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2018年10月の記事

2018年10月31日 (水)

「ムンク展 共鳴する魂の叫び」・・・波瀾の画家、月光が輝く海と女

Munch2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第161回
金木犀の香る森を歩いて、美術館に行く。薄羽蜉蝣の飛ぶ丘、銀杏並木を歩き、グリーグ『ペールギュント』ソルベーグの歌が胸に浮かぶ。放浪の旅から帰国後、ムンクが愛したオースゴールストラントの海、月光の輝く海と女たち。
「私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた」ムンク
30歳の時の作品、エドヴァルド・ムンク『叫び』。怖れおののいて耳を塞いでいる姿。血のように赤く染まったフィヨルドの夕暮れ、赤い空、暗い背景、遠近法の構図。「自然を貫く果てしない叫び」。この主人公が叫びを発しているのではない。『叫び』、4枚の絵画がある。(1893テンペラ、クレヨン、1893クレヨン、1895パステル、1910テンペラ)
*大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
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【エドヴァルド・ムンク、波瀾の生涯、愛と絶望と放浪の果て帰国、2万8千点、80歳で死す】30歳の作品『叫び』(1893)で世界に名をとどろかせたムンク。26歳から46歳まで、外国を放浪。1892年29歳の時「ムンク事件」、批評家の攻撃でベルリンの個展が1週間で打ち切り。1902年39歳の時、結婚を迫る恋人トゥラ・ラーセンを拒否、破局、銃爆発事件で指を負傷。1909年46歳の時、クリスチャニアに帰国。1927年、64歳、ベルリンとオスロで回顧展。1940年77歳。全作品、2万8千点の作品をオスロ市に遺贈。1944年、80歳で死去。
【波瀾の生涯】エドヴァルド・ムンク(1863-1944)。1863年、5歳の時、母死す、1877年、姉ソフィエ、結核で死す。17歳、画学校、入学。1889年、26歳、パリ留学。父、脳卒中で死去。46歳で帰国、『地獄の自画像』(1909)。
エーケリーの屋敷ヘ移り住んだ後、多数の召使兼モデル志願の若い女たちがムンクの家を訪れた。
『すすり泣く裸婦』(1913-14)に描かれた女、女召使兼モデル、16歳のインゲボルク・カウリン、ムンク50歳と恋に陥る。インゲボルグに惹かれ合うが彼女には婚約者がいた。
「文学、音楽、藝術は生血によって制作される。藝術は生きた人間の血なのだ。作品は、魂と意志をもつ結晶であり、子供である」エドヴァルド・ムンク
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
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エドヴァルド・ムンク『叫び』「私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」ムンク『日記』
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展示作品の一部
エドヴァルド・ムンク《叫び》テンペラ・油彩画(1910年?)オスロ市立ムンク美術館
ムンク「絶望」1892-94 キャンバスに油彩 92×67cm ティール・ギャラリー蔵
ムンク《マドンナ》1895年 リトグラフ
ムンク《病める子Ⅰ》1896年 リトグラフ 43.2×57.1cm
ムンク《自画像》1882年 油彩、紙(厚紙
ムンク《夏の夜、人魚》1893年、オスロ市立ムンク美術館蔵
ムンク《星月夜》1922-24年 オスロ市立ムンク美術館蔵
ムンク『地獄の自画像』(1909)
ムンク『すすり泣く裸婦』(1913-14)
ムンク『緑色の服を着たインゲボルク』(1912)
ムンク『森の吸血鬼』(1916-18)
ムンク《生命のダンス》(1925)
ムンク《自画像、時計とベッドの間》(1940-43)
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参考文献
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
クロード・モネ『日傘の女』・・・カミーユの愛と死
https://bit.ly/2ncZAIR
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
https://bit.ly/2vikIlL
「ムンク展 共鳴する魂の叫び」図録2018
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「ムンク展」(国立西洋美術館 2007年10月6日(土)—2008年1月6日(日)
「ムンク展 画家とモデルたち Edward Munch and his Models」(伊勢丹美術館1992)
「ムンク展 愛と死 The Frieze of Life」(出光美術館1993)
「ムンク展 EDWARD MUNCH」(世田谷美術館1997)
「ムンク展 生の不安―愛と死」(東京国立近代美術館1981)
「冬の国―ムンクとノルウェー絵画」(国立西洋美術館1993)
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世界で最もよく知られる名画の一つ《叫び》を描いた西洋近代絵画の巨匠、エドヴァルド・ムンク(1863-1944)。画家の故郷、ノルウェーの首都にあるオスロ市立ムンク美術館が誇る世界最大のコレクションを中心に、約60点の油彩画に版画などを加えた約100点により構成される大回顧展です。
複数描かれた《叫び》のうち、ムンク美術館が所蔵するテンペラ・油彩画の《叫び》は今回が待望の初来日となります。愛や絶望、嫉妬、孤独など人間の内面が強烈なまでに表現された代表作の数々から、ノルウェーの自然を描いた美しい風景画、明るい色に彩られた晩年の作品に至るまで、約60年にわたるムンクの画業を振り返ります。
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「ムンク展 共鳴する魂の叫び」東京都美術館、10月27日-2019年1月20日
https://www.tobikan.jp/

