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ルネサンス

2017年6月30日 (金)

「レオナルド×ミケランジェロ展」・・・レオナルド「レダと白鳥」

Leda_melzi_uffiziFrancesco_melzi_st_anne_with_the_vi緑深い午後、三菱一号館美術館に行く。緑陰の木洩れ日の中庭で、友人と会話すると美しい日々を思い出す。美しい精神をもつ人々の自由な集まり。美しい悲劇詩人の祝宴の自由な饗宴。失われたレオナルド「レダと白鳥」の面影。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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レオナルドとミケランジェロ
ひとは運命と対峙することがある。だが、知性によって、運命を克服することができる。「運命はわたしたちがつくるものである。いまからでも遅くない。いまをどう生きるかで、未来が決まる」『ガンディー 魂の言葉』。レオナルドとミケランジェロは、困難な環境にあって、運命と対峙し、超克した。
レオナルドとミケランジェロの対決
レオナルドとミケランジェロは「宿命の敵」と呼ばれる。レオナルドとミケランジェロは、25歳の年の差がある。レオナルドとミケランジェロは、ルネサンスの類いなき巨匠であるが、対立し、対峙した。比較芸術論争(paragone)で、絵画が優越するとするレオナルドと彫刻が優越するとするミケランジェロは対立した。
五百人広間の壁画
1503年、五百人広間の壁画制作を競作。レオナルドは「アンギアリの戦い」、ミケランジェロは「カッシーナの戦い」を制作した。フィレンツェ共和国のピエロ・ソデリーニがミケランジェロに発注したヴェッキオ宮殿の壁画「カッシーナの戦い」ミケランジェロは下描きが終わった段階で、ユリウス2世によりローマへ呼び戻され、「カッシーナの戦い」は未完に終わった。レオナルド「アンギアリの戦い」は素描から彩色の段階で中断する。
論争
1504年ミケランジェロは「ダヴィデ像」を制作した。「ダヴィデ像」の置き場をめぐって、フィレンツェ市庁舎前の広場に置くか、屋内に置くか論争になった。ミケランジェロは広場に置くことを主張した。
卓越した素描(disegno)
レオナルド・ダ・ヴィンチ「少女の頭部/岩窟の聖母の天使のための習作」(1483-85年)は、バーナード・ベレンソンに「最も美しい素描」と呼ばれた。1505年、レオナルドは「レダ」を描き、工房を訪れたラファエッロに見せた。ラファエッロは、「モナリザ」と「レダ」の素描を描いた。
ミケランジェロは後年、レダの主題に取り組む。ミケランジェロ「レダと白鳥の頭部のための習作」)1530年)がある。
運命との戦い 失われた母の面影
レオナルドとミケランジェロは、悲傷の少年時代を生きた。レオナルドは、母カテリーナと別れて生きた。父セル・ピエロに捨てられ、祖父叔父に育てられる。祖父叔父は一生、無職のまま生きた。ミケランジェロは、6歳で母が死ぬ。ブオナローティ家は、銀行業を営んでいたが失敗し破綻した。ミケランジェロは、17歳の時から、ロレンツォ・デ・メディチに養育される。しかし、3年後、ロレンツォは死去する。
レオナルドは「レダ」「聖アンナと聖母子」の母、「岩窟の聖母」の天使、他、美しい女性像を探求しつづけた。ミケランジェロは「ヴァチカンのピエタ」「レダ」において美しい女性像を造形しつづけた。二人が追い求めたのは、失った母の面影であると私は追想する。失われた愛は、永遠に美しい。
*レオナルド「レダ」素描1506ウィンザー城王立図書館
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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失われたレオナルド「レダと白鳥」
レオナルド「レダと白鳥」(1503—1519)を求めてヨーロッパを旅した日々を思い出す。レオナルド派「レダと白鳥」は、ボルゲーゼ、ウフィツィでみた。レオナルド派「レダと白鳥」(1505-10年頃 ウフィツィ美術館)は、フランチェスコ・メルツィの作である。フォンテーヌブロー宮殿所蔵品目録にあったレオナルド「レダと白鳥」は、いま、どこにあるのだろうか。
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レダと白鳥
絶世の美女レダは、双子の美女クリュタイムネストラとヘレネを生んだ。
テュンダレオスは、テスティオスの娘レダを娶った。レダが余りにも美しかったため、ゼウスは、白鳥の姿となってレダと交わり、2つの卵から2組の双子が生まれた。カストールとポリュデウケースの兄弟とクリュタイムネストラとヘレネの姉妹である。カストールは戰爭の術に通暁し、ポリュデウケースは拳闘の技に熟達、ディオスクーロイ(ゼウスの子)と呼ばれた。姉妹は、スパルタの兄弟と結婚した。ヘレネは、スパルタ王メネラオスと結婚し、クリュタイムネストラは、メネラオスの兄ミュケナイ王アガメムノンと結婚した。(cf.アポロドーロス『ビブリオテーケー』)アガメムノンとメネラオスは、ともにアトレウスの子である。アガメムノンとクリュタイムネストラの間に生まれた子が、エレクトラ、オレステス、イピゲネイアである。2人の美女は運命の子である。クリュタイムネストラは夫である王アガメムノンを殺害し、ヘレネはトロイ戰爭の原因となった。絶世の美女は不幸の原因であった。クリュタイムネストラとヘレネは、美貌ゆえに、人を惑わし破滅させた。美しい容貌の下に、醜い心が隠れている。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
愛と復讐 アイスキュロス『オレステイア』三部作
https://t.co/httDdX6Bvr
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*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
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展示作品の一部
Francesco Merziレオナルド派「聖アンナと聖母子」1508-20年頃ウフィツィ美術館
Francesco Merziレオナルド派「レダと白鳥」1505-10年頃 ウフィツィ美術館
©Firenze, Gallerie degli Uffizi, Gabinetto fotografico delle Gallerie degli Uffizi
レオナルド・ダ・ヴィンチ「少女の頭部/<岩窟の聖母>の天使のための習作」1483-85年頃 トリノ王立図書館 ©Torino, Biblioteca Reale
ミケランジェロ・ブオナローティ「<レダと白鳥>の頭部のための習作」1530年頃 カーサ・ブオナローティ©Associazione Culturale Metamorfosi and Fondazione Casa Buonarroti
レオナルド・ダ・ヴィンチ「大鎌を装備した戦車の二つの案」1485年頃 トリノ王立図書館
フランチェスコ・ブリーナ(帰属) 「レダと白鳥(失われたミケランジェロ作品に基づく)」
1575年頃 油彩/板 500×605 カーサ・ブオナローティ
©Associazione Culturale Metamorfosi and Fondazione Casa Buonarroti
ミケランジェロ・ブオナローティ「十字架をもつキリスト」1514-1516年、大理石 2500(キリスト像だけで2010)mm、サン・ヴィンチェンツォ修道院聖堂蔵
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★「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館
会期:2017年6月17日(土)〜2017年9月24日(日)
東京都千代田区丸の内2-6-2
http://mimt.jp/lemi/

Leonardo, Leda and swan, Uffizi, 1505-10
Leonardo, St Anna and Madonna with baby, Uffizi, 1508-20

2017年3月25日 (土)

