「冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重」・・・冨嶽三十六景46図と広重「名所江戸百景」
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第243回
八重桜咲く道を歩いて、美術館に行く。紫の躑躅燃える春の午後。拈華微笑御衣黄桜ひらきけり。春愁のかぎりを躑躅燃えにけり。
北斎は、75歳で画狂老人卍となった。鳳凰、波濤、富士越えの龍、麒麟、北斎は時の彼方へ旅する。
高校生の時、愛誦した詩を思い出す。(覆された宝石)のやうな朝 何人か戸口にて誰かとさゝやく それは神の生誕の日。(Ambarvalia「天気」)。永遠の 果てしない野に 夢みる 睡蓮よ 現在に めざめるな 宝石の限りない 眠りのように(宝石の眠り「宝石の眠り」)
【葛飾北斎、苦節五十年】北斎は、20歳で絵師となるが売れず、苦節50年、72歳『冨嶽三十六景』『神奈川沖浪裏』(1831)まで苦境。北斎は、九十歳で死ぬまで絵を描きつづける。
【葛飾北斎、富嶽百景】冨嶽三十六景、1831-34年(天保2-5年)版行。全46図。大判錦絵、版元は西村屋与八(永寿堂)。最初に36図が完成し、後に10図が追加出版。
【不屈の画狂老人卍】74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)、88歳『弘法大師修法図』、89歳『八方睨み鳳凰図』(1848)、90歳『富士越龍図』(1849)。90歳にして「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」「画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所。」飯島虚心『葛飾北斎伝』。
【歌川広重、35歳で北斎『富嶽三十六景』に出会い、『東海道五拾三次』天保5~7年(1834~36)を描く。20年後晩年60歳で「名所江戸百景」安政4年(1857)を描く。「富士見百図」「富士三十六景」。最後まで富士を描き続ける】
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【北斎の祈り】【葛飾北斎、富嶽百景、跋文】天保五1834年。九十才にして猶其奥意を極め一百歳にして正に神妙ならん欤百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん願くは長壽の君子予が言の妄ならざるを見たまふべし。七十五齢 前北齋為一改 画狂老人卍筆。
七十五齢 前北齋為一改 画狂老人卍筆
己六才より物の形状を写の癖ありて半百の比より数々画図を顯すといへども七十年前画く所は実に取に足ものなし七十三才にして稍(やゝ)禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり故に八十才にしては益/\進み九十才にして猶其奥意を極め一百歳にして正に神妙ならん欤百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん願くは長壽の君子予が言の妄ならざるを見たまふべし
画狂老人卍述
書林 天保五甲午年春三月發行 尾州名古屋 永樂屋東四郎・江戸麴町四丁目 角丸屋甚助・同馬喰町二丁目 西村與八・同 西村祐藏
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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参考文献
「大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」江戸東京博物館・・・謎の絵師写楽、画狂老人卍
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「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
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「新・北斎展」森アーツセンターギャラリー・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』
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「The UKIYO-E 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクション」・・・浮き世の遊宴と享楽と美女
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「筆魂 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」・・・画狂老人卍『鳳凰図屏風』の思い出
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「冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重」・・・冨嶽三十六景46図と広重「名所江戸百景」
https://bit.ly/3uJ9eUs
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展示構成
プロローグ ― 広重、絵師を目指す
物語の冒頭は、歌川広重こと、安藤徳太郎が10歳で描いた「三保松原図」から始まります。徳太郎少年の夢は「もっと上手に絵を描けるようになること」。やがて浮世絵師・歌川豊広に弟子入りし、その夢を実現していきます。しかし、その前に立ちはだかる高い壁は、天才絵師・葛飾北斎の存在でした。
広重が生涯手元に置いた少年時代の夢の原点
「三保松原図」安藤徳太郎(歌川広重)/筆 文化3年(1806) 当館蔵
【第1章 風景画への道 ― 北斎のたゆまぬ努力】
幼少期から絵を描くことが好きだった北斎(幼名時太郎、のち鉄蔵)。安永7年(1778)に勝川春章に入門し、翌年から「勝川春朗」の名で作品を出し始めます。第1章では、「冨嶽三十六景」に至るまでの北斎20歳代後半から60歳代までの挑戦の数々をたどっていきます。
遠近法を駆使して臨場感を出した忠臣蔵討ち入りの場面
「新板浮絵忠臣蔵 第十一段目」葛飾北斎/画 享和末~文化初(1803~1806)頃、当館蔵
北斎45歳頃の肉筆画「万歳図」(『風流勧化帖』より)葛飾北斎/筆 文化元年(1804)頃 当館蔵
【第2章 葛飾北斎「冨嶽三十六景」の世界】
第2章では、江戸東京博物館所蔵の「冨嶽三十六景」全46図を一挙公開!70歳を越えた北斎の並々ならぬ気迫、多彩に変化する富士の情景、計算し尽くされた大胆な構図、そして抜群の色使い。広重も多大な影響を受けたことでしょう。日本だけでなく、世界中で愛される本シリーズ全作品を展示します。
また、会期中は当館常設展示室より「北斎の画室模型」が1階特別展示室にお引越し。生涯93回も引越しをした北斎の暮らしぶりを再現します。
世界で最も有名な浮世絵 “Great Wave”、
通称「浪裏」
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」葛飾北斎/画 天保2~4年(1831~33)頃 当館蔵
通称「赤富士」、夏の朝の富士山の威容を見事に表現した作品
「冨嶽三十六景 凱風快晴」葛飾北斎/画 天保2~4年(1831~33)頃 当館蔵
美しく弧を描く橋とその下から望む富士山
「冨嶽三十六景 深川万年橋下」葛飾北斎/画 天保2~4年(1831~33)頃 当館蔵
職人が作る大きな桶の中に小さな富士山、北斎らしい大胆な構図
「冨嶽三十六景 尾州不二見原」葛飾北斎/画 天保2~4年(1831~33)頃 当館蔵
【第3章 新たな風景画への道 ― 広重の挑戦と活躍】
北斎に触発された広重は、自分らしさを出した「東海道五拾三次之内」シリーズを始めとした数々の名所絵により、風景画の中心を担う浮世絵師へと成長していきます。第3章では、そんな広重の風景画の名品をご紹介します。
北斎の富士を意識しながらも、広重らしい叙情性豊かな風景画
「東海道五拾三次之内 原 朝之冨士」歌川広重/画 天保5~7年(1834~36)頃 当館蔵
夕立に旅急ぐ往来の人々の心像風景を描いた広重の傑作
「東海道五拾三次之内 庄野 白雨」歌川広重/画 天保5~7年(1834~36)頃 当館蔵
【エピローグ ― 広重、“富士”を描く】
北斎没後、広重も多くの富士を描きました。そこには、影響を受けただけでなく、北斎の富士を越えようとする広重の対抗心とあくなき挑戦がうかがえます。エピローグでは、広重の描いた「名所江戸百景」シリーズや様々な富士を描いた「富士見百図」、広重が愛用した煙草入れなどの貴重な遺品も展示します。
近景の大きな鯉のぼりと遠景の富士の大胆な対比
「名所江戸百景 水道橋駿河台」歌川広重/画 安政4年(1857)当館蔵
「万年橋」と「亀は万年」、富士を眺める亀のユニークな構図
「名所江戸百景 深川万年橋」歌川広重/画 安政4年(1857)当館蔵
PressReliese
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特別展「冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重」
2021年4月24日(土)~6月20日(日)東京都江戸東京博物館
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