2018年10月25日 (木)

ルーベンス展―バロックの誕生・・・宮廷画家、バロックの荘厳華麗

Rubens_2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第160回
金木犀の香る森を歩いて、美術館に行く。ハプスブルグ帝国の都市を旅した青春の日々、ウィーン美術史美術館、プラド美術館、ドレスデン古典絵画館、ルーベンスを見た部屋を思い出す。ルーベンスは、ハプスブルク家の宮廷画家、荘厳華麗な三連祭壇画と神話画の画家。イタリア・ルネサンスに影響を受けたバロック人。
ルーベンスの絵画は、ルノワールのような豊満な裸体を想起するが、2番目の16歳の妻、エレーヌの肉体美である。
――
【ルーベンス、22歳で画家、62歳で死す。1400点の作品】
ルーベンス(1577-1640)、アントウェルペンに生まれる。古典的知識を持つ人文主義者、美術品収集家、七ヶ国語を駆使して、外交官として活躍。ハプスブルク家の宮廷画家。
スペイン王フェリペ4世とイングランド王チャールズ1世から騎士爵位を受ける。対抗宗教改革の主導者の一人。
ルーベンスの父ヤンはオランダ総督オラニエ公ウィレム1世の二度目の妃アンナの法律顧問、愛人となり1570年にジーゲンのアンナの宮廷へと居を移す。アンナの愛人であることが発覚して投獄されたヤン。後に釈放され、1577年にマリアとの間にルーベンスが生まれた。1587年、父、死す。アントウェルペンでカトリックに改宗。
1、ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)  1577-1598
1590年、生活に困窮した母マリアは、13歳のルーベンスをフィリップ・フォン・ラレング伯未亡人のマルグレーテ・ド・リーニュの下へ小姓に出す。アントウェルペンの画家組合、聖ルカ・ギルドへ入会、見習いとして修業する。1598年に修業を終え、画家として出発する。
2、イタリア時代(1600年-1608年)
23歳でイタリアに行き、8年間滞在する。ヴェネツィアに行く。マントバ公の宮廷画家になる。古代彫刻の理想美を絵画化する*。「ラオコーン」「ベルヴェデーレのトルソ」「かがむアプロディーテとエロス」に心酔する。ヴェネツィアで、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェネツィア派の画家に深い影響を受ける。ローマで、カラバッジョの影響を受ける。
1603年、マントバ公の使者として、フェリペ3世への贈物を携えてスペイン訪問。
3、アントウェルペン時代(1609年-1621年)
アントウェルペンに帰り、工房を開く。1611年、三連祭壇画「キリスト降架」「キリスト昇架」(1611-14)アントウェルペン聖母大聖堂を制作。
4、『マリー・ド・メディシスの生涯』制作、外交官として活躍(1621年-1630年)
1621年、フランス王太后マリー・ド・メディシス、パリのリュクサンブール宮殿の装飾に、自身の生涯と前フランス王1610年に死去した夫アンリ4世の生涯とを記念する連作絵画2組の制作をルーベンスに依頼。
24点の絵画からなる『マリー・ド・メディシスの生涯』1625年、ルーヴル美術館蔵。
三連祭壇画『聖母被昇天』(1625-1626)アントウェルペン聖母大聖堂
【外交官、ルーベンス】1628年、イサベラ大公妃の使者として、マドリードに行き、フェリペ4世の宮廷画家となる、ベラスケスにティツィアーノの偉大さを吹き込む。
1629年、フェリペ4世の使者として、ルーベンス、スペインからイギリスに行き、チャールズ1世と和平交渉する。
1630年、スペインとイギリス、和平交渉、成功。
5、晩年(1630年-1640年)16歳のエレーヌと再婚
最初の妻イザベラが死去した4年後、1630年、53歳のたルーベンスは16歳のエレーヌ・フールマンと再婚。エレーヌをモデルとした肉感的な女性像を描く。
痛風を患っていたルーベンス、心不全で1640年5月30日に死去。
『ヴィーナスの饗宴』(1635年頃、ウィーン美術史美術館、『三美神』(1635年頃、プラド美術館)、『パリスの審判』(1639年頃、プラド美術館)
【ルーベンスとベラスケス】
1628年-1629年、宮廷画家。外交官ルーベンス、マドリッド訪問。美術愛好家フェリペ4世により、宮廷内にアトリエを与えられる。ベラスケス、ルーベンスに教えを受ける。ベラスケス、1628年ルーベンスに「ヴェネツィア派ティツィアーノ」の偉大さを教えられる。1629年、1回目のイタリア旅行に行く。1647年、2回目のイタリア旅行(1647-1651年)。
ルーベンス(1577-1640)、アントウェルペンで工房を営み、2階から弟子たちの作業を指揮する。1400点の作品を世に残す。
ルネサンスの巨匠とバロックの巨匠たち
【ティツィアーノ】1528年以降、ティツィアーノ(1488-1576)、40代。ハプスブルグ家、神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷伯爵、となる。黄金拍車の騎士の号を受ける。フェリペ2世の肖像画を描く。
