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2016年8月の記事

2016年8月31日 (水)

新古今歌人、妖艶の美学、藤原定家、美への旅

Sakurako_2013033101大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第91回
新古今歌人、妖艶の美学、藤原定家、美への旅

美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■『新古今和歌集』は、戦乱の時代、唯美主義的、夢幻的詩歌を探求した。
新古今歌人は、藤原俊成によって育成された。俊成は『千載和歌集』(1188)を編纂し『六百番歌合』(1193)『千五百番歌合』(1201)の判者をつとめ、次代の歌人を育成した。定家の父である。俊成は、美副門院の加賀を娶り、子の定家、孫の俊成女らに教育をほどこし、新古今歌人を育成する。藤原俊成は、余情幽玄の歌風を構築した。新古今歌人には、悲恋の人が多い。『新古今和歌集』の美学のゆえか、悲劇、悲恋、不遇を超えて、運命と戦う詩人が多い。
藤原定家は、権力者との確執から不遇の貴族であった。逆境を超えて、雌伏の歳月を耐え、『新古今和歌集』選者となり、至高の妖艶の詩歌を探求した。唯美主義的、夢幻的詩歌の極致を探求した。
運命と戦う歌人は、不遇、悲劇、悲恋に苦悩しながら、余情妖艶の極致を追求した。
苦悩する新古今歌人には、俊成女、式子内親王、西行。悲劇の天才歌人、良経、らがいる。
【建久七年の政変】
藤原定家、妖艶の極致を示す御室五十首の歌は、建久七年の政変の無慚の世、九条家の沈淪の不遇の中で詠まれた。
御室五十首、建久九年
春の夜の夢のうき橋と絶えして峰にわかるる横雲のそら(新古今38)

■【逢ひて逢はぬ恋】『新古今和歌集』の悲恋の歌
【逢ひて逢はぬ恋】、逢はぬ恋、見ぬ恋、忍ぶ恋。有限な人間のかなわぬ恋の歌。自由奔放な人の心と人間社会の葛藤の果てに生まれる歌。悲恋の歌の背後には、新古今歌人の悲恋がある。人の運命との戦いが、悲恋である。
玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする 新古今 恋一 1034
■式子内親王、忍ぶ恋 玉の緒よ絶えなば絶えね
式子内親王
生年不詳*久安五~建仁一(1149~1201)
後白河天皇の第三皇女。加茂神社の斎院、のち出家。
玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする 新古今 恋一 1034
式子内親王は斎院(賀茂神社に奉仕する未婚の皇女)であり、藤原定家とは身分が遥かに違い、かつ生涯独身でなければならない身であった。
題詠通り「忍恋」であったことは想像に難くない。

■藤原定家
春の夜のゆめのうき橋とだえして峰にわかるる横雲のそら(新古38)
梅の花にほひをうつす袖のうへに軒もる月のかげぞあらそふ(新古44)
くりかへし春のいとゆふいく世へておなじみどりの空にみゆらん
花の香のかすめる月にあくがれて夢もさだかに見えぬ頃かな 藤原定家
うつり香の身にしむばかり契るとて扇の風の行へたづねば 藤原定家
さゆりばのしられぬ恋もあるものを身よりあまりてゆく蛍かな
かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ 新古今和歌集(新古1390)
白妙の露の袖れに露おちて身にしむ色の秋風ぞ吹く 新古今 恋 一三三六
玉響(たまゆら)の露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風(新古今788)
かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ 新古今和歌集1390

■新古今歌人を育てた巨匠 藤原俊成
またや見む 交野のみ野の桜狩り 花の雪散る春のあけぼの 藤原俊成 新古今和歌集
皇太后宮大夫俊成 新古今 春下114
風なきに雪のように、舞うごとく散る花を眺め、漂う陽光に包まれて、ひさかたの光のどけき 爛熟した春 また見ることができるだろうか
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 『千載和歌集』二五一、百人一首。
1204、『新古今和歌集』完成を見ずに、亡くなる。63歳。
★文治四年(1188)『千載和歌集』(1188)
★建久四年(1193)『六百番歌合』(1193)
★建仁元年(1201)『千五百番歌合』(1201)

■『六百番歌合』「恋五十番」
新古今和歌集、妖艶美。恋は、悲恋の美。不遇戀、忍戀、遇不遇戀に極まる。『六百番歌合』「戀五十番」、詳細に体系化された悲恋の美。
25題は恋の進行状態による設題、25題は「寄物恋」。題詠は細分化体系化した。
■『六百番歌合』『千五百番歌合』
『六百番歌合』建久四年1193 藤原良経主催でなされた歌合。判者藤原俊成の判詞「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」などで知られ、後の千五百番歌合とならび歌合の最高峰。
御子左家一派の新指導権は、六条藤家一派と対決する。歌題は春15・夏10・秋15・冬10・恋50の百題。恋部は前半25題が恋の進行状態による設題、後半25題が「寄物恋」型の組題となる。34首が『新古今和歌集』に入撰している。
『千五百番歌合』20巻。建仁1 (1201) 年後鳥羽上皇が詠進させた百首歌を歌合形式にした。歌合としての成立は同3年春頃。 千五百番、三千首から成り,歌合史上空前絶後。
後鳥羽上皇ほか三十人が各人百首ずつ計三千首を詠じ、上皇・藤原俊成・藤原良経・慈円・藤原定家など十人が判者となる。新古今時代最大の歌合で、新古今集に九十首が撰入。

■新古今歌人 藤原俊成女の謎
実父藤原盛頼が、1177年(安元3年)発生した、鹿ケ谷の陰謀の首謀者の一人藤原成親の弟として責任を問われ失脚、母方の祖父である藤原俊成に引き取られ娘として養育された。堀川大納言源通具の妻。新妻に迎えるに及んで、行き場のなくなった俊成女は、後鳥羽院歌壇に生きる場を見出す。『新古今和歌集』以降の勅撰集、定数歌、歌合等に多数の作品を残している。逆境の中で、美を探求した歌人
風かよふねざめの袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢(新古今112)千五百番歌合
梅の花あかぬ色香もむかしにておなじかたみの春の夜の月(新古今47)千五百番歌合
恨みずやうき世を花のいとひつつ誘ふ風あらばと思ひけるをば(新古今40)
月影もうつろふ花にかはる色の夕べを春もみよしの山(俊成卿女集補遺)
ながむれば我が身ひとつのあらぬ世に昔に似たる春の夜の月(続後撰146)
橘のにほふあたりのうたたねは夢もむかしの袖の香ぞする(新古今245)
*五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする 詠み人しらず「古今集」
■『百人一首』
耽美的夢幻的詩人、藤原定家(1162-1241)、『百人一首』は、嵯峨野小倉山荘で作られた。
藤原定家の日記『明月記』の文暦2年5月27日(1235年6月14日)の条に「古来の人の歌各一首」を書き送った記述がある。これが『百人秀歌』である。晩年の定家74歳。
定家の子、為家の岳父、宇都宮頼綱の嵯峨野の山荘の襖に貼る色紙として、百首えらばれた。『百人一首』には、新古今歌人、定家に近い人々の歌が鏤めれれている。
小倉山荘は、猿丸太夫の歌の雰囲気である。
奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき 猿丸大夫
■【定家の悩み】
定家は、官途不遇の悩みを懐き、悩んだ。背景には、四位以上の貴族1千人の競争社会がある。
■王朝官僚ピラミッド ピラミッド・クライマーの官僚たち
奈良平安時代は、すべての産業は国家事業である。あるのは国家の行政職だけで、総定員1万3千人、正規雇用といえる職員は、1千人。正一位にいたる三十階級に位置づけられる。
五位以上でなければ貴族ではない。「五位は物の数でもない」紫式部日記。
★山口博『王朝貴族物語』第2章、講談社現代新書1994
★東寺

★参考文献
次ページ参照
大久保正雄2016年8月31日

2016年8月25日 (木)

金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、仏陀への旅

Kongokai2016_5
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第90回
金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、仏陀への旅

人はいかにして仏陀となるのか。人を苦から解き放つものは何か。人間の苦悩と悲しみを超え、魂を癒すものは何か。智慧か、愛か。人はいかにして如来となるのか。仏陀に到る修行の方法は何か。金剛界曼荼羅は、大日如来になる方法を示しているのか。
人間界、激しい競争社会、生き残りは至難である。競争に齷齪する人間界。競争を超えていかに真理に辿りつくのか。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』

美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■転識得智 識は智に転ずる
修行の結果悟りを開き仏になると、八つの「識」は「智」に転ずる。転識得智という。
唯識では成仏に三大阿僧祇劫の修行が必要だとされる。その階梯は、資糧位、加行位、通達位、修習位、究竟位)の五段階である。
八識が転じて四智になる。
阿頼耶識は、大円鏡智になる。
末那識は、平等性智になる。
第六識は、妙観察智になる。
前五識(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)は、成所作智になる。
大円鏡智は、すべての知の根源で、平等性智以下の智を生みだす。
阿頼耶識は、すべての識の根源で、末那識以下の識を生みだす。
■金剛界の五仏、五智如来、五智
五智とは、法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智。
金剛界曼荼羅には、五智如来が描かれている。
★大日如来は、法界体性智をもつ。
法界体性智は、自性清浄なる大日如来の絶対智であり、他の四智を統合する智恵である。
*法界体性智=自性清浄心と呼ばれる第9識(阿摩羅識)
★阿閦如来は、大円鏡智【鏡の如く法界の万象を顕現する智】をもつ。
*大円鏡智=阿頼耶識 第8識
★宝生如来は、平等性智【諸法の平等を具現する智】をもつ。
*平等性智=末那識 第7識
★無量寿如来は、妙観察智【諸法を正しく見極め、追求する智】をもつ。
*妙観察智=意識 第6識
★不空成就如来は、成所作智【自他のなすべきことを成就せしめる智】をもつ。
*成所作智=前5識(眼識、耳識鼻識、舌識、身識)、五感(眼、耳、鼻、舌、身)による感覚作用である。
★転識得智 9識は『金剛頂経』の説く瞑想法(五相成身観)によって各々五智に転じる。五相成身観とは、行者の汚れた心を、瑜伽の観法を通じて見きわめ、その清浄な姿がそのまま如来の智慧に他ならないことを知り、如来と行者が一体化して、修行者に本来そなわる如来の智慧を発見する。
■金剛界曼荼羅
中央に中心となる「成身会」があり、その下に「三昧耶会」、その左に「微細会」、その上に「供養会」、その上に「四印会」、その右に「一印会」、その右に「理趣会」、その下に「降三世会」、その下に「降三世三昧耶会」。成身会から下るのを向下門。降三世三昧耶会から上るのを向上門。金剛界曼荼羅を成身会へいかにして上るのか。
「成身会」「三昧耶会」「微細会」「供養会」「四印会」「一印会」「理趣会」『金剛頂経』金剛界品に、「降三世会」「降三世三昧耶会」が降三世品に拠る。
■金剛界曼荼羅、理趣会
即身成仏の思想が図示されている。
『理趣経』17段【深秘の法門 】五種秘密三摩地の章【五秘密尊】金剛薩埵の周りに、金剛欲明妃、金剛蝕明妃、金剛愛明妃、金剛慢明妃、4の明妃が囲む。
『理趣経』第一段、第一七段に理趣経の核心、密教の思想が集約されている。
『理趣経』1段、【大楽の法門】金剛薩埵の章、十七清浄句
『理趣経』17段、【深秘の法門】五種秘密三摩地の章【五秘密菩薩】
■唯識
諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っている。*瑜伽行唯識学派の思想。唯識論。唯識無境。ただ識だけがあって外界は存在しない。
「唯識三年、倶舎八年」。倶舎論を八年学べば、唯識は三年でわかる。唯識学には十一年かかる。結城令聞*
■薫習、種子薫習
阿頼耶識に薫ぜられて迷界を顕現する種子について三種の薫習が説かれている。*無着『摂大乗論』。第一、名言種子。第二、我執種子。第三、有支種子。
「薫習の義とは、衣服に香なし、もし人、香をもって熏習するに、すなわち香気あるが如し」*『大乗起信論』
仏教の根本問題は、無我説と輪廻転生の矛盾である。無我説と輪廻転生の矛盾をいかに解決するのか。
輪廻生死の主体は、阿頼耶識である。
―――――
空海の旅 旅する思想家、美への旅
https://t.co/HPPpp3e5iL
宮澤賢治 輝く天の仕事 美への旅
https://t.co/MCQLkf9YVW
島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
https://t.co/EYgwLuMvWz
―――――
★参考文献
宮坂宥勝『密教経典』筑摩書房
宮坂宥勝・梅原猛『生命の海 空海』角川書店1968
松長有慶『秘密の庫を開く―密教教典 理趣経』集英社1984
松長有慶『理趣経』中公文庫
横山紘一『唯識の哲学』平楽寺書店1976
横山紘一『唯識思想入門』1976
竹村牧男『唯識の構造』春秋社1985,2001
服部正明・上村春平『認識と超越<唯識>』角川書店角川文庫1997
高崎直道『唯識入門』1992
東寺『金剛界曼荼羅』西院本
東寺『大悲胎蔵生曼荼羅』西院本
無着『摂大乗論』
不空訳『大楽金剛不空真実三摩耶経』
『百字の偈』理趣経17段
金剛界曼荼羅
http://www.mikkyo21f.gr.jp/mandala/mandala_kongoukai/index.html
★東寺『金剛界曼荼羅』
★『金剛界曼荼羅』、理趣会
大久保正雄2016年8月25日

2016年8月24日 (水)

ハプスブルク家 皇妃エリザベート、バイエルンの薔薇

Elisabeth_of_austria大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第89回
ハプスブルク家 皇妃エリザベート、バイエルンの薔薇

エリザベート、反抗的な少女。避暑地の皇帝の一目惚れ。運命の悪戯。16歳で結婚。バイエルンの薔薇。オーストリア皇后、ハンガリー王妃。
自由人だった父の気質を受け継ぎ、オーストリア宮廷の厳格を嫌う。生涯に渡り、ウィーンから逃避し続ける。夢想王ルートヴィヒ2世。ともに逃避行をくりかえす夢想家。
旅する皇妃。1898年9月、旅行中、レマン湖のほとりで、60歳で刺殺される。
ヨーロッパ宮廷一の美貌、細い身体。
過ぎたる美貌は耐え難いものである。*
美しいがゆえの耐え難い苦しみ。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知恵の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

【オーストリア・ハプスブルク家】
カール6世Karl VI , 1685年10月1日 - 1740年10月20日)
神聖ローマ皇帝(在位1711年 -1740年)
1740年、カール6世、死去。男子がいないため相続問題が発生。
1740年—1748年、オーストリア継承戦争。
【マリア・テレジア】Maria Theresia,
マリア・テレジア(1741-1780)、帝国を相続。
マリア・テレジア(1741-1780)は、黄金時代のハプスブルク帝国を指揮した。
16人の子を産み、政略結婚を展開した。
末娘のマリー・アントワネットは、フランス王ルイ16世に嫁がせた。
マリア・テレジアの子、ヨーゼフ2世は、ヴォルテールを尊敬していた。
18世紀、黄金時代のハプスブルク帝国はバロック文化が栄えた。
1762年秋、モーツアルトは、ウィーンに行き、マリア・テレジアに、シェーンブルン宮殿に招かれた。モーツアルトは、マリー・アントワネットに「僕のお嫁さんにしてあげる」と言った。
*神聖ローマ皇帝カール6世の娘で、ハプスブルク=ロートリンゲン朝の同皇帝フランツ1世シュテファンの皇后にして共同統治者、オーストリア大公(在位1740年 - 1780年)、ハンガリー女王(在位:同)、ベーメン女王(在位1743年 - 1780年)。
【マリー・アントワネット】Marie Antoinette,1755-1793
1770年、マリー・アントワネット、フランス王太子(ルイ16世)と、結婚。
1789年、フランス革命、勃発。
1793年、マリー・アントワネット処刑。

【ゾフィー大公妃】Sophie Friederike Dorothea Wilhelmine von Bayern,
1805年1月27日 ミュンヘン-1872年5月28日 ウィーン
フランツ・ヨーゼフ1世を産む。
フランツ・ヨーゼフ・カール(1830年—1916年)オーストリア皇帝

【エリザベート】Elisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach, 1837-1898
1837年12月24日 - 1898年9月10日
エリーザベトは、美貌で、皇后だが、悲劇的な人生を生きた。オーストリア最後の皇后。後期は、旅に明け旅に暮れ、地中海を放浪した。シシーと呼ばれ国民から愛された。
ヨーロッパ宮廷一といわれた美貌、身長172cm背が高く、ウエスト50センチ、体重50キロという容姿。驚異の体形の持ち主。
Franz Xaver Winterhalter (1805–1873),Elizsabeth,1865
ジャン・コクトー『双頭の鷲』に描かれた。
バイエルン貴族エリザベート、皇帝に一目惚れされる。
1853年8月16日、ティロルの山岳地帯で、フランツ・ヨーゼフ1世とヘレーネ、婚約のため、見合い。運命を変えた姉の見合い。
皇帝、エリザベートに一目惚れ。
1854年、フランツ・ヨーゼフ1世と、エリザベート、16歳で結婚。
★生涯に渡りさまざまな口実を見つけて、ウィーンから逃避し続ける。
1889年、フランツ・ヨーゼフの嫡男、ルドルフ、心中による死。
1898年9月10日、旅行中、ジュネーヴ・レマン湖のほとりで、60歳で刺殺される。

【ルートヴィヒ2世】(Ludwig II, 1845年8月25日 - 1886年6月13日)
第4代バイエルン王。ノイシュバンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)、リンダーホフ城、夢の城を次々と建築する。
バイエルン王ルートヴィッヒ2世は、ワグナーの音楽『ローエングリン』と建築を好む藝術家王であった。若い頃は美貌に恵まれ、多くの画家らによって描かれた。オーストリア皇后エリーザベトとバイエルン王ルートヴィッヒ2世は、夢みる二人であった。
1878年リンダーホフ城
1886年、ノイシュバンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)は、ワグナーの音楽『ローエングリン』を具体化した。
1886年、ルートヴィッヒ2世、41歳の時、シュタルンベルク湖で、謎の溺死を遂げた。
ヴィスコンティ『ルートヴィヒ 神々の黄昏』に美しく描かれる。

1916年、フランツ・ヨーゼフ1世、死去。
1918年、オーストリア皇帝カール1世、死す。ハプスブルク帝国、滅亡。
―――――
大久保正雄『地中海紀行』ハプスブルク帝国
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
ハプスブルク家 マリーアントワネット 革命に散る
https://t.co/LsGpsWXdsT
★Winterhalter,Elisabeth,1865
★Velasquez, Margarita白衣の王女マルガリータ,Velasquez, Las Meninas
★【参考文献】
ゲオルク・シュタット・ミュラー丹後杏一訳『ハプスブルク帝国史』1989
矢田俊隆『ハプスブルク帝国史研究―中欧多民族国家の解体過程――』岩波書店1977
カトリーヌ・クレマン『皇妃エリザベート ハプスブルクの美神』知の再発見65創元社1997
江村洋『ハプスブルク家の女たち』講談社現代新書
木村泰司『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』光文社新書2010年
ホセ・アントニオ・ウルビノ『プラド美術館』みすず書房、Scala1990
『ウィーン美術史美術館』みすず書房、Scala 
菊池良生『ハプスブルク家』
菊池良生『ハプスブルク家の光芒』ちくま文庫
菊池良生『傭兵の二千年史』講談社
加藤雅彦『図解 ハプスブルク帝国』河出書房新社
中丸明『ハプスブルク一千年』新潮社
桐生操『ハプスブルク家の悲劇』1995
国立新美術館『Theハプスブルク展図録』2009
中野京子『ハプスブルク家12の物語』2009
倉田稔『ハプスブルク歴史物語』日本放送出版協会1994
倉田稔『ハプスブルク文化紀行』日本放送出版協会2006
ヴィスコンティ『ルートヴィヒ 神々の黄昏』1972
Luchino Visconti, Ludwig 1972
大久保正雄2016年8月23日

2016年8月22日 (月)

プラトン、アカデメイア派2000年 美への旅

Botticellinascitaveneresimonettav_2大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第88回
プラトン、アカデメイア派2000年 美への旅

