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2021年2月28日 (日)

「テート美術館所蔵 コンスタブル展」・・・虹が立つハムステッド・ヒース

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第237回

荒涼とした大地、陰鬱な樹々、沸き立つ雲、輝く虹、湿った空、戦いの海。仔細に見ると荒々しい筆致。ジョン・コンスタブルの風景は、陰鬱で荒々しい。「虹が立つハムステッド・ヒース」、荒々しい大地に立つ虹は、何の予兆だろうか。理想風景は崩壊する。
西洋風景画、クロード・ロランから始まる。クロード・ロラン、夕暮れの風景、夕暮れの海景
クロード・ロラン(1600年代-1682)は、古代の理想風景を追求する風景画家、海景画家である。古代イタリアの古典主義の神話画、夕暮れの田園風景、夕暮れの港の海景を描いた。『タルソスに上陸するクレオパトラ』1642『クリュセイスを父親のもとに送り返すオデュッセウス』1644『海港 シバの女王の上陸』1668
ジョン・コンスタブルはクロード・ロランを「世界が今まで目にした最も完璧な風景画家」「全てが美しく-全てが愛らしく-全てが心地よく安らかで心が温まる」と絶賛。
西洋風景画の系譜
17世紀、1620年代、クロード・ロランから始まる。1637年頃から風景画家、海景画家としての名声を高め。フランス人のニコラ・プッサンとも交友があり、ローマン・カンパーニャを共に旅している。17世紀オランダ風景画、ヤーコプ・ファン・ロイスダール、19世紀カミーユ・コロー、19世紀イギリス、J.M.W.ターナー、ジョン・コンスタブル。ターナーは、クロード・ロランの理想風景画の影響を受けた。コンスタブルは17世紀オランダ風景画の影響を受ける。『草地から望むソールズベリー大聖堂』1831。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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ポレオン戦争の勝利、ワーテルローの戦い1815、ネイサン・ロスチャイルド
1815年のワーテルローの戦いは、ナポレオンが勝てばイギリスのコンソル公債は暴落し、イギリスが勝てば逆に高騰するだろうと予想された。ネイサンはロスチャイルド家の情報伝達体制を駆使、イギリス勝利の情報を掴んだ。ロスチャイルド家の優れた情報収集体制は金融界に知れ渡っていた。みなネイサンの動向を注視していた。ネイサンはまず公債を売った。それを見た他の投資家たちはイギリスの敗戦を確信し、一斉に売りに入った。公債が暴落したところでネイサンは急遽莫大な量の買いに入った。イギリスの勝利の報告が入ると公債は急騰し、ネイサンは莫大な利益を上げることに成功。これは「ネイサンの逆売り」として伝説化。1817年ロスチャイルド五兄弟全員にオーストリア帝国のハプスブルク家より「フォン(von)」の称号を送られ、1822年には5兄弟に男爵位と紋章が授与された。ネイサンは称号や紋章のような名誉には関心がなく、男爵の称号も全く使用しなかった。勲章も贈られたが、身につけなかった。自由主義国イギリスではハプスブルク帝国の専制国家から授与された爵位など価値はない。
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1、風景画家コンスタブルの大回顧展 35年ぶり、伊勢丹美術館1986年
19世紀イギリスの画家ジョン・コンスタブル(1776-1837年)は、1歳年長のJ. M. W. ターナー(1775-1851年)とともに自国の風景画を刷新した。彼らの制作は対照的で、ターナーが各地を旅して国内外の景観の膨大な素描を残したのに対し、コンスタブルは自らの生活や家庭環境に結びつく場所を描き続けた。
2、戸外での風景画制作
1776年、イングランド東部のサフォーク州イースト・バーゴルトに生まれたコンスタブルは、ロンドンの美術学校ロイヤル・アカデミーに入学後、優位に置かれていた肖像画などを手掛けつつも、自分が愛着をもつ土地を描いていた。1802年、「自然が根源的にもつ本質を探る」ため、戸外での風景画制作を始めた。本展では、《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》をはじめ、コンスタブルが身近な土地を描いた油彩画の数々。
3、風景表現の探求 ハムステッドの高台にて 結核を患う妻
コンスタブルは1816年末に結婚し、家庭生活を維持するべく肖像画制作に励む一方、風景画にも注力。1819年にはロイヤル・アカデミーの准会員に選出され、評価を高めた。1820年代初頭には、ロンドンの北に位置するハムステッドの澄んだ空気のもとで家族と過ごし、1824年以降には結核を患う妻の療養のためにブライトンをたびたび訪れるようになる。会場では、ハムステッドで画家を魅了した雲の習作や、家族や友人と過ごした土地の風景を描いた。
4、想像力を駆使した後期の作品 妻マライアの死
1828年に妻を亡くした数ヶ月後、コンスタブルは、ロイヤル・アカデミーの正会員に選出され、批評に縛られずに主題や技法を選ぶ自由を得た。以後、過去に描いてきたサフォークなどの風景に取り組み、後期には、画中のモティーフを自由に配置しなおすなど、想像力を駆使した作品を手掛けた。《虹が立つハムステッド・ヒース》など、壮大で「ピクチャレスク」な風景画を描く。1837年死す、享年61歳。
5、ターナーとコンスタブルの対決、1832年ロイヤル・アカデミー
コンスタブルの大作《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)》。この作品は、ターナーの《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》とともに、1832年のロイヤル・アカデミー夏季展に出品された華やかな風景画。これら2作が日本では初めて並んで展示される。
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参考文献
ケネス・クラーク「風景画論」(佐々木英也訳、ちくま学芸文庫、2007年)
「イタリアの光 クロード・ロランと理想風景」国立西洋美術館1998
「コロー 光と追憶の変奏曲」国立西洋美術館2008「銀灰色の靄に包まれた喚起力と連想の芸術」コロー《モルトフォンテーヌの想い出》1864
《ヴィル=ダヴレー、牛飼い女のいる森の入口》道に差し込む光線、《ローマのコロセウムの習作》《ファルネーゼ公園から見たフォロ・ロマーノ》光と影、《プッサンの散歩道》《ティヴォリ、ヴィラ・デステ庭園》
「コロー 光と追憶の変奏曲」・・・夕暮れの光に包まれるイタリアの風景
https://bit.ly/3bICT86
「コロー 光と追憶の変奏曲」・・夕暮れの光から銀灰色の靄に包まれた思い出の森へ
https://bit.ly/3q3TpEB
「ターナー 英国最高の風景画家」東京都美術館2013
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《チャイルド・ハロルドの巡礼―イタリア》1832
《ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ》1820
ターナー展 英国最高の巨匠・・・イタリアの黄昏、黄金の光
https://bit.ly/3bEQyNo
「フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち」2016、森アーツセンター
https://www.tbs.co.jp/vermeer2016/works/
ヤン・バプティスト・ウェーニクス《地中海の港》1650
コルネリス・クラースゾーン・ファン・ウィーリンゲン《港町の近くにて》1615-20
カレル・ファブリティウス《帽子と胴よろいをつけた男(自画像)》1654
「テート美術館所蔵 コンスタブル展 図録」三菱一号館美術館
Press Releaseテート美術館所蔵 コンスタブル展、三菱一号館美術館

