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スペイン

2016年6月 5日 (日)

スペイン・ハプスブルグ家、太陽の沈まぬ帝国、黄金の世紀

Las_meninas_by_diego_velzquez1656Las_meninas_by_diego_velzquezMargarita_teresa_de_espaa_01_2スペイン・ハプスブルグ家、太陽の沈まぬ帝国、黄金の世紀
大久保正雄『地中海紀行』第13回

天と地の間に、絶對の沈黙がある。
風が吹き静寂が支配する丘。荒涼たるスペインの大地。
輝く蒼空が果てしなくつづく、乾いた大地(La Mancha)に
対峙する、カスティーリアの荒野。
碧空にトレドの雲が咆哮する。愛と復讐の大地、カスティーリア。
荒野を旅する者は、方向を見失わず、生きる意志を持ちつづける精神力が必要である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より

【スペイン・ハプスブルグ家】
フィリップ美公フェリペ1世(カスティーリャ王、フアナと共同統治:1504年 - 1506年)
カルロス1世(=カール5世)(1516年 - 1556年)神聖ローマ皇帝(1519年 - 1556年)
フェリペ2世(1556年 - 1598年)ポルトガル王(1580年 - 1598年)
フェリペ3世(1598年 - 1621年)ポルトガル王
フェリペ4世(1621年 - 1665年)ポルトガル王(1621年 - 1640年)
カルロス2世(1665年 - 1700年)
*ゲオルク・シュタットミュラー『ハプスブルク帝国史』P22

太陽の沈まぬ帝国
マクシミリアン1世が1508年にローマ教皇から戴冠を受けずに皇帝を名乗り始める。その後、婚姻関係からハプスブルク家は、ブルゴーニュ領ネーデルラント、ブルゴーニュ自由伯領(フランシュ=コンテ)、スペイン王国、ナポリ王国、シチリア王国などを継承、皇帝カール5世(=カルロス1世)の下でヨーロッパの一大帝国を現出させた。1547年、カール5世の領土は「日の沈まぬ」大帝国となる。

狂女フアナ
フアナ(1479-1555)は、カトリック両王の三女である。1496年ブルゴーニュのフィリップ美公と結婚するためアントワープに赴く。フアナは、人生を謳歌し生きている瞬間を樂しむ享樂的なフランドルで、遊びに明け暮れ贅沢三昧の日々を送る、フィリップ美公の虜となったが、フィリップは妃が煩わしくなる。獨占欲が強いフアナは、夫の浮気に嫉妬し理性を失い狂気に陥り始めた。フアナは、長女エレオノーレ、ついで1500年に長男カルロスを生む。さらに次男フェルナンドをはじめ、6人の子を次々と出産する。
1504年カスティーリア女王イサベルが53歳で死去、三女の王女フアナにカスティーリアの王権が移る。王位継承者の一族が次々と死に、フアナだけが生き殘ったためである。フィリップはフアナを伴いスペインに渡るが、1506年9月ブルゴーニュ公は28歳でブルゴスにおいて不慮の死を遂げる。宮廷はフィリップの遺體を埋葬しようとするが、フアナは柩を渡すことを拒んだ。夜になると棺桶の蓋を開け、冷たい遺骸に話しかける。彼女はフィリップの遺體が入った棺を馬車に積み、スペインの町から町へ、山を越え谿を越え、カスティーリアの野をあてどなく彷徨い歩いた。
 フアナは26歳にして狂気に囚われ、父アラゴン王フェルナンド2世によって1509年以後トルデシーリャス城に幽閉され、城の中で死ぬ。だが1555年に75歳で息絶えるまで、城に閉じ籠められたまま46年間、カスティーリア・アラゴン女王として君臨し続けた。

カルロス1世(=カール5世) 太陽の沈まぬ帝國
 カルロス(1500-1558)は、ハプスブルク家のブルゴーニュ公フィリップと王女フアナの子としてフランドルの古都ガンで生まれ、ブルゴーニュの優雅な宮廷文化の中で育まれた。父が夭折し、母が発狂したため、カルロスは1516年16歳の時ブリュッセルでカスティーリア・アラゴン王に即位。1517年カルロス1世としてスペインに旅立つ。
 1519年、祖父の皇帝マクシミリアン1世の死後行なわれた皇帝選擧で、カルロスはフッガー家の資金援助の下、對立候補のフランス王フランソワ1世を破って皇帝に選ばれ、神聖ローマ皇帝カール5世となる。この時代、ドイツではルターの宗教改革運動が展開、カトリックの皇帝理念から激しい異端彈圧を圖る。パヴィアの戰い、イタリア戰爭、シュマルカンデン戰爭、ザクセンの反亂、戰いに明け戰いに暮れ、經済的破綻を遺す。戰爭と外交交渉のために、広大な支配領域を「旅する皇帝」であった。
 カルロス1世の時代、ハプスブルクは最大の領土を支配、ハプスブルク・スペイン帝國を築き上げる。カルロスは自らの國を「太陽の没することなき帝國」と呼んだ。
下顎前突症(Prognathism)
両親の血を引いて生まれつきアゴの筋力が弱く、下顎前突症*であり、また幼少期の病気により鼻腔が閉塞気味であった。多くの肖像画でも見られる通り、一見して非常に下あごが突出してる。
*ゲオルク・シュタットミュラー『ハプスブルク帝国史』P18

フェリペ2世 黄金の世紀 Felipe II de España
フェリペ2世(1527-98)は、神聖ローマ帝國皇帝をかねた父王カルロス1世から、スペイン、インディアス、ナポリ、シチリア、サルデーニァ、ミラノ、フランドルを継承。1581年母がポルトガル王家であることからポルトガルを継承、未曾有の領土を領有するに到る。
 スペインを中心とするハプスブルク帝國に反發するフランス、西地中海を脅かすオスマン・トルコ帝國、宗教改革による西欧の分裂。カルロス1世が遺した紛爭はフェリーペの時代に深刻の度を深め、また異端彈圧は暴虐を極める。カスティーリア王國の犠牲とインディアスから齎される銀を支えにフェリーペは帝國主義的な外交政策を展開する。スペイン絶對主義に對するネーデルランドの反亂に始まる80年戰爭(1568-1648)を戰い、レパントの海戰(Batalla naval de Lepanto)で不敗のオスマン・トルコ艦隊を破り、1588年無敵艦隊(Armada Invencible)によるイギリス侵攻を決意するがドーバー海峡の戰いで予期せぬ敗北を味わう。多彩な對外政策は多重債務を生む。
アメリカ大陸から齎された莫大な黄金と銀は、カディスの港で陸揚げされず、他の船に載せかえられて、そのままヨーロッパ各地に転送された。負債返済のためである。
フェリーペ2世はスペイン帝國の黄金世紀の頂点に立つ。だがその經済的基盤は初期からすでに破綻していた。即位の翌年から3度にわたり破産宣言を行ない、債務支払いを停止。1557年第1回破産宣言、1575年第2回破産宣言、1596年第3回破産宣言。父王から引き継いだ借財の5倍の負債を息子フェリーペ3世に殘す。  カルロス1世、フェリーペ2世の帝國政策とその負債は、カスティーリアの經済基盤を破壊し貧困を招き、殘忍な異端彈圧の果て、民衆の怨嗟の聲は国中に溢れた。
★参考文献
ゲオルク・シュタットミュラー『ハプスブルク帝国史』刀水書房1989
江村洋『ハプスブルク家』講談社現代新書1990
江村洋『ハプスブルク家の女たち』講談社現代新書1993
ユネスコ世界遺産センター編『ユネスコ世界遺産10 南ヨーロッパ』講談社1996
地中海学会編『地中海歴史散歩1スペイン』河出書房新社1997
川成洋『図説スペインの歴史』河出書房新社1993
池上岑夫・牛島信明・神吉敬三監修『スペイン・ポルトガルを知る事典』平凡社1992
★Diego Velazquez「Las Meninas」1656
★Diego Velazquez「Margalita Teresa」1656Wien
★「彷徨う狂女フアナ」1877、フランシスコ・プラディーリャ作、プラド美術館
★「フェリペ2世」ティツィアーノ
COPYRIGHT大久保正雄 2001.06.27
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2016年6月 3日 (金)

トレド、時が歩みを止めた町

Ookubomasao30Ookubomasao31Ookubomasao32大久保正雄『地中海紀行』第11回
トレド、時が歩みを止めた町

渺茫たる大地、
荒野に聳えるアルカサール、
白銀の輝きカテドラル。
乾いた大地に屹立する城塞都市、トレド。
荒れ果てた大地に孤立する孤島のごとく、
覇権を競う、覇者の榮耀は儚く、
タホ河の濁流に、悠久の時は流れ、
雲は叫び、大地は沈黙する。
赤い瓦屋根が重なり、
アラブの迷路が縦横にめぐる、16世紀の町。
寺院の伽藍の下に、
時は止まる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より

