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哲学

2016年12月31日 (土)

旅する思想家、孔子、王羲之、空海 

KouboudaisiDainichinyorai_kongoubuji旅する思想家、孔子、王羲之、空海 大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿が聳える。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
―――
孔子、流浪の旅
孔子は、下剋上の嵐を抑止するため、魯の君主に抜擢され大司寇に任命されるが、魯国の繁栄を恐れた隣国の斉は美女歌舞団八十人を魯国に贈った。季桓は受納し三日政庁に現れず。紀元前497年孔子、魯国を去る。孔子56歳『微子、四』。流浪の旅に出る。「喪家の狗」と呼ばれる『史記、孔子世家』。69歳の時、孔子は祖国魯に帰ってきた。十三年間、流浪の旅である。子の鯉(伯魚)が50歳で死ぬ。孔子71歳の時、顔回が30歳で死ぬ。『先進、九』。
孔子(紀元前552年9月28日‐紀元前479年3月9日)、74歳で死す。15歳の時、学に志し、30歳の時、学校を開いた。56歳の時、流浪の旅に出て、十数人の弟子が従った。30歳から全生涯にわたって、教え続けた。
周王朝初期は、一千八百余国。春秋時代、支配階級は王、君主、官僚からなり、被支配階級は人民である。官僚とは、卿、大夫、士。官僚は、君子と小人からなる。君子は教養人、小人は知識人。「君子もとより窮す。小人窮すればすなわち濫る」『衛霊公、三』。
加地伸行『中国の古典 論語』2004、白川靜『孔子伝』中央公論社、加地伸行『論語全訳注』講談社学術文庫。
―――
王羲之、至高の書家、詩人
王羲之、蘭亭にて曲水流觴の宴
東晋の貴族、王羲之は、権謀術数を弄する首都建康に倦み、永和九年(353)三月三日に会稽山の山陰の蘭亭にて曲水流觴の宴を開き『蘭亭序』を書いた。貴族41人が集まり37首の詩が詠まれた。王羲之(303年 ―361年) 。不仲であった上司王述を避け、355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。
仰視碧天際。仰いで碧天の際を視
俯瞰清水濱。俯して清水の濱を瞰る
寥闃無涯觀。寥闃として涯觀なく
寓目理自陳。目を寓すれば理自ら陳ぶ 「蘭亭集詩二首之一」
唐の太宗皇帝は王羲之の書を愛し、その殆ど全てを集めたが、蘭亭序は手に入らず、家臣に命じて、王羲之の子孫、僧智永の弟子弁才の手から騙し取らせ、自らの陵墓昭陵に他の作品とともに副葬させた。(何延之『蘭亭記』)
*『蘭亭序』神龍半印本、八柱第三本。
―――
空海、大日如来への航海
空海(774—835)は、十八歳から三十一歳まで山林修行、謎の十三年間。三十一歳の時、遣唐使船で出港。三十二歳の時、青龍寺の恵果阿闍梨に面会する。「われ先より、汝の来れるを知り、相待つこと久し。今日、相見ゆること大いに好し。」空海『請来目録』。805年、6月。12月15日、恵果阿闍梨、入滅。59歳。この時、空海31歳。
嵯峨天皇(786—842)、八〇九年即位。嵯峨帝の勅命により、和泉の槇尾山寺より高雄山寺に入京。最澄、空海に密教経典十二部の借覧を乞う。813年、空海40歳。最澄の『理趣釈経』借覧を拒否。823年、空海50歳。嵯峨天皇より東寺を賜る。嵯峨天皇、退位。嵯峨の郊外に、嵯峨院を築いた。嵯峨院は、空海と会い、香茶を飲んだ。
与海公飲茶送帰山一首 嵯峨天皇。『経国集』巻十
海公〔空海〕とともに茶を飲み、山に帰するを送る一首
道俗(どうぞく)相分かれて数年を経たり 今秋晤語(ごご)するも亦(また)良縁なり。
香茶酌み罷(やす)みて日云(ここ)に暮れる 稽首(けいしゅ)して離(わか)れを傷み雲煙を望む。
道俗相分経数年  今秋晤語亦良縁
香茶酌罷日云暮  稽首傷離望雲煙
―――
嵯峨天皇、曲水流觴の宴
嵯峨天皇(786—842在位809—823)には、ロレンツォ・デ・メディチ「青春は速やかに過ぎ行く」に似た詩がある。
嵯峨天皇は、曲水流觴の宴を催した。
「神泉苑花宴賦落花篇」嵯峨天皇
青春が半ばを過ぎた頃、何がせき立てるのか、柔らかな風がしきりに吹いて、花がせかされるように咲く。芳しい花の香りは失せようとして、止めることはできない。
わたしは、文雄に呼びかけて、詩人は花を愛でるこの宴にやって来た。
「神泉苑花宴賦落花篇」嵯峨天皇(神泉苑の花宴にして「落花篇」を賦す)
過半靑春何處催 和風數重百花開 芳菲歇盡無由駐 爰唱文雄賞宴來 見取花光林表出 造化寧假丹靑筆 紅英落處鶯亂鳴 紫萼散時蝶群驚 借問濃香何獨飛 飛來滿坐堪襲衣
詩宴は、『日本後紀』弘仁三年(812)二月一二日「神泉苑に幸(いでま)す。花樹を覧(みそな)はし、文人に命じて詩を賦せしむ」の時か、弘仁四年(813)五月二日の「花の宴」か。
「天下なる者は聖人の大宝なり」
嵯峨天皇遺詔。
余昔し不徳を以て久しく帝位を忝うす。夙夜兢兢として黎庶を済はんことを思ふ。然れども天下なる者は聖人の大宝なり。豈に但に愚憃微の有のみならんや。故に万機の務を以て、賢明に委ぬ。「続日後本紀」承和九年条。
嵯峨天皇勅撰『文華秀麗集』『経国集』『凌雲集』
参考文献
宮坂有勝『生命の海<空海>』、宮崎忍勝『私度僧空海』、松長有慶『秘密の庫を開く 理趣経』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
*大久保正雄『地中海紀行』第105回
大久保正雄 2016年12月31日

2016年8月22日 (月)

プラトン、アカデメイア派2000年 美への旅

Botticellinascitaveneresimonettav_2大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第88回
プラトン、アカデメイア派2000年 美への旅

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■プラトン、アカデメイア派2000年
紀元前399年、ソクラテス、死す。
紀元前387年、プラトンは、四十歳の時、アカデメイアの地に学園を設立した。
プラトンは、28歳から40歳まで、12年間、地中海を旅した。
529年東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世は、アテナイの新プラトン派のアカデメイアを閉鎖、財産を没収。アカデメイア916年の歴史が終焉した。
https://t.co/QQtspVQ4FD
■メディチ家とプラトン・アカデミー
コジモ・デ・メディチ
1439年7月6日フィレンツェ公会議が開かれ、ギリシア・ローマ両協会の統一が宣言された。この時コンスタンティノープルから、プラトン學者ベッサリオン、ゲミストス・プレトンが來訪、コジモはプレトンの教えに感銘をうけ、教示により「アカデミア・プラトニカ」(プラトン・アカデミー)を構想した。
1462年コジモ・デ・メディチは、マルシリオ・フィチーノ(1433 - 1499)にプラトンの原典とカレッジの別荘を与え、プラトン全集の翻訳を命じ、コジモは1464年に死ぬが、フィチーノは1477年に完成した。
最晩年1464年コジモは、フィレンツェ郊外ヴィッラ・カレッジで、死の予感の中で、哲學的な隠遁の生活に浸り、蘇った哲學の古典に読み耽る。コジモはフィチーノにオルペウスの竪琴とラテン語訳プラトン『ピレボス』を持って來るように手紙を書いて命じた。1)フィチーノは、1475年『プラトン饗宴注解-愛について』、1482年『プラトン神學-魂の不滅について』、1484年『プラトン全集』ラテン語訳を出版、イタリアの地にプラトン哲學が蘇る。
ロレンツォ・デ・メディチ
1478年4月26日、【パッツィ家の陰謀】ロレンツォ暗殺計画。ロレンツォの弟、ジュリアーノ・デ・メディチ、暗殺される。シクストゥス4世の陰謀。
★1482年、ボッティチェリ『春』1485年、ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』
1490年-1492年【ミケランジェロ】ロレンツォの家で養育される。
1495年「クピド」制作。1497年「バッカス」制作。
1492年 ロレンツォ、4月8日カレッジにて、死す。旧友フィチーノをカレッジに呼び寄せ、魂の不死不滅を反芻する。潅仏会(花祭り、仏生会、浴仏会)の日。
ロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo de' Medici, 1449年1月1日 - 1492年4月8日)
http://en.wikipedia.org/wiki/Lorenzo_de'_Medici
1494年、プラトンアカデミーの思想家、次々、死す。ポリツィアーノ、ピコ、毒殺される。
1494年、メディチ家、フィレンツェから追放。
1499年、マルシリオ・フィチーノ、死す。
プラトンの天を指すは天上界のイデアを指し示し、アリストテレスは地上の現実界を示す。
プラトン哲学は、天界のイデアを目ざして飛翔する。
―――――
★天をさす指の象徴
ラファエロ『アテナイの学堂』1509-10, Raffaello Sanzio,Scuola di Atena, vatican, 1509-10
レオナルド『ヨハネ』,Leonardo, San Giovanni Battista,1513
ダヴィッド『毒盃を仰ぐソクラテス』1787,David,Death of Socrates,Metropolitan,NY,1787
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「旅する哲学者 美への旅」
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第67回ボッティチェリP23
メディチ家とプラトンアカデミー 黄昏のフィレンツェ
https://t.co/QQtspVQ4FD
ルネサンスの奇人変人、メディチ家 コジモとロレンツォ
https://t.co/1ycQTUMP05
皇帝ユスティニアヌス1世、プラトンのアカデメイア閉鎖。529年*
https://t.co/OSyk6Kzoq3
★参考文献
広川洋一『プラトンの学園アカデメイア』岩波書店、講談社学術文庫
清水純一「フィレンツェ・プラトニズム その発祥と展開」1977
清水純一『ルネサンス 人と思想』平凡社1994
大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」2013
イヴァン・クルーラス『ロレンツォ・イル・マニフィコ』河出書房新社
クリストファー・ヒッバート『メディチ家』リブロポート1984
中嶋浩郎『図説 メディチ家―古都フィレンツェと栄光の「王朝」』(ふくろうの本)2000
広川洋一『ギリシア人の教育』岩波新書
★Botticelli, Nascita Venere, 1485
★Botticelli, Primavera,1482

