国立トレチャコフ美術館所蔵「ロマンティック・ロシア」・・・イワン・クラムスコイ『忘れえぬ女』『月明かりの夜』
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第164回
枯れ葉舞う、午後、美術館に行く。月光の魔法の夜、夕暮れの海はロマンティックな詩情が漂う。ロマノフ朝末期の面影が蘇る。サンクトペテルブルクの夕暮れの海の彼方の教会。白樺、樫の木の深い森、雪に覆われた大地。ロシア革命(1917年)前、帝政末期の矛盾と格差社会。移動派の画家イワン・クラムスコイたちの抵抗の時代。イワン・クラムスコイの弟子、イリヤ・レーピン。体制に反逆した抵抗派知識人。宮廷第6代枢密顧問官の子息、象徴派の詩人、思想家、ディミトリー・セルゲーヴィッチ・メレジコフスキー。『神々の死 背教者ユリアヌス』1894『神々の復活 レオナルド・ダ・ヴィンチ』1896。古書をひも解き古人の美しい魂の香りをかぐと、魂がよみがえる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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『忘れえぬひと』とは、いかなる人か。あなたを守る人。美貌のひと。美しい面影のひと。あなたの魂を深く理解するひと。あなたの魂を愛するひと。『忘れえぬひと』が日本で展示されるのは8回目であるが、いつまでも愛される絵画である。
今宵、日が昏れて、時は去りゆくとも、愛は変わらない。いつまでも。
名誉と地位と権力と利益を求める人々の間に在って、天人は苦しむ。如意輪観音は、天人を救う。
【イワン・クラムスコイ『忘れえぬ女』】1883ペテルブルクのアニチコフ橋に馬車を止めている。高慢にみえるが、運命を見据えている。彼女の瞳は彼方に何をみているのか。気高く憂いを含む潤んだ瞳、長く黒い睫毛、帽子の房飾り、漆黒のドレス、艶やかなリボン。気高い憂いをもつ美女。瞳に涙が光る。彼方を見つめ、運命を呪うまなざし。
【イワン・クラムスコイ『月明かりの夜』】1880 白いドレスをまとった若い女が古い庭園の老木の傍らのベンチに腰掛け、月明かりに照らし出されている。月光の詩情、静寂と神秘が漂う。女性と対照的に周囲は闇に包まれる。『魔法の夜』と初めは表題がつけられた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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夕暮れ散歩 夕暮れのヴェネツィア、海景
丘の上の森に佇む、夕暮れの残照を眺める部屋で、森に黄昏の光が満ちていくとき、失われた時を思い出す。忘れえぬ人、美しい人と歩いた黄金の時間。心の痛みとともに蘇る。美しい夕暮れの思い出。夕暮れの孤島の丘に上り、女神の神殿に佇み、糸杉の森を歩く。高き嶺に躋攀し詩を読誦した日々。苦吟した日々。ロマン派の詩人は、ヴェネツィアを愛した。
敵の欺きに憤り、それを語らずに沈黙し、庭の霊木に涙を注いだ。秘密の庭の霊木に、密教の真言を唱える。日々、大日如来、観自在菩薩、大黒天に祈りをささげる。一切成就、怨敵調伏。学問成就、藝術三昧。日月が流れ、黄昏の海に潮が満ち、守護精霊が舞い降りる。真言が成就する。美貌のひとは、黄昏時に現れる。本質を観る人。人が真に見ることができるのは心によってである。本質は目で見えない。
「美は、命と引き換えに手に入れることができるものである」。美しいひとは、私の論文の言葉を愛読した。*
藝術家の魂の籠められた絵画に出逢い、秘められたドラマに辿りつくとき、記憶の迷路から美しい女が蘇る。可視界を超えて、叡智界のイデアが蘇る。生死を超えた知の旅の記憶。精神史の時間の迷宮に迷い込む。
*大久保 正雄『新古今和歌集の美学 断崖の美学』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
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注
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
【アンナ・カレーニナ、将校ヴロンスキー】アンナ・カレーニナは兄のオブロンスキーによばれてモスクワにやってきた、モスクワ駅でヴロンスキーと運命的な出会い。モスクワ駅へ母を迎えに行った青年ヴロンスキーは、母と同じ車室に乗り合わせたアンナの美貌に心を奪われる。アンナは典型的な俗物官僚の夫カレーニンを嫌悪した。