ティツィアーノとヴェネツィア派・・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス

Titian_venus_of_urbinoTiziano_flora_1515ティツィアーノとヴェネツィア派・・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス
森を歩いて、冬の午後、美術館に行く。
イタリアの秋、ヴェネツィアの迷宮都市を歩いた日々。リアルト橋、サン・マルコ寺院、サンジョルジョ・マッジョーレ島、ドカーレ宮殿、ホテル、ダニエリHotel Danieliを思い出す。「ヴェネツィア共和国1200年」の光と影、行きし世の面影。15世紀はメディチ家の世紀、16世紀はヴェネツィアの世紀。旅人は、時の迷路に迷い込む。「ホテル、ダニエリ」、グランドカナルに臨む、迷宮ホテル。ヴェネツィア派は、何故、ヴィーナスのヌードを愛好したのか。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
■サン・マルコ寺院の残照
グランド・カナルを船で行き、サン・マルコ広場に上陸すると、サン・マルコ寺院は黄金の残照に輝いている。夢の都。水の都、迷宮都市。ヴェネツィアの干潟(ラグーナ)の上に立つ、幻の都市。夢うつつの迷宮都市。
■ヴェネツィア派の最高傑作 ジョルジョーネとティツィアーノ
ヴェネツィア、フィレンツェ、ドレスデンを歩き、ヴェネツィアの巨匠の作品を見た旅を思い出す。
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510、『嵐』1508。ティツィアーノ『聖母被昇天』1515、『ウルビーノのヴィーナス』1538。
ジョルジョーネ(1477—1510)は、33歳で死ぬ。ティツィアーノ・ベチェッリオ(1488—1576)は、88歳まで生きる。
ジョルジョ・バルバレッリ・ダ・カステルフランコ (Giorgio Barbarelli da Castelfranco)は謎の画家である。
光彩陸離。ヴェネツィア派は、色彩、線描なき絵画、油彩で、フィレンツェ派と対比される。フィレンツェ派は、線描、テンペラ画。
ティツィアーノの妻セシリア*
ティツィアーノの故郷ピエーヴェ・ディ・カドーレ出身の理髪師の年若い娘。5年にわたってジョルジョーネ家の家政を取り仕切る内縁関係にあった。セシリアと正式に結婚した。1530年8月にセシリアはラヴィニア出産時の産褥で死去した。
★15世紀フィレンツェ、16世紀ヴェネツィア
16世紀は、ヴェネツィアの世紀である。ティツィアーノ、「ハプスブルグ家の宮廷伯爵、黄金拍車の騎士」となる。
15世紀は、メディチ家の世紀である。フィレンツェのルネサンスは、1499年で終焉する。
フィレンツェのルネサンスが滅びたのは、何故か。
■ティツィアーノと皇帝カール5世、フェリペ2世 
ハプスブルグ家の宮廷伯爵
1488、ティツィアーノ、ピエヴィ・ディ・カドーレに生まれる。
ティツィアーノ・ベチェッリオ(1488—1576)は、ベッリーニの工房で学び、ジョルジョーネに学び、27歳で『フローラ』、50歳で最高傑作『ウルビーノのヴィーナス』を描き、88歳まで生きた。
1515、ティツィアーノ『フローラ』1515、内側から光るような肌の描写。27歳の作品。
1515年、サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂、ティツィアーノの代表作、祭壇画『聖母被昇天』を描き始めた。非凡な色彩感覚に彩られた絵画。大規模な作品。
1538、ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1538、50歳の作品。
ティツィアーノ『ダナエ』1544-46、ティツィアーノ58歳の作品。
ティツィアーノ『教皇パウルス3世』1543
ティツィアーノ、40代。ハプスブルグ家、神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷伯爵、となる。黄金拍車の騎士の号を受ける。フェリペ2世の肖像画を描く。
ティツィアーノ、ヤコポ・ティントレットが弟子になるが、3日で破門した。才能を恐れたためである。しかし、パオロ・ヴェロネーゼは可愛がった。
ティツィアーノは、ミケランジェロの肉体表現に影響を受ける。
1545年、ティツィアーノ、ミケランジェロに会う。ミケランジェロが彼の作品を見たとき、色彩は美しいが、線描がないことを指摘した。*ヴァザーリ『藝術家列伝』
1548年、ティツィアーノ、カール5世にアウグスブルグで会う。後のフェリペ2世にミラノで会う。
1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグでフェリペ2世に会う。
フェリペ2世のために、「ポエジーエ」(1550—1562)、オヴィディウス『変身物語』神話画を描き、スペインに送る。
*1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグで、クラーナハに会う。
ルカス・クラーナハ(父1472~1553年)作『ティツィアーノの肖像』。★
1576ティツィアーノ、ペストに感染、88歳で死ぬ。
■ヴェネツィア年代記、ヴェネツィアの旅人
1477年、ジョルジョーネ生まれる。1510年死す。
1494年、アルブレヒト・デューラー、ヴェネツィアを訪問。第1回。
1500年、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ヴェネツィアに行き滞在する。*
レオナルドのスフマートとジョヴァンニ・ベッリーニの色彩が融合する。
1505年、アルブレヒト・デューラー、第2回ヴェネツィア訪問。
1528年、ミケランジェロ、ヴェネツィアに滞在。
     パオロ・ヴェロネーゼ、生まれる。1588死す。
1550年、ヴァザーリ『藝術家列伝』第一版、刊行。
1566年、ヴァザーリ、ヴェネツィア訪問。ティツィアーノに会う。
1568年、エル・グレコ、ヴェネツィア滞在。ヴァザーリ『藝術家列伝』第二版、刊行。
1585年3月23日(天正13年旧暦2月22日)天正遣欧使節、ローマでローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権を与えられる。
1585年、6月3日(天正13年旧暦5月6日)天正遣欧使節、ヤコポ・ティントレットの子、ドメニコ・ティントレットに会う。天正10年(1582)九州のキリシタン大名の名代として長崎を出航した天正遣欧使節。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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★主な展示作品
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「フローラ」1515、油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ティツィアーノ「ダナエ」1544-46、油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ティツィアーノ「教皇パウルス3世」1543 油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「マグダラのマリア」1567年 油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ヤコポ・ティントレット「レダと白鳥」1551-54 油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ヤコポ・ティントレット「ディアナとエンディミオン(もしくはウェヌスとアドニス)」1543-44年 油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ポリドーロ・ダ・ランチャーノ「眠るウェヌスのいる風景」1565
パオロ・ヴェロネーゼ「聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ」1565
ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子(フリッツォーニの聖母)」1470年、コッレール美術館
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★参考文献
宮下規久朗「ヴェネツィア 海の都の美をめぐる」芸術新潮2011年11月号、P56
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/FmdQyofuL9
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち、黄金の残照に輝く迷宮都市
https://t.co/7tXSdLCUfN
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅
https://t.co/hjc7vHF74b
ヴェネツィアの黄昏
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-363a.html
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
https://t.co/lX5zZsb5PL
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これまでのティツィアーノとヴェネツィア派
「ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜」国立西洋美術館2008
「世界遺産ヴェネツィア展 魅惑の藝術、一千年の都」江戸東京博物館2011
「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」国立新美術館2016
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★「ティツィアーノとヴェネツィア派」東京都美術館 2017年1月21日~4月2日
http://titian2017.jp/

2017年2月17日 (金)

藝術家の苦悩、運命との戦い、骨肉の争いと競争

Isleworth_mona_lisaIsleworth_mona_lisa_wiki藝術家の苦悩、運命との戦い、骨肉の争いと競争
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
レオナルド、カラヴァッジオ 乱世の藝術家
藝術家は、家族と戦い、運命と戦い、美を探求する。時の彼方に理想を求める。

聖なる弑逆、父殺しから、アレクサンドロスが生まれた。弟殺しから、織田信長が生まれた。
藝術家の家において、親族の抗争、殺し合いがある。苦悩の果てに美が生まれる。
アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、カエサル。
レオナルド・ダ・ヴィンチ。安土桃山、江戸時代、富裕な商家に生まれた画家たち。狩野永徳、尾形光琳、伊藤若冲。錦絵の熾烈な競争、浮世絵師、北斎。
タンタロス王、ペロプス王、アトレウス王、アガメムノン王、オイディプス王。悲劇は重層する。

