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2024年9月の記事

2024年9月24日 (火)

「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」・・・孤高の画家、熱帯の光芒

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第378回

孤高の画家【燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや、田中一村】10代にして与謝蕪村の南画(水墨画)に才能を発揮し「神童」。17歳で東京美術学校日本画科に入学するが2か月で退学。東山魁夷と同期。40代以降、日展、院展、へ出展するが、落選。1958年50歳で奄美大島移住。15点の傑作。《不喰芋と蘇鐵》1973、《アダンの海辺》1976。69歳で死す。
【田中一村(1908-1977)】17歳で東京美術学校日本画科に入学するが2か月で退学。南画家として出発。細密画にも挑む。30歳の時、父母と弟、死亡。千葉へ移住、農業しながら画家として活動。1947年39歳、『白い花』青龍展、入選。1958年50歳で奄美大島移住。大島紬の染色工として働き、漁港で魚を拾って生計を立てる。《不喰芋と蘇鐵》1973、《アダンの海辺》1976。1977年9月11日76歳で死す。
【不屈の画家、田中一村】一村は30歳の時、千葉へ移住。40代以降、日展、院展、展覧会へ出展するが、落選を繰り返す。公募展に入選した唯一の作品《白い花》青龍社展1947年39歳。中央画壇への絶望を深め、奄美行きを決意、家を売る。1958年50歳で12月13日朝、奄美大島の名瀬港に到着。《不喰芋と蘇鐵》1973、《アダンの海辺》1976を描き、69歳で死す。日曜美術館「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村」1984年2月16日、放送された。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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田中一村(1908-1977) 17歳で東京美術学校日本画科に入学するが2か月で退学。南画家として出発。細密画にも挑む。30歳の時、父母と弟、死亡。千葉へ移住、農業しながら画家として活動。1947年39歳、『白い花』青龍展、入選。1958年50歳で奄美大島移住。大島紬の染色工として働き、漁港で魚を拾って生計を立てる。《不喰芋と蘇鐵》1973、《アダンの海辺》1976
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【田中一村の同時代人】高島野十郎、斉藤真一、東山魁夷、杉山寧
【高島野十郎】1890年(明治23年)8月6日 - 1975年(昭和50年)9月17日)本名は彌壽、字は光雄。東京帝国大学水産学科を首席卒業した後に独学で絵の道に入り、画壇との付き合いを避け、独身を貫いた。透徹した精神性でひたすら写実を追求し、隠者のような孤高の人生を送った。生前はほぼ無名だったが、1986年に福岡県立美術館が初の回顧展が開かれた。『傷を負った自画像』1916
【斉藤真一】1922年7月6日 - 1994年9月18日)は、岡山県倉敷市出身の洋画家、作家。映画「吉原炎上」の原作者。
【杉山寧】杉山 寧(1909年10月20日 - 1993年10月20日)は、日本画家、日本芸術院会員、文化勲章受章者。三島由紀夫の岳父。
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参考文献
【変貌する速水御舟】速水御舟(1883-1923)は、歴史画から出発、中国・宋代(11~13 世紀)の院体花鳥画、「折枝画」の様式、細密画、写実・象徴性・装飾性を融合、琳派の構図と装飾性へ到達する。

