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スペイン美術

2016年6月 4日 (土)

エル・グレコ 終焉の地トレド、輝ける闇

Ookubomasao36Ookubomasao38大久保正雄『地中海紀行』第12回
エル・グレコ 終焉の地トレド、輝ける闇

夜空を眺めるたびに思い出す。
輝ける闇。トレドの夜空。
紺碧のエーゲ海のように深く、地中海の空のように青い、
エル・グレコの空。城砦と塔が聳える丘の上。
月光は、糸杉の樹林の上に、
エーゲ海の夕暮れと同じように、
ヴェネツィアの夕暮れと同じように、
紺碧の海のように深く、射してくる。
木の葉をわたる風を聴く。悲しみもなく、憂いもなく、
打ち寄せる波もなく、林立する帆船の影もなく。ただ獨り。
大地の香りに包まれながら、見はるかす月光の國を、
純粋な魂となり、涯しなく漂う。

城砦と塔が聳える丘、家々の紅い瓦屋根が見える。ベランダから眺める星空が美しい。
美の判斷基準は、優美(grazia)であり、遠近法による美ではない。より高次な美、見える形として現わされた「精神の美」。内なる魂の美が、炎のように揺らめき燃え上がる。闇のなかに光がある。魂は闇のなかの光。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より

【時が凍りついた都】
 ローマは七つの時代を生きた都であるが、フィレンツェはルネサンスの都であると言われる。フィレンツェはルネサンスで時間が止まった都、15世紀で時間が凍りついた都である。この意味でトレドはフィレンツェに似ている。トレドは16世紀で時間が止まった都である。16世紀、エル・グレコの時代である。
 トレドの迷路を、かつて王と騎士と藝術家が歩いた。アルフォンソ6世とエル・シード。アルフォンソ10世とトレド翻訳學派。神聖ローマ皇帝カルロス5世。この地で1580年フェリーペ2世はエル・エスコリアル離宮のためにエル・グレコに『聖マウリツィウスの殉教』製作を依頼した。天正遣欧使節も歩いた。19世紀、リルケが歩いた。リルケは、迷路の坂道を上り石組が醸しだす精神的な雰囲気に魅了され、詩的霊感を受けた。
 トレドの頂上、アルカサールが見えるホテルで、鷓鴣(perdiz)と玉葱のシチューを食べる。硬い鷓鴣肉と木の實からメセタの自然の香りが立ち昇り、グレコの繪の痩身のカスティーリア貴族を思い起こす。荒涼たる高地(Meseta)の料理。スペイン帝國の榮光と悲惨の時代、痩身の貴族たちもこの料理を食べた。荒涼たる高原、丘の上の城塞都市トレド。

【黄昏の地中海】
 春の午後、マドリードからバルセロナに飛び立つと、飛行機の下にスペインの荒れた大地が見える。果てしなく広がる荒野。スペインの寂寥。乾いた大地、岩肌に、地衣類のように樹木がへばりついている。飛行機の下に灼熱の山脈が見える。イベリア半島は、灼けた赤い大地の上に、孤島のように都市が浮かぶ。人間について、大地が万巻の書より多くを語る。飛行機は地中海の洋上を、夕日を浴びて飛び、バルセロナに向かって旋回する。翼の下に、黄昏の地中海が眩しく輝いている。

地中海の旅人、エル・グレコ
孤独な誇りを以って、花の都を通り過ぎた藝術家エル・グレコ。クレタ島から、地中海を航海してアドリア海の都ヴェネツィアに到り、色彩と線の繪画技法を學び、永遠の都ローマに到達する。ファルネーゼ宮で光に背を向け闇を愛し、人間の涙と苦惱を見詰め、繪に封じ込める。ミケランジェロの壁画を侮蔑したため、ローマ人の誇りを傷つけ、ローマから追われるように、地中海を渡り、スペインに漂白する。神秘の雲が渦巻くトレドに、流れ着く。
宮廷繪師ではなく、スペイン人ではなく、宮廷人でもなく、貴族でもなく、異郷の旅人として漂う雲のように、隔絶された奇人は、工房で繪を生産した。
天と地の隔絶された狭間に屹立する都市、トレドのように。荒野に浮かぶ絶海の孤島トレドで、エル・グレコは、ギリシア語とイタリア語を操り、哲學者のように瞑想した。研ぎ澄まされたエル・グレコの眼。闇の中に燃える炎のような、エル・グレコの繪。永い歳月、忘れられた画家、エル・グレコ。19世紀ロマン主義の藝術家が、忘却の深い淵からエル・グレコを蘇らせた。
トレドの雲は、死せるエル・グレコが今も絵筆をもって天上界から描いている。

