cycle
大久保正雄『地中海紀行』第61回トロイア戦争 パリスの審判P29
岡道男『ホメロスにおける伝統の継承と創造』
安村 典子『ゼウスの覇権 反逆のギリシア神話』京都大学学術出版会
城江良知「ガイアの嘆願と『イリアス』」
『キュプリア』によれば,ガイアは、増えすぎた人間の重みに耐えかね,. しかも人間には神 を畏敬する心がまったくなかったため, ゼウスにこの重荷.を軽減してくれるようにと願い出た. ゼウスは同情してまずテーバイ戦争を起こし多数の人間を滅ぼした。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/68585/1/KJ00004263559.pdf
――
メトロポリタン美術館の歴史
メトロポリタン美術館は、1866年7月4日、パリでアメリカ独立宣言の90周年を祝うために集ったアメリカの人々によって構想が提案され、その4年後の1870年4月13日に創立されました。アメリカ国民のために美術の教育と振興を図ることを使命とし、実業家や資産家、芸術家といった市民が創立者として尽力しました。創立当初、作品は1点もありませんでしたが、個人コレクターからの寄贈など、関係者の努力によってコレクションを形成し、1872年2月20日、ニューヨークのマンハッタンの小さな建物の中で一般公開を開始します。そして1880年、現在の場所である、セントラル・パーク内の建物に移りました。以来拡張を続け、現在では、先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しています。
ヨーロッパ絵画部門
ヨーロッパ絵画部門のコレクションは、メトロポリタン美術館の創立から1年後の1871年、ヨーロッパの画商から購入した174点の絵画から始まりました。以来、寄贈・遺贈と購入により拡充が続けられ、現在は、13世紀から20世紀初頭まで、2500点以上に及ぶヨーロッパ各国の絵画を所蔵しています。同部門の常設展ギャラリーは美術館の2階に位置しますが、2018年より照明設備を改修する「スカイライ ト・プロジェクト」が進められています。電灯が普及する以前の19世紀末まで、絵画は自然光のもとで描かれ、鑑賞されていました。スカイライト・プロジェクトは、天窓からの自然光をギャラリーの照明に活用することで、より快適で自然な鑑賞環境を整える試みです。本展は、この改修工事をきっかけとして実現しました。国立新美術館
https://www.nact.jp/exhibition_special/2021/met
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「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」国立新美術館、2022年2月9日(水)~5月30日(月)

2020年6月27日 (土)

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展・・・ルネサンス、ヴェネツィアの放浪画家、マニエリスムの放浪画家

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第217回
資本主義史上最大の感染爆発、美術館は閉鎖され、都市封鎖。世界は時の歩みを止めた。
3月8日、ヴェネツィア都市封鎖、3月17日、パリ都市封鎖、3月22日、NY都市封鎖。
感染爆発を止めるか経済活動か、全体主義か自由主義か、自由か死か、人類は解くことのできないディレンマに直面している。
国立西洋美術館は2月27日から閉鎖され、6月18日再開された。ルーヴル美術館は、3月閉鎖、7月6日、再開予定。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、ルネサンス美術をイギリスに紹介したことに1つの業績がある。レオナルド工房、ジョバンニ・アンブロージオ・デ・プレディス『岩窟の聖母』1508、はここにある。
――
人の密集する文明は異常である。大地の女神からみると、人類は傲慢に繁栄し過ぎた。人のいなくなった都市には、碧空、羊、鹿、鳥、動物が出てくる。 マリー・アントワネットのプチ・トリアノン宮は、300年前の風景が蘇った。
【人口削減計画】ゼウスは、増え過ぎた人口を調節するためにテミスと試案を重ね、大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意をした。そして、トロイア戦争を起こした。
『キュプリア』によれば,ガイアは、増えすぎた人間の重みに耐えかね,. しかも人間には神 を畏敬する心がまったくなかったため, ゼウスにこの重荷.を軽減してくれるようにと願い出た. ゼウスは同情してまずテーバイ戦争を起こし多数の人間を滅ぼした。
【黒死病、ルネサンス】1348年、フィレンツェで黒死病が流行。『デカメロン』1351。1348から1577年ヴェネツィアまで、イギリス、パリ、6回、感染爆発が起こる。ヨーロッパ全土に黒死病が蔓延。全人口の5割が死亡。1億人。
