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2023年7月の記事

2023年7月29日 (土)

虫めづる日本の人々・・・喜多川歌麿「夏姿美人図」鳴かぬ蛍が身を焦がす

Mushi-sunt-2-2023
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第335回
『源氏物語』『伊勢物語』において、鈴虫、松虫などの鳴く虫や蛍、鳴く虫や蛍を愛でる文化、虫撰は宮中で始まった。元時代12世紀、草虫図は、立身出世、子孫繁栄などの吉祥を表す。
江戸時代、蛍狩りが流行した。恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす。喜多川歌麿「夏姿美人図」、恋人と一緒に蛍狩りに行く女が化粧し身を整えている。鳥文斎栄之「蛍狩り美人図」、松本交山「百蝶図」谷文晁と酒井抱一と交友した画人。伊藤若冲「菜蟲譜」(1790)には、博物学者の眼がある。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
嵯峨天皇『舞蝶』『文華秀麗集』
嵯峨天皇は、蝶が舞う姿を詩に書いた。「数群の胡蝶空に飛び乱れ、無心にして処々春風に舞う、本より弦管の響に因らず、雑色粉々なり花樹の中、数群の胡蝶空に飛び乱れ」嵯峨天皇と空海
嵯峨天皇(786-842)と空海(774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は知的交友があった。仏教は智慧と慈悲によって生けるものの魂の苦を救う教えである。
平安初期。嵯峨天皇時代『文華秀麗集』に蝶の漢詩が出てくる。蝶の群舞を漢詩にした。音楽の響きなしに自ずから舞っている、現実の蝶が野原に舞っている姿を詠んだ。舞楽の「胡蝶」の光景から作られたものではない。
嵯峨天皇『舞蝶』『文華秀麗集』
数群胡蝶飛乱空(数群の胡蝶空に飛び乱れ)雑色紛紛花樹中(雑色粉々なり花樹の中)
本自還元不因響(本自弦管の響の因らず)無心処々舞春風(無心にして処々春風に舞う)
仏教は智慧と慈悲によって生けるものの魂の苦を救う教えであり、儒教は学問によって立身出世と子孫繁栄を成就する吉祥を祈る教えである。
【空海『聾瞽指帰』(797)】兎角公の屋敷で兎角公の甥蛭牙公子に放蕩青年を翻意、亀毛先生は儒教学問を学び立身出世することを教え、虚亡隠子は道教の不老長寿を教え、空海の化身である仮名乞児は仏教の智慧と慈悲を教える。空海は大学寮明経科退学、官僚の立身出世の道を辞めた理由。
「詩を学ぶことで鳥、獣、草木の名前を多く知ることは【立身出世、子孫繁栄】などの吉祥を表す」子曰く、小子、何んぞ夫の詩を學ぶこと莫きや。詩は以て興す可く、以て觀る可く、以て群す可く、以て怨む可く。これを邇くして父に事え、これを遠くして君に事え。多く鳥獸草木之名を識る。(『論語』陽貨・第17-9)
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【『万葉集』の和歌には蝶の歌はない】漢詩には表れる。夜あかりに集まる蛾のほうは、「ひひる」「火取り虫」として記録されている。『万葉集』には無かった蝶。
【八代集(古今集、後撰集、拾遺集、後拾遺集、金葉集、詞花集、千載集、新古今集にも「蝶」は登場しない)
『古今集』にわずかに「蝶」が詠まれている。思い惑う魂の象徴としての蝶、恋しい人に見せてはいけないものとしての蝶。
「散りぬれば後はあくたになる花を 思い知らずもまどう蝶かな」僧正遍照
「こてふ(胡蝶)にも似たるものかな花薄 恋しき人に見すべかりけり」紀貫之 
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草虫図は中国で成立した画題。画中には多種多様な草花と虫が描かれており、それが立身出世、子孫繁栄などの吉祥を表す。また、『論語』の中に孔子が弟子・陽貨に詩を学ぶ意義について説いた一節があり「詩を学ぶことで鳥、獣、草木の名前を多く知ることが出来る」(『論語』陽貨・第17-9)。
『歴代名画記』によれば、中国の六朝時代(3~6世紀)には虫が絵の主題として取り上げられ、唐時代(7~10世紀)には草虫を描く者があらわれた。
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展示作品の一部
きりぎりす絵巻(部分) 住吉如慶 二巻のうち 江戸時代 17世紀 細見美術館
白綸子地梅に熨斗蝶模様打掛 一領 江戸時代 19世紀 サントリー美術館 【展示期間:8/23~9/18】、
画本虫撰、喜多川歌麿 二冊のうち下 天明8年(1788) 千葉市美術館 【全期間展示】
夏姿美人図 喜多川歌麿 一幅 寛政6~7年(1794~95)頃 遠山記念館【展示期間:7/22~8/21】、
重要文化財 草虫図 双幅 元時代 14世紀 東京国立博物館 Image: TNM Image Archives 【展示期間:8/23~9/18】
