茶の湯、東京国立博物館・・・信長はなぜ本能寺で殺されたのか
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
茶の湯、東京国立博物館・・・曜変天目、漆黒の闇のなかに輝く瑠璃色の星
桜満開の森を歩いて、春爛漫の博物館に行く。曜変天目を再びみる。足利義政、織田信長、千利休、松平不昧、天下の武将や茶人たち。天下の名画、名碗は歴史の波瀾の波を流転した。
戦国の趣味人は、茶会に何を求めたのか。天下布武、安土城、茶の湯。本能寺茶会。織田信長は、新しい価値観を創造した。
信長はなぜ本能寺で殺されたのか。
曜変天目茶碗、幻想的な虹色の斑紋、瑠璃色の輝き、青と藍、漆黒の闇の宇宙。
曜変天目茶碗は、天下の名器天目茶碗のうち、最上級とされる。(『君台観左右帳記』)八代将軍、足利義政が愛した天目茶碗。足利義政が愛した「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」。
*曜変天目茶碗、建窯、12世紀、南宋時代(静嘉堂文庫蔵)は、三代将軍家光から稲葉家に下賜された。
織田信長が所持した天下の唐物肩衝茶入「初花」「新田」。「遠浦帰帆図」牧谿筆(南宋時代・13世紀)は、足利義満の鑑蔵印「道有」があり、のちに織田信長が所持した。
牧谿「観音猿鶴図」「遠浦帰帆図」、「廬山図」玉澗筆。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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永遠を旅する哲学者、時を超え黄昏の丘を超えて、美へ旅する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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信長はなぜ本能寺で殺されたのか
織田信長と茶会・・運命の本能寺
【織田信長と茶会】天下布武
1567年、信長は、本拠地を小牧山城から稲葉山に移転し、古代中国、周王朝の文王が岐山によって天下を平定したのに因んで城と町の名を「岐阜」と改めた。この頃から信長は「天下布武」の朱印を用いるようになる。
岐阜城には、山のふもとに迎賓館を作り、山の上に茶室を作る。銀閣寺「漱蘚亭」にならった。*
1568年、10月2日、堺に矢銭を課した織田信長に抗戦しようとする町衆を今井宗久らが説得。この日、今井宗久は、織田信長に、松島茶壺、紹鴎茄子を献上。
1569年、織田信長、丹羽長秀、松井友閑らに命じて、洛中洛外の茶器の名物狩り。
1571年、元亀二年、織田信長、東福寺にて茶会を催す。茶頭は、今井宗久。この年、比叡山焼き討ち。
1574年天正二年、4月3日、織田信長、相国寺にて茶会を催す。蘭奢待を千利休、山田宗及に下賜する。
千利休は51歳の1573年、1574年(52歳)、1575年(53歳)に、織田信長主催の京都の茶会に参加。茶会は宴会。利休は、信長と48歳、1570年、出会う。
羽柴秀吉、柴田勝家、池田恒興、丹羽長秀などの織田家臣、茶の湯に励む。
1576年(天正4年) 1月、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始。1579年(天正7年)5月、完成した天主に信長が移り住む。
運命の本能寺茶会
織田信長は、肩衝茶入「天下の三肩衝」(さんかたつき)を集めるため、本能寺にて、茶会を催す。2つは織田信長が持っていた。*
*「天下の三肩衝」といわれる「楢柴」「初花」「新田」。
博多豪商の島井宗室が「楢柴」をもっていた。
信長の5軍団のうち、明智光秀軍以外の4軍団は京都にいない。信長は70人の供の者だけであった。
【織田信長 最期の茶会】1582年(天正十年)6月1日、本能寺にて信長が茶会を催す。
利休60歳。信長48歳。1582年6月1日、本能寺にて信長が自慢のコレクションを一同に披露する盛大な茶会が催される。この夜、信長は明智光秀の謀反により、多数の名茶道具と共に炎に散った。
【本能寺の変】天正十年、6月1日夜。明智光秀、謀反の原因。怨恨説、野心説、黒幕説。
怨恨はあり得ない。小和田哲男、谷口克広『集中講義』P.166
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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若き織田信長、苦闘の日々
病の織田信長を、弟信行が謀反を企て、信長は返り討ち
弘治三1557年、11月2日、病の織田信長を、弟信行が謀反を企て、清州城で返り討ちする。誅殺。家臣、池田氏。池田恒興らが殺害。信長24歳の時。