【時が歩みを止めた町】
天と地の間に、絶對の沈黙がある。
風が吹き静寂が支配する丘。荒涼たるスペインの大地。
輝く蒼空が果てしなくつづく、乾いた大地(La Mancha)に対峙する、カスティーリアの荒野。碧空にトレドの雲が咆哮する。愛と復讐の大地、カスティーリア。
地中海文明が流れついた最果ての地。ローマ人が築いた難攻不落の城塞都市トレド。クレタ島から地中海を渡りやって來た内なる炎の画家、エル・グレコ終焉の地。黄金世紀の都。時が歩みを止めた町、トレド。
夕暮の輝ける闇。エル・グレコの輝ける闇。悲愴な美しさを秘めた空に、スペインの悲しみと高貴がある。カスティーリア王國、スペイン帝國の束の間の都。
荒れ果てた大地と絶對王制の下、スペインの貧困がある。飢餓と枯渇の中で、夢見ることなくして、人は生きてゆくことはできない。あらゆる希望が死に絶えた絶望の極み、人は夢見ることなしには、生きて行くことはできない。渺茫たる乾いた大地を、旅する者の寂寥。茫漠たる飢渇した広原の上を流れる、片雲を見つめながら流離う旅人。
太陽の門(Puerta del Sol)をくぐり坂道を上ると、旅人は、四百年前の世界に迷い込む。城門の中には、中世の迷路が張り巡らされている。
4百年の時の流れが止まった町、トレド。

【荒野を旅する者】
荒野を旅する者は、方向を見失わず、生きる意志を持ちつづける精神力が必要である。たとえ幻であっても、崇高な目的を達成するために、自己を信じて生きなければならない。逆境に苦しみ、貧困に喘ぎながらも、崇高な仕事を成し遂げる者は偉大な者であり、眞に英雄の名に値する。弱肉強食の競争社会の砂漠、管理社会の密林のなかで私利私欲を貪る猛獣、官僚主義の狐の餌食となることなく生き抜き、崇高な目的を達成するためには、強靭な意志が必要である。偉大であるためには、あらゆる自分の運を余す所なく利用する術を知らねばならない。
エル・シードは、カスティーリア貴族の嫉妬により、讒言され陥れられ、王の私怨を受け、二度追放刑に処され、故國を追われた。鎧に身を包み、60騎の騎士を率いて荒野を疾駆し、バレンシア・モーロ王國と戰い占領、富と名聲を獲得。宮廷貴族に復讐を遂げた。
緑が萌え出る春、咲き誇るアーモンドの木の下に立ち、思い出す。夢に満ちた時代。今、人生の道半ばにして立ち止まり、静寂のなかで思う。運命に翻弄され苦難に耐え、死の中から蘇る不屈の精神。愛は死よりも強い。

【暁の夢】
春の暁、目覺めると、黎明の空に鳥の囀りが聞こえる。窓から紅い瓦屋根が見える。トレドの頂上、斷崖の上に立つホテル。窓から目の前にアル・カサールが見え、南に糸杉が生える丘が見える。暁の夢の中で私は、イタリアの丘陵にいた。
目覺めたばかりの意識は、記憶の迷路に彷徨う。折り重なる紅い瓦屋根が見える。此処は、中國の古都か、アラブの町か、東洋か西洋か、心は眩惑する。昧爽の空気の中で、記憶の果てに光芒が燦めく。魂の涯てに、思い出す。遠い旅路の記憶。
時は、中世か、20世紀か。魂は、時の迷路を彷徨う。魂は、生と死の秘密を知るために、輪廻転生して探求をつづける。生と死を超えた、果てしない魂の旅。不滅の魂は、生まれ変わり、不屈の意志を成し遂げる。

【トレド史】
紀元前190年、ケルト・イベロ族を征服したローマ人は丘の上に都市を建設し、トレトゥム(Toletum)と名づけた。ローマ帝國以降、16世紀、黄金世紀(Siglo de Oro)に至るまでイベリア半島における多民族が抗爭する舞台となった。
トレドが歴史の舞台に浮上するのは、ローマ帝國末期。397年に第3回司教会議(397-400)が、此処で開催された時からである。トレド教会会議は、西ゴート族支配下のスペインの首都トレドで702年まで18回開かれる。507年イベリア半島の支配権が、ローマからゲルマン人の西ゴート族に移る。西ゴート王アタナヒルド(在位554-567)は560年に宮廷をトレドに定めた。トレドは、711年、西ゴート王國崩壊まで、150年間イベリア全土の政治的中心地となり、聖俗両界に跨って君臨する。
711年、西ゴート王國崩壊。トレドは1031年まで後ウマイヤ朝(756-1031)アル・アンダルスに属する。1085年アルフォンソ6世は、トレド・モーロ王國を包囲して占領。トレドは11世紀末以後、カスティーリア王國領となる。
中世末期から近代初期、トレドはブルゴス、アビラ、セゴビアと並びカスティーリアを代表する都市であった。定まった首都をもたず放浪するカスティーリア王國の宮廷の一時的な滞在地となった。1561年フェリペ2世(1527-98)はそれまでトレドにあった宮廷をマドリッドに移し、二度と戻って來なかった。「16世紀で歩みを止めた町」トレド。
「太陽の沈むことなき帝國」ハプスブルグ・スペイン帝國、ヨーロッパ最強の國の首都となったマドリッドは急速な繁榮を遂げ、トレドは凋落した。フェリペ2世はマドリッドに王宮を建て、マドリッド郊外にエル・エスコリアル離宮、アランフェス離宮を建設、富と権力を誇示した。
1577年、画家エル・グレコがこの都市に住みついた。クレタ島生まれのギリシア人エル・グレコの神秘主義は、荒野に榮える城塞都市トレドで、炎のごとき傑作を殘した。

【傾國の美女】フロリンダ・ラ・カバ
イベリア半島における西ゴート王國は、507年に誕生し711年に滅亡するまで26人の國王が即位した。西ゴート王國滅亡の原因となる傾國の美女の物語がある。
フロリンダ・ラ・カバは、トレドで最も美しい女性であると詩人に歌われていたが、近づくことは至難の技であった。彼女は北アフリカのセウタ総督、ロドリーゴ王の腹心の友フリアン伯爵の娘で、トレドの宮庭に出仕していた。王は好意を抱き、愛人にしたいと申し出ていたが拒否されていた。
ロドリーゴ王(Rodrigo.?-711.在位710-711)は狩の歸り、八月の月の輝く夜、タホ河で若い女性たちが水浴びしているのを見た。そのなかに一人の美しい娘がいた。フロリンダであった。月光の下、フロリンダはタホ河の水で凝脂を洗い、白い膚、綺麗な眸、しなやかな細い腰、閉月羞花、ヴィーナスのような姿は、魂を奪うほど美しかった。
余りにも美しすぎるため、王は、多くの愛人がいるにも拘らず情欲に負け、剣で一撃を加え、娘を気絶させ誘拐した。辱めを受けたフロリンダは腹心の小間使いをセウタに派遣し、父に事件の經緯を知らせた。  フリアン伯爵は、娘の名譽回復を要求し王妃にするよう迫るが、王に嘲笑される。激怒したフリアンは、セウタに戻りイスラーム軍の司令官ターリク・ブン・ジャードと共謀、セウタ城の城門を開き、イスラーム軍がたやすくジブラルタル海峡を渡れるように布石した。このようにしてフリアン伯爵はロドリーゴ王に對する復讐を果たした。
西ゴート王國最後の王ロドリーゴは、711年7月、グアダレーテ河の戦いで味方に裏切られ、最期を遂げる。これが西ゴート王國の滅亡である。