ヴェネツィアにかかわる2人の、ルネサンスの放浪画家、カルロ・クリヴェリ、マニエリスムの放浪の画家、エル・グレコに、思いを馳せた。
エル・グレコ展・・・天上界と地上界の融合、 「昨夜私は永遠を見た」
https://bit.ly/381zejw
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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【放浪の奇才、装飾的で妖艶な祭壇画】カルロ・クリヴェリはヤコポ・クリヴェリの息子である。初めはジャコポ・ベリーニ、ヴィヴァリーニ工房、アントニオとバルトロメオ・ヴィヴァリーニ、ヴェネツィアに住むパドヴァ派の兄弟画家に学んだ。画風の特徴は、柔らかく艶麗な人物像、明確なモデリングと精密なディテール、金属的な装飾。パドヴァ派伝統の画風に触れ、アンドレア・マンテーニャの絵画の影響を受ける。
1457年、カルロ・クリヴェリは既婚女性を誘惑したとして、ヴェネツィアで姦通罪の刑期を務めた。
その後ヴェネツィアを去った。その後、彼はヴェネツィアの南にあるプロヴァンシア・ディ・アンコーナの都市で活動する。1487年からアスコリ・ビチェーノに住み、1482年3月25日、受胎告知の祝日、シクストゥス4世からこの都市が自治権を得たのを記念して『受胎告知』を描く。マルケ地方、ダルマチア地方で祭壇画の画家として「多翼祭壇画」を多数描く。1495年、65歳で死す。
Carlo Crivelli 1430-1495| 初期ルネサンス・ヴェネツィア派
Carlo Crivelli | Italian painter | Britannica
https://www.britannica.com/biography/Carlo-Crivelli
――
【放浪の画家】エル・グレコEl Greco (1541年—1614年)、クレタ島に生まれ、1567年、ヴェネツィアへ渡航、ティツィアーノ工房で学ぶ。ローマに行く。アレッサンドロ・フェロネーゼ枢機卿の支援を受ける。1577年春、マドリードに渡航。エル・エスコリアル、トレドへ放浪した。ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488年~1576年)が仕えた、フェリペ 2世のエル・エスコリアル宮殿(1563年~1584年)の絵画制作のために渡航。フェリペ2世の宮廷画家になれず。『聖衣剥奪』(1577-1579トレド大聖堂)が評価されず。トレドに住み工房を営む。ヘロニマ・デ・ラス・クエバスとの間にホルヘ・マヌエルを残す。73歳で死す。
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★主な展示作品
カルロ・クリヴェッリ「聖エミディウスを伴う受胎告知」1486
エル・グレコ「神殿から商人を追い払うキリスト」1600
クロード・ロラン「海港」1644
レンブラント・ファン・レイン「34歳の自画像」1640年
ピエール=オーギュスト・ルノワール 《劇場にて(初めてのお出かけ)》 1876-77年 油彩・カンヴァス 65×49.5cm
ヨハネス・フェルメール 《ヴァージナルの前に座る若い女性》 1670-72年頃 油彩・カンヴァス 51.5×45.5cm
フィンセント・ファン・ゴッホ 《ひまわり》 1888年 油彩・カンヴァス 92.1×73cm
クロード・モネ《睡蓮の池》(1899)
ジョゼフ・マロード・ ウィリアム・ターナー《ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス》(1829)
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ロンドン・ナショナル・ギャラリー展・・・ルネサンス、ヴェネツィアの放浪画家、マニエリスムの放浪画家
https://bit.ly/3g2iknx
美術館スケジュール2020年・・・旅する哲学者 美への旅
https://bit.ly/2YUimHh
【人口削減計画】ゼウスは、増え過ぎた人口を調節するためにテミスと試案を重ね、大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意をした。
https://bit.ly/2XoaNcd
感染爆発、帝国と都市国家の戦い。この世の果てを超えて、旅する詩人・・・「時の関節が外れた」シェイクスピア
https://bit.ly/2XoaNcd
世界の果てへの旅:The World's End ・・・理念を探求する旅人
https://bit.ly/2WylxmE
ウィルスと人類の戦い・・・感染爆発の歴史、アテネのペリクレス、ルネサンス、厩戸皇子 、盧舎那仏
https://bit.ly/2z32Orl
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★ロンドン・ナショナル・ギャラリー展、
国立西洋美術館、2020年6月18日~10月18日
国立国際美術館、2020年11月3日(火・祝)~2021年1月31日(日)
https://www.nmwa.go.jp/