特別展 日本画に挑んだ精鋭たち ―菱田春草、上村松園、川端龍子から松尾敏男へ―
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-cc9c4e.html
「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」・・・孤高の画家、熱帯の光芒
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/09/post-236a16.html
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田中一村(1902-1977)は、生涯にわたって個展などのかたちで作品を発表することなく、画壇の活躍に絶望、絵を描き続けた日本画家。明治41年(1908年)栃木に生まれ、50代の時に奄美大島へと移住した一村は、亜熱帯の花鳥や風土を題材に、澄んだ光に満ちた独特の絵画を数多く残した。
特別展「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」、過去最大規模となる一村の回顧展。奄美で描いた代表作《不喰芋と蘇鐵》や《アダンの海辺》を筆頭に、神童と称された幼少期の絵画から、未完の大作、そして近年発見された初公開作品まで、250件超の作品を通して一村の全貌を紹介する。
第1章 東京時代:若き南画家として
一村の東京時代。栃木に生まれ、5歳の時に東京に移った一村は、彫刻師の父から絵画を学び、幼くして卓越した画才を示した。南画(水墨画)に才能を発揮し「神童」。17歳で、東京美術学校(東京藝術大学)日本画科に入学するが、2か月後にで退学。「家事都合」。同期に東山魁夷、加藤栄三、橋本明治、山田申吾らがいる。一村は、当時人気を集めていた近代中国の文人画家による吉祥的画題の書画に倣い、若き南画家として身を立てた。
その後、弟と両親を立て続けに亡くした20代の一村は、転居を繰り返し、自らの方向性を模索。この時期一村は空白期とされていた。それまでの南画的な作風から離れ、《椿図屏風》等、力作を生みだすなど、新境地へと歩みを進めた。数え8歳の《菊図》、南画家時代の《蘭竹図/富貴図衝立》、画風転換期に手がけられた《椿図屏風》がある。
第2章 千葉時代:長い模索期
一村の千葉時代。20代で相次いで家族を失った一村は、昭和13年(1938年)、30歳の時、親戚を頼って千葉に移った。周囲との繋がりや支えを得た一村は、身近な小景画や仏画、季節の掛物など、目にみえる相手に向けて丁寧に作品を手がける。
20年にわたる千葉時代の一村は、屋敷の障壁画一式を任されるような大きな仕事を受け、その過程で花鳥画に新境地を見出し、九州・四国・紀南を巡る旅ののち、開放感に溢れた色紙絵を描いた。
一村は40代半ば以降、日展、院展、展覧会へ出展するが、落選を繰り返した。公募展に入選した唯一の作品《白い花》、《千葉寺 春》千葉の風景画、千葉時代という長い模索期に手がけられた作品は無数にある。
第3章 奄美時代:豊かな自然を題材に
一村の晩年、奄美時代を紹介。昭和33年(1958年)、50歳の一村は、単身で奄美大島に移った。一度は千葉に帰るものの、覚悟を決めて再び奄美に戻り、紡工場で染色工として働きつつ、奄美の自然を主題とした作品を制作。最晩年には工場を辞めて制作に注力し、《アダンの海辺》をはじめとする主要な作品を数多く描いたとされる。本展では、《不喰芋と蘇鐵》や《アダンの海辺》、《奄美の海に蘇鐵とアダン》など、奄美時代の作品の数々を展示する。
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展示作品の一部
田中一村 《不喰芋と蘇鐵》 昭和48年(1973年)以前 絹本着色 個人蔵
コピーライト2024 Hiroshi Niiyama
田中一村 《アダンの海辺》 昭和44年(1969年) 絹本着色 個人蔵
コピーライト2024 Hiroshi Niiyama
田中一村 《奄美の海に蘇鐵とアダン》 昭和36年(1961年)1月 紙本墨画着色 田中一村記念美術館蔵
コピーライト2024 Hiroshi Niiyama
田中一村 《椿図屏風》 昭和6年(1931年) 絹本金地着色 2曲1双 千葉市美術館蔵
コピーライト2024 Hiroshi Niiyama
田中一村 《白い花》 昭和22年(1947年)9月 紙本金砂子地着色 2曲1隻 田中一村記念美術館蔵
田中一村 《ずしの花》 昭和30年(1955年) 絹本着色 田中一村記念美術館蔵
コピーライト2024 Hiroshi Niiyama
https://www.tobikan.jp/index.html
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特別展「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」東京都美術館
会期:2024年9月19日(木)~12月1日(日)

2024年9月18日 (水)

