王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
大久保正雄『地中海紀行』55回アレクサンドロス大王3
王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
サモトラケ島で、紀元前360年、オリュンピアスは、ディオニュソスの密儀で、マケドニアの王子フィリッポス2世と出会った。
妹クレオパトラの結婚式で側近貴族がフィリッポス暗殺。王妃オリュンピアスとその子アレクサンドロスが蔭で糸を引いて、殺害を使嗾。エウリピデス『メデイア』の詩を引用。
アレクサンドロス帝国の謎。アレクサンドロスの遺体は、何処にあるのか。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
■王妃オリュンピアス
Ὀλυμπιάς, c. 375–316 BC
アレクサンドロスの母、ポリュクセナは、ミュルタレ、オリュンピアス、ストラストニケ、と呼ばれた。(cf.プルタルコス『アレクサンドロス伝』)
オリュンピアスは、エペイロス人の一部族、モロッソイ王国の王族ネオプトレモスの娘である。モロッソイ王家は、英雄アキレウスとトロイア王家の血を受け継いでいると、伝承されている。モロッシアの地は、トロイア王家のアンドロマケがトロイア滅亡後、ネオプトレモスに伴われて流離した地である。ネオプトレモスはアキレウスの子である。(cf.エウリピデス『アンドロマケ』)オリュンピアスの父ネオプトレモス王が亡くなり、叔父アリュッバスが単独で王となり、オリュンピアスの後見人となる。
■サモトラケ島、ディオニュソスの秘儀
エーゲ海に浮かぶ、サモトラケ島で、紀元前360年、オリュンピアスは、ディオニュソスの密儀に入信し、ここで、マケドニアの王子フィリッポス2世と出会った。オリュンピアス十五歳である。フィリッポスは、恋してすぐ婚約した。エペイロス地方の女たちは、昔からオルペウス教とディオニュソスの密儀に入信しており、トラキアの女たちと同じ密儀を行なっていた。オリュンピアスは、他の女たちより一層烈しく神懸りになり、一層烈しく霊感に取り憑かれ、祭りをしている人々の間に、大きな蛇を何匹も取り出し、蔦や密儀の籠から這い出して女たちの杖や花環に巻きついた。ある夜、フィリッポスは、王妃オリュンピアスが寝室で寝ている傍らに大きな蛇が長くなっているのを見た。以後フィリッポスは、オリュンピアスの傍に行くことはなかった。
アレクサンドロス出生の秘密
フィリッポスは、神が蛇の形になって、王妃と添い寝しているのを窺い見た。オリュンピアスは、アレクサンドロスを遠征に送り出す時に、彼にのみその出生の秘密を明かし、生れにふさわしい心を持つように命じた。だが二人は再び生きてまみえることはなかった。(cf.プルタルコス『アレクサンドロス伝』)
★アレクサンドロスの妹クレオパトラの結婚式
側近護衛官パウサニアスに暗殺される
紀元前336年、夏、旧都アイガイで、アレクサンドロスの妹クレオパトラとエペイロス王アレクサンドロスが結婚式を挙げる。この結婚は、エペイロス王国とマケドニア王国の関係を修復するために、フィリッポス2世が画策したものである。クレオパトラはオリュンピアスの娘で、アレクサンドロスはオリュンピアスの弟であるから、2人は叔父と姪の関係であり、互いに幼なじみであった。クレオパトラは19歳、アレクサンドロスは25歳であった。政略結婚であるが良縁であった。結婚の祝宴で、フィリッポス2世が、貴族パウサニアスに劇場で、暗殺される。側近護衛官パウサニアスは、アッタロスに侮辱されたことに怨恨を抱き、それを罰しないフィリッポス殺害を実行した。
★フィリッポス暗殺事件
フィリッポス暗殺事件は、王妃オリュンピアスとその子アレクサンドロスが蔭で糸を引いた暗殺である。アレクサンドロスは、パウサニアスに、エウリピデスの悲劇の詩を引用して、「聞けば、汝、嫁の親と婿と嫁とを、脅しているという」(『メデイア』)と言って殺害を使嗾(しそう)した。アッタロスとフィリッポスとクレオパトラが、クレオンとイアソンとグラウケに対応するのであり、フィリッポスを殺すべしと指示したのである。メデイアが復讐したように、オリュンピアスは復讐を果たしたのである。フィリッポスは、47歳で死んだ。かくして、アレクサンドロスがマケドニアの王に即位した。★
■アレクサンドロス帝国の謎 黄金の指輪
αλεξανδροσ
ペルディッカスが、死の床のアレクサンドロスから受けた黄金の指輪は、ナイル河渡河作戦で失敗し殺害された時、何処に消えたのか。古代の書物に「アレクサンドロスの遺産は、アレクサンドロスが最も愛した美しいエーゲ海のロドス島に隠された」と書かれたが、アレクサンドロスの遺産はどうなったのか。プトレマイオスが奪還し、エジプトのアレクサンドリアに葬られた、アレクサンドロスの遺体は、何処にあるのか。アレクサンドロスの霊廟は、どうなったのか。アレクサンドロス帝国は謎を残した。(cf.プルタルコス『アレクサンドロス伝』)
偉大な国家を建設するためには、旧制度の破壊と征服が為されねばならない。革命家の後に、偉大な統治者が現れる時、偉大な国家が生れる。そして、軍人が現れ、組織を構築する者が現れ、管理する者が現れ、官僚が統治する時、国家は死に絶える。アレクサンドロスにおいては、王国も軍隊も、彼自身の不滅の榮光を達成するための道具であり、手段に過ぎなかった。自己を中心に、ただ己自身の目的をめざして、他のすべてを顧みない、強烈な自我の光芒が、アレクサンドロスの行動の軌跡であった。王国の統治は、生涯アレクサンドロスの真剣な考慮の対象とならなかった。アレクサンドロスは、征服者であり探検家であった。アレクサンドロス帝国は、統治者のいない王国である。アレクサンドロスは、治者ではなかった。統治行為という日常を無視し、非日常を探求する者。世界の涯を旅する者である。たとえ未完に終ろうとも、その戦いの軌跡だけが、人間がこの世に生きた証しである。アレクサンドロスは、永遠に旅を続ける。
■地中海の美と知恵を求めて
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★Olympias mother of Alexander
★Oliver Stone' Alexander (2004)
★テッサロニキ考古学博物館カタログ
Thessaloniki, Archaeological Museum Catalogue
★アレクサンドロス ギリシア共和国ドラクマ硬貨
★【参考文献】
プルタルコス河野与一訳『プルタルコス英雄伝』岩波文庫1956★
村川堅太郎編『プルタルコス』世界古典文学全集23筑摩書房1966
アッリアノス『アレクサンドロス大王東征伝』『インド誌』岩波文庫2001★
大牟田章『アレクサンドロス大王』清水書院1976★
森谷公俊『アレクサンドロス大王 世界征服者の虚像と実像』講談社選書メチエ2000
森谷公俊『王妃オリュンピアス アレクサンドロス大王の母』筑摩書房1998★
森谷公俊『王宮炎上 アレクサンドロス大王とペルセポリス』吉川弘文館2000
ポンペイウス・トログス/クイントゥス・ユスティヌス合阪學訳『地中海世界史』京都大学学術出版会1998
森谷公俊『興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話』講談社2007
本村凌二『興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国』講談社2007★
知の再発見双書ピエール・ブリアン桜井万里子監修『アレクサンダー大王』創元社1991★
知の再発見双書エディット・フラマリオン『クレオパトラ』創元社★
大久保正雄Copyright 2002.12.25
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