【死生学】「毒のある木」私は私の敵に腹を立てた 私は黙っていた 私の怒りはつのった そして私は それに恐怖の水をかけ 夜も昼も 私の涙をそそいだそして私は それを微笑の陽にあて 口あたりのよい欺瞞の肥料で育てた。ウィリアム・ブレイク『無心の歌、有心の歌』「毒のある木」寿学文章訳
【聖なる者は悪を滅ぼす】『理趣経』第三段。「金剛手よ、もし理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとえ三界の一切の有情を害するも悪趣に堕せず。」
松長有慶『秘密の庫を開く 理趣経』1984
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展示作品の一部
イワン・クラムスコイ『忘れえぬ女(ひと)』1883 年 油彩・キャンヴァス
イワン・クラムスコイ『月明かりの夜』1880 キャンバスに油彩
イワン・シーシキン『正午、モスクワ郊外』 1869 年 油彩・キャンヴァス
イワン・シーシキン 『雨の樫林』 1891 年 油彩・キャンヴァス
ワシーリー・バクシェーエフ『樹氷』1900 キャンバスに油彩
イリヤ・レーピン『イワン・クラムスコイの肖像』1882
イリヤ・レーピン『ピアニスト アントン・ルビンシュテインの肖像』1881
イワン・コンスターノヴィチ・アイヴァゾフスキー『海岸、別れ』1888
グリツェンコ『イワン大帝の鐘楼からのモスクワの眺望』1896
レフ・リヴォーヴィチ・カーメネフ『サヴィノ・ストロジェフスキー修道院』1880年代
アレクセイ・ペトロヴィッチ・ボゴリューボフ『ボリシャヤ・オフタからのスモーリヌイ修道院の眺望』1851
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参考文献
国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア・・・帝政末期、移動派の画家、クラムスコイ『忘れえぬ女』
https://bit.ly/2Mw7trF
ロマン派詩人 地中海、美への旅
大久保 正雄「旅する哲学者 美への旅」第77回
https://t.co/nqAsdA8wKg
『国立トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティック・ロシア』図録
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この時代のロシアの文化は、チャイコフスキー、ムソルグスキーといった作曲家や、トルストイ、ドストエフスキーに代表される文豪は日本でよく知られていますが、美術の分野でも多くの才能を輩出しました。その美術界では19世紀後半にクラムスコイら若手画家によって組織された「移動派」グループが、制約の多い官製アカデミズムに反旗を翻し、ありのままの現実を正面から見据えて描くことをめざしていました。移動派の呼称は啓蒙的意図で美術展をロシア各地に移動巡回させたことによります。一方、モスクワ郊外アブラムツェヴォのマーモントフ邸に集まったクズネツォフ、レヴィタン、コローヴィンらの画家たちは、懐古的なロマンティシズムに溢れた作品を多く残しましたが、彼らと移動派には共に祖国に対する愛という共通点が見出せます。
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一瞬の風景を、膨大な時間をかけて細密に描きとろうとする。そんなロシア特有の風景画の手法は、人物画にも共通します。たとえばクラムスコイの《忘れえぬ女ひと》は近づいて観ると、目に涙を浮かべ、無念の表情をたたえていることがわかります。よく娼婦と解説されるこの女性像にはモデルがおり、画家は彼女に死が迫っていることを知っていました。そんな女性の一瞬の内面のドラマを再現すべく、クラムスコイは無限の努力を傾けて、あの眼を描いたのです。ロシア文学者・亀山郁夫 Bunkamuraザ・ミュージアム
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★国立トレチャコフ美術館所蔵「ロマンティック・ロシア」Bunkamuraザ・ミュージアム
2018/11/23(金)-2019/1/27(日)
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_russia/
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