重要文化財「菜蟲譜」伊藤若冲 一巻 寛政2年(1790)頃 佐野市立吉澤記念美術館 【展示期間:8/9~9/18】
鳥文斎栄之「蛍狩り美人図」18世紀
甜瓜図 土田麦僊 一幅 昭和6年(1931)埼玉県立近代美術館
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参考文献
「虫めづる日本の人々」サントリー美術館2023
東寺『金剛界曼荼羅』『胎蔵界曼荼羅』西院本・・・知恵と無明の戦い、生命の根源
速水御舟『炎舞』『粧蛾舞戯』『名樹散椿』、山種美術館・・・舞う生命と炎と闇
虫めづる日本の人々・・・喜多川歌麿「夏姿美人図」鳴かぬ蛍が身を焦がす
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-6032f9.html
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第一章:虫めづる国にようこそ
現代でも多くの人々が知る『源氏物語』『伊勢物語』において、鈴虫、松虫などの鳴く虫や蛍は、登場人物の心情を表すといった重要な役割を果たしています。また、嵯峨野周辺を散策して鳴く虫を捕まえ、宮中に献上する虫撰も行われるようになりました。宮廷を中心に鳴く虫や蛍を愛でる文化は発展し、虫聴と蛍狩が日本の歳時記となる礎が築かれました。
第二章:生活の道具を彩る虫たち
酒器、染織品、簪などの身近な道具には、蝶、蜻蛉、鈴虫、蜘蛛など様々な虫たちがあしらわれてきました。
2匹の蝶が仲睦まじく飛ぶ様子が夫婦円満を意味する文様となるなど、虫の行動と当時の人々の願いが結びつくこともありました。
第三章:草と虫の楽園―草虫図の受容について―
草虫図は中国で成立した画題。画中には多種多様な草花と虫が描かれており、それぞれが立身出世、子孫繁栄などの吉祥を表す。また、『論語』の中に孔子が弟子・陽貨に詩を学ぶ意義について説いた一節があり、そこでは「詩を学ぶことで鳥、獣、草木の名前を多く知ることが出来る」(『論語』陽貨・第17)。
中国最初の本格的な画史書である『歴代名画記』によれば、中国の六朝時代(3~6世紀)には虫が絵の主題として取り上げられ、唐時代(7~10世紀)には草虫を描く者があらわれたようです。北宋時代末頃には草虫図が画題として確立し、南宋時代(12~13世紀頃)は毘陵(現:江蘇省常州市)でより盛んに描かれるようになり、草虫図はこの地域の名産品となりました。以降、清時代に至るまで描き継がれており、草虫図という画題が非常に人気を集めた様子がうかがわれます。
また、中国で制作された草虫図は海を渡って、日本へと伝来し、将軍や大名など時の権力者たちに愛蔵されました。そして、日本の絵師たちも草虫図を学び、影響を受けました。草虫図が中国で画題として確立し、日本で愛好された様子をご紹介します。
第四章:虫と暮らす江戸の人々
江戸時代中頃に入ると野山へと出かけ虫の音に耳を澄ませる虫聴、夕暮れ時に蛍を追う蛍狩は、市井の人々に親しまれる風雅な娯楽となりました。江戸の道灌山や根岸が虫聴や蛍狩の名所として知られ、老若男女がこぞって出かけ、思い思いに楽しんでいる様子が当時の浮世絵や版本に表されています。また、市中には籠に蛍や鳴く虫を入れて売り歩く虫売りがあらわれ、夏の風物詩となりました。当時は、お盆の頃に捕らえた生き物を放し供養する放生会のために購入されることもあったようです。虫を入れる籠には趣向が凝らされており、虫の音を楽しみ愛玩していた様子を感じることができます。
本章では、蛍狩、虫聴が娯楽として広まり、やがて江戸の年中行事として息づいていく様子をご紹介します。
第五章:展開する江戸時代の草虫図―見つめる、知る、喜び―
江戸時代は本草学や、書物に登場する動植物の名前を同定する名物学が進展し、西洋の科学技術が流入した。
18世紀以降には、飛躍的な進歩がみられます。第八代将軍徳川吉宗が洋書の輸入制限を緩和し、全国的な動植物の調査を行いました。この政策の影響もあり、大名、旗本が中心となり、優れた博物図譜が制作されました。
『論語』に由来する「多くの生き物を知ることを奨励する」思想は受け継がれ、より多くの虫たちが画中に登場するようになりました。
喜多川歌麿『画本虫撰』のように優れた狂歌絵本を生み出しました。
中国から伝来した草虫図も尊重され、研究が続けられました。西洋の技術の流入、本草学などの学問の発展、古画学習、文芸などが影響しあい、草虫図という枠組みを越えた多彩な虫の絵が江戸時代に制作されました。伊藤若冲、酒井抱一、喜多川歌麿、葛飾北斎などこの時代を代表する絵師たちが虫をモチーフとして取り上げ、活況を呈した江戸時代の草虫図をご覧ください。
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虫めづる日本の人々、サントリー美術館、7/22(土)~9/18(月・祝)

