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2019年11月の記事

2019年11月27日 (水)

「大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師

Utamaro1793-okada
Hiroshige1857
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第200回
黄葉の舞う午後、江戸東京博物館に行く。「肉筆浮世絵展 江戸の誘惑」における北斎『鳳凰図屏風』天保6年(1835)を思い出す。
【浮世絵と美人画】菱川師宣から始まる浮世絵は、錦絵創始期の第一人者鈴木春信、「春章一幅値千金」と謳われた勝川春章の肉筆画、八頭身美人の江戸のヴィーナスと呼ばれる鳥居清長、青楼の絵師と謳われた喜多川歌麿へと展開した、美人画の歴史である。
【浮世絵の黄金時代】18世紀末、19世紀、浮世絵は黄金時代を極める。熾烈な競争と幕府の弾圧と我身の運命と戦う浮世絵師。歌麿、写楽、北斎、広重、国芳、5人の絵師は、波瀾のなかで偉大な作品を残した。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【喜多川歌麿、40代で開花、美人大首絵】歌麿の努力は40代で一気に開花。狂歌絵本と春画で得た人気、蔦重のプロデュースで、酷評された美人画において実験的な作品を発表。
役者絵の大首絵の構図を美人画に応用した美人大首絵。斬新な発想、意匠によって創作。「ポペンを吹く女」、『婦人相学十躰』『婦女人相十品』『歌撰恋之部』等のシリーズが大流行。
【喜多川歌麿、狂歌絵本『画本虫撰』(むしえらみ)】驚嘆する歌麿の画力。円山応挙とおよそ同時代の十八世紀末の天明八年(1788)に刊行された。木版色摺の美本。(『江戸博物学集成』平凡社1994)
【歌麿、寛政の改革】幕府は浮世絵が風紀を乱すものと判断し、老中、松平定信による寛政の改革により美人画に遊女以外の名を記すことを禁止、これに対して句を添え絵の中に名前を暗示する象徴を描いて対抗する。これも禁止。
寛政12(1800)年、美人大首絵の制作が禁止。半身像、3人組を描き、弾圧の裏をかく工夫を次々と発案。歌麿は、幕府の規制の盲点を突いて、新しい分野を開拓、意欲作を発表し続ける。
【反骨の絵師、喜多川歌麿、54歳で死す】反骨の絵師を幕府は黙って見逃がさず。52歳の時、美人画ではない「絵本太閤記」に取材した作品の筆禍事件により、手鎖50日。2年後復活するが、画力が衰え意欲も喪失した歌麿は54歳で、寂しい最期である。大人気を博した絵師とは思えぬ最期。
――
【歌川広重と円山応挙】広重は火消同心、安藤家に生まれる。13歳で両親を亡くし広重は家計を助けるため、浮世絵師を志し歌川豊広に弟子入り、16歳で広重の画号。歌川派は美人画や役者絵を得意としたにもかかわらず、広重は円山応挙の影響を受けて写生を追求。独自に腕を磨く。広重が自信を持って世に出した風景画『東都名所』。評判は今一つ冴えず。原因は、同年、北斎『冨嶽三十六景』が発表されたからである。72歳の老人北斎が描いた富士山は、35歳の広重から見ても斬新で革新的、衝撃を受ける。2年後、有名版元「保永堂」に依頼を受けて世に送り出す『東海道五拾三次』シリーズ。
【北斎と広重の対決、72歳と37歳】東海道の53宿場を取材し写生して描き上げた広重の風景画が大ウケ。『東海道五拾三次』に対して、北斎は『諸国瀧廻り』『諸国名橋奇覧』『富嶽百景』を発表して対抗する。花鳥画でも競合、北斎はテクニックを駆使し、広重は抒情的、感傷的な画風を追求。
【広重、安政の大地震】広重は、60歳になる前に隠居を決心したが、安政の大地震に遭う。江戸市中は火の海となる、7000人を超える死者を出した大災害。生家が火消同心の広重は落胆、江戸の町の無残な景色に心を痛める。還暦を機に髪を剃る。江戸の風景を絵に残すことを決意する。
【不朽の名作『名所江戸百景』、61歳で死す】広重は各地を鮮烈に表現するために、アイコンを大きく目前に配置する大胆な構図の手法を用いる。中国、南宋の画法に学んだ手法。
歌川広重「名所江戸百景 浅草金龍山」大判錦絵 安政3(1856)、歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」大判錦絵 安政4(1857)年、「名所江戸百景 亀戸梅屋鋪」安政4年(1857)年木版多色刷 大判錦絵、36.8×25.0cm。1858年、この作品の翌年、没す。61歳。