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■プラトン、アカデメイア派2000年
紀元前399年、ソクラテス、死す。
紀元前387年、プラトンは、四十歳の時、アカデメイアの地に学園を設立した。
プラトンは、28歳から40歳まで、12年間、地中海を旅した。
529年東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世は、アテナイの新プラトン派のアカデメイアを閉鎖、財産を没収。アカデメイア916年の歴史が終焉した。
https://t.co/QQtspVQ4FD
■メディチ家とプラトン・アカデミー
コジモ・デ・メディチ
1439年7月6日フィレンツェ公会議が開かれ、ギリシア・ローマ両協会の統一が宣言された。この時コンスタンティノープルから、プラトン學者ベッサリオン、ゲミストス・プレトンが來訪、コジモはプレトンの教えに感銘をうけ、教示により「アカデミア・プラトニカ」(プラトン・アカデミー)を構想した。
1462年コジモ・デ・メディチは、マルシリオ・フィチーノ(1433 - 1499)にプラトンの原典とカレッジの別荘を与え、プラトン全集の翻訳を命じ、コジモは1464年に死ぬが、フィチーノは1477年に完成した。
最晩年1464年コジモは、フィレンツェ郊外ヴィッラ・カレッジで、死の予感の中で、哲學的な隠遁の生活に浸り、蘇った哲學の古典に読み耽る。コジモはフィチーノにオルペウスの竪琴とラテン語訳プラトン『ピレボス』を持って來るように手紙を書いて命じた。1)フィチーノは、1475年『プラトン饗宴注解-愛について』、1482年『プラトン神學-魂の不滅について』、1484年『プラトン全集』ラテン語訳を出版、イタリアの地にプラトン哲學が蘇る。
ロレンツォ・デ・メディチ
1478年4月26日、【パッツィ家の陰謀】ロレンツォ暗殺計画。ロレンツォの弟、ジュリアーノ・デ・メディチ、暗殺される。シクストゥス4世の陰謀。
★1482年、ボッティチェリ『春』1485年、ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』
1490年-1492年【ミケランジェロ】ロレンツォの家で養育される。
1495年「クピド」制作。1497年「バッカス」制作。
1492年 ロレンツォ、4月8日カレッジにて、死す。旧友フィチーノをカレッジに呼び寄せ、魂の不死不滅を反芻する。潅仏会(花祭り、仏生会、浴仏会)の日。
ロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo de' Medici, 1449年1月1日 - 1492年4月8日)
http://en.wikipedia.org/wiki/Lorenzo_de'_Medici
1494年、プラトンアカデミーの思想家、次々、死す。ポリツィアーノ、ピコ、毒殺される。
1494年、メディチ家、フィレンツェから追放。
1499年、マルシリオ・フィチーノ、死す。
プラトンの天を指すは天上界のイデアを指し示し、アリストテレスは地上の現実界を示す。
プラトン哲学は、天界のイデアを目ざして飛翔する。
―――――
★天をさす指の象徴
ラファエロ『アテナイの学堂』1509-10, Raffaello Sanzio,Scuola di Atena, vatican, 1509-10
レオナルド『ヨハネ』,Leonardo, San Giovanni Battista,1513
ダヴィッド『毒盃を仰ぐソクラテス』1787,David,Death of Socrates,Metropolitan,NY,1787
―――――
「旅する哲学者 美への旅」
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第67回ボッティチェリP23
メディチ家とプラトンアカデミー 黄昏のフィレンツェ
https://t.co/QQtspVQ4FD
ルネサンスの奇人変人、メディチ家 コジモとロレンツォ
https://t.co/1ycQTUMP05
皇帝ユスティニアヌス1世、プラトンのアカデメイア閉鎖。529年*
https://t.co/OSyk6Kzoq3
★参考文献
広川洋一『プラトンの学園アカデメイア』岩波書店、講談社学術文庫
清水純一「フィレンツェ・プラトニズム その発祥と展開」1977
清水純一『ルネサンス 人と思想』平凡社1994
大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」2013
イヴァン・クルーラス『ロレンツォ・イル・マニフィコ』河出書房新社
クリストファー・ヒッバート『メディチ家』リブロポート1984
中嶋浩郎『図説 メディチ家―古都フィレンツェと栄光の「王朝」』(ふくろうの本)2000
広川洋一『ギリシア人の教育』岩波新書
★Botticelli, Nascita Venere, 1485
★Botticelli, Primavera,1482

大久保正雄 2016年8月22日

2016年8月21日 (日)

ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち、黄金の残照に輝く迷宮都市

Giorgione_sleeping_venus1510大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第87回
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち・・・黄金の残照に輝く迷宮都市

灼熱の夏の午後、美術館に行く。ヴェネツィアでみたジョルジョーネ『嵐』、ドレスデンでみた『眠れるヴィーナス』を思い出す。ヴェネツィア、アカデミア美術館を散歩した日。水煙の煙る春の午後。
グランド・カナルを船で行き、サン・マルコ広場に上陸すると、サン・マルコ寺院は黄金の残照に輝く。夢の都。水の都、迷宮都市。ヴェネツィアの干潟(ラグーナ)の上に立つ、幻の都市。夢うつつの迷宮都市。
アカデミア美術館は、1817年に建設された。色彩のヴェネツィア派といわれるが、暗鬱な色調のキリスト教美術。私は、ヴェネツィア、フィレンツェ、ドレスデンで見た、ヴェネツィア派の絵画を思い出す。ゴルジョーネの謎の絵画。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■多産と豊饒の象徴、ヴィーナス
ヴェネツィア最大の巨匠ティツィアーノ ティツィアーノは、ヴィーナスとクピドをよく描いた。ヌードのヴィーナスは、結婚の記念画として愛好された。ヴィーナスは、多産と豊饒の象徴である。
ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』(1535)。ヴィーナスの膚は、煌めいている。線はない、色彩の魔術。宝石のように輝く皮膚の美。
■謎の画家ジョルジョーネGiorgione、謎の絵画
ティツィアーノの師は、ジョルジョーネである。若くして亡くなった。青春の画家である。
ジョルジョーネ『嵐 テンペスト』1505—8 嵐の瞬間を描いた傑作。西洋絵画史、最初の風景画。
ジョルジョーネ『テンペスト』(1505)は、乳呑児を抱く裸婦、立ち尽くす男、嵐、意味不明な、「謎の絵画」である。
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510。自然描写のなかに眠れるヴィーナス。
ヴェネツィア派で、よく描かれる構成となる。
■ヴェネツィアの黄金時代、11世紀から15世紀。
ヴェネツィアは、地中海、エーゲ海に船で君臨した。栄光の海都市国家は、滅亡した。
これからが、これまでを決める。
変わることなく、とこしえに、揺るぎもしない。かくも試練に耐えた心のあるかぎり。地上は決して砂漠ではない。(バイロン)
★1500年、レオナルドは、ヴェネツィアを訪れ、ヴェネツィア人に、スフマートを教えた。
★ヴェネツィア・ルネサンスは、1440年ころから1580年まで。
ベッリーニから、ティツィアーノまで。
■19世紀、滅びの都ヴェネツィアを愛する。ロマン派詩人たち
ロマン派詩人は、イタリア、ヴェネツィアを愛した。ロマン主義は、1798年から1836年まで。1818年、詩人シェリーはメアリーを連れてイタリアに赴き、フィレンツェ、ピサ、ナポリ、ローマ各地を転々としながらプラトンの『饗宴』を翻訳し、詩『縛を解かれたプロメテウス』を作った。詩人バイロンは、ヴェネツィアをたびたび訪れた。
ロマン派詩人は、自由奔放と愛を追求して、地中海へ旅する。
■ワーズワース「ヴェニス共和国の滅亡」
(William Wordsworth,On the Extinstion of the Venetian Republic)
彼女はかつて華やかなる東洋を領有し、
そしてまた、西方の防衛なりき。
ああヴェニス、初めて生まれし自由の子、
その価値は誕生を辱めることなかりき。
かつて征服されたることなき輝かしき自由の市、
いかなる狡計も篭絡(ろうらく)することなく、いかなる暴力も犯すことなかりき。
ヴェニスがその配偶を娶らんときは、
永劫の海原を彼女は選ぶべかりき。
かかる栄光あせ、光栄ある称号消え失せ、
その力衰うるを見るも何をかせん。
それど追惜(ついせき)の貢物は
その永き歴史の終わる日にぞ払わるべき。
われらは人間、かつて華やかなりしものの影、
消えて跡なきに至るとき、悲しむべきものなり。
田部重治訳『ワーズワース詩集』岩波文庫1957

ヴェネツィアの3大巨匠 ティントレット、ヴェロネーゼ、パッサーノ
パオロ・ヴェロネーゼ『レヴィ家の饗宴』1573
カルパッチョ『リアルト橋の奇跡』1496
ジェンティーレ・ベッリーニ『サン・ロレンツォ橋での聖十字架の遺物の奇跡』
Miracolo della Croce caduta nel canale di San Lorenzo 1500年
■★謎の画家ジョルジョーネGiorgione,1477—1510
ジョルジョーネは、33歳頃亡くなった。作品はわずかに6点しか現存していない。
ジョルジョーネ『嵐 テンペスト』1505—8
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510
■★ヴェネツィア最大の巨匠ティツィアーノTiziano,1488—1576
ティツィアーノは、80代まで画きつづけた。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『聖母被昇天』1516—1518、ティツィアーノ20代の作品、出世作。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『受胎告知』1559年-1564年頃サン・サルバドル教会
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ウルビーノのヴィーナス』1535
■大久保正雄『地中海紀行』
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅
https://t.co/hjc7vHF74b
ヴェネツィアの黄昏
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-363a.html
■展示作品
パオロ・ヴェロネーゼ『レパントの海戦の寓意』
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『受胎告知』1563-65年頃
サン・サルヴァドール聖堂
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「聖母子」「アルベルティ―ニの聖母」1560年頃
■アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち
ジョヴァンニ・ベッリーニからクリヴェッリ、カルパッチョ、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼまで
2016年7月13日(水)~10月10日(月・祝)国立新美術館
http://www.nact.jp/exhibition_special/2016/venice2016/
2016年10月22日(土)~2017年1月15日(日)国立国際美術館
★Giorgione, Venus1510
★Giorgione, Tempesta1505—8
大久保正雄2016年8月21日

2016年8月19日 (金)

『地中海紀行』第6巻、幻想文学、星の王子さま、宮澤賢治、空海、美への旅

Chambord_2大久保正雄「地中海紀行」第86回、第6巻目次、第66回から第80回
『地中海紀行』第6巻、幻想文学、星の王子さま、宮澤賢治、空海、美への旅

『星の王子さま』サンテグジュペリ、心の目でみる。
空海の旅 旅する思想家、美への旅
織田信長、明晰透徹
古代エジプト帝国3000年 死と再生 美への旅
シェイクスピア 世界劇場 美への旅
宮澤賢治 輝く天の仕事 美への旅
新古今歌人、乱世に咲く花 美への旅

美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■第6巻目次、第66回から第80回
著者:大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
https://t.co/HO0RinYljg
島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
https://t.co/EYgwLuMvWz
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
https://t.co/TtfGTKcUEL
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第66回 織田信長と藝術P19—23
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第67回ボッティチェリP23
『星の王子さま』サンテグジュペリ、心の目でみる。
https://t.co/NuX2YlAkHI
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第68回P25
空海の旅 旅する思想家、美への旅
https://t.co/HPPpp3e5iL
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第69回 空海の旅 旅する思想家P27—32
藤原定家、藤原俊成、俊成女、式子内親王
新古今歌人、乱世に咲く花 美への旅
https://t.co/RxDxsJ0F0P
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第70回 新古今歌人P32—37
ツァラトゥストラ、シルヴァプラナ湖、永劫回帰の思想
ニーチェの旅 永劫回帰 美への旅
https://t.co/KUcrYNFAdy
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第71回ニーチェの旅P8—11
シェイクスピア 世界劇場 美への旅
https://t.co/VJjkrzLuia
シェイクスピア 名句集
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第72回シェイクスピア世界劇場P1—5
ハプスブルク家 マリーアントワネット 革命に散る
https://t.co/LsGpsWXdsT
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第73回P38
古代エジプト帝国3000年 死と再生 美への旅
https://t.co/qJ1t7TmaeT
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第74回古代エジプト 死と再生の秘密P1—5
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅
https://t.co/hjc7vHF74b
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第75回ヴェネツィア 迷宮都市P32—35
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第76回バロック 光と闇の巨匠たちP35—38
ロマン派詩人 地中海、美への旅
https://t.co/nqAsdA8wKg
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第77回ロマン派詩人P8—12
シェイクスピア、『ハムレット』のディレンマ
https://t.co/W32N8rlx4x
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第78回シェイクスピアのディレンマP34—37
ロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ・ド・メディシス
https://t.co/J9r9OZN2vP
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第79回ロワールの古城めぐりP38—42
宮澤賢治 輝く天の仕事 美への旅
https://t.co/MCQLkf9YVW
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第80回宮澤賢治 輝く天の仕事P1—7
★Chateau Chambord

大久保正雄2016年8月19日

2016年8月18日 (木)

『地中海紀行』第5巻、アモールとプシューケー、トロイア戦争、ルネサンス年代記

Amor_et_psychefrancoise_pascal_simoOokubomasao110大久保正雄『地中海紀行』第85回、第5巻目次、第57回―第65回
『地中海紀行』第5巻、アモールとプシューケー、トロイア戦争、ルネサンス年代記

アモールとプシューケー エロースと絶世の美女プシューケー
愛の神エロース(Eros)と 王女プーシュケー(Psyche)。翼を持ち、弓と金と鉛の二本の矢をもつ愛の神エロース。アプロディーテーは美女プシューケーに嫉妬し息子のエロースに、プシュケを愛の矢で射抜き賤しい男に恋させよと命じた。しかしエロースは眠っている間に金の矢で自分に傷つける。『黄金の驢馬』
運命の美人姉妹、クリュタイムネストラ、ヘレネー
トロイア戦争の始まり 失われた『叙事詩の円環』
ギリシア文明年代記 蘇るアクロポリスの少女

美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■地中海紀行第5巻、目次57回-65回
著者:大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
https://t.co/HO0RinYljg
島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
https://t.co/EYgwLuMvWz
「古代ギリシア、時空を超える旅」東京国立博物館 永遠を旅する哲学者
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-30a1.html
https://t.co/SeHTEVW9Pa
アモールとプシューケー エロースと絶世の美女プシューケー
https://t.co/I5hzrLUU2R
大久保正雄『地中海紀行』第57回P12
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
大久保正雄『地中海紀行』58回ハプスブルク帝国P16
メディチ家年代記 メディチ家礼拝堂の幽明境
https://t.co/jfr10GQn6W
大久保正雄『地中海紀行』59回P20
ギリシア文明年代記 蘇るアクロポリスの少女
https://t.co/FkPE97ItOd
大久保正雄『地中海紀行』60回P25
運命の美人姉妹、クリュタイムネストラ、ヘレネー
トロイア戦争の始まり 失われた『叙事詩の円環』
https://t.co/JjeYXXOypq
https://en.wikipedia.org/wiki/Epic_Cycle
大久保正雄『地中海紀行』第61回トロイア戦争 パリスの審判P29
旅する哲学者 美への旅 ギリシア、エーゲ海
https://t.co/xctOMOFf3O
大久保正雄「地中海紀行」第62回P32
エウリピデス『王女メデイア』アルゴ号の航海、金毛羊皮を求めて
https://t.co/dgAcFdNJlf
大久保正雄「地中海紀行」第63回P35
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「地中海紀行」第64回ルネサンス、ヴァロワ朝P39
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
大久保正雄「地中海紀行」第65回ルネサンス、ミケランジェロP42
★Gerard,Eos et Psyche, 1798,Louvre
★ヴォロマンドラのクーロス アテネ考古学博物館
Kouros of Volomandra, Archeological Museum Athens
★ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』
Giorgione, Venere dormiente,1510, Dresden

大久保正雄2016年8月17日

2016年8月17日 (水)

『地中海紀行』第4巻 哲学者の魂、ソクラテスの祈り、ギリシア悲劇の極致

Ookubomasao89Cariatides_erecteion_0大久保正雄『地中海紀行』第84回、第4巻目次、第43回—第56回
『地中海紀行』第4巻 哲学者の魂、ソクラテスの祈り、ギリシア悲劇の極致

旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
愛と復讐 アイスキュロス『オレステイア』三部作
旅する詩人、エウリピデス ギリシア悲劇の極致
変人皇帝たちの宴 陰鬱帝ティベリウス 狂帝カリギュラ
クレオパトラの死 プトレマイオス王朝最後の華

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい女神が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■地中海紀行第4巻目次
著者:大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』 
https://t.co/HO0RinYljg
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
https://t.co/RAKdO7abwM
哲学者の魂 ソクラテスの死
https://t.co/K1EiSrdg79
大久保正雄『地中海紀行』第43回哲学者の魂 ソクラテスの死1 P2
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
https://t.co/gW05rsb44i
ソクラテスは、論理の達人に止まらず、夢と瞑想とダイモーン(守護霊)の声を聴く人。
大久保正雄『地中海紀行』第44回ソクラテスの死2P7
クレオパトラの死 プトレマイオス王朝最後の華
https://t.co/dcAKahB4fI
大久保正雄『地中海紀行』第45回クレオパトラの死1P11
アントニウスとクレオパトラ 愛と死
https://t.co/1hdgZYVOMT
大久保正雄『地中海紀行』第46回クレオパトラの死2P15
Cleopatra, Dendera Temple
愛と復讐 アイスキュロス『オレステイア』三部作
*ヴォロマンドラのクーロスKouros of  Volomandra
https://t.co/httDdX6Bvr
大久保正雄『地中海紀行』第47回ギリシア、愛と復讐の大地1P22
旅する詩人、エウリピデス ギリシア悲劇の極致
https://t.co/BIXeFsq7GS
大久保正雄『地中海紀行』第48回ギリシア、愛と復讐の大地2P27
変人皇帝たちの宴 陰鬱帝ティベリウス
https://t.co/g1zF6aGVIo
大久保正雄『地中海紀行』第49回変人皇帝たちの宴1P29
変人皇帝たちの宴 狂帝カリギュラ 殺戮を好む学者皇帝
https://t.co/HECK7wIhGY
大久保正雄『地中海紀行』第50回変人皇帝たちの宴2P34
デルフィ、光り輝く(ポイボス)アポロン アポロンの悲恋
https://t.co/gQ7mPYqr7A
大久保正雄『地中海紀行』51回デルフィ、アポロンの聖域1P38
デルフィ、オイディプス王の悲劇
https://t.co/9WqVXF2spg
大久保正雄『地中海紀行』52回デルフィ、アポロンの聖域 2P42
アレクサンドロ大王 世界の果てへの旅
https://t.co/RCwJNrJirZ
大久保正雄『地中海紀行』53回アレクサンドロス大王1P45
フィリッポスは、アレクサンドロスの妹の結婚式で、暗殺された。
マケドニア王国 フィリッポス2世の死 卓越した戦略家
https://t.co/xcCI2H0le5
大久保正雄『地中海紀行』54回アレクサンドロス大王2P52
アレクサンドロス帝国の遺産はどこに残されたのか
王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
https://t.co/GqhV2l84wK
大久保正雄『地中海紀行』55回アレクサンドロス大王3P55
美しい謎「ディオニュソスとアリアドネの結婚」
https://t.co/RG3nUL2FV6
大久保正雄『地中海紀行』第56回世界の果てでみつけた美しい謎P58
デルヴェニのクラテル、ディオニュソスとアリアドネ、テッサロニキ考古学博物館
The Derveni krater. Dionysos and Ariadone,Thessaloniki, Archaeological Museum.
Thessaloniki, Archaeological Museum Catalogue

トロイア戦争の伝説 https://t.co/jknEXCQHMi
★Acropolos,erekteion
★Jacque Louis David, Death of Socrates
大久保正雄2016年8月16日

2016年8月16日 (火)

『地中海紀行』第3巻、ギリシアの偉大と頽廃、蘇るアクロポリスのコレー

Acropolis_cariatides_0大久保正雄『地中海紀行』第83回、第3巻目次 第28回-第42回
『地中海紀行』第3巻、ギリシアの偉大と頽廃、蘇るアクロポリスのコレー

人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である。
*『トロイラスとクレシダ』
パルテノン神殿 彫刻家フェイディアス アクロポリスのコレー
至高の戦略家、テミストクレス ギリシア人の知恵
テミストクレスの決議文、トロイゼンで発見された大理石碑文
ペリクレス 蜜のように甘く、毒のように劇しく
ペイシストラトス家とアルクマイオニダイ家の戦い アクロポリスの戦い
ヴォロマンドラのクーロス 死者に献げる供物 子牛を担う人 BC560年
アクロポリスのコレー 時を超えて蘇る少女