【英雄エル・シード】
カスティーリア王國は、1037年フェルナンド1世(1016-65)の時、レオン王國を継承して一大王國となった。しかし王の死後、遺言によって領土は三人の王子に分割された。サンチョ皇子はカスティーリア國を、アルフォンソ王子はレオン國を、ガルシア王子は、ガリーシア伯領を相續した。が、その結果、兄弟間に領土爭奪をめぐる骨肉の爭いが生じた。
名將エル・シード(El Cid.1043-99)指揮する屈強なカスティーリア軍は、レオン軍を撃破。アルフォンソ6世(1040-1109)は、トレド・モーロ王國へ逃走した。しかし城塞都市サモーラを包囲、攻撃中、サンチョ2世王は謀殺され、カスティーリアは、レオン王アルフォンソ6世を國王として迎えざるを得なくなる。アルフォンソ王は、ガリーシア伯領をも奪い、父フェルナンド1世の遺した領土を再び統一した。1109年まで生涯、カスティーリア・レオン王として君臨し續ける。
エル・シードは、サンチョ王から寵愛を受け、王が弟アルフォンソ王と戰った時には、司令官として見事に勝利した。サンチョ王が謀殺されると、亡き王の寵臣として、アルフォンソ王をカスティーリア國王として受け入れる条件として、王に身の潔白を神の前で宣誓させた。エル・シードは三度潔白を問い、アルフォンソは三度蒼白になった。王は、エル・シードを知恵と勇気に優れた騎士として用いながら、心中深く怨恨をいだく。
1081年、エル・シードは、嫉妬するガルシア・オルドーニュス伯に讒言され、激怒した王はエル・シードを國外追放刑に処した。アルフォンソ王はエル・シードを一度許したが、1089年、激怒した王は再び追放刑に処した。
1094年バレンシア攻略後、エル・シードはアルフォンソ6世に戰利品を献上、王はエル・シードの刑罰を赦す。エル・シードはタホ河に臨む都トレドで王と對面、正式に罪を赦された。
王は、カリオン伯爵公子兄弟の懇願によりエル・シードの娘たちとの結婚の媒酌を申し入れ、二人の娘と公子兄弟の婚礼が擧行される。
だが、バレンシアで、娘婿たちは檻から出た獅子を見て逃げ隠れ、怯懦な性格を見抜かれる。兄弟は深い恨みをいだき、意趣晴らしを企てる。エル・シードの財産を目当てに結婚した彼らは目的を達し、歸國の途につく。コルペスの森の中でカリオンの兄弟は、エル・シードの娘たちを虐待して、私怨を晴らす。二人の肌着は破れ、柔らかな肌が切り裂かれ、絹の薄衣の上にまで、鮮血が滲み出た。姉と妹は胸の中が張り裂け、血潮の吹き出る苦しみに喘いだ。樫の木の森に、瀕死の姿で置き去りにされた息も絶え絶えの姉妹は、薄絹の肌着だけを身につけて、猛禽や野獣の餌食になるのを待つばかりであった。
エル・シードがカリオン兄弟に對して報復する。エル・シードは王に公開裁判を提訴、アルフォンソ臨席の宮廷会議がトレドで召集され、決闘裁判で決着することが決定される。カリオンの沃野、決闘裁判において、三人の騎士たちはカリオンの三兄弟を相手に戰い打ち倒し、エル・シードは名譽を回復した。離婚が成立した二人の娘たちは、アラゴンとナバラの王子たちと再婚。悲運の英雄エル・シードの血は、スペイン王家に流れる。
★参考文献
W・モンゴメリー・ワット黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラーム・スペイン史』岩波書店1976
フアン・カンポス・パヨ『魅力の街 トレド』アルテス・グラフィカス・トレド1982
神吉敬三『プラドで見た夢』小沢書店1980
神吉敬三『巨匠たちのスペイン』毎日新聞社1996
長南実『エル・シードの歌』岩波文庫1998
セルバンテス牛島信明訳『ドン・キホーテ』岩波文庫2001
ユネスコ世界遺産センター編『ユネスコ世界遺産10 南ヨーロッパ』講談社1996
地中海学会編『地中海歴史散歩1スペイン』河出書房新社1997
川成洋『図説スペインの歴史』河出書房新社1993
池上岑夫・牛島信明・神吉敬三監修『スペイン・ポルトガルを知る事典』平凡社1992
★夕暮のトレド
★トレド パノラマ
★糸杉の丘から見るアルカサール
★タホ河とサンファン・デ・ロス・レイエス教会
★ラ・マンチャの夕暮
★コンスエグラの丘
COPYRIGHT大久保正雄 2001.05.30
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2016年6月 2日 (木)

塔の中の王女たち、『アルハンブラ物語』

Ookubomasao27Ookubomasao28Ookubomasao26塔の中の王女たち、『アルハンブラ物語』
大久保正雄『地中海紀行』第10回

塔の中の三人の王女たち
ヴェールがほどけ、光り輝く美貌が、
すべての人の眼にあらわになる。
スペイン人の捕虜の騎士たちと三人の王女は恋に陥る。
騎士たちはベルメーハスの塔(朱色の塔)の牢獄に連行、
三人の王女は、ラス・インファンタスの塔の中に囚われる。
恋は越え難い障害と戦う情熱が生み出す歓びの炎。
縄梯子の端をバルコニーに結び、下の花園に吊り下ろし、
二人の王女は胸を高鳴らせて降りる。
一刻を争う時、ソラハイダ姫は、思い惑い、躊躇い、立ち竦み、
ソラハイダ姫は、激しい恋の思いを胸に秘めたまま、若くして死に、
インファンタスの塔の地下室に埋葬。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

【ワシントン・アーヴィング『アルハンブラ物語』】
 1829年、作家ワシントン・アーヴィング(1783-1859)は、グラナダを旅した。5月10日から7月29日までアルハンブラ宮殿に滞在した。梟が鳴き、蝙蝠が飛び交い、蜘蛛の巣が張る、荒れ果てたアルハンブラ宮殿、グラナダ総督の部屋に住み6月12日から「果實の間(salla de frutus)」に滞在した。昼夜、アルハンブラの部屋から部屋をさまよい歩き、塔に昇り、庭園を眺め、執筆に耽った。月下の宮殿に魅惑され、失われた時と現在の狭間を往き來し、幻想と現實の間を彷徨い歩いた。アーヴィングは1832年『アルハンブラ物語』を出版、世界中の讀者を魅了する(第2版1851)。夢の魅惑が人々の心を捉えた。『アルハンブラ物語』は、自己を見失ったアーヴィングが過ぎ去った世界に彷徨うことにより、失われた自己の愛を探す心の旅である。この書物は、孤獨な旅人による「失われた時への旅」である。

【塔の中の美しい王女たち】
 ムハンマド9世(在位1419-27,30-31,32-45,47-53)は、左利きのため、またすることなすこと思いどおりに行かない、悲運に見舞われ續けた。それ故「左利き王」と呼ばれた。左利き王は、三度グラナダ王の王位から追放され、三度復位した。逆境から知恵を學ぶことが下手で、左手の武力に物を言わせようとし直情径行、強引な性格であった。
 左利き王は、捕虜として囚えられた敵將の娘であるスペインの貴婦人に心魅かれ、后にした。このスペイン人の貴婦人との間に、三つ子の娘が生まれ、サイーダ、ソライダ、ソラハイダと名づけられた。王は、占星術師を招いた。占星術師たちは「三人の王女は危険な星の下に生まれた。妙齢期には監視を怠りなく手許から放さぬように。」と予言した。
 王は、地中海を眼下に見わたす丘の頂きに築かれた堅牢無比の砦、サロブレーニャ城に、王女たちを閉じ籠めた。紺碧の空の下、地中海の海原を見わたす斷崖の上の離宮で、三人の王女は、息を呑むほど美しい乙女に成長した。ある日、王女たちが白い波が打ち寄せる砂浜を見下ろす望楼の窓から海を眺めていると、キリスト教徒の捕虜が引き立てられ、降り立った。捕虜の中に、立派な身なりのスペイン人騎士が三人いた。鉄鎖に繋がれていたが、花のように誇り高く、優雅で気品のある顔立ち、高貴な気性が全身に溢れ出ていた。三人の王女の胸が熱く高鳴った。娘たちに危険が迫ったことを知らされた王は、三人の王女をアルハンブラの塔に住まわせるために、自ら護衛隊を率いてサロブレーニャ離宮から、グラナダへの歸還の途上、捕虜を連行する部隊に出会った。左利き王は怒り狂い、新月刀を引き抜き、立ち尽くしている三人の騎士に一撃を加えようとした。この時、三人の王女のヴェールがほどけて、光り輝く美貌が、すべての人の眼にあらわになった。三人の王女の美貌が魔力を発揮するに十分な時間であった。騎馬隊は捕虜の騎士たちをベルメーハスの塔(朱色の塔)の牢獄に連行し、三人の王女たちはラス・インファンタスの塔の中に匿まわれた。
 スペイン人の捕虜の騎士たちと三人の王女は恋に陥った。「恋は越え難い障害と戦う情熱が生み出す歓びの炎である。恋は、最も枯渇した大地に、最も根づよく生い茂る。」
 ある眞夜中、縄梯子の端をバルコニーに結び、下の花園に吊り下ろし、二人の王女は胸を高鳴らせて降りたが、一刻を爭う時に、ソラハイダ姫は、思い惑い、躊躇い、立ち竦み、降りることはできなかった。二人の王女は、コルドバに辿り着き、騎士たちと結婚した。ソラハイダ姫は、恋の思いを遂げず、踏み止まったことを悔やんだ。嘆きの調べを奏でる恨みのリュートの音が、いつまでも塔から聞こえた。
 ソラハイダ姫は、恋しい思いを胸に秘めたまま、若くして死に、インファンタスの塔の地下室に埋葬された。今も塔の下にはソラハイダ姫の死體が埋まっている。(cf.『アルハンブラ物語』28)