――
【歌川国芳、夢と冒険とロマンの世界】物語の夢と冒険とロマンの世界。江戸、神田の染物屋、柳屋吉右衛門の子として生まれる。幼少期から絵を学び、12歳の時に描いた絵が幕末の浮世絵界で隆盛を誇る歌川派の初代、歌川豊国の目にとまり15歳で歌川派に入門。武者絵を展開、夢と冒険とロマンの世界を構築。「源為朝弓勢之図」「水滸伝」。63歳で没。
――
展示作品の一部
喜多川歌麿(1753頃~1806)
喜多川歌麿「婦女人相十品 ポペンを吹く娘」江戸時代/寛政4-5年(1792-3)頃、大判錦絵、メトロポリタン美術館蔵
喜多川歌麿「当時三美人」江戸時代/寛政5年(1793)頃、大判錦絵、ギメ東洋美術館蔵
東洲斎写楽(生没年不詳)1794年(寛政6)5月に役者の大首絵で鮮烈なデビュー
東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」江戸時代/寛政6年(1794)、大判錦絵、ベルギー王立美術歴史博物館蔵
東洲斎写楽「市村鰕蔵の竹村定之進」江戸時代/寛政6年(1794)、大判錦絵、ボストン美術館蔵
葛飾北斎(1760~1849)
葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」江戸時代/天保2-4年(1831-33)頃、横大判錦絵、ミネアポリス美術館蔵
葛飾北斎「諸国瀧廻り「下野黒髪山きりふりの滝」江戸時代/天保4年(1833)頃、大判錦絵
葛飾北斎「諸国瀧廻り「木曽路の奥阿弥陀ケ瀧」1830
歌川広重(1797~1858)
「東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪」江戸時代/天保5-7年(1834-36)、横大判錦絵、ミネアポリス美術館蔵
「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」江戸時代/安政4年(1857)、大判錦絵、東京都江戸東京博物館蔵
歌川国芳(1797~1861)
歌川国芳「相馬の古内裏」江戸時代/弘化2-3年(1845-46)、大判錦絵3枚続
歌川国芳「宮本武蔵の鯨退治」江戸時代/弘化4年(1847)、大判錦絵3枚続
――
参考文献
「新・北斎展」・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』
https://bit.ly/2HAZJ5y 
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」・・・世に背を向け道を探求する、孤高の藝術家
https://bit.ly/2BUy4rl
特別展「写楽」東京国立博物館2011
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=706
歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎 サントリー美術館
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2010_05/index.html
原安三郎コレクション 広重ビビッド サントリー美術館
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_2/
ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展 江戸の誘惑(2006)
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2006_01_boston.html
「大浮世絵展」国際浮世絵学会創立50周年記念・江戸東京博物館開館20周年記念特別展
https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/past/special/
特別展「北斎」東京国立博物館2005
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=476
――
大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演
江戸東京博物館、11月19日-2020年1月19日
福岡市美術館、2020年1月28日(火)~3月22日(日)
愛知県美術館、2020年4月3日(金)~5月31日(日)

