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2023年6月11日 (日)

「小林古径と速水御舟 ─画壇を揺るがした二人の天才─」・・・生涯の友

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第330回
小林古径と速水御舟は、11歳の年齢の差があるが互いに切磋琢磨する仲間であり、生涯の友である。
【変貌する速水御舟】速水御舟(1883-1923)は、歴史画から出発、中国・宋代(11~13 世紀)の院体花鳥画、「折枝画」の様式、細密画、写実・象徴性・装飾性を融合、琳派の構図と装飾性へ到達する。
1883年(明治16年)生まれの小林古径と1894年(明治27年)生まれの速水御舟は、11歳の年齢の差があるが互いに切磋琢磨する仲間であり、生涯の友である。
小林古径 《速水御舟(デスマスク)》 1935(昭和 10)年
速水御舟は画業に邁進するため、たびたび自宅を離れて制作活動を行っていた。没年の昭和 10 年、伊豆にしばらく隠棲して制作に没頭しようという計画を立てていたが、3 月 20 日、腸チフスという突然の病でこの世を去る。本作はその臨終に駆け付けた古径が描いたデスマスクで、元となったスケッチには「昭和十年三月二十日 前七時十五分」と記されている。古径はその死を悼み、追悼の言葉を数多く残した。
――
社畜の滅亡【人を滅ぼす方法はその人を忙しくする事】人を滅ぼすには朝から夕方まで彼を忙しくさせること。暇になると人は考える。どこに問題があるか。【奴隷の喜び】忙しいと満足感が生まれ、全ては正当化される。考える力がなくなる。考える時間が永遠になくなる。社畜の快楽は思考停止。
【優雅な生活は最高の復讐である】【指揮官、経営者の仕事は考えること。君子豹変】【考えることを止めた蛇は滅びる】【学問はスコレーから生まれる】真の学問は豊饒な時間(スコレー)からから生まれる。考えることを止めた蛇は脱皮できない。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
山下裕二先生の解説
第 1 章 歴史人物画からの出発、写実・古典への挑戦
小林古径は 1899(明治 32)年、16 歳のときに上京して梶田半古の画塾に入門、速水御舟は 1908(同 41)年、14 歳で松本楓湖の安雅堂画塾に入門しました。半古、楓湖共に歴史人物画を得意とした画家であり、古径と御舟も、師と同様に歴史人物画から画業をスタートさせました。二人は 1911(同 44)年、若手画家の研究会・紅児会で知り合います。
二人の親しい交流は、御舟が 1935(昭和 10)年に 40 歳で早逝するまで続きました。
1914(大正 3)年に日本美術院が再興されると、二人は院展で活躍しました。古径は第 1 回展で、御舟は第 4 回展で共に同人に推挙されています。大正時代半ば以降、御舟は、洋画家・岸田劉生や、中国・宋代の院体花鳥画(11~13世紀)から影響を受け、細密描写による徹底した写実へと作風を変化させました。古径もそれに感化され、一時期、細密描写による写実表現を手がけ、油彩による《静物》(No.13)も残しています。
また、二人は実業家・原三溪の援を受け、一緒に三溪の研究会や茶会に参加していました。
御舟は、それまでの徹底した写実に、象徴性、装飾性を融合させ、代表作《炎舞》(No.18 第 2 展示室)を完成させました。そして、昭和初期には《翠苔緑芝》(No.21)のように、琳派の構図と装飾性を意識した作品へと、挑戦を続けます。古径も《秌采》(No.34)や《唐蜀黍》(No.52 東京国立近代美術館 後期展示)など、琳派を意識した作品を制作しました。
(No. 13) 小林古径 《静物》 1922(大正 11)年 山種美術館
大正時代半ば頃、古径も御舟や他の日本画家たちと同様に、洋画家・岸田劉生や中国・宋代(11~13 世紀)の院体花鳥画に触発され、細密描写により対象の質感を徹底的に追求した静物画、花鳥画を制作している。日本画の画材にこだわった御舟と異なり、本作品が油絵具で描かれていることは注目に値する。北宋時代の徽宗皇帝の書体である「痩金体」風の落款も用いられている。
(No. 14) 速水御舟 《桃花》 1923(大正 12)年 山種美術館
御舟の長女・彌生の初節句のために描かれた作品。中国・宋代(11~13 世紀)の院体花鳥画を意識し、枝の一部をクローズアップして小画面に描く「折枝画」の様式に倣って描かれている。御舟は折枝画特有の構図に油彩画的な質感表現を加え、さらに院体花鳥画にはみられない金地の無背景に枝先のみを描き、小品ながらきわめて結晶度の高い作品に仕上げている。落款は、徽宗皇帝の書体である「痩金体」を意識している。
