トレド、時が歩みを止めた町
渺茫たる大地、
荒野に聳えるアルカサール、
白銀の輝きカテドラル。
乾いた大地に屹立する城塞都市、トレド。
荒れ果てた大地に孤立する孤島のごとく、
覇権を競う、覇者の榮耀は儚く、
タホ河の濁流に、悠久の時は流れ、
雲は叫び、大地は沈黙する。
赤い瓦屋根が重なり、
アラブの迷路が縦横にめぐる、16世紀の町。
寺院の伽藍の下に、
時は止まる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
【時が歩みを止めた町】
天と地の間に、絶對の沈黙がある。
風が吹き静寂が支配する丘。荒涼たるスペインの大地。
輝く蒼空が果てしなくつづく、乾いた大地(La Mancha)に対峙する、カスティーリアの荒野。碧空にトレドの雲が咆哮する。愛と復讐の大地、カスティーリア。
地中海文明が流れついた最果ての地。ローマ人が築いた難攻不落の城塞都市トレド。クレタ島から地中海を渡りやって來た内なる炎の画家、エル・グレコ終焉の地。黄金世紀の都。時が歩みを止めた町、トレド。
夕暮の輝ける闇。エル・グレコの輝ける闇。悲愴な美しさを秘めた空に、スペインの悲しみと高貴がある。カスティーリア王國、スペイン帝國の束の間の都。
荒れ果てた大地と絶對王制の下、スペインの貧困がある。飢餓と枯渇の中で、夢見ることなくして、人は生きてゆくことはできない。あらゆる希望が死に絶えた絶望の極み、人は夢見ることなしには、生きて行くことはできない。渺茫たる乾いた大地を、旅する者の寂寥。茫漠たる飢渇した広原の上を流れる、片雲を見つめながら流離う旅人。
太陽の門(Puerta del Sol)をくぐり坂道を上ると、旅人は、四百年前の世界に迷い込む。城門の中には、中世の迷路が張り巡らされている。
4百年の時の流れが止まった町、トレド。
【荒野を旅する者】
荒野を旅する者は、方向を見失わず、生きる意志を持ちつづける精神力が必要である。たとえ幻であっても、崇高な目的を達成するために、自己を信じて生きなければならない。逆境に苦しみ、貧困に喘ぎながらも、崇高な仕事を成し遂げる者は偉大な者であり、眞に英雄の名に値する。弱肉強食の競争社会の砂漠、管理社会の密林のなかで私利私欲を貪る猛獣、官僚主義の狐の餌食となることなく生き抜き、崇高な目的を達成するためには、強靭な意志が必要である。偉大であるためには、あらゆる自分の運を余す所なく利用する術を知らねばならない。
エル・シードは、カスティーリア貴族の嫉妬により、讒言され陥れられ、王の私怨を受け、二度追放刑に処され、故國を追われた。鎧に身を包み、60騎の騎士を率いて荒野を疾駆し、バレンシア・モーロ王國と戰い占領、富と名聲を獲得。宮廷貴族に復讐を遂げた。
緑が萌え出る春、咲き誇るアーモンドの木の下に立ち、思い出す。夢に満ちた時代。今、人生の道半ばにして立ち止まり、静寂のなかで思う。運命に翻弄され苦難に耐え、死の中から蘇る不屈の精神。愛は死よりも強い。
【暁の夢】
春の暁、目覺めると、黎明の空に鳥の囀りが聞こえる。窓から紅い瓦屋根が見える。トレドの頂上、斷崖の上に立つホテル。窓から目の前にアル・カサールが見え、南に糸杉が生える丘が見える。暁の夢の中で私は、イタリアの丘陵にいた。
目覺めたばかりの意識は、記憶の迷路に彷徨う。折り重なる紅い瓦屋根が見える。此処は、中國の古都か、アラブの町か、東洋か西洋か、心は眩惑する。昧爽の空気の中で、記憶の果てに光芒が燦めく。魂の涯てに、思い出す。遠い旅路の記憶。
時は、中世か、20世紀か。魂は、時の迷路を彷徨う。魂は、生と死の秘密を知るために、輪廻転生して探求をつづける。生と死を超えた、果てしない魂の旅。不滅の魂は、生まれ変わり、不屈の意志を成し遂げる。
【トレド史】
紀元前190年、ケルト・イベロ族を征服したローマ人は丘の上に都市を建設し、トレトゥム(Toletum)と名づけた。ローマ帝國以降、16世紀、黄金世紀(Siglo de Oro)に至るまでイベリア半島における多民族が抗爭する舞台となった。