1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグでフェリペ2世に会う。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
――
【バロック】カラヴァッジオの光と闇、ベラスケスの宮廷画、ルーベンスの華美、レンブラントの闇、ラ・トゥールの蝋燭、フェルメールの静謐な空間。
暗闇の中に差し込む一条の光。蝋燭の光に照らされた顔。16世紀から17世紀、光と闇を描いたバロックの画家たち。徹底した写実主義で劇的な光の効果を描いたカラヴァッジオ、暗闇の中にともる光で宗教画を描いたラ・トゥール、深い闇と静謐な光を描いたレンブラント。カラヴァッジョは17世紀の画家に深い影響を与えた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
――
展示作品の一部
ルーベンス「聖アンデレの殉教」1638-39油彩カンヴァス306cm×216cm マドリード、カルロス・デ・アンベレス財団
ルーベンス「法悦のマグダラのマリア」(1625-28)リール美術館
左からペーテル・パウル・ルーベンス《法悦のマグダラのマリア》(1625-28)、
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニと工房「聖テレサの頭部」(17世紀半ば)
ペーテル・パウル・ルーベンス《マルスとレア・シルウィア》 ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
ペーテル・パウル・ルーベンス《パエトンの墜落》 ワシントン、ナショナル・ギャラリー
ペーテル・パウル・ルーベンス《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》 ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
ペーテル・パウル・ルーベンス《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》 ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
――
参考文献 
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1
カラバッジョ展、国立西洋美術館・・・光と闇の藝術
https://bit.ly/2NJNcyQ
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」国立西洋美術館・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
http://bit.ly/2Ho8bR0
「ティツィアーノとヴェネツィア派展」東京都美術館
https://t.co/jijpFTn66k
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール: 光と闇の世界、国立西洋美術館
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/past/2005_192.html
『ルーベンス展―バロックの誕生』図録2018
――
ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)は、バロックと呼ばれる壮麗華美な美術様式が栄えた17 世紀ヨーロッパを代表する画家です。彼は大工房を構え時代に先駆ける作品を量産し、同時代以降の画家たちに大きな影響を与えました。さらにその能力は画業にとどまらず、ヨーロッパ各地の宮廷に派遣されて外交交渉をも行いました。
本展覧会はこのルーベンスを、イタリアとのかかわりに焦点を当てて紹介します。イタリアは古代美術やルネサンス美術が栄えた地であり、バロック美術の中心もローマでした。フランドルのアントウェルペンで育ったルーベンスは、幼いころから古代文化に親しみ、イタリアに憧れを抱きます。そして1600年から断続的に8年間この地で生活し、そこに残る作品を研究することで、自らの芸術を大きく発展させたのです。本展はルーベンスの作品を、古代彫刻や16世紀のイタリアの芸術家の作品、そしてイタリア・バロックの芸術家たちの作品とともに展示し、ルーベンスがイタリアから何を学んだのかをお見せするとともに、彼とイタリア・バロック美術との関係を明らかにします。近年では最大規模のルーベンス展です。国立西洋美術館
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2018rubens.html
――
★ ルーベンス展―バロックの誕生、国立西洋美術館
2018年10月16日(火)~2019年1月20日(日)

