

大久保正雄『地中海紀行』第43回哲学者の魂 ソクラテスの死1
哲学者の魂 ソクラテスの死
ソクラテスは、論理の達人に止まらず、夢と瞑想とダイモーン(守護霊)の声を聴く人である。ソクラテスの祈りは、限りなく美しい。魂に刻まれて不朽不滅である。*
太陽が沈む時、ソクラテスは、毒盃を仰いで死ぬ。
逆境の中で、正義を貫き、真実を愛した魂。
イリソス川のほとり、ソクラテスがささげた祈りのように、美しく善き、至高の魂。
吹き荒ぶ、不正と偽りと暴力の嵐。血に塗れた、虚榮の都。不正は正義の仮面で偽裝する。
不正と戦い、智慧を探求したソクラテス。
死にゆくソクラテスは言葉を残した。魂は不死不滅である。
滅亡するアテナイの黄昏。苦悩と血の中から、智慧の梟は、飛び立つ。
知恵を愛する魂のみが、魂の翼をもつ。時を超えて蘇る、不屈の精神。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
■黄昏の地中海
秋の夕暮刻、アテネからローマへ向かって、飛行機は飛び立った。優しさに満ちたギリシア人たちの思い出が蘇る。悲劇が刻む、愛と復讐の大地、ギリシア。乾いた大地。エーゲ海が光る。エーゲ海のほとり、光が知恵を磨き、藝術を生み出した。
大地の狭間に、コリントス湾が青い海を湛えている。雲海の下に、ペロポネソス半島が、海にかこまれた島のように見える。バルカン半島の険峻な山脈が、流れる雲の切れ目から、輝いている。黄昏の地中海は、雲一つない。眼下に見える、地中海の青い海原。船が白い航跡を曳いて走っている。ギリシアからイタリアへ、プラトンが航海した海、地中海。ピュタゴラスが、独裁者の国を逃れ、航海した海。
イタリアの大地が、夕日に照らされ、紅く染まっている。ローマに着陸する寸前、夕陽が海に反射して輝いている。哲学の都から劇場都市へ。私は時間の旅に旅立つ。
■哲学が生まれた地
哲学が生まれた地は、イオニアとイタリアである。ミレトスにおける自然学の探求から哲学が生まれた。イオニア派とイタリア派が最古の学派である。ピュタゴラスは、イオニア地方のサモス島で生まれ、ミレトスの自然学を学んだ。地中海を旅して智慧を学び、独裁者を逃れ地中海を航海し、イタリアのタラスで弟子たちに学問と口伝を教え、タラスからメタポンティオンに移り、この地で90歳で死んだ。イタリア学派の祖と呼ばれる。ピュタゴラス派からソクラテスへ、そしてプラトンへと、ピュタゴラス派の思想は伝えられた。
ピュタゴラス
「奴隷的根性の人たちは名誉と利得を追い求める」*
「知恵を愛し求める人(哲学者)たちは、真理を追求する」*
哲学者(フィロソフォス)という言葉を歴史上初めて使ったのは、古代の伝承によれば、ピュタゴラスである。「ソシクラテスの『哲学者の系譜』によると、ピュタゴラスはプレイウスの僭主レオンから「あなたは何者か」と問われた時、「哲学者だ」と答えた。そして彼は人生をオリュンピアの祭典に喩えた。祭典には、ある人々は、競技のために來る。またある人々は商売のために来る。しかし、最も優れた人々は観客としてやって来来る。同じように人生においても、奴隷的根性の人たちは名誉と利得を追い求める者であるが、これに対して、知恵を愛し求める人(哲学者)たちは、眞理を追求する者なのだ、と彼は言った。」(cf.Diogenes Laertius.8-1-8)
■惡徳が栄える時、美徳は滅びる
ペリクレスは「我らは、美を愛して純眞さを失わず、知を愛して軟弱に陥らない。」と言った(cf.トゥキュディデス『戰史』2巻40)。黄金時代のアテナイは藝術が溢れた都であった。黄金時代のギリシア美術は、輝ける精神の形である。美術は、形によって精神と思想を表現するものである。
