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2016年8月24日 (水)

ハプスブルク家 皇妃エリザベート、バイエルンの薔薇

Elisabeth_of_austria大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第89回
ハプスブルク家 皇妃エリザベート、バイエルンの薔薇

エリザベート、反抗的な少女。避暑地の皇帝の一目惚れ。運命の悪戯。16歳で結婚。バイエルンの薔薇。オーストリア皇后、ハンガリー王妃。
自由人だった父の気質を受け継ぎ、オーストリア宮廷の厳格を嫌う。生涯に渡り、ウィーンから逃避し続ける。夢想王ルートヴィヒ2世。ともに逃避行をくりかえす夢想家。
旅する皇妃。1898年9月、旅行中、レマン湖のほとりで、60歳で刺殺される。
ヨーロッパ宮廷一の美貌、細い身体。
過ぎたる美貌は耐え難いものである。*
美しいがゆえの耐え難い苦しみ。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知恵の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

【オーストリア・ハプスブルク家】
カール6世Karl VI , 1685年10月1日 - 1740年10月20日)
神聖ローマ皇帝(在位1711年 -1740年)
1740年、カール6世、死去。男子がいないため相続問題が発生。
1740年—1748年、オーストリア継承戦争。
【マリア・テレジア】Maria Theresia,
マリア・テレジア(1741-1780)、帝国を相続。
マリア・テレジア(1741-1780)は、黄金時代のハプスブルク帝国を指揮した。
16人の子を産み、政略結婚を展開した。
末娘のマリー・アントワネットは、フランス王ルイ16世に嫁がせた。
マリア・テレジアの子、ヨーゼフ2世は、ヴォルテールを尊敬していた。
18世紀、黄金時代のハプスブルク帝国はバロック文化が栄えた。
1762年秋、モーツアルトは、ウィーンに行き、マリア・テレジアに、シェーンブルン宮殿に招かれた。モーツアルトは、マリー・アントワネットに「僕のお嫁さんにしてあげる」と言った。
*神聖ローマ皇帝カール6世の娘で、ハプスブルク=ロートリンゲン朝の同皇帝フランツ1世シュテファンの皇后にして共同統治者、オーストリア大公(在位1740年 - 1780年)、ハンガリー女王(在位:同)、ベーメン女王(在位1743年 - 1780年)。
【マリー・アントワネット】Marie Antoinette,1755-1793
1770年、マリー・アントワネット、フランス王太子(ルイ16世)と、結婚。
1789年、フランス革命、勃発。
1793年、マリー・アントワネット処刑。

【ゾフィー大公妃】Sophie Friederike Dorothea Wilhelmine von Bayern,
1805年1月27日 ミュンヘン-1872年5月28日 ウィーン
フランツ・ヨーゼフ1世を産む。
フランツ・ヨーゼフ・カール(1830年—1916年)オーストリア皇帝

【エリザベート】Elisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach, 1837-1898
1837年12月24日 - 1898年9月10日
エリーザベトは、美貌で、皇后だが、悲劇的な人生を生きた。オーストリア最後の皇后。後期は、旅に明け旅に暮れ、地中海を放浪した。シシーと呼ばれ国民から愛された。
ヨーロッパ宮廷一といわれた美貌、身長172cm背が高く、ウエスト50センチ、体重50キロという容姿。驚異の体形の持ち主。
Franz Xaver Winterhalter (1805–1873),Elizsabeth,1865
ジャン・コクトー『双頭の鷲』に描かれた。
バイエルン貴族エリザベート、皇帝に一目惚れされる。
1853年8月16日、ティロルの山岳地帯で、フランツ・ヨーゼフ1世とヘレーネ、婚約のため、見合い。運命を変えた姉の見合い。
皇帝、エリザベートに一目惚れ。
1854年、フランツ・ヨーゼフ1世と、エリザベート、16歳で結婚。
★生涯に渡りさまざまな口実を見つけて、ウィーンから逃避し続ける。
1889年、フランツ・ヨーゼフの嫡男、ルドルフ、心中による死。
1898年9月10日、旅行中、ジュネーヴ・レマン湖のほとりで、60歳で刺殺される。

【ルートヴィヒ2世】(Ludwig II, 1845年8月25日 - 1886年6月13日)
第4代バイエルン王。ノイシュバンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)、リンダーホフ城、夢の城を次々と建築する。
バイエルン王ルートヴィッヒ2世は、ワグナーの音楽『ローエングリン』と建築を好む藝術家王であった。若い頃は美貌に恵まれ、多くの画家らによって描かれた。オーストリア皇后エリーザベトとバイエルン王ルートヴィッヒ2世は、夢みる二人であった。
1878年リンダーホフ城
1886年、ノイシュバンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)は、ワグナーの音楽『ローエングリン』を具体化した。
1886年、ルートヴィッヒ2世、41歳の時、シュタルンベルク湖で、謎の溺死を遂げた。
ヴィスコンティ『ルートヴィヒ 神々の黄昏』に美しく描かれる。

1916年、フランツ・ヨーゼフ1世、死去。
1918年、オーストリア皇帝カール1世、死す。ハプスブルク帝国、滅亡。
―――――
大久保正雄『地中海紀行』ハプスブルク帝国
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
ハプスブルク家 マリーアントワネット 革命に散る
https://t.co/LsGpsWXdsT
★Winterhalter,Elisabeth,1865
★Velasquez, Margarita白衣の王女マルガリータ,Velasquez, Las Meninas
★【参考文献】
ゲオルク・シュタット・ミュラー丹後杏一訳『ハプスブルク帝国史』1989
矢田俊隆『ハプスブルク帝国史研究―中欧多民族国家の解体過程――』岩波書店1977
カトリーヌ・クレマン『皇妃エリザベート ハプスブルクの美神』知の再発見65創元社1997
江村洋『ハプスブルク家の女たち』講談社現代新書
木村泰司『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』光文社新書2010年
ホセ・アントニオ・ウルビノ『プラド美術館』みすず書房、Scala1990
『ウィーン美術史美術館』みすず書房、Scala 
菊池良生『ハプスブルク家』
菊池良生『ハプスブルク家の光芒』ちくま文庫
菊池良生『傭兵の二千年史』講談社
加藤雅彦『図解 ハプスブルク帝国』河出書房新社
中丸明『ハプスブルク一千年』新潮社
桐生操『ハプスブルク家の悲劇』1995
国立新美術館『Theハプスブルク展図録』2009
中野京子『ハプスブルク家12の物語』2009
倉田稔『ハプスブルク歴史物語』日本放送出版協会1994
倉田稔『ハプスブルク文化紀行』日本放送出版協会2006
ヴィスコンティ『ルートヴィヒ 神々の黄昏』1972
Luchino Visconti, Ludwig 1972
大久保正雄2016年8月23日

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