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2019年11月27日 (水)

「大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師

Utamaro1793-okada
Hiroshige1857
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第200回
黄葉の舞う午後、江戸東京博物館に行く。「肉筆浮世絵展 江戸の誘惑」における北斎『鳳凰図屏風』天保6年(1835)を思い出す。
【浮世絵と美人画】菱川師宣から始まる浮世絵は、錦絵創始期の第一人者鈴木春信、「春章一幅値千金」と謳われた勝川春章の肉筆画、八頭身美人の江戸のヴィーナスと呼ばれる鳥居清長、青楼の絵師と謳われた喜多川歌麿へと展開した、美人画の歴史である。
【浮世絵の黄金時代】18世紀末、19世紀、浮世絵は黄金時代を極める。熾烈な競争と幕府の弾圧と我身の運命と戦う浮世絵師。歌麿、写楽、北斎、広重、国芳、5人の絵師は、波瀾のなかで偉大な作品を残した。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【喜多川歌麿、40代で開花、美人大首絵】歌麿の努力は40代で一気に開花。狂歌絵本と春画で得た人気、蔦重のプロデュースで、酷評された美人画において実験的な作品を発表。
役者絵の大首絵の構図を美人画に応用した美人大首絵。斬新な発想、意匠によって創作。「ポペンを吹く女」、『婦人相学十躰』『婦女人相十品』『歌撰恋之部』等のシリーズが大流行。
【喜多川歌麿、狂歌絵本『画本虫撰』(むしえらみ)】驚嘆する歌麿の画力。円山応挙とおよそ同時代の十八世紀末の天明八年(1788)に刊行された。木版色摺の美本。(『江戸博物学集成』平凡社1994)
【歌麿、寛政の改革】幕府は浮世絵が風紀を乱すものと判断し、老中、松平定信による寛政の改革により美人画に遊女以外の名を記すことを禁止、これに対して句を添え絵の中に名前を暗示する象徴を描いて対抗する。これも禁止。
寛政12(1800)年、美人大首絵の制作が禁止。半身像、3人組を描き、弾圧の裏をかく工夫を次々と発案。歌麿は、幕府の規制の盲点を突いて、新しい分野を開拓、意欲作を発表し続ける。
【反骨の絵師、喜多川歌麿、54歳で死す】反骨の絵師を幕府は黙って見逃がさず。52歳の時、美人画ではない「絵本太閤記」に取材した作品の筆禍事件により、手鎖50日。2年後復活するが、画力が衰え意欲も喪失した歌麿は54歳で、寂しい最期である。大人気を博した絵師とは思えぬ最期。
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【歌川広重と円山応挙】広重は火消同心、安藤家に生まれる。13歳で両親を亡くし広重は家計を助けるため、浮世絵師を志し歌川豊広に弟子入り、16歳で広重の画号。歌川派は美人画や役者絵を得意としたにもかかわらず、広重は円山応挙の影響を受けて写生を追求。独自に腕を磨く。広重が自信を持って世に出した風景画『東都名所』。評判は今一つ冴えず。原因は、同年、北斎『冨嶽三十六景』が発表されたからである。72歳の老人北斎が描いた富士山は、35歳の広重から見ても斬新で革新的、衝撃を受ける。2年後、有名版元「保永堂」に依頼を受けて世に送り出す『東海道五拾三次』シリーズ。
【北斎と広重の対決、72歳と37歳】東海道の53宿場を取材し写生して描き上げた広重の風景画が大ウケ。『東海道五拾三次』に対して、北斎は『諸国瀧廻り』『諸国名橋奇覧』『富嶽百景』を発表して対抗する。花鳥画でも競合、北斎はテクニックを駆使し、広重は抒情的、感傷的な画風を追求。
【広重、安政の大地震】広重は、60歳になる前に隠居を決心したが、安政の大地震に遭う。江戸市中は火の海となる、7000人を超える死者を出した大災害。生家が火消同心の広重は落胆、江戸の町の無残な景色に心を痛める。還暦を機に髪を剃る。江戸の風景を絵に残すことを決意する。
【不朽の名作『名所江戸百景』、61歳で死す】広重は各地を鮮烈に表現するために、アイコンを大きく目前に配置する大胆な構図の手法を用いる。中国、南宋の画法に学んだ手法。
歌川広重「名所江戸百景 浅草金龍山」大判錦絵 安政3(1856)、歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」大判錦絵 安政4(1857)年、「名所江戸百景 亀戸梅屋鋪」安政4年(1857)年木版多色刷 大判錦絵、36.8×25.0cm。1858年、この作品の翌年、没す。61歳。
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【歌川国芳、夢と冒険とロマンの世界】物語の夢と冒険とロマンの世界。江戸、神田の染物屋、柳屋吉右衛門の子として生まれる。幼少期から絵を学び、12歳の時に描いた絵が幕末の浮世絵界で隆盛を誇る歌川派の初代、歌川豊国の目にとまり15歳で歌川派に入門。武者絵を展開、夢と冒険とロマンの世界を構築。「源為朝弓勢之図」「水滸伝」。63歳で没。
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展示作品の一部
喜多川歌麿(1753頃~1806)
喜多川歌麿「婦女人相十品 ポペンを吹く娘」江戸時代/寛政4-5年(1792-3)頃、大判錦絵、メトロポリタン美術館蔵
喜多川歌麿「当時三美人」江戸時代/寛政5年(1793)頃、大判錦絵、ギメ東洋美術館蔵
東洲斎写楽(生没年不詳)1794年(寛政6)5月に役者の大首絵で鮮烈なデビュー
東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」江戸時代/寛政6年(1794)、大判錦絵、ベルギー王立美術歴史博物館蔵
東洲斎写楽「市村鰕蔵の竹村定之進」江戸時代/寛政6年(1794)、大判錦絵、ボストン美術館蔵
葛飾北斎(1760~1849)
葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」江戸時代/天保2-4年(1831-33)頃、横大判錦絵、ミネアポリス美術館蔵
葛飾北斎「諸国瀧廻り「下野黒髪山きりふりの滝」江戸時代/天保4年(1833)頃、大判錦絵
葛飾北斎「諸国瀧廻り「木曽路の奥阿弥陀ケ瀧」1830
歌川広重(1797~1858)
「東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪」江戸時代/天保5-7年(1834-36)、横大判錦絵、ミネアポリス美術館蔵
「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」江戸時代/安政4年(1857)、大判錦絵、東京都江戸東京博物館蔵
歌川国芳(1797~1861)
歌川国芳「相馬の古内裏」江戸時代/弘化2-3年(1845-46)、大判錦絵3枚続
歌川国芳「宮本武蔵の鯨退治」江戸時代/弘化4年(1847)、大判錦絵3枚続
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参考文献
「新・北斎展」・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』
https://bit.ly/2HAZJ5y 
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」・・・世に背を向け道を探求する、孤高の藝術家
https://bit.ly/2BUy4rl
特別展「写楽」東京国立博物館2011
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=706
歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎 サントリー美術館
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2010_05/index.html
原安三郎コレクション 広重ビビッド サントリー美術館
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_2/
ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展 江戸の誘惑(2006)
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2006_01_boston.html
「大浮世絵展」国際浮世絵学会創立50周年記念・江戸東京博物館開館20周年記念特別展
https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/past/special/
特別展「北斎」東京国立博物館2005
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=476
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大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演
江戸東京博物館、11月19日-2020年1月19日
福岡市美術館、2020年1月28日(火)~3月22日(日)
愛知県美術館、2020年4月3日(金)~5月31日(日)

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