だが、ギリシアの国の正義は地に堕ちた(エウリピデス『アンドロマケ』)。弱肉強食の論理が支配し、自己の身を守ることのみ考え、復讐に対する復讐がなされた。「原因は、物欲と名譽欲に促された権力欲であり、欲に憑かれた者たちの、盲目的な派閥心であった。」(cf.トゥキュディデス『戰史』第3巻82)弱者の正義は、強者の惡徳によって圧殺される。「正義か否かが問題となるのは、力が対等の者の間だけである。」(『戰史』第5巻89)正義の名の下に、不正が行われ、眞実の名の下に、虚偽が語られる。生きることは闘争の連続である(エウリピデス『ヒケティデス』)。利益至上、競争主義の世界で、弱者は強者の肉となり、弱者には死あるのみ。人は、憎悪と悪意と陰謀によって陥れられる。
■血に塗れたアテナイ
ペロポネソス戦争のさなか、僭主派が権力を握ると抵抗する民主派が殺戮され、民主派が政権を握ると僭主派が報復され殺害された。
BC404年ペロポネソス戦争が終結し、アテナイはスパルタに敗北する。8月アテナイにスパルタの支援により三十人僭主独裁政権が成立すると、クリティアスらは、抵抗する人たちを彈圧、殺戮、恐怖政治が行われ、民主派は亡命した。BC403年、テーバイに亡命していた民主派は武装し、ペイライエウスで戦闘が繰り広げられ、クリティアスは戦死、三十人政権は崩壊する。血に塗れたアテナイ。内乱、内部抗争が繰り広げられる。
■智慧の梟は、黄昏に飛び立つ
圧殺された弱者の正義は、復讐の血を招く。爛熟し腐敗した国家。正義が崩壊した世界から、理念の探求が生まれ、哲學が生まれる。不幸の中にこそ優れた人の友情が最も美しく輝き出るように、退廃と苦悩の中から、智慧の愛(philosophia)が生まれる。
国家が崩壊し、黄昏のなかに沈むとき、智慧の愛が生まれる。智慧の梟は、黄昏に飛び立つ。人は、何を愛し、いかに生き、いかに死ぬかによって、精神の美が現れる。
■ソクラテスの死
ソクラテスは、問答法を駆使して、吟味、論駁、人々を窮地に陥れた。死ぬまで、知恵を愛し求めることを説いて止まなかった。ソクラテスは、権力に抗して、正義を貫いた。だが、6人の將軍、1人の市民のいのちを救うことはできなかった。哲人が、一人で三万人の民衆を相手に戰うようなものである。
紀元前399年、告発され、処刑された。ソクラテスの弟子であったアルキビアデス、クリティアスによって流された血の償いとして、ソクラテスの生命が、犠牲とされたのである。
日が沈む時、処刑が行われ、ソクラテスは毒人参の盃を飲みほした。ソクラテスは、居合わせる弟子たちに、毒が体にまわり、死に至るまでの時間、「魂は不死不滅である」ことを説いて死んだ。
■夢と瞑想とダイモーン
ソクラテスは、人間の経路、師弟の経路を通して哲学を学んだのではなく、自己のダイモーン(守護霊)との交わりにより、直観的に理解し、霊感によって真実を直知した。瞑想に浸り、魂の秘密を叡知的直観によって、理解した。ソクラテスは、晩年、ピュタゴラス派の人々と交わり、魂の不死不滅を信じた。
ソクラテスは、ダイモーン(守護霊)の聲を聞き、夢の告げを受け、瞑想に耽った。ダイモーンは常に抑止するもの禁止するものとして現れた。ソクラテスは、ダイモーンの聲を聞き、戦場においてはポテイダイアの野に立ち盡くして一日中、瞑想に耽った。ソクラテスは、独りだけ離れて、何処でも立ち止まり、考え込む。
ソクラテスは、人々の知恵を吟味し論駁した探究者である。地位や名譽や富を追求するよりも、智慧を愛することを説いた。徳の定義を問い、弟子たちを問い詰めた。何ごとも疑うことにより独断を吟味するように勧め、弟子たちに自らの目で眞実を直視し、自己の判断に基づいて生きるように説いた。「吟味なき生は生きるに価しない」と言い、権威的な人々と対峙し、吟味を展開した。
ソクラテスは、論理の達人、吟味(エレンコス) の達人、哲学的問答法(ディアレクティケー)の名人であるのみならず、夢と瞑想とダイモーンの人である。
