相国寺展、金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・伊藤若冲「旭日鳳凰図」、円山応挙『牡丹孔雀図』
「老子」第45章。梅荘顕常、伊藤若冲、織田信長。
若冲の才能をいち早く見出し、絵の世界へ導き若冲の名を与えたのが相国寺第113世住持の梅荘顕常である。梅荘顕常は若冲という号を与えた。
「大盈(大きく盈ちる)は冲(むな)しきが若く」大成は欠くるが若く、其の用は敝きず。大盈は冲(むな)しきが若く、其の用は窮(きわ)まらず。大直は屈するが若く、大巧は拙なきが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。燥は寒に勝ち、静は熱に勝つ。清静は天下の正たり。「老子」第45章。
大成若缺、其用不弊、大盈若冲、其用不窮。大直若屈、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒、靜勝熱。淸靜爲天下正。「老子」第45章。
織田信長が、天正の元号を命名したのは、靜勝熱。淸靜爲天下正。「老子」第45章。
梅荘は若冲に中国絵画を模写する機会を与え、さらに「若冲」という画号を授けた。近世の相国寺の文化に殷賑を極める、独特の絵画表現を完成する。
「千年、具眼の士を待つ」「理解する士が現れるまで 千年のときを待つ」と言った伊藤若冲)。若冲と親交深く画家としての活動を支えたのが、詩僧として名を馳せた相国寺の僧、梅荘顕常、梅荘の弟子であった維名周奎(いめいしゅうけい)は若冲に画を学び、画僧として活躍した。若冲作品と同時に、その魅力を開花させた背景は何か。
伊藤若冲「乗興舟」「動植綵絵」を完成させた直後の明和4年(1767)春、親友である相国寺の禅僧・大典と共に京の伏見から大坂の天満橋まで川下りをした時の風景を描写した 長大な画巻。拓版画と呼ばれる、ネガフィルムのように白と黒が反転した技法。漆黒の空に記される白抜きの詩文と巻末の跋文は、大典の筆跡。若冲は下絵を制作した後、そこに記す文を大典に依頼した。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1、伊藤若冲「旭日鳳凰図」(1755)
「旭日鳳凰図」(1755)、原型はどこにあるのか。
伊藤若冲の鳥の目と顔は不気味。その原型はどこにあるのか。「旭日鳳凰図」(1755)から始まる鳥の探求。『動植綵絵』30幅 宝暦7年(1757年)頃?明和3年(1766年)頃、若冲41歳から、50歳に、不気味な鳥の目が描かれている。
『鳳凰石竹図』林良筆に原型がある。
『鳳凰石竹図』林良筆、明時代、16世紀
林良(りんりょう、15-16世紀、生没年不詳)は、精彩な着色の花鳥画を得意とし、鳥や樹石の水墨画では、力強く素早い筆致が「草書の如き」と評された。水墨による《鳳凰石竹図》では、鳳凰の尾羽や土坡にその草書的筆致が見られ、素早い筆致ながら精緻さをも保つ。羽を逆立てた首の表情は、まるで樹木の葉のようでもあり、その首自体の細さも相まって、異様な造形を成している。雪舟をはじめその後の日本画家に影響を与えた筆致や特異な造形表現には、伊藤若冲が描いた奇想の原点をみる。
『百鳥図』伝辺文進筆 中国・明時代 15世紀 鹿苑寺
壮大な吉祥図。中央に描かれている鳳凰は百鳥の王とされ、鳳凰が飛べば群鳥たち皆これに従うと言われてきた。金閣寺の屋根から相国寺文化圏の隆盛を長らく見守ってきたのも鳳凰である。花鳥画には、吉祥の意味が込められている。鳳凰は、中国の伝説上の鳥で百鳥の中の王とされ、その表情は愛らしく、手塚治虫の「火の鳥」を連想させる。
伊藤若冲「乗興舟」楽しかった大坂への旅「動植綵絵」を完成させた直後の明和4年(1767)春、親友である相国寺の禅僧・大典と共に京の伏見から大坂の天満橋まで川下りをした時の風景を描写した 長大な画巻。拓版画と呼ばれる、ネガフィルムのように白と黒が反転した技法。漆黒の空に記される白抜きの詩文と巻末の跋文は、大典の筆跡。若冲は下絵を制作した後、そこに記す文を大典に依頼した。
【伊藤若冲『動植綵絵』30幅 宝暦7年(1757年)頃∸明和3年(1766年)頃】
若冲41歳から、50歳まで10年間描く。
生誕300年、若冲展、東京都美術館・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界
