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地中海

2023年10月 6日 (金)

「永遠の都ローマ」2・・・フォロ・ロマーノ

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第343回

古代ローマ、古代アテナイ、ルネサンスのフィレンツェ、コンスタンティノープル、もし自由に、古今東西の都市の学校を選ぶ、師匠を選ぶことができるならば、どの地、どの師を選ぶだろうか。19世紀ウィーンを選ばないだろう。
【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質である】【先生を選ぶ】師が優れているか否かが最も重要な要素である【学びの違い】学校、大学では先生を選べない【先生が持っている地図の大きさ】【先生が持つ基礎認知力、先生が持っている体系】空海は、大学寮明経科に入学したが退学、山林修行の旅に出る『聾瞽指帰』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
フォロ・ロマーノを歩くと、夕暮れの光の中に、古代ローマの英雄たち、アントニウス、クレオパトラ、ローマ皇帝、ボッティチェリ、レオナルド、ラファエロ、ミケランジェロ、憂いの藝術家、ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ、メディチ家の雄姿、いにしえの人の記憶が蘇る。
カピトリーノの丘、カンピドリオ広場、フォロ・ロマーノ、サトゥルヌス神殿、セプテイミウス・セベルスの凱旋門、コンスタンティヌス帝の凱旋門、コロッセオ、皇帝ネロの黄金宮殿(ドムス・アウレア)、トラヤヌス帝の記念柱、パラティーノの丘、コンスタンティヌス帝の巨像、ここは、ローマ帝国の中心地である。
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【サトゥルヌス神殿】フォロ・ロマーノのカンピドリオ広場の一角に立つ8本のイオニア式円柱は、サトゥルヌス神殿跡。サトゥルヌスはローマ神話の農耕神で、ギリシア神話の巨人族の神クロノスと同一視される。土星の守護神です。かつてここに古代ローマの国家金庫、アエラリウム・サトゥルニがあった。古代ローマ暦およびユリウス暦の12月17日から12月23日、ここでサトゥルナリア祭が祝われていた。建設時期 紀元前501年、建設者 タルクィニウス・スペルブス。
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【ネロ、本当に暴君か】タキトゥス「年代記」「同時代史」「ゲルマニア」、スエトニウス、カッシウス・ディオ、著名な歴史家の記述によると必ずしも暴君ではない。暴君の人物像は、ポーランドのノーベル文学賞作家ヘンリク・シェンキェヴィチの小説「クォ・ヴァディス」がネロの悪行やキリスト教徒迫害の様子を描き、これが映画化され、悪役イメージが定着した。
【名君、皇帝ネロ】第5代ローマ皇帝ネロ(紀元37~68)は、類いまれな「暴君」として知られる。母を殺害し、キリスト教徒を迫害し、芸術に心を奪われた末に自ら命を絶ったその人生は、小説や映画に描かれた。ところが、その暴虐無人ぶりは虚像に過ぎず、実は帝国繁栄の基礎を築いた「名君」だった。
【ネロ】「皇帝が女神の神殿に足を運び、果てしなき黄金の輝きを発した」64年にポンペイを訪れたネロをたたえる詩編。ネロの2人目の妻ポッパイア・アビナはポンペイの出身で、ネロもしばしばこの街を訪れた。ネロの死から11年後の79年、後方にそびえる火山ヴェスヴィオ山の噴火によってポンペイは火山灰の下に埋もれた。
【ハドリアヌス帝、本当に名君か、恐怖政治、残虐にして寛容】
【マルクス=アウレリウス=アントニヌス】(在位161~180)軍人、政治家であるとともにストア派の哲学を学び自ら『自省録』を著す。哲学者としてもすぐれていたが、パルティアとの戦争に苦しみ、さらにゲルマン人の大規模な侵入が始まり苦戦が続く中、ウィンドボナ付近で病没。実子のコンモドゥスが帝位を継いだが悪政を行い、殺害される。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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五賢帝時代、ネルウァ(在位96~98)、トラヤヌス(在位98~117)、ハドリアヌス(在位117~138)、アントニヌス=ピウス(在位138~161)、マルクス=アウレリウス=アントニヌス(在位161~180)。帝位は、前帝の養子が元老院の承認を受けて継承された。
【ハドリアヌス帝、恐怖政治、残虐にして寛容】皇帝ドミティアヌスが暗殺されて【ネルヴァ】が皇帝になった。そしてそのネルヴァも即位後1年ほどで死す。次の皇帝はハドリアヌスの後見人である【皇帝トラヤヌス】25歳になったハドリアヌスはクルスス・ホノルム(名誉あるコース)と言われるクワエストル(会計検査官)に当選しその後はトラヤヌスに従ってダキア戦争に従軍、ここで十分に戦功を挙げプエラトル(法務官)に当選、ここで属州総督の就任資格を得るとパンノニアインフェリオール(遠パンノニア属州)総督の地位へと昇り詰める。この時31歳【ハドリアヌスの皇帝就任】にはトラヤヌスの皇后であるプロティナの意向が強く働いた。【トラヤヌス暗殺事件】トラヤヌスの死に目にあったのは4人。妻であるプロティナ、姪のマティディア(ハドリアヌスの妻の母)、近衛軍団長のアティアヌス(ハドリアヌスの後見人)、皇帝付きの医師。トラヤヌスの側近であった4人は殺害された。ハドリアヌスは近衛隊長であるアティアヌスが勝手にやったと弁明した。「ハドリアヌスは残虐にして寛容、厳格であるかと思えば愛想が良く、一貫していないことだけが一貫していた」と歴史家は語る。【暴君、ハドリアヌス】はユダヤ教徒を徹底的に弾圧した。永遠の都エルサレムにはユダヤ教徒は立ち入り禁止にし、殺害されたユダヤ教徒は50万人。48歳のローマ皇帝ハドリアヌスが15歳ぐらいのギリシアの少年アンティノウスを愛した。アンティノウスがエジプトで溺死した時には人目をはばからず女性のように泣いたという。溺れた川のふもとにアンティノポリスという都市を作る。【ローマ法大全】ハドリアヌスはユスティニアヌスの600年ぐらい前にローマ法を大全化した。【パンテオン】ハドリアヌス帝の時代に再建された。建設したのはアウグストゥスの片腕であるアグリッパだが、現在の形に再建したのがハドリアヌス。【恐怖政治、ハドリアヌス】はティベリウスほどの恐怖政治はではないが、トラヤヌスの4人の腹心たちと後継者問題においては粛正を断行している。フスクスに死を強要した理由は不明である。アエリウスの代わりに後継者としての白羽の矢が立っていたのがマルクス・アンニウス・ヴェルスという16歳の少年だった。この少年が後の【マルクス・アウレリウス・アントニヌス】。ただ皇帝になるには若すぎたので、ハドリアヌスはアントニウスという50歳ぐらいの男を呼び、アンニウスを養子にすることを条件に自分の養子にすることを告げた。このアントニウスこそが5賢帝の4人目【アントニウス・ピウス】である。南川高志『ローマ五賢帝』1998、2014 講談社学術文庫p.222-224
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【たセプティミウス=セウェルス帝】コンモドゥスが192年に暗殺された後、2~3年の混乱の後に、軍事政権。146年生まれ(在位193~211)65歳で死す。
【暴君、カラカラ帝、享年29】ローマ帝国の五賢帝時代に続き、セウェルス朝を始めたセプティミウス=セウェルスの子で帝位を継承。在位211~217年。本名はマルクス=アウレリウス=アントニヌス(五賢帝の最後の皇帝と同じ名前だが関係はない)で、父の遠征先の属州ガリアのリヨンで生まれた。いつも着用していたガリア風の長い上着のことをカラカラといったので、それが彼の呼び名になった。ローマ市民権を拡大したアントニヌス勅令の制定や公共浴場の建設等で知られる、歴代のローマ皇帝の中でも暴君の一人とされ、パルティア遠征中に部下の近衛兵に殺害された。新保良明『ローマ帝国愚帝列伝』2000講談社選書メチエp.184
【近衛隊長マクリヌス】は現場に駆けつけ悲嘆の素振りを見せる。カラカラには世継ぎがいないので急ぎ次の皇帝を選出しなければならない、パルティアの大軍が迫っていた。マクリヌスは兵士の推戴を受けて即位した。1年後にはカラカラの遺児と称する【14歳の少年エラガバルス】を担いだ一派が挙兵して帝位を奪った。【皇帝エラガバルス】(204年~222年 (在位218年6月8日~222年3月11日)のもとで東方的な密儀宗教がローマに持ち込まれ、宮廷は淫乱な空気に満ちる。男性社会であるローマで女性を登用するなど、進歩主義的。アントナン・アルトー『ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト』(1934年)。近衛兵は222年、皇帝を殺害、屍体をティベル川に投げ込み、その従兄弟【アレクサンデル・セウェルス】を担ぎ出した。このアレクサンデルも235年に軍隊によって殺害。
【軍人皇帝の時代、235年から284年まで50年、皇帝が70人輩出】財政危機、経済・政治危機
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【コンスタンティヌス大帝】4世紀初頭のローマ帝国皇帝。帝国の分裂、混乱を克服し専制君主政を確立し、313年にキリスト教を公認。330年コンスタンティノープルに遷都し、強大な帝国を再建したが、その死後、再び帝国は分裂。
【ユスティニアヌス帝、異教徒迫害】529年にアテネのアカデメイアがユスティニアヌスの命令によって国家の管理下に置かれた。このヘレニズム教育機関の事実上の閉鎖がおそらく最も有名な事件であろう。多神教は積極的に弾圧された。小アジアだけで7万人の多神教徒が改宗したとエフェソスのヨハネスは述べる。
【永遠の都ローマ、皇帝の死、藝術家の死】ユリウス・カエサル55歳、アウグストゥス帝51歳、ネロ帝31歳、ハドリアヌス帝62歳、コンスタンティヌス大帝60歳、ユスティニアヌス帝81歳、ミケランジェロ88歳。シクストゥス4世70歳。最高権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
【コロッセオ、フラヴィウスの闘技場】ネロ帝の巨像(コロッスス)があった。ネロポリス
【カピトリーノ美術館】「永遠の都」と呼ばれるローマ、世界でもっとも古い美術館の一つ、ローマ・カピトリーノ美術館。カピトリーノ美術館が建つカピトリーノの丘は、古代には最高神を祀る神殿が建設、現在はローマ市庁舎が位置する、ローマの歴史と文化の中心地である。【カピトリーノ美術館の歴史】1471年ルネサンス時代の教皇シクストゥス4世がローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことに始まり、以後、古代遺物やヴァチカンに由来する彫刻、ローマの名家からもたらされた絵画などを収蔵してきた。
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参考文献
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
https://bit.ly/3xYWHQv
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj
ポンペイ・・・埋もれたヘレニズム文化、「アレクサンドロス大王のモザイク」、豹を抱くディオニュソス
https://bit.ly/3orQacm
「永遠の都ローマ展」・・・カピトリーノのヴィーナス
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/09/post-29f875.html
「永遠の都ローマ」2・・・フォロ・ロマーノ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-450352.html
――
永遠の都ローマ展、東京都美術館、9月16日(土)~ 12月10日(日)
福岡市美術館にも巡回予定、福岡市美術館 2024年1月5日(金)~ 3月10日(日)

