「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」・・・源氏物語の謎
https://bit.ly/3hIroVg
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』291回
曜変天目は、織田信長の見果てぬ夢の残像。幻の曜変天目、もう一つあった。それはだれが所持したか。天王寺屋、津田宗及を経て曜変天目が、大徳寺龍光院に伝った。足利義政、東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せしより。世に残らず。
織田信長【本能寺の変と三職推任問題】天正10年(1582年)4月25日、5月4日両日付けの勧修寺晴豊の日記『晴豊公記』(天正十年夏記)。 4月、信長を太政大臣・関白・征夷大将軍のいずれかに任ずるという構想が、村井貞勝と武家伝奏・勧修寺晴豊とのあいだで話し合われた(三職推任問題)。
【織田信長、三職推任問題】勧修寺晴豊『天正十年夏記』に記載、その中の「御すいにん候て然るべく候よし申され候」。5月になると朝廷は、信長の居城・安土城に推任のための勅使を差し向けた。正親町天皇の皇子誠仁親王、信長の返答の内容は不明である。織田信長は、階級社会の地位に拘泥せず。これが悲劇を招いた。
6月1日、本能寺の茶会。6月2日、払暁、明智光秀の本能寺の変が起こる。
【明智光秀、計略と策謀の達人】「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」「裏切りや密会を好む」「己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」ルイス・フロイス『日本史』
参考文献*今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』1992小和田哲男『明智光秀』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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岩崎彌太郎《一行書「猛虎一声山月高」》と書いたが、どのような青雲の志を抱いたのか。三菱創業の初代岩崎彌太郎、岩崎小彌太は、優れた美術コレクターである。
国宝《曜変天目 (稲葉天目)》。完全な形で日本に現存するのは3点のみとされる。こちらは徳川将軍家より3代将軍家光の乳母・春日局の手を経て、淀藩主稲葉家に伝来した。家光が春日局に、服薬のために献じた。大小の斑文の周りを青色や虹色に輝く光彩が囲み、宇宙の星を覗き込むような心になる美しい茶碗。河野元昭(静嘉堂文庫美術館館長)は、「曜変天目 の美は言葉では語れない」と述べる。
華麗な光源氏の一行と船中の明石君とのすれ違う恋を描いた俵屋宗達の国宝《源氏物語関屋澪標図屏風》「澪標図」。
国宝《太刀 銘 泡永》、太刀の妖しいほどの輝き。
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★展示作品の一部
国宝《曜変天目 (稲葉天目)》建窯、南宋12-13世紀
重要文化財《油滴天目》建窯、南宋12-13世紀
国宝《太刀 銘 泡永》
唐物茄子茶入《付藻茄子》《松本(紹鷗)茄子》は、信長・秀吉・家康に伝来した大名物。これらは1615年大坂夏の陣で大破したが、その破片を集めて、塗師の名工である藤重藤元(ふじしげ とうげん)・藤巌(とうがん)父子によって漆繕いされて復元された。
国宝 伝 馬遠《風雨山水図》南宋時代・13世紀 静嘉堂文庫美術館蔵
[前期(10月1日(土)~11月6日(日))展示]
(国宝)《風雨山水図》馬遠筆の伝承を持つ
(重要文化財)画僧・牧谿の《羅漢図》
(重要文化財)酒井抱一《波図屏風》江戸時代・1815年(文化12)頃 静嘉堂文庫美術館蔵
[後期(11月10日(木)~12月18日(日))展示]
国宝 俵屋宗達《源氏物語関屋澪標図屏風》、17世紀
尾形光琳《住之江蒔絵硯箱》(重要文化財)、18世紀、酒井抱一《波図屏風》、
鈴木其一《雪月花三美人図》、19世紀
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【織田信長、中世的権力との戦い】「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。幸若舞」『敦盛 』、麒麟、岐阜城、天下布武、武の七徳、第六天魔王、天正、明晰透徹、安土城天主七層五階、安土宗論。千宗易、狩野永徳、本因坊算砂、天下一の達人を求める。五徳、仁義礼智信。
【曜変天目、建窯、南宋12-13世紀】稲葉天目、大徳寺龍光院、藤田美術館。天下に3碗あるとされるが、もう一つあった。幻の曜変天目。それはだれが所持したか。天王寺屋、津田宗及を経て曜変天目が、大徳寺龍光院に伝った。
【曜変天目、稲葉天目、建窯、南宋12-12世紀、3代将軍家光の乳母春日局旧蔵】曜變、稲葉丹州公にあり、東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せしより、比類品世に屈指数無之なり、茶碗四寸五分位、高臺ちひさし、土味黒く、薬たち黒く、粒々と銀虫喰塗の如くなるうちに、四五分位丸みにて鼈甲紋有之、めぐりはかな気にて見事なり、星の輝くが如し。(名物目利聞書)
【織田信長と耀変天目茶碗】永禄11(1568)年、織田信長が上洛。天王寺屋、津田宗及の屋敷で、会合衆の集会。永禄12年(1569)百人余りが終日宴を張った。本能寺の茶会、天正10(1582)年6月2日、信長は足利義政所伝の耀変天目茶碗を所持していたが本能寺の変で焼失した。
【織田信長、本能寺の変、天正10年6月2日】
信長は、天正10年(1582)5月29日、僅かの供を連れただけで安土を出発、その日の内に京都の本能寺に入った。信長が京都における宿所としてよく使っていたのが本能寺と、法華宗寺院の妙覚寺で、この時、信長は本能寺を宿所とした。本能寺は、堀と土塁に囲まれ、城郭寺院。本能寺は自ら京都に城を持たなかった信長の定宿であった。
太田牛一『信長公記』によると、5月29日の信長一行は、「御小姓衆二、三十人召列れられ、御上洛」とある。御小姓衆が20~30人で、その他に警固の武士もいるので、少なくとも100人はいた。『当代記』には「百五十騎」とある。
