孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第149回
ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。メディチ家の戦いの精神史に、理念を探求する人間の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』に、ルネサンスの美貌が刻まれている。ロレンツォの時代、ユリウス2世の時代、レオ10世、クレメンス7世の時代。詩人の時代。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「美しいものを創作しようとする努力ほど、人間の魂を清めてくれるものはない」「私は叡知に導かれて、石の中にひそむ芸術作品を取り出しているに過ぎない」「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ」ミケランジェロ
ミケランジェロ『ダヴィデ・アポロ』* (1530)をみると、イタリアを旅した青春の日々、美しい糸杉の丘、憂愁のフィレンツェを思い出す。ゴシック藝術はキリスト教主題だが、ルネサンス藝術では古代ギリシア主題を表現する藝術家があらわれる。一点透視図法、遠近法、スフマート、人間の曲線美を追求する。ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。
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【メディチ家と法王庁との戦い】メディチ家はシクストゥス4世と戦い、ミケランジェロはユリウス2世と対決する。メディチ家ジュリアーノはパッツィ家の陰謀で暗殺され、ロレンツォは1492年死に、詩人ポリツィアーノは毒殺され、ピコ・デラ・ミランドラも毒殺され、フィチーノは1499年死ぬ。ジョルダーノ・ブルーノは1600年死ぬ。
ミケランジェロは、銀行家ブォナロティ家は没落、6歳で母が死ぬ。14-17歳の時、ロレンツォの家にて養育される。ミケランジェロ、理想の美の探求が始まる。メディチ家とプラトン・アカデミーに教えられる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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1、メディチ家の戦い 黄金時代のロレンツォ
ボッティチェリ『春』1482『ヴィーナスの誕生』1485『東方三博士の礼拝』1476。
描かれたジュリアーノ・デ・メディチは25歳で死ぬ。シモネッタ・ヴェスプッチは23歳で死ぬ。ボッティチェリ『東方三博士の礼拝』1476。コジモ、ロレンツォ、ジュリアーノ、ピエロ、ポリツィアーノ、ボッティチェリ(1445-1510)の容姿が描かれている。
ミケランジェロ(1475-1564)は、ロレンツォの家で養育される(1489-1492)。88歳まで生きる。
招かれざるレオナルド、ミラノへ去る。現代では「万能の天才」と呼ばれる。
2、ルネサンス、包囲されたフィレンツェ ロレンツォ暗殺の陰謀、フィレンツェ包囲網、対教皇庁戦争(1474-1480)。イタリアの戦国時代。ロレンツォ(1449-1492 1469から当主)は、稀代の戦略家であり教養人である。イタリアの天秤の針。1479ナポリ王フェランテを説得、和平交渉する。
パッツィ家の陰謀(1478)。真の犯人は、フィレンツェに敵対する、戦争好き陰謀家の法王。陰謀家シクストゥス4世(在位1471-1484)の陰謀。銀行家パッツィに命じる。
3、メディチ家とプラトン・アカデミー
コジモ・デ・メディチ(1389-1464)は、1439年、哲学者ゲミストス・プレトンからプラトン哲学の奥義の講義を受け感銘する。1463年プラトン・アカデミーをメディチ家カレッジ別荘(Villa Medici di careggi)に創設する。(Ficinno Opera Omnia, Vol2) マルシリオ・フィチーノにプラトン全集の翻訳を託す。
ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)は、1492年4月8日、43歳で死ぬ。公的な肩書はない。アンジェロ・ポリツィアーノ、ピコ、思想家たちは、1498年までにつぎつぎと毒殺(砒素)される。ピエロ・デ・メディチ・イル・フォルトゥオ(愚者)が、敵に調略された。1499年、マルシリオ・フィチーノ(1449-1499)、死ぬ。
4、孤高の藝術家、ミケランジェロ 古代の美の探求
【メディチ家の戦いの精神史】理念を探求する者の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』にはルネサンスの美貌が刻まれている。レオ10世の依頼でヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ(Giuliano de' Medici duca di Nemours.1479-1516)像を制作1526—31。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「ラオコーン」レオカレス「ベルヴェデーレのアポロン」「ベルヴェデーレのトルソ」の美を探求した。
5、ルネサンス 古代彫刻の発見
「ラオコーン」は1506年ローマ、ネロの黄金宮殿跡にて発見された。ロドス島の3人の彫刻家の原作による。ハリカルナッソスのレオカレス原作による「ベルヴェデーレのアポロンBelvedere Apollo」は、1499年アンティウムのネロの夏の離宮から発見され、「エスクィリーノのヴィーナスEsquiline Venus BC1c」はエスクィリーノの丘から発見された。ミケランジェロは「ベルヴェデーレのトルソBelvedere Torso」を研究し天井画に応用した。
古代ローマの皇帝ネロ(54-68)や皇帝ハドリアヌスは、ギリシア文化を愛した。ネロはギリシア彫刻を愛しコレクションを所蔵していた。ネロはギリシア彫刻を集め宮殿に並べていた。古代彫刻の数々の傑作「ラオコーン」「エスクィリーノのヴィーナス」「ベルヴェデーレのアポロン」は、ネロのコレクションのなかにあった。ネロはパラティヌスの丘からカピトリヌスの丘まで「渡り宮殿」(ドムス・トランシトリア)を建設したが、ローマが大火で炎上し、廃墟の跡に「黄金宮殿」(ドムス・アウレア)を建設した。エスクィリヌスの丘は、黄金宮殿の跡である。ネロは美を追求した。美に溺れ、美的趣味を探求した詩人皇帝である。
6、メディチ家とプラトン・アカデミー
