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2026年7月 9日 (木)

「洋館 明治の夢と挑戦」・・・ジョサイア・コンドル設計の鹿鳴館、辰野金吾の中央停車場、100年後に残る建築はなにか

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第439回
廃墟から蘇る、陸奥宗光旧居、台東区根岸。別邸として鶯谷の洋館を購入したのは1883年(明治16年)。
ジョサイア・コンドル設計の鹿鳴館、辰野金吾の中央停車場、100年後に残る建築はあるのか。
謎の洋館、病院坂の医者の家、坂道を降りる謎の美女、
【1883年(明治16年)】鹿鳴館が完成、欧化政策が本格化。政府による条約改正交渉。華族制度や西洋化政策が広がり、自由民権運動への弾圧、政府との対立が深まる。
近代国家としての外交・文化整備が進展した。
江戸の風情が残る日本橋と遠くに望むコンドル設計の洋館
「武蔵百景之内 江戸橋より日本橋の景」小林清親/画 1882年(明治15)
東京都江戸東京博物館蔵 85200735
現在の迎賓館赤坂離宮。大正天皇、皇太子時代の邸宅
東宮御所 彩鸞の間 (『東宮御所写真帖』より)小川一真/撮影 1909年(明治42)頃
東京都江戸東京博物館蔵 22604205
赤煉瓦、長大なファサード…現代に残る東京駅の誕生
「中央停車場建物展覧図」 1911年(明治44)頃、鉄道博物館蔵
「国会議事堂案 外観透視図」 エンデ&ベックマン/作 1887-8年(明 治20-21)頃
ベルリン工科大学建築博物館蔵 Architekturmuseum der Technischen Universität Berlin, Inv. Nr. 20190
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
「洋館 明治の夢と挑戦」・・・ジョサイア・コンドル設計の鹿鳴館、辰野金吾の中央停車場、100年後に残る建築はなにか
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/07/post-92da5c.html
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「洋館 明治の夢と挑戦」江戸東京博物館、
日本建築史のはじまりともいえる法隆寺の建立から1,000年あまりの時が流れ、到来した明治という時代。江戸から明治への転換は、長きにわたり閉ざされていた西洋文化の入口が開き、洋風建築の流入が一気にはじまることを意味しました。本展では、人びとが建築に夢を抱いた「明治の洋館」の世界を、多種多様な資料と立体的な展示手法で描きます。
大工棟梁による擬洋風ぎようふう建築、外国人技術者による非本格的洋館や外国人建築家たちの手がけた本格的西洋建築、工部大学校卒業生等の挑戦、そして皇族や上流階級のための大邸宅にいたるまで、日本の建築史上稀にみるこの大変革の時代の多彩な成果を活写します。
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プロローグ 前夜―幕末の東京・横浜風景―
第1章 ナマコ壁と擬洋風ぎようふう建築
明治元年(1868)、東京開市とともに築地に居留地が開かれます。このとき、外国人のための宿泊・交易場として建てられたのが、伝統的な左官技術ナマコ壁を用いた東京初の洋館・築地ホテル館です。主設計はアメリカ人建築技術者リチャード・ブリジェンスが、工事は大工棟梁の二代目清水喜助が行いました。清水は明治5年 (1872)に大作、第一国立銀行の設計・施工を手がけます。このように、江戸時代以来の大工が明治初期に見よう見まねで作った和洋折衷の建物を「擬洋風建築」と呼びます。
第2章 建築家がやってきた―外国人建築家と「都市風景」
棟梁たちが見よう見まねで建てた擬洋風建築はどれも個性豊かなものでしたが、日本政府が求めていたのは個性よりも「本物の西洋」でした。欧米建築文化の摂取に努めるため、さまざまな国から技師や建築家が来日します。イギリス人のジョサイア・コンドル、ドイツ人のヘルマン・エンデ、ヴィルヘルム・ベックマンらがその代表です。彼らのつくりだす建物は、擬洋風建築とはひと味違う本格的なものとして、都市・東京の風景を壮麗に刷新していきました。
第3章 開花する洋館の明治―日本人建築家の挑戦
明治12年(1879)、ジョサイア・コンドルが育成した日本人が工部大学校造家学科(現・東京大学工学部建築学科)を卒業し、日本人最初の建築家4名が誕生しました。彼らが設計した建築作品のいくつかは東京に現存しており、片山東熊の表慶館(明治41)、曾禰中條建築事務所の慶應義塾図書館(明治45)、辰野金吾の中央停車場(現・東京駅、大正3)などが国の重要文化財に指定されています。日本人建築家たちの果敢な挑戦の軌跡を、現存する建物や失われた作品から見ていきます。
第4章 羨望の住処すみか―明治の洋風邸宅
明治の建築家たちに課せられた使命の中心は、国家を飾る大建築を設計することでしたが、時に邸宅も重要な創作の対象となり得ました。また、ジョサイア・コンドルのように、邸宅を得意とする建築家も少数ながら存在しました。彼らが創造した洋館に共通して言えるのは、そのほとんどが限られた上流階級の人たちの大邸宅であったことです。それらはまさに、人々が瞠目する「羨望の住処」として、明治の東京を華麗に装飾したのです。明治期に建てられた邸宅の群像を、古写真や絵画資料、残された家具、空間の再現などから描きます。
https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/western-style-architecture/
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江戸東京博物館リニューアル記念特別展「洋館 明治の夢と挑戦」
江戸東京博物館、2026年6月23日(火)~2026年8月23日(日)

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