
大久保正雄『地中海紀行』第50回変人皇帝たちの宴2
変人皇帝たちの宴 狂帝カリギュラ 殺戮を好む学者皇帝クラウディウス
エレウシスの秘儀においては「精神の清淨潔白を自ら感じざる者はこの神聖な領域に入ってはならぬ」。至聖所 (アバトーン)である。
皇帝宮殿、元老院は「精神の淨らかなる者」は立ち入ることはできない。
傲慢と残忍にまさるとも劣らぬ嫉妬心と惡意で、あらゆる人を攻撃するカリギュラ。
カリギュラは、妻や愛人の首に口づけしながら、「この美しい首も、私の命令一つですぐに飛ぶのだ」。殺戮を好む陰鬱な学者皇帝クラウディウスは、今も存在する。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
■狂帝カリギュラ 29歳で親衛隊により暗殺
陰鬱で殘忍なティベリウス帝の死後、民衆は狂喜して、若いカリギュラを迎えた。
紀元37年3月18日、ガイウス帝(狂帝カリギュラ)が即位した。24歳である。即位した年の10月カリギュラは病に倒れ、死に瀕した。猜疑心に駆られた皇帝は、親衛隊長官マクロ夫妻に自殺を命じた。以後、残虐な皇帝に豹変した。
カリギュラは、ゲルマニクスとアグリッピナの子である。父ゲルマニクスはアントニアの子であり、アグリッピナはアグリッパの子である。カリギュラは、自分の母アグリッピナと兄弟を祖父ティベリウスに殺された。カリギュラの父ゲルマニクスは、ティベリウスが奸策を弄し、シリア総督グナエウス・ピソの手で殺された。(cf.スエトニウス『カリギュラ』2)ゲルマニクスは、心身両面であらゆる美点をもち、端正な容貌と、優れた勇気、ギリシア語とラテン語の雄弁と学識の卓越した才能、他人への比類ない温かさを持っていた。ゲルマニクスは、身内の者から眞価を認められ、深く愛された。そして、民衆からも心を寄せられた。ゲルマニクスは、マルクス・アグリッパとユリアの娘アグリッピナを娶った。
カリギュラは、祖母アントニアの家で育てられていた時、妹たちすべてと肉体関係をもった。ユリア・アグリッピナ、ユリア・ドルシラ、ユリア・リウィラである。なかでもドルシラを最も愛したが、38年ドルシラは21歳で亡くなった。カリギュラは、レピドゥスの裁判で、二人の妹を反逆罪で追放刑に処した。
カリギュラは、四度結婚した。20歳の時、ユニア・クラウディアと結婚したが産褥で母子ともに死亡。即位した37年に出席した結婚披露宴で新婦リウィア・オレスティラを見初め離婚させ、自分の妻にするが、新妻を数日で離婚。三度目は人妻ロリア・パウリナを祖母が絶世の美女であることを聞いて属州から呼び寄せ結婚したが、再び離婚。二度と男と寝てはならぬと命じた。四度目は三児の母ミロニア・カエソニアである。カエソニアは、とくに極立った美貌でもなく青春の盛りを過ぎ、贅沢と放蕩で退廃していたが、最後まで愛し、皇帝は友人には裸にして見せたほどである。彼女との間に生れた娘をユリア・ドルシラと名づけた。最愛の妹の名である。カリギュラは、妻や愛人の首に口づけしながら、そのたびにこう言った。「この美しい首も、私の命令一つですぐに飛ぶのだ」
■売上税、大逆罪、財産没収
皇帝カリギュラは、ティベリウスの残した27億セステルティウスの莫大な遺産を、一年経たぬうちに使い果たし、皇帝金庫を空にした。蕩尽して金がなくなったカリギュラは、不正な告発、競売、間接税、手の込んだ様々な方法を考案した。あらゆるものに税をかけた。あらゆる売上に税をかけ、無実の富裕な者を告訴し有罪判決を下し財産を没収した。剣闘士競技、贅を尽くした宴会に蕩尽した。告発屋の告発が頻発し、大逆罪による裁判、有罪判決による財産没収が行われ、富裕な貴族、元老院議員は恐怖に陥れられた。皇帝カリギュラは、「傲慢と残忍に勝るとも劣らぬ嫉妬心と惡意で、あらゆる時代の人を攻撃した。」元老院議会は、皇帝に媚びへつらい、誰も食い止める者がいなかったので、殺害するしかなかった。
41年1月24日、カリギュラは、パラティヌスの丘で、親衛隊副官カッシウス・カエレアの剣によって突き刺されて死んだ。29歳。統治3年2か月であった。カリギュラが暗殺された時、ミロニアとの間に生れた娘ユリア・ドルシラは、宮殿の壁に投げつけられて殺害された。妻ミロニアも百人隊長により処刑された。