『エル・グレコ 同一と変容』マドリード1999
薄暮のマドリード。プラド通りを、獨りで歩いていると、『エル・グレコ』の幟が立ち、旗が林立する。ティッセン・ボルネミサ美術館である。その日は月曜日、休館のはずだが、何故か開いている。『エル・グレコ展』は、地階である。ニューヨーク、ローマ、ブダペスト、プラハ、グラスゴー、ブカレスト、世界中の美術館から、グレコの名作89点が此処に再会している。「クレタ、イタリア、スペイン、三つの時代におけるグレコの同一と変容」が主題である。人生はめぐり合いだが、此処でグレコに邂逅するのは僥倖である。
目に涙を流して痛みを耐えている『十字架を担うキリスト』。天を見上げ目に涙を流す聖者『ペテロ』。涙が溢れ出る『改悛するマグダラのマリア』。感情の激しい流露、悲愴な青い空間のなかで、咽び泣く激情。苦痛と忍耐と血と涙。グレコ繪画の特質である、闇のなかに光を放つ構圖。私はエル・グレコの血と涙を感じる。
『聖家族』のコバルト・ブルーの空。『トレド景観図』の群青の空。獨特のブルーが美しい。トレドの夜空は、大理石の亀裂のような雲が漂う。輝ける闇である。『毛皮の婦人』『聖家族』のマリア。生きているように美しい女性像。心を魅きつけられる美しさである。『毛皮の婦人』この繪のモデルは、エル・グレコの愛人ヘロニマ・デ・ラス・クエバスであると推定される。陽光を浴びる南欧の魅惑的な目の美しい女性である。今は雲が低く垂れ込めたイギリスのグラスゴー美術館が所有している。
『エル・グレコ展』回廊、女性館員が二人でお喋りに熱中している。話しかけると「English No」と答える。撮影許可を求めると、蠱惑的な瞳で「私たちを撮影するの」とほほえむ。カタログを尋ねると、魅惑的な眼差しで「私たちに何か用なの」とまた微笑み返す。情熱の國スペインである。
20世紀最後の『エル・グレコ展』である。20世紀マドリード、『エル・グレコ展』は3回開催された(*1902.1982.1999)。

エル・グレコ 【地中海人列伝7】
1453年ビザンティン帝國が崩壊して、百年の時が流れた。クレタ島の首都カンディア(イラクリオン)は、オスマン・トルコ帝國の征服を免れ、ヴェネツィア共和國の支配下にあった。
スペインで後にエル・グレコ(El Greco. 1541-1614)と呼ばれる、ドメニコス・テオトコプーロスは、クレタ島カンディアで生まれた。父ヨルギはヴェネツィア共和國の税務官であった。ドメニコスは、エーゲ海を航海し1568年27歳の時ヴェネツィアに渡る。2年間ヴェネツィア派の繪画技法を學ぶ。1570年ローマに到着。1576年ローマから地中海を渡りスペインに行く。トリエント公会議(1563)後、對抗宗教改革の時代である。マドリードに滞在。1577年トレドに行く。この頃ヘロニマに出会う。1578年愛人ヘロニマとの間にホルヘ・マヌエールが生まれる。1614年トレドにて死す。

■トレド 1577年
フェリーペ2世率いるスペイン、ヴェネツィア共和國、ローマ教皇の連合艦隊がオスマン・トルコ艦隊を撃破した、レパントの海戰(1571)から六年後、ドメニコスはトレドに來た。繪を描くためである。トレド・カテドラルの『聖衣剥奪』製作の契約を結び、『聖母被昇天』を描く。

