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2016年9月の記事

2016年9月25日 (日)

蘇るアクロポリスの少女、アルカイックの微笑み、二千年の眠り

Kore_of_acropolis_2Ookubomasao110大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第100回アクロポリスの少女
蘇るアクロポリスの少女、アルカイックの微笑み、二千年の眠り

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

蘇るアクロポリスのコレー
古アテナ神殿、ヘカトンペドンは、紀元前480年、アケメネス朝ペルシアがアテナイを占拠し、アクロポリス全体とともに完全に破壊される (ヘロドトス『歴史』8.53)。アクロポリスのコレーは神殿に捧げられていたが、ペルシア戦争(BC480)の後、アクロポリスの岩盤に埋められた。19世紀末、ドイツ考古学隊によって発見されるまで、土の中に眠っていた。
【ペルシア戦争】
第1次ペルシア戦争、BC492年、ペルシア軍遠征、アトス岬でギリシアを破る。
第2次ペルシア戦争、BC490—88年、ペルシア軍遠征、マラトンの戦いでアテネに破れる。
第3次ペルシア戦争、BC480年、ペルシア軍遠征、クセルクセス王が襲来する。ペルシアによって、アクロポリスが破壊される。テルモピュライの戦いでレオニダス王を破る。サラミスの海戦で、アテナイ海軍に敗れる。
BC479年、プラタイアイの海戦で、アテナイは、ペルシア帝国を破る。ペルシア軍、退却する。
【天才的戦略家、テミストクレス】
BC482年、ラウレイオン銀山の鉱脈が発見された時、ペルシア戦争の勃発を予知したテミストクレスは、アテナイ艦隊の三段櫂船200隻の建造を提案した。全市民を撤退させることを計画した。トロイゼン、サラミス他の都市に市民を避難させる。二千年後、1959年、トロイゼンで大理石に刻まれたテミストクレスの決議碑文が、発見された。テミストクレスは、天才的戦略家、雄大な構想をもつ指揮官である。サラミスの海戦でテミストクレスの予見は、実現した。
パルテノン神殿が、アクロポリスの丘に建設され、エレクテイオン神殿が建設され、ギリシア美術は、古典様式、厳格な様式、艶麗な様式、ヘレニズム様式へ変容した。
BC387プラトンがアカデメイアを創設。紀元前336年、フィリッポスは、アレクサンドロスの妹の結婚式で、王妃オリュンピアスと王子アレクサンドロスに、謀殺され47歳で死んだ。BC334アレクサンドロス大王がペルシア遠征に向かい、BC330ペルシア帝国を滅亡、BC323アレクサンドロスの帝国が滅び、AD529東ローマ帝国ユスティニアヌス皇帝、プラトンのアカデメイアを閉鎖。AD476西ローマ帝国が滅び、AD1453ビザンティン帝国が滅び、AD1918ハプスブルク帝国カール1世が滅びた。
19世紀末、エレクテイオン神殿の土中から「アクロポリスのコレー」発見される。
二千四百年の時が流れ、地中からアルカイックの微笑みが蘇る。