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい女神が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

地中海紀行第3巻目次
アクロポリスの光と影 パルテノン神殿
https://t.co/nmDmRi4sGN
大久保正雄『地中海紀行』第28回 P2
パルテノン神殿 彫刻家フェイディアス アクロポリスのコレー
アクロポリスのコレー 時を超えて蘇る少女
https://t.co/H9JyoTOReE
大久保正雄『地中海紀行』第29回P6
アクロポリスをめぐる戦い 賢者ソロン、弱者のために戦う
https://t.co/8oQpwdDA4i
大久保正雄『地中海紀行』第30回P10
ペイシストラトス家とアルクマイオニダイ家の戦い アクロポリスの戦い
ヴォロマンドラのクーロス 死者に献げる供物 子牛を担う人 BC560年
https://t.co/aO3Ia9hN2F
大久保正雄『地中海紀行』第31回アクロポリスをめぐる戦い2P13
テミストクレスとペルシア帝国の戦争 ギリシアの偉大と退廃
https://t.co/I5UyvXOH2A
大久保正雄『地中海紀行』第32回ギリシアの偉大と退廃1P17
至高の戦略家、テミストクレス ギリシア人の知恵
テミストクレスの決議文、トロイゼンで発見された大理石碑文
ヴォロマンドラのクーロス
https://t.co/T9feAYy0rz
大久保正雄『地中海紀行』第33回P22
ギリシアの偉大と退廃2 策謀の極致
ペリクレス 蜜のように甘く、毒のように劇しく
https://t.co/cKAgD5twew
大久保正雄『地中海紀行』第34回蜜のように甘く、毒のように劇しく1 P25
ペロポネソス戰爭 落日の帝国 アクロポリスの建築家たち
https://t.co/izBaPk6g8r
大久保正雄『地中海紀行』第35回蜜のように甘く、毒のように劇しく2 P29
アテネ 黄昏の帝国 メロス島攻撃、シケリア島遠征
アンティキュテラの青年Lysippos BC350-320アテネ考古学博物館
https://t.co/yuMGmjiAlf
大久保正雄『地中海紀行』36回アテネ 黄昏の帝国1P31
アルキビアデス 波瀾の生涯 美貌と邪惡な精神
沈思のアテナBC470アクロポリス博物館
https://t.co/mCiQNlSho0
大久保正雄『地中海紀行』37回アテネ 黄昏の帝国2P34
悲劇の時代 メロス島の虐殺P38
地中海の知恵 剣をとる者は剣にて滅ぶ 美と知恵を求めて
https://t.co/JSJSm8neKH
大久保正雄『地中海紀行』第38回地中海のほとり 美と知恵を求めて1P39
地中海都市の美と壮麗 ペルシア帝国、フィリッポス2世の夢
https://t.co/oKtlyKbLMx
大久保正雄『地中海紀行』第39回地中海のほとり 美と知恵を求めて2P43
旅する皇帝 ギリシアを愛した皇帝たち ネロ、ハドリアヌス
https://t.co/877ivJS6Jc
大久保正雄『地中海紀行』第40回地中海のほとり 美と知恵を求めて3P45
2002.10.30
ローマ帝国 壮麗の都
壮麗の都ローマ フォルム・ロマヌム、皇帝広場、コロッセウム
https://t.co/QKaajPjFDr
大久保正雄『地中海紀行』41回幻のローマ帝国1P49
カエサルとクレオパトラ「ルビコンを渡る」
https://t.co/RVJCXGrg2T
大久保正雄『地中海紀行』第42回幻のローマ帝国2P53
★Cariatides, acropols

大久保正雄2016年8月16日

2016年8月15日 (月)

『地中海紀行』第2巻、3つの帝国の都イスタンブール、エーゲ海文明

Ookubomasao118Ookubomasao120大久保正雄「地中海紀行」第82回、第2巻目次 第14回—27回
『地中海紀行』第2巻、3つの帝国の都イスタンブール、エーゲ海文明

旅する哲学者 ピタゴラスの旅 プラトンの旅
ラオコーン像の3人の彫刻家 ロドス島 古代都市リンドス 
イアリュソスの丘 聖ヨハネ騎士団

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい女神が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■第2巻目次 第14回—27回
著者:大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』 https://t.co/HO0RinYljg
★トルコ、イスタンブール編
イスタンブール 二千年の都
https://t.co/QE604XcAHJ
大久保正雄『地中海紀行』第14回P1
COPYRIGHT大久保正雄 2001.7.25
ビザンティン帝国の都 コンスタンティヌス帝、ユスティニアヌス帝 
https://t.co/TK6s5pJomD
大久保正雄『地中海紀行』第15回P3
幻影の帝国ビザンティン 地位崇拝の階級主義
https://t.co/at2wPH4lTq
大久保正雄『地中海紀行』第16回P7
ビザンティン帝国の皇帝たち 哲学を愛した皇帝、ユリアヌス
https://t.co/8QLRG2h8aL
大久保正雄『地中海紀行』第17回P9
旅する哲学者、地中海、魅惑の海のほとりにて
https://t.co/9iKqEDdkF9
大久保正雄『地中海紀行』第18回P14
旅する哲学者、黄昏の地中海
https://t.co/1x0e10Wxze
大久保正雄『地中海紀行』第19回P17
コンスタンティノープル陥落、メフメト2世、オスマン帝国の都
メフメト2世、オスマン艦隊の陸越え、
https://t.co/SsEO32k0BE
メフメト2世 兄弟殺し、メフメト3世 鳥籠
大久保正雄『地中海紀行』第20回P20
イスタンブール オスマン帝国の都1
スレイマンは、フランス國王フランソワ1世と手を組み、カール5世に對峙し、ヨーロッパの政局を操る。
地中海はスレイマンの海 スレイマン1世、皇妃ヒュッレム
https://t.co/kFY6vcPKHp
大久保正雄『地中海紀行』第20回2 P24
イスタンブール オスマン帝国の都2
イスタンブール 時を超える旅 3つの帝国の都
https://t.co/nVkvDzGwgx
大久保正雄『地中海紀行』第21回1 P27
神々の黄昏 皇帝テオドシウス 多神教祭儀を禁止。ローマ帝国滅亡
皇帝ユスティニアヌス1世、プラトンのアカデメイア閉鎖。529年*
プラトンは、紀元前387年四十歳の時、アカデメイアの地に學園を設立した。アカデメイア916年の歴史を終焉。
https://t.co/OSyk6Kzoq3
★エーゲ海編
大久保正雄『地中海紀行』第21回2 P33
黄昏の旅人、黄昏のギリシア エーゲ海の飛行 
https://t.co/EzCs4zOi1K
大久保正雄『地中海紀行』第22回P35
エーゲ海年代記 文明の十字路
https://t.co/GNcb8c6Gzr
大久保正雄『地中海紀行』第23回P38
旅する哲学者、エーゲ海の瞑想 ヘラクレイトスの言葉
https://t.co/T1Ec9npIoJ
大久保正雄『地中海紀行』第24回P41
旅する哲学者 ピタゴラスの旅 プラトンの旅
https://t.co/1QDmeBNsBY
大久保正雄『地中海紀行』第25回P44
エーゲ海の薔薇、ロドス島 皇帝ティベリウス、ロドスのアンドロニコス
https://t.co/e0GL13xWMv
大久保正雄『地中海紀行』第26回 P47
ラオコーン像の3人の彫刻家
ロドス島 古代都市リンドス イアリュソスの丘 聖ヨハネ騎士団
https://t.co/a1pSiZyvJc
大久保正雄『地中海紀行』第27回 P51
大久保正雄2016年8月15日

2016年8月14日 (日)

『地中海紀行』第1巻 ルネサンスの都フィレンツェ、哀愁の大地スペイン

Ookubomasao01_2Ookubomasao03大久保正雄「地中海紀行」第81回、第1巻目次 第1回—第13回
『地中海紀行』第1巻 ルネサンスの都フィレンツェ、哀愁の大地スペイン

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい女神が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

第1巻目次 第1回—第13回
著者:大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
https://t.co/HO0RinYljg
大久保正雄「地中海紀行」
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/
大久保正雄「地中海紀行」第1回、魅惑の地中海
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-1889.html
大久保正雄「地中海紀行」第2回 p4
メディチ家とプラトンアカデミー 黄昏のフィレンツェ
プラトンは、紀元前387年四十歳の時、アカデメイアの地に學園を設立した。
ローマ皇帝ユスティニアヌス1世529年アカデメイア916年の歴史を終焉。
1439年7月6日フィレンツェ公会議、コンスタンティノープルから、プラトン学者ゲミストス・プレトンが来訪、コジモはプレトンの示唆によりアカデミア・プラトニカを構想した。
1459年、コジモ、カレッジ別荘に、プラトン・アカデミー設立。
1462年コジモ・デ・メディチは、マルシリオ・フィチーノ(1433 - 1499)にプラトンの原典とカレッジの別荘を与え、プラトン全集の翻訳を命じる。コジモは1464年に死ぬ。
https://t.co/QQtspVQ4FD
ルネサンスの奇人変人、メディチ家 コジモとロレンツォ
https://t.co/1ycQTUMP05
大久保正雄「地中海紀行」第3回 p7
ルネサンスの奇人変人、フィリッポ・リッピ、カトリーヌ・ド・メディシス
https://t.co/5Szv6nxGVY
大久保正雄「地中海紀行」第4回 p11
哀愁の大地スペイン 西方の真珠コルドバ
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-45d0.html
大久保正雄「地中海紀行」第5回 P16
アンダルシアの光と影 コルドバ 列柱の森メスキータ
https://t.co/DZe7sDXFiy
大久保正雄「地中海紀行」第6回—1 P20
狂人皇帝たちの宴。ローマ帝国 
狂帝、愚帝、無能皇帝、凡庸なる者たちの支配する国、
https://t.co/pnxwQtSqHp
トマ・クテュール(1815-1879)「退廃期のローマ人たち」(1847)ローレンス・アルマ・タデマ「ヘリオガバルスの薔薇」(1888)はローマ皇帝へリオガバルスは客人に薔薇を見せて、大量の花びらを落として窒息死するのを眺めて愉しんだという逸話。
大久保正雄「地中海紀行」第7回 P24
スペインの光と影 アンダルシアの哲学者
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-8103.html
大久保正雄「地中海紀行」第8回 P27
グラナダ アルハンブラの残照
https://t.co/dgKkhJxh5U
大久保正雄『地中海紀行』第9回 P32
塔の中の王女たち 『アルハンブラ物語』
https://t.co/tLAjHOtwau
大久保正雄『地中海紀行』第10回 P35
トレド、時が歩みを止めた町
https://t.co/1HyT6px0yn
大久保正雄『地中海紀行』第11回 P38
エル・グレコ、終焉の地トレド
https://t.co/SZigrSYCV7
大久保正雄『地中海紀行』第12回 P43
スペイン・ハプスブルグ家、太陽の沈まぬ帝国、黄金の世紀
https://t.co/ujZuXIDOYN
大久保正雄『地中海紀行』第13回 P46
★Firenzeの黄昏
★Palazzo Medici Riccardi

大久保正雄 2016年8月13日

2016年8月13日 (土)

宮澤賢治 光輝く天の仕事 美への旅

Van_gogh_starry_night宮澤賢治 光輝く天の仕事 美への旅
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第80回宮澤賢治 光輝く天の仕事P1—7

はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。
美しい天使が舞い下りる。美しい天使が、あなたを救う。
瞬間のなかに永遠がある。微小な世界に、宇宙がある。因陀羅の網をひろげ三昧する。一即一切、一切即一*。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

宮澤賢治の世界は、生死の境の物語である。幽明界の境、他界への憧憬、食物連鎖の競走界からの逸脱、他界からの訪問者、天の童子のこの世への降臨、この世に生きる悲傷がある。宮澤賢治は、この世で人のために尽くし、人を救おうとしたが、この世に生きることに苦しんだ。人の苦しみ、心の痛みを体感する人である。知恵に至る旅の途中の幻想の城、法へ至る化城(『法華経』化城喩品)なのか。
天界からこの世に降りてきた魂。天の童子。
生きとし生けるものの悲しみを聞き苦しみを取り除く観世音菩薩なのだろう。

宮澤賢治の世界は、宇宙意志の芽生えといわれるが、如来の世界と一体化したのか。
この世は、法界体性智の現れなのか。
宇宙意志の現れというには、この世はあまりに残酷である。
生命界、人間界、いきものは競争と殺戮に満ちて、生きていくことは苦しい。
「かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。」『よだかの星』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■宮澤賢治、年代記
1896—1908 幼年期、賢治12歳
1909—1914 盛岡中学時代、賢治18歳
1915—1920 盛岡高等農林学校時代、賢治24歳
★1917年、同人雑誌『アザリア』第1号、発刊。同人12人。21歳。
1921—1925 家出上京、農林学校教師時代、賢治29歳
★1924年、『春と修羅』自費出版、イーハトブ童話『注文の多い料理店』刊。28歳。
 ★『銀河鉄道の夜』初稿、書く。
 ★1925「告別」春と修羅、第2集
1926—1928 羅須地人協会時代、賢治30—32歳
1902—1932 闘病、東北砕石工場技師時代。喀血。賢治36歳で死去。

■宮澤賢治のことば
★『春と修羅』(mental sketch modified)
れいろうの天の海には、聖玻璃の風が行き交ひ
★『よだかの星』
自分のからだがいま燐の火のような美しい光になって、しずかに燃えている。
「かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。」
★『注文の多い料理店』序 
きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をたべることができます。
あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。
『春と修羅・序』わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
★『雁の童子』無上菩提
★『雁の童子』可愛らしい天の子供、天の眷属、天の童子、沙車大寺
流沙の南の、楊で囲まれた小さな泉で、私は、いった麦 粉を水にといて、昼の食事をして居りました。
そのとき次々に雁が地面に落ちて来て燃えました。
私共は天の眷属でございます。罪があってたゞいままで雁の形を 受けて居りました。只今報ひを果しました。私共は天に帰ります。
沙車の町はづれの砂の中から、古い沙車大寺の あとが掘り出されたとのことでございました。一つの壁がまだその まゝで見附けられ、そこには三人の天童子が描かれ、ことにその一 人はまるで生きたやうだとみんなが評判しましたさうです。
(勿論だ。この人の大きな旅では、自分だけひとり遠い光の空へ飛び去ることはいけないのだ。)
そしてお二人は町の広場を通り抜けて、だんだん郊外に来られま した。沙がずうっとひろがって居りました。その砂が一ところ深く 掘られて、沢山の人がその中に立ってございました。お二人も下り て行かれたのです。そこに古い一つの壁がありました。色はあせて はゐましたが、三人の天の童子たちがかいてございました。須利耶 さまは思わずどきっとなりました。
『業の花びら』ああ誰か来てわたくしに云へ 億の巨匠が並んで生まれ しかも互いに相犯さない 明るい世界は必ず来ると
★『学者アラムハルドの見た着物』
人はまことを求める。真理を求める。ほんとうの道を求めるのだ。人が道を求めないでいられないことはちょうど鳥の飛ばないでいられないとおんなじだ。おまえたちはよくおぼえなければいけない。人は善を愛し道を求めないでいられない。それが人の性質だ。これをおまえたちは堅くおぼえてあとでも決して忘れてはいけない。おまえたちはみなこれから人生という非常なけわしいみちをあるかなければならない。たとえばそれは葱嶺の氷や辛度の流れや流沙の火やでいっぱいなようなものだ。そのどこを通るときも決して今の二つを忘れてはいけない。それはおまえたちをまもる。それはいつもおまえたちを教える。決して忘れてはいけない。
★『インドラの網』于閻大寺の壁画のなかの子供、天の子供
(とうとうまぎれ込んだ、人の世界のツェラ高原の空間から天の空間へふっとまぎれこんだのだ。)私は胸を躍らせながら斯う思いました。
ふと私は私の前に三人の天の子供らを見ました。それはみな霜を織ったような羅をつけすきとおる沓をはき私の前の水際に立ってしきりに東の空をのぞみ太陽の昇るのを待っているようでした。その東の空はもう白く燃えていました。私は天の子供らのひだのつけようからそのガンダーラ系統なのを知りました。又そのたしかにコウタン大寺の廃趾から発掘された壁画の中の三人なことを知りました。私はしずかにそっちへ進み愕かさないようにごく声低く挨拶しました。
『銀河鉄道の夜』
けれどもほんとうのさいわいとは、
「けれども誰だってほんたうにいいことをしたらいちばん幸せなんだね。」(「銀河鉄道の夜」より、カムパネルラの言葉)
★『告別』『春と修羅』第2集 かゞやく天の仕事もするだらう
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
*『書簡』
「宇宙意志があってあらゆる生物をほんたうの幸福に齎したいと考えているものか」「あらゆる迷誤をはなれてあらゆる生物を究竟の幸福にいたらしめようとしている」(書簡『校本宮澤賢治全集』第十三巻453—454)

■星空の旅人、星空の案内人
地平線、地平線 灰色はがねの天末で 銀河のはじが、茫乎とけむる
■「星月夜の糸杉」
賢治は『白樺』にて「星月夜の糸杉」をみたらしい。The drawing Cypresses in Starry Night
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Starry_Night
■世界観の展開
『法華経』から、因陀羅の網、一即一切、一切即一(『華厳経』)へ。
■『春と修羅』
告別、宮澤賢治、春と修羅、第2集
三八四  告別
一九二五、一〇、二五、

おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管くゎんとをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
「宮沢賢治全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年2月26日第1刷発行

春と修羅(mental sketch modified)宮澤賢治

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
 れいろうの天の海には
  聖玻璃の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN 春のいちれつ
    くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげろふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥)
  日輪青くかげろへば
    修羅は樹林に交響し
     陥りくらむ天の椀から
      黒い木の群落が延び
       その枝はかなしくしげり
      すべて二重の風景を
     喪神[そうしん]の森の梢から
    ひらめいてとびたつからす
    (気層いよいよすみわたり
     ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截[き]る
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる)

あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
★★
★Gogh, Starry night, 1889, Metropolitan Museum
★ゴッホ『星月夜』1889年ニューヨーク・メトロポリタン美術館
★参考文献
天澤退二郎、入澤康夫編『校本宮澤賢治全集』筑摩書房
佐藤泰正編『宮澤賢治必携』『別冊国文学 No.6』学燈社1980
『国文学 解釈と教材の研究 特集 宮沢賢治を読むための研究事典』学燈社1989年
『国文学 解釈と教材の研究 臨時増刊号 宮沢賢治の全童話を読む』学燈社2003年
天澤退二郎編『宮澤賢治万華鏡』新潮文庫
天澤退二郎編『銀河鉄道の夜』新潮文庫
天澤退二郎『《宮澤賢治》論』筑摩書房1976
天澤退二郎『宮沢賢治の彼方へ』思潮社1968ちくま学芸文庫
山内修『宮澤賢治 年表作家読本』河出書房新社P101
「星月夜の糸杉」The drawing Cypresses in Starry Night
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Starry_Night
原子朗『新宮沢賢治語彙辞典』東京書籍1999
大久保正雄 2016年8月12日

2016年8月12日 (金)

ロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ

Chambordロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第79回ロワールの古城めぐりP38—42

ロワールの古城めぐり ルネサンスの夢の果て
ロワール渓谷は、王族、貴族の城館が130余りある。フランスの庭園とよばれる。
フランスにルネサンスをもたらした王、フランソワ1世。フランソワ1世に、イタリアから、レオナルド・ダ・ヴィンチ、メディチ家のカトリーヌが呼び寄せられる。
カトリーヌは、14歳でフランス王家に嫁ぐが、アンリ王子には美貌の愛人がいた。
レオナルド、カトリーヌの影を追うと、理想と運命の狭間に揺れうごく夢みる魂がみえる。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■フランソワ1世の城
アンボワーズ城、ブロワ城、シャンボール城、シュノンソー城。フォンテーヌブロー宮殿。
【アンボワーズ城】Château d'Amboise
アンボワーズ城はロワール川を見渡す岬に建てられている。
1515年12月、王の客としてレオナルド・ダ・ヴィンチがアンボワーズ城に招かれ、近くのクロ・リュッセで生活していた。城とクロ・リュッセは地下道でつながっている。ダ・ヴィンチが埋葬されたサン・ユベール教会堂は城に隣接している。アンボワーズ城の庭には、イタリア風レイアウトが採用された。フランス式庭園(幾何学的構成の庭園)の始まり。アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスは自分たちの子供と一緒に、後のフランソワ2世の婚約者でスコットランド女王のメアリー・ステュアートをアンボワーズ城で育てた。