2019年11月25日 (月)

「大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」・・・謎の絵師写楽、画狂老人卍

Ukiyoe2019
Phoenix
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第199回
黄葉の舞う午後、江戸東京博物館に行く。「肉筆浮世絵展 江戸の誘惑」における北斎『鳳凰図屏風』天保6年(1835)を思い出す。
葛飾北斎、苦節四十年、波瀾の人生を生きて、72歳で『富嶽三十六景』、75歳『鳳凰図屏風』、90歳『富士越龍図』、画狂老人卍、絵画藝術を追求して天に昇る。
反骨の絵師、喜多川歌麿、「婦人相学十躰」「婦女人相十品」で女性の魅力を追求して54歳で死す。謎多き絵師、写楽、28枚の大首絵で衝撃のデビュー、10ヵ月で140点をこえる浮世絵版画を制作して姿を消す。歌川国芳、奇想の絵師、物語の夢と冒険とロマンの世界の武者絵を必殺技とする、63歳で死す。広重『名所江戸百景 亀戸梅屋鋪』の翌年、死す、61歳。
――
葛飾北斎、不屈の画狂老人卍。6期90歳。
【春朗期(20~35歳) 】最初期、勝川派の絵師として活動した。
【宗理期(36~44歳) 】勝川派を離れて浮世絵画派とは一線を画した作画活動を行った。琳派。
【葛飾北斎期(46~50歳) 】読本の挿絵に傾注した。
【戴斗期(51~60歳) 】多彩な絵手本を手掛けた。
【為一期(61~74歳) 】錦絵の揃物を多く制作した。『富嶽三十六景』。
【画狂老人卍期(75~90歳) 】自由な発想と表現による肉筆画に専念した。『鳳凰図屏風』、『富士越龍』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【葛飾北斎、苦節四十年、不死鳥の画狂老人卍】葛飾北斎、十九歳で勝川春章に弟子入り、二十歳で浮世絵師になるが三十歳でも売れず。苦節四十年。72歳で『富嶽三十六景』「神奈川沖浪裏」を描く。追い求めていたのは唯一つ。画業を極めること。75歳『鳳凰図屏風』。90歳で『富士越龍』、画狂老人卍、90歳で死す。
【北斎と広重の対決、72歳と37歳】東海道の53の宿場を取材し写生して描き上げた広重の風景画が大ウケ。広重『東海道五拾三次』に対して北斎は『諸国瀧廻り』『諸国名橋奇覧』『富嶽百景』を発表して対抗する。花鳥画でも競合、北斎はテクニックを駆使し、広重は抒情的、感傷的な画風を追求。
【画狂老人卍、90歳】北斎は自ら独創した風景画に執着することなく肉筆画へ沈潜。90歳になっても画業に対する情熱は衰えることなく、死ぬ間際まで絵筆を執り続ける。『富士越龍』『雨中の虎』嘉永2年(1849)。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【謎多き絵師、写楽】寛政6年(1794)5月、豪華な黒雲母摺りの役者大首絵28枚を出版して浮世絵界に突然姿をあらわし、翌年1月までに140点をこえる浮世絵版画を制作しながら、その筆を断って忽然と姿を消した東洲斎写楽。寛政6年(1794)5月、江戸三座の役者を個性豊かに描いた大判雲母摺りの豪華な作品28図を一度に出版するという華やかなデビューを果たした東洲斎写楽は、翌年正月忽然と姿を消しました。その間10ヵ月(寛政6年(1794)は、閏11月が含まれる)に残した146図の作品は、題材となった歌舞伎が上演された時期によって研究者により4期に分けられている。
【写楽、何者か。斎藤十郎兵衛】「写楽 俗称は斎藤十郎兵衛。八丁堀に住む。阿波の能役者。号は東洲斎」出典『増補浮世絵類考』天保年間(1830~44年)。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
喜多川歌麿(1753頃~1806)
喜多川歌麿「婦女人相十品 ポペンを吹く娘」江戸時代/寛政4-5年(1792-3)頃、大判錦絵、メトロポリタン美術館蔵
喜多川歌麿「当時三美人」江戸時代/寛政5年(1793)頃、大判錦絵、ギメ東洋美術館蔵
東洲斎写楽(生没年不詳)1794年(寛政6)5月に役者の大首絵で鮮烈なデビュー
東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」江戸時代/寛政6年(1794)、大判錦絵、ベルギー王立美術歴史博物館蔵
東洲斎写楽「市村鰕蔵の竹村定之進」江戸時代/寛政6年(1794)、大判錦絵、ボストン美術館蔵
葛飾北斎(1760~1849)
葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」江戸時代/天保2-4年(1831-33)頃、横大判錦絵、ミネアポリス美術館蔵
葛飾北斎「諸国瀧廻り「下野黒髪山きりふりの滝」江戸時代/天保4年(1833)頃、大判錦絵
葛飾北斎「諸国瀧廻り「木曽路の奥阿弥陀ケ瀧」1830
歌川広重(1797~1858)
「東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪」江戸時代/天保5-7年(1834-36)、横大判錦絵、ミネアポリス美術館蔵
「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」江戸時代/安政4年(1857)、大判錦絵、東京都江戸東京博物館蔵
歌川国芳(1797~1861)
歌川国芳「相馬の古内裏」江戸時代/弘化2-3年(1845-46)、大判錦絵3枚続
歌川国芳「宮本武蔵の鯨退治」江戸時代/弘化4年(1847)、大判錦絵3枚続
――
参考文献
「新・北斎展」・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』
https://bit.ly/2HAZJ5y 
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」・・・世に背を向け道を探求する、孤高の藝術家
https://bit.ly/2BUy4rl
特別展「写楽」東京国立博物館2011
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=706
歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎 サントリー美術館
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2010_05/index.html
原安三郎コレクション 広重ビビッド サントリー美術館
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_2/
ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展 江戸の誘惑(2006)
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2006_01_boston.html
https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/past/special/
特別展「北斎」東京国立博物館2005
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=476
――
大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演
江戸東京博物館、11月19日-2020年1月19日
福岡市美術館、2020年1月28日(火)~3月22日(日)
愛知県美術館、2020年4月3日(金)~5月31日(日)

