「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」・・・集団肖像画の巨匠の生涯と没落
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第440回
レンブラントの生涯、栄光と没後
レンブラント・ハルメレンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(1606~1669年)は版画史上最大の巨匠とも評され、伝統的表現となったエッチング(腐食銅版画)に新たな表現や技術で取り組んだ。レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《書斎の学者(ファウスト)》1652年頃 エッチング、ビュラン、ドライポイント 国立西洋美術館は、19世紀、ゴヤ、ピカソ、マティスといった画家から、ゲーテの『ファウスト』、ボードレールの詩集『悪の華』やユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ(ノートルダムのせむし男)』などに、大きな影響を与えた。
レンブラント・ハルメレンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインは1607年7月15日、オランダのレイデンの裕福な製粉商人に10人兄弟の9番目の息子として誕生した。14歳のときに画家を目指して修行を始め、18歳レイデンで仲間の画家たちと一緒に工房を開いた。1631年、レンブラントはアムステルダムにアトリエを移すと、翌1632年「テュルプ博士の解剖学講義」を描き、その名声を揺るぎないものにした。当時、オランダでは資金を出し合い、一枚の絵にする「集団肖像画」が流行っていた。
レンブラントは28歳でサスキア6歳年下の女性と結婚。幸福な家庭を得て、レンブラントの創作活動はますます旺盛。サスキアをモデルにした素晴らしい作品も沢山描き、高い値段で売れた。若く美しい妻、画家として手に入れた名誉と金。幸せの絶頂にあったレンブラントの暮らしは贅沢になった。世界中の美術品や骨董品を買い漁り、レンブラントは浪費家となった。
サスキアとの間に生まれた二人の子どもが幼くして次々に亡くなってしまった。1639年、33歳のとき大金を借りて大きな家を買い、この家で生まれた3人目の子どもも育たなかった。さらに4人目の子どもティトゥスが生まれた翌年には妻のサスキアが病気でこの世を去る。
1942年「夜警」を完成させたが、徐々にレンブレントの人気にも陰りが見え始める。当時オランダでは集団肖像画の依頼人が割り勘(Dutch account)で絵の代金を支払うのが一般的。
1652年オランダとイギリスが戦争を始め、オランダの人々は絵を買うどころではなくなり。お金が入らなくなったレンブラントは借金の取り立てに追われ、1656年、50歳のときに破産。
1660年、レンブラントは住み慣れた家を売り払い、小さな家に移り、そこで息子ティトゥスと新しい妻ヘンドリッキェ、彼女との間に出来た娘コルネリアと慎ましやかでありながらも幸せな家族生活を過ごす。しかし、3年後にヘンドリッキェ、さらにその5年後にはティトゥスが27歳の若さで亡くなる。
レンブレントは自画像を描き続けた画家としても良く知られている。1669年、レンブラントが63歳で亡くなったとき、部屋の画架には未完成の絵が置かれたままだった。
17世紀オランダ、商業主義と立身出世主義の勃興の時代である。
長谷川潔(1891-1980)は第一次世界大戦後に単身渡仏し、同地で生涯を終えた。失われつつあった銅版画の古典技法マニエール・ノワール(メゾチント)を独自の形で復興させ、版画の歴史に大きな足跡を残し、またエングレーヴィング、アクアチントなど様々な技法を探求した。《思想の生れる時》 1925年、ドライポイント、《アカリョムの前の草花(草花とアカリョム)》 1969年、メゾチント、を残した。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」エッチング、銅板に直接線を刻んで版を作るエングレーヴィングの代替技法
第1章 版画家レンブラント エッチング
レンブラントが制作に着手した17世紀初頭、エッチングは歴史的な転換期を迎えていました。以前のエッチングは主として、銅板に直接線を刻んで版を作るエングレーヴィングの代替技法であり、その規則正しい線描の再現が重視されました。
第2章 レンブラント版画の影響:17-18世紀
イタリアのジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネやステファーノ・デッラ・ベッラの例のように、レンブラントのエッチングに創造的に感化を受けた作品も生み出されました。
18世紀には、ドイツの芸術家たちを中心に、レンブラントのエッチングへの関心が高まります
第3章 レンブラント版画の影響:19-20世紀
ゴヤはスペイン国内におけるレンブラントのエッチングを熱心に研究し、受けた刺激を自作に反映させました。続いて、19世紀フランスを中心としたエッチング復興リヴァイヴァルの文脈における、レンブラント人気の興隆
フレデリック・レガメ 《『エッチングのパリ』誌ポスター》1875年 リトグラフ/青色紙 レンブラント・ハウス美術館
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参考文献
「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」・・・集団肖像画の巨匠の生涯と没落
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「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」国立西洋美術館・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
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エル・グレコ展・・・天上界と地上界の融合、 「昨夜私は永遠を見た」
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フェルメールと17世紀オランダ絵画・・・ドレスデンの思い出
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ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史、国立西洋美術館・・・黄昏の帝国、旅の思い出
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ハプスブルク家、600年にわたる帝国・・・旅する皇帝と憂愁の王妃
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メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年・・・美女の歴史、詐欺師女、残酷な美女、欲望に溺れる女
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西洋絵画の500年、カラバッジョ・・・バロック、若者たち、女詐欺師、残酷な美女、欲望に溺れる女
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オランダ、アムステルダムの中心に位置するレンブラント・ハウス美術館は、レンブラントが1639年から1658年にかけて実際に暮らした家を利用した、世界で唯一のレンブラント専門の美術館です。レンブラントによるエッチング(腐蝕銅版画)の世界有数のコレクションを中心に、同じく素描作品、さらに彼と関連の深い、あるいは、その強い影響を受けた芸術家たちの作品を収蔵しています。一方、国立西洋美術館でも、レンブラントのエッチングを重点的な収集の対象としており、《病人たちを癒すキリスト》や《三本の木》など代表作を含む、20点余の作品を所蔵しています。
今回の展覧会は、この2つのコレクションを組み合わせ、国内の美術館、大学図書館および海外の個人コレクターから拝借した作品や書籍も加えて、レンブラントのエッチングと、それが同時代および続く時代に与えた影響を見ていく企画です。
展覧会の前半では、まずレンブラントのエッチングに焦点をあてます。彼は当時、先例より刺激を受けつつ、さまざまな実験的な試みを通してエッチング表現の可能性を追究し、その地平を拡げました。そうして生み出された諸作品は、数世紀にわたって芸術家たちに影響を与え続けます。とくに、19世紀には、エッチング技法そのものの再評価と結びつき、レンブラントのエッチングへの関心は熱狂的な高まりをみせました。展覧会の後半では、そうした事例を、版画のみならず文学や批評なども交えてご紹介します。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《書斎の学者(ファウスト)》 1652年頃 エッチング、ビュラン、ドライポイント 国立西洋美術館
フレデリック・レガメ 『エッチングのパリ』誌ポスター 1875年 リトグラフ/青色紙 レンブラント・ハウス美術館
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《窓辺でエッチングを制作する自画像》 1648年 エッチング、ドライポイント、ビュラン/中国紙 レンブラント・ハウス美術館
アンリ・マティス 《版画を彫るアンリ・マティス》 1900-03年 ドライポイント 国立西洋美術館
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《百グルデン版画》 1648年頃 エッチング、ドライポイント、ビュラン/和紙 国立西洋美術館
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「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」が国立西洋美術館、7月7日から9月23日
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