「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 -ガンダーラから日本へ-」

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第377回
灼熱の秋、三井記念美術館に行く。ヒンドゥークシュ山脈、バーミヤン、ガンダーラ美術、ガンダーラの瑜伽行唯識学派(4~5世紀)に思いを馳せる。
バーミヤンはアフガニスタンの仏教遺跡。3~7世紀のクシャーナ朝時代のガンダーラ様式(2~3世紀)の系統にある岩肌を彫り抜いて巨大な仏像がかつて見られた。この地は唐の玄奘が訪れ、その著作『大唐西域記』に梵衍那国として記されている。断崖に造られた高さ55mと38mの二基の磨崖仏。ガンダーラの思想家、アサンガ(無着)『摂大乗論』、ヴァスヴァンド(世親)『唯識三十頌』、瑜伽行唯識学派(4~5世紀)の思い出。
【玄奘三蔵 (602〜664)】『西遊記』の三蔵法師のモデルとしてよく知られる唐の仏教僧。玄奘は、20年近くにわたり中央アジアからインドへ旅したが、インドに経典の原典を求めて旅する途中、630年頃にバーミヤンに滞在し、大仏の姿も実際に目撃した。玄奘の旅行記である『大唐西域記』には、二体の大仏を含めバーミヤンの信仰の様子が書かれている。玄奘『大唐西域記』にてバーミヤン東大仏を「釈迦仏」と明言している。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展覧会の趣旨
【バーミヤン遺跡】アフガニスタンの中央部を東西に走るヒンドゥークシュ山脈の中にあります。この地域は、古くからユーラシア各地の文化が行き交う「文明の十字路」とも呼ばれています。渓谷の崖に多くの石窟が掘られ、【東西二体の大仏】が聳えていた。大仏の周囲壁面には「太陽神」と「弥勒」の姿が描かれていた。
バーミヤン遺跡の石窟に造営された、東西2体の大仏を原点とする、【「未来仏」である弥勒菩薩】信仰の流れを、インド・ガンダーラの彫刻と日本の法隆寺など奈良の古寺をはじめ各所に伝わる仏像、仏画等の名品でたどる。なお2001年にイスラム原理主義組織・タリバンによって破壊された大仏の壁画を、調査時のスケッチと写真から作成した再現図を初公開する。
【「弥勒菩薩」】現在兜率天に住まい、釈迦入滅後の56億7千万年後にこの世に下生する、未来の救世主である。弥勒は2〜3世紀頃のガンダーラ地域において既に信仰され、その後バーミヤンを含む中央アジア、中国・朝鮮半島へと広がり。弥勒信仰の源流とアジアへの広がりがある。
『弥勒六部経』弥勒の上生・下生信仰を説いた、『法華経』類には弥勒が住む兜率天への往生と、阿弥陀如来が住む阿弥陀浄土への往生が説かれている。
バーミヤンの大仏と壁画は、2001年3月にイスラム原理主義組織・タリバンによって破壊されてしまいましたが、破壊以前に行われた調査時のスケッチと写真によって、このたび壁画の描き起こし図が新たに完成しましたので、東京にて初公開する。
バーミヤン遺跡とは
バーミヤン遺跡は、アフガニスタンの首都・カーブルから西北西に約120km、標高2500mの高地にあります。約1.3kmにわたる崖には、東西に高さ38mの「東大仏」と高さ55mの「西大仏」がそびえ立ち、800近い石窟群が掘られていました。
また、バーミヤンの地は、6世紀頃から交通の要所となり、多様な人々や文化が行き交い独自の文化が生まれ、「文明の十字路」とも称されている。
【バーミヤン遺跡の東西大仏】周囲には、壁画が描かれていた。東大仏の頭上には、ゾロアスター教の太陽神・ミスラの姿、一方西大仏の周囲には、弥勒が住まう兜率天の様子が描かれていたと考えられています。壁画は大仏とともに破壊されてしまいましたが、破壊前に行われた調査での写真・スケッチをもとに、新たに10分の1縮尺の描き起こし図が完成しました。本展覧会では、それら描き起こし図を東京にて初公開いたします。
【東大仏の頭上に描かれていた】のは、ゾロアスター教の太陽神・ミスラであるという説が有力視されている。インド地域においても、ミスラと同じ語源を持つミトラ神が古くから存在していましたが、紀元前2世紀頃にギリシアの太陽神・ヘリオスの図像がインドに伝わってからは、スーリヤが太陽神として後世まで信仰された。
【西大仏】玄奘が『大唐西域記』にてバーミヤン東大仏を「釈迦仏」と明言しているのに対し、西大仏の尊名については触れられておらず不明でしたが、壁画の内容から「弥勒仏」であった可能性が明らかとなった。
――
大乗仏教を代表するもう一つの学派は、【唯識派】『華厳経』十地品にみられる「あらゆる現象世界(三界)はただ心のみ」という唯心思想を継承、発展させた。4~5世紀のアサンガ(無着)、ヴァスバンドゥ(世親)の兄弟がその代表的な思想家である。出典)
【唯識学派】切は心から現れるもの(識)のみであるという主張による。このような考えは、最古の経典『ダンマパダ』は「ものごとみな 心を先とし 心を主とし 心より成る」(藤田宏達訳)。
【唯識派の特徴】心とは何かを問い、その構造を追究した。この派は、瞑想(瑜伽すなわちヨーガ)を重んじ、その中で心の本質を追究した。そのため瑜伽行派と呼ばれる。
アビダルマ哲学によれば、われわれの存在は刹那毎に生滅をくりかえす心の連続(心相続)である。唯識派は心相続の背後にはたらくアラヤ識(阿頼耶識)を立てた。
アラヤ識は、表面に現れる心の連続の深層にあって、その流れに影響をあたえる過去の業の潜在的な形成力を「たくわえる場所(貯蔵庫)」(ālaya)である。
これは瞑想の中で発見された深層の意識であるが、教理の整合性をたもつ上で重要な役割を果たした。すなわち、無我説と業の因果応報説の調和という難問がこれによって解決された。