2023年9月30日 (土)

「永遠の都ローマ展」・・・カピトリーノのヴィーナス

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第342回
フォロ・ロマーノを歩くと、古代ローマの英雄たち、ローマ皇帝、憂いの藝術家、メディチ家の雄姿、いにしえの人の記憶が蘇る。
カピトリーノの丘、カンピドリオ広場、フォロ・ロマーノ、サトゥルヌス神殿、セプテイミウス・セベルスの凱旋門、コンスタンティヌス帝の凱旋門、コロッセオ、皇帝ネロの黄金宮殿(ドムス・アウレア)、トラヤヌス帝の記念柱、パラティーノの丘、コンスタンティヌス帝の巨像、ここは、ローマ帝国の中心地である。
【「カピトリーノのヴィーナス」AD2C】ギリシア彫刻のローマ帝国時代の摸刻(ローマン・コピー)。原作は、プラクシテレス「アフロディーテ」、プラクシテレスの息子、小ケフィソドトスの彫刻(BC4C-3C)である。ローマ文化はコピー文化である。(Musei Capitolini)
【永遠の都ローマ、皇帝の死】ユリウス・カエサル(前100~前44年)55歳、アウグストゥス帝(前63~前14年)49歳、ネロ帝(紀元37~68)31歳、ハドリアヌス帝(76~138)62歳、コンスタンティヌス大帝(274?~337)63歳、ユスティニアヌス帝(483~565)81歳、ミケランジェロ(1475年3月6日~1564年2月18日)88歳。シクストゥス4世(1414~1484)70歳。最高権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【陰謀教皇、シクストゥス4世】【1478年のパッツィ家の陰謀】に加担してメディチ家の打倒をはかったが失敗。これは【ロレンツォ・デ・メディチとその兄弟を暗殺】してフィレンツェの支配者の地位にジロラモ・リアリオをつけようとした企てであった。計画の首謀者とされたピサ大司教はシニョリーア宮殿の壁に吊るされて殺された、教皇庁とフィレンツェは以後2年におよぶ戦争状態に突入。同時にシクストゥス4世はヴェネツィア共和国に対してフェラーラ公国を攻撃するようすすめる。別の親族にフェラーラを治めさせる意図があった。教皇の陰謀はイタリアの都市君主たちを怒らせ、同盟を結ばせる。教皇の示唆によって【1482年におこなわれたヴェネツィア軍のフェラーラ攻撃】に対して、ミラノのスフォルツァ家、フィレンツェのメディチ家、ナポリ王国のみならず本来教皇の同盟者であった人々までが同盟を組んでこれを阻止。
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【皇帝ネロ、彫刻コレクション】黄金宮殿にあった。この遺跡の中で発見された彫刻は、「ラオコーン」バティカン博物館に移されている。カピトリーニ美術館の「瀕死のガリア人」やローマ国立博物館(アルテンプス宮)の「妻を殺して自殺しようとするガリア人」の像などが有名。「美しい尻のヴィーナス」(Venus Kallipygos)BC1世紀。オリジナル作品は、紀元前300年頃にギリシアで作られたブロンズ像であった。16世紀に頭部が欠けた状態で、ローマ皇帝ネロに関連する遺跡から発掘された。彫像はイタリアの名門貴族ファルネーゼ家のコレクションに加えられた後、現在のナポリに移動された。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
《マイナスを表す浮彫の断片》 1世紀  カピトリーノ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
カラヴァッジョ派、メロンを持つ
ドメニコ・ティントレット 《鞭打ち》 17世紀 カピトリーノ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
《カピトリーノのヴィーナス》 2世紀 カピトリーノ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
本展では、古代ローマ彫刻の傑作《カピトリーノのヴィーナス》が初来日し、東京会場限定で展示。同作は、古代ギリシア最大の彫刻家プラクシテレスの作品に基づく女神像であり、ルーヴル美術館の《ミロのヴィーナス》、ウフィツィ美術館の《メディチのヴィーナス》と並ぶ、古代ヴィーナス像の傑作として知られている。本展は、門外不出の彫刻を目にすることができる貴重な機会となる。
古代ローマ建国を伝える伝承・神話
《カピトリーノの牝狼(複製)》 ローマ市庁舎蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
本展は、全5章から構成。まず第1章では、ローマを象徴する「カピトリーノの牝狼」を起点に、古代ローマの建国にまつわる伝承や神話に光をあてる。ローマ建国神話を代表するエピソードのひとつが、軍神マルスと巫女レア・シルウィアのあいだに生まれた双子、ロムルスとレムスを育てる牝狼の物語だ。本章では、《カピトリーノの牝狼(複製)》を展示するとともに、建国神話を表す古代彫刻やメダルなどから、その表現の伝統をたどってゆく。
《イシスとして表わされたプトレマイオス朝皇妃の頭部》
紀元前1世紀から紀元後1世紀 カピトリーノ美術館分館モンテマルティー二美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
古代ローマ帝国は、紀元前1世紀、ユリウス・カエサルとその遺志を継いだオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)によってその礎が築かれ、続く皇帝たちのもとで繁栄することになった。第2章では、古代ローマ帝国の栄光に焦点を合わせ、歴代ローマ皇帝や帝国ゆかりの女性たちの肖像などを紹介。また、帝国の栄華を象徴する《コンスタンティヌス帝の巨像》の一部を原寸大複製で展示する。
ローマ、芸術の霊感源として
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《トラヤヌス帝記念柱の正面全景》
1774-75年 ローマ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico del Museo di Roma
ディオニュソス、ハドリアヌス帝時代、カピトリーノ美術館
数多くの古代遺跡を擁するローマは、17世紀以降、グランドツアーの隆盛などを背景に、イタリア内外の芸術家に着想を与えてきた。第5章では、古代建築やその装飾といったローマ美術からインスピレーションを得て制作された作品に着目。古代記念碑「トラヤヌス帝記念柱」を題材とする版画や模型に加えて、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージやアントニオ・カノーヴァなどの名品も目にすることができる。
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参考文献
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj

ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
南川高志『ローマの五賢帝――「輝ける世紀」の虚像と実像』1998初刊 2014講談社学術文庫p.82-83
南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』 (岩波新書) 2013
南川高志『ローマ皇帝とその時代 元首政期ローマ帝国政治史の研究』創文社
スエトニウス『ローマ皇帝伝』岩波書店
プルタルコス『英雄伝』岩波書店
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古代ローマ帝国の遺産・・・豹を抱くディオニュソス、帝国の黄昏
地中海 四千年のものがたり・・・藝術家たちの地中海への旅
ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり・・・ギリシア文化の輝き
ポンペイ・・・埋もれたヘレニズム文化、「アレクサンドロス大王のモザイク」、豹を抱くディオニュソス
「永遠の都ローマ展」・・・カピトリーノのヴィーナス
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/09/post-29f875.html
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特別展「永遠の都ローマ展」は、「永遠の都」と称されるローマの歴史と芸術を紹介する展覧会。世界でもっとも古い美術館のひとつ、ローマ・カピトリーノ美術館の所蔵品を中心とする作品とともに、2000年を超える歴史と文化をたどってゆく。
カピトリーノ美術館が建つカピトリーノの丘は、古代には最高神を祀る神殿が置かれ、現在はローマ市庁舎が位置するなど、ローマの歴史と文化の中心地であった。カピトリーノ美術館の歴史は、ルネサンス期の教皇シクストゥス4世がローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことに始まり、以後、古代遺物やヴァチカンに由来する彫刻、ローマの名家からもたらされた絵画などを収蔵してきた。
2023年は、日本の明治政府が派遣した「岩倉使節団」がカピトリーノ美術館を訪ねて150年の節目にあたります。使節団の訪欧は、のちの日本の博物館施策に大きな影響を与えることになりました。この節目の年に、ローマの姉妹都市である東京、さらに福岡を会場として、同館のコレクションをまとめて日本で紹介する初めての機会となります。
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永遠の都ローマ展、東京都美術館、9月16日(土)~ 12月10日(日)
福岡市美術館にも巡回予定、福岡市美術館 2024年1月5日(金)~ 3月10日(日)

2022年12月25日 (日)

挂甲武人 埴輪、武装した王、古墳時代6世紀・・・戦争の起源、アレクサンドロス大王の鎧

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大久保正雄『旅する哲学者、美への旅』第305回
【挂甲武人 埴輪】甲冑に身を固め、大刀と弓矢をもつ武人の埴輪。武器・武具が精巧に表現され、古墳時代後期の東国武人の武装。鎧は小さな鉄板を綴じあわせた挂甲。右手は腰に帯びた大刀に添え、左手に弓を持っている。左手首に巻かれているのは弓の弦から手を守る鞆で、背中には鏃を上にして矢を収めた靫を背負う。
挂甲武人埴輪は、飯塚町古墳から1体だけ出土、兵士ではなく、王の武装である。
鉄板を綴じあわせた鎧 アレクサンドロス大王 BC333イッソスの戦い
紀元前4世紀、マケドニアのアレクサンドロス大王は鉄板を綴じあわせた鎧を着用している。日本の鎧はアレクサンドロス大王の鎧に似ている気がする。(アレクサンダーモザイク参照)
【戦争の起源】
ペルシア帝国、マケドニア王国が、栄華を誇るのは、騎馬と長槍密集隊(ファランクス)、4頭立ての戦車が発達したからだと『戦争の起源』で読んだ記憶がある。馬を飼育する牧場が不可欠である。古代スパルタ、レオニダスのファランクス、古代エジプトのファラオ、ラムセス2世が、4頭立ての戦車に騎乗した。ツタンカーメンも戦車に騎乗した。秦の始皇帝の始皇帝陵から、4頭立ての戦車が発見された。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
日本書紀成立1300年
「出雲と大和」東京国立博物館・・・大海人皇子、大王から天皇へ
埴輪 挂甲武人(はにわ けいこうぶじん)古墳時代・6世紀 - 東京国立博物館
挂甲と頬当・錣の付いた衝角付冑に身を固め,両腕には籠手をつける。鞆を巻いた左手には弓を執り,右手を大刀の柄にかけ,完全武装の東国武人の姿を表している。
ポンペイ・・・埋もれたヘレニズム文化、「アレクサンドロス大王のモザイク」、豹を抱くディオニュソス
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~」・・・秦始皇帝の謎
挂甲武人 埴輪、武装した王、古墳時代6世紀・・・戦争の起源、アレクサンドロス大王の鎧
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(指定名称)埴輪武装男子立像 群馬県太田市飯塚町出土 1個
高130.5 古墳時代・6世紀 東京国立博物館
 甲冑に身を固め、大刀と弓矢をもつ武人の埴輪。武器・武具が精巧に表現され、古墳時代後期の東国武人の武装を知ることができる貴重な資料である。冑(かぶと)は衝角付(しょうかくつき)冑と呼ばれるもので、顔を守る頬当てと後頭部を保護する錣(しころ)が付いている。また粘土の小粒を貼り付けて冑が鉄板を鋲で組み合わせて造られていたことを表す。甲(よろい)は小さな鉄板を綴じあわせた挂甲(けいこう)で、肩甲や膝甲、籠手(こて)、臑当(すねあて)、沓(くつ)も表現されている。一方、右手は腰に帯びた大刀に添え、左手に弓を持っている。左手首に巻かれているのは弓の弦から手を守る鞆(とも)で、背中には鏃(やじり)を上にして矢を収めた靫(ゆき)を背負う。
 このほか10か所に見られる蝶結びから、紐で結んで甲を着装していたことがわかる。挂甲は右衽(みぎまえ)に引き合わせて結び、膝甲、臑当は後ろで紐を結んでいる。また肩甲の下に短い袖が表現されており、籠手は素肌につけていたことになる。
 顔立ちはおだやかで、全体に均整がとれ、熟練した工人が製作したと考えられる。群馬県東部の太田市周辺では、同じような特色をもつ優れた武人埴輪が数体出土しており、この地域に拠点をおく埴輪製作集団の存在が想像される。
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150周年記念「国宝 東京国立博物館のすべて」(2022年10月18日~12月18日)

2022年2月 5日 (土)

ポンペイ・・・「アレクサンドロス大王のモザイク」、豹を抱くディオニュソス

Pompei-2022
Dionysos-2022
Dionysos-pompei2022
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』269回