■訴訟 1579年
『聖衣剥奪』制作費の報酬をめぐり、トレド・カテドラルに對して訴訟を起こす。以後、繪画制作の報酬をめぐり訴訟を起こすことがドメニコスの日常となる。
いつの頃からか、スペイン人にエル・グレコ、即ちギリシア人と呼ばれるようになる。
エル・グレコは、自ら恃むところすこぶる篤く、裾傲、不遜な知識人である。ミケランジェロを批判しローマから追われるようにスペインに漂着したと言われるが、眞相は謎である。繪画、彫刻、建築に優れトレドにて建築論3巻を書く。孤獨な誇りをもち続け、讀書に耽り、工房で繪を制作する以外は、裁判所で制作費をめぐる多くの訴訟に明け暮れる。

■画家の部屋
仄暗い部屋、外光を遮りカーテンから洩れる、窓の一条の光の下、想いをめぐらす。
エル・グレコは、ヴァザーリ『藝術家列伝』第二版を讀みながら、呟く。
「コンパスを手にして測定するのではなく、視覺によって測ることが大切である。手は働くが、判斷するのは目である。」(ヴァザーリ『藝術家列伝』ミケランジェロ伝)これは正しい。だが、ミケランジェロの色彩は優美さがない。ミケランジェロのヴェネツィア訪問は意味がなかった。フィレンツェ人は盲目だ。だから優れた作品とゴミ屑の区別がつかないのだ。ヴァザーリがどう評価しようとシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」を繪と呼ぶことだけは、できない。あれは絵と呼べるものではない。
美の判斷基準は、優美(grazia)であり、遠近法による美ではない。より高次な美、見える形として現わされた「精神の美」が重要である。内なる魂の美が、炎のように揺らめき燃え上がるのだ。闇のなかに光がある。魂は闇のなかの光である。
藝術家の精神には、神から降って来た燦めき、内なる形があるのだ。藝術には、直感と、見えざる美の閃きが大切である。藝術には神秘の顕現がなければならない。魂の焔は、天に向かって上昇する。火のように、苦痛に満ちた地上の暗闇から光降る空に向かって。
城砦と塔が聳える丘、家々の紅い瓦屋根が見える。ベランダから眺める星空が美しい。

■命果てる時 1614年4月
 アーモンドの花が満開の丘。春の花が咲き亂れる。
 繪の製作を依頼する教会も少なくなり、この丘の上の家を訪れる者も少なくなった。
 我が子ホルヘ・マヌエールは36歳。愛するヘロニマはすでにこの世にいない。我が心をこの地に引き止めるものは最早何もない。
 懐かしいオリーブの丘、夕日に燦めくエーゲ海。紫紺の潮が寄せては返す波打ち際。白い波頭、泡のように溢れる海。眩しい太陽の日差し。みずみずしい果實と豊饒な魚貝類。紺碧の海。
 心は、遥か地中海の彼方、思い出のヴェネツィアを越え、アドリア海を越え、エーゲ海へと誘われる。海の彼方へ。輝く空。光を反射する海へ。ヴェネツィア城砦が見える。潮騒がとどろき、波寄せる碧い海辺、カンディアの町。魂は漂って行く。
 エル・グレコの魂は、大地を超え、海原を越え。エーゲ海のほとり、クレタへと帰る。
 1614年4月7日エル・グレコはこの世を去った。
★参考文献
神吉敬三『プラドで見た夢』小沢書店1980
神吉敬三『巨匠たちのスペイン』毎日新聞社1996
 「エル・グレコと環境 スペインとトレドを中心に」pp.120-141
神吉敬三『カンヴァス世界の大画家12エル・グレコ』中央公論社1982
 神吉敬三「トレドの宗教画家 変転するエル・グレコ像」pp.68-94
M.ドヴォルジャック中山茂夫訳『精神史としての美術史』岩崎美術社1982
Landscapes of Toledo painted by El Greco.1596–1600, oil on canvas, 47.75 × 42.75 cm, Metropolitan Museum of Art, New York)
* El Greco. 4 Feb. to 16 May 1999. Museo Thyssen-Bornemisza.
★糸杉の丘から眺めるトレドの丘
★夕闇のトレド 輝ける闇
★El Greco, Catalogue 1999
★El Greco. 4 Feb. to 16 May 1999. Museo Thyssen-Bornemisza.
★タホ河とサン・マルティン橋
COPYRIGHT大久保正雄 2001.06.27
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