15世紀に蘇った哲学はプラトン哲学である。1439年7月6日フィレンツェ公会議で、コジモ・デ・メディチはギリシア人哲学者プレトンの講義をきき、プラトン哲学の奥義に感銘をうけ、「アカデミア・プラトニカ」(プラトン・アカデミー)を構想した。コジモは、1462年マルシリオ・フィチーノにプラトンの原典とカレッジの別荘を与え、プラトン全集の翻訳を依頼した。コジモは1464年に死ぬ。しかしフィチーノは1477年に完成した。ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)は1492年死に、プラトン・アカデミーの思想家たちは、1498年までに次々と死ぬ。だが、フィレンツェから始まったルネサンスはヨーロッパ文化史に深い影響を与えた。*
アカデミア・プラトニカは「美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンに捧げられた集まり」である。*フィレンツェ・プラトン主義の愛と美の哲学はミケランジェロたちルネサンスの藝術家に影響を与えた。「魂の美は、肉体における美より美しい」「魂の眼は肉眼が老いる時やっと輝き始める」*
7、プラトン哲学の奥義
プラトン・アカデミーの思想家が学んだプラトン哲学の奥義は、魂の哲学と美の哲学である。「魂は不死不滅である」。「本質は眼で見ることができない」「本質は心の眼によってのみ見ることができる」。「魂の美が存在する」「魂の美は、肉体における美より美しい」。魂と本質の哲学である。プラトン哲学の影響は、フィチーノ『プラトン神学』『饗宴注解』に顕著である。*
8、ルネサンスの終焉、メディチ家追放、サヴォナローラの死
ロレンツォがピコの助言により招いたサヴォナローラに欺かれ裏切られる。サヴォナローラは、間諜=工作員(死間『孫子』用間編)である。シャルル8世のフィレンツェ侵攻(1494年)を予言。1494年、メディチ家、フィレンツェから追放される。「虚飾の焼却」1498年、ルネサンスの藝術、焼かれる。サヴォナローラ、法王アレクサンデル6世を批判、怒り受け破門。1498年5月23日、シニョーリア広場にて処刑される。16世紀、ミケランジェロのマニエリスムの時代、17世紀、カラヴァッジョのバロックの時代が始まる。マニエリスムの藝術家は、フィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)を駆使する。*
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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*ミケランジェロ『ダヴィデ=アポロ』(1530) フィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)
ミケランジェロ『ダヴィデ=アポロ』Michelangelo,Davide=Apollo(1530)にはミケランジェロ彫刻の特徴となる要素が全て詰まっている。「大理石でできている。そして、コントラポストのポーズをとっているが、それ以上にミケランジェロ独特のフィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)という螺旋状の曲がりくねる動きが見られる。このポーズは彼の絵画『聖家族』でも用いられ、その他の多くの芸術家たちも真似をしている。マニエリスムの藝術家たち。ミケランジェロは、レオナルドと同様、解剖学を研究してその結果を背中や腰の筋肉に反映している。この作品は未完成である。ミケランジェロの作品には、大理石の欠陥や彼自身の思いによって未完のものが多くある」第3章ミケランジェロについて描かれた絵画や文献から彼自身の人間性について。「大理石の塊の中には、すでに潜在的に完成された像が内包されており、自由になるのを待っている。彫刻家はその像を解放するのだ」とミケランジェロは言っていた。それは、「人間の魂が肉体の束縛から解放されて、魂の世界に到達できる」という新プラトン主義の考えと共通する」ルドヴィーカ・セブレゴンディ、報道内覧会にて2018年6月18日
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参考文献
大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」2013
大久保正雄「魂の美學 プラトンの対話編に於ける美の探究」上智大学1993
大久保正雄「ギリシア悲劇とプラトン哲学の迷宮 ―ことばの迷宮―」2010
大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説と詩のことば―」2011
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー2016
https://t.co/yxlgRpwirV
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
https://bit.ly/2kSINKR
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館、レオナルド「レダと白鳥」
https://t.co/K67IitKt5r
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
(cf.清水純一『ルネサンス 人と思想』、イヴァン・クルーラス『ロレンツォ豪華王 ルネサンスのフィレンツェ』)
(cf.アンドレ・シャステル『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』)
(プラトン『饗宴』)
ミケランジェロ『ピエタ』1498-1500ミケランジェロ『ダヴィデ』1504ミケランジェロ『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』1526-31ミケランジェロ『勝利』1526-30ミケランジェロ『ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ』1524-31
『階段の聖母』1492『ケンタウロスの戦い』1492『バッカス』1497『フィレンツェのピエタ』1547-1553『ロンダニーニのピエタ』1564『聖家族』1507
「ミケランジェロと理想の身体」図録、国立西洋美術館2018
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★「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館、2018年6月19日-9月24日
「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術
https://bit.ly/2KFGXvc
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