2、円山応挙『牡丹孔雀図』1771
円山応挙は、なぜ、『牡丹孔雀図』を描いたのか。
円山応挙『牡丹孔雀図』1771。牡丹は花の王、仏法を守る孔雀。孔雀明王神咒経、孔雀は毒を食う。三毒、貪瞋痴、むさぼること、いかること、愚痴、愚かなこと、毒を喰う、仏法を守る孔雀。【孔雀明王、快慶】金剛峰寺、正治二年(1200年)。
【孔雀明王像、快慶、正治二年(1200) 金剛峯寺】後鳥羽法皇の御願で1200年に造立。孔雀の背に乗る絵画的な姿を表現。孔雀明王は人間の天敵・コブラを食べその害から守ってくれるところから無病息災の信仰を集め明王ながら菩薩の尊顔で表現される。
【伊藤若冲と円山応挙は、同時代人】自身の天職と一家の方針とが矛盾する。
若冲と応挙の合作、『竹鶏・梅鯉図屛風』18世紀、個人蔵が、2024年発見された。
【伊藤若冲と円山応挙】江戸時代、階級社会の厳格な世で、封建制度の身分を捨て、絵師の道を選ぶことができたのは、なぜか。
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3、空海、宮沢賢治 自身の天職と一家の方針とが矛盾する
【空海の苦悩】父は佐伯直田公、母は阿刀家の阿古屋【大学寮入学】延暦10年(791)18歳で大学寮明経科に入学【大学寮中退】延暦11年(792)空海19歳。官僚の出世を諦め山林修行【19歳から31歳まで謎の12年】私度僧から遣唐使へ(797)二十四歳『聾瞽指帰』
【空海と阿刀大足】母方の阿刀[あと]氏は帰化系民族で、外舅[がいきゅう]の【阿刀大足】は桓武天皇の皇子、伊予親王の侍講として従五位にあたる。空海は十二歳から十五歳まで国学(大学の一種)大足に論語、孝経、史伝、文学などを学ぶ。
【最澄と空海】延暦23年(804)第16次遣唐使。遣唐使船の第二船に、38歳の還学生・最澄、第一船に、31歳の留学生20年の長期留学生の空海が乗船。最澄はエリート官僚、桓武天皇の官度僧、還学僧。雲泥の差、私度僧。空海、なぜ、留学僧に選ばれたか不明〈伯父の阿刀大足
【空海と不空】不空は、空海(774~835)の師、恵果の師、不空金剛(705~774)『理趣釈経』の著者。空海は不空金剛の生まれ変わりという伝説がある。不空訳『理趣釈』を最澄が借覧を願い出たが、空海は借覧拒否。「叡山ノ澄法師理趣釈経ヲ求ムルニ答スル書」814
【宮澤賢治、妹トシの苦悩】日本女子大卒業論文と一生の仕事について、妹トシ(21歳)は賢治(22歳)に相談した「理想を申し上ぐるならば兄上様ご自身の天職と一家の方針とが一致する事が何よりも望まれ候」『妹トシの手紙、大正7年11月24日』大正11年1922、11月27日午後8時半、肺結核で死去。宮澤賢治、昭和8年死去。
「妹トシから宮沢賢治への手紙は1通だけ存在する』『年表 作家読本 宮沢賢治』山内修、1989
1924(大正13)年『心象スケッチ 春と修羅』序より「春と修羅」、「無声同国」
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参考文献
相国寺展、金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・伊藤若冲「旭日鳳凰図」、円山応挙『牡丹孔雀図』
生誕300年、若冲展・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界
https:/ /bit.ly /2FWbP7 L
「円山応挙から近代京都画壇へ」・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺
https:/ /bit.ly /2KEGwy j
禅-心とかたち、東京国立博物館・・・不立文字
https:/ /bit.ly /3IVCj7 B
「栄西と建仁寺」・・・天下布武と茶会、戦国時代を生きた趣味人
https:/ /bit.ly /2OAhns z
妙心寺展・・・禅の空間 、近世障屏画の輝き
https:/ /bit.ly /2OACxX q
相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・無の宗教と雪舟、若冲、円山応挙
http:// mediter ranean. cocolog -nifty. com/blo g/2025/ 04/post -57cb8d .html