★ダヴィッド『毒盃を仰ぐソクラテス』
(Jack Louis David, Death of Socrates, The Metropolitan Museum of Art. New York)
■ソクラテスの生と死
紀元前469年、ソクラテス(BC469-399)は、アテナイのアロペケ区で生まれる。父ソプロニスコスは石工、母パイナレテは産婆であった。
紀元前461年、イオニア地方クラゾメナイのアナクサゴラスが、アテナイに來る。30年間アテナイに滞在する。ソクラテスは、アナクサゴラスの自然学を學んだが、ヌース(知性)が万物を支配する仕組みを解明していないことに失望した。
紀元前432-431年、ソクラテスは、アテナイ軍のポテイダイア包囲(BC432-431年)に進撃し、アルキビアデスと同じ陣営に止宿し戦闘したが、傷ついて倒れたので、ソクラテスが救った。ソクラテスは自らが立てた武勲をアルキビアデスに帰した。ポテイダイア戰爭の時、ソクラテスは、一昼夜、立ち盡くして瞑想し考えつづけ、暁に我に帰り立ち去った。
年代不詳、カイレポンが、デルポイの神託「ソクラテスより賢い者はいない」を受けて来る。この神託の謎を解くために、ソクラテスは、様々な人々と対話する。BC430年、ソフィストのプロタゴラス死す。
紀元前428/7年、「プラトンが、第88オリュンピア紀、第1年、タルゲリオン月7日、アテナイで生まれる。」(cf.アポロドーロス『年代記』)
シケリア島レオンティノイのゴルギアス、外交使節としてアテナイに來訪する。レオンティノイはシュラクサイから攻撃されアテナイに支援を依頼するためにアテナイに來た。ゴルギアス、30年間アテナイで活躍する。この時代、ソフィスト活躍する。
紀元前424年、ソクラテスは、ボイオティア地方デーリオン占領作戰(BC424/423年)に重裝歩兵として従軍する。デーリオンの戰爭で、アテナイ軍が敗走した時、アルキビアデスは騎馬で敵を殺し、徒歩で退却する重裝歩兵のソクラテスを守った。ソクラテスはアテナイ軍の最後尾で撤退し、沈着冷静の勇気を示した。
紀元前423年、喜劇詩人アリストパネス『雲』が上演される。ソクラテスが天上地下を探求する自然探求の徒として、嘲笑されている。アナクサゴラスの自然学を學ぶソクラテスが揶揄されている。またエウリピデスの悲劇が嘲笑されている。
紀元前422年、ソクラテスは、バルカン北部アンピポリス奪還のため、従軍した。
紀元前419年、ソクラテス50歳。ソクラテスは、クサンティッペと結婚したらしい。
紀元前416年、悲劇詩人アガトンの作品が、レーナイア祭で優勝。プラトン『饗宴』の問答が設定された時は、アガトン家の祝勝の宴である。ソクラテスとアルキビアデスが宴に出席する。ソクラテスはアガトンの家に行く途中、立ち止まって瞑想に耽った。
紀元前415年、アテナイはシケリア島に遠征軍を派遣する。アルキビアデスは、神に対する冒とくの罪により告発を受け遠征地から召還され、敵国スパルタに亡命する。ソクラテスは、シケリア島遠征に反対、ダイモーンが制止したからである。
紀元前407年、プラトン20歳の時、悲劇競演に参加しようとしている時、ソクラテスと初めて会い、自作の悲劇作品を火中に投じた。
紀元前406年、ソクラテスは、政務審議会(ブーレー)委員となる。レスボス島の南、アルギヌーサイの海戦において、アテナイ海軍は危く敗れそうになり、艦隊を編成し救援に向かった。アテナイは、スパルタ海軍を打ち破り、スパルタは難船したが、嵐のため、アテナイ艦隊の兵も海に溺れた。アテナイ軍はこのアテナイ人たちを救う事が出来なかったため、アテナイ市民は怒った。帰還した七人の將軍は一人を除き、弾劾され、審議会で審議し、財産没収の上、死刑を要求した。6人の將軍は処刑された。そのなかにペリクレスの子ペリクレスがいた。この時、ソクラテスは審議会委員(各部族代表50名)であった。通常の裁判の手続きによらず違法であり、ソクラテスのみはこの一括審議に反対したが、審議会の決議は、採決を要求、処刑は執行された。この時、ソクラテスは最後まで反対した。