無我説は、自己に恒常不変の主体を認めない。自己は、刻々と縁起して移り変わっていく存在であるという。すると、過去と現在の自己が同一であるということは、なぜいえるのであろうか。無我説では、縁起する心以外に何か常に存在する実体は認められない。はたして自業自得ということが成り立つのか。あるいは、過去の行為の責任を現在問うことができるのか。これは難問であった。
解答がなかったわけではない。後に生ずる心が先の心によって条件づけられているということが、自己同一性の根拠とされた。いいかえれば因果の連鎖のうちに自己同一性の根拠が求められた。
しかし、業の果報はただちに現れるとはかぎらず時間をおいて現れることがある。業が果報を結ぶ力はどのようにして伝えられるのか。先の解答はこの点について、十分に答えていない。
深層の意識としてのアラヤ識は、この難問を解消した。心はすべて何らかの印象を残す。ちょうど香りが衣に染みこむように、それらの印象はアラヤ識の中で潜在余力となり、後の心の形成にかかわる。アラヤ識が個々人の過去の業を種子として保ち、果報が熟すとき表面にあらわれる心の流れを形成する。
これによって、「アートマン(自我)がなくて、なぜ業の因果応報や輪廻が成立つのか」という問題に対する最終的な解答が与えられた。
アラヤ識自身も刻々と更新され変化する。アートマン(自我)のような恒常不変の実体ではない。しかし、ひとはこれを自我と誤認し執着する。この誤認も心のはたらきである。これは、通常の心の対象ではなく、アラヤ識を対象とする。また、無我説に反する心のはたらきである。そこで、この自我意識(manas末那識)は特別視され、独立のものとみなされた。
こうして【唯識派】「十八界」において立てられた眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識に加えて、第七の自我意識(manas末那識)、第八のアラヤ(ālaya)識vijñanaが立てられ、心は層からなる統体とみなされ、層構造をもつ心から生まれ出る表象(vijñapti)として一切の現象は説明された。一切は表象としてのみある(vijñaptimātratā)。
しかし、ひとは表象を心とは別の実在とみなす。こうして、みるものとみられるものに分解される。このようにみざるをえない認識構造をもつ心は誤っている(虚妄分別、こもうふんべつ)。
虚妄分別によってみられる世界は仮に実体があるかのように構想されたものでしかない(遍計所執性、へんげしょしゅうしょう)。
そして誤った表象をうみだす虚妄分別は、根源的な無知あるいは過去の業の力によって形成されたものである。すなわち他のものによって縁起したものである(依他起性、えたきしょう)。
こうして依他起なる心、アラヤ識のうえに迷いの世界が現出する。しかし、経典に説かれる法を知り、修行を積み、アラヤ識が虚妄分別としてはたらかなくなるとき、みるものとみられるものの対立は現れなくなり、アラヤ識は別の状態に移り、「完全な真実の性質」をあらわす(円成実性)。
「遍計所執性」「依他起性」「円成実性」は、あわせて「三性(さんしょう)」といわれる。迷いの世界がいかにして成り立ち、そこからどのようにすれば解脱しうるかを説く唯識の根本教義である。日本において、唯識思想は倶舎論とともに仏教の基礎学として尊重されてきた。
服部正明・上山春平『認識と超越<唯識>』(「仏教の思想」第 4巻、角川書店、1970年)
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■展示構成と作品
東京初公開!!
展示室4東西二体の大仏と壁画の描き起こし図
展示室4玄奘三蔵と『大唐西域記』
展示室1・3太陽神の信仰
本展覧会では、こうした太陽神の様々な姿や太陽神と仏教の関わりについてご紹介します。
展示室4・5アジアの弥勒信仰
示室2・7日本の弥勒信仰
ガンダーラ・中央アジアで発展した弥勒信仰は、中国・朝鮮を経て日本にも伝わりました。6世紀の仏教伝来当初より弥勒の存在が重視されていたことが知られ、特に奈良時代に発展した法相宗の寺院では弥勒信仰が盛んとなった。
また、平安時代後期以降も未来仏である弥勒信仰は一層の高まりを見せ、上生・下生信仰のほか、密教や阿弥陀信仰とも関連を持ちながら独自の展開を遂げた。本展覧会では、こうした日本の弥勒信仰を背景に生み出された仏像や絵画などを通して、様々な弥勒の姿をご覧いただきます。
展示室5弥勒に関する経典と図像
【弥勒】経典。『弥勒六部経』弥勒の上生・下生信仰を説いた、『法華経』類には弥勒が住む兜率天への往生と、阿弥陀如来が住む阿弥陀浄土への往生が説かれている。本展覧会では、弥勒の信仰・造像に影響を与えた経典や、様々な弥勒の像容を収めた図像などをご覧いただきます。
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参考文献
無我説と輪廻転生、仏教の根本的矛盾・・・識體の転変、種子薫習。名言種子、我執種子、有支種子
金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、仏陀への旅
転識得智、種子薫習
「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 −ガンダーラから日本へ−」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/09/post-21b8bc.html
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「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 -ガンダーラから日本へ-」
三井記念美術館、9月14日(土)〜11月12日(火)
10:00〜17:00(入館は16:30まで)