大久保正雄 2016年8月22日

2016年8月 2日 (火)

空海の旅 旅する思想家、美への旅

Kuukai_2Sakurako_2013033101大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第69回 空海の旅 旅する思想家
空海の旅 旅する思想家、美への旅
黄金のような国々を、沢山旅してきた。美の国、詩の国、地中海の国、黄昏の国、地の果ての国。空海の旅は秘境冒険譚である。冒険は秘宝の探求である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

秘宝の探求には苦難にみちた旅と敵、謎の美女、秘密を解く鍵、探求目的の秘密がある。『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』『ロマンシングストーン』のように。砂漠の果てに埋もれている薔薇色の神殿。探検家が砂漠の果ての秘密の宝庫に旅するように、空海は唐の都、長安に密教寺院に師を求めて旅した。
空海は、この国では稀有なる<体系的思考、戦略的思考、哲学的思考、本質を観る直観力、創造力、根源志向、視覚的思考、グランド・デザイン、イメージ戦略>をもつ人である。空海は、美意識と崇高な精神と知性をもつ達人、魂の果てを探検する探求者(沙門)である。空海は、理念(イデア)と夢を地上に現実化する。空海が探求した知恵と愛と美の秘密の扉を開く鍵は何か。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■空海の思想
『聾瞽指帰』『三教指帰』序文と巻末の十韻の詩は『三教』と異なる。
無常の賦、受報の詞、生死海の賦、大菩提の果 延暦16年(797)12月。空海24歳の作。
「われ先より、汝の来れるを知り、相待つこと久し。今日、相見ゆること大いに好し」(空海『請来目録』)
「密蔵、深玄にして、翰墨(かんぼく)に載せがたし。かわりに図画をかりて、悟らざるに、開示す。」『請来目録』
「秘蔵の奥旨は、文を得ることを貴ばず。ただ心を以って心に伝うるなり。文はこれ糟粕、文はこれ瓦礫、糟粕と瓦礫を受くれば、則ち粋実と至実とを失う。真を棄てて偽を拾うは、愚人の法なり。愚人の法には、汝は随うべからず、また求むべからず。
「古の人は道の為に道を求め、今の人は名利の為に求む。名の為に求むるは、道を求むる志にあらず。」『答叡山澄法師求理趣釈経書』
「物の興廃は必ず人に由る。人の昇沈は定めて道に在り」『綜藝種智院式』
嵯峨天皇「道俗相分かれて数年を経たり。今秋晤語するもまた良縁なり。香茶酌みやすみて日ここに暮れる。稽首してわかれを傷み雲煙を望む。」『海公〔空海〕とともに茶を飲み、山に帰するを送る一首』(経国集』巻十)
「仏に三身(法身・報身・応(化)身)あり。教は二種(顕教・密教)なり。応化の開説を名づけて顕教という。ことば顕略にして機に逗えり。法仏の談話これを密蔵(密教)という。ことば秘奥にして実説なり。」
『弁顕密二教論』
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-writing/post-237.html
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に、死んで死の終わりに冥し」(『秘蔵宝鑰』序、830年)
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば我が願いも尽きむ」天長9年(832年)8月22日、高野山最初の万燈万華会。

■『秘密曼荼羅十住心論』
第一住心 異生羝羊心
「凡夫狂酔して、吾が非を悟らず。但し淫食を念ずること、彼の羝羊の如し。」
下愚は狂酔する。羝羊のように、淫食を求める。上智と下愚とは移らず(『論語』陽貨第十七3)。
第二住心 愚童持斎心
「外の因縁に由って、忽ちに節食を思う。施心萌動して、穀の縁に遇うが如し。」
下愚は、外の因縁によって、節度を思う。
第三住心 嬰童無畏心
「外道天に生じて、暫く蘇息を得。彼の嬰児と、犢子との母に随うが如し。」
天真爛漫な季節、天界に生まれたように蘇る。嬰児と犢子が、母に随うごとし。
第四住心 唯蘊無我心
「ただ法有を解して、我人みな遮す。羊車の三蔵、ことごとくこの句に摂す。」
存在するのは唯だ五蘊のみであり、すべての存在は無我であることを知る。
五蘊とは、色・受・想・行・識の精神作用である。
第五住心 抜業因種心
「身を十二に修して、無明、種を抜く。業生、已に除いて、無言に果を得。」
十二縁起を知り、無明=因縁の種子を取り除き、業の生を除く。
第六住心 他縁大乗心
「無縁に悲を起して、大悲初めて発る。幻影に心を観じて、唯識、境を遮す。」
慈悲心に目覚め、唯識説に目覚める。すべての現象は幻影であると知る。唯識瑜伽行派。
第七住心 覚心不生心
「八不に戯を絶ち、一念に空を観れば、心原空寂にして、無相安楽なり。」
「不生、不滅、不断、不常、不一、不異、不去、不来」。この八つの不を認識し、空観に徹すれば、心は空寂で安楽である。中観派。空観派。
第八住心 一通無為心
「一如本浄にして、境智倶に融す。この心性を知るを、号して遮那という。」
主体と客体の境のない境地。一如、境と智ともに融一する。天台止観。
第九住心 極無自性心
「水は自性なし、風に遇うてすなわち波たつ。法界は極にあらず、警を蒙って忽ちに進む。」
事法界、理法界、両者を止揚した、無自性・空界と現象が共存する理事無礙法界、事物が融通無碍に共存する事々無礙法界に到達する。毘盧遮那仏と一体になる融通無碍の境地。『華厳経』。
第十住心 秘密荘厳心
「顕薬塵を払い、真言、庫を開く。秘宝忽ちに陳じて、万徳すなわち証す。」
顕薬は塵を払うが、真言は秘密の宝の庫を開く。大日如来、真言密教の境地。
(空海『秘密曼荼羅十住心論』「日本思想体系」、『弘法大師 空海全集』筑摩書房)

