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2022年12月の記事

2022年12月31日 (土)

2022年、美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅

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大久保正雄『旅する哲学者、美への旅』第307回
2022年は激動の時代開幕、今後、国際紛争の泥沼化が危惧される。世界は混沌化している。
ウクライナ戦争(2月24日)、安倍晋三暗殺事件(7月8日11時31分、山上徹也による統一教会狙撃)、統一教会と自民党の一体化問題、宗教法人解散命令問題、政教分離問題、岸田内閣「防衛費増税」閣議決定(12月16日)。自民党政権の軍国主義化が憂慮されます。
「コロナワクチン接種、ワクチン接種死、ワクチン後遺症」が世界的な問題となっている。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、鎌倉幕府の粛清の歴史物語。【源義経、源実朝】源頼朝、後白河法皇の義経任官に怒り追討、藤原泰衡に源義経を殺させ、義経殺害の罪で、奥州藤原氏を滅亡させる。北条義時、後鳥羽上皇が実朝を右大臣に怒る。三浦義村、公暁を使嗾して、源実朝を八幡宮大階段にて暗殺させ、三浦義村、公暁を殺害、首桶を義時に届ける。
長楽萬年 大願成就、健康長寿、怨敵退散、良縁成就、学芸成就、事業成功、御恩報恩。大日如来、愛染明王の守護がありますように。真言陀羅尼を唱える。
2022年12月31日
――
1、ボストン美術館展 芸術×力・・・増山雪斎《孔雀図》、「平治物語絵巻」三条殿夜討
ボストン美術館展 芸術×力・・・藝術と権力の歴史
2、メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年・・・美女の歴史、詐欺師女、残酷な美女、欲望に溺れる女
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
西洋絵画の500年、カラバッジョ・・・バロック、若者たち、女詐欺師、残酷な美女、欲望に溺れる女
3. ポンペイ・・・埋もれたヘレニズム文化、「アレクサンドロス大王のモザイク」、豹を抱くディオニュソス
4、「空也上人と六波羅蜜寺」・・・亡き人を想う、生死の境、南無阿弥陀仏
5、「没後50年 鏑木清方展」 ・・・春園遥かに望めば、佳人あり
6、「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~」・・・秦始皇帝の謎
フェルメールと17世紀オランダ絵画・・・ドレスデンの思い出
7,自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅
8、ピカソとその時代・・・藝術の探検家、7人の恋人、7つの時代
9、
「響きあう名宝─曜変・琳派のかがやき─」・・・幻の曜変天目、本能寺の変
「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」・・・源氏物語の謎
10、
祈り・藤原新也・・・旅の始まりには、いつも犬の遠吠えが聞こえる
パリ・オペラ座−響き合う芸術の殿堂・・・シャガール「夢の花束 」
板谷波山の陶芸、麗しき作品と生涯・・・至高の美を求めて、葆光釉磁の輝き
「特別展アリス」・・・ハートの女王「首を刎ねよ」
鉄道と美術の150年・・・世界の果てへの旅
岡本太郎・・・傷ましき腕、夜、太陽の塔、明日の神話
挂甲武人 埴輪、武装した王、古墳時代6世紀・・・戦争の起源、アレクサンドロス大王の鎧
「大英博物館 北斎─国内の肉筆画の名品とともに─」・・・北斎、最後の旅
特別展「琉球」・・・万国津梁、相思樹の樹々わたりゆく風の音
牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児・・・遠い記憶を呼び覚ます風景
没後80年記念「竹内栖鳳」・・・竹内栖鳳「班猫」村上華岳「裸婦図」
ゲルハルト・リヒター展・・・ビルケナウ、ゾンダーコマンドの苦しみ
生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎・・・青木繁、28歳で死す
京都・智積院の名宝・・・密教美術と長谷川等伯『楓図』久蔵『桜図』
「アーツ・アンド・クラフツとデザイン  ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」・・・いちご泥棒 Strawberry Thief
特別展アリス― へんてこりん、へんてこりんな世界 ―、森アーツセンターギャラリー、7月16日(土)〜10月10日(月) 
「北斎 大英博物館所蔵作品を中心に」、サントリー美術館、4月16日~6月12日
岡上淑子・藤野一友の世界、福岡市美術館、2022年11月1日~2023年1月9日
この偶然の拘束のうえに、意志の象(かたち)を拓(ひら)くことを願うのです。――岡上淑子
僕はすべてのタブウに対して目新しくはない反逆を企てたい。――藤野一友
同じ時代と時間を共有しながら、それぞれに夢の世界を創り上げた
――
★★★研究編
★★★国家と宗教の戦い
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
★★★戦国時代
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐
絶世の美女、徳姫、織田信長と徳川家康・・・美と復讐第4巻
――
★★★ロマン主義の愛と苦悩
ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり
孤高の画家、フリードリヒ、ロマン主義、生涯と藝術
孤高の画家、フリードリヒ、精神の旅、地の果て、崇高な自然と精神
――
2022年、美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅

2022年12月28日 (水)

