ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
大久保正雄『地中海紀行』58回ハプスブルク帝国
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
太陽の沈まぬ帝国、ハプスブルクは、富と権力で、ヨーロッパ最強の王国を構築した。
だが、この世で最も美しいものは、金と地位と権力で手に入れることはできない。
金と権力で手に入れることはできないものとは何か。
この世で至高の価値とは何か。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
王女マルガリータ・テレサは、15歳で結婚し、22歳で死んだ。
ほんとうの幸いとはなにか。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
灼熱の夏、ハプスブルク帝国の夢の跡を旅した。ハプスブルク帝国の3つの都。ウィーン、ブダペスト、プラハ。ベルリン、ポツダム、ドレスデン、ザルツカンマーグート。
早春のイベリア半島、スペイン、ハプスブルク家の夢の廃墟を辿る旅に出た。
ドイツ王ルドルフ1世ルドルフ・フォン・ハプスブルク(1218~1291)から、オーストリア皇帝カール1世(1916-18)まで、650年間、ヨーロッパ最強の一族。
マクシミリアン1世は、ヨーロッパ最強の富と権力を、結婚政策で構築する。
一族内の血族政策により、ハプスブルクの醜い容貌、病的資質、ハプスブルク一族に濃縮化する。
ハプスブルク家は、富と権力、領土と地位を、最優先し、権力の集中を図る。ヨーロッパ最強の権力の一つを構築した。
■戦いは他のものに任せよ、汝幸いなるオーストリアよ、結婚せよ。
マールスが他[のものに与えし国]は、ウェヌスによりて授けられん。
Bella gerant alii, tu felix Austria nube.
Nam quae Mars aliis, dat tibi diva Venus
■【ハプスブルク家発祥の地】
スイス、ハビヒツブルク(Habichtsburg 鷹の城)に古城が現存する。
【ルドルフ・フォン・ハプスブルク(1218~1291、在位73-81)】辺境伯。
ドイツ王ルドルフ1世(在位73-81)。ハプスブルク辺境伯ルドルフ1世、痩せた長身、大きな「鷲鼻」と突き出た顎と下唇。
【ハプスブルク家の醜悪な容貌】
顎が突出する異様な容貌。下顎前突症(mandibular prognathism、Prognathism)。
【神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(在位1493~1519)】の結婚政策により、領土拡大。ヨーロッパ最強の富と権力を、結婚政策で構築する。
■ハプスブルク帝国年代記
【スペイン・ハプスブルク家】
マクシミリアン1世の子フィリップ美公(1478-1506)、カスティーリア・アラゴン王女ファナ(1479-1555没)と結婚。
【カール5世=カルロス1世】
カール5世=カルロス1世(1500-88)、太陽の沈むことなき帝国
カール5世=カルロス1世。スペイン、シチリア、ネーデルランド、新大陸を領有。
カルロス1世、フェリペ2世(1506-98) にスペイン、弟フェルディナント1世(1503-64)にオーストリアを継承。
【フェリペ2世】
太陽の沈むことなき帝国
フェリペ2世、スペイン絶対王政の最盛期を築く。
1571年、レパントの海戦で勝利、ポルトガル併合。
カトリック政策で、オランダ独立を招く。
1588年、無敵艦隊がイギリスに敗れる。国力衰退。
フェリペ2世、絵画コレクション始める。ボッシュを蒐集。
イギリス女王メアリと結婚、支配を狙う。
★フェリペ2世、絵画コレクション。ボッシュ「快楽の園」1510「愚者の治療 いかさま師」1490「7つの大罪」1480「乾草の車」1500。スペインのフェリペ2世はボスの絵画の熱烈な愛好者であり、マドリードに傑作の多くがある(現在10点がプラド美術館蔵)。
★「地獄と怪奇生物の画家」ボッシュは、スペイン・ハプスブルク家のお気に入りだった。フィリップ美公、マルガレーテ女公(フィリップ美公の妹) 、フェリペ2世が多くの作品を所有する。
ボッシュは「地獄と怪物の画家」と形容される。彼の画風は独立して確立されたもので、いわゆる師匠に相当する人物を見つけることは出来ない。ハプスブルク家に見出され、ネーデルラント総督フィリップ美公、スペイン王フェリペ2世はボッシュの絵を好んだ。
『最後の審判』はネーデルラント総督フィリップ美公に、『聖アントニウスの試練』はネーデルラント総督マルガレーテ(マルグリット)女公(フィリップ美公の妹)が所有していた。スペイン王フェリペ2世が多くの作品を所有する。ボッシュ「聖アントニウスの誘惑」は、リスボンにある。
【フェリペ4世】フェリペ4世(1621-65)、太陽の沈むことなき帝国を没落させる。
フェリペ4世、ベラスケス(1599-1660)を宮廷画家に登用。
1623年、ヴェラスケス、24歳の若さで国王フェリペ4世の王直属の画家。