■空海年代記
★宝亀5年 (774) 讃岐国多度郡、屏風浦(香川県善通寺市)で生まれる。父は郡司の佐伯直田公、母は阿刀氏の玉依(または阿古屋)。幼名を真魚という  空海1歳
延暦8年 (789) 桓武天皇の皇子・伊予親王の家庭教師で母方の叔父である阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章などを学ぶ。 16歳
★延暦10年 (791) 長岡京の大学寮に入る。大学での専攻は明経道、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学ぶ。 18歳
★延暦11年 (792) 19歳を過ぎた頃から【山林修行】に入る。吉野、阿波、土佐、伊予などの山野を跋渉し、一沙門より「虚空蔵求聞持法」を授けられた 19歳
★★796年、空海が23歳の時、夢のお告げで『大毘廬遮那成仏神變加持経』を知り、経を探して旅をし、【久米寺の東塔】にて『大日経』を発見(感得)。★
★延暦16年 (797) 儒教・道教・仏教の比較思想論、『聾瞽指帰』を著す。 24歳
★貞元20年(延暦23年) (804) 入唐直前に、東大寺戒壇院で得度受戒する。
この年、正規の遣唐使の留学僧(留学期間20年)として唐に渡る。
空海は、遣唐大使藤原葛野麻呂とともに、第一船。第二船に、最澄。 他の二隻は、難破、沈没。 30歳
8月10日、福州長渓県赤岸鎮に漂着。上陸できず。約50日間待機させられる。遣唐大使藤原葛野麻呂に代わり、空海が福州の長官へ嘆願書を代筆する。
★804年11月3日に長安入りを許され、12月23日に長安に入る。 31歳
永貞元年(延暦24年) (805) 2月、西明寺に入り滞在、空海の長安での住居となる。長安で空海は、醴泉寺の印度僧般若三蔵に師事した。密教を学ぶために必須の梵語を学ぶ。空海はこの般若三蔵から梵語の経本や新訳経典を与えられる。
★805年5月、密教の第七祖、【青龍寺の恵果和尚】を訪ね、以降約半年、師事する。
★805年6月13日に【大悲胎蔵の学法灌頂】、7月に【金剛界灌頂】を受ける。
★805年8月10日、【伝法阿闍梨位の灌頂】を受け、遍照金剛の灌頂名を与えられる。
8月中旬以降に、曼荼羅や密教法具の製作、経典の書写が行われ、恵果和尚からは阿闍梨付嘱物を授けられる。
★12月15日、恵果和尚、60歳で入寂。空海32歳
元和元年(延暦25年) (806) 空海は全弟子を代表して和尚を顕彰する碑文を起草する。
3月に長安を出発し、帰国の途につく。
★大同元年(806年)10月、空海は無事帰国、大宰府観世音寺に滞在する。『請来目録』を遣唐使判官高階遠成に託す。空海は太宰府に滞在。大同元年、3月に桓武天皇が崩御し、平城天皇が即位。 33歳
★大同4年 (809) 平城天皇が退位、【嵯峨天皇、即位】。空海は和泉国槇尾山寺に滞在していた。嵯峨天皇の勅により7月、入京、和気氏の私寺、高雄山寺(後の神護寺)に入る。空海の入京には最澄の尽力があったと推定される。★最澄筆『請来目録』が存在する。
その後、二人は813年まで交流関係を持つ。【理趣釈経、借覧問題】 36歳
★弘仁元年 (810) 【薬子の変】空海、嵯峨天皇側につき10月27日より高雄山寺で鎮護国家のための大祈祷をおこなう 37歳
弘仁2年 (811) 乙訓寺の別当を務める(弘仁3年(812年まで) 38歳
弘仁3年 (812) 11月15日、高雄山寺にて金剛界結縁灌頂を開壇。入壇者には、最澄が含まれる。さらに12月14日には胎蔵灌頂を開壇。入壇者は最澄やその弟子円澄、光定、泰範の他190名。 39歳
★813年(弘仁4)11月23日付の手紙で、最澄は「理趣釈経一巻を来月中旬まで借覧したい」と空海に申し送ったが、空海はこれを断った。【理趣釈経、借覧問題】
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/kitao/new-31.html
★空海『答叡山澄法師求理趣釈経書』
★弘仁6年 (815)『弁顕密二教論』を著す。 42歳
弘仁7年 (816) 6月19日、修禅の道場として高野山の下賜を請う、7月8日には、高野山を下賜する旨勅許を賜る。 43歳
★【高野山金剛峯寺】
★弘仁8年 (817) 泰範や実恵ら弟子を派遣して高野山の開創に着手する 44歳
弘仁9年 (818) 11月には、空海自身が勅許後はじめて高野山に登り翌年まで滞在。 45歳
弘仁10年 (819) 春には七里四方に結界を結び、伽藍建立に着手 46歳
弘仁12年 (821) 満濃池(まんのういけ、現在の香川県にある日本最大の農業用ため池)の改修を指揮して、当時の最新工法を駆使し工事。 48歳
弘仁13年 (822) 太政官符により東大寺に灌頂道場真言院建立。この年平城上皇に潅頂を授ける。 49歳
★弘仁14年 (823) 正月、太政官符により東寺を賜り、真言密教の道場とする。 50歳
★【東寺】
★天長元年 (824) 2月、勅により【神泉苑で祈雨法】を修す。3月には少僧都に任命、僧綱入り(天長4年には大僧都)。 51
★天長5年 (828) 『綜藝種智院式并序』を著すとともに、東寺の東にあった藤原三守の私邸を譲り受けて私立の教育施設「綜芸種智院」開設 55歳
★天長7年 (830) 淳和天皇の勅に応え『秘密曼荼羅十住心論』十巻(天長六本宗書の一)を著、後に本書を要約『秘蔵宝鑰』三巻を著す。 57歳
天長8年 (831) 5月末、病(悪瘡)を得て、6月大僧都を辞する旨上表、天皇に慰留される。 58歳
★天長9年 (832) 8月22日、高野山において最初の万燈万華会が修された。空海は、願文に「虚空盡き、衆生盡き、涅槃盡きなば、我が願いも盡きなん」と表す。その後、秋より高野山に隠棲し、穀物を断ち禅定を好む日々であったと伝えられている。 59歳
★承和元年 (834) 2月、東大寺真言院で『法華経』『般若心経秘鍵』を講じる。
12月19日、毎年正月宮中において真言の修法(後七日御修法)を行いたい旨を奏上。同29日に太政官符で許可され、同24日の太政官符では東寺に三綱を置くことが許下。 61歳
承和2年 (835) 1月8日より宮中で後七日御修法を修す。
宮中での御修法は明治になるまで続き、明治以後は東寺に場所を移して行われている。
1月22日には、真言宗の年分度者3人を申請し許可される。
2月30日、金剛峯寺が定額寺となる。
★835年3月15日、高野山で弟子達に遺告を与え、3月21日に入滅。 62歳
参考文献
*宮崎忍勝『私度僧空海』河出書房新社
*空海年表 空海エンサイクロペディア
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kuhkai-chronicle/chronicle_p3.html
『聾瞽指帰』が原形。『三教指帰』序文と巻末の十韻の詩は『三教指帰』と異なる。
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-writing/post-105.html
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-life/test/post-125.html
★空海
★東寺
★参考文献
宮坂宥勝監修『弘法大師 空海全集』全八巻、筑摩書房1973
渡辺照宏・宮坂宥勝『沙門空海』筑摩書房1967ちくま文庫1993
宮坂宥勝・梅原猛『生命の海 空海』仏教の思想9角川書店1996角川文庫
松長有慶『高僧伝 空海』集英社1985
松長有慶『密教経典 理趣経』集英社1984
松長有慶『理趣経』中公文庫
『芸術新潮2011年8月号 空海、花ひらく密教宇宙』2011年
宮崎忍勝『私度僧空海』河出書房新社1991
宮坂宥勝『空海 生涯と思想』筑摩書房1987ちくま文庫2003
宮坂宥勝『密教世界の構造 空海『秘蔵宝鑰』』筑摩書房1882
宮坂宥勝『密教思想の真理』人文書院1979
宮坂宥勝『密教経典』筑摩書房、仏教経典選1986講談社学術文庫2011
竹内孝善・川辺秀美『空海と密教美術』2011
末木文美士『仏典をよむ―死からはじまる仏教史』新潮文庫2009
末木文美士『日本仏教史―思想史としてのアプローチ』新潮文庫1996
東京国立博物館『空海と密教美術』2011
東京国立博物館『空海と高野山』2003
大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説」2011
大久保正雄『空海の冒険 密教美術の象徴学』2015
大久保正雄2016年8月2日

2016年7月 8日 (金)

旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り

Ookubomasao89David_1787La_tour_le_tricheur_louvre1636大久保正雄『地中海紀行』第44回哲学者の魂、ソクラテスの死2
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り

ソクラテスの祈りは、限りなく美しい。不朽不滅の言葉は魂に刻まれる。
「この私を内なる心において美しいものにしてくださいますように。
知恵ある人をこそ富めるものと考える人間になりますように。」プラトン『パイドロス』*

ペリクレスは「我らは、美を愛して純眞さを失わず、知を愛して軟弱に陥らない。」と言った(トゥキュディデス『戦史』2巻40)。
だが、正義は地に堕ちた。(エウリピデス『アンドロマケ』)
「正義か否かが問題となるのは、力が対等の者の間だけである。」(『戦史』第5巻89)
正義の名の下に、不正が行われ、眞実の名の下に、虚偽が語られる。生きることは闘争の連続である(エウリピデス『ヒケティデス』)
紀元前406年、アルギヌーサイの海戦において、帰還した6人の將軍は処刑された。ペリクレスの子ペリクレスがいた。ソクラテスは最後まで反対した。

ソクラテスが対決したのは、権威を装い、正義を装ういかさま師である。
ソフィストたち(プロタゴラス、ゴルギアス、ヒッピアス)といわれるが、
いつの世にも、「いかさま師」(La Tricheur)は存在し跳梁跋扈する。ヒエロニムス・ボッシュ、カラバッジョ、ラ・トゥールの絵画(1636)に瞭然である。*
ソクラテスは、論理の達人に止まらず、夢と瞑想と守護霊(Daimon)の声を聴く人である。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