【ブロワ城】Château de Bloi
フランソワ1世が王になると、クロード王妃はブロワ城を改修させてアンボワーズ城から移る。フランソワ1世は城に新しい翼を建設し、図書室を造った。しかし王妃が1524年に死ぬと、王がブロワ城で過ごすことはほとんどなく、大量の蔵書はフォンテーヌブロー城に移されて「Bibliothèque Nationale(国立図書館)」が作られる。
フランソワ1世の翼では、建築や装飾にイタリアの影響が見られる。中央には美しい彫刻に囲まれた八角形の螺旋階段があり、城の中央の庭園が見渡せる。この螺旋階段は、ルネサンス様式の傑作。この翼の後ろはファサードであり、ところどころにニッチ(壁巖)がある。城の壁にはフランソワ1世のシンボルであるサラマンダーを模った装飾が施されている。「秘密の部屋」カトリーヌ王妃の毒の隠し場所がある。

【シャンボール城】Château de Chambord
レオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ王の客人であり、アンボワーズ城近くのクロ・リュッセに住んだ。ダ・ヴィンチはシャンボール城の設計に関与した。フランソワ王は、自分の富と権力の巨大な象徴として、宿敵カール5世をシャンボールに招待して見せびらかした。

【シュノンソー城】Château de Chenonceau
フランソワ1世に献上された。フランソワ1世が1547年に死ぬと、アンリ2世は城を愛妾のディアーヌ・ド・ポワチエに贈った。
ディアーヌ・ド・ポワチエは城と川沿いの眺めを非常に愛した。彼女はアーチ型の橋を建設、城を向こう岸と結んだ。庭園に花や野菜、果樹なども植えさせた。【ディアーヌの庭】川岸に沿っているため氾濫に備えるため石のテラスで補強され、4つの三角形が配置された洗練された庭が作られた。ディアーヌは城主であったが所有権は王にあった。長年の法的策略の結果、1555年、ようやく城は彼女の資産となった。しかしアンリ2世が1559年に死ぬと、彼の気の強い妻で摂政のカトリーヌ・ド・メディシスはディアーヌを城から追い出した。【カトリーヌの庭】カトリーヌ王妃はシュノンソー城に自分の庭を付け加え、お気に入りの滞在場所とした。1624年にはアンリ4世の愛妾ガブリエル・デストレがシュノンソーを居城とした。

【フォンテーヌブロー宮殿】Palais de Fontainebleau
現在の建築を作ったのはフランソワ1世で、建築家の「ブルターニュのジル」が南門「Porte Dorée(黄金の門)」を含む「Cour Ovale(楕円宮廷)」の建物の殆どを建築した。王は建築家のセバスティアーノ・セルリオとレオナルド・ダ・ヴィンチをもフランスに招いている。フランソワ1世のギャラリーのフレスコはロッソ・フィオレンティーノによるスタッコ(化粧漆喰)で仕上げられ、1522年から1540年に作られ、フランスで最初の大きな装飾ギャラリーとなった。1516年、フォンテーヌブロー派、始まる。

【フランソワ1世】
François Ier、(1494年9月12日 - 1547年3月31日)
2代前のフランス王シャルル8世が始めたイタリア戦争(1494-1559)を継続。イタリア支配をめぐる、神聖ローマ皇帝とフランス王の戦い。1494年、フランス王シャルル8世のフィレンツェ侵攻から始まる。1515年にミラノ公国を占領しスフォルツァ家を追放した。スフォルツァ家に仕えていたレオナルド・ダ・ヴィンチは、1516年フランスへ移り、ルネサンス文化を伝える。

■愛と欲望のルネサンス
カトリーヌ・ド・メディチとディアーヌ・ポワチエ

【カトリーヌ・ド・メディシス】
Catherine de Médicis, (1519年4月13日 - 1589年1月5日)
出産後に母が亡くなり、間もなく父も亡くして孤児となる。オルシーニ家の養女となる。0歳。
1527年、フィレンツェにおけるメディチ家の政権は打倒され、カトリーヌは人質とされて女子修道院に入れられる。8歳
1529年10月、カール5世の軍隊はフィレンツェを包囲。【フィレンツェ包囲】10歳
1530年8月12日にフィレンツェは陥落、教皇クレメンス7世はカトリーヌをローマへ呼び寄せる。
カトリーヌがローマを訪れた時、ヴェネツィア大使は「小柄で痩せており、顔立ちに優美さはなく、またメディチ家特有の突き出た目をしている」。カトリーヌは従兄のイポリットと恋仲になっていたが、教皇クレメンス7世は野心家の彼を退け、婿探しを始める。数多くの求婚者がいた。
1533年、ローマ教皇クレメンス7世とフランス王フランソワ1世の間で縁組交渉が纏まり、フランスの第2王子と結婚。14歳。
1534年9月25日、教皇クレメンス7世が死去するとフランス宮廷におけるカトリーヌの立場は悪化。新教皇パウルス3世はフランスとの盟約を破棄。
アンリ王子は妻であるカトリーヌに関心を示さず、愛人を持つ。結婚から最初の10年間、カトリーヌは子を産まなかった。
★1559年、娘エリザベート(1545年 - 1568年)とスペイン王フェリペ2世の結婚祝賀、馬上槍試合の事故でアンリ2世が死去。
アンリ死後30年、69歳まで生き、君臨する。
★1572年、パリやフランス各地でプロテスタントの大量虐殺【サン・バルテルミの虐殺】が起き、カトリーヌは悪名を残す。
王アンリとの間に10人の子女をもうけた。

【レオ10世】法王
Leo10 1513—21
メディチ家のローマ法王、46歳で急死。前任者ユリウス2世の武力による領土拡大政策と異なり、ローマを文化の中心とすることを目ざす。
【クレメンス7世】法王
Clemens7 1523—34
メディチ家出身のローマ法王、カトリーヌとアンリ2世を政略結婚させる。

【アンリ2世】
Henri II de France, 1519年3月31日 - 1559年7月10日
娘の結婚祝いの馬上試合で重傷を負い、死す。40歳
メディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスを王妃とした。カトリーヌが嫁ぐ前から家庭教師であったディアーヌ・ド・ポワチエと長く愛人関係にあった。

【ディアーヌ・ド・ポワチエ】
Diane de Poitiers, 1499年9月3日 - 1566年4月25日
アンリ2世の愛妾。
★19歳年下の国王の愛を20年間独占し続けた美女の秘密。絶世の美貌と輝く肌。
★ディアーヌは、カトリーヌに脅威を感じて、アンリに王妃との子を産ませ産褥で病弱になるよう嗾けた。
1559年、アンリが馬上試合で重傷を負うと、王妃カトリーヌ・ド・メディシスが支配権を握り、カトリーヌは王がディアーヌに贈ったもののリストを作っており、王の死後直ちにディアーヌにその全ての返還を迫った。★カトリーヌはディアーヌをシュノンソー城から追放してショーモン城に移した。67歳で死去。

【ヴァロワ朝】dynastie des Valois 1328年から1589年まで
カトリーヌ・ド・メディシスが、ヴァロワ朝を滅亡させる。
―――――
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「地中海紀行」第64回ルネサンス、ヴァロワ朝P39
メディチ家年代記 メディチ家礼拝堂の幽明境
https://t.co/jfr10GQn6W
メディチ家とプラトンアカデミー 黄昏のフィレンツェ
https://t.co/QQtspVQ4FD
ルネサンスの奇人変人、フィリッポ・リッピ、カトリーヌ・ド・メディシス
https://t.co/5Szv6nxGVY
★Château de Chambord
★Château de Chenonceau
★Catherine de Médicis
★Diane de Poitiers
★参考文献
佐藤賢一『ヴァロワ朝』講談社現代新書
佐藤賢一『カペー朝 フランス王朝史1』講談社現代新書
八幡和郎『愛と欲望のフランス王列伝』集英社新書
【ディアーヌ・ド・ポワチエ】
木村泰司『美女たちの西洋美術史』光文社新書
【カトリーヌ・ド・メディシス】
オルソラ・ネーミ、ヘンリー・ファースト『カトリーヌ・ド・メディシス』千種堅訳、中央公論社、1982
ジャン・オリユー 『カトリーヌ・ド・メディシス―ルネサンスと宗教戦争〈上下〉』田中梓訳、河出書房新社
佐藤賢一『黒王妃』講談社2012
桐生操『王妃カトリーヌ・ド・メディチ―ルネッサンスの悪女』PHP研究所2003
桐生操監修 『ヨーロッパの古城・宮殿がよくわかる本』(PHP文庫)PHP2010
中嶋浩郎『図説 メディチ家』河出書房新社
大久保正雄2016年8月11日

2016年8月11日 (木)

シェイクスピア、 『ハムレット』のディレンマ

OpheliajohneverettmillaisThomas_francis_dicksee_ophelia大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第78回シェイクスピアのディレンマ
シェイクスピア 『ハムレット』のディレンマ

人生は戦いであり、戦場である。人は、いかに正しくても、窮地に陥ることがある。二つの道のどちらを選ぶべきか、人は苦悩する。美徳なき時代、本質直観と論証を構築することによって、悪と戦わねばならない。階級社会と権力の暴力に反抗して。ソクラテスのように
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
ディレンマ(Dilemma両刀論法)、二律背反(Antinomie)、二つの道のどちらを選ぶべきか、人は苦悩する。難問、窮地(Aporia)に陥るとき、解決法を模索する。自己矛盾する主張には、パラドックス(Paradox)がある。有名なパラドックス(Paradox)には、ソクラテスのパラドックスがある。
【ソクラテスのパラドックス】は、ソクラテスの知をめぐるパラドックスである。プラトン『ソクラテスの弁明』『メノン』。
■シェイクスピア『ハムレット』のディレンマ
生きるべきか死ぬべきか。
戦いを避けて、生きようとするなら、臆病者という汚名の恐れがある。
闘って死のうとするなら、命を失う恐れがある。
ハムレットは、生を選ぶこともできず、死を選ぶこともできず、煩悶する。
シェイクスピア『ハムレット』1600
■シェイクスピア『ハムレット』
この前提には、ハムレット王暗殺事件がある。王暗殺に、王妃ガートルードが関与している可能性がある。劇中劇で、耳から毒殺されたことが判明する。
忍耐するべきか、復讐するべきか。ディレンマ(両刀論法)である。
「口先だけで愛すると言うなら、私も口先だけで愛すると言います。
本気で愛するというなら、私も本気で無視するといいます。」イモージェン、シェイクスピア『シンベリン』
ディレンマ(Dilemma両刀論法)は、2つの互いに対立しあう主張が、同時に成り立つ。互いに矛盾することである。一方が成り立てば、他方が成り立たない。
トリレンマ(Trilemma)は、3つの互いに対立しあう主張が、同時に成り立つことである。
シェイクスピア『ハムレット』は、デンマーク王家、王宮エルシノア城で起きる事件である。

■エウリピデス『オレステス』のディレンマ
『ハムレット』は、ハムレット王暗殺をめぐり、ハムレットが、新しい王と王妃に復讐を遂げる復讐劇である。これは、古代ギリシア悲劇の同工異曲である。
『オレステス』は、アガメムノン王暗殺をめぐり、オレステスが、王妃クリュタイムネストラと愛人アイギストスに復讐を遂げる復讐劇である。
オレステスは、姉エレクトラと一緒に、王妃クリュタイムネストラを殺害し、その後、煩悶する。
『オレステイア』三部作は、ミュケナイ王家の悲劇、トロイア戦争後、紀元前1200年の復讐劇である。
【タンタロスの呪い、ペロプスの呪い】オレステスの5世代前の事件がある。
■手塚治虫『ガラスの地球を救え』ブラック・ジャックのディレンマ
ブラック・ジャックはどんな患者でも治してしまいますから、患者は寿命が延びます。先端医療機関は、どんどん患者を救って生命を延ばします。結果的に、世の中は死ぬ人間が少なくなり、高齢化社会に傾いて行くのではないか。ブラック・ジャックは、一人患者を治すごとに、いつも悩みに苦しむのです。
人間はただ命が助かって寿命が延びただけでは「生きている」とは言えません。老人にも「生きがい」がなければ生きる気力が湧いてこない。老人に対する社会の目はかなり冷たいものがある。若さでこの世を謳歌することや、仕事に没頭することですっかり忘れている。
★ディレンマ1
高層ビル建設のために、一本のケヤキの木が伐り倒されることになる。ある老人が建設を食い止めようとするが果たせず、切り倒される最後の日、欅といっしょに酒盛りした後、その枝で首つり自殺を図る。ブラック・ジャックは、手術して助けるが、問題を抱える。老人は生きのびたが、老人にはもはや生きがいがない。
★ディレンマ2
ある老人は、腕のいい大工で、ブラック・ジャックの手術室と病室を増築することに執念を燃やす。だが中途で病に倒れる。彼は白血病で、広島で原爆にやられていた。ブラック・ジャックはその老人を前にしながら、原爆という巨大な敵をねじ伏せることができなかった。ブラック・ジャックは、医療とは何か、人間の幸福とは何か、問いを繰り返す。
「いのちはあるが、生きがいがない」「生きがいはあるが、いのちがない」ここに、ディレンマがある。
窮極のディレンマ、「生命と生きる価値」のディレンマである、と私は考える。
■加藤尚武「生命倫理学と環境倫理学の対立」ディレンマ
生命倫理学(Bioethics)と生命倫理学(Bioethics)は、ディレンマの関係にある。
ディレンマ(Dilemma)は、2つの互いに対立しあう主張が、同時に成り立つ。互いに矛盾する。一方が成り立てば、他方が成り立たない。
生命倫理学(Bioethics)は、自己決定をよりどころに展開される。環境倫理学(EmbiolonmentalEthics)は、人類の生存可能が重要な原理である。生命倫理学は個人の自己決定が原理であり、環境倫理学は全体の生存可能が原理である。
環境倫理学の基本テーゼ
1、自然物も最適の生存への権利をもつ。2、未来世代の生存権と幸福に責任をもつ。世代間倫理。3、決定の基本単位は、生態系そのもの。地球全体主義。
生命倫理学の基本テーゼ
1、生命倫理学の基本概念である生命の質は、痛いか、痛くないかという現在の感覚が価値判断の原点。2、生命倫理学は、生存権を人格に限定する。3、生命倫理学と環境倫理学の対立は、個人と全体の対立である。
★参考文献 加藤尚武『環境倫理学のすすめ』「生命倫理学と環境倫理学の対立」1991
生命倫理学(Bioethics)は、「医療や生命科学に関する倫理的・社会的・哲学的・法的問題やそれに関する問題をめぐり研究する学問」と定義されている。アメリカでの、医療における患者の人権問題が発端とされている。
加藤尚武(1937~)によると、バイオエシックスは、「自分のものは自分で決めていい」という個人主義を徹底し、相対主義の価値観に立脚して人間と人間の関係について考える学問であるとする。このため、生命倫理学と環境倫理学は本質的に対立するという。
加藤尚武は、生命倫理学と環境倫理学(EmbiolonmentalEthics)の関係をつぎのように説明する。個人主義を徹底する生命倫理学に対して環境倫理学では、地球での人間の生存を可能な状態にすることをもっとも大切な原理とし、個人の生存より生態系の存続を優先する傾向を持つとする。例えば、環境倫理学者は、人口増加を防ぐためは中絶を強制することもやむをえないと判断する。一方、生命倫理学者は、個人の自己決定権を侵害することは絶対に許されないとして、これを否定することになる。
■『ファウスト』のディレンマ
老学者ファウスト博士は、あらゆる学問を学んだが、人生の楽しみを手に入れていない。
ファウストは、悪魔と契約して魂を売りわたすかわりに、地上の快楽を手に入れる。
手塚治虫『ネオ・ファウスト』『百物語』は、ファウストのディレンマを尖鋭化してイメージ化する。若く才能がある貧しい青年と老いた金持ちのディレンマ。
「いのちはあるが、生きがいがない」「生きがいはあるが、いのちがない」ここに、ディレンマがある。窮極のディレンマ、「生命と生きる価値」のディレンマである。
この窮極には、ソクラテスの思想がある。「人はただ生きるだけではなく、よく生きること、美しく生きることが、大切である」。
■世界観の対立
倫理学の歴史は、世界観の対立の歴史である。
プラトン、アリストテレスの価値論倫理学、目的論倫理学とカントの規範倫理学、義務論倫理学との戦いである(cf.黒田亘『行為と規範』)。
だが、近代において、倫理学は堕落した。価値論倫理学は、功利主義倫理学に堕落し、規範倫理学、義務論倫理学は、階級主義倫理学に堕落した。現代は、美徳なき時代、悲劇なき時代、『いかさま師』の時代である。美徳なき時代、いかに理想と価値を再構築するか。
大久保正雄
―――――
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
https://t.co/gW05rsb44i
ソクラテスは、論理の達人に止まらず、夢と瞑想とダイモーン(守護霊)の声を聴く人。
大久保正雄『地中海紀行』第44回ソクラテスの祈り
哲学者の魂 ソクラテスの死
https://t.co/K1EiSrdg79
大久保正雄『地中海紀行』第43回哲学者の魂 ソクラテスの死1

★Thomas Francis Dicksee, Ophelia,1864
★Shakespeare, Hamlet, Elsinore Castle,Cronborg Castle
★Goethe, Faust
★参考文献
加藤尚武『環境倫理学のすすめ』1991
加藤尚武「生命倫理学と環境倫理学の対立」
山内得立『ロゴスとレンマ』岩波書店
黒田亘『行為と規範』勁草書房1991
マーティン・コーエン『倫理問題101問』ちくま学芸文庫
マーティン・コーエン『哲学問題101問』ちくま学芸文庫
Cf.山下正男『論理的に考えること』岩波書店P34
小田島雄志『小田島雄志のシェイクスピア遊学』白水Uブックス1982
監修 福田恆存『シェイクスピア・ハンドブック』三省堂1987
池内紀訳ゲーテ『ファウスト』第一部、第一部、集英社文庫2004
手塚富雄訳ゲーテ『ファウスト』第一部、第一部、中公文庫
河合祥一郎訳『ハムレット』角川文庫
環境倫理用語集 http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=3486
大久保正雄2016年8月10日

2016年8月10日 (水)

ロマン派詩人 地中海の旅 美への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第77回ロマン派詩人と地中海
ロマン派詩人 地中海の旅 美への旅

美は真であり、真は美である。汝、生涯に知るべきことはそれがすべてである。
はちみつ色の夕暮れ。黄昏の丘、黄昏の森、迷宮図書館、知の神殿。瞬間のなかに永遠がある。微小な世界に、宇宙がある。一即一切、一切即一(『華厳経』)。
藝術家、思想家たちは、地中海へ旅をした。燦めきの海、エーゲ海の旅は、美しい思想を湧き起こす。美しい思いは美しい人を引き寄せる。作者は、作品である。最高の藝術作品は美しい人生である。エフェソスのアルテミス神殿に佇むと、古代の哲学がよみがえる。ヘラクレイトスの思想、宇宙の回帰的時間。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

紀元前6世紀、ピュタゴラスは、サモス島からイタリアのクロトンへ旅した。紀元前4世紀、プラトンは、イタリアへ旅した。
ローマ皇帝ハドリアヌスは、ギリシアに魅せられ、地中海を旅した。15世紀、ルネサンス人は、ギリシアとローマ帝国の藝術に憧れた。愛の女神ヴィーナスの国。

■ロマン派の詩の花
一粒の砂に世界を見る。一輪の野の花に天国を見る。掌に無限を掴み、一時のうちに永遠を感じる。ウィリアム・ブレイク『無垢の予兆』William Blake,Auguries of Innocence
To see a world in a grain of sand. And a heaven in a wild flower, Hold infinity in the palm of your hand. And eternity in an hour.
彼女は、美に包まれて歩く。雲影もない国、星ひかる、夜空のように、漆黒の煌めくもの、善きものはことごとく、彼女の姿と瞳のなかにある。
バイロン『彼女は、美に包まれて歩く』George Gordon Byron,She walks in beauty.
美は真であり、真は美である。汝が生涯に知るべきことはそれがすべてである。
キーツ『ギリシャの古壺のオード』John Keats, Ode on a Grecian Urn
Beauty is truth, truth beauty, That all ye know in life, all ye need to know.
低く暮らし、高く思う。ウィリアム・ワーズワース。
Plain living and high thinking, William Wordsworth, London 1802
孫崎享 若い世代へ“低く暮らし、高く思う”ワーズワース。若い人の目標はより高い地位、物質的に豊かな生活。https://t.co/skJZT7SehW