「特別展アリス」・・・ハートの女王「首を刎ねよ」

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大久保正雄『旅する哲学者、美への旅』第306回
『不思議の国のアリス』と『星の王子さま』の世界はどう違うか。『不思議の国のアリス』は、ナンセンスな世界なのか。アリスは冒険家であり、飛行士は分析家である。アリスは王権に対する抵抗権を示している。飛行士はこの世の彼方にある価値を探求する。
砂漠に不時着する飛行士は、6つの星をめぐってきた星の王子さまに出会う。王子さまは、地球で狐に教えられる。
【サン・テグ=ジュペリ『星の王子さま』】『本当に大切なもの(L‘essentielle)は目に見えないんだよ』キツネは王子様に言いました。『沢山咲いている薔薇は君にとっては通り過ぎてしまうような薔薇だけど、君が時間をかけて世話をして、話を聞いて仲良くした薔薇は君にとって特別な薔薇になるんだ。その薔薇が咲いている星が、沢山の星たちの何処かにあると知っているだけで、沢山の星が前より綺麗に特別に輝いて見えるのさ』『星の王子さま』
『星の王子さま』は、目に見えない価値、カネと地位で買えない価値、本質への旅。
【星の王子さま、6つの星めぐり】7番目の星地球は、 111人の王様 、7千人の地理学者 90万人の実業屋 、750万人の飲んだくれ、 3億1100万人のうぬぼれつまり、かれこれ20億人の大人が住んでいる。
【6つの星】命令する王様、探検家の報告を利用するだけの地理学者、カネを数える実業屋、酒に溺れる飲んだくれ、自慢に溺れる自惚れ屋、日常業務に従事する点燈夫。偏奇な星の主たち。
【カネと地位で買えない価値】富とは、お金で買えないものをどのくらい持っているかである。お金で家は買えるけれど家庭は買えない。お金で学校は買えるけれど学問は買えない。知性は買えない。お金で地位は買えるけれど人格は買えない。魂の美は買えない。
【人生の舞台、16の性格】外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検隊グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。人生という舞台、自分の必殺技をどう披露するか。特性、強み弱み、どう発揮するか。織田信長は、明晰透徹な指揮官、武の七徳を探求する。
すべての円をゆがめて 弓を張つて永遠を射ることだ 永遠は鷺のように翼をいられて まつさかさまに地に向つて来る(西脇順三郎 失われた時IV)
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
『不思議の国のアリス』登場する29のキャラクター
時計ウサギとチェシャ猫、ハートの女王
ある日、アリスはアイシス川[の川辺の土手で読書中の姉の傍で退屈しながら座っていた。すると、そこに【時計を持つ服を着た白ウサギ】が、言葉を喋りながら通りかかる。驚いたアリスは、【時計ウサギ】を追いかけて、ウサギ穴に落ち、様々なものが壁の棚に置いてあるその穴を長い時間をかけて落下する。着いた場所は【時計ウサギの家】の広間。アリスは、そこで金の鍵と通り抜けることができないほどの小さな扉を見つける。不思議な小瓶があり、それを飲んだアリスはみるみる小さくなる。今度は鍵をテーブルに置き忘れて、取れなくなってしまう(「第1章 ウサギ穴に落ちて」)。アリスは、不思議なケーキを見つける。しかし、それを食べると、今度は身体が大きくなりすぎてしまい、部屋から出られなくなった。
29の登場するキャラクターは偏屈者に満ちている。
小さな家を見つけ、【煙草を吸う芋虫】の助言で、そこに入るために小さくなるキノコをかじる(「第5章 イモムシの助言」)。
【公爵夫人の家】家の前ではサカナ従僕とカエル従僕が慇懃無礼な態度で招待状のやり取りする。「女王からのクロケー・ゲームの招待状」を渡しに来る。家の中に、赤ん坊を抱いた無愛想な公爵夫人、胡椒を使う料理人、【チェシャ猫】がいてニヤニヤ笑っている。
【三月うさぎの家でティーパーティー】【きちがい帽子屋】がティーパーティーを繰り返している。
【ハートの国を治めるハートの女王】すぐに「首を刎ねよ」と命令する。
【ハートの国、ハートの王様】ないがしろにされる。
【ジャック、パイを盗んだ疑惑で裁判にかけられる】
【アリスは、裁判のやり方を非難】「あんたたちなんか、ただのトランプのくせに!」と叫ぶ。トランプたちはいっせいに舞い上がってアリスに飛びかかる。ここで、夢から醒める。アリスは姉に一部始終話す。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
参考文献
『不思議の国のアリス』(Lewis Carroll Alice's Adventures in Wonderland)は、イギリスの数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドドソンがルイス・キャロルの筆名で書いた児童小説。1865年刊行。1871年続編『鏡の国のアリス』(Alice through the looking glass)発表。ジョン・テニエル挿絵が秀逸。
ディズニー映画『不思議の国のアリス』1951
ティム・バートン監督、映画『アリス・イン・ワンダーランド』2010
ティム・バートン監督、映画『アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅』2017
ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)「特別展アリス―へんてこりん、へんてこりんな世界―」図録
「特別展アリス」・・・ハートの女王「首を刎ねよ」
https://bit.ly/3Wr6U2g
――
19世紀から現代にかけて、アート、映画、音楽、ファッション、演劇、写真など様々なジャンルで表現されてきた『不思議の国のアリス』の世界とその魅力をご紹介する展覧会です。ジョン・テニエルの挿絵から、ディズニー映画のアニメーションセル、ティム・バートン監督による映画『アリス・イン・ワンダーランド』、アリスに影響を受けたサルバドール・ダリや草間彌生らの作品、バレエなどでの舞台衣装、ヴィヴィアン・ウエストウッドらによるファッションなど、アリスにまつわる約300点の展示物が一堂に会します。
英国ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)を皮切りに世界巡回中の展覧会に、日本オリジナル展示も加えた「へんてこりん、へんてこりんな世界」が2022年夏、六本木ヒルズに出現します。遊び心あふれる没入型展示演出とも相まって、子どもから大人まで「不思議の国のアリス」の世界を心ゆくまで楽しむことができます。
――
「特別展アリスーへんてこりん、へんてこりんな世界ー」、森アーツセンター、7月16日(土)から10月10日(月・祝)
あべのハルカス美術館(あべのハルカス16階)2022年12月10日(土)~2023年3月5日(日)

2022年12月25日 (日)