夢と瞑想とダイモーン
ソクラテスは、人間の経路、師弟の経路を通して哲学を学んだのではなく、自己のダイモーン(守護霊)との交わりにより、直観的に理解し、霊感によって真実を直観した。瞑想に浸り、魂の秘密を叡知的直観によって、理解した。ソクラテスは、晩年、ピュタゴラス派の人々と交わり、魂の不死不滅を信じた。
ソクラテスは、ダイモーン(守護霊)の聲を聞き、夢の告げを受け、瞑想に耽った。ダイモーンは常に抑止するもの禁止するものとして現れた。ソクラテスは、ダイモーンの聲を聞き、戦場においてはポテイダイアの野に立ち盡くして一日中、瞑想に耽った。ソクラテスは、独りだけ離れて、何処でも立ち止まり、考え込む。
紀元前416年、ソクラテスは、友人アガトンの家に祝宴に行く途中、考え込み、一晩立ち尽くして、翌日、ギムナジオンに行った。 (『饗宴』) *
ソクラテスは、人々の知恵を吟味し論駁した探究者である。地位や名誉や富を追求するよりも、智慧を愛することを説いた。徳の定義を問い、弟子たちを問い詰めた。何ごとも疑うことにより独断を吟味するように勧め、弟子たちに自らの目で眞実を直視し、自己の判断に基づいて生きるように説いた。「吟味なき生は生きるに価しない」と言い、権威的な人々と対峙し、吟味を展開した。
ソクラテスは、論理の達人、吟味(エレンコス) の達人、哲学的問答法の名人であるのみならず、夢と瞑想とダイモーン(守護霊)の声を聴く人である。★

■ソクラテスの祈り
プラトン『パイドロス』最後の場面で、ソクラテスが祈る言葉。『パイドロス』279B
「親愛なるパンよ、ならびに、この土地にすみたもうかぎりのほかの神々よ。この私を内なる心において美しいものにしてくださいますように。そして、私が持っているすべての外面的なものが、この内なるものと調和いたしますように。『パイドロス』279B
私が、知恵ある人をこそ富めるものと考える人間になりますように。また、私が持つお金の高は、ただ思慮ある者のみが、にない運びうるものでありますように」
ὦ φίλε Πάν τε καὶ ἄλλοι ὅσοι τῇδε θεοί, δοίητέ μοι καλῷ γενέσθαι τἄνδοθεν: ἔξωθεν δὲ ὅσα ἔχω, τοῖς ἐντὸς εἶναί μοι φίλια.
Platonis Opera, ed. John Burnet. Oxford University Press. 1903.
ソクラテス まだ何かほかに、お願いすることがあるかね。パイドロス。ぼくにはもう、これで充分にお祈りをすませたのが。
パイドロス 私のためにも、いまのことを一緒にお祈りしてください。「友のものは共有」なのですから。(『パイドロス』279B「プラトン全集」岩波書店「岩波文庫」p178)

ソクラテスの哲学の精髄(エッセンス)がソクラテスの祈りにある。
内面の美しさ、知恵ある人をこそ富めるものと考える人になるべきことをソクラテスは祈った。哲学者は美への旅に出る。ソクラテスは魂の美を祈り、プラトンは美の迷宮を旅する。*大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」2013

■ソクラテスの知恵を愛し求めること
ソクラテスは書物を一冊も書き残さなかった。ソクラテスはソクラテスの弟子たちにとってすでに謎であった。プラトンの初期対話篇のなかに、ソクラテスの思想が伝えられている。ソクラテスの智慧を愛し求める生きかた、そして死は、自己の思想にもとづいている。ソクラテスの思想、「問答」「無知の自覺」「知恵を愛し求める」「魂の気遣い」「美しく善く生きる」について、以下に論じる。大久保正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』
1、問答
ソクラテスは、アテナイの人々とアゴラで問答した。例えば、「美とは何か」「勇気とは何か」「知恵とは何か」「徳とは何か」について、問答した。ソクラテスが、吟味したのは、徳や価値などの概念に関する問題に限局されていた。ソクラテスは、これらのあらゆる問題に対して論駁(エレンコス)の技術を駆使した。問答、吟味、論駁の果てに、すべての主張を否定的結論に導いた。問答相手を窮地に陥れ、そして自分自身と問答相手の無知を明らかにする。ソクラテスは、「吟味されざる生は生きるに値しない」(『ソクラテスの弁明』)という。
論駁の技術の展開は、5つの段階からなる。1、問答、2、吟味、3、論駁、4、窮地に陥れる、5、無知(agnoia)の宣言、である。例えば「美とは何か。」と問い、それに対して、「何であるか」を答えられなければ、すなわち、「説明すること」ができなければ「知っている」ということはできない。ソクラテスは、問答することによって、人が「知っている」か否か、自他を吟味する。例えば、「美とは何か」について、知っているか否か、吟味する。「美しいものは何か」ではなく、「美とは何か」を探求しなければならない。(『ヒッピアス大』)美しいものと、美そのものとは、ことなる。問答の果てに、自らも問答する相手も、何も知らないことが明らかになる。ソクラテスの探求は、否定的結末になるのが常であった。ソクラテスと問答相手は、問答と吟味の果てに、自らの無知を、見いだした。
*さらに、ソクラテスは、統合的な問い「徳とは何か」を問い、「徳とは教えられるものか」「徳とは教えられないものか」を問うた。(『メノン』)この問いに対する答えは、その人自身の存在の在りかたを問うものである。*
2、無知の自覚
ソクラテスは、政治家と詩人と職人を訪れ、知恵の吟味を行って、知恵をもっているか否か、調べた(『ソクラテスの弁明』)。「この人も私も、恐らく善美の事柄は、何も知らないらしいが、この人は知らないのに何か知っているように思っているが、私は知らないから又その通りに知らないと思っている。だからつまりこの微細なことで、私のほうが知恵があることになるらしい。即ち、私は知らないことを知らないと思う、ただこの点で優れているらしい。」(『ソクラテスの弁明』)
知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとする、無知の自覚を説いた。ソクラテスの「知恵の吟味」の結果、ソクラテスは、「知らないということを知っている」が、吟味された人は、自らが知らないということを知らない。二重の無知に陥っている。ことが明らかとなった。ソクラテスは、知恵を持っていないことを自ら自覚する(『ソクラテスの弁明』21b)がゆえに、知恵を愛し求める(philosophein)のである。ソクラテスは、人間は、知恵をもたないがゆえに、知恵を愛し求めなければならない、と言う。
3、知恵を愛し求める
ソクラテスは、『ソクラテスの弁明』において言う。「私の息の続く限り、私にそれができるかぎり、決して知恵を愛し求めることを止めないだろう。」知恵を愛し求めることは、魂の気遣いをすることであり、魂の卓越性(徳)に気づかうことである。人は、地位や名譽や富を追求するのではなく、「魂ができる限り善きものになるように配慮しなければならない。」(『ソクラテスの弁明』29d-e)知恵を愛し求めることは、ソクラテスにおいて、根源的な生きかたの形、生きかたの選択であった。人間の前には、生きかたの選択、愛の岐路がある。人は、何を愛するかによって、生きかたの形が現れる。人は、何を愛し、いかに生き、いかに死ぬかによって、精神の美が現れる。哲学者は、美への旅に出る。プラトンは、美の階梯を昇る。*大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」2013
人は、知恵を愛し求め、美しく善い生きかたをしなければならない。「ただ生きるのではなく、善く生きること、美しく生きること、正しく生きることが、人間にとって大切である。」(『クリトン』48b)「自らが不正を為すよりも、ひとに不正を働かれる方がはるかに善い。」ソクラテスの生と死を貫き、行動を支えた信念がある。例えば、「魂は不死不滅である。」「善き人には、生きているときも、死せる後も、悪しきことは何も存在しない。」(『ソクラテスの弁明』)この思想は、経験的な知による立証の領域を超えている。ソクラテスは、問答法を駆使したが、論証と吟味、論理の探求にあけくれ言葉の檻を徘徊する人間ではなく、魂の奥底の聲を聞く人であった。
■プラトン対話編の迷宮、魂のドラマ
ソクラテスの残した知的遺産
ソクラテスは、否定的結論に導くことが多かったが、以下のような思想を教えた。
 知識と知恵の区別を忘れてはならない。
 自己自身と自己に所属するものの区別を忘れてはならない。名譽、富、金銭、肉体は、自己に所属するものである。自己自身とは魂である。
 魂自身ができる限り善きものになるように配慮しなければならない。
 自己自身と他を吟味して生きなければならない。
 地位や名譽や富を追求するよりも、知恵を愛さなければならない。
いのちある限り、知恵を愛し求めて、生きなければならない。知恵(ソフィア)を愛することが哲學(フィロソフィア)である。プラトン『ソクラテスの弁明』
人類の叡智の歴史にソクラテスの思想が刻み込まれた。ソクラテスの行動を生きた思想から、プラトンの対話編、魂のドラマ、哲学の迷宮、が生まれる。
★アクロポリス、エレクテイオン神殿
★ソクラテスの死、
Jack Louis David, Death of Socrates, 1787, The Metropolitan Museum of Art. New York
★「いかさま師」 La Tour, La Tricheur,1636, Louvre
★【参考文献】
John Burnet(ed.), Platonis Opera, 5vols, Oxford U.P. 1903
Herrman Diels-Walter Kranz, :Die Fragmente der Vorsokratiker1-3, Berlin, 1953
プルタルコス河野與一訳『プルタルコス英雄伝』全12巻、岩波文庫1952-1956
村川堅太郎編『プルタルコス』世界古典文学全集23筑摩書房1966
トゥキュディデス 久保正彰訳『戰史』岩波文庫1966-67
クセノポン佐々木理訳『ソクラテスの思い出』1-18岩波文庫1953,pp.25-26,237-239
クセノポン根本英世訳『ギリシア史』1-2京都大学学術出版会1998、1999
内山勝利編『ソクラテス以前哲学者断片集』全5巻、別巻1岩波書店1996-1998
ディオゲネス・ラエルティオス加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝』上中下、岩波文庫1984-1994
大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」2013
大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説(agrapha dogmata)と詩のことば」2011
大久保正雄「ギリシア悲劇とプラトン哲学の迷宮 ―ことばの迷宮―」2010
大久保正雄「プラトンと詩と哲学 ―詩的直観と哲学的直観―」2009
大久保正雄「魂の美学 プラトン対話篇における美の探求」1993
大久保正雄「知と愛(Plato“Apologia Socratis”28d10-30c1)」1990
大久保正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲學史 理性の微笑み』巌書房1993
斉藤忍髄『幾度もソクラテスの名を2』1986『プラトン 人類の知的遺産』講談社『知者たちの言葉』
藤沢令夫『実在と価値』『イデアと世界』『プラトンの哲学』
プラトン『ソクラテスの弁明』『クリトン』『饗宴』『パイドン』『パイドロス』『ヒッピアス』
プルタルコス『対比列伝』「アルキビアデス伝」
太田秀通『生活の世界歴史 ポリスの市民生活』河出書房1991
大久保正雄 Copyright2002.08.28 2016年7月6日改定