■ロマン派詩人と地中海、異界への旅
ウィリアム・ブレイク(William Blake,1757-1827)。ロマン派の嚆矢。幻視力によって、人間の魂の姿を描く詩人。自由を抑圧する制度に反抗し、魂の解放を歌う。『無垢の歌』(The Songs of Innocence, 1789年)、『無垢と経験の歌』(The Songs of Innocence and of Experience, 1794年)、『天国と地獄の結婚』(The Marriage of Heaven and Hell, 1790年から1793年頃)
ロマン主義の詩人バイロン(George Gordon Byron,1788-1824)は、イタリア、ギリシアに憧れ、『チャイルド・ハロルドの遍歴』(Childe Harold's Pilgrimage, 1812)を書き、1823年ギリシア独立戦争へ身を投じる。ギリシアで、36歳で亡くなる。
詩人シェリー(Percy Bysshe Shelley,1792-1822)は、ギリシアに憬れ、1818年、詩人シェリーはメアリーを連れてイタリアに赴き、フィレンツェ、ピサ、ナポリ、ローマ各地を転々としながらプラトンの『饗宴』を翻訳し、『縛を解かれたプロメテウス』(Prometheus Unbound)を執筆した。難破して、地中海で死んだ。享年30歳。
詩人ジョン・キーツ(John Keats, 1795-1821)。1821年25歳の若さで死ぬ。ローマのスペイン広場の近くに住み、そこで結核で死ぬ。友人シェリーは挽歌「アドネイス」を書いてキーツの死を悼む。バイロンは、キーツとは余り深い交友はなかったが、その才能を高く評価していた。1819年、『秋に寄せて』(To Autumn)、『ギリシャの古壺のオード』(Ode on a Grecian Urn)代表作オードが次々と発表された。
ドイツ古典主義詩人アウグスト・フォン・プラーテン(August Graf von Platen-Hallermunde1796-1835)は、バイエルン出身。イタリアを永住の地と定め、シチリアのシラクサで死んだ。詩集『ベネチアのソネット』(1825)『トリスタンとイゾルデ』(1825)を残した。ロマン主義的詩である。
プラーテン『トリスタン』(生田春月訳)「美はしきもの見し人は、はや死の手にぞわたされつ、世のいそしみにかなはねば、されど死を見てふるふべし、美はしきもの見し人は。
愛の痛みは果てもなし、この世におもひをかなへんと、望むはひとり痴者ぞかし、美の矢にあたりしその人に、愛の痛みは果てもなし。
げに泉のごとも涸れはてん、ひと息ごとに毒を吸ひ、ひと花ごとに死を嗅がむ、美はしきもの見し人は、げに泉のごとも涸れはてん」。

■ロマン主義
ロマン派は、真の愛の探求、自由奔放の追求、階級社会に対する抵抗、理想主義の探求が根源にある。シェイクスピア(William Shakespeare,1564-1616)は、愛の探求、自由奔放の追求を、『ロミオとジュリエット』他で、表現した。(Cf.小田島雄志『シェイクスピアの人間学』)
イギリスのロマン主義詩人は、ウィリアム・ブレイク(William Blake,1757-1827)の詩を萌芽とする。ウィリアム・ワーズワース、バイロン、シェリー、キーツによって展開される。
ウィリアム・ワーズワース(Sir William Wordsworth, 1770- 1850)、イギリスのロマン派詩人。湖水地方をこよなく愛し、純真であると共に情熱を秘めた自然讃美詩を書いた。だが晩年、体制化した。ナポレオン戦争後、ジョージ・ゴードン・バイロン、パーシー・ビッシュ・シェリー、ジョン・キーツらは先鋭化しイギリスを去ってスイス・イタリアに移り、理想主義を掲げた。
■藝術家たちの地中海への旅
地中海は、藝術家、思想家たちを魅了してきた。
燦めきの海、エーゲ海の旅は、美しい思想を思い出す。美しい思いは美しい人を引き寄せる。最高の藝術作品は美しい人生である。エフェソスの幻のアルテミス神殿に佇むと、ヘラクレイトスの思想を思い出す。
地中海は、知恵と愛、幸福、美の国である。愛の女神ヴィーナスの国である。
哲学者たち、藝術家たちは何を求めて旅したのか。藝術家たちが地中海を旅したのは何故か。
17世紀、画家クロード・ロラン(Ciaude Lorrain,1600-1682)はイタリアで生涯を終えた。18世紀、ギャヴィン・ハミルトン(1723-98)は、イタリアと古代彫刻に魅せられイタリアで生涯を終えた。フランス革命の画家たち、ダヴィッド、アングル、フランソワ・ジェラールは、イタリアに魅せられ旅した。
ゲーテは、1786年イタリアに旅立ち、『イタリア紀行』(Italienische Reise,1816-1817)を書いた。スタンダールは、イタリアに憧れ、1799年、陸軍少尉としてイタリア遠征し、『イタリア紀行 ローマ、ナポリ、フィレンツェ』("Rome, Naples et Florence",1817)を書いた。スタンダールは、軍人となっても馬に乗る事も剣を振るう事も出来ず女遊びと観劇に現をぬかした。『恋愛論』("De l'amour", 1822)を書き、第一の結晶作用、情熱恋愛、恋愛至上主義、「己の全存在を賭けての愛」を主張した。
リルケ(Rilke,1875-1926)は、アドリア海に臨む孤城、ドゥイノの館に滞在し、イタリア、エジプト、スペインを旅し『ドゥイノの悲歌』(1923)『オルフォイスへのソネット』(1923)を書いた。
ニーチェ(Nietzsche,1844-1900)は、1879年から1889年まで様々な都市を旅し、哲学者として生活した。夏はスイス、サンモリッツ近郊ジルス・マリア、冬はイタリアのジェノヴァ、ラパッロ、トリノ、フランスのニースで過ごした。『ツァラトゥストラかく語りき』(Also sprach Zarathustra, 1883-91)、『善悪の彼岸』(Jenseits von Gut und Böse, 1886)、哲学書はこの10年間に書かれた。
ギャヴィン・ハミルトン(Gavin Hamilton, 1723-98) 。新古典主義の画家。1740年代グラスゴー大学とローマで学ぶ、1756年ローマにもどり、イタリアで生涯を終えた。イタリアに魅せられ、40年イタリアに暮らし、古代彫刻「アルテミス」「パリス」などローマ彫刻を発掘した。ギャヴィン・ハミルトンは、1785年、レオナルド「岩窟の聖母」the National Gallery, London, of Leonardo da Vinci's Virgin of the Rocksを購入し、ロンドンへ送った。
「トロイアの王子パリスに、スパルタのヘレネを引き合わせる愛の女神ヴィーナス」の絵を2度、描いている。「トロイアの王子パリスに、スパルタのヘレネを引き合わせる愛の女神ヴィーナス」パリスの審判、トロイア戦争の原因の有名な場面である。
"Venus giving Paris Helen as his wife" ,by Hamilton (1782-1784), held by the Palazzo Braschi, Rome
"Vénus présentant Hélène à Pâris", 1777-80, Musée du Louvre
―――――
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅
https://t.co/hjc7vHF74b
地中海 四千年のものがたり・・・藝術家たちの地中海への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-883e.html
★Aegean Sea,
★George Gordon Byron,

★参考文献
寿岳文章ウィリアム・ブレイク『無心の歌、有心の歌』角川文庫1999
阿部知二『バイロン詩集』新潮文庫1951
上田和夫『シェリー詩集』新潮文庫
『ワーズワース詩集』岩波文庫
小田島雄志『小田島雄志のシェイクスピア遊学』白水Uブックス1982
小田島雄志『シェイクスピア全集』白水Uブックス
小田島雄志『シェイクスピアの人間学』2007
大久保正雄2016年8月10日

2016年8月 9日 (火)

バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち

Caravaggio_1599大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第76回バロック 光と闇の巨匠たち
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち

黄昏の丘に上り、黄昏の森を歩く。森の中の迷宮図書館で考える。『香水壜』のような図書館。『夕暮れの諧調』を暗唱する。
春爛漫のイタリアを旅した日々。サンジミニャーノの塔。美しき残像を思い出す。糸杉の立つ丘を上って行く。フィエーゾレ、トスカーナのヴィラ。灼熱のローマ、寺院の闇にひそむ、カラヴァッジョの光と闇。
いかさま、殺人、自己陶酔、朽ち果てる果実。カラヴァッジョは、現実を刻銘に描いた。
美しい娼婦たち。カラヴァッジョは、3人の娼婦たちを聖母として描いた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

ローマのバルベリーニ宮殿(Palazzo Barberini)で見た、カラヴァッジョ「ホロフェルネスの首を切るユディト」(1598) を思い出す。降ってくる闇。光と闇の強烈な対比。闇の中に光る蝋燭。エロティックで暴力的なバロック趣味の様式。悪と善、肉体と魂。対立の極致に現れる人間の美醜。
聖なるものが、俗なるものによって、弑逆される。一般役人によって殺害される聖者。★カラヴァッジョ『洗礼者ヨハネの斬首』(1608)。
日常に潜む殺意と狂気。「精神を凌駕するものは、習慣だけだ」(三島由紀夫)。
高貴な習慣をもつ者だけが、真実をみつめる。日常にひそむ狂気に気づかぬ人々。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■バロックの巨匠たち
光と闇の6人の巨匠=カラヴァッジョ、ルーベンス、ヴェラスケス、レンブラント、ラ・トゥール、フェルメール
ベラスケス、ルーベンスの闇、ラ・トゥールの蝋燭、フェルメールの空間。
敵将の首を切る美女、恍惚の聖者、自己の美貌に溺れる美青年、いかさま師、朽ち果てる果実、犯罪者として処刑される聖者と首を切る役人。
「カラヴァッジョは西洋美術史上、最大の改革を行った天才」(宮下規久朗)。聖書の物語を日常の現実のドラマとして表現。殺人事件で指名手配された「呪われた画家」。
暗闇の中に差し込む一条の光。蝋燭の光に照らされた顔。16世紀から17世紀、光と闇を描いたバロックの画家たち。徹底した写実主義で劇的な光の効果を描いたカラヴァッジオ、暗闇の中にともる光で宗教画を描いたラ・トゥール、深い闇と静謐な光を描いたレンブラント。
カラヴァッジョは、「デッサンが現存しない」「ポートレイトになぜか左利きの人物が多い」という謎がある。カラヴァッジョは「直接投影法」のトレース技法で描いていたという説がある。画家は壁にレンズをはめ込んだ暗室、暗室内に写し出されたモデルの像を、左右反転したまま描いたのか。

【バロック 中心の喪失】
円に代わり楕円が構成の中心に据えられ、全体の均衡が軸を中心とした構成と色彩効果。*ハインリヒ・ヴェルフリン
バロックは、1580年以降、反ルネサンス、対抗宗教改革の運動として展開する。

【カラヴァッジョのモデルたち、3人の娼婦たち】
聖女を表現する娼婦たち。男殺しのフィリデ、『ホロフェルネスの首を斬るユディト』1598、ナヴォー広場の諍い女レナ、『蛇の聖母』1606、赤毛のアンナ、『エジプト逃避』1598


バロックの巨匠たち
カラヴァッジョ
Michelangelo Merisi da Caravaggio (1571-1610)
『エマオの晩餐』1606
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
George de La Tour, Le Tricheur (1632-35)
『悔悛するマグダラのマリア』1644
ルーベンス
Peter Paul Lubens  (1577—1640 )
『三美神』1630
ヴェラスケス
Verasquez  (1599—1660 ) 61歳没
『ラス・メニーナス』1656
レンブラント
Rembrandt  (1606—69 )
『夜警』1642
フェルメール
Veemer (1632—75 )43歳没
『牛乳を注ぐ女』1658
■カラバッジョ派
アルテミジア・ジェンティレスキ Artemisia Gentileschi(1593-1652)

■バロックが描きだす世界 現実を見つめる
【光と闇】降ってくる闇
★カラヴァッジョ『エマオの晩餐』1606
★カラヴァッジョ『洗礼者ヨハネの斬首』(1608)
★ラ・トゥール『悔悛するマグダラのマリア』1644
★ヴェラスケス『ラス・メニーナス』1656
闇のなかに光る蝋燭。闇のなかの処刑。微光のなかでくり広げられる王族と宮廷人。それを見る画家。それを見る王と王妃。

【美しき未亡人、敵将の首を斬る】
★カラヴァッジョ「ホロフェルネスの首を斬るユディト」1599
★アルテミジア・ジェンティレスキ「ユディトとホロフェルネス」1613カボディモンテ国立美術館
★クラナッハ「ホロフェルネスの首を持つユディト」1530年
―――――
アッシリア王ネブカドネザルは、反勢力民族を攻撃するため、司令官ホロフェルネスを派遣した。ホロフェルネスの軍勢は、ユダヤ人の町ベツリアを包囲した。町の水源を断たれ、指導者オジアは降伏を決意するが、ユディトは人民を励まし、神への信頼を訴える。しかし、ホロフェルネス軍と戦闘を起しても、勝算なく、ユディトは一計を企てる。
ユディト自身がホロフェルネスの陣地に赴く。
四日目にホロフェルネスは酒宴で泥酔し、天幕内にユディトはホロフェルネスと二人だけで残された。ユディトは眠っていたホロフェルネスの短剣を取り、彼の首を切り落とした。ユディトは侍女と共に首を携えてベツリアの町へ逃げ戻る。★『ユディト書』

【いかさま師の眼つき】
いかさま師の日常業務。これが、人間の現実である。
★「いかさま師」1632-35,Louvre
George de La Tour, Le Tricheur(1632-35) ,Louvre
古典主義の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール屈指の傑作『いかさま師(クラブのAを持った)』。ラ・トゥールの作品は静謐で精神性の高い夜中を思わせる宗教画が多い。風俗画も描いた。卓越した眼でいかさまを行なおうとする男の劇的な瞬間を捉えた作品。イタリア・バロックの画家カラヴァッジョが最初に描いたとされる主題『いかさま師』。17世紀の道徳論で三大誘惑「遊興」「酒」「淫蕩」を戒める意味をもつ。
いかさま師を描いたのは、ヒエロニムス・ボッシュが最初である。
★カラヴァッジョ「いかさま師」1595,Louvre
★ヒエロニムス・ボッシュ『いかさま師』愚者の治療 Bosch, Le Tricheur ,Prado,1490
カラバッジョ展、国立西洋美術館・・・闇と光の藝術
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-6502.html
―――――
★Caravaggio, Judith,1599

★参考文献
東京都美術館『カラヴァッジョ 光と影の巨匠 バロック絵画の先駆者たち』2001
国立西洋美術館『カラヴァッジョ展』2016
カラヴァッジョ、聖なる人殺し画家の生涯『芸術新潮』2001.10
藤沢道郎『物語イタリアの歴史2皇帝ハドリアヌスから画家カラヴァッジョまで』中公新書
宮下 規久朗『カラヴァッジョ巡礼』 (とんぼの本) 2010
宮下 規久朗『カラヴァッジョ-聖性とヴィジョン-』名古屋大学出版会
宮下 規久朗『西洋絵画の巨匠 11 カラヴァッジョ』2004
宮下 規久朗『カラヴァッジョへの旅-天才画家の光と闇-』角川選書
岡田温司編『カラヴァッジョ鑑』
タブッキ『夢のなかの夢』岩波文庫
デズモンド・スアード『カラヴァッジョ灼熱の生涯』石鍋真澄訳
『プラド美術館』Scala,みすず書房
大久保正雄 2016年8月9日

2016年8月 8日 (月)

ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第75回ヴェネツィア 迷宮都市
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅

グランド・カナルを船で行き、サン・マルコ広場に上陸すると、サン・マルコ寺院は黄金の残照に輝く。夢の都。
水の都、迷宮都市。ヴェネツィアの干潟(ラグーナ)の上に立つ、幻の都市。
ヴェネツィアの黄金時代、11世紀から15世紀。
ヴェネツィアは、地中海、エーゲ海に船で君臨した。栄光の海都市国家は、滅亡した。
これからが、これまでを決める。
変わることなく、とこしえに、揺るぎもしない。かくも試練に耐えた心のあるかぎり。地上は決して砂漠ではない。(バイロン)
ジョルジョーネ『テンペスト』(1505)は、乳呑児を抱く裸婦、立ち尽くす男、嵐、意味不明な、「謎の絵画」である。
ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』(1535)。ヴィーナスの膚は、煌めいている。線はない、色彩の魔術。宝石のように輝く皮膚の美。
1500年、レオナルドは、ヴェネツィアを訪れ、ヴェネツィア人に、スフマートを教えた。
ロマン派詩人は、イタリア、ヴェネツィアを愛した。ロマン主義は、1798年から1836年まで。
1818年、詩人シェリーはメアリーを連れてイタリアに赴き、フィレンツェ、ピサ、ナポリ、ローマ各地を転々としながらプラトンの『饗宴』を翻訳し、『縛を解かれたプロメテウス』を作った。詩人バイロンは、ヴェネツィアをたびたび訪れた。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■15世紀、ヴェネツィア派の画家
★ヴェネツィア派第1世代
 メッシーナ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、ジョルジョーネ、ティツィアーノ
ジョヴァンニ・ベッリーニ『ピエタ』1460
ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ヴェロネーゼの師
ジョルジョーネ『テンペスト』1505—8
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510
ティツィアーノ『聖母被昇天』1516—1518
ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1535
★ヴェネツィア派第2世代
 カルパッチオ、ロット、ティントレット、ヴェロネーゼ
カルパッチオ『聖女ウルスラの夢』1490
ティントレット『最後の晩餐』1594
ヴェロネーゼ『レヴィ家の饗宴』1573
■18世紀、ヴェネツィア派の画家、デカダンスに陥る。
ティポロ、カナレット

■ヴェネツィア年代記
537年 「イストイアの葡萄酒とオリーヴをラヴェンナに舟で送ってほしい」ラヴェンナの東ローマ総督府カシオドーロからヴェネツィアの干潟(ラグーナ)の住民宛て。「鳥の巣のようなこの町も人間の努力の結果」
568年 ロンバルディア人、侵入。
697年 初代ヴェネツィア総督。
828年 アレクサンドリアから、2人の商人が、聖マルコの遺骸を運び込んだ。
832年 旧サン・マルコ教会、設立。
1082年 ビザンティン帝国皇帝の金印勅書。ヴェネツィア人、ビザンティン帝国の一般関税免除。
1094年 サン・マルコ教会、建設。ヴェネツィアの建築、木造から煉瓦造りに。
1177年 ヴェネツィア、ローマ教皇アレクサンデル3世とビザンティン帝国皇帝を仲介。
  中庭(コルチ)をもつ商館と貴族の邸宅、出現。★サン・マルコ広場、はじまる。
1204年 ★第4回十字軍、ヴェネツィア、コンスタンティノープル占領。黒海へ進出。
1253—1268年 ジェノヴァと第1次戦争。以後、死闘を繰り返す。
1264年 リアルト橋(木造)、完成。
1268年 レヴァントより「仮面」。三面構成の建築正面。
1269—1275年 マルコ・ポーロ、中国より帰る。
1289—1311年 ジェノヴァと第2次戦争。ガレー船使用。
1323年 大評議会員の世襲。遠距離貿易、はじまる。
1343—1354年 ジェノヴァと第3次戦争。
1320—1346年 黒死病の大流行。
1404—1406年 ヴィチェンツァ、ヴェローナ、パドヴァを支配。奴隷貿易、盛ん。
1453年 ★トルコ、コンスタンティノープル占領。
   フィレンツェの芸術が、ヴェネツィアに浸透する。
1469年 ヴェネツィアに印刷所できる。ギリシア古典文献。
 ★ヴェネツィア派第1世代
 メッシーナ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、ジョルジョーネ、ティツィアーノ
 ★ヴェネツィア派第2世代
 カルパッチオ、ロット、ティントレット、ヴェロネーゼ
1490—1500年 カルパッチオ『聖女ウルスラの夢』1490
 サン・マルコ広場の塔、建設。
1507年 ★リアルト橋(石造)、完成。
1516年 ヴェネツィアに最初のユダヤ人街。シナゴーグ、1529年。
1518年 ティツィアーノ『聖母被昇天』1516—1518
 パドヴァ大学、ギリシア学者が多く、ヨーロッパ随一の文化の中心。
★1503年以降 ヴェネツィア、地中海における力、急速に衰退。
 1463—1476年 ヴェネツィア、トルコにしばしば敗れる。
1575—1577年 再び、黒死病に襲われる。ヴェネツィア、人口18万人。
1606年 ヴェネツィア、イエズス会を追放。
1637年 オペラ劇場、建設。
1645—1569年 トルコとの攻防、クレタ島を失う。
16世紀 ガブリエーリ、モンテヴェルディ、音楽において先駆。
17世紀 ヴィヴァルディ、バロック音楽。
18世紀 画家ティポロ、カナレット、デカダンスに陥る。
★大久保正雄「ヴェネツィアの黄昏」
https://t.co/d44EK1ulIo
★Venezia、
★Tiziano, Venere di Urbino

