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2023年9月の記事

2023年9月30日 (土)

「永遠の都ローマ展」・・・カピトリーノのヴィーナス

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第342回
フォロ・ロマーノを歩くと、古代ローマの英雄たち、ローマ皇帝、憂いの藝術家、メディチ家の雄姿、いにしえの人の記憶が蘇る。
カピトリーノの丘、カンピドリオ広場、フォロ・ロマーノ、サトゥルヌス神殿、セプテイミウス・セベルスの凱旋門、コンスタンティヌス帝の凱旋門、コロッセオ、皇帝ネロの黄金宮殿(ドムス・アウレア)、トラヤヌス帝の記念柱、パラティーノの丘、コンスタンティヌス帝の巨像、ここは、ローマ帝国の中心地である。
【「カピトリーノのヴィーナス」AD2C】ギリシア彫刻のローマ帝国時代の摸刻(ローマン・コピー)。原作は、プラクシテレス「アフロディーテ」、プラクシテレスの息子、小ケフィソドトスの彫刻(BC4C-3C)である。ローマ文化はコピー文化である。(Musei Capitolini)
【永遠の都ローマ、皇帝の死】ユリウス・カエサル(前100~前44年)55歳、アウグストゥス帝(前63~前14年)49歳、ネロ帝(紀元37~68)31歳、ハドリアヌス帝(76~138)62歳、コンスタンティヌス大帝(274?~337)63歳、ユスティニアヌス帝(483~565)81歳、ミケランジェロ(1475年3月6日~1564年2月18日)88歳。シクストゥス4世(1414~1484)70歳。最高権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【陰謀教皇、シクストゥス4世】【1478年のパッツィ家の陰謀】に加担してメディチ家の打倒をはかったが失敗。これは【ロレンツォ・デ・メディチとその兄弟を暗殺】してフィレンツェの支配者の地位にジロラモ・リアリオをつけようとした企てであった。計画の首謀者とされたピサ大司教はシニョリーア宮殿の壁に吊るされて殺された、教皇庁とフィレンツェは以後2年におよぶ戦争状態に突入。同時にシクストゥス4世はヴェネツィア共和国に対してフェラーラ公国を攻撃するようすすめる。別の親族にフェラーラを治めさせる意図があった。教皇の陰謀はイタリアの都市君主たちを怒らせ、同盟を結ばせる。教皇の示唆によって【1482年におこなわれたヴェネツィア軍のフェラーラ攻撃】に対して、ミラノのスフォルツァ家、フィレンツェのメディチ家、ナポリ王国のみならず本来教皇の同盟者であった人々までが同盟を組んでこれを阻止。
――
【皇帝ネロ、彫刻コレクション】黄金宮殿にあった。この遺跡の中で発見された彫刻は、「ラオコーン」バティカン博物館に移されている。カピトリーニ美術館の「瀕死のガリア人」やローマ国立博物館(アルテンプス宮)の「妻を殺して自殺しようとするガリア人」の像などが有名。「美しい尻のヴィーナス」(Venus Kallipygos)BC1世紀。オリジナル作品は、紀元前300年頃にギリシアで作られたブロンズ像であった。16世紀に頭部が欠けた状態で、ローマ皇帝ネロに関連する遺跡から発掘された。彫像はイタリアの名門貴族ファルネーゼ家のコレクションに加えられた後、現在のナポリに移動された。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
《マイナスを表す浮彫の断片》 1世紀  カピトリーノ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
カラヴァッジョ派、メロンを持つ
ドメニコ・ティントレット 《鞭打ち》 17世紀 カピトリーノ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
《カピトリーノのヴィーナス》 2世紀 カピトリーノ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
本展では、古代ローマ彫刻の傑作《カピトリーノのヴィーナス》が初来日し、東京会場限定で展示。同作は、古代ギリシア最大の彫刻家プラクシテレスの作品に基づく女神像であり、ルーヴル美術館の《ミロのヴィーナス》、ウフィツィ美術館の《メディチのヴィーナス》と並ぶ、古代ヴィーナス像の傑作として知られている。本展は、門外不出の彫刻を目にすることができる貴重な機会となる。
古代ローマ建国を伝える伝承・神話
《カピトリーノの牝狼(複製)》 ローマ市庁舎蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
本展は、全5章から構成。まず第1章では、ローマを象徴する「カピトリーノの牝狼」を起点に、古代ローマの建国にまつわる伝承や神話に光をあてる。ローマ建国神話を代表するエピソードのひとつが、軍神マルスと巫女レア・シルウィアのあいだに生まれた双子、ロムルスとレムスを育てる牝狼の物語だ。本章では、《カピトリーノの牝狼(複製)》を展示するとともに、建国神話を表す古代彫刻やメダルなどから、その表現の伝統をたどってゆく。
《イシスとして表わされたプトレマイオス朝皇妃の頭部》
紀元前1世紀から紀元後1世紀 カピトリーノ美術館分館モンテマルティー二美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
古代ローマ帝国は、紀元前1世紀、ユリウス・カエサルとその遺志を継いだオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)によってその礎が築かれ、続く皇帝たちのもとで繁栄することになった。第2章では、古代ローマ帝国の栄光に焦点を合わせ、歴代ローマ皇帝や帝国ゆかりの女性たちの肖像などを紹介。また、帝国の栄華を象徴する《コンスタンティヌス帝の巨像》の一部を原寸大複製で展示する。
ローマ、芸術の霊感源として
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《トラヤヌス帝記念柱の正面全景》
1774-75年 ローマ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico del Museo di Roma
ディオニュソス、ハドリアヌス帝時代、カピトリーノ美術館
数多くの古代遺跡を擁するローマは、17世紀以降、グランドツアーの隆盛などを背景に、イタリア内外の芸術家に着想を与えてきた。第5章では、古代建築やその装飾といったローマ美術からインスピレーションを得て制作された作品に着目。古代記念碑「トラヤヌス帝記念柱」を題材とする版画や模型に加えて、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージやアントニオ・カノーヴァなどの名品も目にすることができる。
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参考文献
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj

ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
南川高志『ローマの五賢帝――「輝ける世紀」の虚像と実像』1998初刊 2014講談社学術文庫p.82-83
南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』 (岩波新書) 2013
南川高志『ローマ皇帝とその時代 元首政期ローマ帝国政治史の研究』創文社
スエトニウス『ローマ皇帝伝』岩波書店
プルタルコス『英雄伝』岩波書店
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古代ローマ帝国の遺産・・・豹を抱くディオニュソス、帝国の黄昏
地中海 四千年のものがたり・・・藝術家たちの地中海への旅
ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり・・・ギリシア文化の輝き
ポンペイ・・・埋もれたヘレニズム文化、「アレクサンドロス大王のモザイク」、豹を抱くディオニュソス
「永遠の都ローマ展」・・・カピトリーノのヴィーナス
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/09/post-29f875.html
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特別展「永遠の都ローマ展」は、「永遠の都」と称されるローマの歴史と芸術を紹介する展覧会。世界でもっとも古い美術館のひとつ、ローマ・カピトリーノ美術館の所蔵品を中心とする作品とともに、2000年を超える歴史と文化をたどってゆく。
カピトリーノ美術館が建つカピトリーノの丘は、古代には最高神を祀る神殿が置かれ、現在はローマ市庁舎が位置するなど、ローマの歴史と文化の中心地であった。カピトリーノ美術館の歴史は、ルネサンス期の教皇シクストゥス4世がローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことに始まり、以後、古代遺物やヴァチカンに由来する彫刻、ローマの名家からもたらされた絵画などを収蔵してきた。
2023年は、日本の明治政府が派遣した「岩倉使節団」がカピトリーノ美術館を訪ねて150年の節目にあたります。使節団の訪欧は、のちの日本の博物館施策に大きな影響を与えることになりました。この節目の年に、ローマの姉妹都市である東京、さらに福岡を会場として、同館のコレクションをまとめて日本で紹介する初めての機会となります。
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永遠の都ローマ展、東京都美術館、9月16日(土)~ 12月10日(日)
福岡市美術館にも巡回予定、福岡市美術館 2024年1月5日(金)~ 3月10日(日)

2023年9月15日 (金)