【備中高松城水攻め、羽柴秀吉】信長は安土と京都を往き来している。このときの上洛の目的は何だったのか。ひとつは、備中への出陣のためである。備中高松城を水攻めしている羽柴秀吉からの要請を受け、明智光秀をその応援に向わせ、首尾を見届けるための形式的な出陣。
【三職推任】主目的と思われる朝廷からの「太政大臣か関白か征夷大将軍か、お好きな官に任命しよう」という、“三職推任”に対する返答をするためだった。
【天下三肩衝】信長のねらいは、信長が安土城から名物茶器として名高い九十九茄子・珠光小茄子・紹鷗白天目・小玉澗の絵・牧谿のくわいの絵など天下の逸品38種を運ばせていた。本能寺で大茶会を開くのが目的だった。茶会には、博多の豪商島井宗室のほか、近衛前久ら公家たちが招かれている。茶会の後酒宴になり、信長は本因坊算砂の囲碁の対局をみて床についた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★参考文献
三菱の至宝展・・・幻の曜変天目
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「桃山―天下人の100年」3・・・茶の湯、足利義政、織田信長、今井宗久、千宗易、豊臣秀吉、楽長次郎
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織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
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「響きあう名宝─曜変・琳派のかがやき─」・・・幻の曜変天目、本能寺の変
https://bit.ly/3UYWOpe
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★静嘉堂創設130周年・新美術館開館記念展I「響きあう名宝─曜変・琳派のかがやき─」
静嘉堂文庫美術館、2022年10月1日(土)から12月18日(日)まで
(静嘉堂@丸の内)住所:東京都千代田区丸の内2-1-1 明治生命館 1階
明治生命館(昭和9年〈1934〉竣工)
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』286回
【知恵ある王と暴虐な独裁者との戦い】プラトンは「知恵ある王が支配する国家」を理想としたが、現実には、独裁制、寡頭制、名誉支配制、衆愚制、が出現して、最悪の政治形態になると予想した(プラトン『国家』)。偉大な王、知的な王、明晰透徹な王、知恵ある王、理想を追求する王。【堕落した国家の諸形態】邪知暴虐な王、残虐王、民から税金を巻き上げる詐欺王、金を巻き上げる守銭奴、邪教を用いて金を巻き上げる邪宗王。権力の歴史は、権力闘争の歴史である。知恵ある王と暴虐な独裁者との戦いが、永遠に繰り広げられる。
【権力者と藝術】覇権争いで勝利した国家、封建領主、自由都市、王家の王女、富裕層、富裕商人。権力者は権力を争い、権力者は藝術を愛好し、藝術を外交に用いる。藝術と権力者の歴史をめぐる美術展。
私は思い出す。藝術を愛好した権力者【メディチ家とプラトン・アカデミー】コジモ(1389-1464)、1439年プラトン哲学の奥義を聴く。1463年プラトン・アカデミーをメディチ家カレッジ別荘(Villa Medici di careggi)に創設。【フィレンツェ包囲網】ロレンツォ・デ・メディチ、ナポリ王と和平。ヌムール公・ジュリアーノ・デ・メディチ、フランソワ2世。【ヴェネツィア】1508年、ローマ教皇ユリウス2世と対立、1538年、プレヴェザの海戦、地中海の覇権失う。
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【王と権力闘争、藝術を愛好した権力者】【アマルナ美術、エル・テル・アマルナ遷都】アクエンアテン王、ネフェルティティ、13歳の王ツタンカーメン。BC 14世紀中頃【カデシュの戦いBC1286】古代エジプト新王国ファラオ・ラムセス2世、ヒッタイト王ムワタリとカデシュの戦い、カデシュの和約。王妃ネフェルタリ、アブシンベル神殿。【ラムセス2世】生涯に8人の正妃、及び多くの側室を娶り、100人以上の子をもうける。67年間王位。第19王朝。【ネフェルタリ】ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。在位、前1279-1213年。治世62年目、92歳薨去。
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【古代都市国家】アクラガス、カルタゴと戦うBC402、コンコルディア神殿。【ペロポネソス戦争】アテナイ、ペリクレス、スパルタと戦う。
【ルネサンス、メディチ家、対教皇庁戦争】メディチ家ロレンツォ、シクストゥス4世と戦う。ロレンツォ・デ・メディチ、ヌムール公・ジュリアーノ・デ・メディチ、フランス・ルネサンス、フランソワ2世、ハプスブルク家マリア・テレジア。
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【ハプスブルク家の戦争】ロレンツォ=デ=メディチが死んだ1492年から2年後1494年、フランス王シャルル8世の軍のイタリア侵入が始まりイタリア戦争が勃発。【イタリア戦争(ハプスブルク・ヴァロワ戦争】第1-5次1494~1559年)。 1527年カール5世のローマ劫略、レパントの海戦(1571)、無敵艦隊の海戦(1588年)。スペイン継承戦争(1701-14)。オーストリア継承戦争(1740年)。シュレージエン戦争(1740年
【ハプスブルク家、蒐集家たち】デューラーを庇護したマクシミリアン1世、ボスを愛好したフィリップ美公、ティツィアーノを召し抱えたカール5世、ボスを蒐集したフェリペ2世、奇想画家アルチンボルトを擁したルドルフ2世、ベラスケスを官僚として重用したフェリペ4世。
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【嵯峨天皇と空海】平城上皇の乱、
【吉備真備、数奇な人生、度重なる左遷、72歳で右大臣、81歳で死す】真備は、23歳で遣唐使42歳で帰国、19年唐に渡った学者として出発。聖武天皇、阿倍内親王(孝謙天皇)、歴代の天皇に仕える。阿倍内親王は阿修羅像のモデル。右大臣・橘諸兄、僧正・玄昉、東宮博士
