蘇るアクロポリスの少女、アルカイックの微笑み、二千年の眠り
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第100回アクロポリスの少女
蘇るアクロポリスの少女、アルカイックの微笑み、二千年の眠り
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
蘇るアクロポリスのコレー
古アテナ神殿、ヘカトンペドンは、紀元前480年、アケメネス朝ペルシアがアテナイを占拠し、アクロポリス全体とともに完全に破壊される (ヘロドトス『歴史』8.53)。アクロポリスのコレーは神殿に捧げられていたが、ペルシア戦争(BC480)の後、アクロポリスの岩盤に埋められた。19世紀末、ドイツ考古学隊によって発見されるまで、土の中に眠っていた。
【ペルシア戦争】
第1次ペルシア戦争、BC492年、ペルシア軍遠征、アトス岬でギリシアを破る。
第2次ペルシア戦争、BC490—88年、ペルシア軍遠征、マラトンの戦いでアテネに破れる。
第3次ペルシア戦争、BC480年、ペルシア軍遠征、クセルクセス王が襲来する。ペルシアによって、アクロポリスが破壊される。テルモピュライの戦いでレオニダス王を破る。サラミスの海戦で、アテナイ海軍に敗れる。
BC479年、プラタイアイの海戦で、アテナイは、ペルシア帝国を破る。ペルシア軍、退却する。
【天才的戦略家、テミストクレス】
BC482年、ラウレイオン銀山の鉱脈が発見された時、ペルシア戦争の勃発を予知したテミストクレスは、アテナイ艦隊の三段櫂船200隻の建造を提案した。全市民を撤退させることを計画した。トロイゼン、サラミス他の都市に市民を避難させる。二千年後、1959年、トロイゼンで大理石に刻まれたテミストクレスの決議碑文が、発見された。テミストクレスは、天才的戦略家、雄大な構想をもつ指揮官である。サラミスの海戦でテミストクレスの予見は、実現した。
パルテノン神殿が、アクロポリスの丘に建設され、エレクテイオン神殿が建設され、ギリシア美術は、古典様式、厳格な様式、艶麗な様式、ヘレニズム様式へ変容した。
BC387プラトンがアカデメイアを創設。紀元前336年、フィリッポスは、アレクサンドロスの妹の結婚式で、王妃オリュンピアスと王子アレクサンドロスに、謀殺され47歳で死んだ。BC334アレクサンドロス大王がペルシア遠征に向かい、BC330ペルシア帝国を滅亡、BC323アレクサンドロスの帝国が滅び、AD529東ローマ帝国ユスティニアヌス皇帝、プラトンのアカデメイアを閉鎖。AD476西ローマ帝国が滅び、AD1453ビザンティン帝国が滅び、AD1918ハプスブルク帝国カール1世が滅びた。
19世紀末、エレクテイオン神殿の土中から「アクロポリスのコレー」発見される。
二千四百年の時が流れ、地中からアルカイックの微笑みが蘇る。
■アクロポリスのコレー
アテナ古神殿、ヘカトンペドン (「百尺の間」)神殿に、ドーリア式ペプロス、イオニア式ヒュマティオンを纏ったコレーが奉納された。
■ヘカトンペドン(アテナ古神殿) Hekatompedon
紀元前6世紀、ペイシストラトスの時代、アテナイオン神殿ヘカトンペドン(アテナ古神殿)が、アクロポリスの丘、アテナの聖域に、創建された(BC570—550年建立)。BC 570年建立。アルカイック様式。BC 520年ペイシストラトスの息子らが立て直した。
アテナイオン神殿は、アルカイックの微笑みを湛えた彫刻、「仔牛を荷う人(モスコフォロス)」Moscophoros,BC560年、「アクロポリスのコレー(少女)」Kore of acropolis,BC530年が神殿に奉納され、アテナ女神像が破風彫刻に置かれた。アルカイック様式の微笑みに満ちた神殿である。
アルカイックの微笑みを湛えた彫刻は「ヴォロマンドラのクーロス」Kouros of Voromandra,BC560がある。青年の墓標として建てられた。
■アルカイックの微笑み
古代ギリシアのアルカイック様式の彫刻は、純粋な微笑みを湛えている。不思議な純粋な美がある。ヘレニズム時代の『ミロのヴィーナス』には、憂いがある。
ギリシアのアルカイック様式の彫刻は、純粋な美である。ローマ彫刻、皇帝アウグストゥス像の容姿と比べれば一目瞭然である。ローマ皇帝の狡猾な容姿は醜悪である。
醜悪なハプスブルク家の皇帝たちは、金と地位で貧乏人の女を買う富裕層の目つきである。
飛鳥白鳳時代の彫刻には、アルカイックの微笑みがある。中宮寺『半跏思惟像』、法隆寺『救世観音』『夢違い観音』(7世紀飛鳥時代)を思い浮かべる。ルネサンス時代、レオナルド派『レダ』(1505—10)、『若いモナリザ』(1503—06)に、アルカイックの微笑みを観るのは、詩人と哲学者だけではない。アルカイックの微笑みの本質は何か。解かれるべき謎である。
ヒエロニムス・ボッシュ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『いかさま師』の目つきは、教皇、現代人の政府高官、官僚、学者、言論人の容貌である。
■パルテノン神殿Parthenon、アクロポリスの建築家たちBC448年
パルテノン神殿は、ペリクレス時代、フェイディアスを総監督として、建設された。アクロポリスの丘の建築は、紀元前448年パルテノン神殿の起工から、ペロポネソス戰爭の最中も継続され、BC 407年エレクテイオン神殿の完成まで、40年に亙って行われた。
■カリアティデス(女人柱) BC407
エレクテイオン神殿は、紀元前421年に起工し、407年完成した。カリアティデス(6体の女人柱)は、このとき建設された。
建築家イクティノスは、バッサイのアポロン・エピクリオス神殿(紀元前440-420年)を設計、エレウシスの聖域にテレステリオン(秘儀堂)を設計した。アテナイと外港ペイライエウスを結ぶ長壁は、ペリクレスによって提案され、カリクラテスによって建設された。さらにペリクレスは、オデイオン(音樂堂)の建設を推進した。
■Parthenon