2020年2月 1日 (土)

レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年記念「夢の実現」展・・・レオナルドの夢、ルネサンスの夢

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第207回
レオナルドの夢、ルネサンスの夢。レオナルドは、生涯で完成させた作品、現存する作品は16点の絵画である。多くは未完成の状態か損傷があり、完全な姿で残る作品は4点。『モナリザ』『ヨハネ』『岩窟の聖母』『白貂を抱く貴婦人』。レオナルド『マギの礼拝』(ウフィッツィ)の完成予想はどうなるか、夢がどう実現されるのか。レオナルド最後の夢は何か。美術史家、池上英洋先生の夢。壮観な展示、壮大なプロジェクト。1月17日シンポジウムも、論者たちが自由闊達、談論風発、知識の楽しみ。
失われた幻の名画『レダと白鳥』がある。これはレオナルド唯一のルネサンス絵画である。フォンテーヌブロー宮殿で消えた、この原作はどこにあるのか。美術史家に、これからも探求を希望したい。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
1、「1974年のレオナルド」藤井匡 「モナリザ展」東京国立博物館
2、「レオナルドの神秘思想」池上英洋
【レオナルド『ヨハネ』1513-16】遺作、最後の作品、レオ10世=ジョバンニ・デ・メディチの注文か。『饗宴』アンドロギュノス、両性具有、男女一体。グノーシス主義、善悪二元論、魂と肉体、追求すべきは肉体からの解放としての死。『ユダの福音書』『神名論』、Unum。フランソワ1世、フォンテーヌブロー宮殿の装飾回廊。フィチーノ『ヘルメス文書』ピコ『人間の尊厳について』。【アナロギアと終末観】レスター手稿(池上訳)水のスケッチ、草のスケッチ。葉脈→血管→河川。幹→柱→背骨。ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチが死去、フランスへ旅立つ。レオナルド「水は神的存在」、システィーナ礼拝堂、最後の審判、レオナルド「世界の終末」が描かれた可能性、1516-19。
3、「《モナリザ》と解剖学」布施英利
【レオナルドの解剖学は受け継がれた】【回内と回外】「最後の晩餐」は見事に回内と回外で、左右、分かれる。【レオナルドの微笑み】モナリザは微笑んでいない。微笑みには二つの微笑み。「モナリザ」は部分がバラバラ、左右、各部。部分の再構成が微笑みを構成する。
4、「レオナルドとスコラ哲学」原基晶【レオナルド『絵画論』メルツィが編纂】レオナルド「プネウマ」アリストテレス説。
5、「レオナルドとカラヴァッジョ」宮下規久朗
【レオナルド『最後の晩餐』は、ミラノ派に影響】カラヴァッジョはミラノ出身。ジャン・ピエトリーニ『最後の晩餐』。ミラノ派静物画。カラヴァッジョ『果物籠』『果物をもつ少年』。フランチェスコ・メルツィ『フローラ』。マルコ・ペロッツィ『サリヴドール・ムンディ』
1500年、レオナルド、ヴェネツィアに行く。ヴェネツィア派に影響、スフマート。レオナルドの「振り向くポーズ」。ジョバンニ・ベッリーニ工房、ジョルジョーネ「眠れるヴィーナス」、ジョルジョーネ1510死す。
6、「レオナルドと賢者の石」茂木健一郎
【レオナルド「モナリザ」、生きた証し】レオナルド、画家である、万能の天才ではない。茂木健一郎Magnum Opus。現代の日本は、低劣。超写実絵画は、薄っぺらい。
『動植綵絵』は、伊藤若冲の畢生の大作magnum opusである。もし『動植綵絵』がなかったら、伊藤若冲は超絶技術の奇想の画家ではあったろうが、今の若冲ではなかったろう。生きものへの祈り。
――
池上英洋『レオナルド・ダ・ヴィンチ 生涯と芸術のすべて』筑摩書房、2019
宮下規久朗「ヴェネツィア 海の都の美をめぐる 藝術新潮」2011.11 10-91頁
宮下規久朗『闇の美術史 カラヴァッジョの水脈』岩波書店、2016
(cf.清水純一『ルネサンス 人と思想』、
清水純一『ルネサンスの偉大と頽廃 ジョルダーノ・ブルーノの生涯と思想』
清水純一『ジョルダーノ・ブルーノ研究』
イヴァン・クルーラス『ロレンツォ豪華王 ルネサンスのフィレンツェ』)
(cf.アンドレ・シャステル『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』)
――
★参考文献
孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー
https://bit.ly/3aX26KN
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
http://bit.ly/2kSINKR
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館・・・レオナルド「レダと白鳥」
https://t.co/K67IitKt5r
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」
https://t.co/yxlgRpwirV
ラファエロ、1505年、レオナルドに会う
https://bit.ly/2vxQDB1
――
池上英洋先生がレオナルド作とした16点。
1)《ジネヴラ・デ・ベンチ》
ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵
2)《受胎告知》
ウフィツィ美術館蔵
3)《ブノワの聖母》
エルミタージュ美術館蔵
4)《カーネーションの聖母》
アルテ・ピナコテーク蔵
5)《サルヴァトール・ムンディ》
個人蔵(ルーヴル・アブダビ美術館に寄託展示予定)
6)《聖ヒエロニムス》
ヴァチカン絵画館蔵
7)《聖アンナと聖母子》
ルーヴル美術館蔵
8)《白貂を抱く貴婦人》
クラクフ、チャルトルスキ美術館蔵
9)《ラ・ベル・フェロニエール》
ルーヴル美術館蔵
10)《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》
ルーヴル美術館蔵
11)《洗礼者ヨハネ》
ルーヴル美術館蔵
12)《糸巻きの聖母》(ランズダウン版)
個人蔵
13)《岩窟の聖母》第一ヴァージョン
ルーヴル美術館蔵
14)《岩窟の聖母》第二ヴァージョン
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
15)《東方三博士の礼拝》
ウフィツィ美術館蔵
16)《最後の晩餐》
サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会修道院蔵
――
「夢の実現」展、代官山ヒルサイド・フォーラム、2020年1月5日(日)~1月26日(日)
レオナルドのさまざまな顔 ―その多面性をひもとく、代官山ヒルサイドプラザホール
2020年1月17日(金)開場12:30/開演13:00~16:00 http://leonardo500.jp/event
★Adoration Of The Magi  Filippino Lippi 1496 Uffizi Gallery

2018年7月11日 (水)

孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー

Michelangelo_pieta_1499_detail大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第149回
ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。メディチ家の戦いの精神史に、理念を探求する人間の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』に、ルネサンスの美貌が刻まれている。ロレンツォの時代、ユリウス2世の時代、レオ10世、クレメンス7世の時代。詩人の時代。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「美しいものを創作しようとする努力ほど、人間の魂を清めてくれるものはない」「私は叡知に導かれて、石の中にひそむ芸術作品を取り出しているに過ぎない」「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ」ミケランジェロ
ミケランジェロ『ダヴィデ・アポロ』* (1530)をみると、イタリアを旅した青春の日々、美しい糸杉の丘、憂愁のフィレンツェを思い出す。ゴシック藝術はキリスト教主題だが、ルネサンス藝術では古代ギリシア主題を表現する藝術家があらわれる。一点透視図法、遠近法、スフマート、人間の曲線美を追求する。ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。
――
【メディチ家と法王庁との戦い】メディチ家はシクストゥス4世と戦い、ミケランジェロはユリウス2世と対決する。メディチ家ジュリアーノはパッツィ家の陰謀で暗殺され、ロレンツォは1492年死に、詩人ポリツィアーノは毒殺され、ピコ・デラ・ミランドラも毒殺され、フィチーノは1499年死ぬ。ジョルダーノ・ブルーノは1600年死ぬ。
ミケランジェロは、銀行家ブォナロティ家は没落、6歳で母が死ぬ。14-17歳の時、ロレンツォの家にて養育される。ミケランジェロ、理想の美の探求が始まる。メディチ家とプラトン・アカデミーに教えられる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
1、メディチ家の戦い 黄金時代のロレンツォ
ボッティチェリ『春』1482『ヴィーナスの誕生』1485『東方三博士の礼拝』1476。
描かれたジュリアーノ・デ・メディチは25歳で死ぬ。シモネッタ・ヴェスプッチは23歳で死ぬ。ボッティチェリ『東方三博士の礼拝』1476。コジモ、ロレンツォ、ジュリアーノ、ピエロ、ポリツィアーノ、ボッティチェリ(1445-1510)の容姿が描かれている。
ミケランジェロ(1475-1564)は、ロレンツォの家で養育される(1489-1492)。88歳まで生きる。
招かれざるレオナルド、ミラノへ去る。現代では「万能の天才」と呼ばれる。
2、ルネサンス、包囲されたフィレンツェ ロレンツォ暗殺の陰謀、フィレンツェ包囲網、対教皇庁戦争(1474-1480)。イタリアの戦国時代。ロレンツォ(1449-1492 1469から当主)は、稀代の戦略家であり教養人である。イタリアの天秤の針。1479ナポリ王フェランテを説得、和平交渉する。
パッツィ家の陰謀(1478)。真の犯人は、フィレンツェに敵対する、戦争好き陰謀家の法王。陰謀家シクストゥス4世(在位1471-1484)の陰謀。銀行家パッツィに命じる。
3、メディチ家とプラトン・アカデミー
コジモ・デ・メディチ(1389-1464)は、1439年、哲学者ゲミストス・プレトンからプラトン哲学の奥義の講義を受け感銘する。1463年プラトン・アカデミーをメディチ家カレッジ別荘(Villa Medici di careggi)に創設する。(Ficinno Opera Omnia, Vol2) マルシリオ・フィチーノにプラトン全集の翻訳を託す。
ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)は、1492年4月8日、43歳で死ぬ。公的な肩書はない。アンジェロ・ポリツィアーノ、ピコ、思想家たちは、1498年までにつぎつぎと毒殺(砒素)される。ピエロ・デ・メディチ・イル・フォルトゥオ(愚者)が、敵に調略された。1499年、マルシリオ・フィチーノ(1449-1499)、死ぬ。
4、孤高の藝術家、ミケランジェロ 古代の美の探求
【メディチ家の戦いの精神史】理念を探求する者の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』にはルネサンスの美貌が刻まれている。レオ10世の依頼でヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ(Giuliano de' Medici duca di Nemours.1479-1516)像を制作1526—31。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「ラオコーン」レオカレス「ベルヴェデーレのアポロン」「ベルヴェデーレのトルソ」の美を探求した。
5、ルネサンス 古代彫刻の発見
「ラオコーン」は1506年ローマ、ネロの黄金宮殿跡にて発見された。ロドス島の3人の彫刻家の原作による。ハリカルナッソスのレオカレス原作による「ベルヴェデーレのアポロンBelvedere Apollo」は、1499年アンティウムのネロの夏の離宮から発見され、「エスクィリーノのヴィーナスEsquiline Venus BC1c」はエスクィリーノの丘から発見された。ミケランジェロは「ベルヴェデーレのトルソBelvedere Torso」を研究し天井画に応用した。
古代ローマの皇帝ネロ(54-68)や皇帝ハドリアヌスは、ギリシア文化を愛した。ネロはギリシア彫刻を愛しコレクションを所蔵していた。ネロはギリシア彫刻を集め宮殿に並べていた。古代彫刻の数々の傑作「ラオコーン」「エスクィリーノのヴィーナス」「ベルヴェデーレのアポロン」は、ネロのコレクションのなかにあった。ネロはパラティヌスの丘からカピトリヌスの丘まで「渡り宮殿」(ドムス・トランシトリア)を建設したが、ローマが大火で炎上し、廃墟の跡に「黄金宮殿」(ドムス・アウレア)を建設した。エスクィリヌスの丘は、黄金宮殿の跡である。ネロは美を追求した。美に溺れ、美的趣味を探求した詩人皇帝である。
6、メディチ家とプラトン・アカデミー