陰謀、裏切り、だまし討ち、下剋上、何でもありの乱世。
敵の陰謀を見破り、敵を滅ぼす最高の指揮官。
理念を追求する人は、天のために戦う。
美しい魂は、生死をのり超えて、美しい理念を探求する。美の化身となる。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する不滅の魂の神殿に旅する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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■レオナルド、憂愁の生涯
レオナルドは、幼少時に、捨てられた。憂愁に包まれる悲愴の人生。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1446—1519)
レオナルドは、父セル・ピエロによって、幼少時に、ヴィンチ村の親族、叔父フランチェスコに預けられた。母のカテリーナは、捨てられた。父は、フィレンツェの商人の娘と結婚した。1465年、13歳の時、フィレンツェのアンドレア・ヴェロッキオの工房に弟子入りする。1507年、叔父フランチェスコ、死去。遺言により遺産相続人に指名される。が親族の反対により裁判になりフィレンツェに行く。1519年、レオナルド、死去、67歳。フランチェスコ・メルツィに知的財産が託される。
フィレンツェからミラノに旅立ち、ミラノからヴェネツィアに旅立ち、フィレンツェからフィレンツェに旅立ち、フランスに旅立つ。
■カラヴァッジョの破滅的生涯
カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio1571-1610)は、北イタリアで生まれ、6歳の時父が死に、13歳の時画家の修業を開始し、20代でローマに行く。作品が人気となり支援者を得る。25歳の時、デル・モンテ枢機卿が『女占師』(1596)を買い上げ、枢機卿の館に住む許可を与えられ、上流階級に紹介される。
35歳の時、人を殺害し死刑判決を受ける。絵を描いて逃走資金を作り、ナポリへ逃亡。支援者の援助を受けながら、マルタ島、シチリア島へ逃亡をつづける。恩赦を得るためローマへ戻る途中38歳で病死した。
■北斎
葛飾北斎は、俵屋宗理を襲名するが、弟弟子に譲る。
飯島半十郎『葛飾北斎伝』、諏訪 春雄『北斎の謎を解く―生活・芸術・信仰』、『決定版 北斎』別冊太陽、『画狂人 北斎』
■狩野永徳
狩野永徳は、家屋敷を弟に譲り、安土城の装飾の仕事に没頭する。
尾形光琳
尾形光琳は、家督を弟に譲り、藝術制作に専心する。尾形光琳(1658-1716)は、若き日々、遊蕩三昧に明け暮れる、29歳の時、父尾形宗謙が死去し、雁金屋は倒産の危機に陥る。
■伊藤若冲
伊藤若冲は、家督を弟に譲り、藝術に専心する。伊藤源右衛門(若冲)(1716-1800)、京都の富裕な青物問屋に生まれ23歳で家業を継ぎながら、40歳で次弟に家督を譲り、異常に緻密な細密画に生涯没頭したのはなぜか。84歳まで、絵画を追求した若冲。
★ケネス・クラーク『レオナルド・ダ・ヴィンチ』、アンドレ・シャステル『イタリア・ルネッサンスの大工房―1460-1500』、ルートヴィヒ・ハインリヒ・ハイデンライヒ『イタリア・ルネッサンス』人類の美術、新潮社、池上英洋『西洋絵画の巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ』
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ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz

レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』、レオナルド最後の旅
https://t.co/3VocR7I7t3
カラヴァッジョの破滅的生涯
カラバッジョ展、国立西洋美術館、光と闇の藝術
http://bit.ly/2loLlBd
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1
Cleopatra, Dendera Temple
伊藤若冲、千載具眼の徒をまつ、動植綵絵、彼方への旅
https://t.co/gZBwa6QfOw
北斎への旅『旅する哲学者 魂への旅』より
http://bit.ly/2kMuogC
大久保正雄「戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹」
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
http://bit.ly/2kJdW0C
「燕子花と紅白梅 ―光琳デザインの秘密―」・・・春爛漫の庭に佇む
http://bit.ly/2lUzOqM
http://bit.ly/2kEEQpv
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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★Leonardo da Vinci,
★Leonardo da Vinci, Isleworth Monalisa
2017年2月17日

2017年2月13日 (月)

ティツィアーノとヴェネツィア派・・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス

Tiziano_venere_di_urbino_1535Tiziano_flora_1515ティツィアーノとヴェネツィア派・・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス
森を歩いて、冬の午後、都美術館に行く。
イタリアの秋、ヴェネツィアの迷宮都市を歩いた日々。リアルト橋、サン・マルコ寺院、サンジョルジョ・マッジョーレ島、ドカーレ宮殿、ホテル、ダニエリHotel Danieliを思い出す。「ヴェネツィア共和国1200年」の光と影、行きし世の面影。15世紀はメディチ家の世紀、16世紀はヴェネツィアの世紀。旅人は、時の迷路に迷い込む。「ホテル、ダニエリ」、グランドカナルに臨む、迷宮ホテル。ヴェネツィア派は、何故、ヴィーナスのヌードを愛好したのか。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
■サン・マルコ寺院の残照
グランド・カナルを船で行き、サン・マルコ広場に上陸すると、サン・マルコ寺院は黄金の残照に輝いている。夢の都。水の都、迷宮都市。ヴェネツィアの干潟(ラグーナ)の上に立つ、幻の都市。夢うつつの迷宮都市。
■ヴェネツィア派の最高傑作 ジョルジョーネとティツィアーノ
ヴェネツィア、フィレンツェ、ドレスデンを歩き、ヴェネツィアの巨匠の作品を見た旅を思い出す。
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510、『嵐』1508。ティツィアーノ『聖母被昇天』1515、『ウルビーノのヴィーナス』1538。
ジョルジョーネ(1477—1510)は、33歳で死ぬ。ティツィアーノ・ベチェッリオ(1488—1576)は、88歳まで生きる。
ジョルジョ・バルバレッリ・ダ・カステルフランコ (Giorgio Barbarelli da Castelfranco)は謎の画家である。
光彩陸離。ヴェネツィア派は、色彩、線描なき絵画、油彩で、フィレンツェ派と対比される。フィレンツェ派は、線描、テンペラ画。
ティツィアーノの妻セシリア*
ティツィアーノの故郷ピエーヴェ・ディ・カドーレ出身の理髪師の年若い娘。5年にわたってジョルジョーネ家の家政を取り仕切る内縁関係にあった。セシリアと正式に結婚した。1530年8月にセシリアはラヴィニア出産時の産褥で死去した。
★15世紀フィレンツェ、16世紀ヴェネツィア
16世紀は、ヴェネツィアの世紀である。ティツィアーノ、「ハプスブルグ家の宮廷伯爵、黄金拍車の騎士」となる。
15世紀は、メディチ家の世紀である。フィレンツェのルネサンスは、1499年で終焉する。
フィレンツェのルネサンスが滅びたのは、何故か。
■ティツィアーノと皇帝カール5世、フェリペ2世 
ハプスブルグ家の宮廷伯爵
1488、ティツィアーノ、ピエヴィ・ディ・カドーレに生まれる。
ティツィアーノ・ベチェッリオ(1488—1576)は、ベッリーニの工房で学び、ジョルジョーネに学び、27歳で『フローラ』、50歳で最高傑作『ウルビーノのヴィーナス』を描き、88歳まで生きた。
1515、ティツィアーノ『フローラ』1515、内側から光るような肌の描写。27歳の作品。
1515年、サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂、ティツィアーノの代表作、祭壇画『聖母被昇天』を描き始めた。非凡な色彩感覚に彩られた絵画。大規模な作品。
1538、ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1538、50歳の作品。
ティツィアーノ『ダナエ』1544-46、ティツィアーノ58歳の作品。
ティツィアーノ『教皇パウルス3世』1543
ティツィアーノ、40代。ハプスブルグ家、神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷伯爵、となる。黄金拍車の騎士の号を受ける。フェリペ2世の肖像画を描く。
ティツィアーノ、ヤコポ・ティントレットが弟子になるが、3日で破門した。才能を恐れたためである。しかし、パオロ・ヴェロネーゼは可愛がった。
ティツィアーノは、ミケランジェロの肉体表現に影響を受ける。
1545年、ティツィアーノ、ミケランジェロに会う。ミケランジェロが彼の作品を見たとき、色彩は美しいが、線描がないことを指摘した。*ヴァザーリ『藝術家列伝』
1548年、ティツィアーノ、カール5世にアウグスブルグで会う。後のフェリペ2世にミラノで会う。
1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグでフェリペ2世に会う。
フェリペ2世のために、「ポエジーエ」(1550—1562)、オヴィディウス『変身物語』神話画を描き、スペインに送る。
*1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグで、クラーナハに会う。
ルカス・クラーナハ(父1472~1553年)作『ティツィアーノの肖像』。★
1576ティツィアーノ、ペストに感染、88歳で死ぬ。
■ヴェネツィア年代記、ヴェネツィアの旅人
1477年、ジョルジョーネ生まれる。1510年死す。
1494年、アルブレヒト・デューラー、ヴェネツィアを訪問。第1回。
1500年、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ヴェネツィアに行き滞在する。*
レオナルドのスフマートとジョヴァンニ・ベッリーニの色彩が融合する。
1505年、アルブレヒト・デューラー、第2回ヴェネツィア訪問。
1528年、ミケランジェロ、ヴェネツィアに滞在。
     パオロ・ヴェロネーゼ、生まれる。1588死す。
1550年、ヴァザーリ『藝術家列伝』第一版、刊行。
1566年、ヴァザーリ、ヴェネツィア訪問。ティツィアーノに会う。
1568年、エル・グレコ、ヴェネツィア滞在。ヴァザーリ『藝術家列伝』第二版、刊行。
1585年3月23日(天正13年旧暦2月22日)天正遣欧使節、ローマでローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権を与えられる。
1585年、6月3日(天正13年旧暦5月6日)天正遣欧使節、ヤコポ・ティントレットの子、ドメニコ・ティントレットに会う。天正10年(1582)九州のキリシタン大名の名代として長崎を出航した天正遣欧使節。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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★主な展示作品
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「フローラ」1515、油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ティツィアーノ「ダナエ」1544-46、油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ティツィアーノ「教皇パウルス3世」1543 油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「マグダラのマリア」1567年 油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ヤコポ・ティントレット「レダと白鳥」1551-54 油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ヤコポ・ティントレット「ディアナとエンディミオン(もしくはウェヌスとアドニス)」1543-44年 油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ポリドーロ・ダ・ランチャーノ「眠るウェヌスのいる風景」1565
パオロ・ヴェロネーゼ「聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ」1565
ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子(フリッツォーニの聖母)」1470年、コッレール美術館
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★参考文献
宮下規久朗「ヴェネツィア 海の都の美をめぐる」芸術新潮2011年11月号、P56
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/FmdQyofuL9
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち、黄金の残照に輝く迷宮都市
https://t.co/7tXSdLCUfN
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅
https://t.co/hjc7vHF74b
ヴェネツィアの黄昏
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-363a.html
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
https://t.co/lX5zZsb5PL
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これまでのティツィアーノとヴェネツィア派
「ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜」国立西洋美術館2008
「世界遺産ヴェネツィア展 魅惑の藝術、一千年の都」江戸東京博物館2011
「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」国立新美術館2016
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★「ティツィアーノとヴェネツィア派」東京都美術館 2017年1月21日~4月2日
http://titian2017.jp/