楽しい隠遁生活・・・山水に遊ぶ、桃源郷、李白「望廬山観瀑」、北斎「李白観瀑図」

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第341回

隠者は、竹林の七賢人、王義之、陶淵明、蘇東坡、李白、抵抗する知識人の精神史である。
竹林の七賢人は、権力に抵抗し、難を避け、隠遁した者、老荘思想に基づいて、桃源郷に遊び、詩書、無弦琴を愛でる。王羲之『蘭亭序』、陶淵明『桃花源記』、蘇東坡『赤壁の賦』、李白『望廬山観瀑』『山中問答』、遊山慕仙の世界は、嵯峨天皇と空海の生きかたに反映している。嵯峨天皇は、流水濫觴の宴を催し、嵯峨院に隠退、空海は、天長8年、大僧都を辞するが、許可されず。
九十老人卍筆、北斎「李白観瀑図」(1849)ボストン美術館、北斎(1760~1849)90歳の作品。北斎「詩歌写真鏡・李白」千葉市美術館、天保4-5、1833-34
河鍋暁斎「李白観瀑図」が存在したが、今は行方不明。
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【中国の隠者】竹林の七賢人、3世紀中国三国魏末に、清談を行なったり交遊した七人、陰惨な状況で奔放な言動は死の危険があり、俗世から超越した言動は、悪意と偽善に満ちた社会に対する慷慨、憤りと、その意図の韜晦。阮籍、嵆康、山濤、劉伶、阮咸、向秀、王戎。
【中国の隠者、山水に遊ぶ、桃源郷】王義之(303~361)東晋の官僚、書家、『蘭亭序』を書き隠退58歳で死す、陶淵明(365~427)魏晋南北朝の詩人62歳で死す、李白(701-762)諸国を放浪の後玄宗に仕えたが、安史の乱で入獄。762年に61歳で死す。
【竹林の七賢、王戎(234-305)】琅邪の王氏。王導、王羲之(303-361)、王献之を生む一族。
東晋の王羲之は、書の名人。権謀術数の官界を嫌い会稽県に赴任、永和九年(353)三月三日に会稽山の山陰の蘭亭にて曲水流觴の宴をひらき、『蘭亭序』を書き、上司王述を避け355年、49歳で官界を引退した。自由の身となり書を書き59歳で死す。*
【王羲之『蘭亭序』】【唐の太宗皇帝が王羲之の書を愛し】その殆ど全てを集めたが、蘭亭序だけは手に入らず、最後には家臣に命じて、王羲之の子孫にあたる僧の智永の弟子弁才の手から騙し取らせ、自らの陵墓である昭陵に副葬させた。唐の何延之『蘭亭記』。
旅する詩人
【李白、旅する詩人(701-762)】李白がはじめて長安にのぼったのは742年。42歳の時。長安で李白は賀知章(659-744)の知遇を得る。賀知章は玄宗皇帝に仕え、詩壇の長老。賀知章は李白の仙人的な人柄を気に入る。「お前の才能はこの世のものではない。まるで天から流されてきた仙人のようだ(謫仙人)」。742年、李白は賀知章の推挙を受けて翰林供奉となる。
【李白、旅する詩人】玄宗皇帝の側近、宦官の高力士と対立。李白が詩で楊貴妃の美しさを前漢の美人、趙飛燕になぞらえる。趙飛燕は前漢の成帝に愛され皇后になるが成帝の崩御後、庶民にまで落ち自殺した。李白は失脚、長安を追われる。744年、李白44歳。宮廷詩人として活躍したのは僅か3年間。長安を去り李白は再び遍歴生活に戻る。*『清平調詞』二
【李白 黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る】古くからの友人(孟浩然)は、西にある黄鶴楼に別れを告げ、花が咲き春の霞が立つ三月、揚州へと長江を下っていった。遠くに見える一そうの舟の帆も青空に消えて、ただ、長江が天の果てまで流れていくのを見るばかりである。
【李白「山中問答」】余に問う何の意ありてか碧山に棲むと。笑って答えず心自ら閑な り。桃花流水杳然として去る。別に天地の人間(じんかん)に非ざる有り。
私に問いかける人がいる。なぜ山深い所に住んでいるのか。笑って答えず、心は静かである。満開の桃の花がひとひら、川面に散り、彼方まで流れ去る。ここは俗世間とは隔絶した場所
【李白「望廬山観瀑」】日は香炉を照らして紫煙を生ず。遥かに看る瀑布の長川(ちょうせん)を掛くるを。飛流直下三千尺。疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと。
香炉峰にたなびく美しい霧、そこを流れ落ちる滝、川の流れが縦に落下する、この雄大な絶景は銀河、宇宙に内包される、美しい「起承転結」の世界。
