「中尊寺金色堂」・・・魔界の入口、中尊寺金色堂の謎
美術探訪、美への巡礼。特別展「中尊寺金色堂」大久保正雄
金色堂の須弥壇に、阿弥陀三尊像(阿弥陀如来、脇侍に観音・勢至菩薩)、更に六体の地蔵菩薩、そして持国天、増長天が祀られている。この像容は、他に例が無く珍しい配置。吾妻鏡9巻(1189年)にこの像容の記載がある。国宝11体展示される。
金色堂の須弥壇に、阿弥陀三尊像(阿弥陀如来、脇侍に観音・勢至菩薩)、更に六体の地蔵菩薩、そして持国天、増長天が祀られている。この像容は、他に例が無く珍しい配置。吾妻鏡9巻(1189年)にこの像容の記載がある。国宝11体展示される。
魔界の入口【中尊寺金色堂の謎】藤原清衡は金色堂にどのような祈りをこめたのか。どのような一族の運命を願ったのか。中尊寺金色堂の原型は何か。藤原頼通は、平等院鳳凰堂に地上の極楽浄土を願った。なぜ今も千年前の姿をとどめるのか。宇治殿別荘、源融、藤原道長、紫式部は宇治に何を夢見たのか。紫式部は夢の果てに何を見出したのか。阿弥陀如来の極楽浄土の根拠はどこにあるのか。『仏説無量寿経』の根拠は何か。
【奥州藤原氏の悲劇】清衡は、一族繁栄、極楽浄土を願ったが、泰衡は源頼朝の罠にかかり一族滅亡。藤原清衡、基衡、秀衡、泰衡。三代秀衡(∸1187)は毛越寺を復興、社堂坊舎を増築し、堂搭四十余宇、僧坊五百余宇「吾妻鏡」。文治3(1187)年、頼朝の弟である義経が追放されて奥州へ落ち延び、秀衡のもとに身を寄せる。秀衡は息子たちに「義経を大将軍として仕え、奥州を守れ」と告げ、兄弟が争わないように取り計らうが亡くなる。だが側室から生まれた国衡と泰衡は対立。文治4(1188)年、義経の奥州潜伏が発覚、頼朝は泰衡たちへ義経討伐の命を何度も要請。泰衡は義経一行を攻め、自害に追いつめる。それにもかかわらず頼朝は全国の武士へ奥州攻め、泰衡は殺され、権勢を誇った奥州藤原氏四代は滅亡。
【藤原清衡、中尊寺金色堂】奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例。「金色堂 上下四壁は皆金色なり」『吾妻鏡』【阿弥陀三尊像】中央壇、右壇、左壇共に阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像、勢至菩薩立像)を中心に、左右に3躯ずつ計6躯の地蔵菩薩立像(六地蔵)、手前に二天像(持国天、増長天)を配し、以上11躯の仏像から構成される群像を安置。中央壇の阿弥陀如来像は丸顔で典型的な定朝様であり、定朝から3代目の円勢などの円派仏師の作風に通ずる12世紀前半の制作。
【平等院鳳凰堂】平安後期1052年、最大権力者であった関白・藤原頼通が父・藤原道長から継いだ別荘を仏寺に改めた『平等院』。そして翌1053年、当時最高技術を誇る仏師・定朝が造り上げた『阿弥陀如来坐像』を堂内に安置した『鳳凰堂』(阿弥陀堂)が完成した。国宝『鳳凰堂』は、摂関時代(平安中期)の建築を知ることができる藝術、堂内には金色の『阿弥陀如来坐像』が安置され、壁に『九品来迎図』や『極楽浄土図』が描かれ、建物内に優美な世界観が広がる。末法思想が貴族や僧侶らの間で広まり、1052年から末法になると信じられていた。死後に極楽往生を願う浄土信仰が広く浸透、南無阿弥陀仏を唱え阿弥陀如来を信仰すれば極楽浄土に行けると信じ、各地に阿弥陀堂が造られた。
【宇治別邸、源融】宇治の地は859年(貞観元年)第52代・嵯峨天皇の皇子である左大臣・源融が造営した別荘の地。第59代・宇多天皇、宇多天皇の孫、藤原頼通の父、藤原道長が源重信の婦人から譲り受け別荘「宇治殿」を創った。【紫式部『源氏物語』宇治十帖】光源氏のモデルは、源融と藤原道長。紫式部は、源融に憧れ、藤原道長の召人、中宮彰子の家庭教師。1001年(長保3)夏に宣孝が死に、1001年の秋ごろから『源氏物語』を書き始めた。1005年(寛弘2)ごろ年末に一条天皇の中宮彰子のもとに出仕。はじめ〈藤式部〉やがて〈紫式部〉と呼ばれる。紫式部の二百年後、『新古今和歌集』春の夜の夢の浮橋の歌がある。