【塔の中の王妃】
 ムレイ・アブール・ハッサン王(在位1464-82,82-85)は、「王妃アイシァが王を追放して、息子を王位に就けようと陰謀を企てている」という讒言を耳に吹き込まれた。王は激怒して、王妃アイシァとその子 (ボアブディル=ムハンマド11世)をコマレスの塔に閉じ込め、「ボアブディルを生かしておかぬ」と口走り罵った。深夜、王妃アイシァは、自分と侍女たちのスカーフをつなぎ、塔のバルコニーから王子を吊り下ろした。王妃に忠誠を誓う騎士たちが、駿馬を用意して待ち受け、王子を救出しラス・アルプハラス山中に連れ去った。
 ムレイ・アブール・ハッサン王はこれを知り、アベンセラーヘ家の36人の騎士たちを、アルハンブラの広間に召喚し、獅子の中庭で斬首し虐殺した。大理石の噴泉から流れる水が鮮血で紅く染まりつづけた。アベンセラーヘ家の悲劇である。(cf.『アルハンブラ物語』15)
 1491年カスティーリア・アラゴン連合王國はグラナダを包囲。ムハンマド11世は1492年1月2日降伏する。最後の王は、涙の丘から失われたアルハンブラを返りみて涙を流した。
★参考文献
W・モンゴメリー・ワット黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラーム・スペイン史』岩波書店1976
イブン・ハズム黒田壽郎訳『鳩の頸飾り―愛と愛する人々に関する論攷』(イスラーム古典叢書)1978
ワシントン・アーヴィング平沼孝之訳『アルハンブラ物語』上・下 岩波文庫1997
神吉敬三『巨匠たちのスペイン』毎日新聞社1996
 「スペイン的空間感情の特質」pp.68-90「アルハンブラ」pp.91-118
安引宏・佐伯泰英『新アルハンブラ物語』新潮社1991
陣内秀信『都市の地中海 光と海のトポスを訪ねて』NTT出版1995
堀田善衛「グラナダにて」『すばる』1989年1月号 集英社
ユネスコ世界遺産センター編『ユネスコ世界遺産10 南ヨーロッパ』講談社1996
地中海学会編『地中海歴史散歩1スペイン』河出書房新社1997
川成洋『図説スペインの歴史』河出書房新社1993
池上岑夫・牛島信明・神吉敬三監修『スペイン・ポルトガルを知る事典』平凡社1992
★ヘネラリーフェ離宮 アセキアの中庭
★天人花の中庭
★天人花の中庭 採光窓
COPYRIGHT大久保正雄 2001.04.25

2016年6月 1日 (水)

グラナダ アルハンブラの残照

Ookubomasao25Ookubomasao26大久保正雄『地中海紀行』第9回

早春の黄昏はアルハンブラを思い出す
糸杉が聳え立つ丘の上の城砦、アルハンブラの紅い塔群
シエラ・ネバダの白銀の嶺々から流れる清冽な水
獅子の中庭に、黄昏の光が満ちる時

微風に香る、昧爽の天人花の中庭
糸杉薫る離宮、ヘネラリーフェの中庭
花盛りの森から、花の香りが溶けあい立ち昇る

憂いにみちたグラナダのアラブ王は、美的洗練を極める
絶望の果てに生まれた、美の王國、アルハンブラ
闇が深ければ深いほど、星は輝きを増す。
苦惱と忍耐の歳月が、輝ける復讐の時を美しくする。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

【地上の樂園】
 闇が深ければ深いほど、星は輝きを増す。苦惱と忍耐の歳月が、輝ける復讐の時を美しくする。強國の武力に屈し、忍従と屈従的軍務に服する風雪の歳月。イベリア半島に孤立する王國グラナダ。斷崖の上に立つ城砦アルハンブラに、閉ざされた宮殿。征服の野心はすでに遠い過去の夢となり、庭園の花の香りに包まれて、王は詩の王國に君臨する。
 苦難を耐え忍び、屈辱に塗れ、憂いのはてに死を思いながら、希望を持ち續けるためには、人は内なる樂園を作らねばならない。例えばそれは、復讐の夢、異國の安住の地、涯てしない旅、地中海の隠者の島、旅路の果てに愛する人と再会することである。

【花吹雪】
 花吹雪吹き、花びらが舞い、沈丁花、石楠花、牡丹櫻、木蓮の花の香りが溶けあい、風にただよい流れて來る。孤塔に閉じ籠もり花吹雪を眺めながら、日が昏れるまで、書物を讀み執筆していると、黄昏刻、斷崖の下に花の香りが立ち罩め、私は早春のグラナダ、花ざかりの森を思い出す。
 あらゆる努力を盡くし、最善を盡くしても、努力が稔らぬ時、魂は絶望に襲われる。絶望は癒し難い心の傷であり、絶望の淵に沈む時、人は死の淵に佇んでいる。絶望、それは死に至る病である。死の淵から立ち上がり、蘇るためには、人は聖なる地に赴き生贄をささげねばならない。そして、呪われた地に行き、死闘を繰り広げねばならない。
 しかし復讐を遂行することができぬ時、薫香漂う樹林の午後、暁闇のパティオの花園を逍遥する逸樂の日々がある。優雅な生活が最高の復讐である。
 ユースフ1世は、庭園の人であった。外界から閉ざされた空間、書庫の暗闇、詩の王國、そして美しい庭園の中に生きた。ユースフ1世とその子ムハンマド5世は、アルハンブラの美的洗練を極めた。
 この現身の人生は一度しかない。生きる樂しみを追求しなければ生きる価値がない。自己が眞に愛するものを追求することが眞實の樂しみであることをグラナダのアラブ王たちは知っていた。勝利と名譽と榮光を追求することは、虚榮の快樂である。
 生きる歓びが溢れるほど、生の限界である死を深く意識する。死を意識すればするほど、生きる歓びは深くなる。限りあるいのちをもって、限りない世界を探求することは不可能である。しかし限りあるいのちであるからこそ、美しいもの、自己が眞に愛するものを探求する樂しみに、人は命を燃やして止まない。
 地中海人はこのことを深く知っている。地中海をのぞむ、ギリシアのカフェ、トルコのチャイハネ、シチリア島のバールで、一日中、海を眺めながら、何もせず無為の逸樂を樂しみ、語り合っている地中海人たち。アンダルシアの木蔭で午睡(siesta)にまどろむアンダルシア人。そこには、庭園を散歩するグラナダの王のような人生の樂しみがある。

【グラナダ 落日の王國】
 グラナダ(Granada)は、アラビア語で「柘榴の實」を意味する。ローマ帝國時代、丘の上に城砦を築き、城塞都市として誕生した。1236年コルドバがカスティーリア軍に攻撃され陥落。以後、ナスル朝(1230-1492)グラナダ王國の首都として榮華を極める。イベリア半島におけるイスラーム最後の牙城である。
 グラナダ王國は、その成立の初期から薄氷を踏む勢力均衡の力學の上に成り立つ。グラナダの王と妃たちは、終末の宴を樂しむように、滅亡の予感を感じながら、閉ざされた樂園のなかで逸樂の日々を過ごした。ムハンマド1世朱髭王(1195-1272)は、カスティーリア王國と屈辱的な条約を結ぶことにより、グラナダを危機から救ったが、朝貢と軍事的協力を強いられ、イスラーム國であるセビリア包囲戰に參戰し、凱旋の時の歓呼に応え、血を吐く一言を殘す。「神のみが勝利者である」。以後この語句はアルハンブラの壁に刻まれる。かくて、惱める王國グラナダの苦惱を深めることになる。
 ユースフ1世(在位1333-1354)による、美的趣味の飽くことなき探求の果て、アルハンブラに優雅な裝飾藝術の極致が生みだされた。詩人イブン・ザムラクの詩句が獅子の中庭に刻まれている。「この比類ない美しさに匹敵するものを見いだすことはアッラーでも難しいだろう」
 ユースフ1世は、「コマレス宮」「裁きの門」「囚われの貴婦人の塔」を建て、その子ムハンマド5世(在位1354-1359,1362-1391)は、「獅子宮」「獅子の中庭」「祝福の間」「コマレス宮ファサード」を建てた。
 美的洗練を極めた宮殿、洗練された夢幻の空間の彼方、城壁の彼方には、敵對するキリスト教國の猛禽のごとき眼差しがある。

【アルハンブラ宮殿】
 紅い丘の上に立つ城砦。斷崖の上にアルハンブラ宮殿がある。アルハンブラ(Alhambra)は、紅い岩山に築かれたので、この名(al-Hamra.赤きもの)がある。
 城壁に囲まれたアルハンブラ(Alhambra)には七つの宮殿があった。今、殘るのはコマレス宮、獅子宮、パルタル宮、ヘネラリーフェ離宮のみである。宮殿の中に8つのパティオがある。獅子の中庭、天人花の中庭、リンダラハの中庭、マチューカの中庭、マドラシャの中庭、無花果の中庭、アセキアの中庭、王妃の糸杉の中庭。東の外れに、夏の離宮ヘネラリーフェがある。
 丘の上に立つアルハンブラは、15の塔をもつ。朱色の塔、七層の塔、王女たちの塔、囚われの貴婦人の塔、パルタル宮貴婦人の塔、コマレスの塔、忠誠の誓いの塔、貴紳の塔、武人の塔、王妃の塔、夜警の塔、盾の塔、罅割れた塔、見晴しの塔、見張りの塔。聳えたつ塔に立ちシエラネバダの微風に吹かれながらヴェガ(沃野)を見下ろすと、花盛りの森がある。
 アルハンブラは、華麗なアラベスク模様の裝飾が至るところに施され、多くの部屋が迷路のように、配置されている。
 脆く儚い王朝の礎の上に、滅びゆく束の間の時を愛惜するように、華麗な藝術の花を咲き誇るアルハンブラ。王は、詩を作り、學問に惑溺し、美的趣味の極致、洗練された藝術的美、裝飾的樣式美を、その極限まで追求した。中庭に咲く花々、立ち昇る薫香の香、リュートを奏でる美しい王女。透かし彫りの窓を通して空間に蔭る光。微光の中で繰り広げられる逸樂の日々。閉ざされた地上の樂園アルハンブラ。その繊細華麗な美しさは、憂いが漂う殘照の美しさである。