2016年7月 7日 (木)

哲学者の魂 ソクラテスの死

Davidthe_death_of_socrates_1787Ookubomasao103_2大久保正雄『地中海紀行』第43回哲学者の魂 ソクラテスの死1
哲学者の魂 ソクラテスの死

ソクラテスは、論理の達人に止まらず、夢と瞑想とダイモーン(守護霊)の声を聴く人である。ソクラテスの祈りは、限りなく美しい。魂に刻まれて不朽不滅である。*

太陽が沈む時、ソクラテスは、毒盃を仰いで死ぬ。
逆境の中で、正義を貫き、真実を愛した魂。
イリソス川のほとり、ソクラテスがささげた祈りのように、美しく善き、至高の魂。

吹き荒ぶ、不正と偽りと暴力の嵐。血に塗れた、虚榮の都。不正は正義の仮面で偽裝する。
不正と戦い、智慧を探求したソクラテス。
死にゆくソクラテスは言葉を残した。魂は不死不滅である。

滅亡するアテナイの黄昏。苦悩と血の中から、智慧の梟は、飛び立つ。
知恵を愛する魂のみが、魂の翼をもつ。時を超えて蘇る、不屈の精神。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■黄昏の地中海
秋の夕暮刻、アテネからローマへ向かって、飛行機は飛び立った。優しさに満ちたギリシア人たちの思い出が蘇る。悲劇が刻む、愛と復讐の大地、ギリシア。乾いた大地。エーゲ海が光る。エーゲ海のほとり、光が知恵を磨き、藝術を生み出した。
大地の狭間に、コリントス湾が青い海を湛えている。雲海の下に、ペロポネソス半島が、海にかこまれた島のように見える。バルカン半島の険峻な山脈が、流れる雲の切れ目から、輝いている。黄昏の地中海は、雲一つない。眼下に見える、地中海の青い海原。船が白い航跡を曳いて走っている。ギリシアからイタリアへ、プラトンが航海した海、地中海。ピュタゴラスが、独裁者の国を逃れ、航海した海。
イタリアの大地が、夕日に照らされ、紅く染まっている。ローマに着陸する寸前、夕陽が海に反射して輝いている。哲学の都から劇場都市へ。私は時間の旅に旅立つ。

■哲学が生まれた地
哲学が生まれた地は、イオニアとイタリアである。ミレトスにおける自然学の探求から哲学が生まれた。イオニア派とイタリア派が最古の学派である。ピュタゴラスは、イオニア地方のサモス島で生まれ、ミレトスの自然学を学んだ。地中海を旅して智慧を学び、独裁者を逃れ地中海を航海し、イタリアのタラスで弟子たちに学問と口伝を教え、タラスからメタポンティオンに移り、この地で90歳で死んだ。イタリア学派の祖と呼ばれる。ピュタゴラス派からソクラテスへ、そしてプラトンへと、ピュタゴラス派の思想は伝えられた。
ピュタゴラス
「奴隷的根性の人たちは名誉と利得を追い求める」*
「知恵を愛し求める人(哲学者)たちは、真理を追求する」*
哲学者(フィロソフォス)という言葉を歴史上初めて使ったのは、古代の伝承によれば、ピュタゴラスである。「ソシクラテスの『哲学者の系譜』によると、ピュタゴラスはプレイウスの僭主レオンから「あなたは何者か」と問われた時、「哲学者だ」と答えた。そして彼は人生をオリュンピアの祭典に喩えた。祭典には、ある人々は、競技のために來る。またある人々は商売のために来る。しかし、最も優れた人々は観客としてやって来来る。同じように人生においても、奴隷的根性の人たちは名誉と利得を追い求める者であるが、これに対して、知恵を愛し求める人(哲学者)たちは、眞理を追求する者なのだ、と彼は言った。」(cf.Diogenes Laertius.8-1-8)

■惡徳が栄える時、美徳は滅びる
ペリクレスは「我らは、美を愛して純眞さを失わず、知を愛して軟弱に陥らない。」と言った(cf.トゥキュディデス『戰史』2巻40)。黄金時代のアテナイは藝術が溢れた都であった。黄金時代のギリシア美術は、輝ける精神の形である。美術は、形によって精神と思想を表現するものである。
だが、ギリシアの国の正義は地に堕ちた(エウリピデス『アンドロマケ』)。弱肉強食の論理が支配し、自己の身を守ることのみ考え、復讐に対する復讐がなされた。「原因は、物欲と名譽欲に促された権力欲であり、欲に憑かれた者たちの、盲目的な派閥心であった。」(cf.トゥキュディデス『戰史』第3巻82)弱者の正義は、強者の惡徳によって圧殺される。「正義か否かが問題となるのは、力が対等の者の間だけである。」(『戰史』第5巻89)正義の名の下に、不正が行われ、眞実の名の下に、虚偽が語られる。生きることは闘争の連続である(エウリピデス『ヒケティデス』)。利益至上、競争主義の世界で、弱者は強者の肉となり、弱者には死あるのみ。人は、憎悪と悪意と陰謀によって陥れられる。

■血に塗れたアテナイ
ペロポネソス戦争のさなか、僭主派が権力を握ると抵抗する民主派が殺戮され、民主派が政権を握ると僭主派が報復され殺害された。
BC404年ペロポネソス戦争が終結し、アテナイはスパルタに敗北する。8月アテナイにスパルタの支援により三十人僭主独裁政権が成立すると、クリティアスらは、抵抗する人たちを彈圧、殺戮、恐怖政治が行われ、民主派は亡命した。BC403年、テーバイに亡命していた民主派は武装し、ペイライエウスで戦闘が繰り広げられ、クリティアスは戦死、三十人政権は崩壊する。血に塗れたアテナイ。内乱、内部抗争が繰り広げられる。

■智慧の梟は、黄昏に飛び立つ
圧殺された弱者の正義は、復讐の血を招く。爛熟し腐敗した国家。正義が崩壊した世界から、理念の探求が生まれ、哲學が生まれる。不幸の中にこそ優れた人の友情が最も美しく輝き出るように、退廃と苦悩の中から、智慧の愛(philosophia)が生まれる。
国家が崩壊し、黄昏のなかに沈むとき、智慧の愛が生まれる。智慧の梟は、黄昏に飛び立つ。人は、何を愛し、いかに生き、いかに死ぬかによって、精神の美が現れる。