■アクロポリスのコレー
アテナ古神殿、ヘカトンペドン (「百尺の間」)神殿に、ドーリア式ペプロス、イオニア式ヒュマティオンを纏ったコレーが奉納された。
■ヘカトンペドン(アテナ古神殿) Hekatompedon
紀元前6世紀、ペイシストラトスの時代、アテナイオン神殿ヘカトンペドン(アテナ古神殿)が、アクロポリスの丘、アテナの聖域に、創建された(BC570—550年建立)。BC 570年建立。アルカイック様式。BC 520年ペイシストラトスの息子らが立て直した。
アテナイオン神殿は、アルカイックの微笑みを湛えた彫刻、「仔牛を荷う人(モスコフォロス)」Moscophoros,BC560年、「アクロポリスのコレー(少女)」Kore of acropolis,BC530年が神殿に奉納され、アテナ女神像が破風彫刻に置かれた。アルカイック様式の微笑みに満ちた神殿である。
アルカイックの微笑みを湛えた彫刻は「ヴォロマンドラのクーロス」Kouros of Voromandra,BC560がある。青年の墓標として建てられた。
■アルカイックの微笑み
古代ギリシアのアルカイック様式の彫刻は、純粋な微笑みを湛えている。不思議な純粋な美がある。ヘレニズム時代の『ミロのヴィーナス』には、憂いがある。
ギリシアのアルカイック様式の彫刻は、純粋な美である。ローマ彫刻、皇帝アウグストゥス像の容姿と比べれば一目瞭然である。ローマ皇帝の狡猾な容姿は醜悪である。
醜悪なハプスブルク家の皇帝たちは、金と地位で貧乏人の女を買う富裕層の目つきである。
飛鳥白鳳時代の彫刻には、アルカイックの微笑みがある。中宮寺『半跏思惟像』、法隆寺『救世観音』『夢違い観音』(7世紀飛鳥時代)を思い浮かべる。ルネサンス時代、レオナルド派『レダ』(1505—10)、『若いモナリザ』(1503—06)に、アルカイックの微笑みを観るのは、詩人と哲学者だけではない。アルカイックの微笑みの本質は何か。解かれるべき謎である。
ヒエロニムス・ボッシュ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『いかさま師』の目つきは、教皇、現代人の政府高官、官僚、学者、言論人の容貌である。
■パルテノン神殿Parthenon、アクロポリスの建築家たちBC448年
パルテノン神殿は、ペリクレス時代、フェイディアスを総監督として、建設された。アクロポリスの丘の建築は、紀元前448年パルテノン神殿の起工から、ペロポネソス戰爭の最中も継続され、BC 407年エレクテイオン神殿の完成まで、40年に亙って行われた。
■カリアティデス(女人柱) BC407
エレクテイオン神殿は、紀元前421年に起工し、407年完成した。カリアティデス(6体の女人柱)は、このとき建設された。
建築家イクティノスは、バッサイのアポロン・エピクリオス神殿(紀元前440-420年)を設計、エレウシスの聖域にテレステリオン(秘儀堂)を設計した。アテナイと外港ペイライエウスを結ぶ長壁は、ペリクレスによって提案され、カリクラテスによって建設された。さらにペリクレスは、オデイオン(音樂堂)の建設を推進した。
■Parthenon
ドイツ考古学研究所 (German Archaeological Institute) は、1885年から1890年にパルテノン神殿を調査した。この時、エレクテイオンから、コレーが発見された。
Panagiotis Kavvadias of 1885–90. The findings of this dig allowed Wilhelm Dörpfeld, then director of the German Archaeological Institute
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https://en.wikipedia.org/wiki/Parthenon
https://en.wikipedia.org/wiki/Hekatompedon_temple
―――――
ギリシア文明年代記 蘇るアクロポリスの少女
https://t.co/FkPE97ItOd
大久保正雄『地中海紀行』60回P25
ペイシストラトス家とアルクマイオニダイ家の戦い アクロポリスの戦い
ヴォロマンドラのクーロス 死者に献げる供物 子牛を担う人 BC560年
https://t.co/aO3Ia9hN2F
ペロポネソス戰爭 落日の帝国 アクロポリスの建築家たち
https://t.co/izBaPk6g8r
至高の戦略家、テミストクレス ギリシア人の知恵
テミストクレスの決議文、トロイゼンの大理石碑文
https://t.co/T9feAYy0rz
テミストクレスとペルシア帝国の戦争 ギリシアの偉大と退廃
https://t.co/I5UyvXOH2A
紀元前336年、フィリッポスは、アレクサンドロスの妹の結婚式で、王妃オリュンピアスと王子アレクサンドロスに、謀殺された。王位継承問題のため。
マケドニア王国 フィリッポス2世の死
https://t.co/xcCI2H0le5
王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
https://t.co/GqhV2l84wK
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画像
★「ヴォロマンドラのクーロス」Kouros of Voromandra,BC560
★「仔牛を荷う人(モスコフォロス)」Moscophoros,BC560年
★「アクロポリスのコレー(少女)」Kore of acropolis,BC530年
★Parthenon,acropolis athens
★Hekatompedon,acropolis athens
★中宮寺『半跏思惟像』飛鳥時代7世紀、法隆寺『救世観音』『夢違い観音』飛鳥時代7世紀
★レオナルド派『レダ』(1505—10)、『若いモナリザ』(1503—06)
★参考文献
馬場恵二『サラミスの海戦』人物往来社1968
馬場恵二『ギリシア・ローマの榮光』講談社1985
桜井万里子・本村凌二『ギリシアとローマ』中央公論社1997
ダイアナ・バウダー編『古代ギリシア人名事典』原書房1994
トゥキュディデス久保正彰訳『戦史』岩波文庫1966-67
ヘロドトス松平千秋訳『歴史』岩波文庫1971-72
アリストテレス村川堅太郎訳『アテナイ人の国制』「アリストテレス全集」第15巻、岩波書店1973
プルタルコス河野與一訳『プルタルコス英雄伝』全12巻、岩波文庫1952-1956
馬場恵二訳プルタルコス「テミストクレス伝」
村川堅太郎編『プルタルコス』世界古典文学全集23筑摩書房1966
プルタルコス『対比列伝』「テミストクレス伝」「ペリクレス伝」「アルキビアデス伝」「デモステネス伝」
プルタルコス河野与一訳『プルタルコス英雄伝』岩波文庫1956
村川堅太郎編『プルタルコス』世界古典文学全集23筑摩書房1966
アッリアノス『アレクサンドロス大王東征伝』『インド誌』岩波文庫2001
大牟田章『アレクサンドロス大王』清水書院1976
森谷公俊『アレクサンドロス大王 世界征服者の虚像と実像』講談社選書メチエ2000
森谷公俊『王妃オリュンピアス アレクサンドロス大王の母』筑摩書房1998
森谷公俊『王宮炎上 アレクサンドロス大王とペルセポリス』吉川弘文館2000
ポンペイウス・トログス/クイントゥス・ユスティヌス合阪學訳『地中海世界史』京都大学学術出版会1998
森谷公俊『興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話』講談社2007
本村凌二『興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国』講談社2007
ピエール・ブリアン桜井万里子監修『アレクサンダー大王』創元社1991知の再発見双書
エディット・フラマリオン『クレオパトラ』創元社知の再発見双書
トゥキュディデス 久保正彰訳『戰史』岩波文庫1966-67
ヘロドトス松平千秋訳『歴史』岩波文庫1971-72
クセノポン佐々木理訳『ソクラテスの思い出』1-18岩波文庫1953
アリストテレス村川堅太郎訳『アテナイ人の国制』「アリストテレス全集」第15巻、岩波書店1973
村田數之亮『ギリシア美術』新潮社1974
村田數之亮『ギリシア』河出書房新社1968
澤柳大五郎『アッティカの墓碑』グラフ社1989年
太田秀通『ポリスの市民生活』生活の世界歴史〈3〉河出文庫)
大久保正雄2016年9月25日

2016年9月22日 (木)

李白 旅する詩人 美への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第99回李白
李白 旅する詩人 美への旅

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

桃花流水杳然として去る。別に天地の人間に非ざる有り。
両人対酌して山花開く。
玉階に白露生じ、玲瓏秋月を望む。
この地一たび別れをなし、孤蓬万里にゆく、浮雲遊子の意
孤帆の遠影碧空に尽き、唯見る長江の天際に流るを。
詩の一句、断片を一瞥しただけで、異空間に誘われる。
中国最高の詩人であり、世界最高の詩人。李白。
李白の詩の美の秘密は、どこにあるのか。

【李白の謎】
李白は、世に出る道をふさがれ、10代から20代、蜀の各地を放浪した。放浪、隠遁志向を持ち、旅を続けた。
天宝元年(742年)から1年半、玄宗皇帝の宮廷に仕え、都長安に留まる。しかし、皇帝の宮廷の阿諛追従の世界に倦み、再び、放浪の旅に出る。
人は旅をする。人が旅をするには、理由がある。
諸行無常、盛者必滅、奢れるものは久しからず。空海は、魂の果てを探検する探求者(沙門)である。
李白は、水に映った月を手に取ろうとして、水に墜ちて死んだといわれるが、伝説である。
李白が旅をつづけ、求めていたものは何か。

美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。
美は真であり、真は美である。地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

【李 白】701年(長安元年)- 762年10月22日(宝応元年9月30日)61歳。
中国盛唐の詩人。字は太白。号、青蓮居士。詩が爛熟した帝国唐、唐代のみならず、中国詩歌史上において、杜甫とともに最高の存在とされる。自由奔放で変幻自在な詩風。「詩仙」と称される。
李白を天才絶となす、白居易を人才絶となす、李賀を鬼才絶となす。『南部新書』
鬼才李賀の句、「幽蘭の露、啼ける目のごとし」「恨血千年、土中の碧」、詩の片鱗から李賀を想起する。
詩の王国、中国史上最高の詩人、李白は、生涯旅した隠者である。旅をした理由は何か。