「テート美術館所蔵 コンスタブル展」・・・虹が立つハムステッド・ヒース

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展示作品の一部
ジョン・コンスタブル《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》1816 -17年、油彩/カンヴァス、101.6×127.0cm、テート美術館蔵コピーライトTate
ジョン・コンスタブル《マライア・ビックネル、ジョン・コンスタブル夫人》1816年、油彩/カンヴァス、30.5×25.1cm、テート美術館蔵コピーライトTate
ジョン・コンスタブル《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)》 1832年発表、 油彩/カンヴァス、130.8×218.0cm、テート美術館蔵コピーライトTate
ジョン・コンスタブル《チェーン桟橋、ブライトン》1826-27年、油彩/カンヴァス、127.0×182.9cm、テート美術館蔵コピーライトTate
ジョン・コンスタブル《草地から望むソールズベリー大聖堂のスケッチ》1829年?、油彩/カンヴァス、36.5×51.1cm、テート美術館蔵コピーライトTate
ジョン・コンスタブル《デダムの谷の眺め》1802年、油彩/紙・カンヴァス、51.5×61.0cm、郡山市立美術館蔵
J. M. W. ターナー《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》1832年、油彩/カンヴァス、91.4×122.0cm、東京富士美術館蔵
ジョン・コンスタブル《虹が立つハムステッド・ヒース》1836年、油彩/カンヴァス、50.8×76.2cm、テート美術館蔵コピーライトTate
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19世紀イギリスの画家ジョン・コンスタブル(1776-1837年)は、一歳年長のJ. M. W. ターナーとともに自国の風景画を刷新し、その評価を引き上げたことで知られます。 ターナーが絶えず各地を旅して、国内外の景観を膨大な数の素描に収めたのとは対照的に、コンスタブルは、ひたすら自身の生活や家庭環境と密接に結びつく場所を描きました。故郷サフォーク州の田園風景をはじめとして、家族や友人と過ごしたソールズベリー、ハムステッド、ブライトンなどの光景を写した生気あふれる作品の数々は、この画家が何を慈しみ、大切に育んだのかを雄弁に物語ってやみません。
日本では35年ぶりとなる本回顧展では、世界有数の良質なコンスタブルの作品群を収蔵するテート美術館から、ロイヤル・アカデミー展で発表された大型の風景画や再評価の進む肖像画などの油彩画、水彩画、素描およそ40点にくわえて、同時代の画家の作品約20点をご紹介します。 国内で所蔵される秀作を含む全85点を通じて、ひたむきな探求の末にコンスタブルが豊かに実らせた瑞々しい風景画の世界を展覧します。
https://mimt.jp/constable/
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テート美術館所蔵 コンスタブル展、三菱一号館美術館、2021年2月20日(土)~5月30日(日)

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