「空海 KŪKAI 」・・・空海の生涯と思想
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第369回
【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質】師が優れているか否かが最も重要【先生が持っている世界観、基礎認知力、持っている体系】【知的卓越性とともに人格の卓越性をもつ人は稀である】人生が夢を作るのではない。夢が人生をつくる。先入観は可能を不可能にする。
【空海『聾瞽指帰』(797)】兎角公の屋敷で兎角公の甥蛭牙公子に放蕩青年を翻意、亀毛先生は儒教学問を学び立身出世することを教え、虚亡隠子は道教の不老長寿を教え、空海の化身である仮名乞児は仏教の諸行無常と慈悲を教える。空海が大学寮明経科退学、官僚の立身出世を辞す。【『三教指帰』】「本書は3つの宗教を比較し、空海自身と宗教との関係について考察している、日本における比較宗教学の先駆け」
空海「古の人は道のために道を求める。今の人は名利のため、地位と利益追求のために道(学問)を求める。求道の志は己の学問(道)を失っている。」古人、道のために道を求む。今の人は名利の為に求む。名のために求むるは求道の志とせず。求道の志は己を道法に忘るなり。」「叡山ノ澄法師理趣釈経ヲ求ムルニ答スル書」(『性霊集』)この2年後、最澄と空海は決別する。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【人生の目的は、魂を磨くことにあり。地位と金銭を得るにあらず】人もし全世界を得るとも、その霊魂を失えば何の益あらん。自己に頼るべし。他人に頼るべからず。能く天の命に聴いて行うべし、神人合一、梵我一如の境地に到達すべし。成功本位の立身出世主義に従うべからず。
【空海『請来目録』806年】(大同元年)9月。216部461巻の密教経「密蔵深玄にして翰墨に載せがたし。さらに図画を仮りて悟らざるに開示す。」「密教の教えは、深遠で玄妙な奥義であり、文章には表現しにくい。そこで絵画の手法を用いて、絵によって、まだ悟りに達しない者に、解き明かす。」
【空海、密教は仏教史の最終形態】
空海と仏教史の謎【無我説と三身(法身、法身、応化身)】
原始仏教は無我説【三法印】諸行無常・諸法無我・涅槃寂静 仏教において三つの根本的な理念(仏法)を示す旗印となる。諸行無常印(anityāṃ sarvasaṃskārāṃ)「すべての現象(形成されたもの)は、無常(不変ならざるもの)である」、諸法無我印(sarvadharmā anātmānaḥ)「すべてのものごと(一切法)は、自己ならざるものである」、涅槃寂静印(śāntaṃ nirvāṇaṃ)-「ニルヴァーナは、安らぎである」
中観派は、「五蘊皆空」色受想行識、感覚される対象は生成消滅する。我(アートマン)は実体ではない。
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金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、仏陀への旅
転識得智、種子薫習
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空海『即身成仏義』、大日如来の知恵 五智如来の知恵
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【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学』
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空海の旅 旅する思想家、美への旅
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無我説と輪廻転生、仏教の根本的矛盾・・・識體の転変、種子薫習。名言種子、我執種子、有支種子
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「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」・・・大日如来、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)
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「空海 KŪKAI 」・・・空海の生涯と思想
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空海の生涯と思想
【空海】774‐835(宝亀5-承和2)
真言宗の開祖。讃岐国(香川県)多度郡弘田郷に生まれた。生誕の月日は不明であるが、後に不空三蔵(七〇五‐七七四)の生れかわりとする信仰から、不空の忌日である六月一五日生誕説が生じた。父は佐伯氏、母は阿刀氏。弟に真雅、甥に智泉、真然、智証大師円珍、また一族に実恵、道雄ら、平安時代初期の宗教界を代表する人物が輩出した。空海『聾瞽指帰』自伝によれば、七八八年(延暦七)十五歳で上京、母方の叔父阿刀大足について学び、十八歳で大学に入学、明経道の学生として経史を博覧した。在学中に一人の沙門に会って虚空蔵求聞持法を教えられて以来、大学に決別し、阿波の大滝嶽、土佐の室戸崎で求聞持法を修し、吉野金峰山、伊予の石鎚山などで修行した。この間の体験によって七九七年二十四歳のとき、儒教、仏教、道教の三教の優劣を論じた出身宣言の書『聾瞽指帰、三教指帰』を著した。このころから草聖と称されるようになった。