ローマ帝国のヘレニズム文化、ディオニュソス神が流行していた。20年前のイタリアの旅を思い出す。ナポリ、ポンペイ、ナポリ考古学博物館に旅した。30軒あるパン屋、ヴェスビオス山噴火で埋もれた1万人の市民。4頭立ての馬車の轍の跡が刻まれた石畳の道路、円形劇場、円形闘技場、秘儀荘の壁画「ディオニュソスの秘儀」。
紀元79年10月24日、ヴェスビオス山の噴火によって消えた都市、ポンペイ。噴火で埋もれた都市、ヘレニズム文化。ローマ帝国の別荘地である。富裕層とそれを支える商人、生産者の都市。
牧神ファウヌスの家のエクセドラ『アレクサンドロス大王のモザイク』。イッソスの戦いの場面を描く、左の騎馬の人物がアレクサンドロス3世、右で戦車に搭乗しているのがダレイオス3世。
竪琴奏者の家のペリステュリウム(中庭)。悲劇詩人の家のアトリウム(広間)。
『豹を抱くディオニュソス』、神殿に置かれていたのか。
『豹を抱くディオニュソス』が出土した、ソンマ・ヴェスヴィアーナは、472年、ヴェスビオス山噴火で埋もれた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【「アレクサンドロスのモザイク」】ポンペイの「ファウヌス(牧羊神)の家」から出土したモザイク、前4世紀末のギリシアの画家フィロクセノスが描いた『イッソスの戦い』を題材にした作品をモザイクによる忠実な模写。前100年頃、または前2世紀末の作とみられる。ナポリ国立考古学博物館蔵
【ポンペイ、プリニウス】79年8月24日、南イタリアのヴェスヴィオ(ウェスウィウス)山が噴火、山麓のポンペイ、ヘルクラネウムなどの町を大量の降灰が襲った。ナポリ近くの軍港ミセヌムに在任していたローマの艦隊司令官、博物学者プリニウスは、噴火を知って急遽救援に向かいスタビアエに上陸した。自ら火山性ガスに直撃され、命を落とした。プリニウス『博物誌』37巻、ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(23年⁻79年)。ティトウス帝(ウェスパシアヌス帝の子)は復興委員会を設置。生き残ったポンペイの市民1万人はネアポリスに移住させた。
――
【ディオニュソス、ゼウスとセメレの子】豊穣神,酒神。バッコス(Bakchos)とも呼ばれる。ゼウスとセメレの子。母がヘラの奸計にはめられ、ゼウスに雷神の正体を示すよう強要して、熱によって妊娠中に焼殺された。ゼウスによって母体から取出され、父神の股の内に縫込められ、月が満ちるとそこから出されてセメレの姉妹のイノに預けられた、イノもヘラによって発狂させられた。ゼウスは彼をニュサという土地に移し、ニンフたちに養育させた。
【ディオニュソス教、『バッコスの信女』】葡萄の木を発見、その栽培と葡萄酒の製法を広めた。遍歴の後、故郷テーバイに帰る。王のペンテウスが反抗したため、王の母を含めた女たちを狂乱させ、ペンテウスを八つ裂きにさせた。この熱狂的な女性信徒をバッカイ(『バッコスの信女』)、マイナデスと呼ぶ。小鹿の皮で身を包み、霊杖(テュルソス)を持ち、牡牛の姿をしたディオニュソスに従って、松明をかざして夜の山野に狂喜乱舞した。トラキア、マケドニアで流行した陶酔的豊穣神と,小アジア伝来の植物神崇拝とが合体して成立した。
【ディオニュソス、アリアドネと結婚】最後には冥府に行き、冥府から母を上界に連れ戻して、母子ともにオリュンポスの神々の仲間入り、テセウスによってナクソス島に置去りにされたアリアドネを妻に娶って、彼女も女神の仲間入りをさせた。ディオニュソスの祭祀は、アテネではギリシア悲劇を発生させ、オルフェウス教と結びついて、ヘレニズム時代に流行する密儀宗教の一つとなる。
【ディオニュソス、ディオニュソス劇場】ザグレウスの名のもとにオルフェウス教と、イアッコスの名のもとにエレウシス密儀と関係、冥界神となる。その祭礼を大ディオニュシア祭、ギリシア悲劇の起源となる。
【ディオニュソス、秘儀荘】ポンペイの〈秘儀荘〉に見られる。ローマ帝国世界で密儀神として広く崇拝された。ディオニュソスの秘儀が行われた。
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【復讐する精神、アレクサンドロス】アレクサンドロスは、父王フィリッポス2世を側近貴族によって暗殺、復讐を果たして人生の旅に旅立つ。紀元前336年、アレクサンドロス20歳。織田信長は、織田信勝の二度目の謀反に復讐を果たし、人生の冒険に旅立つ。弘治三(1557)年、信長24歳。
【理念を探求する精神】プラトンは知恵を探求、邪知暴虐なディオニュシオス王と対峙。孔子は仁義礼智信を追求、遍歴15年の果て74歳で死す。空海は即身成仏を追求、東寺立体曼荼羅構築。嵯峨天皇は平城上皇の乱と戦い810年坂上田村麻呂を大納言に任じて成敗、弘仁文化を築く
【家父長制patriarchy、呪縛との戦い】アレクサンドロス大王、フリードリッヒ大王、織田信長、嵯峨天皇、レオナルド・ダ・ヴィンチ。家父長制:父系の家族制度において、家長が絶対的な家長権によって家族員を支配・統率する家族形態。父系原理に基づく社会の支配形態【易姓革命、孟子】君主は、天子、天の子であり、天命を受けて地上を支配する。現王朝の政が善くなければ新たに天命を受け現王朝を倒し、新王朝を興す者が現れる。姓という語は、生と女からできており、古代母系制をとどめる『字統』。母が天に感じて生んだ子、天子。マリアの受胎
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
ポリュクレイトス「槍を持つ人、ポンペイ、1世紀
「パン屋の店先」フレスコ画
「ディオニュソスとヴェスヴィオ山」
「葡萄摘みを表したアンフォラ」
「踊る牧神ファウヌス」ポンペイ、1世紀
「豹を抱くディオニュソス」ソンマ・ヴェスヴィアーナ、1世紀
「ペプロフォロス」ソンマ・ヴェスヴィアーナ、1世紀
「猛犬注意」「書字版と尖筆を持つ女性」
「伊勢海老とタコの戦い」「猫と鴨」
「ナイル河風景」「葉綱と悲劇の仮面」
牧神ファウヌスの家のエクセドラ「アレクサンドロス大王のモザイク」、1世紀、復元
竪琴奏者の家のペリステュリウム(中庭)。悲劇詩人の家のアトリウム(広間) 、1世紀、復元
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参考文献
高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店
高津春繁『アポロドーロス ギリシア神話』岩波書店
高津春繁『古代ギリシア文学史』岩波書店
高津春繁『印欧語比較文法』岩波書店
高津春繁『ギリシア・ローマ古典文学案内』岩波書店
古代ローマ帝国の遺産・・・豹を抱くディオニュソス、帝国の黄昏
https://bit.ly/3fsF7dZ
アレクサンドロ大王 世界の果てへの旅
https://t.co/RCwJNrJirZ
大久保正雄『地中海紀行』53回アレクサンドロス大王1P45
フィリッポスは、アレクサンドロスの妹の結婚式で、暗殺された。
マケドニア王国 フィリッポス2世の死 卓越した戦略家
https://t.co/xcCI2H0le5
大久保正雄『地中海紀行』54回アレクサンドロス大王2P52
アレクサンドロス帝国の遺産はどこに残されたのか
王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
https://t.co/GqhV2l84wK
ポンペイ・・・埋もれたヘレニズム文化、「アレクサンドロス大王のモザイク」、豹を抱くディオニュソス
https://bit.ly/3orQacm
――
「ポンペイ」東京国立博物館
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2128
「ポンペイ」東京国立博物館、2022年1月14日(金)~2022年4月3日(日)
京都市京セラ美術館2022年4月21日~7月3日
九州国立博物館10月12日~12月4日

2016年9月13日 (火)

地中海の壮麗な都、ローマ帝国、アテネ、ペルシア帝国

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第97回
地中海の壮麗な都、ローマ帝国、アテネ、ペルシア帝国

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

ローマ帝国は、2世紀、トラヤヌス帝の時代、最大の版図となる。
ペルシア帝国の最盛期を築いたダレイオス王は、BC6世紀、ペルセポリスを創建した。
ハプスブルク家は、神聖ローマ帝国皇帝、カール5世の時、最大の版図。ヨーロッパの3分の2を支配する。
アテネは、ペイシストラトスの時代、アテナ古神殿(ヘカトンペドン)が建設され(570年建立)。
ペリクレス時代、パルテノン神殿が建設される。(BC448年—BC407)