【天からこの世にやって来た詩人】
天から流されてこの世にやって来た仙人と呼ばれ「酒中の仙」とみずから称した。
李白は4人の妻を持った。最初に娶ったのは吊門の末裔と言われる「許夫人」一男一女が生まれている。第二「劉夫人」離婚している。第三が「魯の一婦人」。山東省。第四が「宗夫人」梁園(河南省商丘)の人、財力もあった。
【李白観瀑】
李白は、詩2000篇を書いた。李白の名作は、数限りない。『月下独酌』、「蜀道難」「将進酒」「廬山の瀑布を望む」「横江詞」。【李白観瀑図】は、よく画人の絵に描かれる。
李白は、詩2000篇を書いたが、制作時期がわかるものは少ない。
「李白一斗詩百篇」李白は酒を一斗欽んで、詩を百篇書いた。杜甫『飲中八仙』
【李白と月】
李白は、水に映った月を手に取ろうとして、水に墜ちて死んだといわれるが、伝説である。
李白が旅をつづけ、求めていたものは何か。

★李白詩選
「山中問答」李白
問余何意棲碧山
笑而不答心自閑
桃花流水杳然去
別有天地非人間

山中問答 李白
余に問ふ何の意ありてか碧山に棲むと、笑って答へず心自から閑なり。
桃花流水杳然として去る。別に天地の人間に非ざる有り。

「山中与幽人対酌」李白
両人対酌山花開
一杯一杯復一杯
我酔欲眠卿且去
明朝有意抱琴来
両人対酌して山花開く。
一杯一杯復た一杯。
我酔いて眠らんと欲す桂且らく去れ。
明朝、意有らば琴を抱きて来たれ。

★「玉階怨」李白
玉階生白露、
夜久侵羅襪。
却下水精簾、
玲瓏望秋月。
玉階に白露生じ、 夜久しくして羅襪を侵す。
却下す水精(すいしゃう)の簾、玲瓏秋月を望む。

★「送友人」李白
青山橫北郭
白水遶東城
此地一爲別
孤蓬萬里征
浮雲遊子意
落日故人情
揮手自茲去
蕭蕭班馬鳴
友人を送る
青山(せいざん) 北郭(ほっかく)に横たわり
白水 東城をめぐる
この地一たび別れをなし、孤蓬万里にゆく、浮雲遊子の意
落日故人の情
手をふるひて ここより去れば
肅肅として班馬鳴く

★「黄鶴楼送孟浩然之広陵」李白
故人西辞黄鶴楼
烟花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽
唯見長江天際流
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る 李白
故人西のかた黄鶴楼を辞し、
烟花三月揚州に下る。
孤帆の遠影碧空に尽き、唯見る長江の天際に流るを。
★雪舟『山水長巻』1496
★長安、桂林、麗江古城
★Metaora,Greece
★参考文献
松浦友久『李白詩選』岩波文庫1997
アーサー・ウェイリー、小川環樹・栗山稔訳『李白』岩波新書1972
井波律子『奇才と異才の中国史』岩波新書
井波律子『中国の隠者』文春新書
井波律子『中国文章家列伝』
武部利男『李白』上下巻、岩波書店「中国詩人選集7・8」1958新版1990
武部利男『李白』筑摩書房、世界古典文学全集1972
高島俊男『李白と杜甫』講談社学術文庫1997
大久保正雄2016年9月22日

2016年9月16日 (金)

ハプスブルク帝国、ヴェラスケス、黄昏の光芒

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第98回
ハプスブルク帝国、ヴェラスケス、黄昏の光芒

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿がある。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

ヴェラスケスをめぐる人々。フェリペ4世、マリアナ王妃、ルーベンス、王女マルガリータ。イタリアの愛人。『鏡のヴィーナス』1551、ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』。
旅したイタリアは、ヴェラスケスを魅了し続ける。ヴェラスケスは、スペイン宮廷とイタリアの夢の国を揺れ動く。
『白衣の王女マルガリータ』『ラス・メニーナス』1556
画いて、4年後、61歳で死す。
沈みゆく太陽、ハプスブルク帝国、ヴェラスケス、栄光の光芒。朽ちていくスペイン。

【ディエゴ・ヴェラスケス】Diego Velázquez (1599-1660)
1623年、24歳の若さで国王フェリペ4世の王直属の画家。33年間の宮廷画家、官僚生活、嫌悪していた。61歳で死ぬ。心筋梗塞。
1629年、1648年、2回のイタリア旅行。

【フェリペ4世】Felipe IV, 1605 在位1621—65
【ルーベンス】Peter Paul Rubens 1577—1640 フランドルのバロック画家、外交官。
1628年、外交官ルーベンス、マドリッド訪問。美術愛好家フェリペ4世により、宮廷内にアトリエを与えられる。ヴェラスケス、ルーベンスに教えを受ける。
ヴェラスケス、1628年ルーベンスに「ヴェネツィア派ティツィアーノ」の偉大さを教えられる。
【スペイン・ハプスブルク家】フェリペ4世、絵画コレクション。ヴェラスケス、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ
【ハプスブルク家】ヴェラスケス、ハプスブルク家の醜い容貌を偽装する。「狩猟服姿のフェリペ4世」1634
【ハプスブルク家の異様な容貌】鷲鼻、顎が突出する醜悪な、下顎前突症Proganathism。ヴェラスケス、王家の容貌を偽装して粉飾。
1648年から1651年【イタリア旅行】ヴェラスケス、1648年から1651年までイタリア旅行。ローマ滞在、「ヴィラ・メディチの庭園」描く。
ヴェラスケス、イタリアの愛人をモデルに『ヴィーナスの化粧』(『鏡のヴィーナス』)(1647~1651年)を描く。
ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』の影響受ける。
【イタリア旅行】ヴェラスケス、2度目のイタリア旅行(1647~1651年)。不自由なスペインに帰国したくなかった。
【ハプスブルク家】ヴェラスケス、イタリア旅行から帰国。5歳の王女マルガリータを描く。最高傑作『ラス・メニーナス』1656
【ハプスブルク家】王女マルガリータ・テレサ・デスパーニャ1651—1673
Margarita Teresa D’Espagna, 1651—1673
王女マルガリータ、14歳で結婚、21歳で死ぬ。ヴェラスケスの死後13年、1673年、死去。

【ハプスブルク家】ヴェラスケス、イタリアの自由な文化を愛し、スペインの階級社会、宗教を嫌悪する。1651年帰国後、死ぬまで『王女マルガリータ』を描く。
ヴェラスケスは、『王女マルガリータ』を1653年から1660年まで描く。ウィーン美術史美術館に3枚存在する。
【ハプスブルク家】ヴェラスケス、宮廷画家の立場上、虚偽を造形する。ハプスブルク家の下顎前突症(Prognathism)を虚飾で粉飾する。
1652年に、ヴェラスケス、王宮の鍵をすべて預かる王宮配室長、重職に任用され官僚として頂点を極める。
1660年、ヴェラスケス、宮廷官僚として61歳で急死。最高傑作『ラス・メニーナス』制作後4年。
最高傑作『ラス・メニーナス』。原題『王の家族』
フェリぺ4世夫妻の目から見た、ヴェラスケス工房の王の家族と従者の光景。