■ソクラテスの死
ソクラテスは、問答法を駆使して、吟味、論駁、人々を窮地に陥れた。死ぬまで、知恵を愛し求めることを説いて止まなかった。ソクラテスは、権力に抗して、正義を貫いた。だが、6人の將軍、1人の市民のいのちを救うことはできなかった。哲人が、一人で三万人の民衆を相手に戰うようなものである。
紀元前399年、告発され、処刑された。ソクラテスの弟子であったアルキビアデス、クリティアスによって流された血の償いとして、ソクラテスの生命が、犠牲とされたのである。
日が沈む時、処刑が行われ、ソクラテスは毒人参の盃を飲みほした。ソクラテスは、居合わせる弟子たちに、毒が体にまわり、死に至るまでの時間、「魂は不死不滅である」ことを説いて死んだ。

■夢と瞑想とダイモーン
ソクラテスは、人間の経路、師弟の経路を通して哲学を学んだのではなく、自己のダイモーン(守護霊)との交わりにより、直観的に理解し、霊感によって真実を直知した。瞑想に浸り、魂の秘密を叡知的直観によって、理解した。ソクラテスは、晩年、ピュタゴラス派の人々と交わり、魂の不死不滅を信じた。
ソクラテスは、ダイモーン(守護霊)の聲を聞き、夢の告げを受け、瞑想に耽った。ダイモーンは常に抑止するもの禁止するものとして現れた。ソクラテスは、ダイモーンの聲を聞き、戦場においてはポテイダイアの野に立ち盡くして一日中、瞑想に耽った。ソクラテスは、独りだけ離れて、何処でも立ち止まり、考え込む。
ソクラテスは、人々の知恵を吟味し論駁した探究者である。地位や名譽や富を追求するよりも、智慧を愛することを説いた。徳の定義を問い、弟子たちを問い詰めた。何ごとも疑うことにより独断を吟味するように勧め、弟子たちに自らの目で眞実を直視し、自己の判断に基づいて生きるように説いた。「吟味なき生は生きるに価しない」と言い、権威的な人々と対峙し、吟味を展開した。
ソクラテスは、論理の達人、吟味(エレンコス) の達人、哲学的問答法(ディアレクティケー)の名人であるのみならず、夢と瞑想とダイモーンの人である。

★ダヴィッド『毒盃を仰ぐソクラテス』
(Jack Louis David, Death of Socrates, The Metropolitan Museum of Art. New York)

■ソクラテスの生と死
紀元前469年、ソクラテス(BC469-399)は、アテナイのアロペケ区で生まれる。父ソプロニスコスは石工、母パイナレテは産婆であった。
紀元前461年、イオニア地方クラゾメナイのアナクサゴラスが、アテナイに來る。30年間アテナイに滞在する。ソクラテスは、アナクサゴラスの自然学を學んだが、ヌース(知性)が万物を支配する仕組みを解明していないことに失望した。
紀元前432-431年、ソクラテスは、アテナイ軍のポテイダイア包囲(BC432-431年)に進撃し、アルキビアデスと同じ陣営に止宿し戦闘したが、傷ついて倒れたので、ソクラテスが救った。ソクラテスは自らが立てた武勲をアルキビアデスに帰した。ポテイダイア戰爭の時、ソクラテスは、一昼夜、立ち盡くして瞑想し考えつづけ、暁に我に帰り立ち去った。
年代不詳、カイレポンが、デルポイの神託「ソクラテスより賢い者はいない」を受けて来る。この神託の謎を解くために、ソクラテスは、様々な人々と対話する。BC430年、ソフィストのプロタゴラス死す。
紀元前428/7年、「プラトンが、第88オリュンピア紀、第1年、タルゲリオン月7日、アテナイで生まれる。」(cf.アポロドーロス『年代記』)
シケリア島レオンティノイのゴルギアス、外交使節としてアテナイに來訪する。レオンティノイはシュラクサイから攻撃されアテナイに支援を依頼するためにアテナイに來た。ゴルギアス、30年間アテナイで活躍する。この時代、ソフィスト活躍する。
紀元前424年、ソクラテスは、ボイオティア地方デーリオン占領作戰(BC424/423年)に重裝歩兵として従軍する。デーリオンの戰爭で、アテナイ軍が敗走した時、アルキビアデスは騎馬で敵を殺し、徒歩で退却する重裝歩兵のソクラテスを守った。ソクラテスはアテナイ軍の最後尾で撤退し、沈着冷静の勇気を示した。
紀元前423年、喜劇詩人アリストパネス『雲』が上演される。ソクラテスが天上地下を探求する自然探求の徒として、嘲笑されている。アナクサゴラスの自然学を學ぶソクラテスが揶揄されている。またエウリピデスの悲劇が嘲笑されている。
紀元前422年、ソクラテスは、バルカン北部アンピポリス奪還のため、従軍した。
紀元前419年、ソクラテス50歳。ソクラテスは、クサンティッペと結婚したらしい。
紀元前416年、悲劇詩人アガトンの作品が、レーナイア祭で優勝。プラトン『饗宴』の問答が設定された時は、アガトン家の祝勝の宴である。ソクラテスとアルキビアデスが宴に出席する。ソクラテスはアガトンの家に行く途中、立ち止まって瞑想に耽った。
紀元前415年、アテナイはシケリア島に遠征軍を派遣する。アルキビアデスは、神に対する冒とくの罪により告発を受け遠征地から召還され、敵国スパルタに亡命する。ソクラテスは、シケリア島遠征に反対、ダイモーンが制止したからである。
紀元前407年、プラトン20歳の時、悲劇競演に参加しようとしている時、ソクラテスと初めて会い、自作の悲劇作品を火中に投じた。
紀元前406年、ソクラテスは、政務審議会(ブーレー)委員となる。レスボス島の南、アルギヌーサイの海戦において、アテナイ海軍は危く敗れそうになり、艦隊を編成し救援に向かった。アテナイは、スパルタ海軍を打ち破り、スパルタは難船したが、嵐のため、アテナイ艦隊の兵も海に溺れた。アテナイ軍はこのアテナイ人たちを救う事が出来なかったため、アテナイ市民は怒った。帰還した七人の將軍は一人を除き、弾劾され、審議会で審議し、財産没収の上、死刑を要求した。6人の將軍は処刑された。そのなかにペリクレスの子ペリクレスがいた。この時、ソクラテスは審議会委員(各部族代表50名)であった。通常の裁判の手続きによらず違法であり、ソクラテスのみはこの一括審議に反対したが、審議会の決議は、採決を要求、処刑は執行された。この時、ソクラテスは最後まで反対した。
紀元前405年秋、アテナイ艦隊はアイゴスポタモイの海戰で撃破される。陸海を封鎖され食糧補給路を絶たれ、餓死する者が溢れ、紀元前404年、アテナイは無条件降伏する。アテナイ人はメロス島人たちを虐殺したように自分たちも報復されるのではないかと危惧した。亡命していたクリティアスが帰国、三十人委員会が結成される。クリティアスはスパルタの支援を受けて、寡頭政独裁政権を作る。三十人独裁政権は、反対派を殺害する。民主派に対する血の粛清が行われる。ソクラテスの友人カイレポン、アニュトスら追放され亡命する。ソクラテスは、三十人独裁政権から、サラミスのレオンを逮捕するように命じられるが、これを拒否する。レオンは刑死した。
紀元前403年、アニュトス、カイレポンたち、亡命した民主派は、テーバイで、トラシュブーロスの指導のもとに、武装集団を組織、ペイライエウスに侵攻、クリティアスの軍と対峙、対戰し破る。クリティアスは戦死する。三十人政権崩壊。民主政回復。
■紀元前399年
紀元前399年、ソクラテスは、民主派の領袖アニュトス、弁論家リュコンを後ろ盾とするメレトスによって、告発される。「ソクラテスは、国の認める神々を認めず、別の新たなダイモーンの祭を導入するという罪を侵し、青年たちに害毒を与えるという罪を侵している。」という訴状がバシレウスに提出された。裁判で、500人の陪審員が、原告・被告双方の弁論を聞き、票決された。第1回票決は280票対220票の差で有罪となった。第2回票決は量刑であり、本人の希望により、死刑となった。360票対140票であった。無実の人を、冤罪で理由なく、告発する時、涜神罪、反逆罪を用いるのが常套手段であった。アルキビアデス、アリストテレスが、この罪で告発され、アテナイから逃亡したことは有名である。
裁判の1か月後、デロス島への祭礼使節が帰還した後、ソクラテスの処刑が行われる。死刑執行は日没時と定められていた。裁判は1-2月であった。
死の場面は、プラトン『パイドン』に描かれている。親しい人、友人たちは朝から集まった。アテナイ人、アポロドーロス、クリトブーロス、クリトン、ヘルモゲネス、アイスキネス、アンティステネス、クテシッポス、メネクセノスらがいた。プラトンは病気だった。テーバイ人、シミアス、ケベス、パイドンデス。メガラ人、エウクレイデス、テルプシオンがいた。シミアス、ケベスはピュタゴラス派のピロラオスの弟子である。
日没時、処刑が行われ、ソクラテスは毒人参の盃を飲みほす。ソクラテスは、弟子たちに、死に至るまでの時間、「魂は不死不滅である」ことを説いて死んだ。70歳であった。
(cf.プラトン『ソクラテスの弁明』『饗宴』『パイドン』『ラケス』、ディオゲネス・ラエルティオス『哲學者列伝』第2巻第5章、第3巻、クセノポン『ソクラテスの思い出』1-18、『ヘレニカ』第1巻7.1-35, 第1巻6.24-38第2巻1.20-29,第2巻2.2-23, 第2巻3.11-4.24, 第2巻3.39,第2巻4.19.24-43, 4.42.44、プルタルコス『アルキビアデス伝』)
★【参考文献】次ページ参照。
★ダヴィッド『毒盃を仰ぐソクラテス』
Jack Louis David, Death of Socrates, The Metropolitan Museum of Art. New York
★アクロポリスの丘 パルテノン神殿
★デルフィ パルナッソス山とアポロンの聖域
大久保正雄 Copyright2002.08.28