【平治の乱1159年】藤原信頼と源義朝が、藤原信西にクーデタ。平清盛、熊野詣から京都へ戻り、後白河上皇、二条天皇を六波羅の清盛邸に救出。天皇と上皇を女装させて牛車に乗せる。源義朝、敗北。後継者、源頼朝、13歳、伊豆国に流される。後白河上皇、天下一の大天狗。
【保元の乱1156年】後白河天皇、崇徳上皇、兄弟の対立。藤原信西、藤原信頼の対立。平清盛、後白河天皇を武力により支持。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
「平治物語絵巻」三条殿夜討巻、鎌倉時代・13世紀後半。
平治元年(1159)に勃発した平治の乱は、その3年前に起きた保元の乱とともに、武士の台頭を示す大きな変革の1つであり、源平争乱の幕開けとなる戦い。「平治物語絵巻」はその約100年後に制作された絵巻、もとは十五巻近い大作。
増山雪斎《孔雀図》、1801、雪斎は、本名を正賢(まさかた)と言い、江戸時代中期に伊勢長島藩(現在の三重県桑名市長島町)を治めた大名。
狩野山雪、老子、西王母図屏風、17世紀
アンソニー・ヴァン・ダイク《メアリー王女、チャールズ1世の娘》1637年頃
Museum of Fine Arts, Boston, Given in memory of Governor Alvan T. Fuller by the Fuller Foundation
カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)《サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む》1726-1730年頃
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参考文献
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ボストン美術館 日本美術の至宝、東京国立博物館・・・美の宴2012
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ボストン美術館の至宝展、東京都美術館・・・陳容「九龍図巻」2017
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ボストン美術館、肉筆浮世絵「江戸の誘惑」江戸東京博物館2006
ボストン美術館展 芸術×力・・・増山雪斎「孔雀図」、「平治物語絵巻」三条殿夜討
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ボストン美術館展 芸術×力・・・藝術と権力の歴史
https://bit.ly/3vzfsJ6
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「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」・・・絶対権力者が手に入れられない秘宝
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
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メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
http://
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
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ハプスブルク家、600年にわたる帝国・・・旅する皇帝と憂愁の王妃
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ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史・・・黄昏の帝国
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ボストン美術館展 芸術×力、東京都美術館
2022年7月23日(土)~10月2日(日)
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』285回
私は思い出す。藝術を愛好した権力者、ロレンツォ・デ・メディチ、ヌムール公・ジュリアーノ・デ・メディチ、フランソワ2世。
【藝術と権力者】覇権争いで勝利した国家、封建領主、自由都市、王家の王女、富裕層、富裕商人。権力者は権力争いし、権力者は藝術を愛好し、藝術を外交に用いる。藝術と権力者の歴史をめぐる美術展。
思い出す。藝術を愛好した権力者、古代エジプト新王国ファラオ・ラムセス2世、アクエンアテン王。古代都市国家、アクラガス、アテナイ。ルネサンス、メディチ家、ロレンツォ・デ・メディチ、ヌムール公・ジュリアーノ・デ・メディチ、フランス・ルネサンス、フランソワ2世、ハプスブルク家マリア・テレジア。嵯峨天皇と空海、後白河上皇。
【ハプスブルク家、蒐集家たち】デューラーを庇護したマクシミリアン1世、ボスを愛好したフィリップ美公、ティツィアーノを召し抱えたカール5世、ボスを蒐集したフェリペ2世、奇想画家アルチンボルトを擁したルドルフ2世、ベラスケスを官僚として重用したフェリペ4世。
【吉備真備、数奇な人生、度重なる左遷、72歳で右大臣、81歳で死す】真備は、23歳で遣唐使42歳で帰国、19年唐に渡った学者として出発。聖武天皇、阿倍内親王(孝謙天皇)、歴代の天皇に仕える。阿倍内親王は阿修羅像のモデル。右大臣・橘諸兄、僧正・玄昉、東宮博士
【平治の乱1159年】藤原信頼と源義朝が、藤原信西にクーデタ。平清盛、熊野詣から京都へ戻り、後白河上皇、二条天皇を六波羅の清盛邸に救出。天皇と上皇を女装させて牛車に乗せる。源義朝、敗北。後継者、源頼朝、13歳、伊豆国に流される。後白河上皇、天下一の大天狗。
【保元の乱1156年】後白河天皇、崇徳上皇、兄弟の対立。藤原信西、藤原信頼の対立。平清盛、後白河天皇を武力により支持。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