2017年1月27日 (金)

大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」

BotticellinascitaveneresimonettavesAsunsetinflorencefrompiazzalemichel大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
孫崎享×大久保正雄『愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長』
2017年1月12日【孫崎チャンネル】20:00—21:00
【戦略で読み解く】ルネサンス 戦略、美への愛好、運命的な敵対、戦い、世界観
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『愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長』目次
序説、ルネサンスの美術 6人の巨匠
  フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ
  ルネサンスの4大藝術家
  ボッティチェリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエッロ
1、メディチ家の戦い コジモとロレンツォ
  ボッティチェリ『春』1482『ヴィーナスの誕生』1485
  描かれたジュリアーノ・デ・メディチ シモネッタ・ヴェスプッチ
  ミケランジェロ、ロレンツォの家で育てられる。1489―1492
  招かれなかったレオナルド。現代では「万能の天才」と呼ばれる。
2、包囲されたフィレンツェ フィレンツェ包囲網、対教皇庁戦争(1474 – 1480)。
  イタリアの戦国時代 ロレンツォ(1449 – 1492 1469から当主)は、稀代の戦略家。
  イタリアの天秤の針。1479、ナポリ王フェランテを説得、和平交渉。
  パッツィ家の陰謀(1478)、陰謀家シクストゥス4世(在位1471 – 1484)。
3、織田信長は、3回包囲された。なぜ、包囲されたのか。
  「天下布武」1567、公家寺家、天皇の権力を無化。楽市楽座1577。永楽通宝の旗印。 
  正親町天皇の綸旨。
  織田信長(1534-1582)が恐れた二人の武将。
  桶狭間の戦い1560、比叡山焼き討ち1571、髑髏盃、天正二年1573正月岐阜城、蘭奢待1574、茶会。安土城天主1579、本能寺の変、天正十年1582、48歳で死ぬ。
  織田信長をめぐる美女、妹お市の方、生駒吉乃。織田信長、利休、茶会
  *大久保正雄『戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹』
4、メディチ家とプラトン・アカデミー
 コジモ(1389—1464)、1439年プラトン哲学の奥義を聴く。1463年プラトン・アカデミーをメディチ家カレッジ別荘(Villa Medici di careggi)に創設。Ficinno Opera Omnia, Vol2
 ロレンツォ・デ・メディチ(1449—1492)は、1492年4月8日、43歳で死ぬ。公的な肩  書はない。アンジェロポリツィアーノ、ピコ、思想家たちは、1498年までにつぎつぎと毒殺(砒素)される。ピエロ・イル・フォルトゥオ(愚者)、調略される。フィチーノ(1449—1499)、死ぬ。
 ロレンツォがピコの助言により招いたサヴォナローラに欺かれ裏切られる。間諜=工作員(『孫子』用間編)。シャルル8世のフィレンツェ侵攻1494を予言。1494メディチ家追放。「虚飾の焼却」1498。アレクサンデル6世を批判、怒りを受け破門。処刑1498。
5、メディチ家とハプスブルグ家
  メディチ家は、理念に基づいて行動する。
  ハプスブルグ家は、カネと土地、権力の亡者。
6、バロック美術、カラヴァッジョ(1573-1610)、光と闇の画家
  リアリズム、残酷な現実を描く。『斬首されるヨハネ』1608『ホロフェルネスの首を斬るユディト』1596
  ルネサンスと対比。理想主義、対現実主義。
7、ルネサンスが探求する美は何か。本質の美、現象の背後に隠れた真実。魂の美。理想美。
プラトン哲学の美の奥義、魂の哲学、『饗宴』『パイドン』に根拠がある。
この世界には、隠された真実がある。真実を探求することがルネサンス人の使命である。
ルネサンス人は、理想美を追求する。
8、美とは何か。ソクラテスの祈り。*
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参考文献
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
大久保正雄『美の探求、旅する哲学者、美への旅』
https://t.co/oMWzv4rP2c
メディチ家年代記 メディチ家礼拝堂の幽明境
https://t.co/jfr10GQn6W
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
ロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ・ド・メディシス
https://t.co/J9r9OZN2vP
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1
『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅
https://t.co/RggoniP3wD
プラトン、アカデメイア派2000年 美への旅
https://t.co/AC2EF2HKDB
『戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹』
https://t.co/TtfGTKcUEL
美とは何か
【ソクラテスの祈り】
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
https://t.co/gW05rsb44i
哲学者の魂 ソクラテスの死
https://t.co/K1EiSrdg79
2017年1月27日
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

2016年9月10日 (土)

レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』、レオナルド最後の旅

Da_vinci_madonna_with_the_yarnwinde大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第96回
レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』、レオナルド最後の旅