『狩猟服姿のフェリペ4世』1634
『ヴィラ・メディチの庭園』1647年から1651年
『鏡のヴィーナス』(1647~1651年)
『白衣の王女マルガリータ』1556
『ラス・メニーナス』1556
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ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
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★Diego Velázquez,Las Meninas,1556『ラス・メニーナス』
★Diego Velázquez, Margarita Teresa
★Diego Velázquez,
大久保正雄2016年9月16日

2016年9月13日 (火)

地中海の壮麗な都、ローマ帝国、アテネ、ペルシア帝国

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第97回
地中海の壮麗な都、ローマ帝国、アテネ、ペルシア帝国

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

ローマ帝国は、2世紀、トラヤヌス帝の時代、最大の版図となる。
ペルシア帝国の最盛期を築いたダレイオス王は、BC6世紀、ペルセポリスを創建した。
ハプスブルク家は、神聖ローマ帝国皇帝、カール5世の時、最大の版図。ヨーロッパの3分の2を支配する。
アテネは、ペイシストラトスの時代、アテナ古神殿(ヘカトンペドン)が建設され(570年建立)。
ペリクレス時代、パルテノン神殿が建設される。(BC448年—BC407)

■ローマ帝国は、2世紀、トラヤヌス帝時代、最大の版図に達し、西の涯てヒスパニアから東の涯てシリア砂漠のパルミュラ、ティグリス河まで、北はブリタニアから南はエジプトまで、夷荻蛮族を征服し地中海帝国を築いた。帝国の隅々まで道路網を築き、すべての道はローマに通じた。ヒスパニアからシリア砂漠まで、地中海世界に、華麗なヘレニズム様式の建築に彩られたローマ都市を築いた。
■ペルセポリス、ペルシア帝国、ダレイオス王、
ペルシア帝国の最盛期を築いたダレイオス王は、ペルシア発祥の地パサルガダイを離れ、ペルセポリスを創建した。ペルシア王カンビュセス2世は、紀元前525年エジプトを制圧し第26王朝を滅ぼしペルシア系の第27王朝を樹立したが、ダレイオス王は、エジプト遠征の時、テーベのカルナック神殿を見て、アメン神殿、大列柱室から学び、ペルセポリスを構想し、大階段、ペルシア門、謁見宮殿(アバダナ)、百柱の宮殿、中央宮殿を築いた。
■アテナイオン神殿、アテナ古神殿(ヘカトンペドン)
ペイシストラトスは、武力によって僭主(独裁者)の地位を獲得したが、藝術の保護に努め、神殿を建てた。アテナイは祝祭都市となり、悲劇が誕生した。
紀元前6世紀、ペイシストラトスの時代、アテナイオン神殿ヘカトンペドン(アテナ古神殿)が、アクロポリスの丘、アテナの聖域に、創建された(570年建立)。
アテナイオン神殿は、アルカイックの微笑みを湛えた彫刻、仔牛を荷う人(モスコフォロス)、アクロポリスのコレー(少女)が神殿に奉納され、アテナ女神像が破風彫刻に置かれた。アルカイック様式の微笑みに満ちた神殿であった。
ペイシストラトスの時代には、紀元前566年に創始されたパンアテナイア祭が国の祭儀として体育や音樂の競技会が行なわれるようになった。また、紀元前534年大ディオニュシア祭が国の祭儀として導入され、ディオニュソス劇場がアゴラに木で作られ、悲劇が誕生した。
■パルテノン神殿、BC448年—BC407
アクロポリスの建築家たち
アクロポリスの丘の建築は、紀元前448年パルテノン神殿の起工から、ペロポネソス戰爭の最中も継続され、BC 407年エレクテイオン神殿の完成まで、40年に亙って行われた。  
パルテノン神殿は、彫刻家フェイディアスの総監督のもとに紀元前448年に起工、建築家イクティノスが設計し、建築家カリクラテスが施工した。破風彫刻が432年に完成され、パルテノン神殿が完成した。
プロピュライア(前門)は、ムネシクレスが設計し、紀元前438年起工、431年に未完ながら竣工された。アテナ・ニケ神殿は、紀元前448年建築家カリクラテスが設計、完成したのは421年である。
■カリアティデス(6体の女人柱) BC407
エレクテイオン神殿は、紀元前421年に起工し、407年完成した。
建築家イクティノスは、バッサイのアポロン・エピクリオス神殿(紀元前440-420年)を設計、エレウシスの聖域にテレステリオン(秘儀堂)を設計した。アテナイと外港ペイライエウスを結ぶ長壁は、ペリクレスによって提案され、カリクラテスによって建設された。さらにペリクレスは、オデイオン(音樂堂)の建設を推進した。
―――――
壮麗の都ローマ フォルム・ロマヌム、皇帝広場、コロッセウム
https://t.co/QKaajPjFDr
地中海都市の美と壮麗 ペルシア帝国、フィリッポス2世の夢
https://t.co/oKtlyKbLMx
ペイシストラトス家とアルクマイオニダイ家の戦い アクロポリスの戦い
ヴォロマンドラのクーロス 死者に献げる供物 子牛を担う人 BC560年
https://t.co/aO3Ia9hN2F
ペロポネソス戰爭 落日の帝国 アクロポリスの建築家たち
https://t.co/izBaPk6g8r
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
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★地中海、The Mediteraean

大久保正雄2016年9月13日

2016年9月10日 (土)

レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』、レオナルド最後の旅

Da_vinci_madonna_with_the_yarnwinde大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第96回
レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』、レオナルド最後の旅