カリギュラはラミア庭園に埋められた。後日、カリギュラに追放された妹たち、アグリッピナ、リウィラが、追放地から帰ってきて、遺骸を掘り起こし葬った。
(cf.スエトニウス『皇帝伝』第3巻、タキトゥス『年代記』2巻,6巻)
■愚昧帝クラウディウス
皇妃アグリッピナ、皇帝の好物の茸に毒を盛る。羽毛で毒殺
クラウディウスは、殺戮を好んだ陰鬱な学者皇帝。
カリギュラが、親衛隊副長官によって殺害された時、ヘルメスの館と呼ばれる離れに籠り、テラスに出て、カーテンの影に身を隠していたクラウディウスは、親衛隊兵士によって親衛隊兵舎に連れて行かれた。クラウディウスは、インペラートルの歓呼を受け、忠誠の誓いを受け、兵士に一人一人に1万セステルティウスの賜金を約束した。元老院による承認を受け、41年1月24日、クラウディウス帝は即位した。50歳である。
歴代の皇帝の中で、軍隊の忠誠を手に入れるために賄賂を使ったのはクラウディウスが最初である。クラウディウスは、紀元前10年8月1日、リグドゥヌム(リヨン)で生れた。父はアウグストゥスの妻リウィアの連れ子ドルスス(ティベリウスの弟)、母はアントニア、アントニウスの娘(妹)である。
■学者皇帝クラウディウス
クラウディウス帝は、母アントニアが「人間の姿をした怪物」と呼び憎むほど、肉体も精神も虚弱で、笑うと下品になり怒ると口から泡を飛ばし鼻水を垂らした。生まれつき残忍で血を好んだ。知能は優れていたが家族にはそう思われず、世の中の目から隠された。しかし学問を好み、歴史家リウィウスを師として、ギリシア語で歴史書『エトルリア史』20巻、『カルタゴ史』8巻を書いた。ギリシア語図書館ラテン語図書館を建築し、アレクサンドリアの図書館を改築した。クラウディウスは、アントニアにまったく愛情を注がれず、醜い容貌と愚昧さのため皇位継承者の候補から外されていた。クラウディウスは、飲酒と、賭け事、女遊びに慰めを見出した。
■クラウディウス銅板
クラウディウスは、イタリア人のみに限られていた元老院議員職を、元老院議員たちの抵抗を斥けて、属州にも解放した。(cf.タキトゥス『年代記』第11巻23-25) 48年の元老院におけるクラウディウス演説が「クラウディウス銅板」としてリヨンに殘っている。この結果、トラヤヌス帝時代、ハドリアヌス帝時代、ヒスパニア系人脈が皇帝、執政官を占め、セヴェルス朝時代は、アフリカ系人脈、シリア系人脈が皇帝に即位することになる。
■皇妃メッサリナ
クラウディウスは、生涯に4人の妻を娶った。プラウティア・ウルグラニア、アエリア・パエティナ、ウアレリア・メッサリナ、ユリア・アグリッピナである。ウルグラニアは情欲と殺人の嫌疑で離婚した。皇后メッサリナは惡女として有名で、皇帝が寝静まると売春宿に向かい、淫欲を燃やした。のみならずメッサリナは若き貴族ガイウス・シリウスと結婚式を挙げた。48年皇后メッサリナは不義密通によって死刑に処された。
■皇妃アグリッピナ
メッサリナの死によって皇帝官房の解放奴隷のたちは、皇妃の選択をめぐって争った。女たちは、自分の高貴と美貌と財産を張り合い、誇った。魅力的なアグリッピナは、接吻する権利と誑かす機会を利用して、クラウディウスを愛の虜にした。叔父と姪の結婚は近親相姦であるとみなされていたが、48年姪のアグリッピナと結婚する。アグリッピナがクラウディウス帝の新しい后になる。49年アグリッピナは流刑8年のセネカをコルシカ島から呼び戻し、12歳の息子ネロの教育を委ねた。
クラウディウスは、極度に、陰謀を警戒し、皇帝に対する反逆罪で、35人の元老院議員と三百人の騎士を処刑した。
54年10月13日、クラウディウス帝は死ぬ。アグリッピナが、我が子ネロを帝位に就かせようと企み、皇帝の好物の茸に毒を盛った。だが吐瀉したので、侍医クセノポンを呼び、毒を塗った嘔吐用の羽毛を突っ込んで毒殺した。
(cf.スエトニウス『皇帝伝』第4巻、タキトゥス『年代記』11巻12巻)