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

春雷の鳴る午後、桜咲く道を散歩して、博物館に行く。『糸巻きの聖母』を編集長と一緒にみる。春の川は黄昏の光をうけ、春の海ひねもすのたりのたり。幻のレオナルド『レダ』を求めて、ヨーロッパの古城を探索した日々。失われた時の思い出。私は魂の果てを探求したが、魂には果てがない。哲学者は永遠を旅する。美への旅。アルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェの中庭で流れる水の囁きを聴き、ロワールの古城をめぐりレオナルドの孤影に逢い、フォンテーヌブローの森の貴族の館で幻の『レダ』をみる。ロレンツォの弟ジュリアーノ・デ・メディチは、レオナルドの唯一のメディチ家の庇護者だった。森のなかの城館で、夢の中にロレンツォとジュリアーノが立ち現われ、プラトン哲学の奥義を語る。「汝の敵はだれか、考えよ。汝の敵は師だ。化けの皮を被ったいかさま師だ」。私は敵がだれか察知した。違いが分かる人が創造的世界を作る。偽物は世界を腐敗させる。ルネサンスは、コジモ・デ・メディチがプラトン哲学の奥義を受けた時(1439) *に始まる。メディチ家は運命の扉を開いた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』
■レオナルド最後の旅
3枚の絵画、『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』『聖アンナと聖母子』
『糸巻きの聖母』(1501)はフランス王ルイ12世の秘書官フロリモン・ロベルテによって発注され、ブロワ城に渡る(1507)。レオナルド(1452-1519)とフランス王家との接触の始まりである。
ルネサンスに魅せられたフランソワ1世
1516年秋、メルツィとサライを連れてアンボワーズ城(Château d'Amboise)に移り住む。「主席画家、技師、並びに建築家」の称号をアンボワーズの宮廷で与えられる。レオナルド64歳。フランソワ1世(1494-1547)は、『聖アンナと聖母子』の下絵に彩色させるために、レオナルドをフランスに呼んだ。
1517年10月10日、レオナルドは、訪問した枢機卿ルイジ・アラゴーナに3枚の絵を見せる。『ジュリアーノ・メディチ(1479-1516)*のために描かれたあるフィレンツェの婦人の肖像』(モナリザ1503-1505)*『洗礼者聖ヨハネ』(Leonardo,San Giovanni,1514)『聖アンナと聖母子』(1510)。1519年4月23日付け遺言書のなかで、レオナルドは「画家の技術と仕事に関するすべての道具類と肖像画」をフランチェスコ・メルツィ(1493-1570)に遺贈する。メルツィは最後まで師と行動をともにする。★*レオ10世の弟ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ。
フランスに残された絵画
『岩窟の聖母』(1483-1486 louvre)
『岩窟の聖母』(Vergine delle Rocce, louvre)は、1483-1486年の間に制作されたが、注文主の満足を得ることができず、その結果、ルイ12世が1500-1503年頃に作品を取得した。
フランソワ1世コレクションに所蔵される。(louvre HP)
ヴァザーリ『藝術家列伝』は「フランス王にみとられてレオナルドは亡くなった」と書くが、フランソワ1世はサンジェルマン・アン・レーにいて会えなかった。
レオナルド派『レダ』(1506)
レオナルド『レダ』(Leonardo,Leda,1506*)は、フォンテーヌブロー宮殿に17世紀まで所蔵された。所蔵品目録に1692,1694まで記録がある。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』より
★主な展示作品
『糸巻きの聖母』(1501) バクルー版 Leonardo, Madonna with yarnwinder
レオナルド派、ロンバルディアの画家『洗礼者聖ヨハネ』1530-1535年、カポディモンテ美術館、Leonardo, San Giovannni,Capodimonte
★「レオナルド・ダ・ヴィンチ」天才の挑戦「糸巻きの聖母」
2016年1月16日(土) ~4月10日(日)、江戸東京博物館
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
★【城から消えたダ・ヴィンチ ~「糸巻きの聖母」の数奇な旅~】
02月11日(木) 08:15 ~08:59【NHK総合テレビ】
レオナルド・ダ・ヴィンチの「糸巻きの聖母」の数奇な旅。イギリス・ノーサンプトンシャー地方に、現在の「糸巻きの聖母」の所有者 第10代バクルー公爵リチャード・スコットがいる。ボートンハウスはバクルー公爵家が所有する館のひとつで、「イギリスのベルサイユ」とも称される。バクルー公爵家の歴史をたどると、フランスの縁の深いレイフ・モンタギューへと繋がる。この館にはフランスから渡ってきた品が数多く残されている。公爵家が所蔵するコレクションは英国王室のコレクションに並び称される。
その中には、レンブラントの「読書する老女」など世界的に知られる名作があり、レオナルド・ダ・ヴィンチの「糸巻きの聖母」も含まれる。
レオナルド・ダ・ヴィンチは「モナ・リザ」など数々の名作を残したが「糸巻きの聖母」は、彼が49歳と円熟期に描いた作品。レオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館館長(*アレッサンドロ・ヴェッツォシ)はこの絵に、巨匠の哲学や精神が込められていると話す。イタリア・フィレンツェ。この街にはルネサンスという大輪の花が咲いた。ウフィツィ美術館にはルネサンス期を代表する芸術家の石像が並ぶ。
1507年「糸巻きの聖母」は、フランス王ルイ12世の側近の手に渡る。フランス国王が居城としていたブロワ城。ここでの聖母と国王についての記録が残っていた。レオナルドはその後、国王に招かれ、晩年をフランスで過ごした。
★『糸巻きの聖母』(1501) ランズダウン版Leonardo, Madonna with yarnwinder
★『糸巻きの聖母』(1501) バクルー版Leonardo, Madonna with yarnwinder 
★レオナルド『洗礼者聖ヨハネ』1513-1516、ルーヴル美術館、Leonardo, San Giovannni,Louvre
★参考文献
アレッサンドロ・ヴェッツォシ『レオナルド・ダ・ヴィンチ』知の再発見双書
ケネス・クラーク『レオナルド・ダ・ヴィンチ』
池上英洋『レオナルド・ダ・ヴィンチ』小学館2007
中嶋浩郎『図説 メディチ家』河出書房新社
大久保正雄2016年9月10日

2016年8月21日 (日)

ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち、黄金の残照に輝く迷宮都市

Giorgione_sleeping_venus1510大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第87回
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち・・・黄金の残照に輝く迷宮都市

灼熱の夏の午後、美術館に行く。ヴェネツィアでみたジョルジョーネ『嵐』、ドレスデンでみた『眠れるヴィーナス』を思い出す。ヴェネツィア、アカデミア美術館を散歩した日。水煙の煙る春の午後。
グランド・カナルを船で行き、サン・マルコ広場に上陸すると、サン・マルコ寺院は黄金の残照に輝く。夢の都。水の都、迷宮都市。ヴェネツィアの干潟(ラグーナ)の上に立つ、幻の都市。夢うつつの迷宮都市。
アカデミア美術館は、1817年に建設された。色彩のヴェネツィア派といわれるが、暗鬱な色調のキリスト教美術。私は、ヴェネツィア、フィレンツェ、ドレスデンで見た、ヴェネツィア派の絵画を思い出す。ゴルジョーネの謎の絵画。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■多産と豊饒の象徴、ヴィーナス
ヴェネツィア最大の巨匠ティツィアーノ ティツィアーノは、ヴィーナスとクピドをよく描いた。ヌードのヴィーナスは、結婚の記念画として愛好された。ヴィーナスは、多産と豊饒の象徴である。
ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』(1535)。ヴィーナスの膚は、煌めいている。線はない、色彩の魔術。宝石のように輝く皮膚の美。
■謎の画家ジョルジョーネGiorgione、謎の絵画
ティツィアーノの師は、ジョルジョーネである。若くして亡くなった。青春の画家である。
ジョルジョーネ『嵐 テンペスト』1505—8 嵐の瞬間を描いた傑作。西洋絵画史、最初の風景画。
ジョルジョーネ『テンペスト』(1505)は、乳呑児を抱く裸婦、立ち尽くす男、嵐、意味不明な、「謎の絵画」である。
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510。自然描写のなかに眠れるヴィーナス。
ヴェネツィア派で、よく描かれる構成となる。
■ヴェネツィアの黄金時代、11世紀から15世紀。
ヴェネツィアは、地中海、エーゲ海に船で君臨した。栄光の海都市国家は、滅亡した。
これからが、これまでを決める。
変わることなく、とこしえに、揺るぎもしない。かくも試練に耐えた心のあるかぎり。地上は決して砂漠ではない。(バイロン)
★1500年、レオナルドは、ヴェネツィアを訪れ、ヴェネツィア人に、スフマートを教えた。
★ヴェネツィア・ルネサンスは、1440年ころから1580年まで。
ベッリーニから、ティツィアーノまで。
■19世紀、滅びの都ヴェネツィアを愛する。ロマン派詩人たち
ロマン派詩人は、イタリア、ヴェネツィアを愛した。ロマン主義は、1798年から1836年まで。1818年、詩人シェリーはメアリーを連れてイタリアに赴き、フィレンツェ、ピサ、ナポリ、ローマ各地を転々としながらプラトンの『饗宴』を翻訳し、詩『縛を解かれたプロメテウス』を作った。詩人バイロンは、ヴェネツィアをたびたび訪れた。
ロマン派詩人は、自由奔放と愛を追求して、地中海へ旅する。
■ワーズワース「ヴェニス共和国の滅亡」
(William Wordsworth,On the Extinstion of the Venetian Republic)
彼女はかつて華やかなる東洋を領有し、
そしてまた、西方の防衛なりき。
ああヴェニス、初めて生まれし自由の子、
その価値は誕生を辱めることなかりき。
かつて征服されたることなき輝かしき自由の市、
いかなる狡計も篭絡(ろうらく)することなく、いかなる暴力も犯すことなかりき。
ヴェニスがその配偶を娶らんときは、
永劫の海原を彼女は選ぶべかりき。
かかる栄光あせ、光栄ある称号消え失せ、
その力衰うるを見るも何をかせん。
それど追惜(ついせき)の貢物は
その永き歴史の終わる日にぞ払わるべき。
われらは人間、かつて華やかなりしものの影、
消えて跡なきに至るとき、悲しむべきものなり。
田部重治訳『ワーズワース詩集』岩波文庫1957