★参考文献
饗庭、陣内、山口『ヴェネツィア 栄光の都市国家』東京書籍1993
ルカ・コルフェライ『図説ヴェネツィア 水の都歴史散歩』河出書房新社1996
「ヴェネツィア 海の都の美をめぐる」『芸術新潮』2011.11
宮下規久朗『ヴェネツィア 美の都の一千年』岩波新書2016
塩野七生、宮下規久朗『ヴェネツィア物語』新潮社
Luchino Visconti,Mort a Venezia,「ヴェニスに死す」
阿部知二『バイロン詩集』新潮文庫
上田和夫『シェリー詩集』新潮文庫
シェイクスピア『ヴェニスの商人』
饗庭孝男『ヨーロッパとは何か』小沢書店
大久保正雄Copyright 2016年8月7日

2016年8月 7日 (日)

古代エジプト帝国3000年 死と再生 美への旅

NefertitietakhenatonNefertiti_restored大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第74回古代エジプト 死と再生の秘密
古代エジプト帝国3000年 死と再生 美への旅

黄昏の森を歩いて、迷宮図書館に行く。時の迷宮の扉をあけると、エジプトの大列柱室、至聖所につながる。光降る森。美しい守護精霊が舞い降りる。
地中海の旅は、美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。
旅する哲学者は、至高の美へ旅する。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■古代エジプトの謎。
地上最大の権力、3000年の統一国家。
古代エジプトは、紀元前3000年に統一された統一国家が紀元前後まで続いたのはなぜか。

「エジプトはナイルの賜物」ヘロドトス
世界最長の大河ナイル川は、年2回収穫できる。地中海に臨むデルタを砂漠が取り囲み、難攻不落。
ラムセス2世は、紀元前13世紀、第19王朝。エジプト史上最長、66年10か月治世。10人以上の妻を娶り、100人以上の子をもうけた。
ラムセス2世が、最も愛したのはネフェルタリ(ネフェルトイリ)。
王妃ネフェルティティは、ツタンカーメンの父王、アクエンアテン王の王妃。王の宗教改革を遂行。ツタンカーメンの継母。紀元前14世紀、新王国第18王朝時代のファラオ・アメンホテプ4世の妻、ツタンカーメンの義母。
アクエンアテン王は、紀元前14世紀、新王国第18王朝時代のファラオ。アメンホテプ4世=アクエンアテン王。アメン神からアテン神、宗教改革を決行。エル・テル・アマルナへ遷都。
ツタンカーメンは、アマルナ最後の王として、9歳で即位。20歳で死去。死因は謎。
王妃アンケセナーメンの矢車菊の花束が、棺に捧げられていた。20世紀、カーターが発見した。


【古代エジプトの4大美女】
ハトシェプスト女王、ネフェルティティ、ネフェルタリ、クレオパトラ。
ネフェルティティとは、「アテン(神様の名前)の美女」美女来たり」という意味。
ネフェルタリは「最高の美女、美しき友」女神ムトに愛されし美女」という意味。
★ハトシェプスト女王は女性ながらに王位についた「もっとも高貴な」という名の女王。トトメス2世の王妃。後、ひげをつけ男装して女王となる。トトメス3世と共同統治。ハトシェプスト女王の葬祭殿を建立する。ハトシェプスト女王、権力の2重構造、トトメス3世を操る。紀元前16世紀。葬祭殿、建築
古代エジプトの三大美女は、クレオパトラ7世、紀元前1世紀、プトレマイオス王朝の女王。
★ネフェルティティ。ネフェルティティはツタンカーメンの父王、アクエンアテン王の王妃。王の宗教改革を遂行。ツタンカーメンの継母。紀元前14世紀、新王国第18王朝時代のファラオ・アメンホテプ4世の妻、ツタンカーメンの義母。
★ネフェルタリ、紀元前13世紀、第19王朝の大王ラムセス2世の正妃。
【古代エジプトのファラオたち】
★トトメス1世、植民地政策。
★ハトシェプスト、幼少のトトメス3世の摂政となる。ハトシェプスト、ファラオとなり実権を掌握する。ハトシェプスト女王葬祭殿を造営する。
★トトメス3世、【エジプトのナポレオン】。単独王となりアジアとヌビアに多数の軍事遠征を実施、【エジプトの領土最大】になる。
★アクエンアテン(アメンヘテプ4世)、アテン神を唯一神とする宗教改革を断行する。紀元前14世紀、新王国第18王朝時代のファラオ。
★絶世の美女ネフェルティティ(Nefertiti) アクエンアテン(アメンホテプ4世)の妃。ネフェルティティ、美しき者きたりぬ。テーベからアマルナに遷都する。ツタンカーメンの義母。
★ツタンカーメン、少年王。アメン神信仰に復帰する。アマルナからメンフィスに遷都する
★ラムセス2世 第19王朝。エジプト史上最長、66年10か月治世。10人以上の妻を娶り、100人以上の子をもうけた。最も愛したのはネフェルタリ(ネフェルトイリ)。
建築王。カルナック大神殿などの巨大建造物の造営や軍事遠征を実施。末期にはアメン大司祭がテーベの実権を掌握する。

★アレクサンドロス大王
アレクサンドロスは、父王の遺志を継いで、ペルシア帝国滅亡の戦いに旅立つ。ペルシア帝国滅亡後、ディアドコイ戦争がはじまり、将軍プトレマイオスがエジプトを統治する。
★プトレマイオス1世
★クレオパトラ7世

【地中海文明の興亡 地中海の戦い】
トロイ戦争BC1200
アガメムノン王率いるギリシア連合軍、トロイを滅ぼす。
カデシュの戦いBC1280
ラメス2世、カデシュ王と世界最古の平和条約。
アマルナ遷都BC14C
アクエンアテン王(アメンホテプ4世)は、エル・テル・アマルナに遷都、アテン神に宗教改革。
サラミスの海戦BC480
ペルシア帝国は、ミレトスの反乱を鎮圧。ギリシア遠征を企て、マラトン上陸。アテネの将軍ミルティアデス率いるファランクスに撃退される。BC490
アテネ、ペルシア帝国を破る。アテネの将軍テミストクレス率いる艦隊、クセルクセス1世率いるペルシア帝国を破る。
イッソスの戦いBC333
アレクサンドロス3世率いるギリシア連合軍、ダレイオス3世世率いるペルシア帝国を破る。アレクサンドロス、エジプト、ペルシア、インドにまたがる大帝国を築く。ヘレニズム文化が地中海世界に拡散。インドにガンダーラ美術生まれる。
アクティウムの海戦BC30
クレオパトラとアントニウス率いるエジプト艦隊、オクタヴィアヌス率いるローマ艦隊に破れる。ローマは、エジプトを属国化し、帝国となる。

古代エジプト年代記
初期王朝時代 第1王朝から第2王朝     紀元前3000年―2686年
古王国時代  第3王朝から第8王朝     紀元前2686年―2160年
第1中間期  第9王朝から第11王朝前半   紀元前2160年―2055年
中王国時代  第11王朝後半から第14王朝  紀元前2055年―1650年
第2中間期  第15王朝から第17王朝    紀元前1650年―1550年
新王国時代  第18王朝から第20王朝    紀元前1550年―1069年
第3中間期  第21王朝から第25王朝    紀元前1069年―669年
末期王朝時代 第26王朝から第31王朝    紀元前664年―322年
プトレマイオス王朝時代           紀元前332年―30年
ローマ支配時代               紀元前30年―後323年
ビザンティン帝国支配時代              323年―642年

新王国時代  第18王朝
イアフメス    紀元前1550年―1525年
アメンヘテプ1世 紀元前1525年―1504年
トトメス1世   紀元前1504年―1492年
トトメス2世   紀元前1492年―1479年
トトメス3世   紀元前1479年―1425年
ハトシャプスト女王 紀元前1473年―1458年
アメンヘテプ2世
トトメス4世
アメンヘテプ4世  紀元前1352年―1335年
【第18王朝消された一族】
アクエンアテン
ネフェルティティ  紀元前1335年―1333年
ツタンカーメン   紀元前1333年―1323年
アイ
■アメン神殿
2000年間、第12王朝時代以降、歴代の王により、アメン神に捧げられた神殿
カルナク・アメン大神殿Amun Temple、至聖所(Sanctuary of Amun)、アメン大神殿の大列柱室、大列柱室(Processional colonnade)、トトメス1世とハトシェプストのオベリスク。
ルクソール神殿、至聖所(誕生の間 Birth room)、列柱室 (Hypostyl hall)、大列柱室(Processional colonnade)。
神殿は、神が生命創造の儀式を行う場所、混沌の水から生命が誕生し再生する。至聖所(Sanctuary of Amun)は、創造の神が生まれた原初の丘。天井の星は、生命創造の小宇宙。
アメン神殿列柱は、パピルス柱、ロータス柱があり、それぞれパピルスとロータスをモチーフにしており開花式、閉花式がある。オシリス柱と呼ばれる腕を交差した王がオシリスの姿をした柱、柱頭がハトホル女神を表したハトホル柱もある。
★★
クレオパトラの死 プトレマイオス王朝最後の華
https://t.co/dcAKahB4fI
大久保正雄『地中海紀行』第45回クレオパトラの死1
アントニウスとクレオパトラ 愛と死
https://t.co/1hdgZYVOMT
大久保正雄『地中海紀行』第46回クレオパトラの死2
★★
★ネフェルティティ王妃胸像、ベルリン博物館、紀元前14世紀

★参考文献
鈴木八司『王と神とナイル エジプト』沈黙の世界史〈第2〉1970年
吉村作治『古代エジプト講義録』講談社1994
★河合望『ツタンカーメン 少年王の謎』集英社新書2012
★河合望『ツタンカーメンと古代エジプト王朝』実業の日本社新書2012
P・クレイトン著『ファラオ歴代誌』創元社
吉村作治監修『古代エジプト なるほど事典』2001
アルベルト・シリオッティ(著)矢島文夫(訳)『王家の谷 テーベの神殿とネクロポリス』1998
リーブス『図説 王家の谷百科』
イアン・ショー&ポール・ニコルソン『大英博物館 古代エジプト百科事典』原書房、1997
『芸術新潮』2009年9月号717号 特集 エジプト美術世界一周
P・マティザック『ローマ皇帝歴代誌』創元社
J・ロジャーソン『旧約聖書の王歴代誌』創元社
ジョイス・ティルディスレイ『古代エジプ女王 王妃歴代誌』創元社
ジャン・ベルクテール『古代エジプト探検史』知の再発見双書1990
エディット・フラマリオン『クレオパトラ』知の再発見双書1994
東京国立博物館「クレオパトラとエジプトの王妃展」2015
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-e2a7.html
大久保正雄2016年8月5日

2016年8月 6日 (土)

ハプスブルク家 マリー・アントワネット 革命に散る

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第73回
ハプスブルク家 マリー・アントワネット 革命に散る

黄昏の丘、森を歩いて、迷宮図書館に行く。時の迷宮の扉。砂漠の薔薇色の神殿。美しい女神が舞い降りる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

太陽の沈まぬ帝国、ハプスブルクは、富と権力で、ヨーロッパ最強の王国を構築した。
ハプスブルク家は、15世紀、マクシミリアン1世以来、政略結婚をくり広げヨーロッパ最大の権力を築いた。財産と地位と権力を恣にした。
ハプスブルク帝国の権勢の成功の陰で、散った儚い命。

マリー・アントワネットは、マリア・テレジアの第15子。
政略結婚で、14歳の時、フランス王ルイ16世に嫁がせられる。フランス王妃となる。しかし、フランス革命勃発。37歳で、断頭台の露と消える。
マリー・アントワネットは、本当に愛したのはだれか。
マリーの死を悲しんだのは、スウェーデン貴族フェルセン伯爵だけだった。

「私は生きています。それは奇跡なのです」マリー・アントワネット1792年
ヨーロッパ最大の権力、ハプスブルク帝国。最も豊かで、自由なき人々、ハプスブルク家。
愛と美を手に入れることができるのは、だれか。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

【オーストリア・ハプスブルク家】
神聖ローマ皇帝
【カール6世】Karl 6
1740年、カール6世、死去。男子がいないため相続問題が発生。
1740年—1748年、オーストリア継承戦争。
【マリア・テレジア】Maria Theresia
1717-1780
マリア・テレジア(1741-1780)、帝国を相続。
マリア・テレジア(1741-1780)は、黄金時代のハプスブルク帝国を指揮した。
マリア・テレジア、16人の子を産み、政略結婚を展開した。
末娘のマリー・アントワネットは、フランス王ルイ16世に嫁がせた。
マリア・テレジアの子、ヨーゼフ2世は、ヴォルテールを尊敬していた。
18世紀、黄金時代のハプスブルク帝国はバロック文化が栄えた。
1762年秋、モーツアルトは、ウィーンに行き、マリア・テレジアに、シェーンブルン宮殿に招かれた。モーツアルトは、マリー・アントワネットに「僕のお嫁さんにしてあげる」と言った。
*神聖ローマ皇帝カール6世の娘で、ハプスブルク=ロートリンゲン朝の同皇帝フランツ1世シュテファンの皇后にして共同統治者、オーストリア大公(在位1740年 - 1780年)、ハンガリー女王(在位:同)、ベーメン女王(在位1743年 - 1780年)。

【マリー・アントワネット】Marie Antoinette
1755-1793
1555年、マリー・アントワネット、マリア・テレジアの15番目の子として誕生。
1770年、マリー・アントワネット、フランス王太子(ルイ16世)と、結婚。14歳。
1778年、マリー・アントワネット、スウェーデン貴族フェルセン伯爵と恋に落ちる。
1783年、ブレゲの顧客の一人であったフランス王妃マリー・アントワネットはブレゲに最高の時計を作るように注文した。マリー・アントワネットは処刑されたが、開発は続けられた。ブレゲの死後も弟子達がその仕事を受け継ぎ、1827年になってこの時計は完成した。ブレゲNo.160「マリー・アントワネット」Breguet(Marie Antoinette )金色の懐中時計。
1786年、【マリー・アントワネット、首飾り事件】
ジャンヌ・バロア・ド・ラモット伯爵夫人が首謀者となり企て王家をも巻き込んだ巨額詐欺事件。先王ルイ15世が愛人デュ・バリー夫人のために作らせたまま契約が立ち消えになっていた160万リーブルのダイヤモンド。宝石商によってマリー・アントワネットのもとに持ち込まれるが、あまりに高額を理由にマリーに断られた。
1785年1月、それを知ったジャンヌは、ロアンにマリー・アントワネットの要望として、この首飾りの代理購入を持ちかけた。ロアンは首飾りを代理購入。
1789年、フランス革命、勃発。
     7月、バスチーユ監獄襲撃。
     8月、人権宣言、採択。
1791年、6月、パリ脱出、ヴァレンヌで連れ戻される。
1792年、4月、フランスは、オーストリアに宣戦布告。王妃マリー・アントワネット、軍の情報を、オーストリアに通報。6月、民衆、チュイルリー宮殿、襲撃、占拠。
1793年、1月21日、ルイ16世、処刑。
    10月16日、マリー・アントワネット処刑。37歳。
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
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★Maria Theresia 14歳のマリア・テレジア
★Marie Antoinette
★ソフィア・コッポラ映画『マリー・アントワネット』
Sophia Coppola, Marie Antoinette,2006

★参考文献
エヴリーヌ・ルヴェチ『王妃マリー・アントワネット』知の再発見双書
シュテファン・ツワイク『マリー・アントワネット』岩波文庫
芝生端和『図説フランス革命』河出書房新社
加藤雅彦『図説ハプスブルク家』河出書房新社
ゲオルク・シュタット・ミュラー丹後杏一訳『ハプスブルク帝国史』1989
矢田俊隆『ハプスブルク帝国史研究―中欧多民族国家の解体過程――』岩波書店1977
カトリーヌ・クレマン『皇妃エリザベート ハプスブルクの美神』知の再発見65創元社1997
江村洋『ハプスブルク家の女たち』講談社現代新書
国立新美術館『Theハプスブルク展図録』2009
中野京子『ハプスブルク家12の物語』2009
饗庭孝男『ヨーロッパとは何か』
大久保正雄2016年8月5日

2016年8月 5日 (金)

シェイクスピア 世界劇場 美への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第72回シェイクスピア世界劇場
シェイクスピア 世界劇場 美への旅

黄昏の森を散歩する。黄昏の森の迷宮図書館で瞑想する。箪笥の中の香水壜から思い出が、魂の翼を拡げて羽ばたく。ボードレール『香水壜』のように、
人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である。シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
シェイクスピア(1564—1616)は、16世紀ルネサンス、価値の崩壊と下剋上の時代、美しく生きる人間を創造した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■シェイクスピア 世界劇場 人生は舞台
人が生きるあらゆる場面で、シェイクスピアの言葉が蘇ってくる。世界は劇場であり、人生は舞台である。
人間、衣裳をはぎ取れば、哀れな裸の二本足の動物に過ぎない。『リア王』
どんなに荒狂う嵐の日にも時間はたつのだ。『マクベス』
人は、ほほえみ、ほほえみ、しかも悪党たりうる。『ハムレット』
目はおのれを見ることができぬ、何か他のものに映してはじめて見える。『ジュリアス・シーザー』
権威の座にある人は、他のものと同じように過ちを犯しても、罪のうわべを繕う力をお持ちだから。シェイクスピア『尺には尺を』
嫉妬深い人は、理由があるから嫉妬するのではなく、嫉妬深いから嫉妬する。『オセロ』
人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時をおいて他にない。『トロイラスとクレシダ』
シェイクスピアの言葉は、人間と世界をみる鏡である。
ソクラテスは、美しく生きることを哲学の根本とした。シェイクスピア(1564—1616)は、16世紀、ルネサンスの下剋上の時代、美しく生きる人間を創造した。

■シェイクスピアと地中海
シェイクスピア(Shakespiare,1564—1616)は、一度も地中海に行ったことがない。が、地中海世界を舞台にした作品が圧倒的に多い。例えば、『オセロ』は、ヴェネツィアとキプロス島が舞台。『ハムレット』『リア王』『マクベス』『リチャード3世』など、少数の例外を除いて、地中海世界が舞台である。『ジュリアス・シーザー』『アントニーとクラオパトラ』『コリオレイナス』は、科白にいたるまで『プルタルコス英雄伝』に酷似している。『タイタス・アンドロニカス』は古代ローマを舞台にしたエリザベス朝悲惨劇である。シェイクスピアは、饒舌、言葉の洪水の魔力。複雑なプロット構成が巧み。ロマンティック劇はエウリピデスに通じる。
ギリシア悲劇の古典主義にないものは、愛を探求するロマン主義と、自由奔放である。(小田島雄志『シャイクスピアの人間学』)
『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』、イタリアを舞台とする作品が多い。シェイクスピアは、夢を劇作によって世界の形にした。夢に生きる人生は、夢を生涯追求する。
シェイクスピアとラフェロ前派(Pre-Raphaelite)
ロマン派の画家、ラフェロ前派(Pre-Raphaelite)は、シェイクスピアの世界を視覚化した。ロマン主義は、愛の主題と自由奔放が、古典主義の調和と均整の美を破る。ジョン・エヴァレット・ミレイ、ロセッティ、ウィリアム・モリスの世界は、シェイクスピアの愛の世界と通じている。

■シェイクスピアは、現象と真実(Appearance and Reality)を凝視した。プラトンの「現象と本質」「生成と存在」「虚偽と真実」の存在論と同根である。ここに、ルネサンスの萌芽がある。
■「現象と真実」Appearance and Reality
時として、見かけは本質をあらわさない。
世界は飾りによって騙される。
So may the outward shows be least themselves:
The world is still deceived with ornament.
『ヴェニスの商人』The Merchant of Venice (Bassanio at III, ii)
人は微笑みながら、惡人でありうる。
One may smile, and smile, and be a villain.
『ハムレット』Hamlet,1.4.108