2016年6月19日 (日)

旅する哲学者 ピタゴラスの旅 プラトンの旅

Ookubomasao75Ookubomasao76_2大久保正雄『地中海紀行』第25回
旅する哲学者 ピタゴラスの旅 プラトンの旅

旅する哲学者、ピタゴラス、プラトン。
エーゲ海を旅する者は、光り輝く。
烈しい光が射して來る。
夢のように過ぎた美しい日々。愛は過ぎ去りし日の眞夏の輝き。
黄金の黄昏が忍びよる。あなたと歩いた黄昏の海。
星が輝く夜、エーゲ海の思い出。
神々に祈り、カスタリアの泉を飲む者は、再びギリシアに歸ってくる。
エーゲ海の魂に觸れた者は、再びエーゲ海に帰ってくる。

哲學者の言葉から、愛の香が立ちのぼる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■ピュタゴラスと地中海
ピュタゴラスは紀元前6世紀イオニアのミレトスの對岸にあるサモス島に生まれた。僭主ポリュクラテスが書状によってエジプト王アマシスに紹介し、ピュタゴラスはエジプトに旅した。エジプト、バビロニア、ペルシア、クレタ島に滞在した。エジプトでは神殿内陣奥深い處で秘儀を學んだ。ピュタゴラスは、エジプト人から「魂は不死不滅であり、輪廻転生する」という思想を學んだと伝えられる。
 人間の魂は本来不死なるものであり、神的なるものである。肉体は死んでも魂は滅びることなく、他の動物や人間の別の肉体に移り宿り、本来の神性を回復するまで、輪廻転生を繰り返す。そして再び生まれてくる人間のうちに入ってくる。この魂の循行は三千年を要する。(cf.ヘロドトス『歴史』第2巻)
 祖國サモス島に戻ったが、ポリュクラテスが僭主獨裁制を敷いていたのでこれを嫌悪して、イタリアのクロトンに移住し、イタリア人のために法律を制定した。その地で宗教的學問的教団を組織した。弟子は300人に達した。國制は美しくアリストクラティア(優れた者の支配)を確立した。ピュタゴラスが組織した教団は、禁欲的、學究的なピュタゴラス的生活を追求した。クロトンの住民がピュタゴラスの僭主獨裁制の樹立を警戒してピュタゴラスの家に火を放った。ピュタゴラスは、メタポンティオンのムーサたちの神殿に逃げ40日間食を絶った後、死んだ。ピュタゴラスは、90歳まで生きた。(cf.ディオゲネス・ラエルティオス『哲學者列伝』8-1.3,39,40,44)
 ピュタゴラスは、口伝(アクロアティカ)、祕伝(エポプティカ)を弟子に伝え、魂の不死不滅、魂の輪廻転生の思想にもとづいて、宗教的祕儀、學問的修行を行なった。後に、ソクラテスおよびアカデメイア派に深い影響を与える。

■プラトンと地中海
紀元前399年、プラトンが28歳の時、ソクラテスが処刑されて死ぬ。ソクラテスは、毒蕁麻の毒の觴を飲みほし、肉體が冷えきって、死ぬまでの最期の時間、問答がおこなわれる。ソクラテスは、死の時間に居あわせた弟子たちに、人間は死に肉體は滅びるが、魂は不死不滅である、と説いて死んだ。
プラトンは、これ以後、12年間、地中海のほとりを彷徨する。メガラ、エジプト、エフェソス、イタリア、アフリカのキュレネ、フェニキアへ旅した。
プラトンは、ソクラテス死後、28歳の時、メガラのエウクレイデスの許へ赴いた。またキュレネに数学者テオドロスを訪ねる。イオニア地方、エペソスのヘラクレイトスの弟子クラテュロスに學ぶ。(cf.アリストテレス『形而上學』1-6.987a29)またプラトンは、アイギュプトス(エジプト)の豫言者のところに行った。この時、悲劇詩人エウリピデスが同行した。エウリピデスは、エジプトで病気に罹ったとき、祭司たちに海水による治療を受けて病気から救われた。(cf.ディオゲネス・ラエルティオス『哲學者列伝』3-1-6)
387年遍歴時代末期、イタリアに航海する。ピュタゴラス派の哲学者ピロラオス、エウリュトスに会うためにイタリアに赴く。イタリアのタラスにてピュタゴラス派のアルキュタスと親交を結ぶ。
387年シケリアに渡航する(第1回渡航)。プラトンは、青年貴族ディオンと出会い、ディオンはプラトンの思想の共感者となり愛弟子となる。シケリアにおいてディオニュシオス1世治下の強大なシュラクサイ王國宮廷において僭主獨裁制の現實を身を以って體驗する。獨裁者ディオニュシオス1世は、反對者を捕え牢獄「ディオニュシオスの耳」に監禁し、盗聴していた。プラトンは、ディオンを介して、ディオニュシオス1世と会見する。「獨裁者はすべての人よりも勇気がない。正義の人々の生活は幸福であるが、不正な人々の生活は不幸である」と説くと、獨裁者は自分が非難されているような氣がして、論旨を聞かず不愉快に感じ、獨裁者の怒りは収まらず、ディオニュシオス1世はスパルタ人提督ポルリスに航海中プラトンを殺すか、奴隷に売るように依頼し、実行に移された。プラトンはアイギナ島で危うく救出された。当時アイギナはアテナイの敵國であった。(cf.プルタルコス『對比列伝』「ディオン伝」、ディオゲネス・ラエルティオス『哲學者列伝』3-1-19,20、プラトン『第七書簡』)
387年歸國、プラトン四十歳。アカデモスの聖域アカデメイアの地に學園を設立する。  プラトンは、自らの叡知を、二つの源泉から、ソクラテスとピュタゴラス派、或いはエジプトの知恵から、得た。ピュタゴラス派、エジプトから「魂は不死不滅であり、輪廻転生する」という思想を學んだ。347年八十歳の時、宴の後、書物を執筆しながら死ぬ。

■ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ
紀元前7世紀、イオニアの都市が爛熟し、頽廃した時に、哲學者たちが現れ豫言したように。紀元前5世紀、アテナイの國家が傲慢ゆえに戰爭に明け暮れ、敗れ、人々は零落した。ポリスが荒廃し破綻した時に、惡徳と腐敗のなかから、ソクラテスが現れた。だが邪惡な人々のゆえに、ソクラテスは殺された。
文明が、芽生え、蕾を芽ぐみ、花開き、咲き誇る花が死の匂いを漂わせるとき、哲學が生まれる。文明の黄金時代、秘儀と藝術と悲劇の花が開く。花が枯れ果て、死の匂いが漂う時、哲學が現れる。しかし文明は死の灰燼のなかから再びいのちを蘇らせることはない。
エーゲ海の哲學者、魂の墓標。
哲學者の言葉から、
愛の香が立ちのぼる。
哲學者の死から二千年たって、
私はその香をかぐ。
★参考文献
Herrman Diels,Walter Kranz “Die Fragmente der Vorsokratiker” 3Bande,Berlin, 1953
G.S.Kirk, J.E.Raven and M.Schofield “The Presocratic Philosophers” 1st.ed.1957, 2nd.ed.1983, Cambridge University Press
John Burnet(ed.), Platonis Opera, 5vols, Oxford Classical Text, Oxford U.P.1903
William David Ross, Aristotelis Metaphysica, Oxford U.P.
田中美知太郎、藤沢令夫訳『ギリシア思想家集』世界文學体系63 筑摩書房 1965
内山勝利編『ソクラテス以前哲学者断片集』全6巻、岩波書店1996-1998
斎藤忍隋『知者たちの言葉』岩波新書1976
ディオゲネス・ラエルティオス加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝』岩波文庫1984-1994
プルタルコス河野與一訳『プルタルコス英雄伝』全12巻岩波文庫1952-1983
村川堅太郎編『プルタルコス』世界古典文学全集23筑摩書房1966
大久保正雄COPYRIGHT 2002.01.30
★ロドス島 マンドラキ港 城壁
★ロドス島 エーゲ海のホテルにて