■競争の果てに、悪が繁栄
内乱の時代を制したアウグストゥスは、私利私欲を追求して、権力闘争を繰り広げ、最高権力を手に入れた。アウグストゥスは、軍隊を金で、民衆を穀物の無償配給で、世界を平和の甘美によって、籠絡すると、着々と地位を高め、皇帝の地位を掌握した。大胆不敵な貴族は、戰死したり、公敵宣言を受けて倒れた。生きのびた者たちは、屈従を示そうとする熱意に応じて、富と名譽によって、優遇された。
競爭が激化すると、競爭の結果、生き殘る者は優れた者ではなく、最惡の者が生き殘る。何故なら優秀な人物は、真先に嫉妬によって抹殺されるからである。最も激しい競爭の結果、最低の人間が生き殘る。
「この時代は、道徳的に退廃し、阿諛と追従で汚れていた。指導的な地位にある市民は、自分の名声を保つため、屈従する以外に方法を知らなかった。嘔吐を催すような法案を可決していた。ティベリウス帝は元老院議場から退席する時、いつもギリシア語でこう呟いていた。『いつでも奴隷になり下がろうとしている人々よ。』国家の自由を欲しなかったティベリウスといえども、平身低頭する議員の奴隷根性を嫌惡していた。」(cf.タキトゥス『年代記』3巻65)
皇帝は、破綻した国庫、皇帝金庫を建て直すため、冤罪で富裕な者たちを処刑し、財産を没収した。元老院議員は、私利私欲のために、友人を反逆罪で告発した。殘酷な命令、終わりなき告発、偽りの友情、高潔な人の破滅、必ず断罪に至る裁判が絶え間なく行われた。帝都ローマは初代皇帝の時代から腐敗の都であった。エレウシスの秘儀においては「精神の清淨潔白を自ら感じざる者はこの神聖な領域に入ってはならぬ」と禁じられていたが、皇帝宮殿、元老院は「精神の淨らかなる者」は立ち入ることはできなかった。
殘虐な皇帝たちは、反逆罪による告発、死刑、財産没収によって、暴虐の限りを尽くした。ネロが、皇帝一族、支配階級の虐殺を行ったため、ユリウス・クラウディウス家の血は絶え、支配階層の政権交代が起った。だが皇帝たちによって殺されたのは、上層階級、特権階級であり、民衆は彼らの死を悲しみ、暗殺者の死を要求した。カリギュラ、ネロの墓には、花束が絶えなかった。
★皇帝アウグストゥス
★パラティーノの丘からみるフォロ・ロマーノ
★参考文献
スエトニウス國原吉之助訳『ローマ皇帝伝』上下、岩波文庫1986
タキトゥス國原吉之助訳『年代記』岩波文庫1981
タキトゥス國原吉之助訳『同時代史』筑摩書房1996
國原吉之助訳『タキトゥス』世界古典文学全集22、筑摩書房1965
ペトロニウス國原吉之助訳『サテュリコン』岩波文庫1991
E・ギボン中野好夫訳『ローマ帝国衰亡史』全10巻 ちくま学芸文庫 1995
南川高志『ローマ皇帝とその時代 元首政期ローマ帝国政治史の研究』創文社1995
南川高志『ローマ五賢帝 輝ける世紀の虚像と実像』講談社現代新書
南川高志『新ローマ帝国衰亡史』岩波新書2013
南川高志『ユリアヌス 逸脱のローマ皇帝』2015
青柳正規『古代都市ローマ』中央公論美術出版1990
青柳正規『皇帝たちの都ローマ』中公新書1992
新保良明『ローマ帝国愚帝列伝』講談社2000
クリス・スカー月村澄枝訳『ローマ皇帝歴代誌』大阪創元社1998
アントナン・アルトー『ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト』(1934)
ステュワート・ペローン『ローマ皇帝ハドリアヌス』河出書房新社2001
藤原道郎『物語イタリアの歴史 II 皇帝ハドリアヌスから画家カラヴァッジョまで』中公新書2004
マルグリット・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』多田智満子訳、白水社
鶴間和幸『人間・始皇帝』岩波新書2015
エウジェニア・リコッティ武谷なおみ訳『古代ローマの饗宴』平凡社1991
大久保正雄Copyright 2003.02.26 2016年7月12日
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