15世紀に蘇った哲学はプラトン哲学である。1439年7月6日フィレンツェ公会議で、コジモ・デ・メディチはギリシア人哲学者プレトンの講義をきき、プラトン哲学の奥義に感銘をうけ、「アカデミア・プラトニカ」(プラトン・アカデミー)を構想した。コジモは、1462年マルシリオ・フィチーノにプラトンの原典とカレッジの別荘を与え、プラトン全集の翻訳を依頼した。コジモは1464年に死ぬ。しかしフィチーノは1477年に完成した。ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)は1492年死に、プラトン・アカデミーの思想家たちは、1498年までに次々と死ぬ。だが、フィレンツェから始まったルネサンスはヨーロッパ文化史に深い影響を与えた。*
アカデミア・プラトニカは「美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンに捧げられた集まり」である。*フィレンツェ・プラトン主義の愛と美の哲学はミケランジェロたちルネサンスの藝術家に影響を与えた。「魂の美は、肉体における美より美しい」「魂の眼は肉眼が老いる時やっと輝き始める」*
7、プラトン哲学の奥義
プラトン・アカデミーの思想家が学んだプラトン哲学の奥義は、魂の哲学と美の哲学である。「魂は不死不滅である」。「本質は眼で見ることができない」「本質は心の眼によってのみ見ることができる」。「魂の美が存在する」「魂の美は、肉体における美より美しい」。魂と本質の哲学である。プラトン哲学の影響は、フィチーノ『プラトン神学』『饗宴注解』に顕著である。*
8、ルネサンスの終焉、メディチ家追放、サヴォナローラの死
ロレンツォがピコの助言により招いたサヴォナローラに欺かれ裏切られる。サヴォナローラは、間諜=工作員(死間『孫子』用間編)である。シャルル8世のフィレンツェ侵攻(1494年)を予言。1494年、メディチ家、フィレンツェから追放される。「虚飾の焼却」1498年、ルネサンスの藝術、焼かれる。サヴォナローラ、法王アレクサンデル6世を批判、怒り受け破門。1498年5月23日、シニョーリア広場にて処刑される。16世紀、ミケランジェロのマニエリスムの時代、17世紀、カラヴァッジョのバロックの時代が始まる。マニエリスムの藝術家は、フィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)を駆使する。*
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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*ミケランジェロ『ダヴィデ=アポロ』(1530)  フィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)
ミケランジェロ『ダヴィデ=アポロ』Michelangelo,Davide=Apollo(1530)にはミケランジェロ彫刻の特徴となる要素が全て詰まっている。「大理石でできている。そして、コントラポストのポーズをとっているが、それ以上にミケランジェロ独特のフィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)という螺旋状の曲がりくねる動きが見られる。このポーズは彼の絵画『聖家族』でも用いられ、その他の多くの芸術家たちも真似をしている。マニエリスムの藝術家たち。ミケランジェロは、レオナルドと同様、解剖学を研究してその結果を背中や腰の筋肉に反映している。この作品は未完成である。ミケランジェロの作品には、大理石の欠陥や彼自身の思いによって未完のものが多くある」第3章ミケランジェロについて描かれた絵画や文献から彼自身の人間性について。「大理石の塊の中には、すでに潜在的に完成された像が内包されており、自由になるのを待っている。彫刻家はその像を解放するのだ」とミケランジェロは言っていた。それは、「人間の魂が肉体の束縛から解放されて、魂の世界に到達できる」という新プラトン主義の考えと共通する」ルドヴィーカ・セブレゴンディ、報道内覧会にて2018年6月18日
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参考文献
大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」2013
大久保正雄「魂の美學 プラトンの対話編に於ける美の探究」上智大学1993
大久保正雄「ギリシア悲劇とプラトン哲学の迷宮 ―ことばの迷宮―」2010
大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説と詩のことば―」2011
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー2016
https://t.co/yxlgRpwirV
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
https://bit.ly/2kSINKR
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館、レオナルド「レダと白鳥」
https://t.co/K67IitKt5r
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
(cf.清水純一『ルネサンス 人と思想』、イヴァン・クルーラス『ロレンツォ豪華王 ルネサンスのフィレンツェ』)
(cf.アンドレ・シャステル『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』)
(プラトン『饗宴』)
ミケランジェロ『ピエタ』1498-1500ミケランジェロ『ダヴィデ』1504ミケランジェロ『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』1526-31ミケランジェロ『勝利』1526-30ミケランジェロ『ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ』1524-31
『階段の聖母』1492『ケンタウロスの戦い』1492『バッカス』1497『フィレンツェのピエタ』1547-1553『ロンダニーニのピエタ』1564『聖家族』1507
「ミケランジェロと理想の身体」図録、国立西洋美術館2018
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★「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館、2018年6月19日-9月24日
「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術
https://bit.ly/2KFGXvc