2016年6月18日 (土)

旅する哲学者、エーゲ海の瞑想 ヘラクレイトスの言葉

Ookubomasao79Ookubomasao78大久保正雄『地中海紀行』第24回
旅する哲学者、エーゲ海の瞑想 ヘラクレイトスの言葉

糸杉の香りと静寂が立ち籠める、
アクロポリスの丘、きらめくエーゲ海。
エーゲ海の風に吹かれて、海岸を歩くとき、
書かれざる智慧がよみがえり、守護霊の聲が囁く。

光るエーゲ海、烈しい光が身を包み、
ダイモーンが目覺める。
光のなかで、感覺がめざめ、魂が翼をひろげ、
ヌースが光のなかを羽ばたく。
不滅の精神が、死の灰の中から蘇る。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■エーゲ海の瞑想
光輝くエーゲ海。波がない、沈黙が支配する海。
エーゲ海の海岸を歩くと、すべての感覺がよみがえり、心が蘇る。生きるとは何か、愛するとは何か、あるべき生きかたとは何か。
眞昼のクノッソス宮殿、中庭に遊ぶ孔雀のように、目的もなく、美しい時間がながれ、時が経つのを忘れる。不滅の精神(ヌース)が蘇る。文明に侵される以前の存在の姿。生の根源にある愛と存在と本質。人が何を所有するか、人が何如に見えるかではなく、人の存在の美しさが、烈しい光のなかで見える。人間の美しさは、存在の美しさ、魂の美しさによるのである。
ギリシア人の地は、貧しいが、優美であり、光あふれ、乾燥している。沙漠のように、荒寥として、美しい。イオニア地方、エーゲ海の島々、饒舌なイオニア人から哲學が生まれた。
音もなく匂いもない、ただ光零る海。潮騒が響かない、静かなる海、エーゲ海。微風が吹く。風に吹かれて歩くと、思いが融ける。
糸杉の香りと静寂が立ち籠める丘。海が見える丘を歩くと、魂が翼をひろげる。私は、動かない海を眺めて、歩きながら考える。アクロポリスの丘から、國家の形が見える。プラトンが、見えざる魂を見える形において見ようと考えたポリス。
緑陰を歩くと、緑なす思いに身が包まれる。糸杉の香りが漂う丘を歩くと、糸杉の香りに身も心も包まれ、香りは思惟となる。光溢れるエーゲ海を歩くと、光の思想が心にあふれる。エーゲ海の哲學者の魂がよみがえる。

■エーゲ海のカフェテラス 
金色に輝く光る海が、静かに移ろっていくのを眺めながら、何もしない時間、無為の逸樂。樹木の枝の下に、パラソルを広げるカフェテラス。ギリシアのカフェ、タベルナは陽光が降りそそぐテラスにある。
言葉を交わすこと樂しむギリシア人。昼下がり、木陰でタブリをさすギリシア人。陽光の下に、時が経つのを樂しみ、生きる時間を樂しむ。
カフェテラスは、大きな木の下にある。枝をひろげる木の下に、パラソルをひろげ、その下にテーブルと椅子があり、人が料理と果実を食べ、葡萄酒を飲み、そしてテーブルの下には、犬と猫がいる。犬と猫は人間から食べものをもらうために待ち受けている。
 エーゲ海のカフェテラスは、太陽と樹木と人間と動物が共に生きる空間である。人間は宇宙の生命の一部である。人間を含めて生きものが、太陽の光を樂しみ生きる歓びを味わう空間。地中海的生活様式の優雅な舞台装置である。
 エーゲ海の島々の海岸、アテネ、タッサロニキ、ギリシアの至る所にカフェテラスの文化が生きている。クレタ島イラクリオンのレストランで葡萄の蔦が空を蓋う木洩れ日の下に、テーブルをならべている。デルフォイで、斷崖の上に葡萄の枝がのびるテラスのレストランがあり、その名はタベルナ・ディオニュソスであった。デルフォイの斷崖のレストランからの眺めは、コート・ダジュール(紺碧海岸)のようである。眼下にコリントス灣が見える。
ギリシアは、變身物語の古代から、太陽と樹木と人間と動物が、空間の中に融け合って生きてきた。此処には、生きとし生けるものの心が共感する世界がある。

■哲學者の魂を求めて
生きるか死ぬか、命を賭けて、革命期の志士のごとく、熾烈な精神を以って生きなければ、哲學者ではない。かつて、理想のために戰い、己の思想に殉じた哲學者が存在した。かつて、名譽のためでなく地位のためでもなく、知恵を愛するがゆえに、哲學者(philosophos)と呼ばれた人が存在した。美しい魂にのみ、智慧への愛が生まれる。哲學者が滅びて、すでに長い歳月が流れた。
 思想は、変革を意図するところに生まれる。変革者は必ず思想家でなければならない。そして行動する者でなければならない。  地上に美と善を実現するために、命を賭けて、革命期の革命家のごとく燃えるような精神を以って生きなければ、哲學者の名に値しない。生きるか死ぬか、命を賭けて言葉を刻み、美しく生きなければ詩人の名に値しないように。美と善は、己の命を賭けて、己の命と引きかえに、手にいれるものである。人生は一度しかない。心から愛することに命を使うべきである。人は、美しい人生を、探求しなければならない。「人生は美しい」メLa vita e bella.モと考えるイタリア人のように。  私は、哲學者の魂を探す旅に出た。地上に刻まれた美しい魂の影を求めて。かつて地上に生きた哲學者の魂を求めて、私はさすらう。愛と復讐の大地ギリシアには、哲學者の魂が刻まれている。エーゲ海の輝く海原に、アクロポリスの丘に、いのちを賭けて生きた哲學者の魂が漂う。

■ヘラクレイトスの言葉
朽ち果てた書物
書庫の暗闇の中から『ソクラテス以前の哲學者たち』を見つける。若き日、胸時めかせて、讀んだ書物。十数年ぶりに頁を開く。光陰は矢のように流れ、思い出が蘇る。かつて純白の色が目に眩しい表紙は枯葉色に変り果て、私は時の流れを知る。美しい書物が心のなかでのみ蘇る。歳月が流れ、書物は朽ち果て、書物を讀む者は、苦難に襲われ血に塗れ死に瀕したが、エーゲ海の哲學者の言葉は輝きを放ち續ける。失われた夢のように。光り燦めくエーゲ海のように。  燦めくエーゲ海の海原を見る時、時が経つのを忘れ、永遠の今が蘇る。眞實の言葉が、魂を救う。紺碧のエーゲ海。イオニアの海岸。イタリアのギリシア都市。
ピュタゴラス、ヘラクレイトス、愛鍾した言葉の輝き。地中海を旅したピュタゴラス。
孤高な哲人ヘラクレイトス。わが眷戀の地、エーゲ海。エーゲ海の岸辺を歩くと、ヘラクレイトスの言葉を思い出す。永劫に回歸する円環的な時間。果てしなき魂の境界。多識は叡智を妨げる。知識によっては到達できない精神。輝ける魂。
ヘラクレイトスは、エペソスで生まれた。王族あるいは、エペソスの貴族階級に属した。
ヘラクレイトスの言葉
「火は土の死を生き、空気は火の死を生き、水は空気の死を生き、土は水の死を生きる。」 (Fr.76.cf.Fr.36)
「あらゆる道を辿っても、行きて、魂の果てを見出すことはできない。それほどに深いロゴスを魂は有するのだ。」(Fr.45)
「多識(polymathie)は精神(ヌース)を有することを教えない。」(Fr.40)
「乾いた光輝、この上なく知的にしてまた最も優れた魂。乾いた魂は、この上なく知的でまた最も優れている。」(Fr.118)
★参考文献
Herrman Diels,Walter Kranz “Die Fragmente der Vorsokratiker” 3Bande,Berlin, 1953
ディールス=クランツ『ソクラテス以前の哲学者断片集』1951
G.S.Kirk, J.E.Raven and M.Schofield “The Presocratic Philosophers” 1st.ed.1957, 2nd.ed.1983, Cambridge University Press
John Burnet(ed.), Platonis Opera, 5vols, Oxford Classical Text, Oxford U.P.1903
William David Ross, Aristotelis Metaphysica, Oxford U.P.
田中美知太郎、藤沢令夫訳『ギリシア思想家集』世界文學体系63 筑摩書房 1965
内山勝利編『ソクラテス以前哲学者断片集』全6巻、岩波書店1996-1998
斎藤忍隋『知者たちの言葉』岩波新書1976
ディオゲネス・ラエルティオス加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝』岩波文庫1984-1994
プルタルコス河野與一訳『プルタルコス英雄伝』全12巻岩波文庫1952-1983
村川堅太郎編『プルタルコス』世界古典文学全集23筑摩書房1966
★ロドス島 リンドス城壁とエーゲ海
★リンドス アクロポリス
大久保正雄COPYRIGHT 2002.01.30

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