2018年10月14日 (日)

フェルメール展・・・光の魔術師、オランダの黄金時代の光と影

Vermeer2018_1Vermeer_wine_glass大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第159回
初秋の森を歩いて美術館に行く。光の魔術師、フェルメール、淡い光の空間は何を意味するのか。
【フェルメール】ヨハネス・フェルメール(1632-1675)は、バロックの画家、カラバッジョの激情は存在しない。フェルメールは、光の魔術師と呼ばれるが、印象派の光とは異なる。フェルメールの空間構成、色彩設計は、何を意味するのか。画中画の寓意は何を意味するのか。
16世紀スペインの黄金時代から、17世紀オランダの黄金時代へ。王家の宮廷から、富裕層の商人の家へ。フェルメールは、菱川師宣(1618-1694)の同時代人である。
『牛乳を注ぐ女』(1658年)、風俗画に転向した初期作品。台所の召使いが、牛乳をテーブル上の陶器の容器に注ぎ入れている。左の窓から日光が射し込んでいる。リンネルのキャップ、青いエプロン。床に四角い足温器。窓から差し込む柔らかい光。フェルメールは、光の画家とよばれる。
『ワイングラス』(1661-1662年)。ステンドグラスから差し込む淡い光。男にワインを勧められワインを飲む女。椅子の上にリュート。テーブルの上に楽譜。ロマンスの匂い。誘惑を戒める寓意か。
『取り持ち女』(1656年)。娼婦の家を舞台に、女の肩に手をかけ、金貨を渡す男の客。その背後で見守る取り持ち女。
アムステルダム国立美術館は『牛乳を注ぐ女』を「疑問の余地なく当美術館でもっとも魅力的な作品の一つ」とするが、どこが魅力なのか。フェルメールの空間、差し込む柔らかい光。意味のない世界。
【バロック】カラヴァッジョから始まる。カラヴァッジオの光と闇、ベラスケスの宮廷画、ルーベンスの華美な神話画、レンブラントの闇、ラ・トゥールの蝋燭、フェルメールの静謐な空間。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
――
『牛乳を注ぐ女』(1658年) アムステルダム国立美術館
ヨハネス・フェルメール『ワイングラス』(1661-1662年頃)ベルリン国立美術館
ヨハネス・フェルメール「真珠の首飾りの女」1662-1665年頃ベルリン国立美術館
ヨハネス・フェルメール「手紙を書く婦人と召使い」1670-1671年頃アイルランド・ナショナル・ギャラリー
「赤い帽子の娘」1665-1666年頃ワシントン・ナショナル・ギャラリー
『取り持ち女』(1656年)ドレスデン国立絵画館
「手紙を書く女」1665年頃ワシントン・ナショナル・ギャラリー
「リュートを調弦する女」1662-1663年頃メトロポリタン美術館
「マルタとマリアの家のキリスト」1556年 スコットランド・ナショナル・ギャラリー
「赤い帽子の娘」は12月20日まで展示。「取り持ち女」は2019年1月9日より公開。
――
光と影の画家、フェルメール 21歳で画家、43歳で死す。
ヨハネス・フェルメール(1632-1675)、1632年デルフトに生まれる。1636年チューリップバブルが弾ける。1648年ウエストファリア条約、ミュンスターの和約*でオランダ独立。1647-53年、6年間、画家修業をする。1652年、父レイニール死去、宿屋と画商を受け継ぐ。21歳で画家として出発する。1654年英蘭戦争で敗戦。物語画から風俗画へと転換する。『取り持ち女』(1656年)『牛乳を注ぐ女』(1656-58年)。写実と創作を融合する風俗画を確立。『デルフト眺望』(1660)『絵画藝術』(1666-67)。物語を秘めた緻密な光と陰影の絵画に到達する。『手紙を書く女と召使い』(1672)。ピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンがパトロンで21点以上を所蔵した。
1672年フランス侵攻。画家活動期間は22年間、32-35点の作品を残す。描いたのは50点と推定される。11-12人の子を残して1675年、43歳で死す。
――
オランダの黄金時代 17世紀 宗教戦争と独立戦争
ネーデルラント諸州の独立戦争である八十年戦争(1568年から1648年)、フェリペ2世に対する反乱からウエストファリア条約まで。アウクスブルクの和議によりスペインから独立。