2018年7月 8日 (日)

「ミケランジェロと理想の身体」・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術

Michelangelo2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第148回
ミケランジェロ『ダヴィデ・アポロ』(1530)をみると、イタリアを旅した青春の日々、憂愁のフィレンツェを思い出す。ゴシック藝術はキリスト教主題だが、ルネサンス藝術では古代ギリシア主題を表現する藝術家があらわれる。一点透視図法、遠近法、スフマート、曲線美を追求する。ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。
メディチ家の戦いの精神史に、理念を探求する者の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』に、ルネサンスの美貌が刻まれている。ロレンツォの時代、ユリウス2世の時代、レオ10世、クレメンス7世の時代。詩人の時代。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「私は叡知に導かれて、石の中にひそむ芸術作品を取り出しているに過ぎない」「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ」ミケランジェロ
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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1、【ミケランジェロ、苦難の少年】1475年、アレッツォ近郊フィレンツェ共和国のカプレーゼに生まれた。銀行家ブオナロティ家に生まれるが、銀行業は没落。ミケランジェロ一家は石工の一家と共にセッティニャーノに住む。1481年ミケランジェロ、6歳の時、長い闘病生活の末、母フランチェスカが死去。苦難の人生の旅立ち。
2、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、運命の扉】13歳のときに画家ドメニコ・ギルランダイオに弟子入り。1489年メディチ家ロレンツォ・デ・メディチがギルランダイオに、最も優れた弟子を求め、1490年から1492年、ミケランジェロはメディチ家が創設したプラトン・アカデミーに参加。ロレンツォの家で養われる。1492年4月8日ロレンツォ・デ・メディチ、死去する。
3、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、美しき青春】14-15歳、メディチ家のサンマルコ庭園に通う。古代彫刻を学ぶ。ロレンツォの家にて『階段の聖母』(1491年)『ケンタウロスとの戦い』(1492年)制作。1492年4月8日、ロレンツォ・デ・メディチ、死去。17歳の時、メディチ家を去る。21歳、ローマにて『クピド』『バッカス』(1496年)を制作。
4、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、最高傑作】23歳で『ピエタ』(1498年) 枢機卿ジャン・ピエールのために製作を開始。フィレンツェ共和国のために、29歳で『ダヴィデ』(1504年) を制作。天才と呼ばれる。
ミケランジェロ『ピエタ』は、若い女の膝に死せるキリストが横たわっている。憂愁のただよう空間、若い女の悲しみ、子の死。なぜ若いマリアが刻まれたのか。6歳で死別した母の面影が蘇る。
ミケランジェロ『ダヴィデ』(1504年) 。イスラエル人の羊飼いの少年ダビデがペリシテ人の巨人ゴリアテと戦い、投石器から放った石で倒し、剣で首を斬る。巨人に立ち向かう人間。フィレンツェ共和国が包囲された対抗勢力に対して戦う姿。
*【ダヴィデ、ゴリアテと戦う】イスラエル人の羊飼いの少年ダビデがペリシテ人の巨人ゴリアテと戦い、投石器から放った石を額に当てて昏倒させ自らの剣で首を刎ねて絶命させた。「第一サムエル記第17章」。
*1501年フィレンツェ造営局は26歳の若きミケランジェロに委託することを決定した。1501年8月16日、ミケランジェロはこの困難な仕事を引き受ける契約を正式に交わした。1504年1月25日、ダヴィデ像の置き場所をめぐる会合を開き、シニョーリア広場に決定。1504年9月8日に公開された。
5、【ミケランジェロ、法皇ユリウス2世と確執】1503年デッラ・ローヴェレ家ユリウス2世が法皇になる。1505年『ユリウス2世霊廟』制作依頼される。1508年、天井画制作を依頼される。ミケランジェロ天井画制作を嫌う。1512年、37歳『システィーナ礼拝堂天井画』完成。1513年、ユリウス2世、死去。
6、【ミケランジェロ、メディチ家レオ10世】1513年、ロレンツォ・イル・マニフィコの息子レオ10世、教皇に即位。1516年、41歳の時、レオ10世が、サン・ロレンツォ聖堂ファサードを依頼。1521年、レオ10世、ルターを破門。レオ10世、死去。『ミネルヴァのキリスト』(1521年)サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会。
7、【ミケランジェロ、メディチ家クレメンス7世】1524年、49歳、クレメンス7世の委嘱により『ラウレンツィアーナ図書館』建設開始。1526年、51歳、メディチ家墓廟にウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ墓廟『黎明』『黄昏』(1524-1531) に着手。ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ墓廟『昼』『夜』(1524-1531)制作。
8、【ミケランジェロ、ローマ】1534年、クレメンス7世死去。ミケランジェロ、59歳、ローマに移住。1541年、68歳、『最後の審判』除幕。
9、【ミケランジェロとヴィットリア・コロンナ】1535年、貴婦人ヴィットリア・コロンナと出会う。ミケランジェロ、60歳。ミケランジェロ、300篇のソネットを、ヴィットリオ・コロンナに書く。1547年、ヴィットリア死す。(Vittoria Colonna, 1490-1547)。ミケランジェロ65歳、ヴィットリア50歳のとき、『ヴィットリア・コロンナを描いたミケランジェロの素描』大英博物館所蔵(1540年)。
10、【ミケランジェロ、旅の果て】
1548年、73歳の時、サン・ピエトロ大聖堂建築監督に任命される。84歳の時、『ロンダニーニのピエタ』(1559-1564)制作。ミケランジェロ、1564年、88歳、ローマにて死す。
11、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、孤高な性格】ミケランジェロは、気難しく自尊心が強く人を寄せ付けぬ性格で、孤高の藝術家である。敵対する者に対しては容赦なく、復讐した。教皇レオ10世「ミケランジェロは誰の手にも負えない」。ルドヴィーカ・セブレゴンディ
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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【レオナルド、波瀾の生涯】この上なく美しかったレオナルド・ダ・ヴィンチの容貌の素晴しさは、見る者のどんなに悲しい気持をも晴れやかにした。彼が口を挟むと、どんなに頑固な意志も、肯定にも否定にも自由に転じた。彼の力はいかなる激しい怒りをも抑え、また右手で鉄の鐘や、鉄の馬蹄を鉛の如くよじ曲げることができた。ヴァザーリ『芸術家列伝』
レオナルド・ダ・ヴィンチは実に快く会話をし、人の心を惹きつけた。また、何も所有しておらず、無一物というべきで、ほとんど働かなかったが、常に従者を雇い馬を飼っていた。馬をたいへん愛し、他の動物も全てこの上なく愛し、忍耐強く飼い慣らしていた。ヴァザーリ『芸術家列伝』
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「ミケランジェロと理想の身体」展示作品の一部
『ダヴィデ=アポロ』ミケランジェロ・ブオナローティ
1530年頃 フィレンツェ、バルジェッロ国立美術館蔵 高さ147cm 大理石 Firenze
『若き洗礼者ヨハネ』ミケランジェロ・ブオナローティ
1495-96年 ウベダ、エル・サルバドル聖堂/ハエン(スペイン)、メディナセリ公爵家財団法人蔵 高さ130cm 大理石
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参考文献
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー2016
https://t.co/yxlgRpwirV
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
https://bit.ly/2kSINKR
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館、レオナルド「レダと白鳥」
https://t.co/K67IitKt5r
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
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★「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館、2018年6月19日-9月24日
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