ヴェネツィアの3大巨匠 ティントレット、ヴェロネーゼ、パッサーノ
パオロ・ヴェロネーゼ『レヴィ家の饗宴』1573
カルパッチョ『リアルト橋の奇跡』1496
ジェンティーレ・ベッリーニ『サン・ロレンツォ橋での聖十字架の遺物の奇跡』
Miracolo della Croce caduta nel canale di San Lorenzo 1500年
■★謎の画家ジョルジョーネGiorgione,1477—1510
ジョルジョーネは、33歳頃亡くなった。作品はわずかに6点しか現存していない。
ジョルジョーネ『嵐 テンペスト』1505—8
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510
■★ヴェネツィア最大の巨匠ティツィアーノTiziano,1488—1576
ティツィアーノは、80代まで画きつづけた。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『聖母被昇天』1516—1518、ティツィアーノ20代の作品、出世作。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『受胎告知』1559年-1564年頃サン・サルバドル教会
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ウルビーノのヴィーナス』1535
■大久保正雄『地中海紀行』
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅
https://t.co/hjc7vHF74b
ヴェネツィアの黄昏
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-363a.html
■展示作品
パオロ・ヴェロネーゼ『レパントの海戦の寓意』
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『受胎告知』1563-65年頃
サン・サルヴァドール聖堂
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「聖母子」「アルベルティ―ニの聖母」1560年頃
■アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち
ジョヴァンニ・ベッリーニからクリヴェッリ、カルパッチョ、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼまで
2016年7月13日(水)~10月10日(月・祝)国立新美術館
http://www.nact.jp/exhibition_special/2016/venice2016/
2016年10月22日(土)~2017年1月15日(日)国立国際美術館
★Giorgione, Venus1510
★Giorgione, Tempesta1505—8
大久保正雄2016年8月21日

2016年8月12日 (金)

ロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ

Chambordロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第79回ロワールの古城めぐりP38—42

ロワールの古城めぐり ルネサンスの夢の果て
ロワール渓谷は、王族、貴族の城館が130余りある。フランスの庭園とよばれる。
フランスにルネサンスをもたらした王、フランソワ1世。フランソワ1世に、イタリアから、レオナルド・ダ・ヴィンチ、メディチ家のカトリーヌが呼び寄せられる。
カトリーヌは、14歳でフランス王家に嫁ぐが、アンリ王子には美貌の愛人がいた。
レオナルド、カトリーヌの影を追うと、理想と運命の狭間に揺れうごく夢みる魂がみえる。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■フランソワ1世の城
アンボワーズ城、ブロワ城、シャンボール城、シュノンソー城。フォンテーヌブロー宮殿。
【アンボワーズ城】Château d'Amboise
アンボワーズ城はロワール川を見渡す岬に建てられている。
1515年12月、王の客としてレオナルド・ダ・ヴィンチがアンボワーズ城に招かれ、近くのクロ・リュッセで生活していた。城とクロ・リュッセは地下道でつながっている。ダ・ヴィンチが埋葬されたサン・ユベール教会堂は城に隣接している。アンボワーズ城の庭には、イタリア風レイアウトが採用された。フランス式庭園(幾何学的構成の庭園)の始まり。アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスは自分たちの子供と一緒に、後のフランソワ2世の婚約者でスコットランド女王のメアリー・ステュアートをアンボワーズ城で育てた。

【ブロワ城】Château de Bloi
フランソワ1世が王になると、クロード王妃はブロワ城を改修させてアンボワーズ城から移る。フランソワ1世は城に新しい翼を建設し、図書室を造った。しかし王妃が1524年に死ぬと、王がブロワ城で過ごすことはほとんどなく、大量の蔵書はフォンテーヌブロー城に移されて「Bibliothèque Nationale(国立図書館)」が作られる。
フランソワ1世の翼では、建築や装飾にイタリアの影響が見られる。中央には美しい彫刻に囲まれた八角形の螺旋階段があり、城の中央の庭園が見渡せる。この螺旋階段は、ルネサンス様式の傑作。この翼の後ろはファサードであり、ところどころにニッチ(壁巖)がある。城の壁にはフランソワ1世のシンボルであるサラマンダーを模った装飾が施されている。「秘密の部屋」カトリーヌ王妃の毒の隠し場所がある。

【シャンボール城】Château de Chambord
レオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ王の客人であり、アンボワーズ城近くのクロ・リュッセに住んだ。ダ・ヴィンチはシャンボール城の設計に関与した。フランソワ王は、自分の富と権力の巨大な象徴として、宿敵カール5世をシャンボールに招待して見せびらかした。

【シュノンソー城】Château de Chenonceau
フランソワ1世に献上された。フランソワ1世が1547年に死ぬと、アンリ2世は城を愛妾のディアーヌ・ド・ポワチエに贈った。
ディアーヌ・ド・ポワチエは城と川沿いの眺めを非常に愛した。彼女はアーチ型の橋を建設、城を向こう岸と結んだ。庭園に花や野菜、果樹なども植えさせた。【ディアーヌの庭】川岸に沿っているため氾濫に備えるため石のテラスで補強され、4つの三角形が配置された洗練された庭が作られた。ディアーヌは城主であったが所有権は王にあった。長年の法的策略の結果、1555年、ようやく城は彼女の資産となった。しかしアンリ2世が1559年に死ぬと、彼の気の強い妻で摂政のカトリーヌ・ド・メディシスはディアーヌを城から追い出した。【カトリーヌの庭】カトリーヌ王妃はシュノンソー城に自分の庭を付け加え、お気に入りの滞在場所とした。1624年にはアンリ4世の愛妾ガブリエル・デストレがシュノンソーを居城とした。

【フォンテーヌブロー宮殿】Palais de Fontainebleau
現在の建築を作ったのはフランソワ1世で、建築家の「ブルターニュのジル」が南門「Porte Dorée(黄金の門)」を含む「Cour Ovale(楕円宮廷)」の建物の殆どを建築した。王は建築家のセバスティアーノ・セルリオとレオナルド・ダ・ヴィンチをもフランスに招いている。フランソワ1世のギャラリーのフレスコはロッソ・フィオレンティーノによるスタッコ(化粧漆喰)で仕上げられ、1522年から1540年に作られ、フランスで最初の大きな装飾ギャラリーとなった。1516年、フォンテーヌブロー派、始まる。

【フランソワ1世】
François Ier、(1494年9月12日 - 1547年3月31日)
2代前のフランス王シャルル8世が始めたイタリア戦争(1494-1559)を継続。イタリア支配をめぐる、神聖ローマ皇帝とフランス王の戦い。1494年、フランス王シャルル8世のフィレンツェ侵攻から始まる。1515年にミラノ公国を占領しスフォルツァ家を追放した。スフォルツァ家に仕えていたレオナルド・ダ・ヴィンチは、1516年フランスへ移り、ルネサンス文化を伝える。

■愛と欲望のルネサンス
カトリーヌ・ド・メディチとディアーヌ・ポワチエ

【カトリーヌ・ド・メディシス】
Catherine de Médicis, (1519年4月13日 - 1589年1月5日)
出産後に母が亡くなり、間もなく父も亡くして孤児となる。オルシーニ家の養女となる。0歳。
1527年、フィレンツェにおけるメディチ家の政権は打倒され、カトリーヌは人質とされて女子修道院に入れられる。8歳
1529年10月、カール5世の軍隊はフィレンツェを包囲。【フィレンツェ包囲】10歳
1530年8月12日にフィレンツェは陥落、教皇クレメンス7世はカトリーヌをローマへ呼び寄せる。
カトリーヌがローマを訪れた時、ヴェネツィア大使は「小柄で痩せており、顔立ちに優美さはなく、またメディチ家特有の突き出た目をしている」。カトリーヌは従兄のイポリットと恋仲になっていたが、教皇クレメンス7世は野心家の彼を退け、婿探しを始める。数多くの求婚者がいた。
1533年、ローマ教皇クレメンス7世とフランス王フランソワ1世の間で縁組交渉が纏まり、フランスの第2王子と結婚。14歳。
1534年9月25日、教皇クレメンス7世が死去するとフランス宮廷におけるカトリーヌの立場は悪化。新教皇パウルス3世はフランスとの盟約を破棄。
アンリ王子は妻であるカトリーヌに関心を示さず、愛人を持つ。結婚から最初の10年間、カトリーヌは子を産まなかった。
★1559年、娘エリザベート(1545年 - 1568年)とスペイン王フェリペ2世の結婚祝賀、馬上槍試合の事故でアンリ2世が死去。
アンリ死後30年、69歳まで生き、君臨する。
★1572年、パリやフランス各地でプロテスタントの大量虐殺【サン・バルテルミの虐殺】が起き、カトリーヌは悪名を残す。
王アンリとの間に10人の子女をもうけた。

【レオ10世】法王
Leo10 1513—21
メディチ家のローマ法王、46歳で急死。前任者ユリウス2世の武力による領土拡大政策と異なり、ローマを文化の中心とすることを目ざす。
【クレメンス7世】法王
Clemens7 1523—34
メディチ家出身のローマ法王、カトリーヌとアンリ2世を政略結婚させる。