「影と本質」Shadow and Substance
シェイクスピア『ソネット』53)
あなたの本質は何でしょう、あなたは何から作られているのでしょうか?
百万もの影があなたにかしづいているのはなぜでしょう?
人間はそれぞれ影をひとつだけ持っていますが、
あなたはひとりの人間なのにあらゆる影を創り出せる。
美少年アドニスの姿絵がありますが、
あれは君を描こうとして失敗したものにすぎません。
また、美の技法をつくしてヘレンの顔を描こうとしても、
結局はギリシア服のあなたを描くことになるでしょう。
うるわしの春、実りの秋にしても、
所詮あなたの美しさのものまねであり、
かぎりない豊かさをちらりと示したにすぎないでしょう。
美しいかたちがあれば必ずそこにあなたがいます。
 外見の美はすべてあなたの美しさのおすそ分け、
 でも、変わらぬ心、内面の真実はあなただけのもの。
What is your substance*1, whereof are you made,
That millions of strange shadows*2 on you tend?
The Sonnets 53 (シェイクスピア『ソネット』53)

■世界劇場
All the world's a stage, And all the men and women merely players.
この世はひとつの舞台であり、人は男も女もみな役者なのだ。『お気に召すまま』(As You Like It)
I hold the world but as a world, Gratiano, A stage where every man must play a part.
グラシアーノ、僕はこの世をひとつの世界だって思っているよ、つまり、誰もが役をこなさなけりゃならない舞台だってね。『ヴェニスの商人』(The Merchant of Venice)
How many ages hence, Shall this our lofty scene be acted over.
どのように時代は過ぎても、我らの行なったこの崇高な場面は繰り返し演じられることであろう。『ジュリアス・シーザー』(Julius Caesar)
■世界は舞台
消えろ消えろ、束の間のともし火
人生は歩く影、貧しい役者だ。
束の間の舞台の上で威張りくさって歩いてみるが、
出場が終われば耳を傾ける者もない『マクベス』
To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,
Creeps in this petty pace from day to day,
To the last syllable of recorded time;
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow; a poor player,
That struts and frets his hour upon the stage,
And then is heard no more: it is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing.
*Macbeth ,5.5.23
全世界は舞台、
男も女も役者にすぎない。
退場と登場がある。
人は自分の時代に多くの役を演じる。
人生には7つの時代がある。『お気に召すまま』
All the world's a stage,
And all the men and women merely players:
They have their exits and their entrances;
And one man in his time plays many parts,
His acts being seven ages. At first the infant, As You Like It 2.7
Mewling and puking in the nurse's arms.
And then the whining school-boy, with his satchel
And shining morning face, creeping like snail
Unwillingly to school. And then the lover,
Sighing like furnace, with a woeful ballad
Made to his mistress' eyebrow. Then a soldier,
Full of strange oaths and bearded like the pard,
Jealous in honour, sudden and quick in quarrel,
Seeking the bubble reputation
Even in the cannon's mouth. And then the justice,
In fair round belly with good capon lined,
With eyes severe and beard of formal cut,
Full of wise saws and modern instances;
And so he plays his part. The sixth age shifts
Into the lean and slipper'd pantaloon,
With spectacles on nose and pouch on side,
His youthful hose, well saved, a world too wide
For his shrunk shank; and his big manly voice,
Turning again toward childish treble, pipes
And whistles in his sound. Last scene of all,
That ends this strange eventful history,
Is second childishness and mere oblivion,
Sans teeth, sans eyes, sans taste, sans everything.
*As You Like It 2.7.138-65.

★John Everett Millais, Ophelia
★John Everett Millais, Sisters

★参考文献
小田島雄志『小田島雄志のシェイクスピア遊学』白水Uブックス1982
小田島雄志『シェイクスピア全集』白水Uブックス
小田島雄志『シェイクスピアの人間学』2007
監修 福田恆存『シェイクスピア・ハンドブック』三省堂1987
岩崎宗治『ロミオとジュリエット』大修館書店1988
フランセス・イエイツ『シェイクスピア最後の夢』晶文社
(Frances A. Yates1899-1981) 新プラトン主義、ルネサンス研究。
河合祥一郎『シェイクスピアは誘う-名せりふに学ぶ人生の知恵-』小学館2004
河合祥一郎『ハムレット』角川文庫
河合祥一郎『ロミオとジュリエット』角川文庫
高橋康也『シェイクスピア・ハンドブック』新書館
高田康成〔他〕編『シェイクスピアへの架け橋』東京大学出版会
高橋康也、大場建治編『研究社シェイクスピア辞典』研究社
大久保正雄2016年8月4日

2016年8月 4日 (木)

ニーチェの旅 永劫回帰 美への旅

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大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第71回ニーチェの旅
ニーチェの旅 永劫回帰 美への旅

黄昏の丘を歩く。森の中の迷宮図書館で考える 。『香水壜』のような図書館。『夕暮れの諧調』を暗唱する。
自己との対話、内なる声、天からの声。天から届き、心のいちばん奥深くに湧き上がって来る声に耳を傾けることが最も貴い使命である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■ニーチェの旅 イタリア、南仏、ニース
ニーチェ(1844—1900)は、1879年、10年間勤務したバーゼル大学を35歳で辞職。
1879年から1889年まで、病気療養のため旅をした。
ニーチェは、病気療養のためによい土地を求めて、1889年までさまざまな都市を旅しながら生活した。夏はスイスのサンモリッツ近郊の村シルス・マリア、冬はイタリアのジェノヴァ、トリノ、フランスのニースなどの都市で過ごした。
1881年、病気療養に訪れたスイスのシルス・マリアにてシルヴァプラナ湖畔を散策中に巨大な尖った三角岩のほとりで、襲来した「永劫回帰」の思想。
『ツァラトゥストラかく語りき』(Also sprach Zarathustra, 1885)は、旅の中で書かれた。
ニーチェの哲学書はほとんど、10年間の旅の中で書かれた。

■シルヴァプラナ湖、永劫回帰の思想
ニーチェ(1844—1900)は、1881年、病気療養に訪れたスイスのシルス・マリア。シルヴァプラナ湖畔を散策中に巨大な尖った三角岩のほとりで、「永劫回帰」の思想が、突然襲来した。
永劫回帰ewig wiederkehrenの思想は、『ツァラトゥストラ、かく語りき』においてはじめて提唱された。
「時間は無限であり、物質は有限である」「無限の時間の中で有限の物質を組み合わせたものが世界である」、過去に在ったことは、未来に存在する。永劫に回帰する世界。

■ニーチェ『プラトン対話篇研究序説』
ニーチェ『ギリシア人の悲劇時代における哲学』
著述家プラトンとは本来の教師プラトンの〈影〉であり、アカデモスの庭園における講義への〈想起〉に過ぎないということである。
フリードリヒ・ニーチェ『プラトン対話篇研究序説』
プラトンが言っているのは、一人知者にとってのみ、著作は想起の手段としてその意義を持つということだ。故に彼によれば、完璧な著作は口頭での教授形式を模倣すべきで、それはこうすることによって、知者がどのようにして知者となったか、を想起することを目的としている。
フリードリヒ・ニーチェ『プラトン対話篇研究序説』
不滅を目指すヘラクレイトスの旅路は、他のいかなる旅路よりも苦難と障害に満ちたものだ。それにもかかわらず、この旅路の終点に達することを他ならぬこの哲学者以上に確信し得る者はいない。『ギリシア人の悲劇時代における哲学』

■ニーチェの言葉 『ツァラトゥストラ』
いっさいの書かれたもののうち、わたしはただ、血をもって書かれたもののみを愛する。
血をもって書け。そうすれば君は知るであろう、血が精神であることを。『ツァラトゥストラ』
獅子の精神は言う「われは欲す」と。「汝なすべし」が、その精神の行く手をさえぎっている。金色にきらめく有鱗動物であって、その一枚一枚の鱗に、「汝なすべし」が金色に輝いている。『ツァラトゥストラ』
新しい創造を目ざして自由をわがものにすること。これは獅子の力でなければできない。自由をわがものとし、義務に対してさえ聖なる「否」をいうこと。『ツァラトゥストラ』
孤独の極みの砂漠のなかで、第二の変化が起こる。そのとき精神は獅子となる。精神は由由をわがものとしようとし、自分自身が選んだ砂漠の主になろうとする。『ツァラトゥストラ』
■三様の変化 駱駝、獅子、小児 『ツァラトゥストラ』より
 わたしは君たちに精神の三様の変化について語ろう。すなわち、どのようにして精神が駱駝となり、駱駝が獅子となり、獅子が小児となるかについて述べよう。
 畏敬を宿している、強力で、重荷に堪える精神は、数多くの重いものに遭遇する。そしてこの強靭な精神は、重いもの、最も重いものを要求する。
 何が重くて、担うのに骨が折れるか、それをこの重荷に堪える精神はたずねる。そして駱駝のようにひざまずいて、十分に重荷を積まれることを望む。
 最も重いものは何か、英雄たちよ、と、この重荷に堪える精神はたずねる。わたしはそれを自分の身に担って、わたしの強さを喜びたいのだ。
 最も重いのは、こういうことではないか。おのれの驕慢に痛みを与えるために、自分を低くすることではないか?自分の知恵をあざけるために、自分の愚かさを外にあらわすことではないか?
 もしくは、こういうことか。自分の志すことが成就して勝利を祝うときに、そのことから離れることか。誘う者を誘うために、高い山に登ることか。
 もしくは、こういうことか。乏しい認識の草の実によって露命をつないで、真理のためにおのが魂の飢えを忍ぶことか。
 もしくは、こういうことか。病んでいるのに君は、君を慰めにくる者を家に帰らせ、君の望むことをけっして聞くことのない聾者と交わりを結ぶということか。
 もしくは、こういうことか。真実の水であるならば、どんなにきたない水であっても、そのなかに下り立ち、冷ややかな蛙をも熱気のあるがまをも追いはらおうとしないことか。
 もしくは、こういうことか。われらを軽蔑する者を愛し、妖怪がわれらを恐れさせようとするときに、それに手をさしのべることか。
 すべてこれらの最も重いことを、重荷に堪える精神は、重荷を負って砂漠へ急ぐ駱駝のように、おのれの身に担う。そうしてかれはかれの砂漠へ急ぐ。
 しかし、孤独の極みの砂漠のなかで、第二の変化が起こる。そのとき精神は獅子となる。精神は由由をわがものとしようとし、自分自身が選んだ砂漠の主になろうとする。
 その砂漠でかれはかれを最後に支配した者を呼び出す。かれはその最後の支配者、かれの神の敵となろうとする。勝利を得ようと、かれはこの巨大な龍と角逐する。
 精神がもはや主と認めず神と呼ぼうとしない巨大な龍とは、何であろうか。「汝なすべし」それがその巨大な龍の名である。しかし獅子の精神は言う、「われは欲す」と。
 「汝なすべし」が、その精神の行く手をさえぎっている。金色にきらめく有鱗動物であって、その一枚一枚の鱗に、「汝なすべし」が金色に輝いている。
 千年にわたったもろもろの価値が、それらの鱗に輝いている。それゆえ、あらゆる龍のうちの最も強力なこの龍は言う。「諸事物のあらゆる価値 - それはわたしの身に輝いている」と。
「いっさいの価値はすでに創られた。そして創られたこのいっさいの価値 - それはわたしである。まことに、もはや『われ欲す』は、あってはならない」そう龍は言う。
 わたしの兄弟たちよ。何のために精神の獅子が必要になるのか。なぜ重荷を担う、諦念と畏敬の念にみちた駱駝では不十分なのか。
 新しい諸価値を創造すること - それはまだ獅子にもできない。しかし新しい創造を目ざして自由をわがものにすること - これは獅子の力でなければできないのだ。
 自由をわがものとし、義務に対してさえ聖なる「否」をいうこと、わたしの兄弟たちよ、そのためには、獅子が必要なのだ。
 新しい諸価値を立てる権利をみずからのために獲得すること - これは重荷に堪える敬虔な精神にとつては、身の毛もよだつ行為である。まことに、それはかれにとっては強奪であり、強奪を常とする猛獣の行なうことである。
 精神はかつて、「汝なすべし」を、自分の奉ずる最も神聖なものとして愛していた。いまかれはこの最も神聖なもののなかにも、迷妄と恣意を見いださざるをえない。そして自分が愛していたものからの自由を強奪しなければならない。この強奪のために獅子を必要とするのだ。
 しかし思え、わたしの兄弟たちよ。獅子さえ行なうことができなかったのに、小児の身で行なうことができるものがある。それは何であろう。なぜ強奪する獅子が、さらに小児にならなければならないのだろう。
 小児は無垢である、忘却である。新しい開始。挑戦、おのれの力で回る車輪、始源の運動、「然り」という聖なる発語である。
 そうだ、わたしの兄弟たちよ。創造という遊戯のためには、「然り」という聖なる発語が必要である。そのとき精神はおのれの意欲を意欲する。世界を離れて、おのれの世界を獲得する。
 精神の三様の変化をわたしは君たちに述べた。どのようこして精神が駱駝になり、駱駝が獅子になり、獅子が小児になったかを述べた。 -
ツァラトウストラはこう語った。そのときかれは「まだら牛」と呼ばれる都市に滞在していた。
★Nice, French Riviera, hotel negresco nice
★Monaco
★Cote d’Azur
★Nietzsche, Also sprach Zaratustra, 1885
★参考文献
手塚富雄訳『ツァラトゥストラ』『世界の名著』中央公論社
西尾幹二訳『悲劇の誕生』『世界の名著』中央公論社
岡村民夫『旅するニーチェ リゾートの哲学』白水社
大久保正雄2016年8月3日

2016年8月 3日 (水)

新古今歌人、乱世に咲く花 美への旅 

Kouetsu_02jpg_2Kouetsu_03大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第70回 新古今歌人
新古今歌人、美への旅 乱世に咲く花

『新古今和歌集』 乱世に咲く花
新古今和歌集の時代は、源平の争乱、壇ノ浦の戦い(1185)平家滅亡から、源実朝の死による源氏滅亡(1219)、承久の変(1221)まで、価値観が崩壊する時代、乱世である。
新古今和歌集の美的理念は、象徴による観念の形象化、観念と感覚的形象の照応、余情美、妖艶、絵画的空間性、幻想、寂寥、有心、幽玄。
藤原俊成は幽玄美の世界を作り『千載和歌集』(1188)を選進、新古今歌人を養成した。
藤原定家は、幽玄美の世界から、さらに奥を究め、妖艶美を追求した。
藤原定家は、世上乱逆追討に背を向け、官途不遇の嘆きを超え、名歌を生みだす。
定家は、『新古今和歌集』(1205)選者となる。『新古今和歌集』竟宴には欠席した。
俊成が育てた新古今歌人は、幻想的で、余情漂う妖艶な美の世界を構築した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■琳派の絵巻 『鹿下絵新古今和歌巻』
17世紀、琳派の創始者、本阿弥光悦、俵屋宗達による『鹿下絵新古今和歌巻』があり、現在は断簡として残っている。書:本阿弥光悦筆 画:俵屋宗達筆。
華麗なる絵巻に、28首の和歌が散らし書きされている。鹿の主題のみが、展開される美しい世界である。
本阿弥光悦、俵屋宗達『鶴図下絵三十六歌和歌巻』『三十六歌仙絵巻』とともに、傑作絵巻である。

■悲恋の花
藤原定家と式子内親王の間には悲恋があったと想像される。西行と後白河法皇の愛妾、待賢門院璋子は禁断の愛あがったと記録される。
式子内親王の歌「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする」(新古今1034)
私の命よ絶えるなら絶えてしまえ。このまま生きながらえれば、心に秘めた恋が表に現れてしまいそうだから。
生涯独身で過ごした式子内親王。忍ぶ愛の相手は、藤原定家であるかもしれない。
北面武士の佐藤義清は、23歳のとき、宮廷を辞め、出家した。
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ(続古今1527)
この歌には、秘められた恋の記憶が籠められているのか。

■新古今歌人 秀歌
藤原定家
大空は梅の匂いに霞みつつ曇りも果てぬ春の夜の月 新古今和歌集春上40
春の夜のゆめのうき橋とだえして峰にわかるる横雲のそら(新古今38)
梅の花にほひをうつす袖のうへに軒もる月のかげぞあらそふ(新古今44)春上
くりかへし春のいとゆふいく世へておなじみどりの空にみゆらん
花の香のかすめる月にあくがれて夢もさだかに見えぬ頃かな 藤原定家
うつり香の身にしむばかり契るとて扇の風の行へたづねば 藤原定家
さゆりばのしられぬ恋もあるものを身よりあまりてゆく蛍かな
かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ(新古今1390)
白妙の露の袖れに露おちて身にしむ色の秋風ぞ吹く 新古今 恋 一三三六
玉響(たまゆら)の露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風(新古今788)哀傷歌。
 *一一九三年7月二日亡母を偲び詠歌。二月十三日定家母没。
駒とめて 袖うちはらふ陰もなし 佐野のわたりの雪の夕暮れ (新古今671)

藤原俊成女
風かよふねざめの袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢(新古今112)千五百番歌合
梅の花あかぬ色香もむかしにておなじかたみの春の夜の月(新古今47)千五百番歌合
恨みずやうき世を花のいとひつつ誘ふ風あらばと思ひけるをば(新古今40)
月影もうつろふ花にかはる色の夕べを春もみよしの山(俊成卿女集補遺)
ながむれば我が身ひとつのあらぬ世に昔に似たる春の夜の月(続後撰146)
橘のにほふあたりのうたたねは夢もむかしの袖の香ぞする(新古今245)
 本歌*五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする 詠み人しらず 古今和歌集

式子内親王
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする」(新古今 恋一1034)
私の命よ絶えるなら絶えてしまえ。このまま生きながらえれば、心に秘めた恋が表に現れてしまいそうだから。

藤原俊成
またや見む交野の御野の桜がり花の雪ちる春の曙(新古今114)
石ばしる水の白玉数見えて清滝川にすめる月影(千載284)

■新古今歌人年代記
『千載和歌集』『新古今和歌集』の時代は、後白河上皇、後鳥羽上皇の時代である。
■【後白河上皇】院政1158—1179
平氏と対抗。平氏滅亡を目指す。1185年、壇ノ浦の戦い、平家滅亡。
★1183、第七の勅撰和歌集『千載和歌集』撰進、1188年、完成。
後白河上皇は、源平の合戦の裏表で暗躍し、★源頼朝に「日本一の大天狗」と言わせた。権謀術数に長けた人。若い世代の武士勢力である源義朝や平清盛を味方につけ、崇徳上皇のクーデター(保元の乱)を粉砕。源頼朝に平氏を打倒させる。
■【後鳥羽上皇】院政1198—1221
★1201和歌所を設置。
★1205『新古今和歌集』竟宴。第八の勅撰和歌集。以後も切り継ぎ。「隠岐本」。
九条兼実らの親幕派と対抗。幕府討伐を目指す。1221年、承久の乱、挙兵して敗北。隠岐に配流される。

■藤原俊成1141—1204
★寿永二年(1183)、後白河院の下命により七番目の勅撰和歌集『千載和歌集』の撰進に着手し、息子定家の助力も得て、文治四年(1188)に完成。
★建久四年(1193)、『六百番歌合』判者。
文治八年(1192)、式子内親王の下命に応じ、歌論書『古来風躰抄』を献ずる。この頃歌壇は後鳥羽院の仙洞に中心を移すが、俊成は後鳥羽院からも厚遇される。
★建仁元年(1201)には『千五百番歌合』判者。
1204、『新古今和歌集』完成を見ずに、亡くなる。63歳。

■藤原定家1162—1241
応保二年(1162)、藤原俊成(顕広)四十九歳の時の子として生れる。母は藤原親忠女(美福門院加賀)。同母兄に成家、姉に八条院三条(俊成卿女の生母)。
★元年(1181)、二十歳の時、「初学百首」を詠む。★1182年父に命じられて「堀河題百首」を詠み、両親は息子の歌才を確信して感涙。
★建仁元年(1201)、新古今和歌集の撰者に任命され、翌年には念願の左近衛権中将の官職を得た。
★1205 二月二十六日『新古今和歌集』竟宴。藤原定家、竟宴に出席せず。批判した。
承久二年(1220)、二月十三日内裏歌会に提出した歌*が後鳥羽院の逆鱗に触れ、勅勘を被って、公の出座・出詠を禁じられる。*「道のべの野原の柳したもえぬあはれ嘆きのけぶりくらべや」定家
★承久三年(1221)五月、承久の乱が勃発。後鳥羽院は隠岐に流され、定家は西園寺家・九条家の後援のもと、社会的・経済的な安定を得る。

