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2016年8月12日 (金)

ロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ

Chambordロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第79回ロワールの古城めぐりP38—42

ロワールの古城めぐり ルネサンスの夢の果て
ロワール渓谷は、王族、貴族の城館が130余りある。フランスの庭園とよばれる。
フランスにルネサンスをもたらした王、フランソワ1世。フランソワ1世に、イタリアから、レオナルド・ダ・ヴィンチ、メディチ家のカトリーヌが呼び寄せられる。
カトリーヌは、14歳でフランス王家に嫁ぐが、アンリ王子には美貌の愛人がいた。
レオナルド、カトリーヌの影を追うと、理想と運命の狭間に揺れうごく夢みる魂がみえる。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■フランソワ1世の城
アンボワーズ城、ブロワ城、シャンボール城、シュノンソー城。フォンテーヌブロー宮殿。
【アンボワーズ城】Château d'Amboise
アンボワーズ城はロワール川を見渡す岬に建てられている。
1515年12月、王の客としてレオナルド・ダ・ヴィンチがアンボワーズ城に招かれ、近くのクロ・リュッセで生活していた。城とクロ・リュッセは地下道でつながっている。ダ・ヴィンチが埋葬されたサン・ユベール教会堂は城に隣接している。アンボワーズ城の庭には、イタリア風レイアウトが採用された。フランス式庭園(幾何学的構成の庭園)の始まり。アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスは自分たちの子供と一緒に、後のフランソワ2世の婚約者でスコットランド女王のメアリー・ステュアートをアンボワーズ城で育てた。

【ブロワ城】Château de Bloi
フランソワ1世が王になると、クロード王妃はブロワ城を改修させてアンボワーズ城から移る。フランソワ1世は城に新しい翼を建設し、図書室を造った。しかし王妃が1524年に死ぬと、王がブロワ城で過ごすことはほとんどなく、大量の蔵書はフォンテーヌブロー城に移されて「Bibliothèque Nationale(国立図書館)」が作られる。
フランソワ1世の翼では、建築や装飾にイタリアの影響が見られる。中央には美しい彫刻に囲まれた八角形の螺旋階段があり、城の中央の庭園が見渡せる。この螺旋階段は、ルネサンス様式の傑作。この翼の後ろはファサードであり、ところどころにニッチ(壁巖)がある。城の壁にはフランソワ1世のシンボルであるサラマンダーを模った装飾が施されている。「秘密の部屋」カトリーヌ王妃の毒の隠し場所がある。

【シャンボール城】Château de Chambord
レオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ王の客人であり、アンボワーズ城近くのクロ・リュッセに住んだ。ダ・ヴィンチはシャンボール城の設計に関与した。フランソワ王は、自分の富と権力の巨大な象徴として、宿敵カール5世をシャンボールに招待して見せびらかした。

【シュノンソー城】Château de Chenonceau
フランソワ1世に献上された。フランソワ1世が1547年に死ぬと、アンリ2世は城を愛妾のディアーヌ・ド・ポワチエに贈った。
ディアーヌ・ド・ポワチエは城と川沿いの眺めを非常に愛した。彼女はアーチ型の橋を建設、城を向こう岸と結んだ。庭園に花や野菜、果樹なども植えさせた。【ディアーヌの庭】川岸に沿っているため氾濫に備えるため石のテラスで補強され、4つの三角形が配置された洗練された庭が作られた。ディアーヌは城主であったが所有権は王にあった。長年の法的策略の結果、1555年、ようやく城は彼女の資産となった。しかしアンリ2世が1559年に死ぬと、彼の気の強い妻で摂政のカトリーヌ・ド・メディシスはディアーヌを城から追い出した。【カトリーヌの庭】カトリーヌ王妃はシュノンソー城に自分の庭を付け加え、お気に入りの滞在場所とした。1624年にはアンリ4世の愛妾ガブリエル・デストレがシュノンソーを居城とした。

【フォンテーヌブロー宮殿】Palais de Fontainebleau
現在の建築を作ったのはフランソワ1世で、建築家の「ブルターニュのジル」が南門「Porte Dorée(黄金の門)」を含む「Cour Ovale(楕円宮廷)」の建物の殆どを建築した。王は建築家のセバスティアーノ・セルリオとレオナルド・ダ・ヴィンチをもフランスに招いている。フランソワ1世のギャラリーのフレスコはロッソ・フィオレンティーノによるスタッコ(化粧漆喰)で仕上げられ、1522年から1540年に作られ、フランスで最初の大きな装飾ギャラリーとなった。1516年、フォンテーヌブロー派、始まる。

【フランソワ1世】
François Ier、(1494年9月12日 - 1547年3月31日)
2代前のフランス王シャルル8世が始めたイタリア戦争(1494-1559)を継続。イタリア支配をめぐる、神聖ローマ皇帝とフランス王の戦い。1494年、フランス王シャルル8世のフィレンツェ侵攻から始まる。1515年にミラノ公国を占領しスフォルツァ家を追放した。スフォルツァ家に仕えていたレオナルド・ダ・ヴィンチは、1516年フランスへ移り、ルネサンス文化を伝える。

