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2018年2月の記事

2018年2月23日 (金)

「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」・・・光の画家たちの光と影

Buhrle2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第137回
印象派の画家は、光り輝く絵画を描いた。しかし、壮絶な人生を生きた人が多い。藝術家と運命の戦いがある。光陰の中から、運命の女神があらわれる。
ルノワール『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像』(1880年)は、ルノワール39歳の作品、イレーヌは8歳。ルノワールは1879年魂の伴侶アリーヌ・シャリゴと出会う。
■クロード・モネ ヴェトゥイユとカミーユの死 ジヴェルニーにて86歳で死す。
モネは1870年代後半、さまざまな困難に逢う。作品は高値で売れず、生活は困窮する。1877年、最愛の妻カミーユの健康が悪化、モネの支援者エルネスト・オシュデが破産する。1878年次男ミシャエルが生まれるが生活は苦しく、8月オシュデ一家とともにヴェトゥイユに移り住む。1879年9月5日、カミーユが32歳の若さで死去する。赤いひなげしの花束を抱えた白いドレスの女と、少年たち。*クロード・モネ「ヴェトゥイユ郊外のひなげし畑」1879年。モネはジヴェルニーにて86歳で死す。
■ゴッホ アルルと「日没を背に種まく人」
ゴッホは、なぜ耳を切ったのか。なぜ拳銃自殺したのか。ゴッホを追いつめたものは何か。
1888年ゴッホ、アルルに移り住む。35歳。10月「黄色い家」でのゴーギャンとの共同生活を始める。1888年12月23日「耳切り事件」(35歳)。1年2か月アルルに住む。36歳でサン・レミの病院に移り住む。1890年(37歳)、5月、ゴッホ、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズに移る。医師ガシェが主治医になる。7月27日、拳銃自殺を図る。7月29日テオに看取られて永眠。オーヴェール=シュル=オワーズにて37歳で死す。
*ゴッホ「日没を背に種まく人」1888年。ゴッホ、1888年夏から秋「種まく人」の主題に集中的に取り組む。1880年クエムでミレー「種まく人」の素描を画いた。
■ポール・ゴーギャン 再びタヒチへ、ヒヴァ・オワ島にて最晩年の時
1891年4月、ゴーギャンは文明社会を逃れるため、パリを離れ、タヒチに向かう。ゴーギャンは、首都パペーテからマタイエアに移り住む。マタイエアで出会う人々と暮らし、鮮烈な色彩で幻想あふれる作品を数多く生みだした。1893年8月、パリに帰国する。1895年9月、再びタヒチに戻る。1901年9月、ヒヴァ・オワ島に移り住み、最晩年の時を過ごす。ポリネシアの黄金の色調に魅了された。ヒヴァ・オワ島にて54歳で死す。*ポール・ゴーギャン「贈りもの」1902年
■ジャン・オーギュスト・ルノワール 魂の伴侶アリーヌ・シャリゴ 78歳まで描きつづける
1879年、ルノワール38歳の時、18歳年下の魂の伴侶アリーヌ・シャリゴと出会う。1890年に『田舎のダンス』(1883)のモデルを務めたアリーヌ・シャリゴと結婚、家庭を築く。
1870年代からルノワールは富裕な人々の知遇を得る。「可愛いイレーヌ」1880ルノワール39歳の作品、イレーヌは8歳。パリのユダヤ人銀行家の伯爵の長女。(Irène Cahen D'Anvers)。*ルノワール『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像』(1880年)。
ルノワールは、自身の名声を確立、富裕になったが、1902年からリュウマチの発作に見舞われる。最晩年は、1915年アリーヌなき後、孤独と戦い、リュウマチの苦しみに苛まれながら、「バラ色の譜調」のヌードを描いた。1919年、カーニュ=シュル=メールにて78歳で死す。*ルノワール『泉』1906年、ルノワール65歳の作品。
■ポール・セザンヌ エクスとパリ
セザンヌは、1839年、南仏エクス・アン・プロヴァンスで生まれる。銀行家の父の勧めでエクス大学で法学を学ぶが画家の夢を絶ち難く、パリに行く。エクスとパリを生涯にわたって往復した。1880年代をエクス・アン・プロヴァンスで暮らしたセザンヌ。1888年から99年まで、パリで制作に没頭する。エクスにて67歳で死す。*ポール・セザンヌ「赤いチョッキの少年」(1888-90年)は最高傑作。1886年、父の遺産を相続して制作に没頭する。プロヴァンスにて67歳で死す。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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参考文献
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 印象派編
http://bit.ly/2vfh8dP
http://bit.ly/2zgVKGe
ハーヨ・デュヒティング『ジョルジュ・スーラ-1859—1891 点に要約された絵画- 』タッシェン・ジャパン2000
パスカル・ボナフー『ゴッホ―燃え上がる色彩』知の再発見双書
「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」・・・藝術家と運命の戦い
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/cat22457171/index.html
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-2d7c.html
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」図録2018
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展示作品の一部
ピエール=オーギュスト・ルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」1880年
ポール・セザンヌ「赤いチョッキの少年」1888-90年
クロード・モネ「ヴェトゥイユ郊外のひなげし畑」1879年
クロード・モネ「陽を浴びるウォータールー橋、ロンドン」1899-1901年
クロード・モネ「ジヴェルニーのモネの庭」1895年
アルフレッド・シスレー「ハンプトン・コートのレガッタ」1874年
エドゥアール・マネ「ベルヴュの庭の隅」1880年
ピエール=オーギュスト・ルノワール「泉」1906年
フィンセント・ファン・ゴッホ「日没を背に種まく人」1888年
ポール・ゴーギャン「贈りもの」1902年
クロード・モネ「睡蓮の池、緑の反映」(1920/1926年頃)
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スイスの大実業家エミール・ゲオルク・ビュールレ(1890-1956年)は、生涯を通じ絵画収集に情熱を注いだ傑出したコレクターとして知られています。主に17世紀のオランダ絵画から20世紀の近代絵画に至る作品、中でも印象派・ポスト印象派の作品は傑作中の傑作が揃い、そのコレクションの質の高さゆえ世界中の美術ファンから注目されています。 この度、ビュールレ・コレクションの全ての作品がチューリヒ美術館に移管されることになり、コレクションの全体像を紹介する最後の機会として、日本での展覧会が実現することとなりました。
本展では、近代美術の精華といえる作品64点を展示し、その半数は日本初公開です。絵画史上、最も有名な少女像ともいわれる《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)》、スイス国外に初めて貸し出されることになった4メートルを超えるモネ晩年の睡蓮の大作など、極め付きの名品で構成されるこの幻のコレクションの魅力のすべてを、多くの方々にご堪能いただきたいと思います。
http://www.nact.jp
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★「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館、2月14日-5月7日
九州国立博物館、2018年5月19日(土) ~ 7月16日(月・祝)
名古屋市美術館、2018年7月28日(土) ~ 9月24日(月・祝)

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