挂甲武人 埴輪、武装した王、古墳時代6世紀・・・戦争の起源、アレクサンドロス大王の鎧

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大久保正雄『旅する哲学者、美への旅』第305回
【挂甲武人 埴輪】甲冑に身を固め、大刀と弓矢をもつ武人の埴輪。武器・武具が精巧に表現され、古墳時代後期の東国武人の武装。鎧は小さな鉄板を綴じあわせた挂甲。右手は腰に帯びた大刀に添え、左手に弓を持っている。左手首に巻かれているのは弓の弦から手を守る鞆で、背中には鏃を上にして矢を収めた靫を背負う。
挂甲武人埴輪は、飯塚町古墳から1体だけ出土、兵士ではなく、王の武装である。
鉄板を綴じあわせた鎧 アレクサンドロス大王 BC333イッソスの戦い
紀元前4世紀、マケドニアのアレクサンドロス大王は鉄板を綴じあわせた鎧を着用している。日本の鎧はアレクサンドロス大王の鎧に似ている気がする。(アレクサンダーモザイク参照)
【戦争の起源】
ペルシア帝国、マケドニア王国が、栄華を誇るのは、騎馬と長槍密集隊(ファランクス)、4頭立ての戦車が発達したからだと『戦争の起源』で読んだ記憶がある。馬を飼育する牧場が不可欠である。古代スパルタ、レオニダスのファランクス、古代エジプトのファラオ、ラムセス2世が、4頭立ての戦車に騎乗した。ツタンカーメンも戦車に騎乗した。秦の始皇帝の始皇帝陵から、4頭立ての戦車が発見された。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
日本書紀成立1300年
「出雲と大和」東京国立博物館・・・大海人皇子、大王から天皇へ
埴輪 挂甲武人(はにわ けいこうぶじん)古墳時代・6世紀 - 東京国立博物館
挂甲と頬当・錣の付いた衝角付冑に身を固め,両腕には籠手をつける。鞆を巻いた左手には弓を執り,右手を大刀の柄にかけ,完全武装の東国武人の姿を表している。
ポンペイ・・・埋もれたヘレニズム文化、「アレクサンドロス大王のモザイク」、豹を抱くディオニュソス
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~」・・・秦始皇帝の謎
挂甲武人 埴輪、武装した王、古墳時代6世紀・・・戦争の起源、アレクサンドロス大王の鎧
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(指定名称)埴輪武装男子立像 群馬県太田市飯塚町出土 1個
高130.5 古墳時代・6世紀 東京国立博物館
 甲冑に身を固め、大刀と弓矢をもつ武人の埴輪。武器・武具が精巧に表現され、古墳時代後期の東国武人の武装を知ることができる貴重な資料である。冑(かぶと)は衝角付(しょうかくつき)冑と呼ばれるもので、顔を守る頬当てと後頭部を保護する錣(しころ)が付いている。また粘土の小粒を貼り付けて冑が鉄板を鋲で組み合わせて造られていたことを表す。甲(よろい)は小さな鉄板を綴じあわせた挂甲(けいこう)で、肩甲や膝甲、籠手(こて)、臑当(すねあて)、沓(くつ)も表現されている。一方、右手は腰に帯びた大刀に添え、左手に弓を持っている。左手首に巻かれているのは弓の弦から手を守る鞆(とも)で、背中には鏃(やじり)を上にして矢を収めた靫(ゆき)を背負う。
 このほか10か所に見られる蝶結びから、紐で結んで甲を着装していたことがわかる。挂甲は右衽(みぎまえ)に引き合わせて結び、膝甲、臑当は後ろで紐を結んでいる。また肩甲の下に短い袖が表現されており、籠手は素肌につけていたことになる。
 顔立ちはおだやかで、全体に均整がとれ、熟練した工人が製作したと考えられる。群馬県東部の太田市周辺では、同じような特色をもつ優れた武人埴輪が数体出土しており、この地域に拠点をおく埴輪製作集団の存在が想像される。
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150周年記念「国宝 東京国立博物館のすべて」(2022年10月18日~12月18日)

2022年12月21日 (水)

「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」・・・源氏物語の謎

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大久保正雄『旅する哲学者、美への旅』第304回
「源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり」藤原俊成『六百番歌合』という程、基準となる。俊成『千載和歌集』の美の基準である。
【『源氏物語』の謎】
【光源氏の謎】光源氏のモデルは源融(嵯峨天皇の皇子)か藤原道長か。源融(822-895)は天皇の皇子だが、天皇になれなかった美貌の貴公子。源融は左大臣になり、天皇候補となったが、藤原基経に反対された。藤原道長(966-1028)は中宮彰子の父であり、紫式部は藤原道長の召人(愛人)。藤原道長は右大臣として君臨、栄華を極める『御堂関白記』、関白になった記録はない。
【源氏物語の時代背景】源氏物語の時代背景は、醍醐天皇(885生まれ、897-930)の時代、紫式部の曽祖父、藤原兼輔である。
【光源氏の生涯最愛の女】ヒロインは若紫(紫の上)。光源氏の生涯最愛の女は若紫(紫の上)、光源氏22歳のとき若紫14歳に出会った。若紫は走っていた。『若紫』、光源氏は14歳の幼女若紫を誘惑した、他の多数の女たちはどんな意味があるのか。若紫(紫の上)は死顔も美しい。
【紫式部の謎】父、藤原為時、花山天皇の退位(986年6月)とともに職を失い蟄居する父の傍らで娘盛りを迎えた式部。999年(長保1)初春に藤原宣孝と結婚、1001年4月、宣孝が他界、式部は若き寡婦としてほうり出された。『源氏物語』は現実の絶望を乗り越える手段として紡ぎ出された。紫式部はなぜ清少納言に反感を抱いたのか。『紫式部日記』1010。
曽祖父、藤原兼輔は、有力貴族。紫式部の歌や文章に、家の荒廃を嘆き、身の程の口惜しさを思うものが目だつ。その家は兼輔が建て『大和物語』などにその風流ぶりをうたわれた、賀茂川べりの堤第であった公算が強い。京都市上京区の廬山寺あたりがその跡地。
1006年(寛弘3)暮れ(5年説も)、一条天皇中宮彰子(藤原道長娘)のもとに出仕した。
【紫式部】973年(天延1)生まれ、1014年(長和3)春ごろに没したらしい(1019年以降説もある)伊藤博。これによると紫式部は41歳で没した。
【『桐壺』】桐壺の更衣への虐めはなぜエスカレートするのか。父のない最下位の妃の更衣を熱愛するミカド、皇子を産む桐壺。桐壺天皇の皇子が光源氏。
【六条河原院『夕顔』】源融の幽霊はなぜ六条邸に出るのか。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【感染爆発と平安文学】
【一条天皇は31歳で死す。中宮定子は24歳で死。中宮彰子88歳まで生きる】一条天皇は2人の皇后を持った(一帝二后)、一人の后でが中宮彰子(988-1074)、彼女に仕えたのが清少納言のライバル、紫式部(970頃-1019頃以降)。
中宮彰子は、藤原道隆の弟でのちに位人身を極める藤原道長(966-1028)の娘として生まれ、後一条天皇、後朱雀天皇の2人の帝を産み「国母」と称され、系図上では現在の明仁・徳仁天皇の祖先。
【インフルエンザ肺炎、中宮定子、中宮彰子、一条天皇】彰子の夫である一条天皇は《980-1011》31歳で亡くなり、死因は「咳逆=しわぶき」、インフルエンザ肺炎と伝えられる。清少納言が仕えた「年上の后」中宮定子は《977-1001》24歳で産褥のため亡くなる。
【中宮彰子と藤原道長】
大酒のみの父道隆が995年糖尿病のために42歳で死んだ後、にわかに権力を掌握した道長によって、12歳で「皇后」となっていた彰子は後一条天皇(1008-1036)と後朱雀天皇(1009-1045)を生んだ後、半世紀以上も生きながらえ、米寿まで存命する。
皇后彰子は20-21歳にかけての1008-1009年には、28-29歳だった一条天皇と同衾して子供を作っているが、1011年、一条天皇がインフルエンザに罹患した後は、その感染を免れ、その後63年間生き続ける。
めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かげ『紫式部集』
――
参考文献
大塚ひかり『源氏物語 平安王朝のロマンと時代背景の謎』2001
大塚ひかり『男は美人の嘘が好き ひかりと影の平家物語』
大塚ひかり『ブス論で読む源氏物語』講談社+α文庫
角田文衛『紫式部とその時代』(1966・角川書店)
前田 雅之「藤原俊成の古典意識」2012
「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」・・・源氏物語の謎
https://bit.ly/3hIroVg
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主な展示作品
鷹野理芳《垣間見 玉鬘「蛍の巻」より》2022年 作家蔵
高木厚人《ふぢつぼのゆめ》2012年 作家蔵
玉田恭子《紫之にき》2019年 作家蔵
青木寿恵《源氏物語》1976年頃 寿恵更紗ミュージアム蔵
石踊達哉《真木柱》1997年 講談社蔵
守屋多々志《澪標「住吉詣」》1991年 個人蔵
渡邊裕公《千年之恋~源氏物語~》2016年 作家蔵
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「上野アーティストプロジェクト」は、「公募展のふるさと」とも称される東京都美術館の歴史の継承と未来への発展を図るために、2017年より開始したシリーズです。その第6弾となる本展は、「源氏物語」がテーマです。
平安時代に紫式部が執筆した源氏物語には、四季折々の美しい情景とともに、多数の登場人物が魅力的に描かれています。主人公の光源氏を中心に紡がれる人間模様は、現代の私たちにも通じるものがあります。読者は登場人物と自分とを重ね合わせ、物語に感情移入することができるからこそ、約1000年の間、変わらず読み継がれてきたのではないでしょうか。そして、長い間広く親しまれてきたことにより、美術工芸や芸能など他のジャンルにも影響を与え、源氏物語は時代や文化を超えて人びとを魅了してきました。
本展では、絵画・書・染色・ガラス工芸という多彩なジャンルの作家をご紹介します。人との出会いはもちろん、美術館で作品とめぐり逢うことも、ひとつの「えに(縁)」と言えます。人や社会とのつながり方が変化しているコロナ禍において、本展が私たちの生活を見つめ直す機会となれば幸いです。
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「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」、東京都美術館、11月19日(土)~2023年1月6日(金)