■愛と欲望のルネサンス
カトリーヌ・ド・メディチとディアーヌ・ポワチエ

【カトリーヌ・ド・メディシス】
Catherine de Médicis, (1519年4月13日 - 1589年1月5日)
出産後に母が亡くなり、間もなく父も亡くして孤児となる。オルシーニ家の養女となる。0歳。
1527年、フィレンツェにおけるメディチ家の政権は打倒され、カトリーヌは人質とされて女子修道院に入れられる。8歳
1529年10月、カール5世の軍隊はフィレンツェを包囲。【フィレンツェ包囲】10歳
1530年8月12日にフィレンツェは陥落、教皇クレメンス7世はカトリーヌをローマへ呼び寄せる。
カトリーヌがローマを訪れた時、ヴェネツィア大使は「小柄で痩せており、顔立ちに優美さはなく、またメディチ家特有の突き出た目をしている」。カトリーヌは従兄のイポリットと恋仲になっていたが、教皇クレメンス7世は野心家の彼を退け、婿探しを始める。数多くの求婚者がいた。
1533年、ローマ教皇クレメンス7世とフランス王フランソワ1世の間で縁組交渉が纏まり、フランスの第2王子と結婚。14歳。
1534年9月25日、教皇クレメンス7世が死去するとフランス宮廷におけるカトリーヌの立場は悪化。新教皇パウルス3世はフランスとの盟約を破棄。
アンリ王子は妻であるカトリーヌに関心を示さず、愛人を持つ。結婚から最初の10年間、カトリーヌは子を産まなかった。
★1559年、娘エリザベート(1545年 - 1568年)とスペイン王フェリペ2世の結婚祝賀、馬上槍試合の事故でアンリ2世が死去。
アンリ死後30年、69歳まで生き、君臨する。
★1572年、パリやフランス各地でプロテスタントの大量虐殺【サン・バルテルミの虐殺】が起き、カトリーヌは悪名を残す。
王アンリとの間に10人の子女をもうけた。

【レオ10世】法王
Leo10 1513—21
メディチ家のローマ法王、46歳で急死。前任者ユリウス2世の武力による領土拡大政策と異なり、ローマを文化の中心とすることを目ざす。
【クレメンス7世】法王
Clemens7 1523—34
メディチ家出身のローマ法王、カトリーヌとアンリ2世を政略結婚させる。

【アンリ2世】
Henri II de France, 1519年3月31日 - 1559年7月10日
娘の結婚祝いの馬上試合で重傷を負い、死す。40歳
メディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスを王妃とした。カトリーヌが嫁ぐ前から家庭教師であったディアーヌ・ド・ポワチエと長く愛人関係にあった。

【ディアーヌ・ド・ポワチエ】
Diane de Poitiers, 1499年9月3日 - 1566年4月25日
アンリ2世の愛妾。
★19歳年下の国王の愛を20年間独占し続けた美女の秘密。絶世の美貌と輝く肌。
★ディアーヌは、カトリーヌに脅威を感じて、アンリに王妃との子を産ませ産褥で病弱になるよう嗾けた。
1559年、アンリが馬上試合で重傷を負うと、王妃カトリーヌ・ド・メディシスが支配権を握り、カトリーヌは王がディアーヌに贈ったもののリストを作っており、王の死後直ちにディアーヌにその全ての返還を迫った。★カトリーヌはディアーヌをシュノンソー城から追放してショーモン城に移した。67歳で死去。

【ヴァロワ朝】dynastie des Valois 1328年から1589年まで
カトリーヌ・ド・メディシスが、ヴァロワ朝を滅亡させる。
―――――
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「地中海紀行」第64回ルネサンス、ヴァロワ朝P39
メディチ家年代記 メディチ家礼拝堂の幽明境
https://t.co/jfr10GQn6W
メディチ家とプラトンアカデミー 黄昏のフィレンツェ
https://t.co/QQtspVQ4FD
ルネサンスの奇人変人、フィリッポ・リッピ、カトリーヌ・ド・メディシス
https://t.co/5Szv6nxGVY
★Château de Chambord
★Château de Chenonceau
★Catherine de Médicis
★Diane de Poitiers
★参考文献
佐藤賢一『ヴァロワ朝』講談社現代新書
佐藤賢一『カペー朝 フランス王朝史1』講談社現代新書
八幡和郎『愛と欲望のフランス王列伝』集英社新書
【ディアーヌ・ド・ポワチエ】
木村泰司『美女たちの西洋美術史』光文社新書
【カトリーヌ・ド・メディシス】
オルソラ・ネーミ、ヘンリー・ファースト『カトリーヌ・ド・メディシス』千種堅訳、中央公論社、1982
ジャン・オリユー 『カトリーヌ・ド・メディシス―ルネサンスと宗教戦争〈上下〉』田中梓訳、河出書房新社
佐藤賢一『黒王妃』講談社2012
桐生操『王妃カトリーヌ・ド・メディチ―ルネッサンスの悪女』PHP研究所2003
桐生操監修 『ヨーロッパの古城・宮殿がよくわかる本』(PHP文庫)PHP2010
中嶋浩郎『図説 メディチ家』河出書房新社
大久保正雄2016年8月11日

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