2019年11月10日 (日)

ハプスブルク家、600年にわたる帝国・・・旅する皇帝と憂愁の王妃

Margarita-teresa-in-white-dress-1656-5 
Habsburg2019-2
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第198回
【ハプスブルク帝国の旅】ベラスケス『白いドレスの王女マルガリータ』(1656)をみると、哀愁のヨーロッパ、ハプスブルク帝国の旅を思い出す。ドナウの薔薇ブダペスト、嵐のドナウ川クルーズ。ハンガリーの黄金の髪の美女。帝国を旅した青春の日々。初夏の東欧、ウィーン、ザンクトヴォルフガング湖、プラハ城、ブルタヴァ川の中のチェスキー・クルムロフ城、ブダの丘とペストの迷路。早春の南欧、リスボン、ケルーシュ宮殿、黄金海岸、アルハンブラ宮殿、タホ川に聳えるトレド、マドリッド、バルセロナ、モンセラート。ベラスケスは、王女マルガリータを3歳の時から5枚以上描いた。ベラスケス『薔薇色のドレスの王女マルガリータ』『白いドレスの王女マルガリータ』『青いドレスの王女マルガリータ』が、ウィーン美術史美術館に並べられている。
【旅する思想家】旅する思想家は、美と真実を求めて、大帝国の都市から都市へ、路から路へ、修行僧のように、彷徨い歩く。旅する思想家は、美しい魂と真の言葉と智恵を求めて、果てしない旅をつづける。現象の表層ではなく本質の美を探求する。
【心は思考となり、思考は言葉となり】詩は志のゆくところなり。魂は心を震わせる、心は思考となり、思考は言葉となり、言葉は行動となり、行動は愛を生み、あるときは敵と対峙し、敵対は戦いとなる。愛と戦いの廃墟に残る墓標と彫像。遺恨の血となり、土中の宝庫となる。恨血千年、土中の碧。上智と下愚は移らず。知性ある天人、修羅は、餓鬼と戦う。
【フプスブルク、憂愁の王妃】ハプスブルク家は、政略結婚による領土拡大、富と権力を集中、美術蒐集で名高い。夭折した美しき王妃マリー・ド・ブルゴーニュ25歳で死す、カスティーリャ女王イサベル1世の娘、75歳まで籠城したカスティーリャ女王狂女フアナ、非業の死を遂げた王妃、王女たち、変死した皇妃。ハプスブルク家に秘められた真実は何か。
【ハプスブルグ家の美術蒐集家】デューラーを庇護したマクシミリアン1世、フィリップ美公はヒエロニムス・ボスを愛好、ティツィアーノを召し抱えたカール5世とフェリペ2世、フェリペ2世はヒエロニムス・ボスを愛好蒐集。フェリペ4世は、ベラスケスを宮廷画家、宮廷配室長。ルーベンスを庇護した。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
1【【ハプスブルク家、憂愁の王妃】】
【王妃マリー・ド・ブルゴーニュ、美しき姫】ブルゴーニュ公女、美しき姫君、文化と藝術を愛する知性をもつ、25歳で死す。
【フェリペ4世の娘、王女マルガリータ・テレサ】14歳でレオポルト1世に嫁ぎ、21歳で死去する。マルガリータは5人の子を産んだが、一人を除いて次々と死んだ。長女マリア・アントニアのみが成人した。
【カスティーリア女王フアナ】フィリップ美公(Belle Philippe)端麗王と結婚。フィリップ美公28歳で死去の後、75歳まで生きる。
【マリア・テレジア、多産な女帝】1740年父カール6世、死去。男子がいないため相続問題が発生。1740年—1748年オーストリア継承戦争。マリア・テレジアは、16人の子を産み、その6人が亡くなった。その第15子が、マリー・アントワネットである。
【マリー・アントワネット、断頭台に死す】政略結婚のため、泣きながライン河を航行、ストラスブールで引き渡し式、14歳でフランス王家のオーギュスト皇子に嫁ぎ、ルイ16世王妃となる。1778年スウェーデン貴族フェルセン伯爵と恋に落ちる。1789年フランス革命。1793年1月21日ルイ16世、処刑。10月16日マリー・アントワネット処刑。37歳。
【皇妃エリーザベト、レマン湖で変死】17歳で1854年フランツ・ヨーゼフ1世と結婚。嫡男、皇太子ルドルフ心中による死。ジュネーヴ・レマン湖のほとりで、暗殺されて死す。60歳。
【バイエルン王国、ヴィッテルスバッハ家】尊大、傲慢、狭量かつ権威主義的、浪費を好む。エリーザベト、皇后としての莫大な資産によって旅する。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
2【【ハプスブルク家の容貌】】
【神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世】マリー・ド・ブルゴーニュと結婚、ハプスブルク帝国繁栄の基礎を築いた。子、フィリップ美公が、カスティーリア王女と結婚。ハプスブルク家の政略結婚が始まる。