海を渡った二大絵巻
「吉備大臣入唐絵巻」平安時代・12世紀後半
遣唐使として唐へ渡った奈良時代の学者・吉備真備(695~775)が、唐人の難問に不思議な力で立ち向かうという物語を絵画化した作品。後白河法皇 (1127~1192)が制作させた絵巻コレクションの1つ、当時の絵所預であった常盤光長の筆と伝えられる。
「平治物語絵巻」三条殿夜討巻、鎌倉時代・13世紀後半
平治元年(1159)に勃発した平治の乱は、その3年前に起きた保元の乱とともに、武士の台頭を示す大きな変革の1つであり、源平争乱の幕開けとなる戦い。「平治物語絵巻」はその約100年後に制作された絵巻、もとは十五巻近い大作。
《吉備大臣入唐絵巻》12世紀、奈良時代に活躍した学者・政治家である吉備真備の活躍を描いた
《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》13世紀、平安時代末期、上皇派と天皇派の対立を背景に起こった平治の乱をテーマ
増山雪斎《孔雀図》、1801、雪斎は、本名を正賢(まさかた)と言い、江戸時代中期に伊勢長島藩(現在の三重県桑名市長島町)を治めた大名。
狩野山雪、老子、西王母図屏風、17世紀
アンソニー・ヴァン・ダイク《メアリー王女、チャールズ1世の娘》1637年頃
Museum of Fine Arts, Boston, Given in memory of Governor Alvan T. Fuller by the Fuller Foundation
カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)《サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む》1726-1730年頃
オスカー・ハイマン社、マーカス社のために製作《マージョリー・メリウェザー・ポストのブローチ》アメリカ 1929年
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【ボストン美術館、日本美術、公開禁止理由】ボストン美術館、肉筆浮世絵、多数収蔵されている。例えば、傑作、画狂老人卍、北斎『鳳凰図屏風』など、秘蔵。「江戸の誘惑」2006年、以来公開禁止。ビゲローの遺言書により、ビゲローコレクション41.000点の公開禁止。
「江戸の誘惑」江戸東京博物館(2006年)に展示されている作品は、全てウイリアムス・スターシス・ビゲローが収集したコレクション。ビゲローの職業は本来、医師で、モースの導きにより1882年(明治15年)に初来日、日本美術に魅せられて東京に居を構え、モースやフェノロサと共に日本美術品収集の旅をした。更に貧しい日本画家を経済的に援助したり、奈良地方の宝物保存の為の融資を引き受けたりした。岡倉天心による日本美術院(横山大観、下村観山ら)創設時に、2万円(現在の金銭価値にして約2000万円)の寄付をして援助した。約7年間の日本滞在中に収集したコレクションは、浮世絵を始め様々な流派の絵画、刀剣、刀装具類、染織品、漆器、彫刻等、広い分野に渡り、その数は約41,000点に上る。ビゲローが集めたコレクションは、1つ残らずボストン美術館に寄贈され保管されている。明治維新の開国とともに、西洋化の一途を辿る日本に於いて、軽んじられがちだった日本の美術を再び見出し、収集したビゲローは、貴重な日本の伝統文化を美しく保存してくれた人物の1人。
「江戸の誘惑」(2006年)、これらビゲローコレクションは同題目として、110年ぶりに日本へ里帰りしている(神戸、名古屋、東京で展示)。長期に渡ってビゲローの遺志で、門外不出を執り、その数の多さゆえ謎に包まれていたが、1997年に日本からボストンへと研究員による調査団が送られ、初めて陽の目を見た作品も多くあった。これらを代表とするビゲローの700点に及ぶ肉筆画のコレクションは、版画とは異なって注文によって特別に描かれた「特注品」の1点物であり、その価値は、到底計り知る事が出来ない。
ボストン美術館展、肉筆浮世絵「江戸の誘惑」江戸東京博物館2006より
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参考文献
ボストン美術館 日本美術の至宝、東京国立博物館・・・美の宴2012
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ボストン美術館の至宝展、東京都美術館・・・陳容「九龍図巻」2017
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ボストン美術館、肉筆浮世絵「江戸の誘惑」江戸東京博物館2006
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理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
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メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
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ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
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ハプスブルク家、600年にわたる帝国・・・旅する皇帝と憂愁の王妃
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ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史・・・黄昏の帝国
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古今東西の権力者たちは、その力を示し、維持するために芸術の力を利用してきました。威厳に満ちた肖像画は権力を強め、精緻に描写された物語はその力の正統性を示します。
また、力をもつ人々は、自らも芸術をたしなんだほか、パトロンとして優れた芸術家を支援しました。その惜しみない支援によって、数多くのすばらしい芸術作品が生み出されたのです。