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

春雷の鳴る午後、桜咲く道を散歩して、博物館に行く。『糸巻きの聖母』を編集長と一緒にみる。春の川は黄昏の光をうけ、春の海ひねもすのたりのたり。幻のレオナルド『レダ』を求めて、ヨーロッパの古城を探索した日々。失われた時の思い出。私は魂の果てを探求したが、魂には果てがない。哲学者は永遠を旅する。美への旅。アルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェの中庭で流れる水の囁きを聴き、ロワールの古城をめぐりレオナルドの孤影に逢い、フォンテーヌブローの森の貴族の館で幻の『レダ』をみる。ロレンツォの弟ジュリアーノ・デ・メディチは、レオナルドの唯一のメディチ家の庇護者だった。森のなかの城館で、夢の中にロレンツォとジュリアーノが立ち現われ、プラトン哲学の奥義を語る。「汝の敵はだれか、考えよ。汝の敵は師だ。化けの皮を被ったいかさま師だ」。私は敵がだれか察知した。違いが分かる人が創造的世界を作る。偽物は世界を腐敗させる。ルネサンスは、コジモ・デ・メディチがプラトン哲学の奥義を受けた時(1439) *に始まる。メディチ家は運命の扉を開いた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』
■レオナルド最後の旅
3枚の絵画、『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』『聖アンナと聖母子』
『糸巻きの聖母』(1501)はフランス王ルイ12世の秘書官フロリモン・ロベルテによって発注され、ブロワ城に渡る(1507)。レオナルド(1452-1519)とフランス王家との接触の始まりである。
ルネサンスに魅せられたフランソワ1世
1516年秋、メルツィとサライを連れてアンボワーズ城(Château d'Amboise)に移り住む。「主席画家、技師、並びに建築家」の称号をアンボワーズの宮廷で与えられる。レオナルド64歳。フランソワ1世(1494-1547)は、『聖アンナと聖母子』の下絵に彩色させるために、レオナルドをフランスに呼んだ。
1517年10月10日、レオナルドは、訪問した枢機卿ルイジ・アラゴーナに3枚の絵を見せる。『ジュリアーノ・メディチ(1479-1516)*のために描かれたあるフィレンツェの婦人の肖像』(モナリザ1503-1505)*『洗礼者聖ヨハネ』(Leonardo,San Giovanni,1514)『聖アンナと聖母子』(1510)。1519年4月23日付け遺言書のなかで、レオナルドは「画家の技術と仕事に関するすべての道具類と肖像画」をフランチェスコ・メルツィ(1493-1570)に遺贈する。メルツィは最後まで師と行動をともにする。★*レオ10世の弟ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ。
フランスに残された絵画
『岩窟の聖母』(1483-1486 louvre)
『岩窟の聖母』(Vergine delle Rocce, louvre)は、1483-1486年の間に制作されたが、注文主の満足を得ることができず、その結果、ルイ12世が1500-1503年頃に作品を取得した。
フランソワ1世コレクションに所蔵される。(louvre HP)
ヴァザーリ『藝術家列伝』は「フランス王にみとられてレオナルドは亡くなった」と書くが、フランソワ1世はサンジェルマン・アン・レーにいて会えなかった。
レオナルド派『レダ』(1506)
レオナルド『レダ』(Leonardo,Leda,1506*)は、フォンテーヌブロー宮殿に17世紀まで所蔵された。所蔵品目録に1692,1694まで記録がある。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』より
★主な展示作品
『糸巻きの聖母』(1501) バクルー版 Leonardo, Madonna with yarnwinder
レオナルド派、ロンバルディアの画家『洗礼者聖ヨハネ』1530-1535年、カポディモンテ美術館、Leonardo, San Giovannni,Capodimonte
★「レオナルド・ダ・ヴィンチ」天才の挑戦「糸巻きの聖母」
2016年1月16日(土) ~4月10日(日)、江戸東京博物館
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
★【城から消えたダ・ヴィンチ ~「糸巻きの聖母」の数奇な旅~】
02月11日(木) 08:15 ~08:59【NHK総合テレビ】
レオナルド・ダ・ヴィンチの「糸巻きの聖母」の数奇な旅。イギリス・ノーサンプトンシャー地方に、現在の「糸巻きの聖母」の所有者 第10代バクルー公爵リチャード・スコットがいる。ボートンハウスはバクルー公爵家が所有する館のひとつで、「イギリスのベルサイユ」とも称される。バクルー公爵家の歴史をたどると、フランスの縁の深いレイフ・モンタギューへと繋がる。この館にはフランスから渡ってきた品が数多く残されている。公爵家が所蔵するコレクションは英国王室のコレクションに並び称される。
その中には、レンブラントの「読書する老女」など世界的に知られる名作があり、レオナルド・ダ・ヴィンチの「糸巻きの聖母」も含まれる。
レオナルド・ダ・ヴィンチは「モナ・リザ」など数々の名作を残したが「糸巻きの聖母」は、彼が49歳と円熟期に描いた作品。レオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館館長(*アレッサンドロ・ヴェッツォシ)はこの絵に、巨匠の哲学や精神が込められていると話す。イタリア・フィレンツェ。この街にはルネサンスという大輪の花が咲いた。ウフィツィ美術館にはルネサンス期を代表する芸術家の石像が並ぶ。
1507年「糸巻きの聖母」は、フランス王ルイ12世の側近の手に渡る。フランス国王が居城としていたブロワ城。ここでの聖母と国王についての記録が残っていた。レオナルドはその後、国王に招かれ、晩年をフランスで過ごした。
★『糸巻きの聖母』(1501) ランズダウン版Leonardo, Madonna with yarnwinder
★『糸巻きの聖母』(1501) バクルー版Leonardo, Madonna with yarnwinder 
★レオナルド『洗礼者聖ヨハネ』1513-1516、ルーヴル美術館、Leonardo, San Giovannni,Louvre
★参考文献
アレッサンドロ・ヴェッツォシ『レオナルド・ダ・ヴィンチ』知の再発見双書
ケネス・クラーク『レオナルド・ダ・ヴィンチ』
池上英洋『レオナルド・ダ・ヴィンチ』小学館2007
中嶋浩郎『図説 メディチ家』河出書房新社
大久保正雄2016年9月10日

2016年9月 7日 (水)

『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第95回
『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』

『孫子』、戦略、時代と場所を超える知恵の結晶
孫子の思想の本質は、戦わずして勝つこと。敵の計略を見ぬくことである。
「兵は凶器である」司馬遷『史記』
軍の凶器をあやつって、敵を封じ、生き残ること
「兵は国の大事にして、生死の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」『孫子』計篇
『孫子』は、群雄割拠する春秋戦国時代に書かれた戦略の書である。
『孫子』は、春秋戦国時代(BC770—BC221)の兵家の書。
『孫子』の著者は、孫武と孫武の子孫、斉に仕えた孫臏の二人とされる。司馬遷『史記』。
孫武は、執念と無念の人、呉王の軍師となる。孫臏は、臥薪嘗胆の人、数奇な人生を生きた。孫武は、春秋時代の人。孫臏は、戦国時代の人である。
紀元前515年頃、孫武本人によって原形が著される。紀元前350年頃、子孫の孫臏により、現行『孫子』に近い形に形成される。と推定されている。