【春の夜の夢の浮橋】「春の夜の夢の浮橋と絶えして嶺に別るる横雲の空」藤原定家、三十七歳の作である(建久八年(1197)12月5日、仁和寺守覚法親王五十首歌会)。春の夜の夢、たなびく曇が別れる空、実らぬ愛、魂の夢の浮橋。夢の浮橋とは『源氏物語』五十四帖の最終巻の巻名。見果てぬ夢のごとく、愛し合った男女、薫と浮舟が別れたまま終わる。【見果てぬ愛は、永遠に美しい】実らない愛は永遠に輝いている。定家は式子内親王と禁断の恋をし、逢ひて逢はぬ恋になる。「玉の緒よ絶えなば絶えね、ながらへば忍ぶることのよわりもぞする」式子内親王。わたしの命よ。絶えてしまうというなら絶えてしまえ。生きつづけていたならば、恋心を秘めておくことができないから。
【浄土教、大乗仏教はファンタジー】浄土教の根拠は『仏説無量寿経』である。だが、ゴータマ・ブッダが説いたものではないことは言うまでもない。1世紀に仏典作者が創作した。『仏説無量寿経』。説法の舞台は王舎城(ラージャグリハ)耆闍崛山(ぎじゃくっせん)、ある国の王が世自在王仏の説法を聞いて、王位を捨てて出家し、法蔵菩薩となり、五劫という長い間思惟して、無量の寿、無量の光をもつ阿弥陀浄土に生まれたいと願い、この第十八願を「本願」、すべての人びとを信心と念仏によって救う本願こそ、浄土教の教えの根本。法蔵菩薩は願いを実現するために、兆載永劫果てしなく長い間修行を重ね、阿弥陀如来となった。
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著者 大久保正雄 プラトン哲学、美学、密教の比較宗教学、宗教図像学。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。上智大学大学院、北海道大学大学院博士後期課程修了。
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「建立900年 特別展 中尊寺金色堂」
会場:東京国立博物館 本館特別5室 会期: 2024年1月23日(火)~4月14日(日)
開館時間:午前9時30分~午後5時 ※入館は閉館の30分前まで
休館日 :月曜日、2月13日(火)※ただし、2月12日(月・休)、3月25日(月)は開館
問い合わせ先 050-5541-8600(ハローダイヤル)
詳しくは東京国立博物館公式サイト https://www.tnm.jp/
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参考文献
末木文美土『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』新潮社1992
末木文美土『仏典を読む 死から始まる仏教史』新潮社2009
「法然と親鸞 ゆかりの名宝」東京国立博物館・・・宗教は麻薬
「空也上人と六波羅蜜寺」・・・亡き人を想う、生死の境、南無阿弥陀仏
親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝・・・西方浄土、阿弥陀如来の本願、『歎異抄』善人なほもて往生をとぐ
「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」・・・源氏物語の謎
「中尊寺金色堂」・・・魔界の入口、中尊寺金色堂の謎
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