2017年6月30日 (金)

「レオナルド×ミケランジェロ展」・・・レオナルド「レダと白鳥」

Leda_melzi_uffiziFrancesco_melzi_st_anne_with_the_vi大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
緑深い午後、三菱一号館美術館に行く。緑陰の木洩れ日の中庭で、友人と会話すると美しい日々を思い出す。美しい精神をもつ人々の自由な集まり。美しい悲劇詩人の祝宴の自由な饗宴。失われたレオナルド「レダと白鳥」の面影。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
―――
レオナルドとミケランジェロ
ひとは運命と対峙することがある。だが、知性によって、運命を克服することができる。「運命はわたしたちがつくるものである。いまからでも遅くない。いまをどう生きるかで、未来が決まる」『ガンディー 魂の言葉』。レオナルドとミケランジェロは、困難な環境にあって、運命と対峙し、超克した。
レオナルドとミケランジェロの対決
レオナルドとミケランジェロは「宿命の敵」と呼ばれる。レオナルドとミケランジェロは、25歳の年の差がある。レオナルドとミケランジェロは、ルネサンスの類いなき巨匠であるが、対立し、対峙した。比較芸術論争(paragone)で、絵画が優越するとするレオナルドと彫刻が優越するとするミケランジェロは対立した。
五百人広間の壁画
1503年、五百人広間の壁画制作を競作。レオナルドは「アンギアリの戦い」、ミケランジェロは「カッシーナの戦い」を制作した。フィレンツェ共和国のピエロ・ソデリーニがミケランジェロに発注したヴェッキオ宮殿の壁画「カッシーナの戦い」ミケランジェロは下描きが終わった段階で、ユリウス2世によりローマへ呼び戻され、「カッシーナの戦い」は未完に終わった。レオナルド「アンギアリの戦い」は素描から彩色の段階で中断する。
論争
1504年ミケランジェロは「ダヴィデ像」を制作した。「ダヴィデ像」の置き場をめぐって、フィレンツェ市庁舎前の広場に置くか、屋内に置くか論争になった。ミケランジェロは広場に置くことを主張した。
卓越した素描(disegno)
レオナルド・ダ・ヴィンチ「少女の頭部/岩窟の聖母の天使のための習作」(1483-85年)は、バーナード・ベレンソンに「最も美しい素描」と呼ばれた。1505年、レオナルドは「レダ」を描き、工房を訪れたラファエッロに見せた。ラファエッロは、「モナリザ」と「レダ」の素描を描いた。
ミケランジェロは後年、レダの主題に取り組む。ミケランジェロ「レダと白鳥の頭部のための習作」)1530年)がある。
運命との戦い 失われた母の面影
レオナルドとミケランジェロは、悲傷の少年時代を生きた。レオナルドは、母カテリーナと別れて生きた。父セル・ピエロに捨てられ、祖父叔父に育てられる。祖父叔父は一生、無職のまま生きた。ミケランジェロは、6歳で母が死ぬ。ブオナローティ家は、銀行業を営んでいたが失敗し破綻した。ミケランジェロは、17歳の時から、ロレンツォ・デ・メディチに養育される。しかし、3年後、ロレンツォは死去する。
レオナルドは「レダ」「聖アンナと聖母子」の母、「岩窟の聖母」の天使、他、美しい女性像を探求しつづけた。ミケランジェロは「ヴァチカンのピエタ」「レダ」において美しい女性像を造形しつづけた。二人が追い求めたのは、失った母の面影であると私は追想する。失われた愛は、永遠に美しい。
*レオナルド「レダ」素描1506ウィンザー城王立図書館
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
―――
失われたレオナルド「レダと白鳥」
レオナルド「レダと白鳥」(1503—1519)を求めてヨーロッパを旅した日々を思い出す。レオナルド派「レダと白鳥」は、ボルゲーゼ、ウフィツィでみた。レオナルド派「レダと白鳥」(1505-10年頃 ウフィツィ美術館)は、フランチェスコ・メルツィの作である。フォンテーヌブロー宮殿所蔵品目録にあったレオナルド「レダと白鳥」は、いま、どこにあるのだろうか。
―――
レダと白鳥
絶世の美女レダは、双子の美女クリュタイムネストラとヘレネを生んだ。
テュンダレオスは、テスティオスの娘レダを娶った。レダが余りにも美しかったため、ゼウスは、白鳥の姿となってレダと交わり、2つの卵から2組の双子が生まれた。カストールとポリュデウケースの兄弟とクリュタイムネストラとヘレネの姉妹である。カストールは戰爭の術に通暁し、ポリュデウケースは拳闘の技に熟達、ディオスクーロイ(ゼウスの子)と呼ばれた。姉妹は、スパルタの兄弟と結婚した。ヘレネは、スパルタ王メネラオスと結婚し、クリュタイムネストラは、メネラオスの兄ミュケナイ王アガメムノンと結婚した。(cf.アポロドーロス『ビブリオテーケー』)アガメムノンとメネラオスは、ともにアトレウスの子である。アガメムノンとクリュタイムネストラの間に生まれた子が、エレクトラ、オレステス、イピゲネイアである。2人の美女は運命の子である。クリュタイムネストラは夫である王アガメムノンを殺害し、ヘレネはトロイ戰爭の原因となった。絶世の美女は不幸の原因であった。クリュタイムネストラとヘレネは、美貌ゆえに、人を惑わし破滅させた。美しい容貌の下に、醜い心が隠れている。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
愛と復讐 アイスキュロス『オレステイア』三部作
https://t.co/httDdX6Bvr
―――
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
―――
展示作品の一部
Francesco Merziレオナルド派「聖アンナと聖母子」1508-20年頃ウフィツィ美術館
Francesco Merziレオナルド派「レダと白鳥」1505-10年頃 ウフィツィ美術館
©Firenze, Gallerie degli Uffizi, Gabinetto fotografico delle Gallerie degli Uffizi
レオナルド・ダ・ヴィンチ「少女の頭部/<岩窟の聖母>の天使のための習作」1483-85年頃 トリノ王立図書館 ©Torino, Biblioteca Reale
ミケランジェロ・ブオナローティ「<レダと白鳥>の頭部のための習作」1530年頃 カーサ・ブオナローティ©Associazione Culturale Metamorfosi and Fondazione Casa Buonarroti
レオナルド・ダ・ヴィンチ「大鎌を装備した戦車の二つの案」1485年頃 トリノ王立図書館
フランチェスコ・ブリーナ(帰属) 「レダと白鳥(失われたミケランジェロ作品に基づく)」
1575年頃 油彩/板 500×605 カーサ・ブオナローティ
©Associazione Culturale Metamorfosi and Fondazione Casa Buonarroti
ミケランジェロ・ブオナローティ「十字架をもつキリスト」1514-1516年、大理石 2500(キリスト像だけで2010)mm、サン・ヴィンチェンツォ修道院聖堂蔵
―――
★「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館
会期:2017年6月17日(土)〜2017年9月24日(日)
東京都千代田区丸の内2-6-2
http://mimt.jp/lemi/

Leonardo, Leda and swan, Uffizi, 1505-10
Leonardo, St Anna and Madonna with baby, Uffizi, 1508-20

2017年3月25日 (土)