■ローマ帝国は、2世紀、トラヤヌス帝時代、最大の版図に達し、西の涯てヒスパニアから東の涯てシリア砂漠のパルミュラ、ティグリス河まで、北はブリタニアから南はエジプトまで、夷荻蛮族を征服し地中海帝国を築いた。帝国の隅々まで道路網を築き、すべての道はローマに通じた。ヒスパニアからシリア砂漠まで、地中海世界に、華麗なヘレニズム様式の建築に彩られたローマ都市を築いた。
■ペルセポリス、ペルシア帝国、ダレイオス王、
ペルシア帝国の最盛期を築いたダレイオス王は、ペルシア発祥の地パサルガダイを離れ、ペルセポリスを創建した。ペルシア王カンビュセス2世は、紀元前525年エジプトを制圧し第26王朝を滅ぼしペルシア系の第27王朝を樹立したが、ダレイオス王は、エジプト遠征の時、テーベのカルナック神殿を見て、アメン神殿、大列柱室から学び、ペルセポリスを構想し、大階段、ペルシア門、謁見宮殿(アバダナ)、百柱の宮殿、中央宮殿を築いた。
■アテナイオン神殿、アテナ古神殿(ヘカトンペドン)
ペイシストラトスは、武力によって僭主(独裁者)の地位を獲得したが、藝術の保護に努め、神殿を建てた。アテナイは祝祭都市となり、悲劇が誕生した。
紀元前6世紀、ペイシストラトスの時代、アテナイオン神殿ヘカトンペドン(アテナ古神殿)が、アクロポリスの丘、アテナの聖域に、創建された(570年建立)。
アテナイオン神殿は、アルカイックの微笑みを湛えた彫刻、仔牛を荷う人(モスコフォロス)、アクロポリスのコレー(少女)が神殿に奉納され、アテナ女神像が破風彫刻に置かれた。アルカイック様式の微笑みに満ちた神殿であった。
ペイシストラトスの時代には、紀元前566年に創始されたパンアテナイア祭が国の祭儀として体育や音樂の競技会が行なわれるようになった。また、紀元前534年大ディオニュシア祭が国の祭儀として導入され、ディオニュソス劇場がアゴラに木で作られ、悲劇が誕生した。
■パルテノン神殿、BC448年—BC407
アクロポリスの建築家たち
アクロポリスの丘の建築は、紀元前448年パルテノン神殿の起工から、ペロポネソス戰爭の最中も継続され、BC 407年エレクテイオン神殿の完成まで、40年に亙って行われた。  
パルテノン神殿は、彫刻家フェイディアスの総監督のもとに紀元前448年に起工、建築家イクティノスが設計し、建築家カリクラテスが施工した。破風彫刻が432年に完成され、パルテノン神殿が完成した。
プロピュライア(前門)は、ムネシクレスが設計し、紀元前438年起工、431年に未完ながら竣工された。アテナ・ニケ神殿は、紀元前448年建築家カリクラテスが設計、完成したのは421年である。
■カリアティデス(6体の女人柱) BC407
エレクテイオン神殿は、紀元前421年に起工し、407年完成した。
建築家イクティノスは、バッサイのアポロン・エピクリオス神殿(紀元前440-420年)を設計、エレウシスの聖域にテレステリオン(秘儀堂)を設計した。アテナイと外港ペイライエウスを結ぶ長壁は、ペリクレスによって提案され、カリクラテスによって建設された。さらにペリクレスは、オデイオン(音樂堂)の建設を推進した。
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壮麗の都ローマ フォルム・ロマヌム、皇帝広場、コロッセウム
https://t.co/QKaajPjFDr
地中海都市の美と壮麗 ペルシア帝国、フィリッポス2世の夢
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ペイシストラトス家とアルクマイオニダイ家の戦い アクロポリスの戦い
ヴォロマンドラのクーロス 死者に献げる供物 子牛を担う人 BC560年
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ペロポネソス戰爭 落日の帝国 アクロポリスの建築家たち
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ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
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★地中海、The Mediteraean

大久保正雄2016年9月13日

2016年7月 2日 (土)

地中海の知恵 剣をとる者は剣にて滅ぶ 美と知恵を求めて 

Jerusalem_dome_of_the_rock大久保正雄『地中海紀行』第38回地中海のほとり 美と知恵を求めて1
美と知恵を求めて 地中海の知恵 剣をとる者は剣にて滅ぶ

月の輝く夜、黄昏の光が満ち、エーゲ海は紅く染まる。
私は美と知恵を求めて旅する。愛する人よ。絶望することなく、神々の試練に耐えよ。

「富める者が天国に入るのは、駱駝が針の穴を通るより難しい。」(『マルコ伝』『マタイ伝』『ルカ伝』)   *1
「たとえ全世界を手に入れても、己の魂を失うならば、何の利益があろうか。」(『マルコ伝』『マタイ伝』) *2
「剣によって立つ者は、剣によって滅びる。」(『マタイ』26:47~54)  *3
「幸いなるかな、汝ら貧しき人々、神の国は汝らのものである。幸いなるかな、汝ら飢えたる人々、満ち足りるようになるからである。幸いなるかな、汝ら泣ける人々、笑むようになるからである。」(『ルカ伝』)  *4
「死後、責め苦を負う金持ちの比喩」『ルカ伝』第12章16節~21節 *5
「蔵を建て替えた愚かな金持ちの比喩」『ルカ伝』第16章19節~21節 *6
『新約聖書』より。虐げられた者、貧しき者、侮蔑された者への愛がある。
地中海のほとり、美と知恵を求めて旅する。思想家と皇帝と藝術家たち。
愛に生き、美に耽溺する、地中海人。酔うように生き、夢のように死ぬ人生。
烈しい太陽の光が降り注ぎ、地中海は智慧をもたらす。人は、光を求める旅人である。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■美と知恵を求めて 地中海のほとり
輝く風が吹き渡り、枝を広げる葡萄の木の下で、古代から受け継がれた舞踊を踊り、食卓の下で動物たちが食べ物を待っている。地中海の午後、彫刻は古代の微笑みを湛え、列柱は光と影を生み、丘の上にアクロポリスがある。降り注ぐ光は、人間に智慧をもたらす。
夕暮には、薔薇とブーゲンビリアとジャスミンの香りがたち籠め、紺青の闇、満天の星の下、潮風が吹き、人は葡萄酒を飲みほす。生きることは饗宴のごとく、酔生夢死の人生がある。
光あふれる地中海は、死すべき人間に光の思想を教え、生きる知恵を教える。人は、みずからの光を求めて旅する、旅人である。地中海には、輝く智慧があり、人間愛の精神、意志を尊重する心、人間の弱さを受け入れる心の広さがある。
ギリシア人、フェニキア人、エトルリア人、ローマ人、ゲルマン人、アラブ人。ヨーロッパ文化は、多様な文化が出会い対決し融け合った、重層的な文化空間である。ヨーロッパの重層的文化空間の根源には地中海の文化がある。地中海文化を理解することがヨーロッパ文化を知る鍵である。
『地中海紀行』は、地中海都市の魅力を求めて、地中海のほとりを旅する、美と智慧の探求である。藝術作品のように美しい都市。光り輝く紺碧のエーゲ海。ルネサンス都市の美しい迷宮。人生の美を極めるイタリア。優美にして荒寥たるギリシアの大地。スペインの哀愁にみちた中庭。神秘の国エジプト。人類の叡智は、地中海のほとりで生まれた。不朽の芸術、不滅の思想。地中海人の美しい人生の記憶。地中海のほとりを彷徨い、美と知恵の秘密を探究する旅である。
地中海を旅することは、地中海の古典の世界を旅することである。ホメロス、プラトン、アリストテレス、エウリピデス、プルタルコス『英雄伝』、スエトニウス『ローマ皇帝伝』、タキトゥス『年代記』、ヴァザーリ『イタリアの至高なる藝術家列伝』。古典の世界を旅して、地中海人の人生のかたち、地中海的生活様式の美を探求することは、魂の扉を開くことである。そして、眞に豊かな人生とは何か、あるべき人間の生きかたとは何かを、問うことがこの書のテーマである。
地中海は、美を生みだす豊饒の海である。ギリシア人は、美の様式を生みだした。アルカイック様式、古典様式、厳格様式、崇高な様式、艶麗な様式、ヘレニズム様式の激情。比類なく美しい丘の上の列柱。ローマ人は、エトルリア人から円形アーチを受け継ぎ、ヘレニズム様式を展開して、都市空間の美の様式を生みだした。広場(フォルム)、劇場、円形競技場、図書館。ルネサンス人は、古代に完成された理想美を再生させ、古代のドラマの主題の中に、人間の葛藤のドラマを構築した。バロック藝術は、ヘレニズム様式の時空を隔てた蘇りである。
地中海には智慧の書が満ち溢れている。地中海の古典は、人類のあらゆる智慧が蓄積された不朽の泉である。叙事詩、抒情詩、ギリシア悲劇、哲學者の書物から、『新約聖書』、『哲學者列伝』、『皇帝伝』に至るまで、あらゆる生きかたが刻まれ、あらゆる思想が書かれ、あらゆる邪惡な人間が記録され、あらゆる美しい言葉が記憶された。血によって書かれた言葉のみが不滅であり、血によって学ばれた知恵のみがいのちを持つ。
■黄昏の旅人
黄昏の海を眺めていると、憧れ、恨み、愛、悩み、歓びが一つに融け合い、黄昏のハーモニーが聞こえる。地中海に沈む夕日を眺めながら、葡萄酒の盃を傾けると、生きる瞬間が黄金のように光る。肉体は精神の死を生き、精神は肉体の死を生きる。肉眼が眠る時、魂が目覚める。
黄昏刻になると、癒されることのない苦痛、孤独、楽しみ、怒り、憎しみ、絶望、歓び、すべての情念が一つに融け合って、魂の音樂になって、心の底から湧きあがり、すべて流れ去った時間を許すことができる。黄昏に殘照を浴びながら、海に沈む夕日を眺め、地中海の町を歩くと、潮騒のとどろきのかなたに、心の中の樂の音が聴こえる。天のハルモニアと地のハルモニアが照応する、宇宙の調和の音樂が、沈黙に木霊する。ピュタゴラス派の伝えによれば、宇宙の奏でる音樂を聞く者は、智慧に到達する。

