フォト
無料ブログはココログ

« ティツィアーノとヴェネツィア派・・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス | トップページ | 偉大なる王家、骨肉の争い クレオパトラ、アレクサンドロス  »

2017年2月15日 (水)

戦国武将、織田信長 骨肉の抗争

Nambanbyoubu_kanounaizen_lisbon_2Nobunaga_2戦国武将、織田信長 骨肉の抗争
王家、武将、藝術家、骨肉の争い、殺し合い、相続をめぐる争い
戦国時代。陰謀、裏切り、だまし討ち、下剋上、何でもありの乱世。
理念を追求する人は、天のために戦う。
美しい魂は、生死をのり超えて、美しい理念を探求する。美の化身となる。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する不滅の魂の神殿に旅する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
―――――
■織田信長 織田信秀の葬儀、弟信行の暗殺 23歳天才の出発
織田信長(1534、5月12日—1582、6月2日)は、尾張国の古渡城主・織田信秀(永正5年1508年—天文20年3月3日1551年4月8日)の嫡男である。
織田信長は、嫡男であったが、家臣団は、弟の信行を次期当主にしようとした。弟の信行は、信長を騙して相続しようとした。このため、信長は、家臣に命じて弟の信行を謀殺した。
■織田信長、大うつけ
織田信長は、「大うつけ」で有名だった。既成の価値観にとらわれず、形式主義と階級を嫌った。伝統習慣、常識、階級、既成概念に囚われない。常識はずれの人であった。既成の価値観にとらわれず、革新性に溢れていた。
奇妙な服装、異様な振る舞い。これが、既存体制、アンシャンレジームの破壊、「天下布武」へと向かう。
■織田信秀の葬儀
織田信秀は、43歳で亡くなる。
天文20年(1551年)、「父信秀の葬儀の際、兄信長は仏前で抹香を投げつけるという不行跡を示した。」対して、勘十郎信勝(=信行)は「折目高なる肩衣・袴めし候て、あるべきごとくの御沙汰なり」(『信長公記』)。正装をして礼儀正しく振舞っており、対照的であった。
*織田信行(1536—1557)、信勝から、達成、信成、信行。名を変える。
1557年弘治2年11月2日、信長が病気との報を受け、柴田勝家に「信長殿を騙して譲り状を書かせてしまえば信友殿もいない今、織田家はあなたのものです」と諭された。
清洲城へ信長の見舞いに行ったが、織田信長は河尻秀隆ら(あるいは池田恒興)に殺害を命じて、清洲城北櫓天主の次の間で、織田信行(織田信勝)は暗殺された。(享年22歳) *「織田信長を謀殺しようとして返り討ちにあい、織田信長の目の前で自刃した」説もある。
■父を殺害
戦国時代、斉藤義龍、大友宗麟、伊達政宗は、父を殺害し、家督を相続している。
■父を幽閉
伊達晴宗は、対立した父植宗を幽閉した。1542年、天文の乱である。
■兄弟の権力争い
織田信長、伊達政宗、今川義元、毛利元就、最上義光は、兄弟の権力争いが発生し、兄弟を殺害に追い込む。
■桓武天皇、弟、早良親王を冤罪で追放
奈良時代末期、桓武天皇は、早良親王を権力の座を狙っていると邪推し追放。殺された早良親王。早良親王は、無実の罪に憤慨して憤死した。延暦4年(785年)、造長岡宮使、藤原種継暗殺事件に連座して廃され、乙訓寺に幽閉された。無実を訴えるため絶食、淡路国に配流された。
死後、平城京に祟った。桓武はその祟りを怖れ、早良親王を「崇道天皇」と追称、都を安京に移した。
―――――
■人質にされた徳川家康
徳川家康は、織田家の人質であった。後の徳川家康、松平竹千代は岡崎城主・松平広忠の長男として生まれるが、松平家は弱小な一地方豪族だった。臣従していた今川家に人質として送られることになったが、道中で略奪され、今川家と争っていた織田家の人質となる、織田家の人質時代に信長と交流があった。
―――――
★参考文献
大久保正雄「戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹」
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
http://bit.ly/2kJdW0C
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
https://t.co/CT3F3RZN2H
才能を見つける能力に卓越した織田信長 伯楽は常にはあらず
https://t.co/HNvwfmygMQ
若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
http://bit.ly/2lB5DIn
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/FmdQyofuL9
―――――
★狩野内膳「南蛮屏風」「南蛮人渡来図」(1570~1616)
★織田信長
★狩野永徳「洛中洛外図」1565
★カラヴァッジオ「ホロフェルネスの首を斬るユディト」1599
★ベラスケス「ブレダの開城」1635
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
2017年2月15日

« ティツィアーノとヴェネツィア派・・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス | トップページ | 偉大なる王家、骨肉の争い クレオパトラ、アレクサンドロス  »

戦国時代」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2347669/69613428

この記事へのトラックバック一覧です: 戦国武将、織田信長 骨肉の抗争:

« ティツィアーノとヴェネツィア派・・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス | トップページ | 偉大なる王家、骨肉の争い クレオパトラ、アレクサンドロス  »

最近のトラックバック

ウェブページ

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31