2022年12月18日 (日)

祈り・藤原新也・・・旅の始まりには、いつも犬の遠吠えが聞こえる


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Fujiwara-inori-1-2022
Fujiwara-hibino-itteki
大久保正雄『旅する哲学者、美への旅』第303回
秋の夕暮れ、紅葉の森を歩いて美術館に取材に行く。『地中海紀行 旅する哲学者 美への旅』の旅を思い出す。藤原新也の記者発表を聞く。
藤原新也78歳。50年の旅。メメント・モリ、メメント・ヴィータ、壮大な旅。
旅の始まりには、いつも犬の遠吠えが聞こえる。イスタンブール
「太陽があれば国家は不要。死体の灰には階級制度がない。ひとはみなあまねく照らされている。」「死人と女には花が似合います。この世はあの世である。天国がある。地獄がある。」笑って死ぬのは最高の生き方だ。「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。歩みつづけると、女は子供を孕むことがあります。歩みつづけると、男は自分の名前を忘れることがあります。極楽とは、苦と苦の間に一瞬垣間見えるもの。」
藤原新也の言葉には宗教書の響きがある。16歳まで門司、裕福な旅館の少年。ある日、破産、急に貧乏になった。1969年24歳、大学を中退、インド放浪。50年の壮大な旅。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
母の愛犬、トイプードル、朝夕、吠えた。愛犬、病気になって咳をした。愛犬を抱いて病院に連れて行った。愛犬15年生きて私を守った。時がめぐり、愛犬、守護精霊となって帰ってきた。学問僧を守護するために。
流れ行く春の日も 流れ行く女も 寂光の菫に濡れて 流れ去る命の ただひと時(西脇順三郎『近代の寓話』「プロサラミヨン」)
明日は恋なきものに恋あれ、明日は恋あるものにも恋あれ。(Ambarvalia「ヴィーナス祭の前晩」)
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
参考文献
藤原新也『祈り』2022
藤原新也『メメント・モリ』
藤原新也の旅、死を想(おも)え、生を想(おも)え。日曜美術館12月11日
祈り・藤原新也・・・旅の始まりには、いつも犬の遠吠えが聞こえる
https://bit.ly/3V19RVO
――
帝釈天騎象像、七頭の獅子に坐る大日如来・・・守護精霊は降臨する
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
――
1944年に福岡県門司市(現 北九州市)に生まれた藤原新也。東京藝術大学在学中に旅したインドを皮切りに、アジア各地を旅し、写真とエッセイによる『インド放浪』、『西蔵(チベット)放浪』、『逍遥游記(しょうようゆうき)』を発表します。1983年に出版された単行本『東京漂流』はベストセラーとなり、社会に衝撃を与えます。また同年に発表された『メメント・モリ』は、若者たちのバイブルとなりました。1989年には、アメリカを起点に西欧へと足をのばし、帰国後は自身の少年時代を過ごした門司港で撮影した『少年の港』をはじめ、日本にカメラを向けます。そして旅のはじまりから50年後、現代の殺伐を伝えるニュースを背に、大震災直後の東北を歩き、コロナで無人となった街に立って、これまでの道程と根幹に流れる人への思いを「祈り」というタイトルに込めます。そして藤原の見た、人が生き、やがて死へと向かうさまは、現在形の〈メメント・モリ(死を想え)〉へと昇華され、新たな姿でわたしたちの「いま」を照らします。
藤原の表現活動で特筆すべきは、写真、文筆、絵画、書とあらゆるメディアを縦横無尽に横断し、それぞれの領域において秀でた表現を獲得していることにあります。
本展は、祈りをキーワードに、初期作から最新作までの作品を一堂に展示して、藤原新也の多彩な仕事を立体的に展開します。
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祈り・藤原新也 | 世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM
2022年11月26日(土)–2023年1月29日(日)

2022年12月15日 (木)