【カール5世=カルロス1世、世界最大の帝国、旅する皇帝、借金王】神聖ローマ皇帝、借金王、ハプスブルク帝国最大の版図、絶頂期、スペインとオーストリアを支配。
【フェリペ1世、フィリップ美公 (Belle Philippe) 、端麗王】カスティーリャ女王フアナと結婚。フィリップ美公は、28歳で死す。フアナは狂女となり、75歳まで生きる。
【フェリペ2世、書類王、スペイン黄金世紀】カール5世の借金を受け継ぐ。スペイン王、最盛期に君臨した偉大なる王、絶対主義の代表的君主。地中海の覇権を巡って争うオスマン帝国を破る。若き日の旅、王になったらスペインを出ず、書類王。エルエスコリアル宮殿に閉じ籠る。フェリペ2世が作り上げた官僚主義的な書類決裁システムは、ヨーロッパで先進。レパントの海戦、「太陽の沈まぬ帝国」と無敵艦隊の敗北。1557年に最初の破産宣告(国庫支払い停止宣言=バンカロータ)。ティツィアーノを召し抱える。
フェリペ2世、1556年1月16日、父の退位により、ハプスブルク家は、スペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家に分化。
4人の妃と結婚、フェリペ2世が妻エリザベートと息子ドン・カルロスを毒殺したとして非難されている。家庭的には不幸であった。フェリペ二世はサンバルテルミの虐殺の報告を受けた時に生まれて初めて笑った(その後一生笑うことは無かった)。
【スペイン王フェリペ3世、怠惰王】オーストリア・ハプスブルク家との間の3親等クラスの近親婚(叔姪婚)による出生、この王から始まる。
【スペイン王フェリペ4世、無能王】ヨーロッパ最高の美術コレクションを築く。近親婚が蜿蜒と繰り返されていくハプスブルク家。外交官ルーベンスが訪れ、ベラスケスが37年間、宮廷画家として仕える。フェリペ4世の子女は14人がいるが、殆ど死ぬ。60歳で死す。
【5代目カルロス2世、血の呪い】フェリペ4世の皇子。先端巨大症のため、咀嚼に影響があり、常によだれを垂れ流した。スペイン・ハプスブルク家、5代で断絶。血の呪い。200年、近親婚による遺伝性疾患が原因で断絶した。38歳で死す。1661—1700。
【神聖ローマ皇帝ルドルフ2世、奇人皇帝】反宗教改革政策を推し進め、新旧両派諸侯の対立を激化させ三十年戦争の禍根を作る。31歳で都をプラハに移す。ルドルフ2世はプラハ城、南翼と北翼をつなぐ廊下にクンストカンマー設立。学者を庇護して、プラハをマニエリスムの一大拠点となす。59歳で死す。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
参考文献
THEハプスブルク 華麗なる王家と美の巨匠たち・・・黄昏のウィーンの思い出
https://bit.ly/2obtPA4
「プラド美術館 ベラスケスと絵画の栄光」・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
http://bit.ly/2Ho8bR0 
美しき女相続人、マリー、ベルギー、奇想の系譜・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
https://bit.ly/349ffME
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
ハプスブルク帝国、ヴェラスケス、黄昏の光芒
http://bit.ly/2zGK4N2
スペイン・ハプスブルグ家、太陽の沈まぬ帝国、黄金の世紀
https://bit.ly/31UvEmm
ハプスブルク家 皇妃エリザベート、バイエルンの薔薇
https://bit.ly/2PqaVUV
ハプスブルク家 マリー・アントワネット 革命に散る
https://bit.ly/2opYnlB
「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界」・・・ハプスブルグ家の悪趣味の館
https://bit.ly/2JtpinR
――
ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史・・・黄昏の帝国、旅の思い出
https://bit.ly/2C7rE7K
マクシミリアン1世(1459-1519)からオーストリア・ハンガリー二重帝国「最後の皇帝」フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)まで
――
★日本・オーストリア友好150周年記念 ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史
10月19日(土)~2020年1月26日(日)国立西洋美術館
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019haus_habsburg.