【獅子の中庭】
 獅子の中庭は、124本の大理石の細い列柱が立ちならぶ回廊に囲まれている。中庭には12頭のライオンが雪花石膏(alabaster)の水盤を支え、静寂の中に、シエラネバダの嶺から流れる水を湛える噴水が、微かな音を立てながら湧き流れる。
 「獅子のパティオ」を中心として、椰子の樹に喩えられる列柱、その周囲に「諸王の間」「モカラベの間」「二姉妹の間」「アベンセラーヘの間」が配置され、「天人花のパティオ」を中心として「コマレス宮」「祝福の間」「玉座の間」が配置されている。建築家は、沈鬱なアラブ王の心を慰めるために、眼を愉しませる庭園を築いた。
 「建築と自然の調和」を課題として取り組んだイスラーム建築は、光が降る中庭とそれをかこむ建築から成り立つ。水が湧き流れ、樹蔭が織り成す光と影。パティオには、柘榴、石楠花、糸杉、天人花、オレンジ、花と香りと、地上のいのちが満ち溢れる。アルハンブラは「水と光の宮殿」「閉ざされた樂園」と呼ばれる。洗練を極める「光と影の空間」である。
 薫香燻ゆる広間、絹の絨毯、リュートを奏でる美しい王女。透かし彫りの扉と採光窓から射し込む微光。旅人は、時の迷路に迷い込み、幻想と現實との境に時を忘れる。時が織りなす光と影の狭間から、苦惱と絶望にみちたアラブ王の溜息が聞こえる。
 現身の王國は敵對する異教の國々の中で孤立し、屈辱的な条約の締結を余儀なくされ、合従連衡に明け暮れる日常。存亡を賭けて戰いつづけた戰士たち。對應に苦慮する王は、學藝に没頭し、美の王國に耽溺する。
★アルハンブラ宮殿 諸王の間
★獅子の中庭
★天人花の中庭
COPYRIGHT大久保正雄 2001.04.25

2016年5月31日 (火)

スペインの光と影 アンダルシアの哲学者

Ookubomasao19Ookubomasao20Ookubomasao21Ookubomasao22Ookubomasao23大久保正雄「地中海紀行」第8回

アンダルシアの光と影

燃え上がるように美しい、アンダルシアの夕暮。
愛のように甘く、死のように美しい黄昏時。
地中海に夕日が沈む時、黄昏の光が満ち、
永遠の旅人は憂いを忘れる。
風薫る光のなかに魂は融け、夕暮の諧調が聞こえる。

地中海の見える処、
黄昏の時刻ならば何処でもよい、
地中海の潮騒の響きを聞きながら、瞑想する。
不滅の魂のことばを刻む、至上の時。

コスタ・デル・ソルの黄金の夕映え、
美しい貴婦人の眼差しのように、
地上の美しきものはすべて滅びる。
彷徨える魂に瞑想の地を。
魅せられたる魂の地、アンダルシア。
わが魂をアンダルシアの聖地に埋めよ。
―――――

イブン・ハズム『鳩の頸飾り』

大樹林の伽藍、荘重な闇に足を踏み入れる時、
魂は時の迷宮に迷う。
イブン・ハズムの波瀾に満ちた生涯のように、
波瀾にみちた書物の運命。
探し求めるイスラム學者、
書庫の闇に埋もれた八百年の星霜。
幻の美しい哲学書、
失われた幻の書『鳩の頸飾り』の原本。
滅亡するアル・アンダルスが放つ光芒のように、
永遠に美しい謎。

【アンダルシアの光と影】
 アンダルシア、その甘美にして妖艶な殘香、黄昏の殘光の比類ない美しさは、なにゆえであろうか。
 避けられぬ苦難に死力を盡くす、運命に抗し苦闘を繰り広げることこそ、死すべき人間の使命であり、人間の尊厳がある。あらゆる苦闘の果てに、傷ついた魂を受け容れる最果ての地。聖者たちの地、アンダルシア。哲學者たちの都コルドバ。イスラーム教、キリスト教、ユダヤ教が共存する多宗教空間に、絶對者と眞理を探究する多彩な思想家が現れた。激しく愛し、美しく生きて死せる者は殉教者である。
 アラブ人は、イベリア半島の南の地方をアル・アンダルスと呼んだ。アル・アンダルスは「気候はシリアのごとく温和、地はヤマンのごとく豊饒、花と香料はインドのごとく満ち、宝石と貴金属は中國のごとく満ち溢れ、そして海岸はアデンのごとく船の停泊に有利である」と歌われた。アンダルシアは地上の樂園である、とアラブ人は言う。アンダルシアは、澄みわたる空、魚貝に満ちた美しい海、熟れた果實、可憐な女性たちに恵まれた美しい地である。(cf.前嶋信次「地上の樂園アンダルス」)
 アンダルシアの木蔭より来る芳しい香りは、アンダルシアの詩人が詠った、美しい黄昏、グアダルキヴィル河のさざなみ、睡蓮の花、ジャスミンの花弁、そして爛熟した學問、咲き亂れる藝術の花々から立ち昇る。

■アル・アンダルス
 アル・アンダルス(al-Andalus)には、8世紀はじめから15世紀末に至る8百年間、多くのイスーラム王朝が興亡した。アル・アンダルスは、イスラームによるイベリア半島の呼称であり、イスラーム・スペインの支配領域を指す。南スペイン・アンダルシア地方はこの名に由來する。
 語源は「ヴァンダル人の國」を意味する。しかしヴァンダル族は、イベリア半島を追われ、5世紀、地中海の對岸アフリカのカルタゴにヴァンダル王國(429-534)を築いた。先進的な先住民を抑圧、統治に失敗、再びその地を追われ地中海を渡り北上する。
 アンダルスの領域は時代によって変貌した。最大の領域は後ウマイヤ朝の宰相アル・マンスール(al-Mansur.?-1002)の時代である。北部を除くイベリア半島の大部分を領した。
 アル・アンダルスはシチリア島、ヴェネツィアとともに、東西文化交流史の重要な経路であり、この地を經由して中世イスラーム、古代ギリシアの樣々な技術、學問、思想、藝術がピレネーの山嶺を越えて、中世ヨーロッパ世界に波状的に影響を与え續けた。アル・アンダルスは、西方イスラーム世界において独自の洗練された文化樣式を創造した。

■アンダルシア文化史
 イスラーム・スペイン史、即ち、後ウマイヤ朝(756年5月)からグラナダ王國ナスル朝(1492年1月2日)の終焉まで、八百年間、榮華を誇るアンダルシア文化史は、詩人、偉大な哲學者が百花繚亂、夜空に瞬く星のごとく、出現した。
 統治階級はアラブ人とベルベル人であったが、人口の大半はユダヤ人を含む先住のスペイン人であり、彼らがムスリムとなり或いはモサラベとなり文化活動に参加、イスラーム文化がイベリア化し、豊饒なアンダルス文化の花が咲き亂れた。アブド・アッラフマーン3世、アル・ハカム2世に代表される後ウマイヤ朝、分裂諸王朝時代の學問・文化保護政策は、アンダルシア人の好學心、探究心を政治的に庇護した。
 アンダルスの學問・藝術は、ピレネー山脈を越えて、中世ヨーロッパに持續的に流入した。伝播に大きな役割を果たしたのはトレド翻訳學派である。賢王アルフォンソ10世(1221-84)の時に頂点に達し、膨大なアラビア語文献がヨーロッパ語に翻訳された。

■アンダルシアの哲學者たち
 洗練された文化を咲き誇ったアンダルシアの花影は、レコンキスタの戰いの嵐とともに枯れ果てた。荒野に殘されたアンダルシア文化の花の一部は、12・13世紀トレド翻訳學派によって滅亡の危機から救われ、ピレネー山脈の白き嶺を越えて西欧に齎された。しかしレコンキスタの嵐の中で、夥しい書物がこの世から消えた。
 アンダルシア人は、學問と藝術、理性と感性の類い稀なる調和の感覺をもつ。地中海人は、美と眞理のこの世に類い稀なる融合を生み出した。アンダルシア人は、ギリシア人、ローマ人と同じく、美と眞理に對する優れた感覺をもつ。
 洗練されたアンダルシア文化の花は、また偉大な哲學者たちを生みだした。亂世に咲く花のように、ウマイヤ朝末期、各地の都市が群雄割拠する分裂諸王時代、優れた哲學者たちが、アンダルシアに生まれ、形而上學、認識論、神秘主義、樣々な思想の花が咲き亂れた。
 亂世を生きた孤高の哲學者イブン・ハズム。アリストテレス注釈の巨匠イブン・ルシュド(Ibn Rushd=Averroes.1126-98)。タルムード學の権威マイモニデス(Maimonides. 1135-1204)。イスラーム神秘主義の偉大な巨匠イブン・アルアラビー(Ibn al-Arabi. 1165-1240)。哲學者たちが、アンダルシアに生まれ、彷徨し、旅と瞑想に生きた。
 哲學の歴史はプラトン哲學とアリストテレス哲學の對決・抗爭の歴史である。イスラーム哲學史、アンダルシアの哲學においても、プラトン主義、新プラトン主義とアリストテレス主義が入り亂れ、對立・抗爭を繰り広げた。