■ギリシア悲劇 極限の智慧
ギリシア悲劇は限界状況に置かれた人間のあらゆる苦しみをえがき尽くす。悲劇詩人たちは、極限における人間の苦痛を直視する。アイスキュロス『オレステイア三部作』は文学史上、最も悲惨を極める悲劇であるといわれる。エウリピデス『オレステス』は、ギリシア悲劇の極限であり、復讐と運命の果てに、自己の運命に抗して謀を企てる人間の尊厳に到達した陰謀劇である。エウリピデス『オレステス』は、ギリシア悲劇の到達点である。  老いて異郷を彷徨うオイディプスの苦悩。敵国で憎む者の下で耐えながら生きるアンドロマケ。蛇に噛まれ、孤島に殘され不治の病に苦しむ英雄。(cf.ソポクレス『コロノスのオイディプス』『ピロクテーテース』エウリピデス『アンドロマケ』)
生きることの苦しみ、老いることの苦しみ、病めることの苦しみ、死ぬ苦しみ。愛する者を失う苦しみ、憎む者と出会う苦しみ、求めても得られぬ苦しみ、知覚する生きものである人間の苦しみ。ギリシア悲劇はあらゆる苦しみをえがき尽くす。生老病死、癒し難い苦しみから、人間の魂を救済するのは、何か。神々の恩寵か、英雄の行動か、智慧か。天から降ってくる霊感か。

■沙漠の星 虐げられた者、貧しき者、侮蔑された者の救い
星の輝きに導かれた人々
星が降る時、地中海の東の涯、ベツレヘムで生まれたイエス。ベツレヘムの星を探して東方の博士は沙漠を歩いた。イエスは、最下層の打ちひしがれた人々、軛につながれた人々に、自由と解放の思想を伝えた。地中海の智慧は、貧しき人、飢えたる人、泣ける人、弱き人を救う思想を持つ。
「たとえ全世界を手に入れても、己の魂を失うならば、何の利益があろうか。」(『マルコ伝』『マタイ伝』)
「富める者が天国に入るのは、駱駝が針の穴を通るより難しい。」(『マルコ伝』『マタイ伝』『ルカ伝』)
「剣によって立つ者は、剣によって滅びる。」『マタイ伝』
「幸いなるかな、汝ら貧しき人々、神の国は汝らのものである。幸いなるかな、汝ら飢えたる人々、満ち足りるようになるからである。幸いなるかな、汝ら泣ける人々、笑むようになるからである。」(『ルカ伝』)
人は戰いに敗れ傷ついた時、競爭の舞台から去って行かなければならない。だが人生の舞台は、その時に終わるのではない。敗北した後も果てしなく長い時間が続く。地中海には、傷つく魂を受け容れる智慧がある。挫折した者、傷ついた者、弱き者に対する愛と優しさがある。ナザレのイエスは、地上の榮光よりも天上の幸福が価値あることを説き、富や名譽より尊いものがあることを示した。そして學者や権力者の権威に抗し、地上の幸福よりも尊いものがあることを示した。世間から虐げられた者、貧しき者、富める者から侮蔑された者の方が、神の恩恵に価する者であることを訴えた。
競爭の勝者は、競爭によって滅びる。競爭に破れた者、人生に挫折した人に、優しい手を差し伸べることに、人間の尊厳がある。人の苦しみに共感し、救いの手を差し伸べることができない者の魂は、腐敗している。イエスの思想は、虐げられた者、最貧層、沙漠に生きる者の星であった。
★Jerusalem, Dome of Rock
★聖墳墓教会(The Church of the Holy Sepulchre
参考文献 次ページ参照。
大久保正雄2002.10.30

2016年6月11日 (土)

旅する哲学者、黄昏の地中海

Ookubomasao54Ookubomasao55大久保正雄『地中海紀行』第19回
旅する哲学者、黄昏の地中海

美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。
旅する哲学者は、至高の美へ旅する。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
夕暮れの丘、夕暮れ散歩。美しい魂に、美しい天使が舞い降りる。

天と地の狭間を旅する旅人
地中海都市を歩く時、時めきを感じる舞台装置。
藝術作品としての国家。
私は、苦しみを秘めて、ヨーロッパに旅立った。
黄昏の橋をわたり、夕暮の寺院の伽藍を彷徨い、夕闇の街を歩く。
丘の上から眺める、藝術のような都市の殘照。この世のものとは思えない美しい光景。時を忘れて立ち尽くす。荒野の果てに生きる美しい人。
闇が深ければ深いほど、星は輝きを増す。
夕暮れの丘、糸杉の樹林を歩くと、木の香りが立ち込める。
美しい天使が舞い降りる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

【われらが海、地中海】
■樹林を歩く時、生死の根源への旅
斑鳩、法隆寺の回廊を歩くとき、ギリシアの列柱回廊を思い出す。古代人の優美な歩み、輝けるまなざし、悲しみと調和を湛えた瞳の奥に、生ける者の苦悩と悲しみが蘇る。夢殿の夢違い観音は、自らの苦惱のさ中に、ひとの苦痛を救う、救済の意志の現われである。
大理石の列柱の影が深くなる眞夏の午後、時は止まる。アクロポリスの丘、アッタロスのストア。この地で、問答が積み重ねられ、難問が突きつけられ、生きる意味が問われた。ギリシアの神殿の列柱は森の木々から生まれた。森と海からギリシア文明は生まれた。
金剛峰寺、奥の院、空海の即身成仏の空間。鬱蒼と聳える杉の巨樹の森を歩くとき、ルクソール、カルナック神殿、列柱の間を想い起こす。
死と再生を祈る、ナイル河のほとり。葦が茂りロータスの花咲く水辺。人は、樹林の間を歩く時、列柱の間を歩く時、遠い日の記憶が蘇る。いのちが燦き、精神が輝き、藝術作品のような都市が築かれた黄金時代。森と水はいのちを生み出す源郷である。

■榮光のローマ帝国
スペインの果て、メリダ。古代から現代に架かるローマ橋、二千年の時の流れを湛える悠久の河。聳え立つ水道橋、劇場。ヨーロッパの西の果て、ローマ帝國が築いた都市。流れ去った一千年の歳月。時の流れは夢、幻のごとく。いま、陽光の下に、河は流れる。
ローマ人は、イベリア半島の果てから、アフリカ、アラビアの砂漠に到るまで、ローマ都市を築いた。ローマ人はローマ都市を到るところに築き、地中海は、ローマ人の「われらが海」(mare nostrum)となった。ローマ人は、地中海世界の至る所に、広場、神殿、戰車競技場(アレーナ)、水道橋、円形劇場、競技場、浴場、圖書館を築き、ローマ都市は、地中海都市の原型となる。ギボンはローマ帝國、五賢帝時代紀元2世紀を「人類の最も幸福な時代」と呼ぶ。(ギボン『ローマ帝國衰亡史』)

■藝術作品としての国家
海が見える丘の上に、アクロポリスがある。地中海の紺碧の海。エメラルドの輝き。ギリシアにはじめて學問を築いたイオニアの大地と海。
丘の上から、フィレンツェの町を眺める時、そこには、藝術作品としての國家がある。國家は、見える都市の形に現れる。アクロポリスの丘が聳えるアテナイ、アンダルシアの都コルドバ、荒野に聳えるトレド。美しい國家は、美しい都市としてこの世に存在する。  地中海的生活様式の樣々な樣式は、不滅の輝きをもっている。地中海人の生きかたは、三千年の時の流れを超えて、時の風雪に耐えた人類の智慧の結晶である。地中海人は、地上の輝かしい空間、藝術作品としての國家を築いた。
人間がいきいきと生きる環境を生み出すことが、統治者の義務であり、人間がいきいきと生きる空間を構築することが建築家の使命である。地中海のほとりには美しい都市がある。

■地中海都市の樣式
地中海都市を歩く時、いのちの時めきを感じる装置に満ちみちている。バール(カフェ、カフェニオン、チャイハネ)、迷路、中庭、バロックの階段、例えば、スペイン階段。地中海都市は、劇場都市である。
地中海都市は、美しい樣式をもつ。それは人類の不滅の遺産であり、普遍的な価値をもつ。地中海都市の劇的空間は、人生を美しく生きるための装置に満ちている。地中海都市の劇場的空間は、樣々な舞臺装置からなる。広場、円形劇場、音樂堂、糸杉の丘、神殿、列柱回廊、アクロポリス(城砦)、泉水、至高聖所、秘儀伝授の場、田園。
人生は舞台である。生きることは劇的である。地中海都市の樣式のなかに、不朽の「藝術作品としての都市國家」のイデアがある。