2023年7月 6日 (木)

甲斐荘楠音の全貌・・・退廃の美薫る、謎多き画家、東映京都の時代考証家、趣味人、レオナルドの面影

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第334回
謎の美の本質は何か【デカダンス薫る謎多き「あやしい画家」、東映京都撮影所の時代考証家、趣味人、83歳で死す】甲斐荘楠音(1894-1978)京都市立絵画専門学校にて頭角を現す、竹内栖鳳、菊池契月、に評価される。24歳の時、甲斐荘楠音を高く評価する先輩、村上華岳(1888-1939)に招かれ、「国画創作協会」1918年(大正7)、第1回展に入選、「横櫛」(1916)、岡本神草「口紅」1918とともに、人気を博す。「幻覚 踊る女」(1920)は狂気の舞い。
【女人像、退廃美薫る、謎の美の本質】甲斐荘楠音は14歳の時、レオナルド「モナリザ」に感動した。甲斐荘楠音「横櫛」(1916)「女人像」(1920)、村上華岳「裸婦図」(1920)、の妖しさは、レオナルド「モナリザ」(1503-05)「聖アンナと聖母子」(1510) 下絵 (1405-158)のような両性具有(アンドロギュノス)的な美である。
甲斐荘楠音「春」(1929)は妖艶な美の到達点である。ボッティチェリ『春』1478を意識している。
【東映京都撮影所の時代考証家、趣味人、83歳で死す】1940年、画壇を去る。先輩、村上華岳は、1939死去。太秦の東映京都撮影所にて衣装の時代考証家として活躍、名優・市川右太衛門と甲斐荘楠音がともに作り上げた「旗本退屈男」シリーズの豪華衣裳、『雨月物語』(溝口健二監督・1953年)のために考案。演劇人、茶人、趣味人として生きる。先輩、村上華岳(1888-1939)を越えて83歳まで生きる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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*【甲斐庄楠音《横櫛》1916】3作ある。
「横櫛1」1915年、楠音21歳のとき、東京の長兄楠香を訪ね、兄嫁彦子らと本郷座で四代目沢村源之助が切られお富を演じる河竹黙阿弥作「処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)」を観たが、その数ヵ月後に彦子が他界した。直後、兄嫁とともに見た芝居が、京都でも上演される。その翌年に、楠音は彦子をイメージしながら「横櫛」を一週間で描き上げた。顔の色は悪く、死相が現れているようにもみえる。襦袢の衿には天女が、地には炎と竜。死を暗示しているようにも思える。これが京都国立近代美術館所蔵。
「横櫛2」1917年、23歳の楠音は丸岡比呂史のアトリエを訪ねて一緒に制作するようになり、比呂史の妹トクと親しくなって婚約。しかし、許嫁であったトクが甲斐庄を捨てて年長の男と結婚するという事件が起こった。「横櫛1」の背景に「切られのお富」の絵をはめ込んだ。これは、「切られの与三郎」が出てくる「与話情浮名横櫛」を河竹黙阿弥が書換えた狂言「書換処女翫浮名横櫛に出てくる毒婦である。1918年、村上華岳の勧めにより、第1回国画創作協会展にこの「横櫛2」を出品し、入選。(広島県立美術館所蔵)Art & Bell by Tora cardiac.exblog.jp
【甲斐荘楠香、楠音の兄】高砂香料創業者、1880(明治13)年5月生まれ、京都の第三高等学校を経て、楠香は1901(明治34)年に京都帝国大学理工科大学純正化学科に入学、1906(明治39)年には久原躬弦教授のもと助教授になり1910(明治43)年9月、ヨーロッパへ旅立つ。
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【上智と下愚とは移らず】最上の知者は悪い境遇にあっても堕落せず、最下の愚者は、どんなによい境遇にあっても向上しない。《「論語」陽貨》【どんなに地位、名誉、職業が高くても、教養がなければ生きる価値がない】最下の愚者は、向上しない。【最高権力者が最下愚の国】最上の知者は悪い境遇にあっても戦う。
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参考文献
『甲斐荘楠音の全貌、絵画、演劇、映画を越境する個性』図録、日本経済新聞社、2023
池田祐子「さまざまに越境し混交する個性」
梶岡秀一「肌香を聞く」