【地中海人列伝6】
イブン・ハズム 『鳩の頸飾り』の著者
 イブン・ハズム(Ibn Hazm.994-1064)。コルドバの名家に生まれ、あらゆる學藝を身につけた博學の士であり、彼の中には詩人、思想家、法學者、哲學者、歴史家が共存する。プラトン主義者、比較宗教史家。名門の子として生まれ、稀有の才能に恵まれながら、転々として流離の生活を送った。若くして戰亂に巻き込まれ、各地を流浪しながら膨大な著作を著した。主著『諸分派についての書』『鳩の頸飾り』(cf.アンリ・コルバン『イスラーム哲学史』)
 1002年アル・マンスールが死に、その子アブドル・マリクが死に、サンチェロが地位につくと、1009年2月15日ムハンマド・アル・マフディーがクーデターを起こし、カリフの地位についた。イブン・ハズム一族は、ザーヒラの家を立ち退き、バラート・ムギースの屋敷に移った。かくして一つの才能が命をとりとめ、苦難に満ちた生涯を續けることになった。1012年6月父アフマド・イブン・ハズムは、失意のうちにこの世を去る。1013年ベルベル人傭兵がコルドバを襲撃、コルドバは戦亂に燃え、イブン・ハズム一族の屋敷も破壊された。イブン・ハズムは、7月13日地中海を臨む港町アルメリアに逃れる。1016年アルメリア領主により数ヶ月投獄された後、追放される。1016年アブド・アッラフマーン4世がコルドバを奪還するため擧兵、イブン・ハズムはこれに加わり宰相となるが、グラナダの戦いで敗北、捕えられて投獄される。しかし餘命をつなぎ、1018年2月、5年ぶりにハンムード家の支配下にある故郷コルドバに歸る。
 1023年12月ウマイヤ家が政権を奪還し、アブド・アッラフマーン5世(1002-1024)がカリフの地位につき、29歳のイブン・ハズムはまた宰相の地位についた。しかし7週間後、新カリフは暗殺され、イブン・ハズムは三度目の投獄を經驗する。イブン・ハズムは、二たび宰相の地位に上り、三たび獄中の苦しみを味わう。1027年イブン・ハズムはハーティバに難を逃れ、ハーティバの地で『鳩の頸飾り』を書く。
 主著『諸分派についての書』は、ザーヒリーヤ派法學に依拠する比較宗教史の書である。體制に阿諛するマーリク派法學隆盛の時代に、ザーヒリーヤ派法學を信念として體系を構築し、あらゆる処で論爭を巻き起こした。マヨルカ島に難を逃れたが論爭を起こし放逐された。クルアーン原典に厳密に依拠するザーヒリーヤ派は、非密教的法學であるが、密教的神秘主義と矛盾しない。「天啓の書」は、神に至る扉である。
 1064年8月、イブン・ハズムは七十歳でマンタ・リーシャムで生涯を閉じるまでに、運命に翻弄され苦難を甘受しながら、約4百篇の著作を著した。著作の大部分はセビリアで焚書され灰燼に歸した。イブン・ハズムは、思想上の理由から、至るところで激しい迫害を受けた。

■『鳩の頸飾り』
 イブン・ハズムの死後600年後、17世紀、オランダ政府からオスマン・トルコ宮廷に派遣された大使ヴァルナーは、22年間イスタンブールに在任し、古書の蒐集に没頭、その後、膨大な稀覯本はライデン大學に寄贈され、200年の間、圖書館の闇の中に埋もれていた。『鳩の頸飾り』は、19世紀、アンダルシアを専門とするイスラム學者によって発見され、ドズィー『スペイン・イスラーム史』1861に第27章が翻訳された。これはこの世に現存する『鳩の頸飾り』唯一の寫本であるが、完本ではなく抄録である。幻の原本『鳩の頸飾り』は今も行く方が知れない。
 第24章「別離」には荒廃したコルドバに對する愛惜の情が立ち籠め、第27章「忘却」にはコルドバにおける失われた恋の思い出が流麗な文體で時間の狭間にとどめられている。
 『鳩の頸飾り』はイスラム恋愛論の白眉であり、プラトン『饗宴』『パイドロス』の影響を受けている。「現世において切り離された魂の、魂本来の高貴な要素における結合である。」「魂の合一にのみ原因をもつ渇望に根ざす愛」「眞の愛は魂の結合である。」「魂はそれ自體美しいため、あらゆる美を好む。」 (cf.第1章「愛の本質」)
 イブン・ハズム。不遇な天才。不幸な時代に生まれ、あらゆる學藝に通暁する傑出した思想家、彷徨える哲學者である。
 苦難に満ちた生涯が魂を淨化し、淨化された魂が洗練された學問を生み出す。苦悩によって洗練された、高貴な魂のみが生みだす洗練された學問。洗練された美しい書物。
 波瀾に満ちた生涯のように、数奇な運命を辿る著書。八百年の眠りから蘇る不滅の魂。血によって書かれた書物のみが不滅の価値をもつ。
★参考文献
イブン・ハズム黒田壽郎訳『鳩の頸飾り』イスラム古典叢書 岩波書店1975
W・モンゴメリー・ワット黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラーム・スペイン史』岩波書店1976
アンリ・コルバン黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラーム哲学史』岩波書店1974
 第8章アンダルシアの哲学 PP.262-299
サイード・フセイン・ナスル黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラームの哲学者たち』岩波書店1975
 第3章イブン・アラビーとスーフィーたち PP.135-206
井筒俊彦『イスラーム思想史』岩波書店1975
井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書1980
井筒俊彦『イスラーム生誕』人文書院1979
前嶋信次『イスラム世界』河出書房新社1968
前嶋信次『イスラムの蔭に』河出書房新社1975 河出文庫1991
池上岑夫・牛島信明・神吉敬三監修『スペイン・ポルトガルを知る事典』平凡社1992
伊東俊太郎『12世紀ルネサンス 西欧文明へのアラビア文明の影響』岩波書店1993
 12世紀ルネサンスのルートと担い手pp.48-54, pp.160-171
★コルドバの黄昏
★アルカサール
★アルカサール アラブ式庭園
★アンダルシアの白い町
★コルドバ レストランのパティオ
COPYRIGHT大久保正雄 2001.03.28

2016年5月29日 (日)

アンダルシアの光と影 コルドバ 列柱の森メスキータ

Ookubomasao15Ookubomasao16Ookubomasao17Ookubomasao18大久保正雄「地中海紀行」第6回—1 

地中海のほとり、アフリカをさすらい、
ジブラルタル海峡を渉り、戦いに命を賭けた日々。
はるか時を超えて、聞こえて來る。
あなたの憂い、孤独な聲。
地中海の彼方、ダマスカスの薔薇を思い出す。
棗椰子の樹に、降り注ぐ悲しみの涙。
あなたの囁き、西の果てアンダルシアに、
はるか時を超えて、
彷徨う、英雄の孤独な魂が、
寺院の伽藍に結晶する。グアダルキヴィル河のほとり。
アラブの王アブド・アッラフマーン。孤独と意志の結晶。
英雄の死の上に、壮麗な寺院は立つ。