【廬山】長江の南にある仏教や道教の霊山。白楽天の詩で有名な香炉峰などがあり。雨や霧が多く、雲海の上に山が聳え立つ様子を見ることができる。ここは周代から道士や隠棲者とかかわりが深く、陶淵明もこの山のふもとに隠居した。
【旅する詩人、孟浩然】(689-740)。湖北省襄陽市の人。青年時代は故郷の鹿門山に隠棲。40歳ごろ長安に出て科挙を受験するが落第。郷里に戻る。一時張九齢の招きで任官するがすぐに官職を辞す。江南地方を放浪して一生を終える。生涯、出世には縁が無かったが、その詩才は高く評価される。王維・李白・張九齢らと交流があり。自然を歌った詩に名作が多い。王維と並んで「王孟」と並び称され、中唐の韋応物、柳宗元と並び王孟韋柳とも称される。『春暁』『洛陽にて袁拾遺を訪ふて遇はず』
【北斎「李白観瀑図」】「九十老人卍筆」、北斎「李白観瀑図」1849は90歳で亡くなる年に描かれている「ボストン美術館肉筆浮世絵展」。若い頃、北斎【北斎「詩歌写真鏡・李白」】千葉市美術館、天保4-5、1833-34、に描いている。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
石濤「廬山観瀑図」、
田能村竹田「梅渓閑居図」
伝 仇英《山水人物図(陶淵明図)》(部分) 中国・明時代 泉屋博古館
橋本雅邦《許由図》明治33年(1900) 泉屋博古館東京
重要美術品 伝周文《山水図》室町時代(15-16世紀)  泉屋博古館
長吉《観瀑図》(部分) 室町時代(16世紀) 泉屋博古館
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陶淵明『桃花源記』南北朝時代(4~5世紀)
中野美代子『中国の隠者』
中野美代子『酒池肉林』
「上兵は謀を討つ。最高の戦略は、敵の陰謀を討つことである」『孫子』謀攻篇
権力と戦う知識人の精神史 春秋戦国奇譚
https://bit.ly/2P3rfID
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
感染爆発、帝国と都市国家の戦い。この世の果てを超えて、旅する詩人・・・「時の関節が外れた」シェイクスピア
https://bit.ly/2XoaNcd
「大英博物館 北斎─国内の肉筆画の名品とともに─」・・・北斎、最後の旅
https://bit.ly/3rGjzkF
楽しい隠遁生活・・・山水に遊ぶ、桃源郷、李白「望廬山観瀑」、北斎「李白観瀑図」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/09/post-e3a559.html
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展示構成
1. 自由へのあこがれ「隠遁思想と隠者たち」
隠遁の根底にあるのは「脱俗」の考えです。人の心を惑わす富貴や栄華などの世俗的な欲望を絶ち、自然の中でその摂理に身をゆだねて生活することが、隠遁の理想とされてきました。その背景には、現実への絶望感が見てとれます。高い理想を持っていても、現実世界において理想を実現することはしばしば困難を伴うからです。自己を滅し世間に妥協して生きるよりも、理想を堅持しながら自然の中で暮らす道を選び生きたのが、隠遁者たちです。
彼らは知識階級に属しながら政治の世界を俗として仕官せず、世間から隠れて高潔に生きる人々で、隠者や隠逸、高士などともよばれています。
聖天子の尭に招かれても、これをけがらわしいとした「許由」など古代中国の著名な隠者や三国時代末(3世紀)の「竹林の七賢」、南北朝時代(4~5世紀)の「陶淵明」などは、後世まで絵画工芸の主題となっています。また、そうした隠者たちの静閑の暮らしは日本の文人たちの規範として享受もされています。平安・鎌倉時代の「西行」や、江戸時代の「芭蕉」らも俗世を離れた草庵暮らしを積極的に求めた隠者といえます。
https://www.artpr.jp/senoku-tokyo/joifulseclusion2023
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楽しい隠遁生活 文人たちのマインドフルネス、泉屋博古館東京
2023年9月2日(土)~2023年10月15日(日)

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