2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

« 「神護寺」密教の謎・・・五智如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、無量寿如来、不空成就如来 | トップページ | 田名網敬一 記憶の冒険・・・永遠に熟さず、老いず、極彩色の彼岸と此岸 »

2024年8月 5日 (月)

醍醐寺 国宝展・・・理源大師聖宝、秀吉の醍醐の花見

Daigoji-01-2024
Daigoji-1150-3-2024
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第373回
貞観16年(874)、理源大師聖宝が笠取山の山頂に草庵を結び、准胝観音と如意輪観音を祀った。天暦5年(951)には下醍醐に五重塔が建立。天正4年(1576)に醍醐寺座主となった義演は関白二条晴良を父に持ち、秀吉は慶長3年(1598)に贅を極めた「醍醐の花見」を行った。
――
【密教真言】「金剛手よ、もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず」『般若理趣経』第三段【『理趣経』「第三段」】の教説に関して不空訳『理趣釈』において三界の衆生とは三毒の煩悩と注釈されているが、当該注釈の方向性は空海にも継承され、空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。
【理念を追求する精神】空海は理念を探求して旅した。空海の24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念を追求する精神は、この世の闇の彼方に美を求める。
【理念を追求する精神】邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孟子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
日本の大学は、大学というこの自由な空間を、人間の選別と資格づけのための牢獄に変えてから久しい。ぼくは、大学は学生を募るのに、試験を行ってはならず、また授業料をとってはならないという原則を、いろいろな補いをしながら今なお守っているドイツの大学を讃美する。でなければ、学問も研究も、ますます、奴隷のやる仕事になり下がって行くことを憂いているのである。田中克彦「耳の中の炬火」エリアス・カネッティ 書評より抜粋 2021「わたしが選んだこの一冊」河合塾 収載
――
開創1150年記念 醍醐寺 国宝展
第1章 山の寺 醍醐寺
醍醐寺は醍醐山の頂上にある上醍醐と、山麓の下醍醐に広大な寺領を有している。今日、多くの参詣者は下醍醐までで、上醍醐まで登る人は少ない。しかし、本来醍醐寺の始まりは上醍醐にある。平安時代前期の貞観16年(874)、理源大師聖宝が笠取山の山頂に草庵を結び、准胝(じゅんてい)観音と如意輪観音をまつったのが醍醐寺の始まりである。やがて醍醐寺は醍醐天皇の御願寺となり、天皇の庇護のもと上醍醐に薬師堂や五大堂が建立された。薬師堂には今日に伝わる薬師三尊像をはじめ、今回展示の吉祥天立像や帝釈天騎象像などがまつられた。また、五大堂の五大明王像は四躯が江戸時代に再興されたものであるが、大威徳明王像は創建期の像であり、創建期に遡る初期密教像として貴重である。延長4年(926)、下醍醐に釈迦堂が建立され、天暦5年(951)には下醍醐に五重塔が建立された。こうして醍醐寺は上醍醐と下醍醐の二伽藍からなる大伽藍となったが、上醍醐は開祖聖宝ゆかりの聖地として特別な信仰を集め続けている。室町時代の文明2年(1470)、下醍醐は兵火によって五重塔を残して灰煽に帰したが、上醍醐には兵火が及ばなかった。今日、私たちが醍醐寺の初期に遡る優れた文化財を見ることができるのも、上醍醐と下醍醐という特殊な伽藍構成であったことが大きい。
第2章 密教修法(すほう)のセンター
古来、人々は国の安泰や五穀豊穣、あるいは健康や家内安全など、さまざまな願いを仏に祈ってきた。とりわけ密教の修法(加持・祈祷の作法)は種々の願いに対応する多様性を有しているが、同じ修法でも寺院や流派によって作法が異なり、独自の秘法は門外不出とされることが多かった。雨乞いなら〇〇寺の誰、安産なら✕✕寺の誰というように、特定の験力(げんりき)を有する僧侶がいる寺院には修法の依頼が集中し、皇族や貴族の信仰を集めるようになった。平安時代から鎌倉時代にかけて醍醐寺は高名な学僧や験力の強い僧侶を輩出し、あたかも密教修法の研究センターとでも称すべき観があった。彼らは自流のみならず他流の情報も集め、詳細な記録に残した。また、修法の本尊を描くための設計図である「図像」も熱心に収集した。醍醐寺には近年国宝に指定された文書聖教7万点が伝わっているが、これらは醍醐寺の僧侶たちの数世紀にわたる研究の集積である。密教の聖教をこれほど豊かに伝える寺院はほかにない。この章では、平安時代から鎌倉時代の作品を中心に、仏像や仏画、密教法具を展示する。皇族や貴族の信仰を集めた醍醐寺の美術品は、一流の仏師や絵師の手になるものが多い。人に恐怖心さえ起こさせるほとけの姿にも、どこか優美さがただよっているのはそのためだろう。
第3章 桃山文化の担い手
室町時代の文明2年(1470)、下醍醐は兵火によって五重塔を残して灰燼に帰した。復興に尽力したのが天正4年(1576)に醍醐寺座主となった義演である。義演は関白二条晴良を父に持ち、天正13年(1585)に本来皇族に与えられる称号の准三后となった人物である。復興は豊臣秀吉によるところが大きいが、義演は秀吉とも渡り合える出自と度量をあわせ持っていた。秀吉は慶長3年(1598)に贅を極めた「醍醐の花見」を行ったように、醍醐寺に対して特別な想いを持っていた。秀吉の死後も北政所をはじめとした豊臣氏による復興は続き、金堂、仁王門、上醍醐の諸堂が再興された。今日醍醐寺には三宝院の長谷川派の襖絵をはじめ、俵屋宗達の舞楽図屏風や扇面散図屏風など近世の名画が数多く伝わっている。醍醐寺は桃山の美の殿堂という密教寺院とは別の顔を持っており、それが醍醐寺の大きな魅力となっている。徳川の世になっても醍醐寺に対する庇護は続き、堂宇や仏像の復興が行われた。当時、修験道は当山派(真言宗系)と本山派(天台宗系)などのニ派に分かれ、互いに勢力を競っていた。慶長16年(1611)徳川家康は醍醐寺三宝院に属する修験を当山派と称することを許可し、真言宗の修験道の本寺と認めた。これにより、醍醐寺は全国各地の霊山で行われていた真言系の修験道を統括する寺院となった。
★★開創1150年記念 醍醐寺 国宝展、大阪中之島美術館、2024.06.15 – 2024.08.25
――
参考文献
「京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-」・・・醍醐寺三宝院、織田信長のために祈祷する
https://bit.ly/2NHbWso
「神護寺」密教の謎・・・五智如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、無量寿如来、不空成就如来
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/07/post-d32220.html
修行僧、空海・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-964d84.html
醍醐寺 国宝展・・・理源大師聖宝、秀吉の醍醐の花見
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-706d02.html
――

