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2016年8月31日 (水)

新古今歌人、妖艶の美学、藤原定家、美への旅

Sakurako_2013033101大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第91回
新古今歌人、妖艶の美学、藤原定家、美への旅

美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■『新古今和歌集』は、戦乱の時代、唯美主義的、夢幻的詩歌を探求した。
新古今歌人は、藤原俊成によって育成された。俊成は『千載和歌集』(1188)を編纂し『六百番歌合』(1193)『千五百番歌合』(1201)の判者をつとめ、次代の歌人を育成した。定家の父である。俊成は、美副門院の加賀を娶り、子の定家、孫の俊成女らに教育をほどこし、新古今歌人を育成する。藤原俊成は、余情幽玄の歌風を構築した。新古今歌人には、悲恋の人が多い。『新古今和歌集』の美学のゆえか、悲劇、悲恋、不遇を超えて、運命と戦う詩人が多い。
藤原定家は、権力者との確執から不遇の貴族であった。逆境を超えて、雌伏の歳月を耐え、『新古今和歌集』選者となり、至高の妖艶の詩歌を探求した。唯美主義的、夢幻的詩歌の極致を探求した。
運命と戦う歌人は、不遇、悲劇、悲恋に苦悩しながら、余情妖艶の極致を追求した。
苦悩する新古今歌人には、俊成女、式子内親王、西行。悲劇の天才歌人、良経、らがいる。
【建久七年の政変】
藤原定家、妖艶の極致を示す御室五十首の歌は、建久七年の政変の無慚の世、九条家の沈淪の不遇の中で詠まれた。
御室五十首、建久九年
春の夜の夢のうき橋と絶えして峰にわかるる横雲のそら(新古今38)

■【逢ひて逢はぬ恋】『新古今和歌集』の悲恋の歌
【逢ひて逢はぬ恋】、逢はぬ恋、見ぬ恋、忍ぶ恋。有限な人間のかなわぬ恋の歌。自由奔放な人の心と人間社会の葛藤の果てに生まれる歌。悲恋の歌の背後には、新古今歌人の悲恋がある。人の運命との戦いが、悲恋である。
玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする 新古今 恋一 1034
■式子内親王、忍ぶ恋 玉の緒よ絶えなば絶えね
式子内親王
生年不詳*久安五~建仁一(1149~1201)
後白河天皇の第三皇女。加茂神社の斎院、のち出家。
玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする 新古今 恋一 1034
式子内親王は斎院(賀茂神社に奉仕する未婚の皇女)であり、藤原定家とは身分が遥かに違い、かつ生涯独身でなければならない身であった。
題詠通り「忍恋」であったことは想像に難くない。

■藤原定家
春の夜のゆめのうき橋とだえして峰にわかるる横雲のそら(新古38)
梅の花にほひをうつす袖のうへに軒もる月のかげぞあらそふ(新古44)
くりかへし春のいとゆふいく世へておなじみどりの空にみゆらん
花の香のかすめる月にあくがれて夢もさだかに見えぬ頃かな 藤原定家
うつり香の身にしむばかり契るとて扇の風の行へたづねば 藤原定家
さゆりばのしられぬ恋もあるものを身よりあまりてゆく蛍かな
かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ 新古今和歌集(新古1390)
白妙の露の袖れに露おちて身にしむ色の秋風ぞ吹く 新古今 恋 一三三六
玉響(たまゆら)の露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風(新古今788)
かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ 新古今和歌集1390

■新古今歌人を育てた巨匠 藤原俊成
またや見む 交野のみ野の桜狩り 花の雪散る春のあけぼの 藤原俊成 新古今和歌集
皇太后宮大夫俊成 新古今 春下114
風なきに雪のように、舞うごとく散る花を眺め、漂う陽光に包まれて、ひさかたの光のどけき 爛熟した春 また見ることができるだろうか
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 『千載和歌集』二五一、百人一首。
1204、『新古今和歌集』完成を見ずに、亡くなる。63歳。
★文治四年(1188)『千載和歌集』(1188)
★建久四年(1193)『六百番歌合』(1193)
★建仁元年(1201)『千五百番歌合』(1201)