ドイツ考古学研究所 (German Archaeological Institute) は、1885年から1890年にパルテノン神殿を調査した。この時、エレクテイオンから、コレーが発見された。
Panagiotis Kavvadias of 1885–90. The findings of this dig allowed Wilhelm Dörpfeld, then director of the German Archaeological Institute
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https://en.wikipedia.org/wiki/Parthenon
https://en.wikipedia.org/wiki/Hekatompedon_temple
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ギリシア文明年代記 蘇るアクロポリスの少女
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大久保正雄『地中海紀行』60回P25
ペイシストラトス家とアルクマイオニダイ家の戦い アクロポリスの戦い
ヴォロマンドラのクーロス 死者に献げる供物 子牛を担う人 BC560年
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ペロポネソス戰爭 落日の帝国 アクロポリスの建築家たち
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至高の戦略家、テミストクレス ギリシア人の知恵
テミストクレスの決議文、トロイゼンの大理石碑文
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テミストクレスとペルシア帝国の戦争 ギリシアの偉大と退廃
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紀元前336年、フィリッポスは、アレクサンドロスの妹の結婚式で、王妃オリュンピアスと王子アレクサンドロスに、謀殺された。王位継承問題のため。
マケドニア王国 フィリッポス2世の死
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王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
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画像
★「ヴォロマンドラのクーロス」Kouros of Voromandra,BC560
★「仔牛を荷う人(モスコフォロス)」Moscophoros,BC560年
★「アクロポリスのコレー(少女)」Kore of acropolis,BC530年
★Parthenon,acropolis athens
★Hekatompedon,acropolis athens
★中宮寺『半跏思惟像』飛鳥時代7世紀、法隆寺『救世観音』『夢違い観音』飛鳥時代7世紀
★レオナルド派『レダ』(1505—10)、『若いモナリザ』(1503—06)
★参考文献
馬場恵二『サラミスの海戦』人物往来社1968
馬場恵二『ギリシア・ローマの榮光』講談社1985
桜井万里子・本村凌二『ギリシアとローマ』中央公論社1997
ダイアナ・バウダー編『古代ギリシア人名事典』原書房1994
トゥキュディデス久保正彰訳『戦史』岩波文庫1966-67
ヘロドトス松平千秋訳『歴史』岩波文庫1971-72
アリストテレス村川堅太郎訳『アテナイ人の国制』「アリストテレス全集」第15巻、岩波書店1973
プルタルコス河野與一訳『プルタルコス英雄伝』全12巻、岩波文庫1952-1956
馬場恵二訳プルタルコス「テミストクレス伝」
村川堅太郎編『プルタルコス』世界古典文学全集23筑摩書房1966
プルタルコス『対比列伝』「テミストクレス伝」「ペリクレス伝」「アルキビアデス伝」「デモステネス伝」
プルタルコス河野与一訳『プルタルコス英雄伝』岩波文庫1956
村川堅太郎編『プルタルコス』世界古典文学全集23筑摩書房1966
アッリアノス『アレクサンドロス大王東征伝』『インド誌』岩波文庫2001
大牟田章『アレクサンドロス大王』清水書院1976
森谷公俊『アレクサンドロス大王 世界征服者の虚像と実像』講談社選書メチエ2000
森谷公俊『王妃オリュンピアス アレクサンドロス大王の母』筑摩書房1998
森谷公俊『王宮炎上 アレクサンドロス大王とペルセポリス』吉川弘文館2000
ポンペイウス・トログス/クイントゥス・ユスティヌス合阪學訳『地中海世界史』京都大学学術出版会1998
森谷公俊『興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話』講談社2007
本村凌二『興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国』講談社2007
ピエール・ブリアン桜井万里子監修『アレクサンダー大王』創元社1991知の再発見双書
エディット・フラマリオン『クレオパトラ』創元社知の再発見双書
トゥキュディデス 久保正彰訳『戰史』岩波文庫1966-67
ヘロドトス松平千秋訳『歴史』岩波文庫1971-72
クセノポン佐々木理訳『ソクラテスの思い出』1-18岩波文庫1953
アリストテレス村川堅太郎訳『アテナイ人の国制』「アリストテレス全集」第15巻、岩波書店1973
村田數之亮『ギリシア美術』新潮社1974
村田數之亮『ギリシア』河出書房新社1968
澤柳大五郎『アッティカの墓碑』グラフ社1989年
太田秀通『ポリスの市民生活』生活の世界歴史〈3〉河出文庫)
大久保正雄2016年9月25日
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