■俊成卿女
生没年不詳:1171年(承安元年)頃 - 1251年(建長3年)
俊成の孫、養女。

■式子内親王
生年不詳*久安五~建仁一(1149~1201)
後白河天皇の第3皇女。加茂神社の斎院、のち出家。
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする」(新古今1034)
私の命よ絶えるなら絶えてしまえ。このまま生きながらえれば、心に秘めた恋が表に現れてしまいそうだから。

■美福門院加賀(藤原親忠女)
生年未詳~建久四(1193)
藤原定家の母、藤原俊成の妻。
為経(寂超)の妻となり、康治元年(1142)、隆信を生む。為経が康治二年(1143)に出家した後、俊成と再婚し、久寿二年(1155)に成家を、応保二年(1162)に定家を生んだ。晩年出家。
たのめおかむたださばかりを契りにて憂き世の中を夢になしてよ(新古今1233)

■西行 元永元~建久元(1118~1190) 俗名:佐藤義清 法号:円位
『新古今和歌集』には最多の94首が入選している。
待賢門院璋子(1101~1145没44才)への叶わぬ恋(悲恋)がある。璋子は、皇后ながら自由奔放な恋愛をしていた。璋子は、鳥羽上皇の中宮にして白河法皇の愛妾。その身分の差は天と地ほど禁断の恋。璋子を恋慕い続けて数年がたち、北面武士の佐藤義清は23歳のとき出家した。
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ(続古今1527)

■寂蓮 生年未詳~建仁二(1202) 藤原定長 通称:少輔入道
おじ俊成の猶子となる。定家は従弟。建仁元年(1201)には和歌所寄人となり、新古今集の撰者に任命される。新古今完成前に没する。
さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮(新古今361)
今はとてたのむの雁もうちわびぬ朧月夜の明けぼのの空(新古今58)
参考文献
千人百首 藤原俊成
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/syunzei2.html
千人百首 藤原定家
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/teika.html
★本阿弥光悦、俵屋宗達『新古今和歌巻』17世紀
★本阿弥光悦、俵屋宗達『鶴図下絵三十六歌和歌巻』17世紀
★本阿弥光悦、俵屋宗達『三十六歌仙絵巻』17世紀
★参考文献
久保田淳『新古今歌人の研究』1973
久保田淳『藤原定家全歌集』河出書房新社1986
久保田淳『新古今和歌集全評釈』講談社1976-77
久保田淳『藤原定家』集英社1984
塚本邦雄『定家百首 良夜爛漫』河出書房新社1973
塚本邦雄『新古今新考 断崖の美学』花耀社1981
塚本邦雄『藤原俊成 藤原良経』筑摩書房1975
藤平春男『歌論の研究』ぺりかん社1988
久松潜一『中世歌論集』岩波文庫1932
鈴木日出男『原色小倉百人一首』文英堂2003
大久保正雄『断崖の美学 新古今和歌集の美学』1997
大久保正雄『新古今和歌集の美学 闇の中に漂う香り』1997
大久保正雄2016年8月2日

2016年8月 2日 (火)

空海の旅 旅する思想家、美への旅

Kuukai_2Sakurako_2013033101大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第69回 空海の旅 旅する思想家
空海の旅 旅する思想家、美への旅
黄金のような国々を、沢山旅してきた。美の国、詩の国、地中海の国、黄昏の国、地の果ての国。空海の旅は秘境冒険譚である。冒険は秘宝の探求である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

秘宝の探求には苦難にみちた旅と敵、謎の美女、秘密を解く鍵、探求目的の秘密がある。『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』『ロマンシングストーン』のように。砂漠の果てに埋もれている薔薇色の神殿。探検家が砂漠の果ての秘密の宝庫に旅するように、空海は唐の都、長安に密教寺院に師を求めて旅した。
空海は、この国では稀有なる<体系的思考、戦略的思考、哲学的思考、本質を観る直観力、創造力、根源志向、視覚的思考、グランド・デザイン、イメージ戦略>をもつ人である。空海は、美意識と崇高な精神と知性をもつ達人、魂の果てを探検する探求者(沙門)である。空海は、理念(イデア)と夢を地上に現実化する。空海が探求した知恵と愛と美の秘密の扉を開く鍵は何か。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■空海の思想
『聾瞽指帰』『三教指帰』序文と巻末の十韻の詩は『三教』と異なる。
無常の賦、受報の詞、生死海の賦、大菩提の果 延暦16年(797)12月。空海24歳の作。
「われ先より、汝の来れるを知り、相待つこと久し。今日、相見ゆること大いに好し」(空海『請来目録』)
「密蔵、深玄にして、翰墨(かんぼく)に載せがたし。かわりに図画をかりて、悟らざるに、開示す。」『請来目録』
「秘蔵の奥旨は、文を得ることを貴ばず。ただ心を以って心に伝うるなり。文はこれ糟粕、文はこれ瓦礫、糟粕と瓦礫を受くれば、則ち粋実と至実とを失う。真を棄てて偽を拾うは、愚人の法なり。愚人の法には、汝は随うべからず、また求むべからず。
「古の人は道の為に道を求め、今の人は名利の為に求む。名の為に求むるは、道を求むる志にあらず。」『答叡山澄法師求理趣釈経書』
「物の興廃は必ず人に由る。人の昇沈は定めて道に在り」『綜藝種智院式』
嵯峨天皇「道俗相分かれて数年を経たり。今秋晤語するもまた良縁なり。香茶酌みやすみて日ここに暮れる。稽首してわかれを傷み雲煙を望む。」『海公〔空海〕とともに茶を飲み、山に帰するを送る一首』(経国集』巻十)
「仏に三身(法身・報身・応(化)身)あり。教は二種(顕教・密教)なり。応化の開説を名づけて顕教という。ことば顕略にして機に逗えり。法仏の談話これを密蔵(密教)という。ことば秘奥にして実説なり。」
『弁顕密二教論』
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-writing/post-237.html
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に、死んで死の終わりに冥し」(『秘蔵宝鑰』序、830年)
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば我が願いも尽きむ」天長9年(832年)8月22日、高野山最初の万燈万華会。

■『秘密曼荼羅十住心論』
第一住心 異生羝羊心
「凡夫狂酔して、吾が非を悟らず。但し淫食を念ずること、彼の羝羊の如し。」
下愚は狂酔する。羝羊のように、淫食を求める。上智と下愚とは移らず(『論語』陽貨第十七3)。
第二住心 愚童持斎心
「外の因縁に由って、忽ちに節食を思う。施心萌動して、穀の縁に遇うが如し。」
下愚は、外の因縁によって、節度を思う。
第三住心 嬰童無畏心
「外道天に生じて、暫く蘇息を得。彼の嬰児と、犢子との母に随うが如し。」
天真爛漫な季節、天界に生まれたように蘇る。嬰児と犢子が、母に随うごとし。
第四住心 唯蘊無我心
「ただ法有を解して、我人みな遮す。羊車の三蔵、ことごとくこの句に摂す。」
存在するのは唯だ五蘊のみであり、すべての存在は無我であることを知る。
五蘊とは、色・受・想・行・識の精神作用である。
第五住心 抜業因種心
「身を十二に修して、無明、種を抜く。業生、已に除いて、無言に果を得。」
十二縁起を知り、無明=因縁の種子を取り除き、業の生を除く。
第六住心 他縁大乗心
「無縁に悲を起して、大悲初めて発る。幻影に心を観じて、唯識、境を遮す。」
慈悲心に目覚め、唯識説に目覚める。すべての現象は幻影であると知る。唯識瑜伽行派。
第七住心 覚心不生心
「八不に戯を絶ち、一念に空を観れば、心原空寂にして、無相安楽なり。」
「不生、不滅、不断、不常、不一、不異、不去、不来」。この八つの不を認識し、空観に徹すれば、心は空寂で安楽である。中観派。空観派。
第八住心 一通無為心
「一如本浄にして、境智倶に融す。この心性を知るを、号して遮那という。」
主体と客体の境のない境地。一如、境と智ともに融一する。天台止観。
第九住心 極無自性心
「水は自性なし、風に遇うてすなわち波たつ。法界は極にあらず、警を蒙って忽ちに進む。」
事法界、理法界、両者を止揚した、無自性・空界と現象が共存する理事無礙法界、事物が融通無碍に共存する事々無礙法界に到達する。毘盧遮那仏と一体になる融通無碍の境地。『華厳経』。
第十住心 秘密荘厳心
「顕薬塵を払い、真言、庫を開く。秘宝忽ちに陳じて、万徳すなわち証す。」
顕薬は塵を払うが、真言は秘密の宝の庫を開く。大日如来、真言密教の境地。
(空海『秘密曼荼羅十住心論』「日本思想体系」、『弘法大師 空海全集』筑摩書房)

■空海年代記
★宝亀5年 (774) 讃岐国多度郡、屏風浦(香川県善通寺市)で生まれる。父は郡司の佐伯直田公、母は阿刀氏の玉依(または阿古屋)。幼名を真魚という  空海1歳
延暦8年 (789) 桓武天皇の皇子・伊予親王の家庭教師で母方の叔父である阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章などを学ぶ。 16歳
★延暦10年 (791) 長岡京の大学寮に入る。大学での専攻は明経道、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学ぶ。 18歳
★延暦11年 (792) 19歳を過ぎた頃から【山林修行】に入る。吉野、阿波、土佐、伊予などの山野を跋渉し、一沙門より「虚空蔵求聞持法」を授けられた 19歳
★★796年、空海が23歳の時、夢のお告げで『大毘廬遮那成仏神變加持経』を知り、経を探して旅をし、【久米寺の東塔】にて『大日経』を発見(感得)。★
★延暦16年 (797) 儒教・道教・仏教の比較思想論、『聾瞽指帰』を著す。 24歳
★貞元20年(延暦23年) (804) 入唐直前に、東大寺戒壇院で得度受戒する。
この年、正規の遣唐使の留学僧(留学期間20年)として唐に渡る。
空海は、遣唐大使藤原葛野麻呂とともに、第一船。第二船に、最澄。 他の二隻は、難破、沈没。 30歳
8月10日、福州長渓県赤岸鎮に漂着。上陸できず。約50日間待機させられる。遣唐大使藤原葛野麻呂に代わり、空海が福州の長官へ嘆願書を代筆する。
★804年11月3日に長安入りを許され、12月23日に長安に入る。 31歳
永貞元年(延暦24年) (805) 2月、西明寺に入り滞在、空海の長安での住居となる。長安で空海は、醴泉寺の印度僧般若三蔵に師事した。密教を学ぶために必須の梵語を学ぶ。空海はこの般若三蔵から梵語の経本や新訳経典を与えられる。
★805年5月、密教の第七祖、【青龍寺の恵果和尚】を訪ね、以降約半年、師事する。
★805年6月13日に【大悲胎蔵の学法灌頂】、7月に【金剛界灌頂】を受ける。
★805年8月10日、【伝法阿闍梨位の灌頂】を受け、遍照金剛の灌頂名を与えられる。
8月中旬以降に、曼荼羅や密教法具の製作、経典の書写が行われ、恵果和尚からは阿闍梨付嘱物を授けられる。
★12月15日、恵果和尚、60歳で入寂。空海32歳
元和元年(延暦25年) (806) 空海は全弟子を代表して和尚を顕彰する碑文を起草する。
3月に長安を出発し、帰国の途につく。
★大同元年(806年)10月、空海は無事帰国、大宰府観世音寺に滞在する。『請来目録』を遣唐使判官高階遠成に託す。空海は太宰府に滞在。大同元年、3月に桓武天皇が崩御し、平城天皇が即位。 33歳
★大同4年 (809) 平城天皇が退位、【嵯峨天皇、即位】。空海は和泉国槇尾山寺に滞在していた。嵯峨天皇の勅により7月、入京、和気氏の私寺、高雄山寺(後の神護寺)に入る。空海の入京には最澄の尽力があったと推定される。★最澄筆『請来目録』が存在する。
その後、二人は813年まで交流関係を持つ。【理趣釈経、借覧問題】 36歳
★弘仁元年 (810) 【薬子の変】空海、嵯峨天皇側につき10月27日より高雄山寺で鎮護国家のための大祈祷をおこなう 37歳
弘仁2年 (811) 乙訓寺の別当を務める(弘仁3年(812年まで) 38歳
弘仁3年 (812) 11月15日、高雄山寺にて金剛界結縁灌頂を開壇。入壇者には、最澄が含まれる。さらに12月14日には胎蔵灌頂を開壇。入壇者は最澄やその弟子円澄、光定、泰範の他190名。 39歳
★813年(弘仁4)11月23日付の手紙で、最澄は「理趣釈経一巻を来月中旬まで借覧したい」と空海に申し送ったが、空海はこれを断った。【理趣釈経、借覧問題】
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/kitao/new-31.html
★空海『答叡山澄法師求理趣釈経書』
★弘仁6年 (815)『弁顕密二教論』を著す。 42歳
弘仁7年 (816) 6月19日、修禅の道場として高野山の下賜を請う、7月8日には、高野山を下賜する旨勅許を賜る。 43歳
★【高野山金剛峯寺】
★弘仁8年 (817) 泰範や実恵ら弟子を派遣して高野山の開創に着手する 44歳
弘仁9年 (818) 11月には、空海自身が勅許後はじめて高野山に登り翌年まで滞在。 45歳
弘仁10年 (819) 春には七里四方に結界を結び、伽藍建立に着手 46歳
弘仁12年 (821) 満濃池(まんのういけ、現在の香川県にある日本最大の農業用ため池)の改修を指揮して、当時の最新工法を駆使し工事。 48歳
弘仁13年 (822) 太政官符により東大寺に灌頂道場真言院建立。この年平城上皇に潅頂を授ける。 49歳
★弘仁14年 (823) 正月、太政官符により東寺を賜り、真言密教の道場とする。 50歳
★【東寺】
★天長元年 (824) 2月、勅により【神泉苑で祈雨法】を修す。3月には少僧都に任命、僧綱入り(天長4年には大僧都)。 51
★天長5年 (828) 『綜藝種智院式并序』を著すとともに、東寺の東にあった藤原三守の私邸を譲り受けて私立の教育施設「綜芸種智院」開設 55歳
★天長7年 (830) 淳和天皇の勅に応え『秘密曼荼羅十住心論』十巻(天長六本宗書の一)を著、後に本書を要約『秘蔵宝鑰』三巻を著す。 57歳
天長8年 (831) 5月末、病(悪瘡)を得て、6月大僧都を辞する旨上表、天皇に慰留される。 58歳
★天長9年 (832) 8月22日、高野山において最初の万燈万華会が修された。空海は、願文に「虚空盡き、衆生盡き、涅槃盡きなば、我が願いも盡きなん」と表す。その後、秋より高野山に隠棲し、穀物を断ち禅定を好む日々であったと伝えられている。 59歳
★承和元年 (834) 2月、東大寺真言院で『法華経』『般若心経秘鍵』を講じる。
12月19日、毎年正月宮中において真言の修法(後七日御修法)を行いたい旨を奏上。同29日に太政官符で許可され、同24日の太政官符では東寺に三綱を置くことが許下。 61歳
承和2年 (835) 1月8日より宮中で後七日御修法を修す。
宮中での御修法は明治になるまで続き、明治以後は東寺に場所を移して行われている。
1月22日には、真言宗の年分度者3人を申請し許可される。
2月30日、金剛峯寺が定額寺となる。
★835年3月15日、高野山で弟子達に遺告を与え、3月21日に入滅。 62歳
参考文献
*宮崎忍勝『私度僧空海』河出書房新社
*空海年表 空海エンサイクロペディア
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kuhkai-chronicle/chronicle_p3.html
『聾瞽指帰』が原形。『三教指帰』序文と巻末の十韻の詩は『三教指帰』と異なる。
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-writing/post-105.html
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-life/test/post-125.html
★空海
★東寺
★参考文献
宮坂宥勝監修『弘法大師 空海全集』全八巻、筑摩書房1973
渡辺照宏・宮坂宥勝『沙門空海』筑摩書房1967ちくま文庫1993
宮坂宥勝・梅原猛『生命の海 空海』仏教の思想9角川書店1996角川文庫
松長有慶『高僧伝 空海』集英社1985
松長有慶『密教経典 理趣経』集英社1984
松長有慶『理趣経』中公文庫
『芸術新潮2011年8月号 空海、花ひらく密教宇宙』2011年
宮崎忍勝『私度僧空海』河出書房新社1991
宮坂宥勝『空海 生涯と思想』筑摩書房1987ちくま文庫2003
宮坂宥勝『密教世界の構造 空海『秘蔵宝鑰』』筑摩書房1882
宮坂宥勝『密教思想の真理』人文書院1979
宮坂宥勝『密教経典』筑摩書房、仏教経典選1986講談社学術文庫2011
竹内孝善・川辺秀美『空海と密教美術』2011
末木文美士『仏典をよむ―死からはじまる仏教史』新潮文庫2009
末木文美士『日本仏教史―思想史としてのアプローチ』新潮文庫1996
東京国立博物館『空海と密教美術』2011
東京国立博物館『空海と高野山』2003
大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説」2011
大久保正雄『空海の冒険 密教美術の象徴学』2015
大久保正雄2016年8月2日

2016年8月 1日 (月)

『星の王子さま』サンテグジュペリ 心の目で見る

SaintexupryPetit_prince大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第68回サンテグジュペリの言葉
『星の王子さま』サンテグジュペリ 人が本当に見ることができるのは心によってだけである

真夏の群青の空。星の王子さまが降る夜。
人が本当に見ることができるのは心によってだけである。
美しい魂に、美しい女神が、舞い降りる。
本質をみる人。旅する哲学者は、魂の美へ旅する。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■サンテグジュペリの旅
サンテグジュペリは、26歳の時、トゥールーズ・カサブランカ・ダカール路線に郵便機操縦士として飛行する。砂漠の飛行所長となる。43歳の時、『星の王子さま』英語版仏語版、出版される。アルジェに赴き、偵察飛行機部隊に復帰。1944年7月31日、コルシカ島から、フランス上空への偵察に出撃。地中海で、消息を絶つ。
『星の王子さま』の星めぐりの回想の中で、六つの星を訪れる。王様(10章)、自惚れ屋(11章)、飲酒家(12章)、実業家(13章)、点燈夫(14章)、地理学者(15章) (サンテグジュペリ『星の王子さま』) 。
この六つの星の支配者たちは、サンテグジュペリが飛行機から見た、地上の人間たちの姿だろうか。命令する人、自惚れる人、酩酊する人、金を数える人、日常業務の人、探検家を利用する人。人と競争し、抜け目なく出し抜く競争社会。
人と競争し、抜け目なく出し抜く競争社会。階級を上る階級社会。世の中には、競争社会の競争が苦手な人がいる。こういう人にとって、この世は生きにくい。
目に見えない価値、心によってだけ見ることができるもの。サンテグジュペリは、心の眼でみることを暗示した。孤立無援の戦いだったのか。薔薇は、コンスエロなのか。バオバブの木は何か。狐は賢者なのか。『星の王子さま』は、サンテグジュペリの遺書のようである。『星の王子さま』は、多くの謎を秘めている。

■サンテグジュペリの言葉
私は、ある学校で、最後の授業に、言葉を教えた。荒野に知恵の種子となって、芽が出ているだろうか。
人が本当に見ることができるのは心によってだけである。大切なものは、目で見えない。『星の王子さま』
大地は、人間について多くを語る。サンテグジュペリ『人間の大地』
砂漠を美しくするのは、砂漠がどこかに井戸を隠しているからだ。『星の王子さま』
家、星、砂漠、これらを美しくするのは見えないものである。『星の王子さま』
愛とは、互いに見つめ合うことではなく、二人が同じ方向を見つめることである。
サン・テグジュペリ『人間の大地』
★Saint-Exupéry, Le petit Prince, 1943
★参考文献
山崎庸一郎『星の王子さまへの旅』求龍堂
山崎庸一郎『サンテグジュペリの言葉』弥生書房
ナタリー・デ・ヴァリエール『星の王子さまの誕生』知の再発見双書
稲垣直樹『サンテグジュペリ 人と思想』清水書院
『サンテグジュペリ著作集』11巻、別巻1、みすず書房1984—1989
サンテグジュペリ内藤濯訳『星の王子さま』
サンテグジュペリ池澤夏樹訳『星の王子さま』
大久保正雄「プラトンと詩と哲学 ―詩的直観と哲学的直観―」2009
大久保正雄2016年7月31日

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