さらに、多くの権力者たちは貴重な作品を収集し、彼らが築いたコレクションは、今日の美術館の礎ともなっています。
本展では、エジプト、ヨーロッパ、インド、中国、日本などさまざまな地域で生み出されたおよそ60点の作品をご紹介します。私たちが鑑賞する芸術作品が本来担っていた役割に焦点を当て、力とともにあった芸術の歴史を振り返ります。
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ボストン美術館展 芸術×力、東京都美術館
2022年7月23日(土)~10月2日(日)
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』260回
鈴木其一・夏秋渓流図屏風、群青色の水の流れ金色の線が衝撃的である。百合と紅葉、林と渓流が主役なのか。樹林を流れる群青色の渓流、百合の花と蝉、桜の紅葉、熊笹、樹木に張り付く苔。其一は何を描こうとしたのか。
『夏秋渓流図屏風』の誕生にかかわる先行絵画。円山応挙「保津川図」の渓流の水の流れは強烈である。山本素軒「花木渓流図」は樹林を流れる渓流の構図、渓流の群青は独創的である。鈴木其一は関西旅行して京都の寺院の絵画を研究した。『夏秋渓流図屏風』は40代半ばの最高傑作。師、酒井抱一をこの作で超えたのか。62歳で死す。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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円山応挙(1733年6月12-1795年8月31日)『保津川図屏風』(1795年)62歳で死す。
京都市中にある京友禅の老舗に代々受け継がれてきた絵画。天才絵師・円山応挙の絶筆。八曲一双の屏風絵『保津川図屏風』、高さおよそ1.5m、幅は各隻5mに迫る特大の屏風絵。右隻には水しぶきを浴びそうな迫真の激流、左隻は、ゆったりとした渓谷の風情。この大作を、応挙は亡くなる1カ月前に描き上げた。保津川上流にある丹波国の村の農家に生まれた応挙は、10代前半で京の都へとやって来た応挙は南蛮渡来の眼鏡絵と出会う。眼鏡絵とは西洋の透視図法で描かれた絵をレンズで見る。応挙は、写生を基に絵を描いた最初の絵師、1000人を超える弟子を抱えた。
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展示作品の一部
鈴木其一・夏秋渓流図屏風19世紀
圓山應舉「保津川図」1795、18世紀(千總)
山本素軒「花木渓流図」17-18世紀、生年不詳、没年1706 師匠、山本素程、狩野派。
其一の関西旅行の記録『癸巳西遊日記』(鈴木其一原本、鈴木守一写)19世紀
酒井抱一「夏秋草図」(東京国立博物館)
酒井抱一『青楓朱楓図屏風』
《檜蔭鳴蝉図》谷文晁筆 日本・江戸時代 19世紀 公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館蔵
参考文献
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」東京都美術館・・・世に背を向け道を探求する、孤高の藝術家
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「円山応挙から近代京都画壇へ」藝大美術館・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺
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鈴木其一・夏秋渓流図屏風・・・樹林を流れる群青色の渓流、百合の花と蝉、桜の紅葉
https://bit.ly/2ZCzN3x
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佐藤 康宏
「鈴木其一・夏秋渓流図」(根津美術館)は、この1双の屛風絵を中心に据えて、現代人も驚かす強烈なイメージが、どのようなイメージの脈絡の上に生まれたのかを探ろうとする特別展です。
狩野常信をはじめとする檜を描いた先行作例とか、圓山應舉が屛風に渓流を描く「保津川図」(千總)、樹木と渓流を組み合わせる山本素軒の「花木渓流図」、其一の関西旅行の記録である『癸巳西遊日記』などが、動員されます。
こういうソース探しの試みは本の挿図でやってもいいではないかと思われるかもしれませんが、「名作誕生」(東京国立博物館、2018年)でも実際の作品を並べてみるのは、新たな実感を伴うものではなかったでしょうか。どうぞ体験なさって下さい。
ほかに其一作品もいろいろ出ています。「秋草・波に月図」の小屛風など、表裏の絵が互いに映り合う洒落た趣向です。少し展示替えがあり、酒井抱一「夏秋草図」(東京国立博物館)は、会期の終盤、12月7日-12月19日の間だけお出ましです。
「夏秋渓流図」は鈴木其一(1796?-1858)の40代半ばの作と推定されるのですが、やはり彼の最高傑作ですね。その後は概してつまらなくなります。残念だなあと思いますが、自分自身も人様からそんなふうに見られているかもしれませんので、責めるのはやめましょう。11月5日 17:02
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鈴木其一(1796-1858)の筆になる「夏秋渓流図屏風」は、岩場を削る水流のある檜の林を確かな現実感をもって描いた画面に、異様な感覚を抱かせる描写が充満する作品です。
其一は、江戸の地で、一世紀前の京都で活躍した尾形光琳(1658-1716)を顕彰し、「江戸琳派」の祖となった酒井抱一(1761-1828)の高弟ですが、徹底した写実表現やシャープな造形感覚、ときに幻想的なイメージを加え、個性を発揮しました。
そんな其一の画業の中心にあるのが、最大の異色作にして代表作でもある「夏秋渓流図屏風」です。2020年に、其一の作品としては初めて、重要文化財に指定されました。
本展では、抱一の影響や光琳学習はもとより、円山応挙や谷文晁、古い時代の狩野派など琳派以外の画風の摂取、そしてそれらを、自然の実感も踏まえつつ統合する其一の制作態度を検証して、本作品誕生の秘密を探ります。
根津美術館