【空海、入唐求法】八〇四年四月出家得度し、東大寺戒壇院において具足戒を受け空海と号した。同年七月遣唐大使藤原葛野麻呂に従って入唐留学に出発、一二月長安に到着した。翌八〇五年西明寺に入り、諸寺を歴訪して師を求め、【空海の師】青龍寺の恵果に就いて学法し、八〇五年六月同寺東塔院灌頂道場で胎蔵、七月金剛の両部灌頂を、八月には伝法阿闍梨位灌頂を受け遍照金剛の密号を授けられ、正統密教の第八祖となった。師恵果の滅後八〇六年(大同一)越州に着いて内外の経典を収集し、同年八月明州を出発して帰国した。八〇六年(大同一)一〇月『請来目録』遣唐判官高階遠成に付して『請来目録』を奏上したが入京を許されず、翌八〇七年四月観世音寺に入り、次いで和泉国槇尾山寺に移り八〇九年七月に入京した。
【空海と最澄、嵯峨天皇】八〇九年八月、経疏の借覧を契機に最澄との交流がはじまり、一〇月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上したが、このころから書や詩文を通じて嵯峨天皇や文人の認めるところとなった。八一〇年(弘仁一)一〇月、高雄山寺で仁王経等の儀軌による鎮護国家の修法を申請したが、これが空海の公的な修法の初例である。八一一年一 〇月、乙訓寺別当に補され修造を命じられたが、【空海、最澄に灌頂を授ける『灌頂暦名』810-813】八一〇年(弘仁一)一〇月高雄山寺に帰り、一一月最澄や和気真綱に金剛界結縁灌頂、一二月には最澄以下一九四名に胎蔵界結縁灌頂を授けた。八一三年最澄は弟子円澄、泰範、光定らを空海の下に派遣して学ばしめ、八一三年三月の高雄山寺の金剛界灌頂には泰範、円澄、光定らが入坦している。八一二年末の高雄山寺の灌頂や三綱さんごうの設置は教団の組織化を意味しており、八一三年五月には、いわゆる弘仁の遺誡を作って諸弟子を戒めている。八一四年には日光山の勝道上人のために碑銘を撰し、八一五年四月には弟子の康守、安行らを東国に派遣し、甲斐、常陸の国司、下野の僧広智、常陸の徳一らに密教経典の書写を勧め、東国地方への布教を企てた。八一五年ころ『弁顕密二教論』二巻を著し、八一六年五月、泰範の去就をめぐって、最澄との間に密教理解の根本的な相違を表明してついに決別した。
「叡山ノ澄法師理趣釈経ヲ求ムルニ答スル書」(814-816)空海「古の人は道のために道を求める。今の人は名利のため、地位と利益追求のために道(学問)を求める。求道の志は己の道を失っている。」古人、道のために道を求む。今の人は名利の為に求む。名のために求むるは求道の志とせず。求道の志は己を道法に忘るなり。」「叡山ノ澄法師理趣釈経ヲ求ムルニ答スル書」(『性霊集』)この2年後、最澄と空海は決別する。
八一六年七月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創【空海『即身成仏義』819-820】八一九年ころから『広付法伝』二巻、『即身成仏義』『声字実相義』『吽字義』『文鏡秘府論』六巻、八二〇年『文筆眼心抄』などを著述、その思想的立場と教理体系を明らかにした。八二〇年一〇月伝灯大法師位、八二一年五月には請われて讃岐国満濃池を修築し、土木工事の技術と指導力に才能を発揮した。
【空海、東大寺、東寺】八二二年二月、東大寺に灌頂道場を建立して鎮護国家の修法道場とした。八二三年正月、東寺を賜り真言密教の根本道場とし、同年一〇月には真言宗僧侶の学修に必要な三学論を作成して献上、五十人の僧をおいて祈願修法せしめた。八二四年(天長一)少僧都、八二七年大僧都。
【空海、綜芸種智院】八二八年一二月、藤原三守の九条第を譲りうけて綜芸種智院を開き儒仏道の三教を講じて庶民に門戸を開放した。八二八年ころ、漢字辞書として日本最初の『篆隷万象名義』三十巻を撰述した。【空海、56歳】八三〇年天長六、宗書の一つである『秘密曼荼羅十住心論』十巻、『秘蔵宝鑰』三巻を著し、真言密教の思想体系を完成。『弁顕密二教論』(815)では顕教と密教を比較して、顕教では救われない人も密教では救われる、『即身成仏義』(819-820)の思想を表明しており、これを横の教判といい、『秘密曼荼羅十住心論』の縦の教判に対する。
空海は個人の人格の完成、即身成仏と国家社会の鎮護と救済を目標としたが、八三二年八月、高野山で行った万灯万華法会や、八三五年(承和二)正月以来恒例となった宮中真言院における後七日御修法はその象徴的表現である。同年正月には真言宗年分度者三名の設置が勅許され、翌二月、金剛峯寺は定額寺に列した。同年三月二一日奥院に入定した。世寿六二。
八三九年(承和六)東寺、立体曼荼羅。承和6年(839年)東寺講堂が創建された。
八五七年(天安一)大僧正、八六四年(貞観六)法印大和尚位を追贈され、九二一年(延喜二一)弘法大師の号が諡おくられた。宗教家としてのほかに文学、芸術、学問、社会事業など多方面に活躍し、文化史上の功績は大きく、それに比例して伝説も多い。[和多 秀乘]『日本架空伝承人名事典』
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「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」・・・大日如来、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)
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