1602年、オランダ東インド会社設立。世界初の多国籍企業、最初の証券取引場であるアムステルダム証券取引所を設立した株式を財源とした。
【ウエストファリア条約】1648年10月24日調印の三十年戦争(1618-48)終結条約。1645年からドイツのウェストファーレンで開かれた講和会議で、フランス、スウェーデンは領土拡大、神聖ローマ帝国議会への参加権を獲得して国際的立場を強化、逆にハプスブルク家は勢力後退。ドイツ諸侯は完全な領土主権を認められ、神聖ローマ帝国内の分立主義が決定的となった。アウクスブルクの宗教和議の原則がカルバン派にも拡大、オランダとスイスの独立が正式に認められる。
【三十年戦争】ドイツを舞台として1618‐48年の30年間、ヨーロッパ諸国を巻きこんだ、宗教戦争の最後にして最大のもの。ボヘミアで勃発、旧教側にスペイン、新教側にデンマーク・スウェーデン・フランスが加担し国際戦争に発展。ドイツは荒廃し、ウェストファリア条約で終結。
――
【フェルメール 手紙】意中の人からの手紙を読む女、禁じられた恋の匂い。手紙を描いたフェルメール作品は6点ある。『窓辺で手紙を読む女』(1659年)が始まり『婦人と召使』(1668年)、『恋文』(1670)、『手紙を書く女と召使い』(1672)が到達点である。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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展示作品の一部
ヨハネス・フェルメール「マルタとマリアの家のキリスト」「ワイングラス」「牛乳を注ぐ女」1658「リュートを調弦する女」「手紙を書く女」「真珠の首飾りの女」「赤い帽子の娘」「手紙を書く婦人と召使い」1672「取り持ち女」1656「恋文」1669-1670年頃
17世紀のオランダ絵画
ハブリエル・メツー「手紙を読む女」1664〜1666年頃 アイルランド・ナショナル・ギャラリー
ハブリエル・メツー「手紙を書く男」
ピーテル・デ・ホーホ「人の居る裏庭」1663〜1665年頃 アムステルダム国立美術館
ヘラルト・ダウ「本を読む老女」1631〜32年頃 アムステルダム国立美術館
ヤン・ステーン「家族の情景」
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★参考文献
フェルメールからのラブレター展・・・禁じられた恋の匂い
https://bit.ly/2ogjOlc
「フェルメール展-光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」東京都美術館(2)・・・光と陰の室内空間
https://bit.ly/2BUKL7Q
ヴィルヘルム・ハンマースホイ、静かなる詩情、国立西洋美術館・・・陽光、あるいは陽光に舞う塵
https://bit.ly/2MN8f3R
ベルリン国立美術館展、フェルメール「真珠の首飾りの少女」・・・物欲と虚栄に溺れる女
https://bit.ly/2N0hSv3
小林頼子「フェルメールの魔法」
小林頼子『フェルメール 作品と生涯』
――
日本美術展史上、最大の「フェルメール展」を開催。「光の魔術師」とも称されるフェルメールの、わずか35点とされる希少な現存作品のうち、国内過去最多の8点を展示。
オランダ絵画黄金時代の巨匠ヨハネス・フェルメール(1632-1675)。
国内外で不動の人気を誇り、寡作でも知られ現存作はわずか35点とも言われています。
今回はそのうち8点を展示。日本美術展史上最大のフェルメール展を開催いたします。
日本初公開を含むフェルメールの作品のほか、ハブリエル・メツー、ピーテル・デ・ホーホ、ヤン・ステーンらの傑作を含む約50点を通して、17世紀オランダ絵画の広がりと独創性をご紹介します。
――
★「フェルメール展」上野の森美術館、10月5日-2019年2月3日
http://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=857636
大阪市立美術館、2019年2月16日(土)-5月12日(日)
大阪市立美術館は、フェルメールは6作品。「恋文」が出展される。