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重要文化財指定記念特別展、鈴木其一・夏秋渓流図屏風
根津美術館、2021年11月3日[水・祝]-12月19日[日]
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第247回
初夏の午前、三菱一号館美術館に行く。三菱150年。岩崎弥太郎、弥之助、久弥、小弥太、4代のコレクションの展示。岩崎弥太郎はどうして成功したのか。曜変天目をみると、茶の湯を愛好した織田信長を思い出す。
【織田信長、理念と中世的権力との戦い】「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。幸若舞」「敦盛 」、麒麟、天下布武、武の七徳、第六天魔王、明晰透徹、安土城天主七層五階、安土宗論、千宗易、狩野永徳、本因坊算砂、天下一の達人
【曜変天目、建窯、南宋12-12世紀】稲葉天目、大徳寺龍光院、藤田美術館。天下に3碗あるとされるが、もう一つあった。幻の曜変天目。それはだれが所持したか。天王寺屋、津田宗及を経て曜変天目が、大徳寺龍光院に伝った。
【曜変天目、稲葉天目、建窯、南宋12-12世紀、3代将軍家光の乳母春日局旧蔵】曜變、稲葉丹州公にあり、東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せしより、比類品世に屈指数無之なり、茶碗四寸五分位、高臺ちひさし、土味黒く、薬たち黒く、粒々と銀虫喰塗の如くなるうちに、四五分位丸みにて鼈甲紋有之、めぐりはかな気にて見事なり、星の輝くが如し。(名物目利聞書)
【織田信長と耀変天目茶碗】永禄11(1568)年、織田信長が上洛。天王寺屋、津田宗及の屋敷で、会合衆の集会。永禄12年(1569)百人余りが終日宴を張った。本能寺の茶会、天正10(1582)年6月2日、信長は足利義政所伝の耀変天目茶碗を所持していたが本能寺の変で焼失した。
【織田信長、本能寺の茶会、本能寺の変、天正10年6月2日】
信長は、天正10年(1582)5月29日、僅かの供を連れただけで安土を出発、その日の内に京都の本能寺に入った。信長が京都における宿所としてよく使っていたのが本能寺と、法華宗寺院の妙覚寺で、この時、信長は本能寺を宿所とした。本能寺は、堀と土塁に囲まれ、城郭寺院。本能寺は自ら京都に城を持たなかった信長の定宿であった。
太田牛一『信長公記』によると、5月29日の信長一行は、「御小姓衆二、三十人召列れられ、御上洛」とある。御小姓衆が20~30人で、その他に警固の武士もいるので、少なくとも100人はいた。『当代記』には「百五十騎」とある。
【備中高松城水攻め、羽柴秀吉】信長は安土と京都を往き来している。このときの上洛の目的は何だったのか。ひとつは、備中への出陣のためである。備中高松城を水攻めしている羽柴秀吉からの要請を受け、明智光秀をその応援に向わせ、首尾を見届けるための形式的な出陣。
【三職推任】主目的と思われる朝廷からの「太政大臣か関白か征夷大将軍か、お好きな官に任命しよう」という、“三職推任”に対する返答をするためだったと考えられる。
【天下三肩衝】信長のねらいは、信長が安土城から名物茶器として名高い九十九茄子・珠光小茄子・紹鷗白天目・小玉澗の絵・牧谿のくわいの絵など天下の逸品38種を運ばせていた。本能寺で大茶会を開くのが目的だった。茶会には、博多の豪商島井宗室のほか、近衛前久ら公家たちが招かれている。茶会の後酒宴になり、信長は本因坊算砂の囲碁の対局をみて床についた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
国宝《曜変天目(「稲葉天目」)》建窯、南宋時代(12~13世紀)、(公財)静嘉堂蔵
国宝《源氏物語関屋澪標図屏風》のうち「関屋図」、俵屋宗達、江戸時代・1631(寛永8)年、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:8月18日(火)~9月22日(火)】
国宝《風雨山水図》伝馬遠、南宋時代(13世紀)、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
重要文化財《龍虎図屏風》のうち「虎図」、橋本雅邦、1895(明治28)年、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
『イエズス会士書簡集(アントワネット旧蔵書)』18世紀、(公財)東洋文庫蔵
重要文化財《太刀 銘 髙綱 (附 朱塗鞘打刀拵)》古備前高綱、鎌倉時代(12~13世紀)、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
大名物《唐物茄子茶入 付藻茄子》南宋~元時代(13~14世紀)、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
『八千頌般若経』17~19世紀、(公財)東洋文庫蔵
国宝《倭漢朗詠抄 太田切》平安時代(11世紀)、(公財)静嘉堂蔵【会期中場面替えあり】
国宝『古文尚書』初唐時代(7世紀)、(公財)東洋文庫蔵【展示期間:8月18日(火)~9月22日(火)】
国宝『春秋経伝集解』平安時代(12世紀頃)、(公財)東洋文庫蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
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参考文献
「桃山―天下人の100年」3・・・茶の湯、足利義政、織田信長、今井宗久、千宗易、豊臣秀吉、楽長次郎
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織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
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織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観
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三菱の至宝展・・・幻の曜変天目