【アンリ2世】
Henri II de France, 1519年3月31日 - 1559年7月10日
娘の結婚祝いの馬上試合で重傷を負い、死す。40歳
メディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスを王妃とした。カトリーヌが嫁ぐ前から家庭教師であったディアーヌ・ド・ポワチエと長く愛人関係にあった。

【ディアーヌ・ド・ポワチエ】
Diane de Poitiers, 1499年9月3日 - 1566年4月25日
アンリ2世の愛妾。
★19歳年下の国王の愛を20年間独占し続けた美女の秘密。絶世の美貌と輝く肌。
★ディアーヌは、カトリーヌに脅威を感じて、アンリに王妃との子を産ませ産褥で病弱になるよう嗾けた。
1559年、アンリが馬上試合で重傷を負うと、王妃カトリーヌ・ド・メディシスが支配権を握り、カトリーヌは王がディアーヌに贈ったもののリストを作っており、王の死後直ちにディアーヌにその全ての返還を迫った。★カトリーヌはディアーヌをシュノンソー城から追放してショーモン城に移した。67歳で死去。

【ヴァロワ朝】dynastie des Valois 1328年から1589年まで
カトリーヌ・ド・メディシスが、ヴァロワ朝を滅亡させる。
―――――
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「地中海紀行」第64回ルネサンス、ヴァロワ朝P39
メディチ家年代記 メディチ家礼拝堂の幽明境
https://t.co/jfr10GQn6W
メディチ家とプラトンアカデミー 黄昏のフィレンツェ
https://t.co/QQtspVQ4FD
ルネサンスの奇人変人、フィリッポ・リッピ、カトリーヌ・ド・メディシス
https://t.co/5Szv6nxGVY
★Château de Chambord
★Château de Chenonceau
★Catherine de Médicis
★Diane de Poitiers
★参考文献
佐藤賢一『ヴァロワ朝』講談社現代新書
佐藤賢一『カペー朝 フランス王朝史1』講談社現代新書
八幡和郎『愛と欲望のフランス王列伝』集英社新書
【ディアーヌ・ド・ポワチエ】
木村泰司『美女たちの西洋美術史』光文社新書
【カトリーヌ・ド・メディシス】
オルソラ・ネーミ、ヘンリー・ファースト『カトリーヌ・ド・メディシス』千種堅訳、中央公論社、1982
ジャン・オリユー 『カトリーヌ・ド・メディシス―ルネサンスと宗教戦争〈上下〉』田中梓訳、河出書房新社
佐藤賢一『黒王妃』講談社2012
桐生操『王妃カトリーヌ・ド・メディチ―ルネッサンスの悪女』PHP研究所2003
桐生操監修 『ヨーロッパの古城・宮殿がよくわかる本』(PHP文庫)PHP2010
中嶋浩郎『図説 メディチ家』河出書房新社
大久保正雄2016年8月11日

2016年8月 8日 (月)

ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第75回ヴェネツィア 迷宮都市
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅

グランド・カナルを船で行き、サン・マルコ広場に上陸すると、サン・マルコ寺院は黄金の残照に輝く。夢の都。
水の都、迷宮都市。ヴェネツィアの干潟(ラグーナ)の上に立つ、幻の都市。
ヴェネツィアの黄金時代、11世紀から15世紀。
ヴェネツィアは、地中海、エーゲ海に船で君臨した。栄光の海都市国家は、滅亡した。
これからが、これまでを決める。
変わることなく、とこしえに、揺るぎもしない。かくも試練に耐えた心のあるかぎり。地上は決して砂漠ではない。(バイロン)
ジョルジョーネ『テンペスト』(1505)は、乳呑児を抱く裸婦、立ち尽くす男、嵐、意味不明な、「謎の絵画」である。
ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』(1535)。ヴィーナスの膚は、煌めいている。線はない、色彩の魔術。宝石のように輝く皮膚の美。
1500年、レオナルドは、ヴェネツィアを訪れ、ヴェネツィア人に、スフマートを教えた。
ロマン派詩人は、イタリア、ヴェネツィアを愛した。ロマン主義は、1798年から1836年まで。
1818年、詩人シェリーはメアリーを連れてイタリアに赴き、フィレンツェ、ピサ、ナポリ、ローマ各地を転々としながらプラトンの『饗宴』を翻訳し、『縛を解かれたプロメテウス』を作った。詩人バイロンは、ヴェネツィアをたびたび訪れた。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■15世紀、ヴェネツィア派の画家
★ヴェネツィア派第1世代
 メッシーナ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、ジョルジョーネ、ティツィアーノ
ジョヴァンニ・ベッリーニ『ピエタ』1460
ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ヴェロネーゼの師
ジョルジョーネ『テンペスト』1505—8
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510
ティツィアーノ『聖母被昇天』1516—1518
ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1535
★ヴェネツィア派第2世代
 カルパッチオ、ロット、ティントレット、ヴェロネーゼ
カルパッチオ『聖女ウルスラの夢』1490
ティントレット『最後の晩餐』1594
ヴェロネーゼ『レヴィ家の饗宴』1573
■18世紀、ヴェネツィア派の画家、デカダンスに陥る。
ティポロ、カナレット

■ヴェネツィア年代記
537年 「イストイアの葡萄酒とオリーヴをラヴェンナに舟で送ってほしい」ラヴェンナの東ローマ総督府カシオドーロからヴェネツィアの干潟(ラグーナ)の住民宛て。「鳥の巣のようなこの町も人間の努力の結果」
568年 ロンバルディア人、侵入。
697年 初代ヴェネツィア総督。
828年 アレクサンドリアから、2人の商人が、聖マルコの遺骸を運び込んだ。
832年 旧サン・マルコ教会、設立。
1082年 ビザンティン帝国皇帝の金印勅書。ヴェネツィア人、ビザンティン帝国の一般関税免除。
1094年 サン・マルコ教会、建設。ヴェネツィアの建築、木造から煉瓦造りに。
1177年 ヴェネツィア、ローマ教皇アレクサンデル3世とビザンティン帝国皇帝を仲介。
  中庭(コルチ)をもつ商館と貴族の邸宅、出現。★サン・マルコ広場、はじまる。
1204年 ★第4回十字軍、ヴェネツィア、コンスタンティノープル占領。黒海へ進出。
1253—1268年 ジェノヴァと第1次戦争。以後、死闘を繰り返す。
1264年 リアルト橋(木造)、完成。
1268年 レヴァントより「仮面」。三面構成の建築正面。
1269—1275年 マルコ・ポーロ、中国より帰る。
1289—1311年 ジェノヴァと第2次戦争。ガレー船使用。
1323年 大評議会員の世襲。遠距離貿易、はじまる。
1343—1354年 ジェノヴァと第3次戦争。
1320—1346年 黒死病の大流行。
1404—1406年 ヴィチェンツァ、ヴェローナ、パドヴァを支配。奴隷貿易、盛ん。
1453年 ★トルコ、コンスタンティノープル占領。
   フィレンツェの芸術が、ヴェネツィアに浸透する。
1469年 ヴェネツィアに印刷所できる。ギリシア古典文献。
 ★ヴェネツィア派第1世代
 メッシーナ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、ジョルジョーネ、ティツィアーノ
 ★ヴェネツィア派第2世代
 カルパッチオ、ロット、ティントレット、ヴェロネーゼ
1490—1500年 カルパッチオ『聖女ウルスラの夢』1490
 サン・マルコ広場の塔、建設。
1507年 ★リアルト橋(石造)、完成。
1516年 ヴェネツィアに最初のユダヤ人街。シナゴーグ、1529年。
1518年 ティツィアーノ『聖母被昇天』1516—1518
 パドヴァ大学、ギリシア学者が多く、ヨーロッパ随一の文化の中心。
★1503年以降 ヴェネツィア、地中海における力、急速に衰退。
 1463—1476年 ヴェネツィア、トルコにしばしば敗れる。
1575—1577年 再び、黒死病に襲われる。ヴェネツィア、人口18万人。
1606年 ヴェネツィア、イエズス会を追放。
1637年 オペラ劇場、建設。
1645—1569年 トルコとの攻防、クレタ島を失う。
16世紀 ガブリエーリ、モンテヴェルディ、音楽において先駆。
17世紀 ヴィヴァルディ、バロック音楽。
18世紀 画家ティポロ、カナレット、デカダンスに陥る。
★大久保正雄「ヴェネツィアの黄昏」
https://t.co/d44EK1ulIo
★Venezia、
★Tiziano, Venere di Urbino