2018年10月 7日 (日)

「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」・・・純粋な美しい魂に舞い降りる

Kaikeijoukei2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第158回
金木犀の香る森を歩いて、博物館に行く。夕暮れの森、夕暮れの諧調、夕暮れの寺院、観音菩薩は、純粋な美しい魂に舞い降りる。
【六観音菩薩】聖観音菩薩は、地獄道の者を救う。千手観音菩薩、飢えと渇きの餓鬼道の者を救う。馬頭観音菩薩、動物の弱肉強食の畜生道の者を救う。十一面観音菩薩、怒りと争いの修羅道を救う。准胝観音菩薩(不空羂索観音菩薩)、四苦八苦の人道を救う。如意輪観音菩薩、神通力をもつ天人を救う。
この世は、競争社会である。弱肉強食の畜生、怒りと争いの修羅。神通力をもつ天人を救うのは、如意輪観音である。
競争社会のフランスを逃れて、ポルトガルに移住するフランス人。金権社会のイギリスを逃れて、イタリアに移住するイギリス人。階級社会の日本を忌避して、天下布武、既存の階級社会、価値観を拒否し、戦いと茶会を展開した織田信長。天の道を求めた織田信長。
【信長の弟信行、病いの織田信長を殺しにやってくる】信行、弘治3 (1557)年11月2日、二度目の謀反を企て、清洲城へ信長の見舞いにきた。清洲城北櫓天主、次の間で信長の命を受けた河尻秀隆ら、あるいは池田恒興らによって返り討ち。復讐する信長24歳。
【織田信長、天下布武、茶会】織田信長は、1567(永禄10年) 天下布武から、戦いと茶会を展開する。1568(永禄11年)9月26日、信長、入京。1571年(元亀二年)、織田信長、東福寺にて茶会。
*大久保 正雄『戦う知識人の精神史』
――
【六観音菩薩】聖観音菩薩、千手観音菩薩、馬頭観音菩薩、十一面観音菩薩、准胝観音菩薩(不空羂索観音菩薩)、如意輪観音菩薩
六観音菩薩は、聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准胝観音、如意輪観音。*六観音菩薩は、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道。六道から生きものを救う。(天台智顗『摩訶止観』)
衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(境涯)、六趣、六界。
【六道輪廻】天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道、
【死生学】【六道輪廻】責め苦の地獄道、飢えと渇きの餓鬼道、弱肉強食の畜生道、争い殺し合う修羅道、四苦八苦の人間道、天人は神通力が使えるが苦に悩む天道。六道輪廻から生きものを救う観音菩薩。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
――
