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2025年6月 2日 (月)

「五大浮世絵師展 ―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳―」・・・文化文政の浮世絵師、寛政の改革に死す

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第402回
蔦屋重三郎は、脚気・心不全が原因で47歳で死す。化政文化をプロデュース、吉原細見、黄表紙、洒落本、狂歌、など刊行。喜多川歌麿、東洲斎写楽を世に出す。田沼意次への恨みで松平定信が実施した寛政の改革で財産没収。寛政9年(1797年)死す。47歳。
喜多川歌麿の前半生は不明、寛政3年(1791)ころ、蔦屋から美人大首絵を刊行。二代歌麿、月麿、藤麿、多数の門人を排出。文化元年(1804)、出版関係者が相次いで処罰、歌麿も、入牢3日、手鎖五十日の受刑、歌麿の死因は受刑が原因。文化三年(1806)死す。年齢不詳。
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蔦屋重三郎の生きた時代は、江戸時代中期。重三郎は寛延3年(1750年)に生まれ、寛政9年(1797年)に亡くなる。化政文化の中心的人物の一人として、浮世絵や狂歌を出版。松平定信が実施した寛政の改革で、風俗や出版物に対する規制が強化された。蔦屋重三郎が出版した洒落本などは風紀を乱すとして取り締まりの対象となり、財産の一部を没収される処罰を受けた。晩年の重三郎は病に苦しみ、47歳という若さで生涯を閉じた。死因は当時の国民病とも呼ばれた脚気(かっけ)。ビタミン欠乏症が原因で起こる病気。症状が進むと心不全や神経障害などを引き起こし、蔦屋重三郎のように命を落とす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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本展は、女性を優麗に描いた喜多川歌麿、劇的な役者絵で人気を博した東洲斎写楽、風景・花鳥・人物と森羅万象を独自に表現した葛飾北斎、名所絵を中心に浮世絵に新風を吹き込んだ歌川広重、そのユーモラスな画風で大いに存在感を発揮した歌川国芳。美人画、役者絵、風景画など各分野で浮世絵の頂点を極めた5人の絵師の代表作を中心に約140点が展示される。
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【第一章、喜多川歌麿―物想う女性たち】
喜多川歌麿の前半生は不明、寛政3年(1791)ころ、蔦屋から美人大首絵を刊行。二代歌麿、月麿、藤麿、多数の門人を排出。文化元年(1804)、出版関係者が相次いで処罰、歌麿も、入牢3日、手鎖五十日の受刑、歌麿の死因は受刑が原因。文化三年(1806)死す。年齢不詳。
妖怪画の元祖、鳥山石燕を師として、画を学んだ。鳥山石燕(1712~1788)の作品妖怪画集『画図百鬼夜行』、魅力は妖怪だけではない、『鳥山彦』猿蟹合戦、七夕の織姫、富士山、手長猿。テーマも石燕は描いている。
寛政期(1789~1801)を中心に活躍。女性の理想像を追求し色香を見事に表現した美人画の第一人者と言われた。二十代半ば頃、北川豊章の名前で出版した役者絵が錦絵のデビュー作。その後、出版元の蔦屋重三郎がスカウトし華麗なるペンネーム、喜多川歌麿を与え、専属的に次々と名作を世に出しヒットさせ、大スターに育て上げた。遊女、芸者の艶姿を描くのと同時に、「ミスお江戸」の美女たち、市中の看板娘をもモデルとし人気絵師、美人画の第一人者に登りつめた。
喜多川歌麿「当世踊子揃 吉原雀」
喜多川歌麿「教訓親の目鑑 俗二云 ばくれん」
喜多川歌麿「両国橋上橋下納涼之図(橋下の図)」
【第二章 東洲斎写楽―役者絵の衝撃】
江戸三座の役者を題材にした作品で鮮烈なデビューを飾り、寛政6年(1794)5月から翌年の1月までの10ヵ月間に約145点の錦絵を残した絵師。活躍期が短い。四期に分類される。
【写楽は、何者か。斎藤十郎兵衛】「写楽 俗称は斎藤十郎兵衛。八丁堀に住む。阿波の能役者。号は東洲斎」出典『増補浮世絵類考』天保年間(1830~44年)。
その経歴の記録が乏しい反面、個性的でインパクトの強い役者大首絵を遺したところから、謎多き絵師として知られている。写楽の作画期は取材した芝居の上演時期によって4期に分けることができ、またそれにより作風がきれいに分類できることが特徴的である。
今回展示する写楽作品の半分以上が第1期の大首絵作品で、これだけの点数が一同に揃うことはたいへんに希少な機会。写楽も歌麿同様、蔦屋重三郎に見出された。浮世絵の黄金期にその存在感と異彩を放った画家のひとり。
東洲斎写楽「二世嵐龍蔵の金貸石部金吉」
東洲斎写楽「三世坂東彦三郎の鷺坂左内」
東洲斎写楽「大童山土俵入り 大童山文五郎」
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【第三章 葛飾北斎―怒涛のブルー】
安永8年(1779)にデビュー。画歴70年以上の中で版本挿絵は勿論、錦絵、摺物、肉筆画などあらゆる分野の仕事を手がける。《冨嶽三十六景》シリーズを発表するのは70歳代に入ってから。その前後を展示作品で概観すると明らかに色彩が豊かになっている。絵具の変化もあるが、老境に入ってより彩りが増し、画狂老人卍、新しきテーマ、素材に挑戦する北斎の探求心と凄み。北斎の《冨嶽三十六景》と広重の《東海道五拾三次之内》、ほぼ同時期に発表されたこの2シリーズ、互いの領分、方向性の違いを見比べてみよ。
葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」
葛飾北斎「冨嶽三十六景 東海道金谷ノ不二」
葛飾北斎「楠多門丸正重 八尾の別当常久」
【第四章 歌川広重―雨・月・雪の江戸】
定火消し同心の子。文化6年(1809)家職を継ぐが、15歳の頃、歌川豊広に入門、文政元年(1818)一遊斎の号でデビュー。当初は役者絵や美人画を描いていた。広重を風景画の絵師として決定付けたのが《東海道五拾三次之内》シリーズ、当時の旅ブームと相まって、大ベストセラーとなった。《東海道五拾三次之内》のような“街道絵”と共に、江戸市中をはじめ、各地の名所を描いた“名所絵”も得意としており、1858(安政5)年に62歳で亡くなるが、1856(安政3)年から制作された「名所江戸百景」が空前の大ヒット。
江戸は【安政2年(1854年)安政の大地震】で被害を受けており、名所江戸百景は災害からの復興を祈念した世直しの意図もあった。焼き尽くした風景を絵で再生した。《名所江戸百景》シリーズは晩年の傑作。風景画として異質な縦構図をあえて取り、鳥瞰図を楽しみ、近景と遠景のギャップを見せ、画面への収まりのバランスをあえて崩し、縦横無尽の視点、視覚をもって見る者を楽しませる。
歌川広重「東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景」
歌川広重「東海道五拾三次之内 庄野 白雨」
歌川広重「名所江戸百景 水道橋駿河台」
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【第五章 歌川国芳―ヒーローとスペクタクル】
歌川広重と同じ歳の国芳は15歳の時に初代・歌川豊国の門人となり、文化末ころから作画を始めるがヒットせず。文政10年(1827)《通俗水滸伝豪傑百八人之一個》でブレイク、その地位を確立した。特徴的なワイドスクリーン(続き物を一つの大画面として扱う構図)の三枚続で、武者絵の広がりを見せる。風景画には西洋風の表現を取り入れ、美人画には華美な遊女が描けない時代に縞や格子のシックで粋な装いの街の美人たちを描いて好評を博し、錦絵に戯画という一分野を築き上げた。
歌川国芳「本朝水滸伝剛勇八百人一個 宮本無三四」
歌川国芳「相馬の古内裏」1844-46
歌川国芳「人かたまつて人になる」
歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝を救う図」1850-52
江戸時代には数多くの浮世絵師が活躍したが、本展では、人気と実力を兼ね備えたトップ5である“五大浮世絵師”の優品約140点を選りすぐって展示。役者絵や美人画、名所絵、武者絵、戯画まで、多彩なジャンルを取り上げながら、浮世絵史に残る重要な作品が多数紹介される。この五大浮世絵師の作品群を見比べながら、ぜひ、“推し”の絵師や作品を探してみてはいかがでしょうか。大河ドラマ「べらぼう」で浮世絵や江戸文化に興味を持った方にもオススメしたい展覧会です。
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参考文献
「大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」江戸東京博物館・・・謎の絵師写楽、画狂老人卍
「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
「新・北斎展」森アーツセンターギャラリー・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』
「The UKIYO-E 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクション」・・・浮き世の遊宴と享楽と美女
「筆魂 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」・・・画狂老人卍『鳳凰図屏風』の思い出
「冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重」・・・冨嶽三十六景46図と広重「名所江戸百景」
「五大浮世絵師展 ―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳―」・・・文化文政の浮世絵師、寛政の改革に死す
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/06/post-b61734.html
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【展覧会情報】
五大浮世絵師展 ―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳―
会場:上野の森美術館(東京・上野公園)
会期:2025年5月27日(火)~7月6日(日)会期中無休
開館時間:10時~17時(入館は閉館の30分前まで)

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