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土佐国(高知県)安芸郡井ノ口村の地下浪人の家に生まれた岩崎弥太郎が、苦心惨憺の末、知人を誘って海運業を営む九十九商会――現在の三菱を興したのは、明治3年(1870)のことであった。今年令和2年(2020)は、それから数えて150周年の節目に当たっている。これを記念する特別展が、この「三菱の至宝展」にほかならない。
三菱ゆかりの静嘉堂文庫と東洋文庫、三菱経済研究所、三菱一号館美術館、さらに三菱金曜会や広報委員会が力を合わせ、その優れたコレクションの全貌を堪能していただけるよう智恵を絞った。三菱が文化的に果してきた貢献――現代の言葉でいえばフィランソロフィーをも感じ取っていただければ望外の喜びである。
三菱一号館美術館は、来日して我が国近代建築の基礎を築いたイギリスの建築家ジョサイア・コンドルが設計建設した、三菱一号館をそのままに復元してなったものである。またコンドルは、弥之助の深川邸洋館、高輪邸、久弥の茅町本邸、小弥太が弥之助3回忌に際して建てた世田谷区岡本の廟なども手がけている。
その後久弥が駒込に建てた東洋文庫、小弥太が岡本に造った静嘉堂文庫は、コンドルにも学んだ桜井小太郎が完成させたものである。このように三菱・岩崎家が愛して止まなかったコンドルが没してから、今年は100周年の節目にも当たっている。
饒舌館長 http://
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三菱創業150周年記念 三菱の至宝展、三菱一号館美術館、6月30日(木)-9月12日(日)
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第241回
八重桜咲く森を歩いて、博物館に行く。うこん桜、御衣黄桜、咲き乱れ、紫の躑躅燃える森。1200年で最も早く桜が開花した春。拈華微笑御衣黄桜ひらきけり。春愁のかぎりを躑躅燃えにけり(秋桜子)。
【謎の絵巻「鳥獣人物戯画」、物語の意味、製作目的は謎】
兎と猿が水遊び、兎と蛙が相撲を取り、弓を的に当て合戦する、蛙が田楽を踊り、双六盤を担いだ猿が画面を横切る。蛙本尊の法会に猿が参加する。擬人化された動物たちの愉快で滑稽な姿を、白描画、墨一色で自由闊達に描いた。《鳥獣人物戯画》、12世紀平安時代末期につくられた絵巻。
『鳥獣戯画』甲乙丙丁4巻、各巻11m、全長44m。甲巻には兎、蛙、猿を中心に11種類の動物が登場。乙巻は擬人化をせず、動物図鑑のように15種類の動物たち、空想上の霊獣、麒麟を含む。丙巻は擬人化した動物と人間。丁巻は人間だけが登場する。白描画の線の美しさ、卓越した筆さばき、だが作者は不明である。『鳥獣戯画』をみるのは3度目。だが、全巻をすべて仔細にみるのは、まれなる機会。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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最も日本人に知られ愛されてきた絵巻だが、にもかかわらず、制作年代以外、注文主や絵師が誰なのか、そもそも何の目的にためにつくらせたのか、どんな経緯で高山寺に伝来したのか、という基本的な部分さえ明らかになっていない「謎の絵巻」である。《鳥獣人物戯画》とともに有名な明恵上人も、絵巻の作者ではない。
甲巻は11種類の擬人化した動物、乙巻は15種類の動物が登場する。
現在、甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)の4巻を1件の作品として《鳥獣人物戯画》と呼ぶが、ひと目見れば一目瞭然、各巻はその様式や内容はばらばらで、同じ時代に、同じ筆者の下、一群の作品として制作されたものではない。
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【土屋貴裕研究員による説明】
13世紀、明恵上人によって再興され、華厳と密教、仏教美術の拠点になっていた高山寺へ引き寄せられ、動物たちが生き生きと描かれた絵巻が納められた。誰が描き、誰が納めたのかわからない。明恵上人自身も絵巻を目にしていない。有名なのは甲巻の一部だけ、4巻それぞれの特徴を分析する。
『甲巻、乙巻』は12世紀後半の制作、同一筆者(甲巻の中で筆者が替わる)。
【甲巻】には兎、蛙、猿を中心に11種類の動物が登場し、人間のように遊んだり、法会を催す様子を描いている。奇想天外な世界が繰り広げられる。2015年までの修復から明らかになったこともいくつかあり、常に注目を集めてきた。
【乙巻】は擬人化をせず、動物図鑑のように15種類の動物たち(空想上の霊獣や虎や象など異国の珍獣)を、動物として描いている。途中、牛たちがぶつかり合って戦う場面は、《年中行事絵巻》の園韓神祭(そのからかみのまつり)に描かれる「角合わせ」の行事に似ていることから、《年中行事絵巻》に近いところで制作されたのではないか。
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『丙巻、丁巻』とも制作されたのは13世紀鎌倉時代だが、【丙巻】は擬人化した動物と人間、【丁巻】は人間だけが登場する。
【丙巻】になると、今度は人間が登場する。彼らも囲碁や双六、将棋や取っ組み合い、互いの首に細い布をかけて引き合う「首引き」等、滑稽な遊びに興じ、画面には俗な笑いがあふれ。後半は一転、甲巻と同じく擬人化された動物たちが遊びを繰り広げるが、兎の出番は少なく、主役は猿と蛙。
【丁巻】では画風が変わり、登場するのも人間だけ。即興的な筆線で、曲芸や鞠打ち、流鏑馬や田楽、法会など、滑稽な場面と真剣な場面が交互に続く。法会に列席しているはずの貴族が1人だけ、振り返っている姿は、丁巻の筆者ではないかとも言われている。まるで前の場面に描かれた、木遣りの騒ぎを聞きつけたかのように。
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展示作品の一部
『甲巻』『乙巻』は12世紀後半、平安時代後期の制作、同一筆者(甲巻の中で筆者が替わる)
『丙巻』『丁巻』とも制作されたのは13世紀鎌倉時代
★断簡、摸本
鳥獣戯画模本(長尾家旧蔵本) 室町時代 15~16世紀 ホノルル美術館、前期展示場面、4月13日(火)~5月9日(日)Honolulu Museum of Art, Gifts of the Robert Allerton Fund, 1954(1951.1) and Jiro Yamanaka, 1956 (2212.1)
