「京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-」・・・醍醐寺三宝院、織田信長のために祈祷する
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第157回
醍醐寺の黄衣の12人の僧侶が、法螺貝を吹いて来て「薬師如来、日光菩薩、月光菩薩」の前で、法要、読経した。サントリー美術館が寺院のようである。醍醐寺の枝垂れ桜を思い出す。桜満開の京都、仁和寺に滞在して花盛りの密教寺院、禅宗寺院をめぐり歩いた日々。醍醐寺三宝院、桃源郷の庭園。如意輪観音は、如意宝珠を手にもつ密教変化観音である。如意宝珠は生きものの願いをかなえる。
密教僧は、開運招福、学問成就、健康長寿、怨敵調伏、大願成就、を祈る。高貴な精神は、聖なる目的を達成するために、敵を滅ぼさねばならない。真言密教の真言と秘法は、苦悩する人のために、祈祷、救済する。『戦う知識人の精神史』
空海は、大同元年(806年)10月、唐から帰国し真言密教の経典、秘法を日本に伝えた。だが中国においては、密教は滅びた。醍醐寺は、戦国時代、織田信長のために祈祷した。
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【醍醐寺三宝院 天正元(1573)年】織田信長のために真言密教の祈祷、修法を行う。「織田信長黒印状」醍醐寺三宝院における戦勝祈願の修法への礼状を信長より返信。「天下布武」印がある。
【織田信長 天正元年】三方が原の戦い、信長と家康は信玄を迎え撃つが敗退。だが、信長包囲網に参加すべく上洛する武田信玄は死す(1573)。信長包囲網、瓦解。
【醍醐の花見】1598年(慶長3)3月15日,京都の醍醐寺三宝院で豊臣秀吉が花見の宴を催した。この年8月に秀吉が病死した。
高貴な精神は、聖なる目的を達成するために、敵を滅ぼさねばならない。悪と戦い生き残らねばならない。遍在する悪と戦う知的で革命的な精神は、知恵と愛が根源である。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
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★展示作品の一部
国宝「薬師如来坐像」醍醐寺、平安時代10世紀
国宝「虚空蔵菩薩立像」醍醐寺、平安時代10世紀
「如意輪観音坐像」醍醐寺、平安時代10世紀
「織田信長黒印状」醍醐寺、安土桃山、16世紀、天正元(1573)年か。(醍醐寺文書聖教558函36号)醍醐寺三宝院における戦勝祈願の修法への礼状。「天下布武」の印が捺されている。三宝院から戦陣の信長に「祈祷の巻数」が送られ、それに対する返書。密教の祈祷を修法した「祈祷の巻数」は護符である。信長が出した礼状である。筆跡は、信長の祐筆を長年務めた武井夕庵のものと思われる。天正三年以降、祐筆は楠長諳に移行する。醍醐寺には、この他「織田信長朱印状」醍醐寺、安土桃山、1572年(醍醐寺文書聖教24函102号)がある。*『京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-』図録
空海筆「大日経開題」9世紀。
「金天目・天目台」桃山時代・16世紀、醍醐寺第80代座主の義演が秀吉の病気平癒を祈願した褒美として与えられた品。
快慶「不動明王坐像」1203年
「醍醐花見短冊」安土桃山、慶長三年1598年
足利尊氏筆「理趣経」南北朝1357年
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★参考文献
空海の旅 旅する思想家、美への旅
https://t.co/HPPpp3e5iL
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
大日如来の知恵 五智如来の知恵
https://bit.ly/2O8YtbU
『京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-』図録。
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★「京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-」
サントリー美術館、2018年9月19日(水)~11月11日(日)
九州国立博物館 2019年1月29日(火)~3月24日(日)
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