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2018年10月25日 (木)

ルーベンス展―バロックの誕生・・・宮廷画家、バロックの荘厳華麗

Rubens_2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第160回
金木犀の香る森を歩いて、美術館に行く。ハプスブルグ帝国の都市を旅した青春の日々、ウィーン美術史美術館、プラド美術館、ドレスデン古典絵画館、ルーベンスを見た部屋を思い出す。ルーベンスは、ハプスブルク家の宮廷画家、荘厳華麗な三連祭壇画と神話画の画家。イタリア・ルネサンスに影響を受けたバロック人。
ルーベンスの絵画は、ルノワールのような豊満な裸体を想起するが、2番目の16歳の妻、エレーヌの肉体美である。
――
【ルーベンス、22歳で画家、62歳で死す。1400点の作品】
ルーベンス(1577-1640)、アントウェルペンに生まれる。古典的知識を持つ人文主義者、美術品収集家、七ヶ国語を駆使して、外交官として活躍。ハプスブルク家の宮廷画家。
スペイン王フェリペ4世とイングランド王チャールズ1世から騎士爵位を受ける。対抗宗教改革の主導者の一人。
ルーベンスの父ヤンはオランダ総督オラニエ公ウィレム1世の二度目の妃アンナの法律顧問、愛人となり1570年にジーゲンのアンナの宮廷へと居を移す。アンナの愛人であることが発覚して投獄されたヤン。後に釈放され、1577年にマリアとの間にルーベンスが生まれた。1587年、父、死す。アントウェルペンでカトリックに改宗。
1、ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)  1577-1598
1590年、生活に困窮した母マリアは、13歳のルーベンスをフィリップ・フォン・ラレング伯未亡人のマルグレーテ・ド・リーニュの下へ小姓に出す。アントウェルペンの画家組合、聖ルカ・ギルドへ入会、見習いとして修業する。1598年に修業を終え、画家として出発する。
2、イタリア時代(1600年-1608年)
23歳でイタリアに行き、8年間滞在する。ヴェネツィアに行く。マントバ公の宮廷画家になる。古代彫刻の理想美を絵画化する*。「ラオコーン」「ベルヴェデーレのトルソ」「かがむアプロディーテとエロス」に心酔する。ヴェネツィアで、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェネツィア派の画家に深い影響を受ける。ローマで、カラバッジョの影響を受ける。
1603年、マントバ公の使者として、フェリペ3世への贈物を携えてスペイン訪問。
3、アントウェルペン時代(1609年-1621年)
アントウェルペンに帰り、工房を開く。1611年、三連祭壇画「キリスト降架」「キリスト昇架」(1611-14)アントウェルペン聖母大聖堂を制作。
4、『マリー・ド・メディシスの生涯』制作、外交官として活躍(1621年-1630年)
1621年、フランス王太后マリー・ド・メディシス、パリのリュクサンブール宮殿の装飾に、自身の生涯と前フランス王1610年に死去した夫アンリ4世の生涯とを記念する連作絵画2組の制作をルーベンスに依頼。
24点の絵画からなる『マリー・ド・メディシスの生涯』1625年、ルーヴル美術館蔵。
三連祭壇画『聖母被昇天』(1625-1626)アントウェルペン聖母大聖堂
【外交官、ルーベンス】1628年、イサベラ大公妃の使者として、マドリードに行き、フェリペ4世の宮廷画家となる、ベラスケスにティツィアーノの偉大さを吹き込む。
1629年、フェリペ4世の使者として、ルーベンス、スペインからイギリスに行き、チャールズ1世と和平交渉する。
1630年、スペインとイギリス、和平交渉、成功。
5、晩年(1630年-1640年)16歳のエレーヌと再婚
最初の妻イザベラが死去した4年後、1630年、53歳のたルーベンスは16歳のエレーヌ・フールマンと再婚。エレーヌをモデルとした肉感的な女性像を描く。
痛風を患っていたルーベンス、心不全で1640年5月30日に死去。
『ヴィーナスの饗宴』(1635年頃、ウィーン美術史美術館、『三美神』(1635年頃、プラド美術館)、『パリスの審判』(1639年頃、プラド美術館)
【ルーベンスとベラスケス】
1628年-1629年、宮廷画家。外交官ルーベンス、マドリッド訪問。美術愛好家フェリペ4世により、宮廷内にアトリエを与えられる。ベラスケス、ルーベンスに教えを受ける。ベラスケス、1628年ルーベンスに「ヴェネツィア派ティツィアーノ」の偉大さを教えられる。1629年、1回目のイタリア旅行に行く。1647年、2回目のイタリア旅行(1647-1651年)。
ルーベンス(1577-1640)、アントウェルペンで工房を営み、2階から弟子たちの作業を指揮する。1400点の作品を世に残す。
ルネサンスの巨匠とバロックの巨匠たち
【ティツィアーノ】1528年以降、ティツィアーノ(1488-1576)、40代。ハプスブルグ家、神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷伯爵、となる。黄金拍車の騎士の号を受ける。フェリペ2世の肖像画を描く。