紀元前405年秋、アテナイ艦隊はアイゴスポタモイの海戰で撃破される。陸海を封鎖され食糧補給路を絶たれ、餓死する者が溢れ、紀元前404年、アテナイは無条件降伏する。アテナイ人はメロス島人たちを虐殺したように自分たちも報復されるのではないかと危惧した。亡命していたクリティアスが帰国、三十人委員会が結成される。クリティアスはスパルタの支援を受けて、寡頭政独裁政権を作る。三十人独裁政権は、反対派を殺害する。民主派に対する血の粛清が行われる。ソクラテスの友人カイレポン、アニュトスら追放され亡命する。ソクラテスは、三十人独裁政権から、サラミスのレオンを逮捕するように命じられるが、これを拒否する。レオンは刑死した。
紀元前403年、アニュトス、カイレポンたち、亡命した民主派は、テーバイで、トラシュブーロスの指導のもとに、武装集団を組織、ペイライエウスに侵攻、クリティアスの軍と対峙、対戰し破る。クリティアスは戦死する。三十人政権崩壊。民主政回復。
■紀元前399年
紀元前399年、ソクラテスは、民主派の領袖アニュトス、弁論家リュコンを後ろ盾とするメレトスによって、告発される。「ソクラテスは、国の認める神々を認めず、別の新たなダイモーンの祭を導入するという罪を侵し、青年たちに害毒を与えるという罪を侵している。」という訴状がバシレウスに提出された。裁判で、500人の陪審員が、原告・被告双方の弁論を聞き、票決された。第1回票決は280票対220票の差で有罪となった。第2回票決は量刑であり、本人の希望により、死刑となった。360票対140票であった。無実の人を、冤罪で理由なく、告発する時、涜神罪、反逆罪を用いるのが常套手段であった。アルキビアデス、アリストテレスが、この罪で告発され、アテナイから逃亡したことは有名である。
裁判の1か月後、デロス島への祭礼使節が帰還した後、ソクラテスの処刑が行われる。死刑執行は日没時と定められていた。裁判は1-2月であった。
死の場面は、プラトン『パイドン』に描かれている。親しい人、友人たちは朝から集まった。アテナイ人、アポロドーロス、クリトブーロス、クリトン、ヘルモゲネス、アイスキネス、アンティステネス、クテシッポス、メネクセノスらがいた。プラトンは病気だった。テーバイ人、シミアス、ケベス、パイドンデス。メガラ人、エウクレイデス、テルプシオンがいた。シミアス、ケベスはピュタゴラス派のピロラオスの弟子である。
日没時、処刑が行われ、ソクラテスは毒人参の盃を飲みほす。ソクラテスは、弟子たちに、死に至るまでの時間、「魂は不死不滅である」ことを説いて死んだ。70歳であった。
(cf.プラトン『ソクラテスの弁明』『饗宴』『パイドン』『ラケス』、ディオゲネス・ラエルティオス『哲學者列伝』第2巻第5章、第3巻、クセノポン『ソクラテスの思い出』1-18、『ヘレニカ』第1巻7.1-35, 第1巻6.24-38第2巻1.20-29,第2巻2.2-23, 第2巻3.11-4.24, 第2巻3.39,第2巻4.19.24-43, 4.42.44、プルタルコス『アルキビアデス伝』)
★【参考文献】次ページ参照。
★ダヴィッド『毒盃を仰ぐソクラテス』
Jack Louis David, Death of Socrates, The Metropolitan Museum of Art. New York
★アクロポリスの丘 パルテノン神殿
★デルフィ パルナッソス山とアポロンの聖域
大久保正雄 Copyright2002.08.28
コメント