相国寺展、金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・伊藤若冲「旭日鳳凰図」、円山応挙『牡丹孔雀図』
http:// mediter ranean. cocolog -nifty. com/blo g/2025/ 08/post -b12f39 .html
3、空海、宮沢賢治 自身の天職と一家の方針とが矛盾する
【空海の苦悩】父は佐伯直田公、母は阿刀家の阿古屋【大学寮入学】延暦10年(791)18歳で大学寮明経科に入学【大学寮中退】延暦11年(792)空海19歳。官僚の出世を諦め山林修行【19歳から31歳まで謎の12年】私度僧から遣唐使へ(797)二十四歳『聾瞽指帰』
【空海と阿刀大足】母方の阿刀[あと]氏は帰化系民族で、外舅[がいきゅう]の【阿刀大足】は桓武天皇の皇子、伊予親王の侍講として従五位にあたる。空海は十二歳から十五歳まで国学(大学の一種)大足に論語、孝経、史伝、文学などを学ぶ。
【最澄と空海】延暦23年(804)第16次遣唐使。遣唐使船の第二船に、38歳の還学生・最澄、第一船に、31歳の留学生20年の長期留学生の空海が乗船。最澄はエリート官僚、桓武天皇の官度僧、還学僧。雲泥の差、私度僧。空海、なぜ、留学僧に選ばれたか不明〈伯父の阿刀大足
【空海と不空】不空は、空海(774~835)の師、恵果の師、不空金剛(705~774)『理趣釈経』の著者。空海は不空金剛の生まれ変わりという伝説がある。不空訳『理趣釈』を最澄が借覧を願い出たが、空海は借覧拒否。「叡山ノ澄法師理趣釈経ヲ求ムルニ答スル書」814
【宮澤賢治、妹トシの苦悩】日本女子大卒業論文と一生の仕事について、妹トシ(21歳)は賢治(22歳)に相談した「理想を申し上ぐるならば兄上様ご自身の天職と一家の方針とが一致する事が何よりも望まれ候」『妹トシの手紙、大正7年11月24日』大正11年1922、11月27日午後8時半、肺結核で死去。宮澤賢治、昭和8年死去。
「妹トシから宮沢賢治への手紙は1通だけ存在する』『年表 作家読本 宮沢賢治』山内修、1989
1924(大正13)年『心象スケッチ 春と修羅』序より「春と修羅」、「無声同国」
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参考文献
相国寺展、金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・伊藤若冲「旭日鳳凰図」、円山応挙『牡丹孔雀図』
生誕300年、若冲展・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界
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「円山応挙から近代京都画壇へ」・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺
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禅-心とかたち、東京国立博物館・・・不立文字
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「栄西と建仁寺」・・・天下布武と茶会、戦国時代を生きた趣味人
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妙心寺展・・・禅の空間 、近世障屏画の輝き
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相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・無の宗教と雪舟、若冲、円山応挙
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相国寺展、金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・伊藤若冲「旭日鳳凰図」、円山応挙『牡丹孔雀図』
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