2019年11月 4日 (月)

ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史・・・黄昏の帝国、旅の思い出

Habsburg2019-1
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第197回
ベラスケス『白いドレスの王女マルガリータ』をみると、ハプスブルク帝国の旅を思い出す。哀愁のヨーロッパ、スペインの大地。嵐のドナウ川クルーズ。ハンガリーの黄金の髪の美女。
【旅する思想家】旅する思想家は、美と真実を求めて、大帝国の都市から都市へ、路から路へ、修行僧のように、彷徨い歩く。現象の表層ではなく本質の美を探求する。旅する思想家は、美しい魂と真の言葉と智恵を求めて、果てしない旅をつづける。ハプスブルグ帝国、美しいものは死に、魂醜いものは復讐される。
帝国を旅した青春の日々。黄昏のトレド、黄昏のウィーン。初夏の東欧、ウィーン、ザルツカンマーグート、プラハ、チェスキー・クルムロフ、ブダペスト。早春の南欧、リスボン、ケルーシュ、太陽海岸、グラナダ、トレド、マドリッド、バルセロナ、モンセラート。ウィーン美術史美術館、プラド美術館、ブダペスト国立西洋美術館。
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【権力至上のハプスブルグ帝国、青い血の血族結婚】旅する皇帝、借金王、書類王、奇怪な王、憂愁の王妃、美しく若くして死んだ王妃、薄倖な王妃、長命の狂女王。16人の子を産んだ王女帝、奇人王、病弱な王。
【ハプスブルグ家の偉大な美術蒐集家】ハプスブルグ家には、偉大な美術蒐集がいる。デューラーを庇護したマクシミリアン1世、フィリップ美公(Belle Philippe)端麗王はヒエロニムス・ボスを愛好、ティツィアーノを召し抱えたカール5世とフェリペ2世、スペイン王フェリペ2世はヒエロニムス・ボスを愛好蒐集。フェリペ4世は、ベラスケスを宮廷画家、宮廷配室長にした。女帝マリア・テレジアの嫡男ヨーゼフ2世はコレクション公開。神聖ローマ皇帝ルドルフ2世は、プラハ城の廊下にクンストカンマーを作りアルチンボルド、ヤン・ブリューゲルを蒐集。
ティツィアーノは、1550年から死去する1576年まで16年間、肖像画家としてフェリペ2世と交流。ティツィアーノ『鎧を着けたフェリペ二世の肖像』1550-51年プラド美術館。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
THEハプスブルク 華麗なる王家と美の巨匠たち・・・黄昏のウィーンの思い出
https://bit.ly/2obtPA4
「プラド美術館 ベラスケスと絵画の栄光」・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
http://bit.ly/2Ho8bR0 
美しき女相続人、マリー、ベルギー、奇想の系譜・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
https://bit.ly/349ffME
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
ハプスブルク帝国、ヴェラスケス、黄昏の光芒
http://bit.ly/2zGK4N2
スペイン・ハプスブルグ家、太陽の沈まぬ帝国、黄金の世紀
https://bit.ly/31UvEmm
ハプスブルク家 皇妃エリザベート、バイエルンの薔薇
https://bit.ly/2PqaVUV
ハプスブルク家 マリー・アントワネット 革命に散る
https://bit.ly/2opYnlB
「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界」・・・ハプスブルグ家の悪趣味の館
https://bit.ly/2JtpinR
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ハプスブルク展、600年にわたる帝国コレクションの歴史 展示作品の一部
ディエゴ・ベラスケス《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》1659年、油彩/カンヴァス ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum, Wien