(No. 18) 速水御舟 《炎舞》【重要文化財】 1925(大正 14)年 山種美術館
大正 14 年の夏、軽井沢に滞在した御舟は、毎晩のように焚き火をし、炎と群がる蛾を観察した。蛾を正面向きに描きながらも、翅の周囲を暈すことで動きを感じさせる。炎は平安から鎌倉時代の仏画や絵巻の表現を踏襲するが、先端の渦を巻くような描写には画家の観察が活かされている。「もう一度描けといわれても、二度とは出せない色」と自ら語った背景の深い闇は、試行錯誤の末に到達した絶妙な色合いである。この作品は御舟にとって、古典の様式美と現実への観察眼を高い次元で融合させるという、大正期の先鋭的な問題意識を総括するものだった。15 年、初の個展に出品された本作品を実見した同時代の洋画家・岸田劉生は、御舟の「近業の中にても意義ある作品」であり、「その技術は実に見事なものであった」と記している。
(No. 21) 速水御舟 《翠苔緑芝》 1928(昭和 3)年 山種美術館
琳派の作品にみられる構図を意識的に取り入れた金地屛風。大胆な色面による構成を意図し、モティーフは平面的な形態に単純化され、装飾的効果を強調する。紫陽花の花のひび割れ、芝生や苔は人工顔料の花緑青の上に緑青を重ねて発色を良くした点など、随所に御舟の独創的な技法が活かされている。「もし、無名の作家が残ったとして、この絵だけは面白い絵だと後世いってくれるだろう」と自ら語った自信作。
第 2 章 渡欧体験を経て
1922(大正 11)年、古径は 39 歳のときに日本美術院の留学生として前田青邨とともに渡欧します。一方、御舟は1930(昭和 5)年、36 歳のときにローマで開催された日本美術展覧会に《名樹散椿》を出品し、その際、美術使節として横山大観らとともに渡欧します。
御舟は、ヨーロッパやエジプト滞在時の印象をもとに制作した《オリンピアス神殿遺址》(No.37)や《埃及土人ノ灌漑》(No.38)を、帰国の翌年、「速水御舟氏遊欧小作品展覧会」で発表しました。西洋の人物画の鑑賞体験を経て、それまでほとんど制作することのなかった人物画に挑戦します。一方で、《牡丹花(墨牡丹)》(No.43)や《秋茄子》(No.44)のように、水墨を基調とした花鳥画へ新境地を拓きました。
(No. 59) 小林古径 《猫》 1946(昭和 21)年 山種美術館
真正面を見据えた猫の姿には、愛らしさより仏画のような荘厳さ、気高さが漂う。本作品のためとみられるスケッチが複数残されており、構図の決定までに古径が試行錯誤を重ねたことが分かる。また、大正後期の滞欧時の写生には、エジプトのバステト神と思われる猫の図像も含まれ、ぴんと立った耳、四肢をそろえて鎮座する姿などが、本作品の猫とも共通する。
プレスリリースより
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参考文献
速水御舟『炎舞』『粧蛾舞戯』『名樹散椿』、山種美術館・・・舞う生命と炎と闇
「小林古径と速水御舟 ─画壇を揺るがした二人の天才─」・・・生涯の友
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-faf95f.html
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展示作品の一部
重要文化財 速水御舟 《炎舞》 1925年(大正14年) 絹本・彩色 山種美術館
速水御舟《翠苔緑芝》
小林古径 《極楽井》 1912年(大正元年) 絹本・彩色 東京国立近代美術館[前期展示(5月20日(土)〜6月18日(日))]
速水御舟 《牡丹花(墨牡丹)》 1934年(昭和9年) 紙本・墨画彩色 山種美術館
小林古径 《清姫》「鐘巻」 1930年(昭和5年) 紙本・彩色 山種美術館、《清姫》は、会期を通して全8面を5年ぶりに一挙公開。
小林古径 《猫》 1946(昭和 21)年 山種美術館
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「小林古径 生誕140年記念 小林古径と速水御舟 ─画壇を揺るがした二人の天才─」、山種美術館、2023年5月20日(土)から7月17日(月・祝)まで

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