【地中海人列伝-5】アブド・アッラフマーン1世
 アブド・アッラフマーン(Abd al-Rahman・731-788)は、ダマスカス郊外で生まれる。ウマイヤ朝第10代カリフ・ヒシャームの孫である。
 シリアのダマスカスから、地中海、アフリカを経て、アンダルシアに來り、756年ウマイヤ朝を再興、コルドバを首都にする。
 750年アッバース朝がイラク全土を制圧し、ウマイヤ朝が滅亡した。この時、二十歳の若者であったアブド・アッラフマーンは、ウマイヤ一族が虐殺されるなか、身を潜めて死を免れた。「長身で、眉目秀麗、決断力と教養を有し、誇り高く不屈の気性の持ち主」である。五年間、地中海のほとり、ベルベル人の間をさまよい歩く。崩壊したウマイヤ王朝を何処かの地で再興するという使命が、苦難に満ちた逃避行のなかで、魂を根底から支えていた。アッバース家の黒旗の追撃を逃れ、ユーフラテス河を泳いで對岸に渡った。パレスティナで庇護者を見つけ、アッバース家の威令のいまだ届かぬ北アフリカに逃れ、755年モロッコに辿り着く。756年ジブラルタル海峡を渡って、グラナダに到着した。当時、アル・アンダルスは指導者を欠き混沌とした状態にあった。
 アブド・アッラフマーンはムスリムを糾合、緑の旗を立ててコルドバへと進撃して、756年五月、アミール・ユースフの抵抗を撃退し、首都コルドバに入城、後ウマイヤ朝を創始した。ベルベル人の反亂やアッバース朝が糸を引く反亂を鎭めて王朝の礎を築く。シャルルマーニュ(=カール大帝742-814)がイベリア半島のサラゴサに進撃して来るとこれを迎撃、ピレネー山脈の狭隘な隘路を追撃し、フランク軍に打撃を与えた。サラゴサの領有をめぐるシャルルマーニュとの戦いは、武勲詩『ロランの歌』に歌われている。
 アブド・アッラフマーン1世の生涯は、戦いに明け戦いに暮れた人生である。755年五月アミール(総督)軍とコルドバで戦い、763年アッバース朝遠征軍と戦い、778年サラゴサ攻略をめざすシャルルマーニュ軍と戦う。32年間の戦いの果てに、周囲から恐れられ、孤独な老境に入る。
 歴戦の英雄、「クライシュ族の鷹」と謳われたアブド・アッラフマーンは、放浪と戦いの人生の果てに、望郷の念に駆られ、故郷ダマスカスの棗椰子の樹を離宮の庭に植えさせた。離宮の名はアル・ルサーファ(al Ruzafa)とよび、ウマイヤ家の夏の離宮があった思い出の地の名である。勝利と榮光の果てに、聡明なアブド・アッラフマーンは、深い孤独を感じた。アンダルシアの涯てから、はるか地中海の彼方、アラビア半島、故郷ダマスカス、ウマイヤ・モスクを回想した。785年、孤独なアラブ王は異郷の地で望郷の想いを癒すために、グアダルキヴィル河河畔に、メスキータの建設を始めた。
 英雄の死の上に、壮麗な寺院は立つ。
【大理石の列柱の森】メスキータ
 メスキータ(Mezquita)は、闇の中に広がる列柱の森。世界で最も壮麗な内部空間。闇のなかの列柱の森に、空から光が降る。林立する列柱の間に、木洩れ日のように、微光が降り注ぐ。世界で最も美しい闇である。人は、この空間に足を踏み入れると、迷宮のような854本の柱の森に迷い込み、魂は宇宙の根源に歸り、融けこむ。
 メスキータは、イスラーム・スペイン建築の最高傑作である。アンダルシアの地に後ウマイヤ王朝を創始したアブド・アッラフマーン1世(731-788)が、785年、望郷の念に駆られ、故郷ダマスカスのウマイヤ・モスクを回想して起工した。アブド・アッラフマーン1世は着工後2年にしてこの世を去る。死後1年、789年ヒシャーム1世(788-796)によって完成された。第1次建築は、オレンジの中庭とアラブ様式の多柱式礼拝堂からなる長方形プラン(平面圖)の石造建築である。その後、アブド・アッラフマーン2世(822-852)、アル・ハッカム2世(961-976)、アル・マンスール(978-1002)によって、987年まで4次に亙り増築工事が重ねられた。現在の規模に至るまで、200年の歳月を要した。
 免罪の門に入り、オレンジの中庭を抜けると棕櫚の門がある。棕櫚の門を通り多柱室を経て南にミフラブがある。棕櫚の門とミフラブを結ぶ軸線はメッカの方角を指し示す。
 大屋根を支えるためコリントス樣式円柱にピアを重ね、その上に白い石と赤煉瓦による縞模様の二層アーチ(馬蹄形アーチ、半円形アーチ、多弁形アーチ)を載せる。二層アーチの発想は、ローマの水道橋による。モザイク、漆喰細工によって華麗に装飾されたミフラブ(壁龕)が八角形プランの小房に設けられる。
 馬蹄形アーチは、西ゴート美術起源の伝統を継承する樣式であり、東方起源の動物文樣、植物文樣、イスラーム美術特有の執拗にして陶酔的なアラベスク模樣の反覆リズム、幾何学模樣が摂取・合一されている。西ゴート樣式とアラブ樣式が融合した樣式はモサラベ樣式と呼ばれる。
 ローマ、ヘレニズム、西ゴート、ビザンティン、アラブ、ペルシア、樣々な美術樣式が、一つの建築に融合されている。地中海に興亡した二千年の文明史が、此処に融け合い寺院の形象として現れる。
 1236年カスティーリア王フェルナンド3世のレコンキスタ(再征服)によってキリスト教の大聖堂(カテドラル)に転用された。1523年キリスト教徒によってゴシック樣式の教会への改築が行なわれ1750年に完成した。破壊的改築が行なわれ、無慚な姿を曝している。レコンキスタの愚擧である。1400本あった美しい大理石の柱は、現在854本を残すのみである。
 メスキータ列柱の間は、ギリシア、エジプト、ペルシア、地中海地域における多柱室(ヒュポステュロスhypostylos)の構造である。例えば、パルテノン神殿の周柱式(ペリステュロスperistylos)神殿の理念的構築と根本的に異なる。ルクソールのカルナック神殿、アブシンベル神殿大列柱室、ペルセポリス・百柱の間、林立する列柱の間は、神的精神が漂う神聖な空間である。1525年神聖ローマ皇帝カール5世はメスキータを「この世界の何処を訪ねても、他にはないもの」と言った。外観の建築ではない内部空間の建築である。多柱空間は、構築的であることを否定し、非構築的な無限の反復、美しい迷宮のなかに現身の魂を包みこみ、魂は生命の源に歸り蘇る。
 壮麗な寺院の誕生は、英雄の死によって贖われる。

参考文献
(1)タキトゥス国原吉之助訳『年代記』世界古典文学全集22筑摩書房1965
(2)スエトニウス国原吉之助訳『ローマ皇帝伝』上・下 岩波書店1986
(3)セネカ 茂手木元蔵訳『人生の短さについて』岩波文庫1980
(4)クリス・スカー著 青柳正規監修『ローマ皇帝歴代誌』創元社1998
(5)前嶋信次『イスラム世界』河出書房新社1968
(6)前嶋信次『イスラムの蔭に』河出書房新社1975 河出文庫1991
(7)安引宏・佐伯泰英『新アルハンブラ物語』新潮社1991
(8)佐藤輝夫訳『ローランの歌』ちくま文庫1994
(9)隈研吾『新・建築入門 思想と歴史』ちくま新書1994
(10)川成洋『図説スペインの歴史』河出書房新社1993
(11)池上岑夫・牛島信明・神吉敬三監修『スペイン・ポルトガルを知る事典』平凡社1992
★アルミナールの塔
★ローマ橋とコルドバの町
★メスキータ 列柱の間
★メスキータ
★メスキータ
COPYRIGHT大久保正雄 2001.2.28

2016年5月28日 (土)

哀愁の大地スペイン 西方の真珠コルドバ

Ookubomasao11Ookubomasao12Ookubomasao13Ookubomasao14大久保正雄「地中海紀行」第5回

黄昏のアンダルシア。
眞珠の輝き、コルドバ。
輝き亙る蒼穹の下に、
輝きの都は眠る。いにしえの愁いを忘れて。
アル・アンダルスの殘照を曳き、
黄昏の光が満ちて來る。
ローマ橋に佇み、光と風のなかを、歩む。
私は黄昏の旅人である。
夕日を浴びるコルドバの丘の上、
ローマ帝國の末裔、美しい乙女は、
美しい瞳で、異國の旅人に微笑む。
光満ちる時、黄昏のアンダルシア。
月の輝く美しい夜。王妃の面影に似た美しい宮殿は幻。
瞬く星のように、暗闇の中に燦めく眞珠の輝き、コルドバ。
魂を魅了する地、アンダルシア。

【夜間飛行】
 ヴェガ・シシリア・ウニコ(Vega Sicilia Unico)*の盃を傾けると、スペインの哀愁が瞼に蘇る。地中海の三位一体を生む、オリーブ林、小麦畑、葡萄畑の彼方に、荒れ果てた大地が目に浮かぶ。この世界の片隅で不遇に甘んじて生きる詩人と、この葡萄酒を飲む時、スペインの憂いが紫の雫となって滴り、心のなかで木霊する。歸りたい。しかし、何処へか。
 春の宵、雪降るチューリッヒから、スイス航空でリスボンに向かって飛び立った。飛行機の中で、スチュワーデスが持って来たカヴァを飲むと、グラスの泡立ちのなかで、地上の苦悩が泡のように融けて行く。夜空の下に広がるスペインの大地。スペインの都市が、絶海の孤島のように、漆黒の闇の中に、煌き輝く。スペインの空を飛行したサンテグジュペリを思い出す。地中海の空に消えたサンテグジュペリ(1900-1944)。その孤独な魂が、イベリア半島を超えてモロッコへ飛行したのはトゥールーズ・ダカール路線。1926年から1929年である。飛行機がリスボンに着いたのは眞夜中である。そこはすでに春であった。ポルトガルの古城には可憐な花が咲き乱れている。
 東の果てから來た旅人の心に、イベリア半島が、強いノスタルジアを懐かせるのは何故か。地中海文明は、ヨーロッパの大地に広がり、瀧のように流れ落ちる。東の果てはロシア、西の果てはスペイン。地の果てには、哀愁の地がある。戦いの果てに流された夥しい血。英雄の遺恨と詩人の怨念が、乾いた大地(La Mancha)に染み込み、零り積もる。
 イベリア半島では、地中海の三位一体は、オレンジの樹林、アーモンドの木々、葡萄畑から成る。早春のスペインは、街路樹のオレンジが実り、アーモンドの花が桜のように咲き乱れる。
*[cf.ヴェガ・シシリア・ウニコ(Vega Sicilia Unico. Gran Reserva)は、ドゥエロ河流域リベラ・デル・ドゥエロ(Ribera del Duero)の銘酒である]