トレドが歴史の舞台に浮上するのは、ローマ帝國末期。397年に第3回司教会議(397-400)が、此処で開催された時からである。トレド教会会議は、西ゴート族支配下のスペインの首都トレドで702年まで18回開かれる。507年イベリア半島の支配権が、ローマからゲルマン人の西ゴート族に移る。西ゴート王アタナヒルド(在位554-567)は560年に宮廷をトレドに定めた。トレドは、711年、西ゴート王國崩壊まで、150年間イベリア全土の政治的中心地となり、聖俗両界に跨って君臨する。
711年、西ゴート王國崩壊。トレドは1031年まで後ウマイヤ朝(756-1031)アル・アンダルスに属する。1085年アルフォンソ6世は、トレド・モーロ王國を包囲して占領。トレドは11世紀末以後、カスティーリア王國領となる。
中世末期から近代初期、トレドはブルゴス、アビラ、セゴビアと並びカスティーリアを代表する都市であった。定まった首都をもたず放浪するカスティーリア王國の宮廷の一時的な滞在地となった。1561年フェリペ2世(1527-98)はそれまでトレドにあった宮廷をマドリッドに移し、二度と戻って來なかった。「16世紀で歩みを止めた町」トレド。
「太陽の沈むことなき帝國」ハプスブルグ・スペイン帝國、ヨーロッパ最強の國の首都となったマドリッドは急速な繁榮を遂げ、トレドは凋落した。フェリペ2世はマドリッドに王宮を建て、マドリッド郊外にエル・エスコリアル離宮、アランフェス離宮を建設、富と権力を誇示した。
1577年、画家エル・グレコがこの都市に住みついた。クレタ島生まれのギリシア人エル・グレコの神秘主義は、荒野に榮える城塞都市トレドで、炎のごとき傑作を殘した。
【傾國の美女】フロリンダ・ラ・カバ
イベリア半島における西ゴート王國は、507年に誕生し711年に滅亡するまで26人の國王が即位した。西ゴート王國滅亡の原因となる傾國の美女の物語がある。
フロリンダ・ラ・カバは、トレドで最も美しい女性であると詩人に歌われていたが、近づくことは至難の技であった。彼女は北アフリカのセウタ総督、ロドリーゴ王の腹心の友フリアン伯爵の娘で、トレドの宮庭に出仕していた。王は好意を抱き、愛人にしたいと申し出ていたが拒否されていた。
ロドリーゴ王(Rodrigo.?-711.在位710-711)は狩の歸り、八月の月の輝く夜、タホ河で若い女性たちが水浴びしているのを見た。そのなかに一人の美しい娘がいた。フロリンダであった。月光の下、フロリンダはタホ河の水で凝脂を洗い、白い膚、綺麗な眸、しなやかな細い腰、閉月羞花、ヴィーナスのような姿は、魂を奪うほど美しかった。
余りにも美しすぎるため、王は、多くの愛人がいるにも拘らず情欲に負け、剣で一撃を加え、娘を気絶させ誘拐した。辱めを受けたフロリンダは腹心の小間使いをセウタに派遣し、父に事件の經緯を知らせた。 フリアン伯爵は、娘の名譽回復を要求し王妃にするよう迫るが、王に嘲笑される。激怒したフリアンは、セウタに戻りイスラーム軍の司令官ターリク・ブン・ジャードと共謀、セウタ城の城門を開き、イスラーム軍がたやすくジブラルタル海峡を渡れるように布石した。このようにしてフリアン伯爵はロドリーゴ王に對する復讐を果たした。
西ゴート王國最後の王ロドリーゴは、711年7月、グアダレーテ河の戦いで味方に裏切られ、最期を遂げる。これが西ゴート王國の滅亡である。
【英雄エル・シード】
カスティーリア王國は、1037年フェルナンド1世(1016-65)の時、レオン王國を継承して一大王國となった。しかし王の死後、遺言によって領土は三人の王子に分割された。サンチョ皇子はカスティーリア國を、アルフォンソ王子はレオン國を、ガルシア王子は、ガリーシア伯領を相續した。が、その結果、兄弟間に領土爭奪をめぐる骨肉の爭いが生じた。