池田恒興の子、池田輝政が、姫路城大改修(1601—1609)。5層7階の連立式天守を完成。
1557年、生駒家宗の娘、芳野との間に嫡男、信忠、幼名、奇妙丸を得る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
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織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
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織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
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若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
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曜変天目の再現に挑む陶芸家は、非業の死を遂げる。
なぜ陶芸家たちは、このあまりに高い壁に魅せられ、挑んでゆくのか。 京都の桶谷寧氏は「曜変は世界に残された神秘性の最後の砦」。制作方法は全くの謎、多くの日本の陶芸家が、妖しい宇宙に迫ろうと心血を注いでいる。林 恭助氏は曜変天目に挑み続けている。
*曜変天目茶碗、建窯、12世紀13世紀、南宋時代。東山文化、足利政義の時代から伝世。
★参考文献
曜変天目復元に挑む(2002/10/19日経新聞)
曜変天目誕生の謎に迫る(2004/11/13朝日新聞)
ひと 林 恭助さん(2007/3/16朝日新聞)
曜変の光に魅了され 謎の制作方法に挑む陶芸家たち(2007/6/17朝日新聞)
安藤 堅著『碗の中の宇宙』(2003年9月 新風書房)
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展示品の一部
油滴天目(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)、国宝
大井戸茶碗 銘 喜左衛門(京都・孤篷庵蔵)、国宝。
志野茶碗 銘 卯花墻、国宝(三井記念美術館蔵)
天下の唐物肩衝茶入「初花」。「遅桜」
黄天目、珠光天目
白天目、竹茶杓
室町幕府8代将軍、足利義政が愛した「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」(ばこうはん)。
織田信長から贈られた柴田勝家所持の「青井戸茶碗 銘 柴田」。歴史上の著名人に所縁ある茶碗。
青磁輪花茶碗「銘 馬蝗絆」(東京国立博物館蔵)重要文化財
青井戸茶碗「銘 柴田」(根津美術館蔵)重要文化財、織田信長から贈られた柴田勝家所持。
本阿弥光悦作「黒楽茶碗 銘 時雨」
赤楽茶碗「銘 無一物」(兵庫・頴川美術館蔵)重要文化財、楽焼の始祖、長次郎が作った。千利休好み。
黒楽茶碗「銘 時雨」長次郎(名古屋市博物館蔵)重要文化財
「遠浦帰帆図」牧谿筆(南宋時代・13世紀)京都国立博物館蔵、重要文化財
本図を含む瀟湘八景図は、中国の洞庭湖に注ぎ込む瀟水と湘水一帯の景勝を描いたもの。足利義満の鑑蔵印「道有」があり、のちに織田信長が所持した。
「廬山図」玉澗筆、中国 南宋時代・13世紀、岡山県立美術館蔵(4月11日〜5月7日)重要文化財
牧谿にならぶ中国の著名な画家の一人、日本で高く評価されてきた禅僧画家、玉澗の名品。かつて佐久間将監が茶掛けに合うように裁断したというエピソードがある。
「紅白芙蓉図」李迪筆、南宋時代・慶元3年(1197)国宝、東京国立博物館蔵。南宋の画院画家、李迪による花の絵。1日で白から紅に色を変える酔芙蓉を瑞々しく繊細に描く。
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流転の絵画、牧谿
牧谿「観音猿鶴図」大徳寺、国宝。長谷川等伯「枯木猿猴図」、数々の猿猴図に影響を与えた。牧谿「遠浦帰帆図」。
足利義満から織田信長まで、愛された画家、牧谿。宋末から元初の画僧。蜀 の人。
牧谿『瀟湘八景図』は、足利義満が切断した。『煙寺晩鐘図』は、13代将軍足利義輝を暗殺した松永久秀の手に渡り、続いて彼を降伏させた織田信長、徳川家康の元へ、権力の推移と伴に流転した。
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茶の湯、東京国立博物館
2017年4月11日(火) ~ 2017年6月4日(日)
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