岡本太郎・・・傷ましき腕、夜、太陽の塔、明日の神話

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大久保正雄『旅する哲学者、美への旅』第302回
闇の中、刃をもって立つ少女、何に立ち向かうのか。何に反抗するのか。
岡本太郎、自己破壊の藝術家、自由奔放、破天荒、革命児。生きかたの根底にある源泉は何か。何と戦ったのか。赤い大きなリボンの女、刃を持って闇の中に立つ少女。シュールレアリスム、対極主義、呪術的縄文、太陽の塔。岡本太郎の活動資金はどう作られたのか。巧みなマスコミ戦略。「真剣に、命がけで遊べ」。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1、芸術家・岡本太郎の誕生
岡本太郎1911年(明治44年)2月26日 - 1996年(平成8年)1月7日)
太郎は、川崎市、大貫病院で、岡本一平、岡本かのこ、藝術家夫婦の子として生まれた。
岡本太郎は、19歳の冬、家族ともにとヨーロッパに渡った。1930年から10年間パリに滞在。最先端の藝術家、思想に触れ、「アブストラクト・クレアシオン」の運動に参加。
ピカソの作品『ゲルニカ』に衝撃を受け、前衛芸術家や思想家たちと交わり、自身も最先端の芸術運動に邁進する。パリ大学で哲学、民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと親交を深める。自身の基礎となる思想を深めた。1940年、帰国、兵役、復員。
岡本太郎《傷ましき腕》 1936/49年 川崎市岡本太郎美術館蔵
2、前衛美術芸術運動1947
岡本太郎は、東郷青児と二科会を牽引する。だが、太郎と東郷青児はやがて、軋み、別離する。日本美術界の変革を目指し、岡本太郎は花田清輝と「夜の会」1947を結成。抽象と具象など対立要素が生み出す「対極主義」を掲げ前衛運動を展開する。著書『今日の芸術』1954がベストセラーとなり文化人としても活躍する。
岡本太郎の活動資金はどう作られたのか。岡本太郎の広報戦略は巧みだった。
3、大衆の芸術、「芸術は大衆のもの」
太郎は、「芸術は大衆のもの」という信念のもと。芸術とは生活の中にあり、金持ちやエリートのものでなく、民衆のもの、社会のものだと考える。岡本太郎は、絵画を売らない主義で、生涯を貫いた。
「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」
彼の格言の通り、作品から発散する不気味な熱。すべてを生命体として描く彼の表現は、彼自身の猛烈な生き様を表現する。
3、魅了される呪術的世界観、縄文土器1951
岡本太郎は、前衛芸術を推進する一方、日本文化に目を向けた。1951年に出会った縄文式土器、日本各地に残る神事など現地調査を実施し考察。民族学から日本文化の新しい価値を提唱する。この知識と見聞が《太陽の塔》へと繋がってゆく。
岡本太郎《イザイホー》 (沖縄県久高島) 1966年12月26‐27日撮影 川崎市岡本太郎美術館蔵
岡本太郎《縄文土器》 1956年3月5日撮影 (東京国立博物館) 川崎市岡本太郎美術館蔵
4、二つの太陽 太陽の塔1970《明日の神話》1968
1970年の大阪万博。そのテーマ館として太郎が手掛けた《太陽の塔》は、生命の根源的エネルギーの象徴。これと並行して描かれた作品、現在渋谷駅に設置されている巨大壁画《明日の神話》。太郎が残したドローイングと資料が示す世界観。
生命の根源としての太陽の塔。原子爆弾の破壊力とそれを超える人類の希望。
5、岡本太郎、病と戦い、84歳で死す
パーキンソン病と戦い、手の震えと闘いながらも最後の最後まで絵を描いた。パーキンソン病。パーキンソン病は、脳内のドーパミンという物質が作られなくなる病気。それにより、体に不具合が発症。主な症状は小刻み歩行や指先のふるえ、症状が進んでいく。
1996年(平成8年)1月7日、慶應義塾大学病院にて死去。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
「展覧会 岡本太郎」図録2022
「世田谷時代1946-1954の岡本太郎、戦後復興期の再出発と同時代人たちとの交流」世田谷美術館、2007
岡本太郎・・・傷ましき腕、夜、太陽の塔、明日の神話
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展示作品の一部
岡本太郎《森の掟》1950年 川崎市岡本太郎美術館蔵、岡本太郎《夜》1947年 川崎市岡本太郎美術館蔵《光る彫刻》 1967年 川崎市岡本太郎美術館蔵、《犬の植木鉢》 1955年 川崎市岡本太郎美術館蔵岡本太郎《太陽の塔》 1970年 (万博記念公園) 、岡本太郎《明日の神話》 1968年 川崎市岡本太郎美術館蔵、
著書『今日の芸術』、岡本太郎《イザイホー》 (沖縄県久高島) 1966年12月26‐27日撮影 川崎市岡本太郎美術館蔵、岡本太郎《縄文土器》 1956年3月5日撮影 (東京国立博物館) 川崎市岡本太郎美術館蔵
岡本太郎《太陽の塔》 1970年 (万博記念公園)
岡本太郎《明日の神話》 1968年 川崎市岡本太郎美術館蔵
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絵画、立体、パブリックアートから生活用品まで、強烈なインパクトのある作品を次々と生み出し、日本万国博覧会(大阪万博)の核となる「太陽の塔」をプロデュースし、晩年は「芸術は爆発だ!」の流行語とともにお茶の間の人気者にもなった岡本太郎。彼は、戦後日本の芸術家としてもっとも高い人気と知名度を誇るひとりでありながら、あまりに多岐にわたる仕事ぶりから、その全貌を捉えることが難しい存在でもありました。「何が本職なのか?」と聞かれ、彼はこう答えます。「人間――全存在として猛烈に生きる人間」。18歳で渡ったパリの青春時代から、戦後、前衛芸術運動をけん引した壮年期の作品群、民族学的視点から失われつつある土着的な風景を求めた足跡や、大衆に向けた芸術精神の発信の数々、さらにアトリエで人知れず描き進めた晩年の絵画群まで――。本展は、常に未知なるものに向かって果敢に挑み続けた岡本太郎の人生の全貌を紹介する、過去最大規模の回顧展です。
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展覧会 岡本太郎、 東京都美術館
10月18日(火)~12月28日 (水)

2022年12月 9日 (金)