ティツィアーノとヴェネツィア派・・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス

Titian_venus_of_urbinoTiziano_flora_1515大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
ティツィアーノとヴェネツィア派・・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス
森を歩いて、冬の午後、美術館に行く。
イタリアの秋、ヴェネツィアの迷宮都市を歩いた日々。リアルト橋、サン・マルコ寺院、サンジョルジョ・マッジョーレ島、ドカーレ宮殿、ホテル、ダニエリHotel Danieliを思い出す。「ヴェネツィア共和国1200年」の光と影、行きし世の面影。15世紀はメディチ家の世紀、16世紀はヴェネツィアの世紀。旅人は、時の迷路に迷い込む。「ホテル、ダニエリ」、グランドカナルに臨む、迷宮ホテル。ヴェネツィア派は、何故、ヴィーナスのヌードを愛好したのか。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
■サン・マルコ寺院の残照
グランド・カナルを船で行き、サン・マルコ広場に上陸すると、サン・マルコ寺院は黄金の残照に輝いている。夢の都。水の都、迷宮都市。ヴェネツィアの干潟(ラグーナ)の上に立つ、幻の都市。夢うつつの迷宮都市。
■ヴェネツィア派の最高傑作 ジョルジョーネとティツィアーノ
ヴェネツィア、フィレンツェ、ドレスデンを歩き、ヴェネツィアの巨匠の作品を見た旅を思い出す。
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510、『嵐』1508。ティツィアーノ『聖母被昇天』1515、『ウルビーノのヴィーナス』1538。
ジョルジョーネ(1477—1510)は、33歳で死ぬ。ティツィアーノ・ベチェッリオ(1488—1576)は、88歳まで生きる。
ジョルジョ・バルバレッリ・ダ・カステルフランコ (Giorgio Barbarelli da Castelfranco)は謎の画家である。
光彩陸離。ヴェネツィア派は、色彩、線描なき絵画、油彩で、フィレンツェ派と対比される。フィレンツェ派は、線描、テンペラ画。
ティツィアーノの妻セシリア*
ティツィアーノの故郷ピエーヴェ・ディ・カドーレ出身の理髪師の年若い娘。5年にわたってジョルジョーネ家の家政を取り仕切る内縁関係にあった。セシリアと正式に結婚した。1530年8月にセシリアはラヴィニア出産時の産褥で死去した。
★15世紀フィレンツェ、16世紀ヴェネツィア
16世紀は、ヴェネツィアの世紀である。ティツィアーノ、「ハプスブルグ家の宮廷伯爵、黄金拍車の騎士」となる。
15世紀は、メディチ家の世紀である。フィレンツェのルネサンスは、1499年で終焉する。
フィレンツェのルネサンスが滅びたのは、何故か。
■ティツィアーノと皇帝カール5世、フェリペ2世 
ハプスブルグ家の宮廷伯爵
1488、ティツィアーノ、ピエヴィ・ディ・カドーレに生まれる。
ティツィアーノ・ベチェッリオ(1488—1576)は、ベッリーニの工房で学び、ジョルジョーネに学び、27歳で『フローラ』、50歳で最高傑作『ウルビーノのヴィーナス』を描き、88歳まで生きた。
1515、ティツィアーノ『フローラ』1515、内側から光るような肌の描写。27歳の作品。
1515年、サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂、ティツィアーノの代表作、祭壇画『聖母被昇天』を描き始めた。非凡な色彩感覚に彩られた絵画。大規模な作品。
1538、ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1538、50歳の作品。
ティツィアーノ『ダナエ』1544-46、ティツィアーノ58歳の作品。
ティツィアーノ『教皇パウルス3世』1543
ティツィアーノ、40代。ハプスブルグ家、神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷伯爵、となる。黄金拍車の騎士の号を受ける。フェリペ2世の肖像画を描く。
ティツィアーノ、ヤコポ・ティントレットが弟子になるが、3日で破門した。才能を恐れたためである。しかし、パオロ・ヴェロネーゼは可愛がった。
ティツィアーノは、ミケランジェロの肉体表現に影響を受ける。
1545年、ティツィアーノ、ミケランジェロに会う。ミケランジェロが彼の作品を見たとき、色彩は美しいが、線描がないことを指摘した。*ヴァザーリ『藝術家列伝』
1548年、ティツィアーノ、カール5世にアウグスブルグで会う。後のフェリペ2世にミラノで会う。
1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグでフェリペ2世に会う。
フェリペ2世のために、「ポエジーエ」(1550—1562)、オヴィディウス『変身物語』神話画を描き、スペインに送る。
*1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグで、クラーナハに会う。
ルカス・クラーナハ(父1472~1553年)作『ティツィアーノの肖像』。★
1576ティツィアーノ、ペストに感染、88歳で死ぬ。
■ヴェネツィア年代記、ヴェネツィアの旅人
1477年、ジョルジョーネ生まれる。1510年死す。
1494年、アルブレヒト・デューラー、ヴェネツィアを訪問。第1回。
1500年、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ヴェネツィアに行き滞在する。*
レオナルドのスフマートとジョヴァンニ・ベッリーニの色彩が融合する。
1505年、アルブレヒト・デューラー、第2回ヴェネツィア訪問。
1528年、ミケランジェロ、ヴェネツィアに滞在。
     パオロ・ヴェロネーゼ、生まれる。1588死す。
1550年、ヴァザーリ『藝術家列伝』第一版、刊行。
1566年、ヴァザーリ、ヴェネツィア訪問。ティツィアーノに会う。
1568年、エル・グレコ、ヴェネツィア滞在。ヴァザーリ『藝術家列伝』第二版、刊行。
1585年3月23日(天正13年旧暦2月22日)天正遣欧使節、ローマでローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権を与えられる。
1585年、6月3日(天正13年旧暦5月6日)天正遣欧使節、ヤコポ・ティントレットの子、ドメニコ・ティントレットに会う。天正10年(1582)九州のキリシタン大名の名代として長崎を出航した天正遣欧使節。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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★主な展示作品
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「フローラ」1515、油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ティツィアーノ「ダナエ」1544-46、油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ティツィアーノ「教皇パウルス3世」1543 油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「マグダラのマリア」1567年 油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ヤコポ・ティントレット「レダと白鳥」1551-54 油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ヤコポ・ティントレット「ディアナとエンディミオン(もしくはウェヌスとアドニス)」1543-44年 油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ポリドーロ・ダ・ランチャーノ「眠るウェヌスのいる風景」1565
パオロ・ヴェロネーゼ「聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ」1565
ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子(フリッツォーニの聖母)」1470年、コッレール美術館
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★参考文献
宮下規久朗「ヴェネツィア 海の都の美をめぐる」芸術新潮2011年11月号、P56
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/FmdQyofuL9
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち、黄金の残照に輝く迷宮都市
https://t.co/7tXSdLCUfN
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅
https://t.co/hjc7vHF74b
ヴェネツィアの黄昏
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-363a.html
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
https://t.co/lX5zZsb5PL
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これまでのティツィアーノとヴェネツィア派
「ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜」国立西洋美術館2008
「世界遺産ヴェネツィア展 魅惑の藝術、一千年の都」江戸東京博物館2011
「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」国立新美術館2016
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★「ティツィアーノとヴェネツィア派」東京都美術館 2017年1月21日~4月2日
http://titian2017.jp/