ディエゴ・ベラスケス《スペイン国王フェリペ4世の肖像》1631-1632年 油彩/カンヴァス ウィーン美術史美術館
ディエゴ・ベラスケス 《スペイン王妃イサベルの肖像》 1631-32年 油彩/カンヴァス ウィーン美術史美術館
ディエゴ・ベラスケス《宿屋のふたりの男と少女》 1618-19年頃 油彩/カンヴァス ブダペスト国立西洋美術館 Szépművészeti Múzeum/ Museum of FineArts, Budapest
ベルンハルト・シュトリーゲルとその工房、あるいは工房作《ローマ王としてのマクシミリアン1世》1507/08年頃 油彩/板 ウィーン美術史美術館
マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン《フランス王妃マリー・アントワネットの肖像》 1778年、油彩/カンヴァス ウィーン美術史美術館
ヨーゼフ・ハインツ(父)《神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の肖像》1592年頃 油彩/銅板 ウィーン美術史美術館
ヤン・ファン・デン・フーケ 《甲冑をつけたオーストリア大公レオポルト・ヴィルヘルム》 1642年頃 油彩/カンヴァス ウィーン美術史美術館
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ベネデット・ヴァルキの肖像》 1540年頃 油彩/カンヴァス ウィーン美術史美術館
ヴェロネーゼ《ホロフェルネスの首を持つユディト》 1580年頃 油彩/カンヴァス ウィーン美術史美術館
ヤン・ブリューゲル(父)《堕罪の場面のある楽園の風景》 1612-13年頃 油彩/板 ブダペスト国立西洋美術館 Szépművészeti Múzeum/ Museum of FineArts, Budapest
ヴィクトール・シュタウファー《オーストリア・ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の肖像》 1916年頃 油彩/カンヴァス ウィーン美術史美術館
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13世紀末にオーストリアへ進出後、同地を拠点に勢力を拡大し、広大な帝国を築き上げたハプスブルク家。15世紀以降、神聖ローマ皇帝の位を世襲し、ナポレオン戦争を引き金に同帝国が解体したのちは、後継のオーストリア帝国(1867年にオーストリア・ハンガリーニ重帝国に改組)を統治しました。数世紀にわたって広い領土と多様な民族を支配し、ヨーロッパの中心に君臨し続けた同家は、まさに欧州随一の名門と言えるでしょう。
ハプスブルク家の人々はまた、豊かな財とネットワークを生かして、質量ともに世界屈指のコレクションを築いたことでも知られています。そのうちオーストリアを拠点とし続けた同家本流による蒐集品の主要部分は、今日のウィーン美術史美術館における収蔵品の核となっています。
オーストリアと日本の国交樹立150周年を記念する本展では、同館の協力のもと、絵画、版画、工芸 品、タペストリー、武具など約100点、5章7セクショソから、そのコレクションの歴史をみていきます。ハプスブルク家のコレクションの礎を築いた神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(1459-1519)から、美術史美術館の建設者でもあるオーストリア・ハンガリー二重帝国「最後の皇帝」ことフランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)まで、同家の人々の紹介も兼ねつつ、時代ごとに蒐集の特色やコレクションに向けられたまなざしを浮き彫りにしていきます。
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019haus_habsburg.html
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★日本・オーストリア友好150周年記念 ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史
10月19日(土)~2020年1月26日(日)国立西洋美術館

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