没後80年記念「竹内栖鳳」・・・竹内栖鳳「班猫」村上華岳「裸婦図」
「あやしい絵展」・・・退廃的、妖艶、エロティック、表面的な「美」への抵抗
「あやしい絵展」図録、毎日新聞社、2021
創業者 甲斐荘楠香物語 - 高砂香料工業株式会社
栗田 勇『女人讃歌―甲斐庄楠音の生涯』新潮社
甲斐荘楠音の全貌・・・退廃の美薫る、謎多き画家、東映京都の時代考証家、趣味人、レオナルドの面影
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-6cb36a.html
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展示作品の一部
《幻覚(踊る女)》1920年頃、京都国立近代美術館
《女人像》1920年頃、個人蔵
《横櫛》1916年頃、京都国立近代美術館
《畜生塚》1915年頃、京都国立近代美術館
《春宵(花びら)》1921年頃、京都国立近代美術館
『旗本退屈男 謎の南蛮太鼓』衣裳、東映京都撮影所 ©東映(映画公開:1959年、監督:佐々木康、製作・配給元:東映株式会社、衣裳着用者:市川右太衛門)
『旗本退屈男 謎の幽霊島』衣裳、東映京都撮影所 ©東映(映画公開:1960年、監督:佐々木康、製作・配給元:東映株式会社、衣裳着用者:市川右太衛門)
『旗本退屈男 謎の暗殺隊』衣裳、東映京都撮影所 ©東映(映画公開:1960年、監督:松田定次、製作・配給元:東映株式会社、衣裳着用者:市川右太衛門)
『旗本退屈男 謎の大文字』衣裳、東映京都撮影所 ©東映(映画公開:1959年、監督:佐々木康、製作・配給元:東映株式会社、衣裳着用者:市川右太衛門)
《春》1929年、メトロポリタン美術館、ニューヨーク
「国画創作協会」解散後、甲斐荘が新たな活動の場とした絵画団体「新樹社」。その記念すべき第1回に出品された甲斐荘の意欲作《春》
Purchase, Brooke Russell Astor Bequest and Mary Livingston Griggs and Mary Griggs Burke Foundation Fund, 2019 / 2019.366
《虹のかけ橋(七妍)》1915-76年、京都国立近代美術館
《畜生塚》の前でポーズする楠音、1915年頃、京都国立近代美術館
太夫に扮する楠音、京都国立近代美術館
甲斐荘が『雨月物語』(溝口健二監督・1953年)のために考案し、アカデミー賞衣裳デザイン賞にノミネートされた衣裳もパリのシネマテーク・フランセーズから海を越えて来日
――
あやしさを超えて、誰も見たことのない甲斐荘楠音の全貌にせまる
甲斐荘楠音(1894-1978/かいのしょうただおと)は、大正期から昭和初期にかけて日本画家として活動し、革新的な日本画表現を世に問うた「国画創作協会」の一員として意欲的な作品を次々と発表しました。しかし、戦前の画壇で高い評価を受けるも1940年頃に画業を中断し映画業界に転身。長らくその仕事の全貌が顧みられることはありませんでした。本展は1997年以降26年ぶり、東京の美術館では初となる本格的な甲斐荘の回顧展です。これまで知られてきた妖艶な絵画作品はもとよりスクラップブック・写真・写生帖・映像・映画衣裳・ポスターなど、甲斐荘に関する作品や資料のすべてを等しく展示します。画家として、映画人として、演劇に通じた趣味人として――さまざまな芸術を越境する「複雑かつ多面的な個性をもった表現者」として甲斐荘を再定義します。
甲斐荘楠音が携わった時代劇映画
甲斐荘楠音は衣裳・風俗考証家として、日本の時代劇映画の黄金期を支えました。本展に展示される映画衣裳の制作には甲斐荘が携わっています。映画監督・溝口健二をして「甲斐荘君が手伝ってくれると品がよくなる」と言わしめた考証家としての手腕は、伊藤大輔や松田定次ら時代劇映画の名監督たちから厚い信頼を得ていました。本展には、東映京都撮影所に保管されていた往年の映画衣裳の数々が展示されます。名優・市川右太衛門が袖を通した絢爛豪華な衣裳をはじめ、数々の映画資料が甲斐荘の見識や感性を物語ってくれます。
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甲斐荘楠音の全貌、絵画、演劇、映画を越境する個性、東京ステーションギャラリー
2023年7月1日(土)〜2023年8月27日(日)

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