2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

« 色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊 | トップページ | レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』、レオナルド最後の旅 »

2016年9月 7日 (水)

『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅

Lorenzo_de_medici_vasari_4
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第95回
『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』

『孫子』、戦略、時代と場所を超える知恵の結晶
孫子の思想の本質は、戦わずして勝つこと。敵の計略を見ぬくことである。
「兵は凶器である」司馬遷『史記』
軍の凶器をあやつって、敵を封じ、生き残ること
「兵は国の大事にして、生死の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」『孫子』計篇
『孫子』は、群雄割拠する春秋戦国時代に書かれた戦略の書である。
『孫子』は、春秋戦国時代(BC770—BC221)の兵家の書。
『孫子』の著者は、孫武と孫武の子孫、斉に仕えた孫臏の二人とされる。司馬遷『史記』。
孫武は、執念と無念の人、呉王の軍師となる。孫臏は、臥薪嘗胆の人、数奇な人生を生きた。孫武は、春秋時代の人。孫臏は、戦国時代の人である。
紀元前515年頃、孫武本人によって原形が著される。紀元前350年頃、子孫の孫臏により、現行『孫子』に近い形に形成される。と推定されている。

上兵は謀を伐つ。「ゆえに上兵は謀をうつ、その次は交をうつ、その次は兵をうつ、その下は城を攻む、城を攻むるの法はやむを得ざるがためなり」『孫子』謀攻篇
 最も高等な戦争の方法は「敵の陰謀をうちに破ること」、その次に上等なのは「敵と同盟国との外交を破る分断」、その次は「敵軍を破ること」。そして、最も悪いことは「敵の城を攻めること」で、それはやむを得ず行うものである。
「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。」『孫子』謀攻篇

★「敵の計略を見抜くことほど、指揮官にとって重要なことはない。他国を強くする者は、自国を弱くする者である。」(マキアヴェッリ『君主論』)

【ロレンツォ・デ・メディチとシクストゥス4世の抗争】
【稀代の謀略家】教皇シクストゥス4世(1471-1484)の陰謀を討ち、【フィレンツェ包囲網】1478を解くため、ロレンツォは、ナポリ王と会談。ナポリ王は、ロレンツォの心に感銘し、包囲を解く。

【敵の計略を見ぬく】
ギリシア人の智慧、最高の戦略家、テミストクレス
【ペルシア戦争】紀元前490年、第2次ペルシア戦争後、アテナイの天才的戦略家テミストクレスだけは、10年後に襲来するペルシア帝国の攻撃を見とおした。準備を始め全市民を避難させ、命を守った。
テミストクレスの提案により、婦女子をトロイゼンに疎開させ、アテナイを敵の攻撃にさらした。アクロポリスは、ペルシア軍に踏みにじられた。 (cf.プルタルコス『対比列伝』「テミストクレス伝」「ペリクレス伝」、ヘロドトス『歴史』第7巻、第8巻、トゥキュディデス『戰史』第1巻)
★Cf.「テミストクレスの決議碑文」1958年、トロイゼンのカフェニオンで発見された。トロイゼンへの疎開決議を刻した碑文。

【敵のなかに滅亡装置を潜ませる】
【トロイの木馬】トロイア戦争において、ギリシア勢の攻撃が手詰まりになってきたとき、オデュッセウスが、木馬を作って人を潜ませ、それをイーリオス市内に運び込ませることを提案した。欺かれたトロイア人たちは木馬を引いて市内に運び込んだ。
ラーオコオーンとカッサンドラーが市民たちを諫め木馬に槍を投げつけた。
(cf.トリピオドーロス『トロイア落城』)
―――――――
『孫子』十三篇
【計篇】序論。戦争を決断する以前に考慮すべき事柄について。
【作戦篇】戦争準備計画について。
【謀攻篇】実際の戦闘に拠らずして、勝利を収める方法について。
【形篇】攻撃と守備それぞれの態勢について。
【勢篇】上の態勢から生じる軍勢の勢いについて。
【虚実篇】戦争においていかに主導性を発揮するかについて。
【軍争篇】敵軍の機先を如何に制するかについて。
【九変篇】戦局の変化に臨機応変に対応するための9つの手立てについて。
【行軍篇】軍を進める上での注意事項について。
【地形篇】地形によって戦術を変更すること。
【九地篇】種類の地勢について説明し、それに応じた戦術。
【火攻篇 】火攻め戦術について。
【用間篇】「間」とは間諜。スパイ。敵情偵察の重要性について。
―――
メディチ家年代記 メディチ家礼拝堂の幽明境
https://t.co/jfr10GQn6W
大久保正雄『地中海紀行』59回P20
至高の戦略家、テミストクレス ギリシア人の知恵
テミストクレスの決議文、トロイゼンで発見された大理石碑文
ヴォロマンドラのクーロス
https://t.co/T9feAYy0rz
大久保正雄『地中海紀行』第33回P22
★アクロポリスの丘
★Lorenzo de Medici,Vasari
,Bronzino
★『孫子≪兵法≫大伝』中国歴史大河ドラマ

★参考文献
中嶋浩郎『図説 メディチ家』
アカデミア・プラトニカは「美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンに捧げられた集まり」(アンドレ・シャステル『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』)
金谷治『新訂孫子』岩波文庫2000
酒見賢一『中国雑話 中国的思想』文春新書2007
孫崎享『日本人のための戦略的思考入門』2010
浅野裕一訳『孫子』講談社学術文庫1997
湯浅邦弘訳『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 孫子・三十六計』角川文庫ソフィア 2008
大久保正雄2016年9月7日

« 色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊 | トップページ | レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』、レオナルド最後の旅 »

国家戦略」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅:

« 色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊 | トップページ | レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』、レオナルド最後の旅 »