天台僧の義空(1172~1241)は、釈迦は永久にこの世に存在し法を説くという『法華経』の教えにもとづいて、1220(承久2年)大報恩寺を創建した。快慶作の十大弟子立像と、快慶の弟子、行快作の釈迦如来坐像は、法華経の世界を表現する。
運慶一門の慶派仏師、定慶作の六観音菩薩像が伝来する。貞応三年(1224)に、定慶が造ったと准胝観音の像内墨書銘にある。運慶の長男である湛慶より十歳ほど若い定慶は、運慶の弟子。
――
展示作品の一部
運慶の晩年の弟子、定慶が41歳の時に制作した「六観音菩薩像」。大報恩寺の秘仏本尊、快慶の弟子、行快作「釈迦如来坐像」、快慶作「十大弟子立像」、運慶の弟子、行快とほぼ同じ世代である肥後定慶作「六観音菩薩像」。
行快作「釈迦如来坐像」、鎌倉時代・13世紀 京都・大報恩寺蔵
快慶作「十大弟子立像」、鎌倉時代・13世紀 京都・大報恩寺蔵
阿難陀(あなんだ)、羅睺羅(らごら)、優婆離(うぱり)、阿那律(あなりつ)、迦旋延(かせんえん)、富楼那(ふるな)、須菩提(すぼだい)、大迦葉(だいかしょう)、目犍連(もくけんれん)、舎利弗(しゃりほつ)
肥後定慶作「六観音菩薩像」、聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准胝観音、如意輪観音 鎌倉時代・貞応3年(1224)京都・大報恩寺蔵
――
★参考文献
法華寺「十一面観音」の美・・・純粋な魂に舞い降りる
https://bit.ly/2NKS5IP
「国宝 阿修羅展」・・・阿修羅像の謎、光明皇后、天平文化の香り
https://bit.ly/2zKYquU
「国宝 薬師寺展」・・・月光菩薩、日光菩薩、白鳳文化の美の香り
https://bit.ly/2Ovw4gs
「栄西と建仁寺」・・・天下布武と茶会、戦国時代を生きた趣味人
https://bit.ly/2OAhnsz
妙心寺展・・・禅の空間、近世障屏画の輝き
https://bit.ly/2OACxXq
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京都市上京区に所在する大報恩寺は、鎌倉時代初期に開創された古刹です。釈迦如来坐像をご本尊とし、千本釈迦堂の通称で親しまれています。本展では、大報恩寺の秘仏本尊で、快慶の弟子、行快作の釈迦如来坐像、快慶作の十大弟子立像、運慶の弟子で、行快とほぼ同じ世代である肥後定慶作の六観音菩薩像など、大報恩寺に伝わる鎌倉彫刻の名品の数々を展示いたします。
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特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」、東京国立博物館
2018年10月2日(火) ~12月9日(日)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1914

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