上兵は謀を伐つ。「ゆえに上兵は謀をうつ、その次は交をうつ、その次は兵をうつ、その下は城を攻む、城を攻むるの法はやむを得ざるがためなり」『孫子』謀攻篇
 最も高等な戦争の方法は「敵の陰謀をうちに破ること」、その次に上等なのは「敵と同盟国との外交を破る分断」、その次は「敵軍を破ること」。そして、最も悪いことは「敵の城を攻めること」で、それはやむを得ず行うものである。
「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。」『孫子』謀攻篇

★「敵の計略を見抜くことほど、指揮官にとって重要なことはない。他国を強くする者は、自国を弱くする者である。」(マキアヴェッリ『君主論』)

【ロレンツォ・デ・メディチとシクストゥス4世の抗争】
【稀代の謀略家】教皇シクストゥス4世(1471-1484)の陰謀を討ち、【フィレンツェ包囲網】1478を解くため、ロレンツォは、ナポリ王と会談。ナポリ王は、ロレンツォの心に感銘し、包囲を解く。

【敵の計略を見ぬく】
ギリシア人の智慧、最高の戦略家、テミストクレス
【ペルシア戦争】紀元前490年、第2次ペルシア戦争後、アテナイの天才的戦略家テミストクレスだけは、10年後に襲来するペルシア帝国の攻撃を見とおした。準備を始め全市民を避難させ、命を守った。
テミストクレスの提案により、婦女子をトロイゼンに疎開させ、アテナイを敵の攻撃にさらした。アクロポリスは、ペルシア軍に踏みにじられた。 (cf.プルタルコス『対比列伝』「テミストクレス伝」「ペリクレス伝」、ヘロドトス『歴史』第7巻、第8巻、トゥキュディデス『戰史』第1巻)
★Cf.「テミストクレスの決議碑文」1958年、トロイゼンのカフェニオンで発見された。トロイゼンへの疎開決議を刻した碑文。

【敵のなかに滅亡装置を潜ませる】
【トロイの木馬】トロイア戦争において、ギリシア勢の攻撃が手詰まりになってきたとき、オデュッセウスが、木馬を作って人を潜ませ、それをイーリオス市内に運び込ませることを提案した。欺かれたトロイア人たちは木馬を引いて市内に運び込んだ。
ラーオコオーンとカッサンドラーが市民たちを諫め木馬に槍を投げつけた。
(cf.トリピオドーロス『トロイア落城』)
―――――――
『孫子』十三篇
【計篇】序論。戦争を決断する以前に考慮すべき事柄について。
【作戦篇】戦争準備計画について。
【謀攻篇】実際の戦闘に拠らずして、勝利を収める方法について。
【形篇】攻撃と守備それぞれの態勢について。
【勢篇】上の態勢から生じる軍勢の勢いについて。
【虚実篇】戦争においていかに主導性を発揮するかについて。
【軍争篇】敵軍の機先を如何に制するかについて。
【九変篇】戦局の変化に臨機応変に対応するための9つの手立てについて。
【行軍篇】軍を進める上での注意事項について。
【地形篇】地形によって戦術を変更すること。
【九地篇】種類の地勢について説明し、それに応じた戦術。
【火攻篇 】火攻め戦術について。
【用間篇】「間」とは間諜。スパイ。敵情偵察の重要性について。
―――
メディチ家年代記 メディチ家礼拝堂の幽明境
https://t.co/jfr10GQn6W
大久保正雄『地中海紀行』59回P20
至高の戦略家、テミストクレス ギリシア人の知恵
テミストクレスの決議文、トロイゼンで発見された大理石碑文
ヴォロマンドラのクーロス
https://t.co/T9feAYy0rz
大久保正雄『地中海紀行』第33回P22
★アクロポリスの丘
★Lorenzo de Medici,Vasari
,Bronzino
★『孫子≪兵法≫大伝』中国歴史大河ドラマ

★参考文献
中嶋浩郎『図説 メディチ家』
アカデミア・プラトニカは「美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンに捧げられた集まり」(アンドレ・シャステル『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』)
金谷治『新訂孫子』岩波文庫2000
酒見賢一『中国雑話 中国的思想』文春新書2007
孫崎享『日本人のための戦略的思考入門』2010
浅野裕一訳『孫子』講談社学術文庫1997
湯浅邦弘訳『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 孫子・三十六計』角川文庫ソフィア 2008
大久保正雄2016年9月7日

2016年9月 5日 (月)

色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第94回
色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊

友よいとしの我が友よ、色香ゆかしき白百合の心の花と咲き出でし世に香ぐはしく馨るらむ*
幽冥界、生と死の境、黄昏の樹林で、亡き友を思い出すときがある。なぜか、強烈な郷愁を感じる。雪月花の時、最も君を憶う。美しい魂をもつ人に祈りをささげる。

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』

相思樹の樹々わたりゆく風の音 亡友の声かと耳澄まし聞く
学半ば逝きにし学友を 偲びつつ詠みつぎゆかむ相思樹の詩
生きよとも哀しめよとも、相思樹の黄花こぼるる 現し身吾に
★上江洲慶子『歌集 相思樹の譜』

■友よいとしの我が友よ
友よいとしの我が友よ、色香ゆかしき白百合の心の花と咲き出でし世に香ぐはしく馨るらむ
★沖縄県立第一高等女学校校歌
■戦争の悲劇【ひめゆり学徒隊】
ひめゆり学徒隊は、15歳から19歳の女学生、看護婦として陸軍病院で働き、摩文仁野で集団自決した。
沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の女学生、二百四十名のうち、百三十六名が戦死する悲劇の中で、ひめゆり学徒隊は働き続けた。
闇夜に「ふるさと」の歌
波が打ち寄せる絶壁の上で、輪になって座っていた女性とたちはしくしく泣き出した。深夜だった。「もう一回、太陽の下を大手を振って歩いてから死にたいね」。輪の中の1人がそうつぶやくと、まもなくだれからともなく「ふるさと」の歌が始まった。(『琉球新報』)
★Leonardo, Isleworth Mona Lisa,1503
★藤野一友『抽象的な籠』1964
★参考文献
1. 上江洲慶子『歌集 相思樹の譜』
田中章義「歌鏡」『サンデー毎日』2014.7.6号、P55
2. [81 女学生の集団自決(1)]「太陽見て死にたい」琉球新報2010年3月2日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-158594-storytopic-215.html
3.映画『あゝひめゆりの塔』吉永小百合 1968、日活
4.ひめゆり学徒隊平和記念資料館
5.「ふるさと」文部省唱歌
一 夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷
二 雨に風につけても
思いいずる故郷
三 志を果たして いつの日にか帰らん
山は青き故郷 水は清き故郷
6.聖母(マドンナ)たちのララバイ
さあ 眠りなさい 疲れきった身体を投げ出して 青いその瞼を 唇でそっとふさぎましょう。ああ できるのなら生まれ変わり あなたの母になって 私のこの命さえ 投げ出してあなたを守りたいのです。この街は戦場だから 男はみんな傷を負った戦士 どうぞ心の痛みを拭って 小さな子供の昔にかえって 熱い胸に甘えて。
大久保正雄2016年9月4日