1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグでフェリペ2世に会う。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
――
【バロック】カラヴァッジオの光と闇、ベラスケスの宮廷画、ルーベンスの華美、レンブラントの闇、ラ・トゥールの蝋燭、フェルメールの静謐な空間。
暗闇の中に差し込む一条の光。蝋燭の光に照らされた顔。16世紀から17世紀、光と闇を描いたバロックの画家たち。徹底した写実主義で劇的な光の効果を描いたカラヴァッジオ、暗闇の中にともる光で宗教画を描いたラ・トゥール、深い闇と静謐な光を描いたレンブラント。カラヴァッジョは17世紀の画家に深い影響を与えた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
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展示作品の一部
ルーベンス「聖アンデレの殉教」1638-39油彩カンヴァス306cm×216cm マドリード、カルロス・デ・アンベレス財団
ルーベンス「法悦のマグダラのマリア」(1625-28)リール美術館
左からペーテル・パウル・ルーベンス《法悦のマグダラのマリア》(1625-28)、
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニと工房「聖テレサの頭部」(17世紀半ば)
ペーテル・パウル・ルーベンス《マルスとレア・シルウィア》 ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
ペーテル・パウル・ルーベンス《パエトンの墜落》 ワシントン、ナショナル・ギャラリー
ペーテル・パウル・ルーベンス《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》 ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
ペーテル・パウル・ルーベンス《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》 ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
――
参考文献 
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1
カラバッジョ展、国立西洋美術館・・・光と闇の藝術
https://bit.ly/2NJNcyQ
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」国立西洋美術館・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
http://bit.ly/2Ho8bR0
「ティツィアーノとヴェネツィア派展」東京都美術館
https://t.co/jijpFTn66k
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール: 光と闇の世界、国立西洋美術館
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/past/2005_192.html
『ルーベンス展―バロックの誕生』図録2018
――
ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)は、バロックと呼ばれる壮麗華美な美術様式が栄えた17 世紀ヨーロッパを代表する画家です。彼は大工房を構え時代に先駆ける作品を量産し、同時代以降の画家たちに大きな影響を与えました。さらにその能力は画業にとどまらず、ヨーロッパ各地の宮廷に派遣されて外交交渉をも行いました。
本展覧会はこのルーベンスを、イタリアとのかかわりに焦点を当てて紹介します。イタリアは古代美術やルネサンス美術が栄えた地であり、バロック美術の中心もローマでした。フランドルのアントウェルペンで育ったルーベンスは、幼いころから古代文化に親しみ、イタリアに憧れを抱きます。そして1600年から断続的に8年間この地で生活し、そこに残る作品を研究することで、自らの芸術を大きく発展させたのです。本展はルーベンスの作品を、古代彫刻や16世紀のイタリアの芸術家の作品、そしてイタリア・バロックの芸術家たちの作品とともに展示し、ルーベンスがイタリアから何を学んだのかをお見せするとともに、彼とイタリア・バロック美術との関係を明らかにします。近年では最大規模のルーベンス展です。国立西洋美術館
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2018rubens.html
――
★ ルーベンス展―バロックの誕生、国立西洋美術館
2018年10月16日(火)~2019年1月20日(日)

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