2024年9月 1日 (日)

空海「即身成仏義」819-820 『秘蔵宝鑰』序、830

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第376回
六大無礙にして常に瑜伽なり (体)、四種曼荼 各 離れず (相)、三密加持すれば速疾に顕わる (用)、重重帝網なるを即身と名づく (無礙)
法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり。各五智・無際智を具す。円鏡力の故に実覚智なり (成仏)
――
現象・実在界の六つの構成要素、地水火風空識は、遮るものなく永遠に融合している。
四種の曼荼羅は、それぞれ様相の異なる相を表して、そのまま離れることはない。
大日如来と我々の身体・言葉・心の行為形態、三密(身密・口密・意密)が働きによって感応しあうとき、相即融一、すみやかに悟りの世界が現れてくる。
あらゆる身体が帝釈天(インドラ)の持つ網のように幾重にも重なり合いながら映しあうことを、身に即して即身という。
「成仏」
あらゆるものは、あるがままにすべてを知る菩薩の般若智を具えており、すべての人々には心(心王)と心の作用(心数)が備わって無数に存在している。心そのものと心の作用のそれぞれには五種の如来(五知如来)の智慧と、際限のない智慧が備わっている。智慧をもって明らかな鏡のようにすべてを照らし出す(大円鏡智)から真実を悟った者となる。
――
「悠々たり悠々たり太だ悠々たり、内外(ないげ)の縑緗(けんしょう)千万の軸あり、杳々たり杳々たり甚だ杳々たり。道をいい道をいうに百種のみちあり。書死(た)え諷死えなましかばもといかんがなさん。知らじ知らじ吾も知らじ。思ひ思ひ思ひ思ふとも 聖も心(し)ることなけん。牛頭、草を嘗めて病者を悲しみ。断菑、車を機て迷方を愍む。」『秘蔵宝鑰』序
「三界の狂人は狂わせることを知らず。四生の盲者は盲なることを識らず。生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に、死んで死の終わりに冥し」(『秘蔵宝鑰』序、830年)。空海、57歳
★★注
五大(panca-dhatavah、英: five elements)とは、宇宙(あらゆる世界)を構成しているとする地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)・空(くう)の五つの要素。空आकाश, Ākāśa(アーカーシャ)の訳。虚空とも訳される。仏教思想の: शून्य, śūnya(シューニャ 訳語は空)とは異なる。
第六の要素として「識」(意識)を加えて「六大」とする思想。
大日如来の5つの智慧(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を象徴する五智如来がある。大日如来の知恵、法界体性智は、自性清浄なる大日如来の絶対智であり、他の四智を統合する智恵である。
――
★★★★★
参考文献
無我説と輪廻転生、仏教の根本的矛盾・・・識體の転変、種子薫習。名言種子、我執種子、有支種子
金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、仏陀への旅
転識得智、種子薫習
空海『即身成仏義』、大日如来の知恵 五智如来の知恵
空海の旅 旅する思想家、美への旅
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学』
――
【理念を追求する精神】理念を探求する人は、邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孟子、李白、プラトン、織田信長。即身成仏、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
【理念を追求する精神】空海は理念を探求して旅した。空海の24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、プラトン、ソクラテス、ロレンツォ・デ・メディチ、理念に向かって、旅した人。理念を追求する人は、この世の闇の彼方に美を求める。
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。地中海の旅は、美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。旅する哲学者は、至高の美へ旅する。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
『仏説魔訶般若波羅蜜多心経』・・・中観派と唯識派の対立
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-27a785.html
空海「即身成仏義」819-820 『秘蔵宝鑰』序、830
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/09/post-fc4ae4.html

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