【人間の尊厳】
地中海人の生活樣式。自由と個性を尊重する生きかた。美を愛する生活樣式。人生を樂しむ生きかた。個を尊重する生きかた。地中海人の生きかたは、尊敬に値する。その根底には、人間の尊厳を重んじる生き方がある。
人が存在していること自體が、価値がある。生きているということが、かけがえのないものである。そして人間の尊厳の本質は、魂の善さにある。知恵を愛する者(philosophos)の魂のみが、魂の翼をもつ。

■ソクラテスの死
ソクラテスは、裁判に敗れ、紀元前399年処刑されて死んだ。ソクラテスの生と死を貫くものは、知恵を愛すること。ソクラテスは、裁判の中で奢れるアテナイ人たちに語る。
ただ金銭を、できる限り多く自分のものにしたいということに気を遣っていて、恥ずかしくはないのか。評判や地位のことは気にしても、思慮と眞理には気を遣わず、魂をできるだけ優れたものにするように、心を用いることをしない。
魂ができる限り善きものになるように配慮しなければならない。それより先にもしくは同程度にでも、肉体や金銭のことを気にしてはならない、と私は説くのだ。金銭から魂のよさ(徳)が生まれてくるのではない。金銭その他のものが、人間にとって善きものとなるのは、公私いずれにおいても、すべては魂のよさによるのだ。自己自身に気づかい、できる限り善きものとなり、思慮ある者となるように努め、自己にとってはただ付属物にすぎないものを、決して自己自身に優先して気づかってはならない。(cf.プラトン『ソクラテスの弁明』)と、ソクラテスは説いた。
ソクラテスは、毒人参の毒が體にまわり息が止まるまでの時間、自らの死を前にして、弟子たちに、魂の不死不滅を説き、自らの思想に殉じて死んだ。

■黄昏の旅人
或る秋、私は、苦惱を胸に秘めて、ヨーロッパに旅立った。
黄昏の橋をわたり、夕暮の寺院の伽藍を彷徨い、夕闇の街を歩いた。丘の上から、藝術のような都市の殘照を眺めた。この世界のものとは思えない美しい光景に、時を忘れて立ち尽くした。荒野の果てに生きる美しい人を見た。闇が深ければ深いほど、星は輝きを増す。
私は、失意と絶望の果てに、ヨーロッパに旅立った。この世の美しいものを見るために。この世のあらゆる美しいものを見るために。
私は、ミラノの朝焼けの空に、獅子座流星群が降るのを見た。ミラノの夜明け、紅と緑の西洋梨を剥いて食べたのを思い出す。あれから月日が流れた。
そして、私は地中海のほとりを旅した。美と智慧を求めて。私は旅を續ける。私は、黄昏の旅人である。
旅立とう、あなたとともに。美と智慧を求めて。
★参考文献
ギボン中野好夫訳『ローマ帝國衰亡史』ちくま学芸文庫、筑摩書房1995
J.ブルクハルト柴田治三郎訳『イタリア・ルネサンスの文化』中央公論社1966
F.ブローデル浜名優美訳『地中海』1-5巻、藤原書店1991-1995
F.ブローデル神沢榮三訳『地中海世界・』みすず書房1990
大久保正雄『理性の微笑み ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社1993
大久保正雄「魂の美学 プラトンの対話編に於ける美の探究」「上智大学哲学論集」第22号、1993
大久保正雄「理念のかたち かたちとかたちを超えるもの」『理想』659号、理想社1994
陣内秀信『都市の地中海 光と海のトポスを訪ねて』NTT出版1995
プラトン『ソクラテスの弁明』『パイドン』
John Burnet(ed.), Platonis Opera, 5vols, Oxford Classical Text, Oxford U.P.,1903
★著者、大久保正雄 ヴィーナスの誕生 ウフィッツィ美術館
★著者、大久保正雄 フィレンツェにて
★黄昏のポンテ・ヴェッキオ
大久保正雄Copyright 2001.9.26
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2016年6月10日 (金)

地中海、魅惑の海のほとりにて

Ookubomasao51Ookubomasao52大久保正雄『地中海紀行』第18回
地中海、魅惑の海のほとりにて

紺碧の海が、夕映えに染まる時、
あらゆる苦しみ、悲しみ、歓びが、一つに融け、
黄昏の海に、夕暮の諧調が響く。

旅する皇帝、ハドリアヌスが航海した海、
女王クレオパトラ7世が歩いたエフェソスの丘、
アレクサンドロス3世が渡った海峡。
荒ぶる魂、心の波立ちが、人を行動に駆り立てる。

夢のように過ぎた美しい日々、愛は過ぎ去りし日の星影。
紫色の黄昏が忍びよる。
星が輝く夜、あなたと歩いた月光の庭。

地中海の微風が吹く、
パルテノンの丘に、フィレンツェの丘に。
地中海のほとり、瞑想する、黄昏の旅人。
知恵を愛する魂のみが、魂の翼をもつ。
行け、輝ける精神。魂の翼よ、はばたけ。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

【地中海】
地中海は一つの海ではない。地中海は海の複合体である。
エーゲ海、イオニア海、アドリア海、黒海、マルマラ海、ティレニア海(イタリアの海)、エトルリアの海。西の涯て、南スペインとアフリカの間にある海、そしてジブラルタル海峡。(cf.F.Blaudel『地中海』1、16-18.173-174)
 文明の十字路に広がる地中海。多様な文化が、対峙し戰い、そして融け合う地中海世界。多民族が異質のものとの出会い、對決と抗爭の果てに、華麗な文化の花が咲き亂れた。
 地中海に花開いた、比類なく美しい藝術。藝術作品としての國家は、多樣な文化の出会いの中から生まれた。地中海のほとり、叡智が生まれた。

■地中海のほとり、人類の叡智が生まれた。
人類の叡智は、地中海のほとりで生まれた。ギリシア人が生みだした哲學と藝術。エジプト人が築いた建築と農業技術。ローマ人が構築した都市。ソクラテスが生と死を貫いた生きかた。ソクラテスの問答と吟味と論駁。プラトンが書いた対話編は、人類史に普遍的な価値をもつ。

■地中海都市彷徨
アドリア海の紺碧の海原。カナル・グランデを疾走する舟の上から、私は、水面に漂う陽炎のような都を見たとき、幻を見た。海の都ヴェネツィア。金色に輝く寺院、円蓋の燦めき。
ヴェネツィア、サンマルコ寺院の伽藍。海の都コンスタンティノポリスの殘影を曳くその姿は、滅亡した帝國よりも美しい。「海の都」「水上の迷宮都市」「アドリア海の花嫁」「水面に漂う虹の都」と呼ばれるヴェネツィア。15世紀、地中海いたるところ、港に拠点を築き、地中海の制海権を掌握した。
 地中海は、海洋都市のネット・ワークと對立抗爭によって、結ばれていた。アレクサンドリア、カルタゴ、コンスタンティノポリス、ヴェネツィア、ジェノバ、ピサ、アマルフィ、クレタ島カンディア、アテナイの港ペイライエウス。例えば、アレクサンドリアは、ローマ帝國最大の商業都市であり、エジプトの豊饒な穀物が港からローマへと運ばれ、榮光のローマ帝國の食糧源であった。
 地中海の岸辺、海洋都市によって様々な言語、藝術、宗教、思想、學問がもたらされ、人々は己と異質のものと出会った。異國と出会う処に、新たな文化が生まれる。

■生きる楽しみに耽溺する地中海人
イタリア人は「人生は美しい」(La vita e bella.)と考える。愛に溺れ、藝術に溺れ、美食の樂しみを追求するイタリア人。陽の光の下で生き、月の光の下で愛する。トルコ人は「人はこの世に一度だけやって来る」と言う。この現世の生は一度限りである。たとえ不滅の魂が、輪廻転生して生まれ變っても、この現身の生は一度かぎりである。個のいのちは尊い。眞に美しい人生を生きる。一瞬一瞬、眞に、美しく生きること。これが人生の目的である。人は、一度しかない限りあるこの命を、美しく生きねばならない。現身のこの生は貴く美しいものである。いまここに生きているということはかけがえのない、尊いことである。それゆえ眞に愛すべきものを愛し生きねばならない。愛の重さは存在の重さである。ロレンツォ・デ・メディチは歌った。
「青春は麗し、されど逃れ行く、樂しみなさい、明日は定めなき故に」ロレンツォ・デ・メディチ『謝肉祭の歌』