鳥獣戯画断簡(MIHO MUSEUM本〈丁巻〉)鎌倉時代 13世紀、滋賀・MIHO MUSEUM
鳥獣戯画模本(住吉家旧蔵品)巻第五 安土桃山時代 慶長3年(1598)東京・梅澤記念館
重要文化財 鳥獣戯画断簡(東博本)平安時代 12世紀 東京国立博物館 通期
重要文化財 明恵上人坐像 鎌倉時代 13世紀 京都・高山寺 通期
重要文化財 子犬 鎌倉時代 13世紀 京都・高山寺 通期
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★参考文献
図録「国宝 鳥獣戯画のすべて」東京国立博物館2021
図録「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」東京国立博物館2015
特別展「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」2015年4月28日(火)から2015年6月7日(日)まで
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「鳥獣戯画のすべて」・・・謎の絵巻、怪僧・明恵
https://bit.ly/32XqQ2H
「鳥獣戯画のすべて」・・・怪僧・明恵
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★「国宝 鳥獣戯画のすべて」東京国立博物館、2021年4月13日(火)~5月30日(日)
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第239回
「あやしい絵」、背後にあるものは何か。
失われた幸せ、衝撃から髪を靡かせて疾走し遁走する、葛藤と救済。隠されたドラマは何か。
異界から聖なる者を誘惑する女、一途な執着の女、この世では結ばれない男女の愛、落城寸前の我が子秀頼を守ろうとする淀君、生霊、略奪愛。
その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな 鳳晶子『みだれ髪』1901
泉鏡花『高野聖』、「安珍清姫伝説」、近松門左衛門『心中天網島』、淀君の苦悩、運命の女(Femme fatale)、六条の御息所の生霊(謡曲『葵上』)、与謝野晶子『みだれ髪』、河竹黙阿弥『處女翫浮名横櫛』、『京の舞妓』。
【果たせぬ夢を果たし、晴らせぬ恨みを晴らす】生老病死、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五蘊集苦。果たせぬ夢を果たし、晴らせぬ恨みを晴らす。この世に渦まく悪逆非道、鬼畜、化粧せる不正、不条理に反抗、怨敵調伏する。
北野恒富の屛風『道行』は近松門左衛門「心中天網島」を題材としているが、幕末の志士、高杉晋作「三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」の都々逸を合わせて展示されている。
幕末から昭和初期に制作された絵画、版画、挿図をみると、退廃的、妖艶、グロテスク、エロティック、「単なる美しいもの」とは異なる。「あやしい絵」のほとんどは、女たち、虐げられた者たちである。江戸時代からつづく、封建制、階級社会、抑圧された者たちの世界。鳳晶子『みだれ髪』1901年、ロマン主義の花が開く。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
月岡芳年『魁題百撰相』は、戊辰戦争の兵士たちを、江戸初期の人物の姿を借りて表したシリーズ。実際に芳年は上野戦争の現場を訪れ、傷ついた兵士や遺体を模写したという。流血したその姿からは、無念さや気迫が感じられる。
安本亀八「白瀧姫」1895年頃(明治28年頃)桐生歴史文化資料館蔵
藤島武二装丁、鳳晶子『みだれ髪』1901年(明治34年
稲垣仲静「猫」1919年頃(大正8年頃)星野画廊
上村松園『焰』大正7年、東京国立博物館 [展示期間:3月23日~4月4日]
速水御舟『京の舞妓』、東京国立博物館
曾我蕭白『美人図』江戸時代(18世紀)、奈良県立美術館、東京展のみ、3月23日~4月4日
橘小夢『安珍と清姫』大正末頃、弥生美術館 [後期展示:4月20日~5月16日]
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ《マドンナ・ピエトラ》1874年、郡山市立美術館
アルフォンス・ミュシャ「ジスモンダ」1986
甲斐庄楠音「畜生塚」大正4(1915)年頃、京都国立近代美術館蔵
甲斐庄楠音「幻覚(踊る女)」大正9(1920)年頃、京都国立近代美術館蔵
甲斐庄楠音「舞う」大正10(1921)年
甲斐庄楠音《横櫛》大正5年頃、京都国立近代美術館、通期展示
岡本神草「拳を打てる三人の舞妓の習作」1920、京都国立近代美術館
岡本神草「口紅」1918、京都市立芸術大学資料館
岡本神草「仮面を持てる女」1922、京都国立近代美術館
岡本神草「骨牌を持てる女」1923、京都国立近代美術館
北野恒富『道行』大正2年1913頃、福富太郎コレクション、3月23日~4月4日
北野恒富『淀君』大正9(1920)年
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参考文献
田中麗子「あやしい絵 通史」
「あやしい絵展 図録」毎日新聞社2021
上村松園展・・・美人画の系譜
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「ラファエル前派の軌跡展」・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
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「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
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「怖い絵展」
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