【哀愁の大地、スペイン】
 地中海、アフリカ、ピレネー山脈の東から、イベリア半島には、樣々な種族が、往き來した。イベロ族、原バスク人、ケルト人、ギリシア人、フェニキア人、ローマ人、イベロ・ローマ人、ゲルマン人(スエヴィ族、アラン族、ヴァンダル族)、西ゴート族、ベルベル人、アラブ人。多種多樣の民族が越境、渡來、移住、荒野で死闘を繰り広げ、先住民族を征服し、また征服された。征服者(conquistador)の勝利と榮光の影に、征服された者の血と涙がある。
 711年7月、グアダレーテ河の戦いで戦死した、
 西ゴート王國、最後の王ロドリーゴの無念の血涙。
 1492年1月2日、グラナダ王國、ナスル朝最後の王ボアブディルが、
 愛するアルハムブラから離れ去る時、流す惜別の涙。
 アルフォンソ6世の逆恨みによりカスティーリア王國を追われ、
 生涯、亡命者として生き、1099年、異郷バレンシアで果てた、
 英雄エル・シドの流す遺恨の涙。
 1936年フランコ派により銃殺され、38年の余りにも短い生涯を終える、
 アンダルシアを愛した詩人ガルシア・ロルカ。
 いま此処に在る國家の滅亡を心から願う。死せる英雄の魂。
 地の底から、恨みの血が迸る。
 大地が吸った血は、消滅せず。凝結して、復讐を呼ぶ。
 劫罰が下るまで、罪を負う者は、罪責の疼きに、堪えねばならぬ。
 流血は流血を呼び、復讐は復讐を招く。
 だが、恨みの血は、土に埋もれて、千年の後、玉髄となる。
 知恵は傷の裂け目から花開き、美は生命を生贄にしてのみ生まれる。

【コルドバ 西方の眞珠】
 いつまでもそこに佇み、いつまでも眺めていたい風景がある。
 グアダルキヴィル河の對岸から、ローマ橋の彼方にメスキータを眺める、黄昏時。アンダルシア地方で、最も美しい都コルドバ。
 ローマ橋に佇むと、ローマ帝國時代、榮光のコルドバが蘇る。ヒスパニアは、五賢帝時代、二人の皇帝、トラヤヌス帝、ハドリアヌス帝を生みだした。また哲人皇帝マルクス・アウレリウスの祖父マルクス・アンニウス・ウェルスは、コルドバ郊外出身の貴族である。
 コルドバは、イスラーム・スペイン王朝、後ウマイヤ朝アル・アンダルスの時代(756-1031)に黄金期に達する。
 コルドバには、ローマ帝國、西ゴート王國、後ウマイヤ朝アル・アンダルス、カスティーリア王國、数々の國家が君臨し、そして滅亡した。
 コルドバは多くの哲學者、文人を生み出した都市である。ローマ時代には、セネカ(BC4-AD65)がこの地で生まれ、ネロの家庭教師となり、執政官補佐官、皇帝ネロの後見人となった。その千年後、この地に、イスラーム哲學史に不朽の名をとどめる哲學者たちが生まれた。11世紀、イヴン・ハズム(994-1064)は名著『鳩の頸飾り』を殘し、12世紀、イブン・ルシュド (アヴェロエス1126-98)は、膨大なアリストテレス注釈書と『哲學と宗教の調和』を殘した。
 イスラーム哲學史第一期の頂点は、イブン・スィーナー(アヴィセンナ980-1037)とイブン・ルシュドである。イブン・ルシュドは、アリストテレス主義の立場から、イブン・スィーナーにおける新プラトン主義を批判した。そしてイブン・ルシュドは、若きイブン・アルアラビー(1165-1240)とコルドバの家で出会い、決別した。二人の對決の根底には思弁哲學と神秘哲學の對立があった。
 コルドバの魂の結晶はメスキータである。メスキータは林立する八百五十本の列柱を蔵する。古代ローマ時代にはこの場所に神殿が建っていた。古代ギリシアから運ばれてきたコリントス樣式の列柱の上に、785年、後ウマイヤ朝時代にイスラムの赤白二色の二重アーチが組み立てられイスラム寺院となる。メスキータとは、モスクの意であり、跪く所=広間を意味する。イスラム寺院は広間と光塔(ミナレット)があれば成立する。さらに13世紀、レコンキスタ(再征服)の後、1236年キリスト教のカテドラルが作られた。メスキータの建築を見るとき、人はヨーロッパの時の流れを見るのである。メスキータの内部は、大理石の列柱の森であり、空から微光が舞い降りる、荘厳で神秘的な空間である。大理石の列柱の間は椰子の枝が交差する暗闇のオアシスである。世界で最も壮麗な内部空間。移ろう二千年の時の流れを超えて、偉大な精神の結晶が此処にある。
 いつまでもそこに佇み、いつまでも眺めていたい風景がある。

【スペイン史 多民族の邂逅と死闘の舞台】
 イベリア半島の歴史は、前期石器時代に始まる。有史以後、紀元前900年頃、印欧語族の諸民族がピレネー山脈を越えてイベリア半島に侵入。カザフ・キルギス起源のケルト民族が平原より侵入、イベロ族と混血し、ケルト・イベロ族を形成した。スペインには、ローマ帝國、西ゴート王國、後ウマイヤ王朝、ナスル王朝、カスティーリア王國、樣々な國家が榮華を極め、滅亡した。
 イベリア半島は、その後1479年フェルナンド2世が即位、カスティーリア王國・アラゴン王國、共同統治開始。1492年グラナダ王國陥落、ナスル王朝滅亡。イスラーム・スペイン八百年の歴史が終焉する。1516年、狂える王女ファナの皇子カルロス1世が即位、ハプスブルク王朝が始まる。1700年カルロス2世没。ブルボン王朝によるスペイン支配開始。1808-1814年スペイン獨立戦爭。1873年第1共和制成立。1876年再びブルボン王朝がスペインを支配。1931年第2共和制成立。1936年7月17日、夕方スペイン領モロッコでスペイン内乱が勃発、スペイン全土に拡大し、39年4月1日終結。1940年フランコ獨裁政権が成立。1976年ファン・カルロス1世が民主政を樹立する。
 数々の王朝が榮え、滅亡したスペイン。荒野に花咲く夢と絶望。哀愁の大地スペイン。愛と憎しみのアンダルシア。だがスペインの苦悩と涙は、人類史に不朽の藝術を殘した。  アンダルシアの魂の結晶は、見える形においては、メスキータとアルハムブラにある。  美は価値を測る尺度の一つである。だが美そのものは見えない。地上に於ける美しいものはすべて滅びる。アンダルシアの建築は、滅びるものの美しさ、存在するものの悲しみを湛えている。
 アラブの迷路を歩き、パティオに現れた地上の樂園に佇む時、歴史が織りなす光と影の間から、滅びるものの美しさが、私の心を魅惑する。

参考文献
(1)W・モンゴメリー・ワット 黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラーム・スペイン史』岩波書店1976
(2)アンリ・コルバン 黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラーム哲学史』岩波書店1974
(3)サイード・フセイン・ナスル 黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラームの哲学者たち』岩波書店1975
(4)井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書 岩波書店1980
(5)井筒俊彦『イスラーム思想史』岩波書店1975
(6)イブン・ハズム 黒田壽郎訳『鳩の頸飾り』イスラム古典叢書 岩波書店1975
(7)ワシントン・アーヴィング 平沼孝之訳『アルハンブラ物語』上下 岩波文庫1997
(8)長南実訳『エル・シードの歌』岩波文庫1998
(9)ガルシア・ロルカ 牛島信明訳『血の婚礼』岩波文庫1992
(10)南川高志『ローマ五賢帝「輝ける世紀」の虚像と実像』講談社現代新書1998
(11)池上岑夫・牛島信明・神吉敬三監修『スペイン・ポルトガルを知る事典』平凡社1992
(12)川成洋『図説スペインの歴史』河出書房新社1993
★黄昏のコルドバとグアダルキヴィル河
★黄昏のコルドバ
★ローマ橋とメスキータ
★オレンジの中庭
COPYRIGHT大久保正雄 2001.1.31

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