鉄道と美術の150年・・・世界の果てへの旅

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』301回
【人生の舞台、16の性格】外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検家グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。自分の必殺技どう披露するか。
19世紀後半、ニーチェは、鉄道で旅した。教職を退き、旅行者として生き抜いた日々、転地療養、温泉旅行、サン=モリッツ、ジェノヴァ、ニース、シルス・マリア、永劫回帰の思想を思いついた地。ニーチェ(1844-1900)は、1881年、病気療養に訪れたスイスのシルス・マリア。シルヴァプラナ湖畔を散策中に巨大な尖った三角岩のほとりで「永劫回帰」の思想が、突然襲来した。永劫回帰ewig wiederkehrenの思想は、『ツァラトゥストラ、かく語りき』(1883-85)においてはじめて提唱された。「時間は無限であり、物質は有限である」「無限の時間の中で有限の物質を組み合わせたものが世界である」、過去に在ったことは、未来に存在する。永劫に回帰する世界。
マルクス最後の旅。マルクス(1818-1883)は、パリからマルセイユまで鉄道の旅、アルジェまで船旅。若い女性との邂逅。夢のなかで去来するさまざまな過去の記憶。亡くなった妻の事。モンテカルロでは賭博に明け暮れる富豪たち。『資本論』続編。
グランドツアーで、ヨーロッパ人は、イタリア、ギリシア、地中海、エジプトへと旅した。異郷の地の思い出をロマン主義の夢で表現する。
リルケ(1875-1926)は、アドリア海に臨む孤城ドゥイノの館に滞在し、イタリア、エジプト、スペインを旅し『ドゥイノの悲歌』(1923)『オルフォイスへのソネット』(1923)を書いた。
マルクス『資本論』第三巻。労働者を搾取して、彼らが生み出した価値の一部をかすめ取る。利益率を上げようとすれば、搾取率を上げる。マルクスは『資本論』第三巻で、金融(信用)制度の発展は「資本主義的生産の動力ばね」であると同時に、「他人の労働の搾取による致富を、もっとも純粋かつ巨大な賭博とペテンの制度にまで発展させる。金融には「両刃の剣」としての性格があるからこそ、金融の発展が暴走しないように、公正なルールと規制が絶対に必要になる。「マルクス信用論、恐慌論の出番」2008年11月7日(金)「しんぶん赤旗」
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
孤高の画家、フリードリヒ、ロマン主義、生涯と藝術
孤高の画家、フリードリヒ、精神の旅、地の果て、崇高な自然と精神
ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり
ツァラトゥストラ、シルヴァプラナ湖、永劫回帰の思想
ニーチェの旅 永劫回帰 美への旅
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第71回ニーチェの旅P8-11
地中海 四千年のものがたり・・・藝術家たちの地中海への旅
岡村民夫『旅するニーチェ―リゾートの哲学』白水社、2004
サン=モリッツ、ジェノヴァ、ニース。ニーチェが旅行者として生き、もっとも多産に著作した十年間。アフォリズム・スタイルを生んだ「歩行する思想」のノマディスムを解明する。教職を退き、当時生まれつつあったリゾート地を経巡り、ひたすら旅行者として生き抜いた日々は、ニーチェの著作活動の中で、もっとも多産な10年間だった。以後、舞踏のようなアフォリズムのスタイルを生んだ「移動し歩行する思想」のノマディスムを本書は解明する。
目次
第1章 ドイツ帝国からの逃走(ニーチェはドイツ人か;治療としての亡命 ほか)
第2章 リゾートのノマド(リゾートへの列車;リゾートの身体 ほか)
第3章 足の思想(マイナー文学;足で書く ほか)
第4章 ニーチェを探して(ジェノヴァ;ヴェネツィア ほか)
第5章 新しい健康へ(大いなる健康;病者の光学 ほか)
ハンス・ユルゲン・クリスマンスキ 『マルクス最後の旅』2016
エンゲルスが闇に葬った『資本論』の核心とは。『資本論』の続巻を構想しつつ最後の旅に赴いたマルクス。残された膨大なメモや記録、史実の中からマルクスの旅を再現し、ドイツの社会学の泰斗が描く、大胆な仮説。著者はマルクスの足跡を順次、マルクス自身の手紙をもとに丹念に追っていく。パリからマルセイユまでの鉄道の旅、アルジェまでの船旅。その途上での若い女性との邂逅。夢のなかで去来するさまざまな過去の記憶。亡くなった妻のこと。モンテカルロでは賭博に明け暮れる富豪たちを目の当たりにし、誘われるがままにカードゲームにも参加。その体験の分析から、やがてカジノ資本主義の対処法の考察へと移って行く。マルクスが己の死を予感しながらもその視線の先に見据えていたものに思いを馳せてみてはいかがだろう。(「訳者あとがき」より抜粋)
鉄道と美術の150年・・・世界の果てへの旅
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展示作品の一部
河鍋暁斎『地獄極楽めぐり図』より「極楽行きの汽車」1872年、静嘉堂文庫美術館
不染鉄『山海図絵(伊豆の追憶)』1925、木下美術館
長谷川利行『汽罐車庫』1928、鉄道博物館
木村荘八『新宿駅』1938
稗田一穂『時雨海岸』1982愛知県美術館
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鉄道150年の歴史を、美術とともにたどる旅。
今年150周年を迎える日本の鉄道は、明治5(1872)年に新橋―横浜間で開業しました。奇しくも「美術」という語が初めて登場したのも明治5年のことです。(*)鉄道と美術は、日本の近代化の流れに寄り添い、また時にはそのうねりに翻弄されながら、150年の時を歩み続けてきました。
この展覧会では、鉄道と美術150年の様相を、鉄道史や美術史はもちろんのこと、政治、社会、戦争、風俗など、さまざまな視点から読み解き、両者の関係を明らかにしていきます。
日本全国約40カ所から集めた、「鉄道美術」の名作、話題作、問題作約150件が一堂にそろう、東京ステーションギャラリー渾身の展覧会です。(*)それまでは「書画」などと呼ばれていました。北澤憲昭『眼の神殿』(美術出版社、1989年
【東京ステーションギャラリー】
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鉄道と美術の150年、東京ステーションギャラリー、年10月8日(土) - 2023年1月9日(月・祝)

2022年12月 3日 (土)

ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王

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【ツタンカーメンの謎】3300年の眠りから醒めたファラオツタンカーメン(Tut・ankh・amun)tut・ankh・amen, King Tut, 紀元前1341年頃 - 紀元前1323年頃)は、古代エジプト第18王朝の 9歳で即位し、19歳で亡くなった悲劇の少年王。ツタンカーメンの死因は何か。ツタンカーメンの黄金の短剣、隕石鉄の短剣はミタンニ王国から来たのか。アクエンアテン王のアマルナ改革は何故か。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』300回
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1 ツタンカーメン
【ツタンカーメン発掘100年】1922年11月26日、王家の谷(Valley of the Kings)にあるツタンカーメン(Tut・ankh・amun)の墓を小さな穴から覗き込んだ英国人考古学者ハワード・カーターは、黄金のマスクや夥しい数の財宝に息をのんだ。
古学者ハワード・カーターは、ツタンカーメン王墓発掘を夢み、カーナボン卿は資金提供。2人は妄想狂と呼ばれた。
【ツタンカーメン黄金のマスク】「輝かしい、壮麗なともいえるほどの、磨きあげられた黄金のマスク、あるいは王の肖像が、頭と肩を覆っており(中略)打ち出しの黄金のマスクは、古代における美しい、ユニークな肖像の傑作で、若くして死に奪い去られた青春をしのばせる、悲しい、しかし、しずかな表情をたたえている」ハワード・カーター『ツタンカーメン発掘記』(ちくま学芸文庫)
【ツタンカーメンの謎、黄金の短剣、隕石鉄の短剣】9歳で即位、19歳で死す。死因は謎である。暗殺、落馬事故、病死。アマルナ文書によれば、アメンホテプ3世の正妃ティイは、黄金の短剣、隕石鉄の短剣を持っていた。ツタンカーメンの母は、アメンホテプ3世の孫、ミタンニ系。アメンホテプ3世の正妃ティイ(Tiy)は妹で、兄妹ともにミタンニにルーツを持つ。ツタンカーメンの副葬品
【アンケセナーメン(Ankhesenamen)】ネフェルティティの娘、ツタンカーメンと婚姻。*ファラオ・アクエンアテンと正妃ネフェルティティの三女であり、ファラオ・ツタンカーメンの妻。ツタンカーメンの母はだれか。アメンホテプ3世の正妃ティイの娘。
ツタンカーメンとアンケセナーメン
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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2 アメンホテプ3世の正妃ティイ(Tiy)
ツタンカーメンの祖母【ティイ(Tiy)紀元前14世紀中葉)】は、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオであったアメンホテプ3世の正妃である。アメンホテプ4世の母であり、王太后である。
――
3 アクエンアテン=アメンホテプ4世、ツタンカーメンの父
【アクエンアテン=アメンホテプ4世(Akhenaten/ Amenhotep IV)】紀元前1362年? - 紀元前1333年?)、
【アメンホテプ4世(アクエンアテン)、ネフェルティティ、ツタンカーメン】王名表から削除された。
アテン宗教改革に関わった時代の王たちは存在そのものを消される。古代エジプト時代聖地とされたアビドスの神殿にある歴代の王の名「王名表」にツタンカーメンの名は無い。ツタンカーメンの名は彼の父らと共に歴史上から抹殺された。
――
【アメンヘテプ3世の王妃ティイ】王の死後、息子のアメンヘテプ4世とともにアマルナ王宮に移り住み。「アメンヘテプ3世の記念スカラベ(王妃ティイとの結婚)」によると、ティイの父親はイウヤ、母親はチュウヤ。太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を断行したアメンヘテプ4世は、アメンヘテプ3世と王妃ティイの息子。ツタンカーメンは、ティイの孫。(新王国・第18王朝時代、アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)) ティイの毛髪がツタンカーメン墓から発見。
【アテン神信仰の始まり】アメンヘテプ3世が、人造湖の完成式典で「輝くアテン」という名の船に乗り、自らの王宮を「ネブマアトラーはアテンの輝き」と呼ぶ、アテン神を意識することで、アメン神官団を牽制している。アテン神は空に輝く日輪の神で、地上に降り注ぐ光はアテン神の手として描かれた。アメンヘテプ4世は、父王アメンヘテプ3世の治世30年を祝う祭礼に際して、カルナクにアテン神殿を建設。
【アマルナへ遷都】アメンヘテプ3世の跡を継いで即位したアメンヘテプ4世は、アクエンアテンと改名し、アテン神を唯一神とする宗教改革に乗り出した。治世5年頃には、宗教的な伝統やしがらみと決別するために、アマルナの地に新しい王都を建設。【アマルナ文書】アマルナの王宮址で発掘され「アマルナ文書」と呼ばれる文書。アマルナ文書の大部分は、アメンヘテプ3世の治世後半からアクエンアテン王の治世に、エジプトが諸外国と交わした外交文書。ミタンニ王は3代続けてエジプトの王室と婚姻関係を結んでおり、両国は親密な関係にありました。「トゥシュラッタ王の手紙」は、王の母としてアマルナで暮らしていた王妃ティイに宛てたもの。
――
4 ネフェルティティ=アメンヘテプ4世(アクエンアテンと改名)の王妃
【ネフェルティティ】アメンヘテプ4世(アクエンアテンと改名)の王妃ネフェルトイティ(ネフェルティティ)。アメンヘテプ4世はアテン神を唯一神とする宗教改革を行い、アマルナに新都を建設した。名前もアメンヘテプ(アメン神は満足する)から、アクエンアテン(アテン神に有益な者)と改名。新王国・第18王朝時代アクエンアテン王治世(前1351~前1334年頃)
――
5 ツタンカーメン王即位
【ツタンカーメン】ツタンカーメンは8歳から9歳の時に、「神の父(it netjer)」の称号を持つ宰相アイと将軍ホルエムヘブの下で王位に就いてファラオとなった。幼い王はその幼さゆえに、両者の圧力に強く影響された、治世3年か4年の時、両者の助言によってアメン信仰の再興に踏み切った。テーベの守護神であるアメン の伝統的な信仰を復活させ、「トゥトアンクア・メ・ン・」(「アメン神の生ける似姿」の意)と改名した。
古き信仰への回帰