9月
「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 -ガンダーラから日本へ-」三井記念美術館、9月14日(土)~11月12日(火)
「没後300年記念 英一蝶(仮)」、サントリー美術館、9月18日~11月10日
田中一村展 奄美の光 魂の絵画、東京都美術館、9月19日(木)~12月1日(日)
10月
モネ 睡蓮のとき、国立西洋美術館、2024年10月5日(土)~2025年2月11日(火・祝)
「織田信長文書の世界(仮)」(東京・永青文庫)10月5日~
特別展「はにわ」(東京国立博物館)10月16日~(九州国立博物館)2025年
テレンス・コンラン、モダン・ブリテンをデザインする、東京ステーションギャラリー、10月12日(土)~2025年1月5日(日)
オタケ・インパクト、―越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズム―、泉屋博古館、10月19日(土)~2024年12月15日(日)
11月
「トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル(仮)」(東京・三菱一号館美術館)11月23日~
12月
「坂本龍一展(仮)」(東京都現代美術館)12月21日~
英英紅綠 第49回 白日会会員選抜展、日本橋三越6階、美術特選画廊、12月18日(水)~12月23日(月)
英英紅緑展、山本大貴『十六夜』8号、130万円、1982生まれ。松林淳『装う』6号17万円、1962年生まれ。岩本将弥『葵時雨』6号17万円、1992年生まれ。
美術館スケジュール2024年・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/01/

« 「神護寺」密教の謎・・・五智如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、無量寿如来、不空成就如来 | トップページ | 田名網敬一 記憶の冒険・・・永遠に熟さず、老いず、極彩色の彼岸と此岸 »

密教美術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「神護寺」密教の謎・・・五智如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、無量寿如来、不空成就如来 | トップページ | 田名網敬一 記憶の冒険・・・永遠に熟さず、老いず、極彩色の彼岸と此岸 »