■『六百番歌合』「恋五十番」
新古今和歌集、妖艶美。恋は、悲恋の美。不遇戀、忍戀、遇不遇戀に極まる。『六百番歌合』「戀五十番」、詳細に体系化された悲恋の美。
25題は恋の進行状態による設題、25題は「寄物恋」。題詠は細分化体系化した。
■『六百番歌合』『千五百番歌合』
『六百番歌合』建久四年1193 藤原良経主催でなされた歌合。判者藤原俊成の判詞「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」などで知られ、後の千五百番歌合とならび歌合の最高峰。
御子左家一派の新指導権は、六条藤家一派と対決する。歌題は春15・夏10・秋15・冬10・恋50の百題。恋部は前半25題が恋の進行状態による設題、後半25題が「寄物恋」型の組題となる。34首が『新古今和歌集』に入撰している。
『千五百番歌合』20巻。建仁1 (1201) 年後鳥羽上皇が詠進させた百首歌を歌合形式にした。歌合としての成立は同3年春頃。 千五百番、三千首から成り,歌合史上空前絶後。
後鳥羽上皇ほか三十人が各人百首ずつ計三千首を詠じ、上皇・藤原俊成・藤原良経・慈円・藤原定家など十人が判者となる。新古今時代最大の歌合で、新古今集に九十首が撰入。

■新古今歌人 藤原俊成女の謎
実父藤原盛頼が、1177年(安元3年)発生した、鹿ケ谷の陰謀の首謀者の一人藤原成親の弟として責任を問われ失脚、母方の祖父である藤原俊成に引き取られ娘として養育された。堀川大納言源通具の妻。新妻に迎えるに及んで、行き場のなくなった俊成女は、後鳥羽院歌壇に生きる場を見出す。『新古今和歌集』以降の勅撰集、定数歌、歌合等に多数の作品を残している。逆境の中で、美を探求した歌人
風かよふねざめの袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢(新古今112)千五百番歌合
梅の花あかぬ色香もむかしにておなじかたみの春の夜の月(新古今47)千五百番歌合
恨みずやうき世を花のいとひつつ誘ふ風あらばと思ひけるをば(新古今40)
月影もうつろふ花にかはる色の夕べを春もみよしの山(俊成卿女集補遺)
ながむれば我が身ひとつのあらぬ世に昔に似たる春の夜の月(続後撰146)
橘のにほふあたりのうたたねは夢もむかしの袖の香ぞする(新古今245)
*五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする 詠み人しらず「古今集」
■『百人一首』
耽美的夢幻的詩人、藤原定家(1162-1241)、『百人一首』は、嵯峨野小倉山荘で作られた。
藤原定家の日記『明月記』の文暦2年5月27日(1235年6月14日)の条に「古来の人の歌各一首」を書き送った記述がある。これが『百人秀歌』である。晩年の定家74歳。
定家の子、為家の岳父、宇都宮頼綱の嵯峨野の山荘の襖に貼る色紙として、百首えらばれた。『百人一首』には、新古今歌人、定家に近い人々の歌が鏤めれれている。
小倉山荘は、猿丸太夫の歌の雰囲気である。
奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき 猿丸大夫
■【定家の悩み】
定家は、官途不遇の悩みを懐き、悩んだ。背景には、四位以上の貴族1千人の競争社会がある。
■王朝官僚ピラミッド ピラミッド・クライマーの官僚たち
奈良平安時代は、すべての産業は国家事業である。あるのは国家の行政職だけで、総定員1万3千人、正規雇用といえる職員は、1千人。正一位にいたる三十階級に位置づけられる。
五位以上でなければ貴族ではない。「五位は物の数でもない」紫式部日記。
★山口博『王朝貴族物語』第2章、講談社現代新書1994
★東寺

★参考文献
次ページ参照
大久保正雄2016年8月31日

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