ツタンカーメンは、アクエンアテンの時代には、唯一神アテン信仰が説かれていたため「トゥトアンクア・テ・ン・」と名乗っていたが、テーベの守護神であるアメン の伝統的な信仰を復活させ、「トゥトアンクア・メ・ン・」(「アメン神の生ける似姿」の意)と改名した。王妃アンクエスエンパーアテンもまた同様に「アンクエスエンアメン(アンケセナーメン)」へと改名した。さらに、首都をアケトアテン(テル・エル・アマルナ)からメンフィスに移した。彼は主神をアテンからアメンに変え、一神教から多神教に戻した。
彼のファラオとしての最初の行動は、アクエンアテンをアマルナから王家の谷に再埋葬することだった。エジプトでは葬儀を主催する者が次の統治者であるとい
う慣習があるため、この行動によりツタンカーメンの王権は強化された。また、最高の金属や石を使って神々の新しい像を作り、最高級のレバノンスギを使って新しい行列用の車を作り、金や銀で装飾した。神官とそれに付き添う踊り子、歌い手、侍者たちはその地位を回復し、将来を保証するために王室による保護令が出されたとされる。
ツタンカーメンの下で行われた政策を示している実証は、後にホルエムヘブに奪われ、カルナックで発見された「復古の碑(Stele of restoration)」
★★★
6 ハトシェプスト女王
【古代エジプトの王妃】【ハトシェプスト女王(トトメス2世王妃)】ハトシェプスト女王葬祭殿
7 ラムセス2世 ネフェルタリ
【ラムセス2世】生涯に8人の正妃、及び多くの側室を娶り、100人以上の子をもうけた。67年間王位につく。第19王朝。ネフェルタリ、ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。在位、前1279-1213年。治世62年目、92歳薨去。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。
【ネフェルタリ、ラムセス2世王妃】
ラムセス2世【カデシュの戦い】紀元前1286年頃、エジプト新王国ラムセス2世と、ヒッタイト王ムワタリとの間で戦われた戦争。シリア・パレスチナの領有権をめぐり、オロンテス川近くにある交易の要衝で戦った。ヒッタイトは鉄製武器を用いることによって、世界史上に頭角を現した軍事国家。紀元前1275年頃、ラムセス2世はカデシュに軍を進め、シリア・パレスティナ覇権を争う。
ラムセス2世【人類最初の平和条約】ラムセス2世の治世第21年に、ヒッタイト王ハットゥシリ2世との間で、シリア・パレスティナとそこを通る交易ルートの支配権を分割保有することに同意する公式の平和条約が締結された。ラムセス2世の武勲とともにカルナック神殿、ラムセス2世の葬祭殿(ラムセウム)にヒエログリフで刻まれている。
――
7 アテン神
【アテン神】アテン、アトン(Aten)は、エジプ トの太陽神の一つ。
起源
第12王朝時代に書かれた「シヌへの物語」、亡くなった王は天に上げられて神(日輪)と一体となった、と説明されている。シヌへの物語にあるように、日輪を神格化した神でテーベで祀られていた。中王国時代においてアテンは太陽神ラーの1つの側面として考えられていた。第18王朝の頃に太陽神に対する信仰が盛んになり、アメンホテプⅢ世の頃にはラーのように鷹の頭を持つ神された。アメンホテプⅣ世が唱えたアテン神の公式名は「アテンとして帰って来た父ラーの名によって、地平線で歓喜する地平線の支配者ラー」と、アマルナの境界線を示す多数の碑文に刻まれている
宗教改革の開始
第11王朝のテーベの支配者たちは、ハヤブサの頭を持つ戦いの神、メンチュウを国家神とした。第12王朝時代、アメンが台頭し広く信仰されるようになった。アメン信仰はアメンホテプ4世の治世中に全盛期を迎え、アメンを讃えていたエジプトの神官たち(アメン神団)はファラオをも凌ぐ権勢を誇った。
アメンホテプⅣ世は、即位から5年までの間に、アテン信仰の導入を始めた。伝統的な神々への崇拝を禁止しなかった。
即位5年目、自分の名前をアクエンアテンに改名、アメンの文字を削った。
即位7年目、首都をテーベからアマルナへ遷都。この新都には、「アテンの地平」を意味するアケト・アテンという名を与えた。
アテン神の変貌
先端が手の形状を取る太陽光線を何本も放ち、 光線の一つに生命の象徴アンクを握った太陽円盤の形で表現された。アマルナ改革によりアンクを持った手は、アクエンアテンに手渡されている。
アマルナ美術
太陽光線を崇める。美術においてもリアルな表現が行われ、アマルナ時代の美術様式は「アマルナ様式 」と呼ばれる。
宗教改革の失敗
この宗教改革は、急激だったために、アメン神団の抵抗が激しく失敗に終わった。アメンホテプ4世アクエンアテンは失意のうちに亡くなった。その息子であるツタンカーメン王の時代にエジプトはアメン信仰に戻った。アテン信仰は消滅した。
唯一神起源説
フロイトは、アクエンアテンの治世年と出エジプトの年と推定される年代がほぼ同じである事を根拠に、アテン神が同じ唯一神教であるユダヤ教の神ヤーウェの原形とする説を唱えた。
――
参考文献
近藤二郎「エジプト美術、世界一周 芸術新潮2009年9」
近藤二郎監修「国立ベルリン・エジプト博物館 古代エジプト展 天地創造の神話」図録2020
「クレオパトラとエジプトの王妃展」図録2015
A.J.スペンサー編(近藤二郎監訳・ 小林朋則訳)『大英博物館図説古代エジプト史』原書房、2009年
ジョージ・ハート著 (近藤二郎監訳・鈴木八司訳)『エジプトの神々』(大英博物館双書 古代の神と王の小事典) 學藝書林、2011年
近藤二郎『ヒエログリフを愉しむ 古代エジプト聖刻文字の世界』2004集英社新書
『古代オリエント集』 筑摩書房. (1999)
ジークムント・フロイト『モーセと一神教』ISBN 978-4480087935「唯一神教アマルナ起源説」。
イアン・ショー(近藤二郎・河合望共訳)『古代エジプト』岩波書店、2007年
河合望『ツタンカーメン 少年王の謎』 (集英社新書)
河合望『古代エジプト全史』雄山閣2021
ツタンカーメン、黄金の秘宝と少年王の真実・・・少年王
の愛と苦悩
クレオパトラとエジプトの王妃展・・・生と死の秘密、時の迷宮への旅
石浦章一「ツタンカーメンの謎に新説!正体不明のミイラが彼の母親だった!?、「王家のDNA」解析からわかったこと
ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」・・・絶世の美女ネフェルティティ王妃とアマルナ美術の謎
https://bit.ly/39mttQ1
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
https://bit.ly/3usmqyp


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