2016年9月 4日 (日)

伊藤若冲、千載具眼の徒をまつ、動植綵絵、彼方への旅

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第93回
伊藤若冲、千載具眼の徒をまつ、動植綵絵、彼方への旅

花吹雪、花も嵐も踏み越えて、緑深い森を歩いて、美術館に行く。牡丹、躑躅、紫の花咲く。春爛漫、花の匂い漂う森。永遠を旅する哲学者は、守護精霊の豹に導かれて、智慧の羅針盤の指す方向に、歩いていく。新緑の森を森の奥へ、白いドレスの女は森を彷徨い歩く。『老松鸚鵡図』の鸚鵡のように。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
瞬間の中に、永遠の今、生命の宇宙と個の宇宙の融一。戦国武将の競争世界を生きてきた、旅する哲学者。陥れる策略、謀反、嫉妬、詐欺、詭計、殺意うずまく階級社会、生き残りをかけて戦い敗れた日々。蘇る哲学者。
伊藤若冲は40歳の時、隠居して絵の道に専念する。40歳の時から『動植綵絵』を10年の歳月をかけて完成する。一族の永代供養のために。
愚者よ、外見で無用と決める愚かさに気づけ。「大盈若沖、其用不窮」『老子』。恨血千年土中碧、恨みの血は千年地中に凝結し碧玉となる。花ゆらゆら夕べに散る。森の残照。
見果てぬ夢を見る人は、どのように希望をつなぐのか。「千載具眼の徒を竢つ」(若冲)。千年の後、具眼の士が現われるのを待つ。と絵師はいう。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
―――――
■若冲は35歳の時、相国寺にて、僧、大典顕常(1719年—1801年)に出会う。売茶翁(1675年—1763年)とも出会う。若冲という名を得る。伊藤若冲は40歳の時から『動植綵絵』を10年の歳月をかけて完成する(宝暦7年頃1757年から明和3年1766年)。人知れず隠れて、寺院の秘密の部屋で超絶技巧を磨き貫き、技を駆使して、革新的技法、創造的芸術を探求した。裏彩色、色彩の魔術師。8万6千の方眼の中に描かれている極彩色の屏風、『鳥獣花木図屏風』。枡目描きは、西陣織物商、金田忠兵衛がいた。
若冲の超絶技巧の超細密画、微細な生きものの神秘な世界。マクロコスモスとミクロコスモスの調和、宇宙と小宇宙の融一を観照する。寺院の秘密の部屋。
―――――
■永遠を旅する哲学者は、千年後に具眼の士が現われるのを待つ。旅する哲学者は、瞬間の永遠、永遠の今のなかに、美と真理を探求する。美は真であり、真は美である。詩人の魂は、怨みにある。李白の美の源泉は、恨みである。
若冲が『動植綵絵』で追求したものは何か。作品を評価してくれる人が現れるまで千年待つ。天上の宇宙と心の中の宇宙。天上の宇宙と心の中の宇宙。若冲は、生きものの神秘と美に魅入られたのか。若冲の絵画『動植綵絵』の方法とは何か。「内容なき思考は空虚であり、概念なき直観は盲目である」「いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、わが天上の星の輝きと我が心の内なる道徳律」。内なる宇宙は、何を志向したのか。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』より
―――――
■伊藤若冲、謎の生涯
伊藤源右衛門(若冲)(1716-1800)、京都の富裕な青物問屋に生まれ23歳で家業を継ぎながら、40歳で次弟に家督を譲り、異常に緻密な細密画に生涯没頭したのはなぜか。84歳まで、絵画を追求した若冲。相国寺、大典に出会い、人生が一変する。師なき領域で独創的藝術を探求した。
南蘋派の絵師、鶴亭に影響を受けて1000点に及ぶ中国絵画の臨写(模写)をするが、模写を止め独創性を追求する。「旭日鳳凰図」(1755)から始まる創造的藝術の探求。
若冲は10年の歳月をかけて『動植綵絵』『釈迦三尊像』『釈迦三尊像』を描き、京都、相国寺に寄進した。
*『動植綵絵』「群鶏図」「老松孔雀図」「老松鳳凰図」「牡丹小禽図」「雪中錦鶏図」「芍薬群蝶図」、鳥、植物、微細な生きものの輝く宇宙。
――――――
★主要作品
『動植綵絵』全30幅(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)、『釈迦三尊像』3幅、相国寺。(宝暦7年頃1757年から明和3年1766年)
伊藤若冲『象と鯨図屏風』紙本墨画 六曲一双 寛政9年(1797年)MIHO MUSEUM
大阪西福寺蔵『仙人掌群鶏図襖絵』(重要文化財)。金地の襖の上に描かれた鶏とサボテンの極彩色の美。「若冲の鶏」。
『菜蟲譜』(佐野市立吉澤記念美術館)。青物問屋の長男として生まれた若冲の動植物への愛情があふれ出ている作品。横10メートル以上に及ぶ作品の中に98種類の野菜、果物、そして56種類の昆虫が描かれている。若冲の画力とユーモア。
『百犬図』(個人蔵)、縦1.4メートルの大画面に、様々な表情と容姿の犬が描き込まれた。
重要文化財『葡萄小禽図襖絵』『松鶴図襖絵』(金閣鹿苑寺)、重要文化財『蓮池図』(西福寺)。
『鳥獣花木図屏風』(18世紀、プライス・コレクション) *日本美術史上、最も謎に満ちた作品*
―――――
★若冲屏風
★3点の若冲屏風に作者帰属問題がある。*『白象群獣図』( 1772-87年個人蔵)、*『樹花鳥獣図屏風』(18世紀、六曲一双・紙本著色、各137.5×355.6cm)静岡県立美術館
*佐藤康宏(東京大学教授)は「樹花鳥獣図屏風」を「工房作」、「鳥獣花木図屏風」を「作者不明の模倣作」と指摘した。若冲作とされる桝目描きの作品は、ほかに「白象群獣図」がある。白象は若冲作とした。
*(佐藤康宏「若冲・蕭白とそうでないもの」『美術史論叢』2010東京大学)
*「若冲屏風」は本人の作? 朝日新聞2010/05/01
―――――
★若冲展の歴史
*没後200年「若冲展」京都国立博物館、平成12年(2000)
*「若冲ワンダーワールド」、MIHO MUSEUM、2009年9月1日(火)~ 12月13日(日)
*プライスコレクション 若冲と江戸絵画、東京国立博物館、2006年7月4日(火) ~ 2006年8月27日(日)、
*愛知県美術館、2007年4月13日(金)~ 6月10日(日)
*伊藤若冲アナザーワールド、千葉市美術館、2010年5月22日(土) ~ 6月27日(日)
*「皇室の名宝 日本美の華」、若冲『動植綵絵』、東京国立博物館、2009年10月6日~11月3日
*「若冲展」、相国寺承天閣美術館、2007年5月13日-6月3日
*「Kawaii 日本美術」山種美術館、伊藤若冲《樹花鳥獣図屏風》(静岡県立美術館)、2014年2月4日(金)~3月2日(日)
*「若冲と蕪村」生誕三百年同い年の天才絵師、サントリー美術館、2015年3月18日(水)~5月10日(日)「象と鯨図屏風」伊藤若冲筆 六曲一双、右隻左隻寛政9年(1797) MIHO MUSEUM蔵、「白象群獣図」個人蔵
*わが名は鶴亭―若冲、大雅も憧れた花鳥画、神戸市美術館
「桐に鳳凰図」鶴亭筆 宝暦3年(1753年)個人蔵
2016年4月9日(土)~5月29日(日)
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/main.html
―――――
★若冲展 生誕300年記念、東京都美術館
2016年4月22日(金)~5月24日(火)
http://www.tobikan.jp/
★参考文献
*狩野博幸『その絵師、若冲なり』2016
辻惟雄『奇想の系譜』1970
『若冲展 生誕300年記念』図録、東京都美術館2016
大久保正雄2016年9月4日