名將エル・シード(El Cid.1043-99)指揮する屈強なカスティーリア軍は、レオン軍を撃破。アルフォンソ6世(1040-1109)は、トレド・モーロ王國へ逃走した。しかし城塞都市サモーラを包囲、攻撃中、サンチョ2世王は謀殺され、カスティーリアは、レオン王アルフォンソ6世を國王として迎えざるを得なくなる。アルフォンソ王は、ガリーシア伯領をも奪い、父フェルナンド1世の遺した領土を再び統一した。1109年まで生涯、カスティーリア・レオン王として君臨し續ける。
エル・シードは、サンチョ王から寵愛を受け、王が弟アルフォンソ王と戰った時には、司令官として見事に勝利した。サンチョ王が謀殺されると、亡き王の寵臣として、アルフォンソ王をカスティーリア國王として受け入れる条件として、王に身の潔白を神の前で宣誓させた。エル・シードは三度潔白を問い、アルフォンソは三度蒼白になった。王は、エル・シードを知恵と勇気に優れた騎士として用いながら、心中深く怨恨をいだく。
1081年、エル・シードは、嫉妬するガルシア・オルドーニュス伯に讒言され、激怒した王はエル・シードを國外追放刑に処した。アルフォンソ王はエル・シードを一度許したが、1089年、激怒した王は再び追放刑に処した。
1094年バレンシア攻略後、エル・シードはアルフォンソ6世に戰利品を献上、王はエル・シードの刑罰を赦す。エル・シードはタホ河に臨む都トレドで王と對面、正式に罪を赦された。
王は、カリオン伯爵公子兄弟の懇願によりエル・シードの娘たちとの結婚の媒酌を申し入れ、二人の娘と公子兄弟の婚礼が擧行される。
だが、バレンシアで、娘婿たちは檻から出た獅子を見て逃げ隠れ、怯懦な性格を見抜かれる。兄弟は深い恨みをいだき、意趣晴らしを企てる。エル・シードの財産を目当てに結婚した彼らは目的を達し、歸國の途につく。コルペスの森の中でカリオンの兄弟は、エル・シードの娘たちを虐待して、私怨を晴らす。二人の肌着は破れ、柔らかな肌が切り裂かれ、絹の薄衣の上にまで、鮮血が滲み出た。姉と妹は胸の中が張り裂け、血潮の吹き出る苦しみに喘いだ。樫の木の森に、瀕死の姿で置き去りにされた息も絶え絶えの姉妹は、薄絹の肌着だけを身につけて、猛禽や野獣の餌食になるのを待つばかりであった。
エル・シードがカリオン兄弟に對して報復する。エル・シードは王に公開裁判を提訴、アルフォンソ臨席の宮廷会議がトレドで召集され、決闘裁判で決着することが決定される。カリオンの沃野、決闘裁判において、三人の騎士たちはカリオンの三兄弟を相手に戰い打ち倒し、エル・シードは名譽を回復した。離婚が成立した二人の娘たちは、アラゴンとナバラの王子たちと再婚。悲運の英雄エル・シードの血は、スペイン王家に流れる。
★参考文献
W・モンゴメリー・ワット黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラーム・スペイン史』岩波書店1976
フアン・カンポス・パヨ『魅力の街 トレド』アルテス・グラフィカス・トレド1982
神吉敬三『プラドで見た夢』小沢書店1980
神吉敬三『巨匠たちのスペイン』毎日新聞社1996
長南実『エル・シードの歌』岩波文庫1998
セルバンテス牛島信明訳『ドン・キホーテ』岩波文庫2001
ユネスコ世界遺産センター編『ユネスコ世界遺産10 南ヨーロッパ』講談社1996
地中海学会編『地中海歴史散歩1スペイン』河出書房新社1997
川成洋『図説スペインの歴史』河出書房新社1993
池上岑夫・牛島信明・神吉敬三監修『スペイン・ポルトガルを知る事典』平凡社1992
★夕暮のトレド
★トレド パノラマ
★糸杉の丘から見るアルカサール
★タホ河とサンファン・デ・ロス・レイエス教会
★ラ・マンチャの夕暮
★コンスエグラの丘
COPYRIGHT大久保正雄 2001.05.30
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