1648年から1651年まで、ヴェラスケス(1599-1660)、2度目のイタリア旅行。ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼを購入。
1648年から1651年、ヴェラスケス、「ヴィラ・メディチの庭園」「ヴィーナスの化粧」(「鏡のヴィーナス」) 「教皇インノケンティウス10世」を制作。
ヴェラスケス、イタリアの愛人をモデルに「ヴィーナスの化粧」(1648~1651年)を描く。
1656年『ラス・メニーナス』ヴェラスケス作。5歳の王女マルガリータ。
1660年、ヴェラスケス、61歳で急死。
フェリペ4世の娘、王女マルガリータ、レオポルト1世と結婚。
王女マルガリータ、14歳で結婚、21歳の若さで亡くなる。
*マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ(Margarita Teresa de España,1651年7月12日、マドリード - 1673年3月12日、ウィーン)
フェリペ4世妃マリアナの子、カルロス2世(1665-1700)、生まれた時から死に瀕する。38歳で死す。
1700【スペイン・ハプスブルク家滅亡】カルロス2世、38歳で死す。
1701年—1713年、スペイン継承戦争
【オーストリア・ハプスブルク家】
1740年、カール6世、死去。男子がいないため相続問題が発生。
1740年—1748年、オーストリア継承戦争。
【マリア・テレジア】
マリア・テレジア(1741-1780)、帝国を相続。
マリア・テレジア(1741-1780)は、黄金時代のハプスブルク帝国を指揮した。
16人の子を産み、政略結婚を展開した。
末娘のマリー・アントワネットは、フランス王ルイ16世に嫁がせた。
マリア・テレジアの子、ヨーゼフ2世は、ヴォルテールを尊敬していた。
18世紀、黄金時代のハプスブルク帝国はバロック文化が栄えた。
1762年秋、モーツアルトは、ウィーンに行き、マリア・テレジアに、シェーンブルン宮殿に招かれた。モーツアルトは、マリー・アントワネットに「僕のお嫁さんにしてあげる」と言った。
*神聖ローマ皇帝カール6世の娘で、ハプスブルク=ロートリンゲン朝の同皇帝フランツ1世シュテファンの皇后にして共同統治者、オーストリア大公(在位1740年 - 1780年)、ハンガリー女王(在位:同)、ベーメン女王(在位1743年 - 1780年)。
【マリー・アントワネット】1755-1793
1770年、マリー・アントワネット、フランス王太子(ルイ16世)と、結婚。
1789年、フランス革命、勃発。
1793年、マリー・アントワネット処刑。
【エリザベート】1837-1898
バイエルン貴族エリザベート、皇帝に一目惚れされる。
1854年、フランツ・ヨーゼフ1世と、エリザベート、結婚。
1889年、フランツ・ヨーゼフの嫡男、ルドルフ、心中による死。
1898年、エリザベート、暗殺されて死す。
1916年、フランツ・ヨーゼフ1世、死去。
【ルートヴィヒ2世】バイエルン王
ルートヴィヒ2世(Ludwig II, 1845年8月25日 - 1886年6月13日)
第4代バイエルン国王。ノイシュバンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)、リンダーホフ城、夢の城を次々と建築する。41歳の時、シュタルンベルク湖で、謎の溺死を遂げた。
オーストリア皇后エリーザベトとバイエルン王ルートヴィッヒ2世は、夢みる二人であった。
バイエルン王ルートヴィッヒ2世は、ワグナーの音楽『ローエングリン』と建築を好む藝術家王であった。
1918年、オーストリア皇帝カール1世、死す。ハプスブルク帝国、滅亡。
★Velasquez, Margarita白衣の王女マルガリータ
★Velasquez, Las Meninas
★Velasquez, Venus
★【参考文献】
ゲオルク・シュタット・ミュラー丹後杏一訳『ハプスブルク帝国史』1989
矢田俊隆『ハプスブルク帝国史研究―中欧多民族国家の解体過程――』岩波書店1977
カトリーヌ・クレマン『皇妃エリザベート ハプスブルクの美神』知の再発見65創元社1997
江村洋『ハプスブルク家の女たち』講談社現代新書
木村泰司『美女たちの西洋美術史 肖像画は語る』光文社新書2010年
ホセ・アントニオ・ウルビノ『プラド美術館』みすず書房、Scala1990
『ウィーン美術史美術館』みすず書房、Scala
菊池良生『ハプスブルク家』
菊池良生『傭兵の二千年史』講談社
加藤雅彦『ハプスブルク帝国』河出書房新社
中丸明『ハプスブルク一千年』新潮社
桐生操『ハプスブルク家の悲劇』1995
国立新美術館『Theハプスブルク展図録』2009
中野京子『ハプスブルク家12の物語』2009
倉田稔『ハプスブルク歴史物語』日本放送出版協会1994
倉田稔『ハプスブルク文化紀行』日本放送出版協会2006
ヴィスコンティ『ルートヴィヒ 神々の黄昏』1972
Luchino Visconti, Ludwig 1972
大久保正雄Copyright 2016年7月21日
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