2016年9月 1日 (木)

新古今歌人、悲恋の花、式子内親王、西行、美への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第92回新古今歌人
新古今歌人、悲恋の花、式子内親王、西行、美への旅

美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

★■【逢ひて逢はぬ恋】『新古今和歌集』の悲恋の歌
【逢ひて逢はぬ恋】、逢はぬ恋、見ぬ恋、忍ぶ恋。有限な人間のかなわぬ恋の歌。自由奔放な人の心と人間社会の葛藤の果てに生まれる歌。悲恋の歌の背後には、新古今歌人の悲恋がある。人の運命との戦いが、悲恋である。
玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする 新古今 恋一 1034

定家と式子内親王 秘められた恋
■式子内親王、忍ぶ恋 玉の緒よ絶えなば絶えね
式子内親王
生年不詳*久安五~建仁一(1149~1201)
後白河天皇の第三皇女。加茂神社の斎院、のち出家。
玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする 新古今 恋一 1034
式子内親王は斎院(賀茂神社に奉仕する未婚の皇女)であり、藤原定家とは身分が遥かに違い、かつ生涯独身でなければならない身であった。
題詠通り「忍恋」であったことは想像に難くない。★

■新古今歌人、西行(佐藤義清)の謎 
鳥羽院の北面武士であったが、鳥羽院の女に手をだし、23歳で出家。「高貴な上臈女房と逢瀬をもった」『源平盛衰記』。女は、待賢門院璋子、璋子は、鳥羽上皇の中宮にして白河法皇の愛妾。美福門院説あり。鳥羽院の中宮璋子(待賢門院)は、西行となる北面武士佐藤義清に想いを寄せられ、鳥羽院と三角関係になる。身分違いの恋に苦悩する文武両道に秀で容姿端麗な義清(西行)は誠実な教養人、父白河法皇に複雑な感情を抱える鳥羽院。
新古今歌人、西行は、
願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ『山家集』(続古今1527)
歌に詠んだ通り、1190年3月31日、陰暦2月16日、釈尊涅槃の日に入寂。73歳。
西行(佐藤義清)(1118~1190)。

■悲劇の新古今歌人、藤原良経 38歳で急死
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしき独りかも寝む  『新古今集』秋・518
秋篠月淸集、藤原良経、後京極摂政前太政大臣(百人一首91番)
藤原良経(よしつね)。関白藤原兼実(かねざね)の子。摂政・太政大臣になったが38歳で急死。早熟の天才で、10代の頃の歌が千載集に7首。新古今和歌集の仮名序を書き、号を秋篠月清という。『秋篠月淸集』がある。御祖父が百人一首76番に登場する法性寺忠通、叔父が92番の慈円法師。
★『六百番歌合』恋五十題
塚本邦雄は、『六百番歌合』恋五十題について、詳細な書を書いている。
塚本邦雄『戀 六百番歌合-《戀》の詞花対位法』文藝春秋
【『六百番歌合』より換骨奪胎された歌題一覧】
「初戀」「忍戀」「聞戀」「見戀」「尋戀」
「祈戀」「契戀」「待戀」「遇戀」「別戀」
「顯戀」「稀戀」「絶戀」「恨戀」「舊戀」
「曉戀」「朝戀」「晝戀」「夕戀」「夜戀」
「老戀」「幼戀」「遠戀」「近戀」「旅戀」(以上25歌題、上巻所収)
「寄月戀」「寄雲戀」「寄風戀」「寄雨戀」「寄煙戀」
「寄山戀」「寄海戀」「寄河戀」「寄關戀」「寄橋戀」
「寄草戀」「寄木戀」「寄鳥戀」「寄獸戀」「寄蟲戀」
「寄笛戀」「寄琴戀」「寄繪戀」「寄衣戀」「寄席戀」
「寄遊女戀」「寄傀儡戀」「寄海人戀」「寄樵夫戀」「寄商人戀」(以上25歌題、下巻所収)
★俵屋宗達、本阿弥光悦「新古今、鹿下絵和歌巻」
★下村寒山『小倉山』1909
藤原忠平が詠んだ『小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの 御幸待たなむ』一首をモチーフにした六曲一双の屏風絵。
★参考文献
久保田淳『新古今歌人の研究』1973
久保田淳『藤原定家全歌集』河出書房新社1986
久保田淳『新古今和歌集全評釈』講談社1976-77
久保田淳『藤原定家』集英社1984
久保田淳 訳注『新古今和歌集』上下、角川ソフィア文庫
塚本邦雄『新古今新考―斷崖の美學』花曜社1981
塚本邦雄『戀 六百番歌合-《戀》の詞花対位法』
塚本邦雄『定家百首 良夜爛漫』
★山口博『王朝貴族物語』第2章、講談社現代新書1994
大久保正雄2016年9月1日

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