★参考文献
饗庭、陣内、山口『ヴェネツィア 栄光の都市国家』東京書籍1993
ルカ・コルフェライ『図説ヴェネツィア 水の都歴史散歩』河出書房新社1996
「ヴェネツィア 海の都の美をめぐる」『芸術新潮』2011.11
宮下規久朗『ヴェネツィア 美の都の一千年』岩波新書2016
塩野七生、宮下規久朗『ヴェネツィア物語』新潮社
Luchino Visconti,Mort a Venezia,「ヴェニスに死す」
阿部知二『バイロン詩集』新潮文庫
上田和夫『シェリー詩集』新潮文庫
シェイクスピア『ヴェニスの商人』
饗庭孝男『ヨーロッパとは何か』小沢書店
大久保正雄Copyright 2016年8月7日

2016年7月31日 (日)

ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念

Botticellinascitaveneresimonettaves大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第67回ボッティチェリ
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念

ルネサンスの思想は、美術によって書かれた。プラトン・アカデミーの理念を現わしたのは、ボッティチェリと、ミケランジェロである。
15世紀、ルネサンスは、イタリアの戦国時代である。陰謀うずまくルネサンス。謀略、諜報、情報操作、暗殺、毒殺、包囲網。
フィレンツェは、包囲網を敷かれ、孤立しつつあった。包囲網を解いたのが、ロレンツォ・メディチである。
人生は冒険である。美しい魂に、美しい女神が舞い降りる。美しい女神が見守る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

★【暗殺、毒殺、陰謀うずまくルネサンス】
【プラトン・アカデミーの死、ルネサンスの死】
プラトン・アカデミーのメディチ家の人々は、1478年から1494年までに死ぬ。
プラトン・アカデミーの詩人、思想家は、1499年までに死ぬ。
ジュリアーノ・デ・メディチ(1453-1478)*暗殺事件。ロレンツォ・デ・メディチ殺人未遂事件(パッツィ家の陰謀)。
1492年ロレンツォが42歳で死ぬ。
1494年詩人アンジェロ・ポリツィアーノ(Angelo Poliziano 1454年7月14日 - 1494年9月24日)暗殺事件。ピコ・デラ・ミランドラ(Pico della Mirandola 1463-94)暗殺事件。
1494年メディチ家追放。1499年マルシリオ・フィチーノ66歳で死ぬ。
【メディチ家、旧権力と戦う】
ロレンツォ・デ・メディチは、シクストゥス4世に「フィレンツェ包囲」される。フィレンツェ包囲の原因は、ルネサンスの創造と革新である。「対教皇庁戦争」1474年-1480年、1478年、パッツィ家の陰謀。1492年ロレンツォの死。1494年、メディチ家追放。
メディチ家は、卓越した美的趣味、知性、感覚をもち理想主義(Idealism)を探求した。
メディチ家、美の探求によって、運命の扉を開いた。メディチ家、旧権力と戦う。メディチ家、Idealismを追求した。
【ルネサンス】
ルネサンス藝術は、古典文化の復興であり、理想主義の追求、中世的世界観への挑戦、革新である。
ルネサンスは、コジモ・デ・メディチが、ゲミストス・プレトンから、プラトン哲学の奥義を受けた時(1439) *に始まる。コジモ・デ・メディチは、カレッジ別荘に、プラトン・アカデミーを作り、構想を実現した。(1459)。
メディチ家は運命の扉を開いた。ルネサンス藝術は、美の世界に衝撃を与えた。美を解する人だけが創造的世界を作る。偽物は世界を腐敗させる。15世紀、ルネサンス藝術によって、ヨーロッパは歓喜に戦いた。
ロレンツォは、カレッジのヴィラの庭園を散歩するのを好んだ。祖父コジモの古代彫刻コレクション、ヴィーナス、アポロン、などがあった。ロレンツォは、プラトンの愛読者であり、『パイドロス』『ティマイオス』『饗宴』などの影響を受けた。(ブノワ・メシャン『庭園の世界史』)
プラトン・アカデミーの詩人ポリツィアーノが書いたLa Giostra「ラ・ジォストゥラ」のなかに「ヴィーナスの王国」という詩がある。この詩は、1475年にサンタ・クローチェ広場で挙行されたメディチ家主宰のイベント「馬上槍試合(ジォストラ)」の主人公ジュリアーノ・デ・メディチとその美貌の恋人シモネッタ・ヴェスプッチに捧げられている。
【ルネサンスの理念を現わす藝術】
ルネサンスの思想は、美術によって書かれた。メディチ家のプラトン・アカデミーの理念を現わしたのは、ボッティチェリと、ミケランジェロである。
ルネサンス主題の藝術は、極めて少ない。10点である。ルネサンス絵画は、ボッティチェリ「春」「ヴィーナスの誕生」「パラスとケンタウロス」「ヴィーナスとマルス」4枚、レオナルドの「レダ」、ラファエロの1枚「アテナイの学堂」、合計、6枚である。彫刻、ミケランジェロ「ケンタウロス」「レダ」「クピド」「バッカス」。
【バロック】16世紀、カラヴァッジョは、ルネサンス藝術が見ない、醜悪な現実を直視、現実主義(Realism)を探求した。
大久保正雄『ルネサンス 愛と美の迷宮』より★
―――
【ボッティチェリ】Botticelli, 1444-1510
Alessandro Mariano Filipepi
1459金細工師の修業に入る。
1461年【フィリッポ・リッピ】の下で、画業を学ぶ。1467まで。
Fra Filippo Lippi (1406-69)
フィリッポ・リッピ『聖母子と二天使』1456

★【春】1476~78年、青年のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ(1463-1503)の委嘱で制作された。ヴァザーリによって『春』と名づけられた。

1482『春』Primavera,1482 春の花の女神フローラのモデルは、ジュリアーノの恋人、シモネッタ・ヴェスプッチ。メリクリウスのモデルはジュリアーノ・デ・メディチ。
1485『ヴィーナスの誕生』Nascita Venere, Birth of Venus,1485。ジュリアーノ・デ・メディチの愛人シモネッタ・ヴェスプッチに対する愛の祝福を意味する。
*【シモネッタ・ヴェスプッチ】Simonetta Vespucci,1453-1476 23歳で死ぬ。
1482ボッティチェリ「パラスとケンタウロス」
1483ボッティチェリ「ヴィーナスとマルス」
1475ボッティチェリ「東方三博士の礼拝」
1480—81ボッティチェリ「書物の聖母」
1480—81ボッティチェリ「マニフィカートの聖母」
1485ボッティチェリ「柘榴の聖母」

詩人【アンジェロ・ポリツィアーノ】Angelo Poliziano から詩を学ぶ。
ポリツィアーノ(1454年7月14日 - 1494年9月24日)は、プラトン・アカデミーの中心人物の一人。パッツィ家の陰謀の時、ロレンツォを逃して命を救った。
『春』『ヴィーナスの誕生』の構想に影響を与える。『馬上槍試合』La Giostra

★【メディチ家】『馬上槍試合』La Giostra
1475 馬上槍試合、サンタ・クローチェ教会広場。ジュリアーノ・デ・メディチ、優勝。シモネッタ・ヴェスプッチ、恋人役。
*【シモネッタ・ヴェスプッチ】Simonetta Vespucci,1453-1476 23歳で死ぬ。
★【メディチ家】パッツィ家の陰謀 ロレンツォ暗殺計画 
1478年4月26日、ロレンツォの弟、ジュリアーノ・デ・メディチ、1478年4月26日に暗殺される。25歳。教皇シクストゥス4世(SixtusⅣ。1471-1484)の陰謀による。

1492【ロレンツォ死去】ロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo de' Medici, 1449年1月1日 - 1492年4月8日)
1494【イタリア戦争】シャルル8世、フィレンツェ入城。
   1494-1559
1494【サヴォナローラ神権政治】
1494【メディチ家、追放】
1495ボッティチェリ「アペレスの誹謗」
1497、サヴォナローラ、虚飾の焚刑。
1498、サヴォナローラ、火刑。
ボッティチェリ、サヴォナローラの影響をうけ、衝撃を受ける。キリスト教化する。
1500ボッティチェリ「神秘の降誕」
―――
メディチ家年代記 メディチ家礼拝堂の幽明境
https://t.co/jfr10GQn6W
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
https://t.co/ejOdghjAJM
★Botticelli, Nascita Venere, 1485
★Botticelli, Primavera,1482
★参考文献 上記ページ参照。
大久保正雄2016年7月30日

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