■天と地の狭間を旅する旅人
地中海の海原を旅する時、スペインの荒涼とした大地を旅する時、天と地の狭間を旅する時、ひとは自己が何を所有するかではなく、自己が何であるかを考える。自己が所有するもの、地位や名譽や財産ではなく、自己がいかに見えるかではなく、自己の存在が何であるか。自己自身が何であるかを探求することができる。人をして眞に人たらしめるものは何か。
スペイン、サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼の旅に出た俳人黛まどかは、旅することには三つの意味があると言う。少ない物で生きることができる。少ない言葉で生きることができる。人を信じることができる。そして、自己の内面を旅することができる。
この世の果てまで旅して、人は魂の果てを探求する。大地の果てにたどり着くことはできるが、人は魂の果てを探求しても、魂の涯に辿り着くことはできない。魂の地平には、限界がないからである。
★参考文献
ギボン中野好夫訳『ローマ帝國衰亡史』ちくま学芸文庫、筑摩書房1995
J.ブルクハルト柴田治三郎訳『イタリア・ルネサンスの文化』中央公論社1966
F.ブローデル浜名優美訳『地中海』1-5巻、藤原書店1991-1995
F.ブローデル神沢榮三訳『地中海世界・』みすず書房1990
大久保正雄『理性の微笑み ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社1993
大久保正雄「魂の美学 プラトンの対話編に於ける美の探究」「上智大学哲学論集」第22号、1993
大久保正雄「理念のかたち かたちとかたちを超えるもの」『理想』659号、理想社1994
陣内秀信『都市の地中海 光と海のトポスを訪ねて』NTT出版1995
プラトン『ソクラテスの弁明』『パイドン』
John Burnet(ed.), Platonis Opera, 5vols, Oxford Classical Text, Oxford U.P.,1903
★花の聖母教会 フィレンツェ
★花の聖母教会とジョットの鐘楼
大久保正雄COPYRIGHT 2001.9.26

2016年5月24日 (火)

大久保正雄「地中海紀行」第1回、魅惑の地中海

Mookubo1Mookubo2Mookubo3大久保正雄「地中海紀行」第1回、魅惑の地中海

紫の潮を湛える海。輝く紺碧の空。
空と海のあいだに満ちてくる光。
海を渡ってくる風。
丘の上に立つ糸杉の烈しく美しい香り。

何故、地中海は人を魅了しつづけて止まないのか。
黄昏の光が、地中海の岸辺に満ちて來るとき、
ひとは苦悩と忍耐と憂愁に満ちたこの世の闇を
受け容れることができる。
黄昏のコスタ・デル・ソル。眞夏の碧緑の地中海。
夕日に輝くエーゲ海。

地中海の生みだした知的遺産に思いを馳せる時、
人間の尊厳を貴ぶ地中海人の生きかたが
歴史を超え彼方から蘇ってくる。
地中海は、知的遺産の宝庫である。地中海文明の魅力の源泉は、
その生の様式、知の様式、都市の様式にある。

■生きることを愛する地中海人
地中海人が生みだした豊饒な美の遺産はいかにして生みだされたのか。
ロレンツォ・デ・メディチは歌った。
  ……青春は麗し。
  されど逃げて行く。
  樂しみなさい。
  明日は定めなき故に……

スタンダールは、「生きた。愛した。書いた。」と自らの墓碑に刻み、
亡き母が地中海人でありイタリア人の血を持つことを誇りとしていた。
地中海人は、生きることを愛する。愛すること、好きなことに生涯を賭けることに、 人生の至上の価値がある。
愛するものに命をかけることによって、地中海人は最高の藝術様式に到達した。
生きいきと人間が生きる劇場都市。
生きいきと人間的に生きることが創造性の源泉であり、
命令されることから創造的なものは生まれない。
世界最高の藝術を作り出す感性と創造性は、魂の根源から湧く愛、
眞に美を愛することからのみ生まれる。

■血と知恵
地中海人は、美しく生きること、幸せに生きることを探究する。生ける屍のようにただ生きることに意味はない。ギリシア人は「いかなる者の奴隷でもなく、臣下でもない者」2)であり、命令を受けず自由人として生きることを誇りとした。地中海には、地位と名誉を愛するよりも、美しい死を選んだ人間たちがいる。地中海人は、利害を超越して人間の尊厳という価値にもとづいて、行動する。ソクラテスは「ただ生きるのではなく、善く生きること、美しく生きることが大切である」3)と言い、毒盃を仰いで死んだ。
人生の究極の樂しみを探求する生活様式が、地中海に満ちあふれている。見る、言葉を語る、知る、愛する、生きる、その究極は何か。見る、知る、学ぶ、生きることの源泉、その究極に学問を築き上げたギリシア人。哲学(フィロソフィア)はギリシア人が創始した学問であり、知恵を愛することの探求である。
偉大な精神文化は、人間の苦しみと悲しみから生まれる。死すべき人間は、血と涙によってのみ、眞の知恵に到達できる。復讐が復讐を生む血に呪われたアトレウス王家の歴史からアイスキュロスの悲劇『オレステイア』三部作が生まれ、己の理想に殉じたソクラテスの死がプラトンの哲学を生んだ。血と涙によって魂に刻まれたことばのみが不滅のいのちを持つ。五千年前から多彩な文明を生みだし続ける地中海。地中海の重層的文化空間には人間の叡智が堆積している。

■大地の狭間の海
地中海は、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、3つのテラ(大地)の狭間の海である。
夏、人々は穏やかな海を自由に航海できた。様々な土地に旅することができた。
「葡萄酒色の海」4)と呼ばれる地中海を、フェニキア人、ギリシア人、ローマ人は、融通無碍に航海した。地中海人は東のレヴァントから西のジブラルタルまで縦横に航海した。そしてさらにギリシア人は大西洋を航行した。ギリシア・ローマの都市国家は、地中海の岸辺にある。アテネ、コリントス、ビザンティウム、シシリア島のシュラクサイ、エフェソス、ローマ、アレクサンドリアは、すべて地中海の岸辺、或いは海から遠からぬ所にある。
ローヌ、ポー、アルノ、テヴェレ、ナイルなど主なる河は、地中海に流れ込む。
さらに地中海からジブラルタル海峡を経て北上し、
グアダルキヴィル河を遡ると、セビリア、コルドバに到る。
アルノ河はルネサンスの都フィレンツェに流れ、
テヴェレ河は永遠の都ローマに、
ナイル河は世界の結び目アレクサンドリアに、
グアダルキヴィル河は西方の眞珠コルドバに流れる。
地中海につながるこれらの都市が不滅の文化空間を築き上げたことは言うまでもない。
地中海世界の都市には美意識があふれ、都市それ自身が藝術作品である。
すべての道はローマに通ず。また、すべての河は地中海に流れる。
地中海文明の濫觴は、古代オリエント・エジプト文明から始まる。
ギリシア、ローマ(ラテン)、イスラム、三つの文明領域から成り立つ。 5) 
地中海は、重層する文化空間に、文明の経糸と緯糸で織り成された知恵の絨毯である。

■失われた時への旅
地中海文明の地を歩み、集積された人類の叡智、地中海様式の不朽の文化遺産、比類なく美しい地中海都市の秘密、これらの源を探究し続ける。
大地に刻まれた襞に降り立ち、黄昏の丘に立ち、アラブの迷路を歩き、海峡を渡り、人間の尊厳の美しさを見に行こう。「人間について、大地が、万巻の書より多くを教える」6)。
或る秋、ヨーロッパに旅立った。そして月日が流れ、いく度か地中海文明の地へ旅に出た。黄昏の海に潮騒がとどろく時、愛憎と怨恨は一つに融け、精神は至上の時に到る。精神とは記憶であり、精神が刻まれた場所が都市である。地中海世界には【藝術としての國家】がある。私は思い出す。花の都フィレンツェ、エル・グレコが愛したトレド、夕暮のグラナダ、三日月が輝く海の都イスタンブール。
地中海の都市國家は、目に見える美しい空間である。美しすぎる場所。地中海には不滅の國がある。美しい時は一瞬であり、瞬間の中に永遠がある。しかし、美しい時は、永遠に記憶の中に残る。
旅立とう、きみと共に。失われた時への旅に。未来に連なる旅に。


1) 『謝肉祭の歌』
2) アイスキュロス『ペルシア人』
3)プラトン『クリトン』
4) ヘシオドス『仕事と日々』
5)cf.F.ブローデル『地中海』
6) サンテグジュペリ『人間の土地』
★エーゲ海の黎明
★トラヤヌス神殿(ペルガモン)
★サンタマリア・デル・フィオーレ(フィレンツェ)
COPYRIGHT大久保正雄 2000.9.26